メインコンテンツへスキップ

行政・政治・公文書

法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿

目次
1 法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿
2 関連記事

1 法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿
2026年:1月16日現在,
2025年:1月17日現在,8月7日現在,
2024年:2月1日現在,8月5日現在,
2023年:8月2日現在,
2022年:7月25日現在,
2021年
1月29日現在,7月16日現在,12月1日現在
2020年
7月20日現在
2019年
1月21日現在,7月16日現在
2018年
1月 9日現在,7月31日現在
2017年
1月27日現在,7月21日現在
2016年
1月12日現在,7月15日現在
2015年
7月 1日現在

* 「法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿(令和8年1月19日現在)」といったファイル名です。

2 関連記事
・ 法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)

(続きを読む...)法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿

東京地検が,報道機関に対し,平成31年4月4日のカルロス・ゴーンの逮捕に関して提供した文書は,翌日までに廃棄されたこと等

1 行政文書の管理に関するガイドライン(平成23年4月1日内閣総理大臣決定)第4-3-(6)によれば,「定型的・日常的な業務連絡、日程表等」については,保存期間を1年未満とすることができます。

2(1) 平成31年3月22日付の東京地検の不開示決定通知書によれば,東京地検が,報道機関に対し,ゴーン及びケリーの逮捕等に関して提供した文書は,同年2月20日までに廃棄されました。
(2) 平成31年4月26日付の東京地検の不開示決定通知書によれば,東京地検が,報道機関に対し,平成31年4月4日のカルロス・ゴーンの逮捕に関して提供した文書は,翌日までに廃棄されました。
(3) 令和元年5月23日付の東京地検の不開示決定通知書によれば,東京地検が,報道機関に対し,平成31年4月下旬のカルロス・ゴーンの保釈の判断に関して,東京地検が報道機関に提供した文書は,同年5月7日までに廃棄されました。
(4) ちなみに,裁判所の情報公開手続では,カルロス・ゴーンの刑事手続の存在自体が個人識別情報として不開示情報とされています(「カルロス・ゴーンの刑事手続に関する文書は個人識別情報として不開示情報であること」参照)。

3 行政文書の管理に関するガイドライン第4は以下のとおりです。

第4 整理
1 職員の整理義務
職員は、下記2及び3に従い、次に掲げる整理を行わなければならない。
(1) 作成又は取得した行政文書について分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定すること。
(2) 相互に密接な関連を有する行政文書を一の集合物(行政文書ファイル)にまとめること。
(3) (2)の行政文書ファイルについて分類し、名称を付するとともに、保存期間及び保存期間の満了する日を設定すること。
2 分類・名称
行政文書ファイル等は、当該行政機関の事務及び事業の性質、内容等に応じて系統的(三段階の階層構造)に分類(別表第1に掲げられた業務については、同表を参酌して分類)し、分かりやすい名称を付さなければならない。
3 保存期間
(1) 文書管理者は、別表第1に基づき、保存期間表を定め、これを公表しなければならない。
(2) 文書管理者は、保存期間表を定め、又は改定した場合は、総括文書管理者に報告するものとする。
(3) 1-(1)の保存期間の設定については、保存期間表に従い、行うものとする。
(4) 1-(1)の保存期間の設定及び保存期間表においては、法第2条第6項の歴史公文書等に該当するとされた行政文書にあっては、1年以上の保存期間を定めるものとする。
(5) 1-(1)の保存期間の設定及び保存期間表においては、歴史公文書等に該当しないものであっても、行政が適正かつ効率的に運営され、国民に説明する責務が全うされるよう、意思決定過程や事務及び事業の実績の合理的な跡付けや検証に必要となる行政文書については、原則として1年以上の保存期間を定めるものとする。
(6) 1-(1)の保存期間の設定においては、 (4)及び(5)の規定に該当するものを除き、保存期間を1 年未満とすることができる(例えば、次に掲げる類型に該当する
文書。)。
① 別途、正本・原本が管理されている行政文書の写し
② 定型的・日常的な業務連絡、日程表等
③ 出版物や公表物を編集した文書
④ ○○省の所掌事務に関する事実関係の問合せへの応答
⑤ 明白な誤り等の客観的な正確性の観点から利用に適さなくなった文書

(続きを読む...)東京地検が,報道機関に対し,平成31年4月4日のカルロス・ゴーンの逮捕に関して提供した文書は,翌日までに廃棄されたこと等

出入国在留管理庁作成の「入国・在留審査要領」(令和8年4月の開示文書)

1 出入国在留管理庁作成の「入国・在留審査要領」(令和8年4月の開示文書)を以下のとおり掲載しています。
第1編(基本的事項),第2編(代理・申請取次ぎ),
第3編(委任、請訓、進達及び専決範囲),第4編(証印等),
第5編(本庁報告),第6編(上陸審査),
第7編(日本人の出帰国の確認),第8編(審査体制),
第9編(入国事前審査),第9編の2(中長期在留者の在留管理),
第10編(在留審査),第10篇の2(在留資格の取消し等),
第11編(実態調査),第11編の2(報告徴収及び立入検査),
第12編(在留資格),第13編(地位協定),
第14編(未承認国),第15編(慎重審査対象船舶),
第16編(出入国審査リスト),第17編(要注意在留外国人等リスト),
第18編(要注意所属機関等リスト),

2 第12編(在留資格)には以下のものが含まれています。
全般事項,外交・公用,教授,芸術,宗教,
報道,高度専門職,経営・管理,法律・会計業務,医療
研究,教育,技術・人文知識・国際業務,企業内転勤,介護
興行,技能,技能実習,特定技能,文化活動
短期滞在,留学,研修,家族滞在,特定活動
永住者,日本人の配偶者等,永住者の配偶者等,定住者,別表
様式,

3 「(AI作成)外務省の一般旅券事務処理基準(令和7年3月24日改訂後のもの)の解説」も参照してください。

日本の戦前の兵役年齢-徴兵検査・志願兵・沖縄戦(AI作成)

目次第1 兵役年齢を理解するための区分1 制度ごとの年齢一覧2 兵役上の身分と入営・召集の違い第2 徴兵検査と第二国民兵役の年齢1 徴兵検査は原則20歳から19歳へ引き下げられた2 第二国民兵役は17歳から始まった第3 志願できる年齢1 17歳以上の志願現役兵2 昭和19年に設けられた14歳から16歳までの特別志願第4 義勇兵役法の年齢第5 沖縄戦における年齢1 現地徴兵・防衛召集と学徒隊は別に整理する必要がある2 男子学徒は14歳から19歳,女子学徒は15歳から19歳3 義勇兵役法は沖縄戦初期の動員根拠ではない第6 出典1 法令・公文書2 文献3 ウェブ資料

本記事は,昭和2年(1927年)の兵役法制定から昭和20年(1945年)までを中心として,日本の戦前の兵役年齢を整理するものである。

当時は,「兵役に服する年齢」,「徴兵検査を受ける年齢」,「志願できる年齢」及び「召集されて実際に勤務する年齢」が同じではなかった。

沖縄戦の学徒については,法令上の年齢区分と,実際に動員された生徒の年齢も分けて説明する。

第1 兵役年齢を理解するための区分
1 制度ごとの年齢一覧

兵役法上の身分,徴兵検査,志願及び義勇兵役を同じ意味の「兵役年齢」として扱うと,年齢の数字だけが独り歩きすることになる。

本記事で取り上げる主な年齢区分は,次のとおりである。

制度又は事実
年齢
意味

徴兵検査
原則20歳,昭和18年12月24日公布の特例後は19歳
徴兵検査を受ける年齢であり,直ちに全員が入営するという意味ではない。

第二国民兵役
当初17歳から40歳まで
他の兵役に服していない者に関する兵役上の身分である。

第二国民兵役の上限
昭和18年11月1日以降は45歳に満つる年の3月31日まで
兵役法の改正により上限が延長された。

(続きを読む...)日本の戦前の兵役年齢-徴兵検査・志願兵・沖縄戦(AI作成)

公証人の任命状況(2019年5月1日以降)→公証人への任命直前の,元裁判官,元検事等の経歴を記載したもの

目次
1 公証人の任命状況
2 指定職俸給表が適用されている法務局及び検察庁の職員
3 特任公証人に採用される法務局出身者が事実上,法務局の局長又は部長以上の者に限られている理由等
4 特任公証人の選考資格
5 関連記事その他

*1 「(AI作成)公証人の任命状況(Markdown形式)」,「平成18年度以降の,公証人の任命状況」,及び「50歳以上の裁判官の依願退官の情報」も参照してください。
*2 法務省HPに「指定公証人一覧」が載っています。
1 公証人の任命状況
◯2019年5月1日以降に任命された公証人につき,所属法務局,任命日,修習期,氏名,退官時の職,退官発令日及び退官理由を記載しています。
◯元判事については「定年退官」又は「依願退官」と記載し(ただし,定年退官した後に公証人に任命されたのは裁判官はいません。),元検事,元高検事務局長及び元法務局職員については「定年退職」又は「辞職」と記載しています。
◯元判事の場合は依願退官の約1月後に,元検事の場合は辞職の約3週間後に公証人に任命されていることが多いのに対し,それ以外の場合,7月1日付で任命されていることが多いです。
◯判事,検事及び弁護士は公証人法13条に基づいて公証人に任命されるのに対し,最高検又は高検の事務局長及び法務局職員は公証人法13条ノ2に基づいて,検察官・公証人特別任用等審査会公証人分科会の選考を経た上で特任公証人に任命されます。
◯元裁判官については茶色表記に,元検事については水色表記にしています。
2026年
札幌 2026年7月1日 佐々木賢 盛岡地方法務局長 2026年3月31日 辞職
旭川 2026年7月1日 羽澤政明 札幌法務局民事行政部長 2026年3月31日 辞職
盛岡 2026年7月1日 小松淳也 福島地方法務局長 2026年3月31日 辞職
前橋 2026年7月1日 鍛冶宗宏 札幌法務局長 2026年3月31日 辞職
富山 2026年7月1日 池田仁 東京高検事務局長 2026年3月31日 辞職
岐阜 2026年7月1日 鳥丸忠彦 水戸地方法務局長 2026年3月31日 辞職
京都 2026年7月1日 田中和明 和歌山地方法務局長 2026年3月31日 辞職
奈良 2026年7月1日 坂佳恭 名古屋法務局民事行政部長 2026年3月31日 辞職
和歌山 2026年7月1日 三木秀樹 神戸地方法務局長 2026年3月31日 辞職
広島 2026年7月1日 石川亮 高松法務局長 2026年3月31日 辞職
松江 2026年7月1日 山口正広 松江地方法務局長 2026年3月31日 辞職
福岡 2026年7月1日 中嶋武彦 熊本地方法務局長 2026年3月31日 辞職
神戸 2026年6月27日 48期 山上富蔵 最高検検事 2026年4月10日 辞職
東京 2026年6月17日 46期 作原大成 東京高検検事 2026年4月10日 辞職

(続きを読む...)公証人の任命状況(2019年5月1日以降)→公証人への任命直前の,元裁判官,元検事等の経歴を記載したもの

仮釈放に関する公式の許可基準と実際の運用(AIリライト)

第1 仮釈放の許可基準の全体像

1 法律上の最短時期と許可基準は別である
2 4基準は順番に判断される

第2 仮釈放を許すことができる最短時期

1 有期拘禁刑は刑期の3分の1,無期拘禁刑は10年
2 少年法58条の特則

第3 仮釈放審理が始まり,決定に至るまで

1 刑事施設長等による通告と申出
2 地方更生保護委員会による職権審理
3 面接,被害者等の意見及び検察官の意見
4 3人の委員による許可決定

第4 4基準の具体的な判断資料

1 悔悟の情及び改善更生の意欲
2 再び犯罪をするおそれ
3 保護観察に付することの相当性
4 社会の感情

(続きを読む...)仮釈放に関する公式の許可基準と実際の運用(AIリライト)

副検事制度が創設された経緯

目次
第1 副検事制度が創設された経緯
第2 明治憲法時代の違警罪即決例及び警察犯処罰令
第3 関連記事その他

第1 副検事制度が創設された経緯
・ 「新検察制度十年の回顧」には,「六 副検事制度の創設」という表題で,以下の記載があります(法曹時報10巻3号84頁ないし86頁)。

    検事の補佐機関として特別任用の検事補又は副検事制度を設けるという構想は戦前からあつたのであるが、裁判所は検事補又は副検事に相当する特別任用の検察官を設けることを強く反対しており、検察部内においても賛否両論があった。反対理由の根拠は検察の運用が全般的に低下するというのであったが、これを克服することができても当時検事局は裁判所に附置され、裁判所とともに司法大臣の管理の下にあったので、検事局だけにこの特別任用の制度を設けることは裁判所との関係から実現困難な状態にあった。
    しかし、戦後司法制度が改正されるに当り、司法法制審議会では検事補制度を設けることを認めており、また憲法の改正により行政執行法、違警罪即決例などが廃止され、逮捕、勾留がすべて裁判官の令状によらなければならぬことになれば、これまで警察署長の権限で処理されていたものをすべて検事が取り扱わねばならぬことになり、また裁判所がこの実情に沿うため簡易裁判所を設けることになれば、簡易裁判所の裁判官に匹敵する数の検事を増員せねばならぬ必要が起り、かかる多数の検事を早急に充足することは到底不可能であったので、ここに特別任用により検事に代える機関を設ける必要が生じ、また別に部内において久しく要望されていた一般事務職員の昇進の途を拓くことについて、副検事制度は職員の将来に大きな希望を与えることができるとも考えられたので副検事制度を実現することにしたのである。
    特別任用の副検事を置くことについては、日本弁護士連合会は、その任用資格が検事の任用資格より低く検察組織の実力を低下し人権尊重の基本的原則に違背する危険があるというので反対し、また総司令部も検察官は公訴の提起及びその維持にあたるには高度の法律的素養が必要であるといって、特別任用資格を認める副検事制度には容易に承認を与えてくれなかつたのであるが、これを必要とする実情を強調してついに実現することになつたのである。
    ところが、愈々副検事制度を実現してみると、副検事は、年々飛躍的に増加する区検察庁の管轄事件(とくに道路交通違反関係事件)の処理、あるいは公判運営に対処して検察の機能を果たし、これを設けた目的を一応達しているばかりでなく、これまで専ら検事の捜査の立会、書類の作成整理、証拠品の処理などの機械的な検察事務に従事し将来に希望を託すことのできなかった一般検察職員に昇進の途を拓き、優秀な検察事務官に跳躍の機を与えた効果は目ざましいものがあった。しかし、その発足当初は、急速に一定の要員を充足しなければならぬ必要があり、副検事の選考は各庁に一任されていたため、採用の一応の基準はあっても、各地によって実情がちがい、検察事務になれた実情にあかるい部内職員だけでなく、部外者の有資格者などを多数採用したため、検察官に必要な識見の足らないものや、年令的に適当でないものなども少くなく、それに訓練不足というような事情もあって、実務の処理に過誤があったり、処理が適正でなかったりすることもあって、副検事制度に対し、内外から一時相当な非難があった。
   その弊害は、その後ことごとく是正されたとはいえないが、運用について検討が加えられた結果、副検事に適当でない者は漸次淘汰され、また素質の改善向上をはかるため、中央、地方において厳格な実務訓練を施し、あらたに採用する者に対しては、学識は勿論、人物考査に意を須い、厳格な選考を行っているので、将来性のある優秀者が増加する傾向にあり、さらに、副検事の実務経験三年以上経た者のうちから、考試を経て検事に昇進するものも毎年二、三名は輩出するという実情であって、副検事制度を設けた目的を達成しつつあるのである。

第2 明治憲法時代の違警罪即決例及び警察犯処罰令
1 平成元年版犯罪白書の「犯罪者の処遇」には以下の記載があります。
 違警罪即決例に規定されていた違警罪即決処分は,警察署長及び分署長又はその代理たる官吏が,その管轄地内において犯された違警罪(拘留又は科料に当たる罪)を即決する処分である。この即決処分は,被告人の陳述を聞き,証拠を取り調べ,直ちに刑を言い渡すか,被告人を呼び出すことなく若しくは呼び出しても出頭しないときに,直ちに言渡書を本人又はその住所に送達する方法で行われた。即決処分に対しては,言渡しがあったときは3日以内に,言渡書の送達があったときは5日以内に,正式の裁判を請求することができ,その請求があったときは,区裁判所で正式裁判が行われた。
2 「弁護士の果たした役割」と題する記事(大竹武七郎)には以下の記載があります(昭和49年1月1日発行のジュリスト551号102頁。なお,改行を追加しています。)。
 検事局と警察とは、その機構、人員等の関係から、捜査の実力は警察側にあったといっても過言ではない。ところが、警察官は、捜査に強制力を用いることは、法律上、非常に制限されていた。
 そこで、警察官は、違警罪即決例により、被疑者が一定の住居又は生業なくして諸方を徘徊したこと等を理由として拘留処分に付し、又は行政執行法により、泥酔者もしくは自殺を企つる者その他救護を要すと認むる者として検束し、しかも検束は翌日の日没後に至ることを得ないにもかかわらず、これをむしかえして、長期間にわたって身柄を拘束し、その期間を利用して被疑者を取り調べるということが行われた。
 そこで、この弊害をなくすために、現行憲法時代になってから、違警罪即決例、行政執行法を廃止した。
3 Wikipediaの「警察犯処罰令」(軽犯罪法(昭和23年5月1日法律第39号)に相当する法令です。)には以下の記載があります。
比較的軽微な警察犯について略式の処罰方法を定め、これを内務大臣の命令で規定することが許されたが、その結果、警察犯処罰令が制定された。その手続きは違警罪即決例によっている。
 警察犯処罰令上の警察犯は拘留または科料の罪であるから違警罪即決例が適用され、ふつうの刑事事件とはことなって、法律に定められた裁判官でない行政官である警察署長が、略式の手続きで即決できる。
ただし不服ならば正式裁判の申立をすることができる規定である。

第3 関連記事その他
1 検察庁HPの「検察官の種類と職務内容」には「副検事は,区検察庁に配置され,捜査・公判及び裁判の執行の指揮監督などの仕事を行っています。」と書いてあります。
2 首相官邸HPに「副検事の選考方法」及び「特任検事の選考方法」が載っています。
3 副検事になるための法律講座ブログには例えば,以下の記事があります。

(続きを読む...)副検事制度が創設された経緯

副検事の選考資料・受験資格・試験科目・選考結果(AIリライト)

目次

第1 令和2年度から令和7年度までの選考資料

1 副検事の選考受験案内

2 副検事の選考受験者名簿

3 第1次選考の結果通知

4 最終結果の通知

5 筆記試験による選考を経ない選考

第2 年度別の受験者数及び合格者数

1 令和2年度から令和7年度までの人数

2 人数を読む際の留意点

第3 受験資格と選考機関

1 検察庁法18条2項の任命資格

2 受験資格となる公務員

(続きを読む...)副検事の選考資料・受験資格・試験科目・選考結果(AIリライト)

法テラスの民事法律扶助業務運営細則の条文

◯法テラスの民事法律扶助の細則を定めた,民事法律扶助業務運営細則(平成30年4月1日細則第6号による改正後のもの)の条文は以下のとおりです。
第1章 総則
(目的)
第1条 この細則は、日本司法支援センター業務方法書(以下「業務方法書」という。)第101条の規定に基づき、民事法律扶助業務の運営に関する細則を定めることを目的とする。
 (支部における規定の適用)
第1条の2 支部の業務において、業務方法書及びこの細則の規定に「地方事務所長」とあるのは、次の各号に掲げる場合を除き、「支部長」と読み替えるものとする。
 (1) 業務方法書第7条第2項に基づき、地方事務所長が地方扶助審査委員の選任及び同委員長若しくは副委員長を指名する場合
 (2) 第3条第1項において、地方事務所長が、支部長が受任者等となる事件に対する決定及び決裁を行う場合
(弁護士・司法書士等との契約の締結に関する事項)
第2条 弁護士、弁護士法人、司法書士又は司法書士法人(以下「弁護士・司法書士等」という。)と民事法律扶助業務に係る事務の取扱いに関して、その取り扱う事件に対応して支給すべき報酬及び実費が定められる契約の締結に関する事項については、次の各号に掲げる場合を除き、申込みを受け付けた地方事務所の地方事務所長が申込みに対する諾否を決定する。
(1) 契約締結障害事由があること以外を理由として契約の申込みを拒絶する場合
(2) 前号に掲げる場合のほか、地方事務所長が理事長の判断を要すると認めた場合
2 前項各号に掲げる場合については、理事長が申込みに対する諾否を決定する。
(地方事務所長が受任者等となる事件に対する決定等)
第3条 地方事務所長が受任者等となる事件に対する決定及び決裁は地方事務所の副所長が行い、支部長が受任者等となる事件に対する決定及び決裁は地方事務所長が行うものとする。
2 地方事務所長又は副所長(以下「所長等」という。)は、代理援助又は書類作成援助(以下「代理援助等」という。)の申込者又は被援助者(以下「被援助者等」という。)が、所長等の現に受任又は受託(以下「受任等」という。)している事件(現に法律相談を受けている事件を含む。以下同じ。)の相手方であるときは、これを知りながら、当該代理援助等に関する決定及び決裁に関与してはならない。この場合において、当該代理援助等に関する決定及び決裁は、当該所長等以外の所長等が行うものとする。
(決定等に関与した事件に関する書面等へのアクセス禁止等) 
第4条 所長等は、次の各号に掲げる場合には、当該代理援助等に関する書面及び電磁的記録にアクセスしてはならない。
(1) 前条第2項に規定する場合
(2) 所長等が決定又は決裁に関与した代理援助等の被援助者等が、所長等の現に受任等をしている事件の相手方であることを所長等が知ったとき
2 前項各号に規定する場合において、当該所長等は、当該代理援助等に関して職務上知り得た情報を、自己が現に受任等をしている事件に利用してはならない。
(審査に関与した地方事務所法律扶助審査委員の選任禁止)
第5条 地方事務所長は、審査に関与した地方事務所法律扶助審査委員を、業務方法書第38条第1項に規定する受任者となるべき者又は業務方法書第39条第1項に規定する受託者となるべき者として選任してはならない。ただし、他に受任者又は受託者となるべき者を選任することが困難な場合は、この限りでない。

第2章 代理援助、書類作成援助及び法律相談援助の対象、方法並びに要件
(特定行政不服申立代理援助等の対象となる行政不服申立手続)
第6条 業務方法書第8条第1項第2号による特定行政不服申立代理援助又は同条第2項による書類作成援助の対象となる行政不服申立手続は、次に掲げるものをいう。
(1) 生活保護法第64条に基づく審査請求又は同法第66条第1項に基づく再審査請求
(2) 介護保険法第183条第1項に基づく審査請求
(3) 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律第97条第1項に基づく審査請求

(続きを読む...)法テラスの民事法律扶助業務運営細則の条文

ブッシュ対ゴア事件――2000年米国大統領選挙をめぐる連邦最高裁判決と,その後の法改正(AI作成)

第1 この記事が扱う対象

1 対象とする判決及び資料の範囲
2 判決の特定と本記事の表記

第2 フロリダ州における選挙争訟の経過

1 経過の一覧
2 投票日から機械による再集計まで
3 州最高裁の11月21日判決と連邦最高裁の差戻し
4 争訟手続と州最高裁の12月8日判決
5 2000年12月9日の執行停止

第3 連邦最高裁の法廷意見

1 平等保護違反とされた具体的な事実
2 「本件限りの判断」という限定の書き方
3 差戻しをせずに数え直しを終わらせた理由

第4 補足意見及び反対意見

1 レンキスト首席裁判官の補足意見
2 4人の裁判官の反対意見
3 「7人の裁判官」という記述の読み方

(続きを読む...)ブッシュ対ゴア事件――2000年米国大統領選挙をめぐる連邦最高裁判決と,その後の法改正(AI作成)

暗殺された米国の現職大統領4人――事件を裁いた手続と,事件が動かした法制度(AI作成)

目次

第1 4人の暗殺と,米国政府の公的資料が示す全体像第2 エイブラハム・リンカーン(1865年)1 事件2 共同謀議であったこと3 共犯者は軍事委員会で裁かれた4 Ex parte Milligan——軍事委員会による民間人の裁判の限界5 その後の展開——Quirin(1942年)とHamdan(2006年)第3 ジェームズ・A・ガーフィールド(1881年)1 事件と,感染をもたらした医療2 合衆国対ギトー事件——精神障害の抗弁3 ペンドルトン公務員制度改革法第4 ウィリアム・マッキンリー(1901年)1 事件——警護されていた中での銃撃2 チョルゴッシュの裁判——精神障害を主張しなかった弁護3 シークレットサービスによる大統領警護の始まり第5 ジョン・F・ケネディ(1963年)1 事件2 大統領の殺害を処罰する連邦法が存在しなかったこと3 ウォーレン委員会の勧告と,18 U.S.C. §1751の新設4 JFK暗殺記録収集法と,2026年までの公開5 ウォーレン委員会と下院暗殺特別委員会の結論の相違第6 大統領警護の法的枠組みの展開第7 日本との比較第8 出典第1 4人の暗殺と,米国政府の公的資料が示す全体像

米国では,現職大統領として暗殺された人物は,エイブラハム・リンカーン,ジェームズ・A・ガーフィールド,ウィリアム・マッキンリー及びジョン・F・ケネディの4人である。

本記事は,この4件について,米国政府の公的資料に基づいて事実関係を整理した上で,各事件がどのような裁判手続で処理され,どのような法制度を生んだのかを扱う。

4件はいずれも,事件そのものよりも,その後にできた法律の方が長く残っている。

すなわち,リンカーン事件は軍事委員会による民間人の裁判という論点を残し,ガーフィールド事件は公務員制度改革法を生み,マッキンリー事件はシークレットサービスによる大統領警護を始めさせ,ケネディ事件は「大統領の殺害を処罰する連邦法」そのものを作らせた。

日本の首相・元首相7人については,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人で扱っている。

また,2024年に起きた大統領候補に対する2件の襲撃事件と,これを調査した下院タスクフォースの報告書については,姉妹記事2024年の米国大統領候補襲撃事件2件で扱っている。

ウォーレン委員会報告書付録7「大統領警護の小史」は,米国大統領に対する襲撃を次のとおり列挙している。

対象者襲撃日結果アンドリュー・ジャクソン大統領1835年1月30日未遂エイブラハム・リンカーン大統領1865年4月14日1865年4月15日死亡ジェームズ・A・ガーフィールド大統領1881年7月2日1881年9月19日死亡ウィリアム・マッキンリー大統領1901年9月6日1901年9月14日死亡セオドア・ルーズベルト元大統領1912年10月14日負傷したが回復フランクリン・D・ルーズベルト大統領選出者1933年2月15日未遂ハリー・S・トルーマン大統領1950年11月1日未遂ジョン・F・ケネディ大統領1963年11月22日同日死亡

同付録は,この数字を「米国大統領の5人に1人が襲撃の対象となり,9人に1人が殺害された」と要約している。

そして同付録は,「大統領の組織的かつ継続的な警護が始まったのは,マッキンリーが撃たれた後になってからである。マッキンリー以前の警護は断続的で発作的なものであった」と述べ,「高度の危険が継続していたにもかかわらず必要な措置をとることに奇妙なほど消極的であった」と評価している。

つまり米国の大統領警護は,3人の大統領が殺害されて初めて制度化された。

第2 エイブラハム・リンカーン(1865年)1 事件

リンカーン大統領は,1865年4月14日午後10時13分頃,ワシントンのフォード劇場で観劇中に,俳優ジョン・ウィルクス・ブースに頭部を撃たれ,意識を回復しないまま翌15日午前7時22分に死亡した。

事件時刻と死亡時刻は,米国国立公園局のリンカーン年表で確認できる。

同年表によれば,ブースは同月26日にバージニア州のたばこ乾燥小屋で射殺されている。

創傷の医学的評価としては,2025年12月にNeurosurgical Review誌に掲載された神経外科的再検討が,銃弾が左後頭部から侵入して左大脳半球を進み左線条体付近にとどまったとする剖検所見を支持した上で,低速度の穿通性脳損傷として救命不能なものであったと評価している。

2 共同謀議であったこと

リンカーン事件は,単独犯による襲撃ではない。

米国国立公文書記録管理局が公開する下院暗殺特別委員会報告書によれば,リンカーン暗殺への関与を疑われた者を裁くために設置された軍事委員会は,この殺害が,リンカーン,アンドリュー・ジョンソン副大統領及びウィリアム・H・スワード国務長官を殺害する共同謀議の一部であったと認定した。

同報告書によれば,ジョージ・A・アッツェロットは怖じ気づいてジョンソンを襲わなかったが,スワードは元南軍兵士ルイス・ペインにより重傷を負わされた。

スワードの受傷内容については,2025年3月のAnnals of Surgery Open誌に医学的分析が掲載されている。

この事件は,米国の4件の中で,襲撃の対象が大統領1人にとどまらなかった唯一の事件である。

3 共犯者は軍事委員会で裁かれた

米国国立公園局(フォード劇場国立史跡)の解説によれば,捜査当局は10人を関与者と判断したが,ブース本人は射殺され,ジョン・サラットは国外へ逃亡した。

残る8人が共同謀議で訴追され,軍事法廷(military tribunal)で裁かれた。

審理は7週間続き,366人の証人が証言した。

結果は,4人が絞首刑,4人が拘禁刑(マッド,アーノルド及びオローリンが終身重労働,スパングラーが6年の重労働)であった。

ここで注意を要するのは,被告人がいずれも軍人ではなく民間人であったにもかかわらず,通常の刑事裁判所ではなく軍事委員会が裁いた点である。

4 Ex parte Milligan——軍事委員会による民間人の裁判の限界

この軍事委員会という手続の適法性について,連邦最高裁判所は,事件の翌々年に,一般論として厳しい限界を画した。

Ex parte Milligan, 71 U.S.(4 Wall.)2 の判決である。

合衆国判例集(米国議会図書館が公開する原本)によれば,法廷意見を述べたのはデイヴィス判事である。

同原本によれば,ミリガンは,合衆国市民であって20年間インディアナ州に居住し,合衆国の陸軍にも海軍にも服務したことがなかったところ,1864年10月5日にインディアナ軍管区司令官の命令により逮捕され,同月21日にインディアナポリスで召集された軍事委員会にかけられて有罪とされた者である。

釈放に係る裁判自体は前の開廷期に行われており,各意見は1866年12月の開廷期の冒頭に言い渡された。

もっとも,裁判所の意見は一つではない。

チェイス長官が,ウェイン,スウェイン及びミラーの各判事とともに,別の意見を述べている。

同意見は,「当法廷の4名は,本件についてこれまでにされた命令については同輩と意見を同じくするが,たった今読み上げられた意見のいくつかの重要な点については同意することができないため,本件全体についての自らの見解を別に述べることを義務と考える」と述べている。

すなわち,ミリガンを釈放するという結論自体は全員が一致したが,議会が軍事委員会を授権し得るかという点については5対4で見解が分かれた。

法廷意見は,次のように判示している。

「戒厳統治(martial rule)は,裁判所が開かれ,その管轄権を適正かつ妨げられることなく行使している場所においては,決して存在し得ない。それはまた,現に戦争が行われている地域に限られる。」

同判決は,その前段で,外国の侵略又は内乱によって裁判所が現実に閉鎖され,法に従って刑事司法を運営することが不可能となった場合には,現に戦争が行われている戦域において,覆された文民の権威に代わるものを供給する必要があると述べ,「必要が規則を作るのと同様に,必要が規則の存続期間を限界づける。裁判所が回復された後もこの統治が継続されるならば,それは重大な権限の簒奪である」としている。

すなわち,通常の裁判所が機能している場所で民間人を軍事委員会にかけることは許されない,という原則である。

この原則を前提とすれば,1865年にワシントンで行われた共犯者8人の軍事委員会による裁判の適法性には,重い疑問が残ることになる。

現に,その後の手続は対照的な結果になった。

前記の下院暗殺特別委員会報告書によれば,国外へ逃亡していたジョン・サラットは,カナダを経てイタリアへ渡り,偽名で教皇のズアーブ兵に加わっていたが,1866年11月に捕らえられて米国へ送還され,暗殺への関与を問われて裁判を受けた。

そして,その裁判は陪審の評決不能(hung jury)で終わり,サラットは釈放された。

軍事委員会で裁かれた8人のうち4人が絞首刑となったのに対し,通常の裁判所で陪審の審理を受けた1人は釈放された。

手続の選択が結論を左右し得ることを,これほど端的に示す例は多くない。

5 その後の展開——Quirin(1942年)とHamdan(2006年)

Milliganが画した「裁判所が開かれている場所で民間人を軍事委員会にかけることはできない」という原則は,その後の戦争によって試された。

まず,Ex parte Quirin, 317 U.S. 1(1942年)である。

合衆国判例集の原本によれば,同事件は,戦時中に敵国の領域から密かに国内へ入り,入国に際して軍服を脱ぎ捨てて敵対行為に及ぼうとした者を,軍事委員会が裁き得るかが問われた事案である。

連邦最高裁判所は,これを肯定した。

判決要旨は,「訴因は,大統領が軍事委員会による裁判を命ずる権限を有する戦争法違反の罪を十分に記載している。被告人らが入国し,逮捕され,裁判のために拘束された地域の裁判所が,逮捕以来平常どおり開かれ機能していたにもかかわらず,そうである。Ex parte Milligan, 4 Wall. 2 は区別される」と述べている。

区別の理由は,ミリガンの事実関係にある。

同判決は,ミリガンについて,「20年間インディアナ州に居住した市民であり,反乱状態にあったいずれの州の住民でもなく,敵性交戦者ではなかった」と述べ,戦争法がミリガンに適用されないとしたMilliganの判示は,同事件の事実に特に関係するものであると解した。

そして,「戦争法上,適法な交戦者は捕虜として捕獲され抑留される対象となるが,違法な交戦者は,これに加えて,その交戦を違法ならしめる行為について軍事法廷による裁判と処罰の対象となる」と判示している。

すなわちQuirinは,Milliganを覆したのではなく,「民間人か,敵性交戦者か」という区別によってその射程を限定した。

次に,Hamdan v. Rumsfeld, 548 U.S. 557(2006年)である。

同判決は,2001年9月11日の同時多発テロを受けて設置された軍事委員会が,収容された者を裁き得るかを扱った。

合衆国判例集の原本によれば,法廷意見は,「半世紀余り前に我々が認めたとおり,軍事委員会による裁判は,我々の憲法構造における権力の均衡について重要な問題を提起する非常措置である」として,Ex parte Quirinを引用した上で,上告を受理したと述べている。

そして結論として,「ハムダンを裁くために召集された軍事委員会は,その構成及び手続が統一軍事裁判法典(UCMJ)とジュネーブ諸条約の双方に違反するため,手続を進める権限を有しない」と判示した。

Milliganが「どこで裁くのか(裁判所が開かれている場所か)」を問い,Quirinが「誰を裁くのか(民間人か敵性交戦者か)」を問うたのに対し,Hamdanは「どのような手続で裁くのか」を問うたことになる。

リンカーン暗殺の共犯者を裁いた1865年の軍事委員会は,被告人がいずれも民間人であり,かつ首都の裁判所は開かれていた。

Milliganの基準によっても,Quirinが示した「民間人か敵性交戦者か」という区別によっても,同委員会が管轄を有したことの説明は容易ではない。

第3 ジェームズ・A・ガーフィールド(1881年)1 事件と,感染をもたらした医療

ガーフィールド大統領は,1881年7月2日,ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック鉄道駅で,チャールズ・ギトーに背後から2発撃たれた。

米国国立公園局の解説によれば,1発目は腕をかすめただけであったが,2発目は背部にとどまり,ガーフィールドは80日間生存した後,同年9月19日に死亡した。

同解説は,当時の医師らがリスターの消毒法や細菌論を学んでおらず,又はこれを意図的に無視して,汚れた指と器具で創部を繰り返し探ったことにより体内に感染をもたらしたと明記している。

4件のうち,医療のあり方そのものが死亡結果に関与したと公的資料が明言しているのは,この事件だけである。

2 合衆国対ギトー事件——精神障害の抗弁

ギトーは,ガーフィールドの死後まもなく大統領殺害で正式に起訴された。

事件名は「合衆国対チャールズ・ギトー」である。

ウォーレン委員会報告書付録7によれば,ギトーは当時38歳で,自称「弁護士,神学者,かつ政治家」であり,1880年の選挙でガーフィールド当選のために尽力したという思い込みから,ヨーロッパの領事への任命を受ける資格があると信じていた。

同付録は,ギトーが法廷で「神(the Deity)が大統領を除くよう命じた」と証言したこと,襲撃が銃撃後の逃走を考えられない状況で行われたこと,家族に遺伝的な精神の問題が存在したことを記している。

米国国立公園局によるギトー裁判の解説によれば,最終弁論は1882年1月12日に始まった。

弁護人は数か月にわたり精神障害の抗弁を主張したが,功を奏さなかった。

この裁判は,医学専門家の証言が正面から衝突した点で注目される。

弁護側の医学専門家は,人は妄想又は幻覚を伴わなくとも精神異常であり得ると証言した。

これに対し検察側の医学専門家は,「遺伝性精神異常」などという疾患は科学上存在しないと反論した。

そして検察側の主張を支えたのは,ギトーに大統領を撃つ意図があったことが明白であるという事実であった。

ギトー自身,自分が何をしたかを分かっていたと法廷で繰り返し述べている。

陪審の評議を経て,ギトーは有罪とされた。

その後数か月にわたり上訴が行われたが,ギトーは1882年6月30日に絞首刑に処された。

これは,ガーフィールドが撃たれた1881年7月2日の1周忌の2日前であった。

なお,同局によるギトーの処刑の解説は,ギトーが精神的に不安定であり,「今日であれば精神障害を理由に無罪とされ,死刑ではなく精神科治療を命じられたかもしれない」と述べている。

米国政府機関自身が,当時の判断が現在の基準では異なり得たことを認めている点は,注目に値する。

3 ペンドルトン公務員制度改革法

ガーフィールド事件が生んだ法律は,警護に関するものではなく,公務員の任用に関するものであった。

米国国立公文書記録管理局の解説によれば,「合衆国の公務を規律し改善するための法律」(ペンドルトン法)は1883年1月16日に承認された。

同解説は,「不満を抱いた求職者によるジェームズ・A・ガーフィールド大統領の暗殺を受けて,議会は1883年1月にペンドルトン法を可決した」と,事件と立法の因果関係を明示している。

同法は,連邦政府の職を能力本位(メリット)で与えること,公務員を競争試験によって選抜すること,同法の適用を受ける職員を政治的理由で解雇し又は降格することを違法とすること,職員に政治的役務又は献金を求めることを禁止することを定め,これを執行する人事委員会(Civil Service Commission)を設置した。

署名したのは,ガーフィールドの死により昇任し,事件後に熱心な改革論者となったチェスター・A・アーサー大統領である。

それまでの米国は,勝者が政府の職を支持者に配分する猟官制(spoils system)の下にあった。

ガーフィールドを撃った動機がまさにその猟官の挫折であったことから,事件は制度そのものへの批判に転化した。

第4 ウィリアム・マッキンリー(1901年)1 事件——警護されていた中での銃撃

マッキンリー大統領は,1901年9月6日,ニューヨーク州バファローで開催されていたパンアメリカン博覧会において,アナーキストのレオン・チョルゴッシュに撃たれ,8日後の同月14日に死亡した。

事件日,実行者,場所及び死亡日は,米国国立公園局のマッキンリー記念碑の解説で確認できる。

ウォーレン委員会報告書付録7は,リンカーン及びガーフィールドと異なり,マッキンリーは撃たれたとき警護されていたと明記している。

同付録によれば,大統領は音楽堂で公衆との短い接見を行っており,人々は警察官と兵士の二列の間を通って大統領と握手していた。

大統領の至近には,バファロー市警の刑事4人,兵士4人及びシークレットサービス職員3人がおり,うち2人は大統領から約3フィート(約90センチメートル)の位置で大統領と向き合っていた。

もっとも,そのうちの1人は後に,そうした場面では大統領の側方に立つのが通常の習慣であったが,このときは大統領秘書と博覧会会長が大統領の両側に立てるよう求められたため,その位置を離れていたと述べている。

チョルゴッシュは,ハンカチの下に拳銃を隠して列に加わり,大統領の正面に立ったときにハンカチ越しに2発撃った。

警護の人数が問題だったのではなく,配置の運用が問題であったことを示す記述であり,これは現代の警護の検証にも通じる論点である。

2 チョルゴッシュの裁判——精神障害を主張しなかった弁護

ウォーレン委員会報告書付録7によれば,チョルゴッシュは米国生まれの28歳の工場労働者兼農場労働者で,自称アナーキストであった。

もっとも,米国の組織的なアナーキストは彼を受け入れておらず,秘密結社にも加入を認めていなかった。

共謀者は誰も発見されず,彼が誰かに打ち明けた形跡もない。

直ちに捕らえられたチョルゴッシュは,「迅速に裁判にかけられ,有罪とされ,死刑を宣告された」。

ここで法律家として見逃せないのは,同付録の次の記述である。

「当時の一部の人々にはチョルゴッシュが訴訟能力を欠くように見えたにもかかわらず,弁護人は精神障害を主張する努力を全くしなかった。」

そしてチョルゴッシュは,「大統領の死亡から45日後に処刑された」。

ガーフィールド事件のギトーが,最終弁論だけで年をまたぎ,有罪判決後も数か月の上訴を経て,襲撃から約1年後に処刑されたのと比べると,手続の速度は際立って対照的である。

さらに同付録は,処刑の約1年後に2人の著名な精神科医が冷静な調査を行い,チョルゴッシュが以前から妄想に苦しんでいたと認定したことを記している。

その妄想とは,自分がアナーキストであるというものと,大統領を暗殺することが自分の義務であるというものであった。

すなわち,精神障害の抗弁が主張されないまま迅速に死刑が執行され,執行後の鑑定で妄想が認定されたという経過である。

抗弁を尽くして敗れたギトーと,抗弁が主張すらされなかったチョルゴッシュという2つの事例は,同じ大統領暗殺という重大事件でありながら,弁護のあり方によって手続の内容がこれほど変わり得ることを示している。

3 シークレットサービスによる大統領警護の始まり

米国シークレットサービスの公式説明は,「我々の警護任務は,マッキンリー大統領の暗殺後である1901年にさかのぼる。この悲劇の後,シークレットサービスは合衆国大統領を警護する権限を与えられた。1906年,議会は大統領警護のための法律と予算を可決した」と述べている。

ただし,ウォーレン委員会報告書付録7は,これがすぐに立法化されたわけではないことを明らかにしている。

同付録によれば,マッキンリー暗殺後の最初の議会は,大統領に対する攻撃に関する立法にそれまでのどの議会よりも注意を払ったが,大統領の警護のための措置は何も可決しなかった。

それにもかかわらず,1902年,当時唯一の本格的な連邦捜査機関であったシークレットサービスが,大統領の安全に対するフルタイムの責任を引き受けた。

当初のホワイトハウス常駐要員はわずか2人であった。

すなわち,1902年から1906年までの4年間,大統領の警護は,予算の裏付けも議会の授権もないまま行われていたことになる。

第5 ジョン・F・ケネディ(1963年)1 事件

ケネディ大統領は,1963年11月22日,テキサス州ダラスで車列走行中に銃撃され,同日死亡した。

米国国立公文書記録管理局が公開するウォーレン委員会報告書第2章は,銃撃,病院への搬送及び死亡宣告までの経過を記載している。

2 大統領の殺害を処罰する連邦法が存在しなかったこと

この事件の法的な最大の特徴は,捜査でも裁判でもなく,そもそも連邦の刑事管轄が存在しなかったことにある。

ウォーレン委員会報告書第8章は,冒頭で次のように述べている。

「ケネディ大統領の暗殺について,連邦の刑事管轄は存在しなかった。」

同章によれば,暗殺が共同謀議の結果であると信じるに足る理由があれば連邦の管轄を主張し得た。連邦公務員をその職務の執行に関連して傷害する共謀は,古くから連邦犯罪とされていたからである。

「しかし,大統領の殺害は連邦法の対象とされたことが一度もなく,そのため,殺害が単独の者の行為であることが合理的に明らかとなった時点で,テキサス州が排他的な管轄権を有することとなった。」

同章は,これを「変則的(anomalous)」と評価している。

すなわち,大統領に危害を加えると脅すことは連邦犯罪であり,政府の役員を暗殺することによる政府転覆の唱道も連邦犯罪であり,連邦裁判官,連邦検事,連邦保安官その他の特定された連邦法執行官の殺害も連邦犯罪であるのに,大統領への攻撃だけが犯罪とされていなかった。

同章はさらに,シークレットサービスに大統領を警護する権限を明示的に与えながら,大統領に危害を加えた者を逮捕する権限を与えていない規定の存在も,同様に変則的であると指摘している。

3 ウォーレン委員会の勧告と,18 U.S.C. §1751の新設

同章は,暗殺を連邦犯罪とする試みが過去にもあったことを記録している。

特にマッキンリー大統領の暗殺後と,フランクリン・D・ルーズベルト大統領選出者の生命に対する襲撃の後である。

そして,1902年には両院で法案が可決されたが,上院が両院協議会報告を受け入れなかったため成立しなかった。

マッキンリー暗殺の翌年に一度は両院を通りながら,最後の一歩で流れたことになる。

ケネディ暗殺の直後にも複数の法案が提出された。

これを受けてウォーレン委員会は,大統領,副大統領又は大統領職の継承順位が次の者,大統領選出者及び副大統領選出者に対する殺人,故殺,殺人の未遂又は共謀,誘拐及び暴行を処罰する立法を議会に勧告した。

同章は,その際,行為が被害者の職務の執行中に行われたかどうか,又は職務の執行を理由とするものであるかどうかを問わないものとすべきであるとしている。

理由として同章は,「暗殺が行われたときの被害者の活動や暗殺の動機は,その行為から生じる合衆国に対する侵害とは何の関係もない」と述べている。

この勧告は立法として実現した。

合衆国法典第18編第1751条は,1965年8月28日の連邦法(Pub. L. 89-141, 79 Stat. 580)によって新設されたものである。

同条の主な内容は,次のとおりである。

条項内容(a)大統領,大統領選出者,副大統領(副大統領が存在しないときは継承順位が次の者),副大統領選出者及び大統領代行者並びに大統領府・副大統領府の特定の職員を殺害した者を処罰する(b)(c)(d)誘拐,殺害又は誘拐の未遂,及び共謀を処罰する(h)連邦の捜査又は訴追の管轄が主張された場合には,連邦の措置が終了するまで,州又は地方の管轄権の行使が停止する(i)本条違反は連邦捜査局が捜査する(j)被害者が本条により保護される公職者であることを被告人が知っていたことを,政府は立証する必要がない(k)本条が禁止する行為には域外管轄が及ぶ

(h)は,ケネディ事件で生じた州と連邦の管轄の空白を裏返しにした規定であり,(j)は,ウォーレン委員会が「職務の執行中かどうかを問わない」としたことに対応する規定である。

4 JFK暗殺記録収集法と,2026年までの公開

ケネディ事件は,記録の公開についても独自の法律を生んだ。

1992年10月26日の連邦法(Pub. L. 102-526, 106 Stat. 3443)である。

官報(Statutes at Large)によれば,同法の題名は「1992年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法」であり,合衆国法典第44編第2107条の注記に収められている。

同法第2条の立法事実は,次の点を挙げている。

第1に,暗殺に関するすべての政府記録は,歴史的及び統治上の目的のために保存されるべきであること。

第2に,すべての記録は即時公開の推定を伴うべきであり,最終的にはすべて公開されるべきであること。

第3に,執行可能で独立した,説明責任のある公開手続を作るために立法が必要であること。

第4に,立法がなければ,暗殺に関連する議会の記録は少なくとも2029年まで公開の対象とならないこと。

第5に,情報自由法の運用では不十分であること。

公開の期限については,同法第5条(g)(2)(D)が,「各暗殺記録は,本法の制定日から25年後の日までに,完全な形で公開され,コレクションにおいて利用可能とされなければならない」と定めている。

制定日が1992年10月26日であるから,期限は2017年10月26日である。

ただし同項は,大統領が,(i)継続的な公開延期が軍事防衛,情報活動,法執行又は外交の遂行に対する特定可能な害によって必要とされること,及び(ii)その特定可能な害が公開の公益を上回るほど重大であることを証明した場合には,例外を認めている。

この例外条項が繰り返し用いられたため,公開作業は期限後も続いた。

米国国立公文書記録管理局の2025年以降の公開ページによれば,従前機密指定により非公開であった記録が2025年3月18日に公開され,2026年1月30日にも1万1022頁,140個のPDFが追加公開された。

事件から60年以上を経てなお記録の公開が続いているのは,公開の期限を法律で切りつつ,大統領の証明による例外を残した立法の構造そのものに由来する。

5 ウォーレン委員会と下院暗殺特別委員会の結論の相違

ケネディ事件については,公的な調査機関の結論自体が一致していない点に注意を要する。

ウォーレン委員会報告書はオズワルドが発砲したと結論付けているが,その後,下院暗殺特別委員会が改めて調査を行った。

米国国立公文書記録管理局が公開する同委員会の認定の要旨は,次のとおり述べている。

まず,「リー・ハーヴェイ・オズワルドはケネディ大統領に向けて3発を発射した。2発目と3発目が大統領に命中した。3発目が大統領を殺害した」として,オズワルドの発砲自体はウォーレン委員会と同じく認定している。

その上で同委員会は,「科学的な音響証拠は,2人の銃撃者がケネディ大統領に向けて発砲した高い蓋然性を証明する」とし,結論として「委員会は,入手し得た証拠に基づき,ケネディ大統領はおそらく共同謀議の結果として暗殺されたと考える」と述べた。

もっとも同委員会は,「もう1人の銃撃者又は共同謀議の範囲を特定することはできない」としており,共謀者を具体的に認定したわけではない。

また同委員会は,ソビエト政府及びキューバ政府が関与していなかったと考えること,反カストロのキューバ人グループも団体としては関与していなかったと考えることを,あわせて認定している。

したがって,米国の4件のうち,公的な調査によって共同謀議の存在が認定されているのはリンカーン事件とケネディ事件であり,ガーフィールド事件とマッキンリー事件は,いずれも共謀者が発見されていない。

ただし,リンカーン事件が軍事委員会という裁判手続の中で共同謀議を認定したものであるのに対し,ケネディ事件は裁判を経ておらず,議会の調査委員会が蓋然性の判断を示したにとどまる点で,認定の重みは同じではない。

第6 大統領警護の法的枠組みの展開

米国シークレットサービスの公式年表及びウォーレン委員会報告書付録7によれば,大統領警護の法的根拠は,次のように段階的に整備された。

年内容1894年クリーブランド大統領に対する非公式・非常勤の警護を開始1901年マッキンリー大統領暗殺の結果,議会がシークレットサービスによる大統領警護を要請1902年大統領の安全に対する常勤の責任を引き受ける(ホワイトハウス常駐は2人)1906年1907年度の雑費歳出法により,大統領警護のための予算が措置される1908年大統領選出者の警護を開始1913年大統領の恒久的警護と,大統領選出者の警護に法律上の授権が与えられる1917年大統領を郵便その他の方法で脅迫することを犯罪とする法律(脅迫罪)を制定。大統領の近親者の警護も授権1951年7月16日,恒久的な授権法が成立(それまでは毎年の歳出法で更新が必要であった)1962年副大統領,副大統領選出者等を対象に追加(Public Law 87-829)1965年大統領の暗殺未遂を連邦犯罪とする立法(Public Law 89-141)/元大統領とその妻を終身警護(Public Law 89-186)1968年ロバート・F・ケネディ上院議員(大統領候補)の暗殺の結果,主要な大統領・副大統領候補者の警護を授権1971年訪米する外国の元首・政府の長等の警護を授権2013年2012年元大統領警護法により,1997年以降に在職した元大統領の警護を10年に制限していた従前法を覆し,終身警護に戻す

現在の到達点は,合衆国法典第18編第3056条(a)である。

同項は,シークレットサービスの警護対象を法律で列挙しており,現職の大統領・副大統領及びその当選者(同項(1)),その近親者(同項(2)),元大統領及びその配偶者について終身(配偶者は再婚により終了。同項(3)),元大統領の16歳未満の子(同項(4)),訪米する外国の元首・政府の長(同項(5)),主要な大統領・副大統領候補者及び本選挙前120日以内のその配偶者(同項(7))などが含まれる。

同項(2)から(8)までの警護は辞退することができるが,(1),すなわち現職の大統領等の警護については,辞退の定めが置かれていない。

なお,ウォーレン委員会報告書付録7は,セオドア・ルーズベルトが1906年にロッジ上院議員に宛てた書簡で,シークレットサービスの職員を「非常に小さいが,非常に必要な,肉中の棘」と評し,リンカーンの言葉として「大統領にとっては檻の中で暮らす方が安全だろうが,それでは仕事の邪魔になる」を引いていることを記録している。

警護と公務の両立という問題が,制度の出発点から意識されていたことがうかがえる。

第7 日本との比較

日本の首相・元首相7人の事件と対比すると,制度の設計が対照的である点が2つある。

第1に,日本には,政治的な目的による要人の殺害を通常の殺人罪と区別して特別に処罰する規定がない。

戦後の各事件も,殺人罪,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反,爆発物取締罰則違反,公職選挙法違反(選挙の自由妨害)といった一般の刑罰法規の組合せで処理されている。

1961年に「政治テロ行為処罰法案」が国会に提出されたが成立せず,e-Gov法令検索でも「政治テロ」「テロ行為処罰」の語を含む法令は確認できない。

米国が1965年に18 U.S.C. §1751を新設したのとは,異なる道を歩んだことになる。

第2に,警護対象者の決め方が異なる。

米国は,前記のとおり18 U.S.C. §3056(a)で対象者を法律に列挙し,元大統領を終身,主要な候補者を選挙期間中の対象としている。

これに対し日本の警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)第2条第1号は,警護対象者を「内閣総理大臣,国賓その他その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める者」と規定しており,首相経験者や選挙の候補者が当然には対象とならず,長官の指定によって対象となる。

もっとも,襲撃から時間を置いて死亡した事例が両国にあるという点は共通している。

米国のガーフィールド(80日)とマッキンリー(8日)は,日本の濱口雄幸(狙撃から約9か月後に死亡)と同じ類型に属する。

日本側の詳細は,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人に譲る。

第8 出典

① 米国国立公文書記録管理局・ウォーレン委員会報告書付録7「大統領警護の小史」

② 米国国立公文書記録管理局・ウォーレン委員会報告書第2章及び第8章

③ 米国国立公文書記録管理局・下院暗殺特別委員会報告書(認定及び認定の要旨)

④ 米国国立公文書記録管理局・JFK暗殺記録の2025年以降の公開

⑤ 米国国立公文書記録管理局・ペンドルトン法(1883年)に関する解説

⑥ 米国国立公園局・リンカーン年表

⑦ 米国国立公園局(フォード劇場国立史跡)・リンカーン暗殺の共謀者に関する解説

⑧ 米国国立公園局・ガーフィールド暗殺に関する解説,ギトー裁判に関する解説及びギトーの処刑に関する解説

⑨ 米国国立公園局・マッキンリー記念碑の解説

⑩ 米国シークレットサービス・公式沿革年表及び警護任務の説明

⑪ 合衆国判例集 Ex parte Milligan, 71 U.S.(4 Wall.)2,Ex parte Quirin, 317 U.S. 1(1942年)及び Hamdan v. Rumsfeld, 548 U.S. 557(2006年)(いずれも米国議会図書館が公開する原本)

⑫ 合衆国法典第18編第1751条及び第3056条

⑬ 1992年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法(Pub. L. 102-526, 106 Stat. 3443)

⑭ Neurosurgical Review誌(2025年12月)掲載のリンカーンの頭部創傷に関する神経外科的再検討

⑮ Annals of Surgery Open誌(2025年3月)掲載のスワード国務長官の頭頸部創傷に関する分析

法務総合研究所の組織,業務,沿革及び公開資料(AIリライト)

目次

第1 法務総合研究所の概要

1 法務省における位置付け

2 七部と五つの部門

3 全国七支所

第2 各部の業務

1 総務企画部

2 研究部

3 研修第一部,研修第二部及び研修第三部

(1) 研修第一部

(2) 研修第二部

(3) 研修第三部

4 国際連合研修協力部

(続きを読む...)法務総合研究所の組織,業務,沿革及び公開資料(AIリライト)

法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)

目次
1 法務・検察幹部名簿
2 決裁者が法務大臣となる検察官人事
3 テキスト形式の法務・検察幹部名簿
4 検事の処遇や人事は裁判所と似ていること
5 赤レンガ派と現場派の区別は存在しないという説明
6 検察の活動を監視する仕組みに関する内閣答弁書
7 捜査関係事項照会に関する世界2019年6月号等の記載
8 検事正経験者の弁護活動に関する懲戒処分の実例
9 現職の大阪地検検事正による準強制性交等罪
10 関連記事その他

1 法務・検察幹部名簿
(1) 法務省が作成した,法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)を以下のとおり掲載しています。
・ 令和 5年1月10日現在
→ この名簿が最後になりました。
・ 令和 4年4月11日現在
・ 令和 3年4月 9日現在
・ 令和 2年7月17日現在
・ 令和 2年1月 9日現在
・ 平成31年4月17日現在
・ 平成30年4月11日現在
・ 平成29年4月17日現在
・ 平成28年4月11日現在
・ 平成27年4月15日現在
・ 平成26年4月11日現在
・ 平成25年4月10日現在
・ 平成24年4月10日現在
(2) 検察官の修習期は不開示情報のために黒塗りとなっています(平成28年度(行情)答申第365号)から,「法務省作成の検事期別名簿」を参照してください。

(続きを読む...)法務・検察幹部名簿(平成24年4月以降)

法務省幹部一覧(令和8年1月16日現在)(Markdown形式)(AI作成)

◯本ブログ記事は,人工知能の学習データとするためにAIを使ってMarkdown形式で作成したものである点で間違いを含む可能性がありますから,正確な氏名等はリンク先の名簿で確認してください。

* 「法務省が政官要覧社に提供した,幹部公務員の名簿」も参照してください。
法務省幹部一覧(令和8年1月16日現在)

役職
氏名
ふりがな
経歴等

大臣
平口 洋
ひらぐち ひろし
-

副大臣
三谷 英弘
みたに ひでひろ
-

大臣政務官
福山 守
ふくやま まもる

(続きを読む...)法務省幹部一覧(令和8年1月16日現在)(Markdown形式)(AI作成)

南スーダンPKO日報問題の特別防衛監察結果報告書 ― 経緯,懲戒処分5名,「第7 改善策」全文と原典リンク(AI作成)

南スーダン国際平和協力業務(PKO)に派遣された自衛隊部隊が作成した日報について,防衛省が「文書不存在」として不開示決定を出した後に日報の存在が判明した,いわゆる「PKO日報問題」に関する記事です。防衛監察本部が公表した特別防衛監察の結果報告書に基づき,平成28年(2016年)7月から平成29年(2017年)7月までの経緯,懲戒処分を受けた5名,報告書「第7 改善策」の全文,及びその後に講じられた措置(日報の10年保存など)を,原典へのリンク付きで整理します。制度・報道の評価ではなく,公表された報告書等で確認できる事実を対象とします(記事更新時点:2026年7月18日)。

目次

第1 PKO日報問題と特別防衛監察の概要

1 何が問題とされたか
2 特別防衛監察と結果報告書

第2 不開示決定に至る経緯と日報の「発見」

1 別件開示請求での日報の除外(平成28年7月〜9月)
2 本件開示請求と不開示決定(平成28年10月〜12月)
3 日報の存在の判明と公表(平成28年12月〜平成29年2月)
4 報道を受けた特別防衛監察の実施(平成29年3月〜7月)

第3 懲戒処分を受けた5名
第4 結果報告書が示した「第7 改善策」

1 適正な情報公開業務の実施
2 適正な文書管理等の実施
3 日報の保存期間等のあり方の検討及び措置

第5 改善策を受けて講じられた措置

1 日報の保存期間の見直し(10年保存・国立公文書館移管)

(続きを読む...)南スーダンPKO日報問題の特別防衛監察結果報告書 ― 経緯,懲戒処分5名,「第7 改善策」全文と原典リンク(AI作成)

法務省の,訴訟事件の取材対応

1   平成24年4月当時の,法務省大臣官房訟務企画課訟務広報係の「訴訟事件の取材対応」を掲載しています。
 
2   法務省の場合,訴訟事件の取材対応窓口は訟務広報官及び訟務広報係です。
   また,取材責任者は,本省の場合は所管課長・管理官であり,法務局の場合は訟務部長であり,地方法務局の場合は総括上席訟務官です。
 
3 法務省の場合,面談又は電話による取材に対し,想定問答の範囲内で答えることになっています。
   また,①事件についての所見,②和解について,③判決の見通し及び④判決についてのコメントに関する質問は答えてはいけないことになっています。

4 法曹記者 クラブ名簿(平成31年2月18日現在)を掲載しています。

5 裁判所の広報については,「最高裁判所の広報ハンドブック」を参照して下さい。

法務省の進路説明会

目次
1 総論
2 過去の開催日程
3 平成27年度進路説明会に関する文書
4 平成27年度進路説明会の実施内容
5 関連記事その他

1   総論
・ 検察庁HPの検事採用情報サイトの「説明会・イベント情報」に説明会情報が載っています。

2 過去の開催日程
◯令和6年度
・ Microsoft Teamsによるオンライン開催は12月13日(金)午後2時から午後4時まで
◯令和5年度
・ Microsoft Teamsによるオンライン開催は12月1日(金)午後2時から午後4時まで
◯令和4年度
・ Microsoft Teamsによるオンライン開催は9月30日(金)午後2時から午後4時まで
◯令和3年度
・ Microsoft Teamsによるオンライン開催(定員290人)は10月1日(金)午後2時から午後3時45分まで
◯令和2年度
・ Microsoft Teamsによるオンライン開催(定員240人)は令和3年2月26日(金)午後2時から午後3時半まで
◯令和元年度
・ 東京会場(定員160人・法務省)は10月4日(金)午後2時から午後5時まで
・ 申込期間につき,当初の締切は9月23日(月)でしたが,その後,9月29日(日)に締め切りが延長されました。
◯平成30年度
・ 東京会場(定員160人・法務省)10月5日(金)午後2時から午後5時
・ 大阪会場での開催はありませんでした。
◯平成29年度
・ 東京会場(定員160人・法務省)は10月6日(金)午後2時から午後5時
・ 大阪会場(定員60人・大阪中之島合同庁舎)は10月13日(金)午後2時から午後5時まで

(続きを読む...)法務省の進路説明会

法務省の定員に関する訓令及び通達

目次
1 「法務省定員細則の一部を改正する訓令」(法務大臣訓令)
2 「本省内部部局の職員の配置定員について」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
3 「法務局及び地方法務局の職員の配置定員について」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
4 「刑務所,少年刑務所及び拘置所の職員の配置定員について」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
5 法務省が作成した,施設別収容定員・現員(刑事施設,少年院及び少年鑑別所)
6 「保護観察所の職員の配置定員について」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
7 「検察庁の職員の配置定員」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
8 法務省訓令及び法務大臣訓令
9 関連記事その他

1 「法務省定員細則の一部を改正する訓令」(法務大臣訓令)
(1) 以下のとおり掲載しています(「法務省定員細則の一部を改正する訓令(令和7年4月1日付の法務大臣訓令)」といったファイル名です。)。
・ 令和 8年4月1日時点のもの
・ 令和 7年4月1日時点のもの
・ 令和 6年4月1日時点のもの
・ 令和 5年4月1日時点のもの
・ 令和 4年4月1日時点のもの
・ 令和 3年4月1日時点のもの
・ 令和 2年4月1日時点のもの
・ 平成31年4月1日時点のもの
・ 平成30年4月1日時点のもの
・ 平成29年4月1日時点のもの
(2) 法務省定員規則(平成13年法務省令第16号)2条に基づく訓令です。

2 「本省内部部局の職員の配置定員について」(法務省大臣官房人事課長の依命通達)
(1) 以下のとおり掲載しています(「本省内部部局の職員の配置定員について(令和7年4月1日付の法務省大臣官房人事課長の依命通達)」といったファイル名です。)。
・ 令和 8年4月1日時点のもの
・ 令和 7年4月1日時点のもの
・ 令和 6年4月1日時点のもの

(続きを読む...)法務省の定員に関する訓令及び通達

山吉彩子検事(56期)の経歴

56期の山吉彩子(やまよし・さいこ)検事の任官後の経歴は以下のとおりです。

R7.4.1 ~ 仙台高検検事
R4.4.1 ~ R7.3.31 法総研研修第一部教官
R2.4.10 ~ R4.3.31 大阪地検検事
H29.4.1~ R2.4.9 司法研修所検察教官
H27.4.1~H29.3.31 新潟地検長岡支部長
H26.4.1~H27.3.31 東京地検検事
H24.4.1~H26.3.31 金融庁証券取引等監視委員会事務局開示検査課課長補佐
H23.4.1~H24.3.31 東京地検検事
H21.4.1~H23.3.31 千葉地検松戸支部検事
H19.4.1~H21.3.31 大阪地検検事
H17.4.1~H19.3.31 水戸地検検事
H16.4.1~H17.3.31 広島地検検事
H15.10.6~H16.3.31 東京地検検事

*1 山吉彩子検事は,大阪市強姦虚偽証言再審事件(懲役12年の大阪地裁平成21年5月15日判決(裁判長は34期の杉田宗久裁判官)が確定した後の平成25年10月16日に再審無罪判決が出た事件)において冤罪被害者となった被疑者の取調べを担当していたところ,潔白を主張する被疑者に対し,「絶対許さない」と言い放ち、全く取り合おうとしなかったらしいです(ヤフーニュースの「性的被害を受けたというウソの証言で約6年も身柄拘束 人が人を裁く刑事裁判の怖さ」(平成31年1月8日付)参照)。

いつも言ってるが供述の信用性評価の最高の教材は大阪地裁平成21年5月15日判決だと思う。虚偽供述の動機、他の証言による裏付け、供述内容の自然性合理性など、まさに教科書どおりの内容がとても詳細に説得的に書かれている。その後の結末と共に刑裁修習の内容に入れるべき。

— 心の貧困 (@mental_poverty) July 14, 2020

*2 平成11年1月8日,愛媛県宇和島市の農協において,同市在住の女性宅から窃取された預金通帳と印鑑により窓口から50万円の払い戻しがされた事件につき,平成11年2月1日,事件と無関係の男性X(被害女性の元恋人)が逮捕され,平成12年1月6日,別件で逮捕されていたYが宇和島市の窃盗事件について自白を開始し,所要の裏付け捜査を経て,同年2月21日にXが釈放され,同年4月21日,検察官が無罪論告を行い,同年5月26日,松山地裁宇和島支部で無罪判決を言い渡された事案について提起された国家賠償請求事件の場合,松山地裁平成18年1月18日判決(判例秘書に掲載されています。)は,請求棄却判決を下しました(ただし,愛媛県が500万円を,国が100万円を和解金として支払うという内容の和解が控訴審の高松高裁で成立しました。)(Wikipediaの「宇和島事件」参照)。
   つまり,明白な冤罪事件の被害者であっても,国家賠償請求訴訟で勝訴できるとは限らないということです。

普通は辞職なんですよ。我々の頃は、不当勾留即辞職と言われてきました。もちろん嘘を付いて検事正検事長になった人もたくさんいます。でも検事の矜持なんですね、出世しない下級武士の。 https://t.co/TK5MSw7r70

— 工藤啓介 (@keisukekudou) January 9, 2019

*3 71期導入修習の3組(福島,水戸,宇都宮及び新潟)及び18組(千葉),72期導入修習の4組(前橋,静岡,甲府,長野),73期導入修習の4組(前橋,静岡,甲府,長野)及び15組(東京,横浜)を担当しました(「司法研修所の教官組別表,教官担当表及び教官名簿」参照)。
*4 平成13年に司法試験に合格したときの氏名も「山吉彩子」です。

(続きを読む...)山吉彩子検事(56期)の経歴

平成31年3月提出の,法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案の説明資料

目次
1 法律案の説明資料
2 法律成立までの経緯
3 国会答弁資料
4 関連記事

1 法律案の説明資料
(1) 文部科学省高等教育局及び法務省大臣官房司法法制部が作成した,平成31年3月提出の,法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案の説明資料を以下のとおり掲載しています。
① 平成31年2月 8日付の資料1/2及び2/2
・ 同日時点の法律案及び新旧対照表と一緒に読んだ方が分かりやすいです。
② 平成31年2月27日付の,修正に伴う追加資料
・ 同日時点の法律案及び新旧対照表(法務省HPに載ってある,国会に提出された法律案及び新旧対照表と全く同じです。)と一緒に読んだ方が分かりやすいです。
・ 平成31年2月8日時点のものと比べると,(a)法科大学院において涵養する学識及び能力並びに素養について定める連携法4条1号,並びに(b)経過措置について定める付則2条1号の改正内容に修正が加わっています。
(2) 「一問一答 民法(債権関係)改正」のように,改正事項ごとの説明が詳しく書いてあります。
(3) 平成31年 2月8日付の資料35頁ないし41頁によれば,学校教育法施行令23条及び23条の2の改正により,法科大学院の収容定員を認可事項とし,総数を定め,それを超えた定数増を認めないことにする予定となっています。
(4) 用例集(「法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案」関係)(平成31年2月8日付)を掲載しています。

【令和5年司法試験まとめ】
・日程は5月ではなく7月中旬
・合格発表は9月ではなく11月上旬
・法科大学院最終学年在学中受験が可能
(受験者数が一時的に増加?!)
・司法修習は令和6年4月から?
(法科大学院修了生は1年ヒマ?!)

— 伊藤たける|憲法マニアの弁護士@とやま移住者 (@itotakeru) November 1, 2021

2 法律成立までの経緯
(1) 法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案は,平成31年3月12日の閣議で決定され,同日,第198回国会閣法第45号として国会に提出され,令和元年6月19日に可決成立し,令和元年6月26日法律第44号として公布されました。
(2) 提出時法律案のまま成立したのであって,国会における修正はありませんでした(衆議院HPの「閣法 第198回国会 45 法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案」参照)。

(続きを読む...)平成31年3月提出の,法科大学院の教育と司法試験等との連携等に関する法律等の一部を改正する法律案の説明資料

平成14年5月以降の,検察官の懲戒処分事例

目次
第1 平成24年4月以降の,検察官の懲戒処分
1 法務省の集計内容
2 検察官の免職事例
3 検察官の減給事例
4 法務省の集計に含まれていない,検察官の懲戒処分事例
5 幹部検察官が懲戒処分を受けなかった事例
第2 平成14年5月からの10年間の,検察官の懲戒処分
1 内閣答弁書等の集計内容
2 検察官の免職事例
3 検察官の停職事例
4 幹部検察官が懲戒処分を受けなかった事例
第3 監督上の措置(訓告,厳重注意及び注意)
第4 関連記事

第1 平成24年4月以降の懲戒処分
1 法務省の集計内容
・ 法務・検察行政刷新会議 第4回会議(令和2年9月10日)の資料1「検察官の懲戒処分等の概要」によれば,平成24年4月以降の懲戒処分(懲戒処分等から訓告を除いたもの)の状況は以下のとおりです。
○免職
・ 窃盗,住居侵入(平成30年3月)
・ 盗撮,建造物侵入(平成30年3月)

○停職
・ 盗撮を行ったもの(平成26年6月・停職2月)
・ 電車内で痴漢を行ったもの(平成27年9月・停職2月)
・ 児童ポルノを所持したもの(平成29年9月・停職2月)

○減給
・ 報告書を作成するに当たり,不正確な内容を記載して提出したもの(平成24年6月・減給6月)
・ 飲食店で粗暴な言動をしたもの(平成24年11月・減給1月)

(続きを読む...)平成14年5月以降の,検察官の懲戒処分事例

保護観察制度―対象者,期間,遵守事項及び社会復帰支援(AIリライト)

第1 保護観察制度の位置付け

1 保護観察の目的

2 制度を理解する際の注意点

第2 保護観察の対象者と期間

1 現行法上の四類型

2 保護観察処分少年

(1) 17歳以下の少年等

(2) 18歳・19歳の特定少年

3 少年院仮退院者

4 仮釈放者

5 保護観察付執行猶予者

(続きを読む...)保護観察制度―対象者,期間,遵守事項及び社会復帰支援(AIリライト)

2024年の米国大統領候補襲撃事件2件――下院タスクフォース報告書が認定した警護の失敗(AI作成)

目次

第1 2024年に起きた2件と,下院タスクフォース第2 2024年7月13日 ペンシルベニア州バトラー1 事実経過2 「防ぐことができた」という結論3 認定された失敗——場所の確保4 認定された失敗——責任分担の不明確5 認定された失敗——技術,通信及び情報6 認定された失敗——経験と訓練第3 2024年9月15日 フロリダ州ウェストパームビーチ——阻止された事例第4 シークレットサービス自身の認定第5 提言の内容第6 日本の検証報告書との比較1 認定された失敗はよく似ている2 検証する主体が違う3 応答の形式が違う第7 出典第1 2024年に起きた2件と,下院タスクフォース

本記事は,2024年に米国で起きた大統領候補に対する2件の襲撃事件を,米国連邦議会下院の調査報告書に基づいて整理する。

この2件は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱った4件と異なり,いずれも未遂に終わっている。

しかし,警護がどこで失敗し,どこで機能したのかが,議会の調査によって具体的に認定されている点で,法制度の資料としての価値は4件に劣らない。

日本の首相・元首相の事件については,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人で扱っている。

下院は,2024年7月24日,全会一致で決議を可決し,この事件を調査する特別委員会(Task Force on the Attempted Assassination of Donald J. Trump)を設置した。

同委員会は,2024年12月5日付で,180頁の最終報告書(Final Report of Findings and Recommendations)を公表している。

委員長はマイク・ケリー下院議員(ペンシルベニア州第16区),筆頭理事はジェイソン・クロウ下院議員(コロラド州第6区)であり,委員は両党から選任されている。

報告書は,「5か月に満たない期間に,証人から聴取し,証拠を入手・分析し,ペンシルベニア州及びフロリダ州における暗殺未遂について公聴会を開いた」と述べている。

第2 2024年7月13日 ペンシルベニア州バトラー1 事実経過

報告書の冒頭は,事実関係を次のように記述している。

2024年7月13日,ペンシルベニア州バトラーで開催された選挙運動の行事において,暗殺を企てた者がドナルド・J・トランプの生命を奪おうとした。

その銃弾は,参加者コーリー・コンペレトーレの生命を奪い,参加者デービッド・ダッチ及びジェームズ・コペンヘイバーに重傷を負わせた。

シークレットサービスのカウンタースナイパー1名と,バトラー郡緊急対応部隊(Butler ESU)の隊員1名が応射し,銃撃者を排除した。

壇上及びその付近に配置されていたシークレットサービスの特別捜査官らがトランプ前大統領を覆い,現場から搬出した。

トランプ前大統領は,生命に別状のない負傷で難を逃れた。

報告書によれば,銃撃者トーマス・マシュー・クルックスは,集会のステージに向けて8発を発射している。

2 「防ぐことができた」という結論

報告書の要旨は,結論を次の2文で示している。

第1に,「タスクフォースは,ペンシルベニア州バトラーにおける悲劇的かつ衝撃的な出来事は防ぐことができたものであり,起きてはならなかったと認定した」。

第2に,「もっとも,トーマス・マシュー・クルックスが前大統領をあわや暗殺するに至らせた単一の瞬間や単一の決定は存在しなかった」。

そして,「7月13日及びそれ以前における計画,実行及び指揮の各種の失敗と,その日に配置された人的・物的資産の実効性を損なっていた先行的な諸条件とが,重なり合って,前大統領と行事の参加者全員を重大な危険にさらす環境を作り出した」と述べている。

単一の原因ではなく,複数の不作為の重畳によって結果が生じたという認定の仕方は,日本の警察庁が安倍晋三元総理の事件について行った検証と共通する構造である。

3 認定された失敗——場所の確保

報告書が第一に挙げるのは,会場に隣接する高リスク区域を確保しなかったことである。

具体的には,アメリカン・グラス・リサーチ(AGR)の敷地及び建物群である。

報告書によれば,この区域は,主要道路に近接し,ステージへの明瞭な射線を有し,高所に位置していた。

それにもかかわらず,シークレットサービスは,警備区域とAGR敷地とを隔てるフェンス際に,シークレットサービスその他の法執行機関の検査を受けていない群衆が集まることを許した。

報告書は,警備区域の外に群衆が存在したことが,クルックスの挙動が次第に不審になっていく中で,同人を阻止することを一層困難にしたとしている。

そして,AGRの敷地を最初から確保しなかったことの帰結は,同区域が脅威を抑止するに足りるだけの監視も巡回も受けていなかったという事実によって増幅された,と評価している。

4 認定された失敗——責任分担の不明確

報告書は,シークレットサービスが州及び地方のパートナーに対し,どの機関がこの区域を担当するのかについて明確な指針を示さなかったと認定している。

その結果として何が起きたかの記述が,本件の核心である。

AGRの建物の窓に配置されていた地元のスナイパーチームは,自らの任務を群衆と会場のオーバーウォッチであると理解しており,クルックスが徘徊して準備をしていた警備区域の外については,シークレットサービスのカウンタースナイパーと巡回部隊が確保しているものと信じていた。

その誤解の結果,同チームは,窓の直下や屋根を監視する位置に配置されていなかった。

会場の反対側に配置されていた別の地元スナイパーチームは,AGRの敷地への射線を有していたが,同様に自らの担当であるとは考えず,監視をしなかった。

報告書は,人員及び資機材の不足が表明されていたのに十分に手当てされず,地上のカバーに空隙が生じたことも認定している。

「誰も担当だと思っていない区域」が生まれたという認定であり,これは複数機関が関与する警護に共通する構造的な弱点である。

5 認定された失敗——技術,通信及び情報

報告書は,当日の失敗として次の3点を挙げている。

第1に,会場の警備を補完するための技術が,数時間にわたり機能していなかった。

第2に,断片化した通信構造と拙劣な意思決定により,重要な情報が関係する法執行職員に届かなかった。

報告書は,この技術と通信の機能不全が,クルックスの追跡を妨げ,介入の機会を逸させたとし,さらに,前大統領を壇上から退去させることができたシークレットサービス職員への情報の流れをも中断させたとしている。

第3に,情報コミュニティの構成員が把握していた関連する脅威情報が,集会に従事する主要な職員に対して上げられなかった。

6 認定された失敗——経験と訓練

報告書は,7月13日の失敗が行事当日やその数日前に限られたものではないとし,指揮と訓練における先行的な問題が,上記の個別の失敗が生じ得る環境を作ったと認定している。

すなわち,事前計画の役割についてほとんど又は全く経験のないシークレットサービス職員に,重大な責任が与えられていた。

報告書は,これを,当該行事が射線の問題が多い高リスクの屋外会場で開かれ,しかも長距離からの脅威に関する具体的な情報があったにもかかわらず,と留保付きで指摘している。

さらに,事前計画の重要な役割にあった一部の捜査官は,自らの責任の区分を明確に理解していなかった,としている。

第3 2024年9月15日 フロリダ州ウェストパームビーチ——阻止された事例

報告書は,バトラーの約2か月後に起きた第2の事件も調査対象としている。

2024年9月15日,フロリダ州ウェストパームビーチのトランプ・インターナショナル・ゴルフクラブにおいて,シークレットサービスの特別捜査官1名が,前大統領に先行して区域を偵察していたところ,敷地の外周フェンスのすぐ外側で待ち伏せをしていた別の暗殺企図者を発見した。

報告書によれば,同捜査官が銃撃をもって対処したところ,当該人物は現場から逃走し,その後に逮捕された。

負傷者は生じなかった。

報告書は,この事件について,「これに対し,2024年9月15日にフロリダで起きた出来事は,適切に実行された警護措置が暗殺未遂を阻止し得ることを示した」と評価している。

同じ人物に対する2か月違いの2件が,失敗例と成功例として1つの報告書に並べられている点は,警護の検証資料として珍しい。

そして,成功した側の決め手が,特別捜査官による先行しての区域偵察であったことは,日本の警護要則第11条が実地踏査を義務付けていることと重なる。

第4 シークレットサービス自身の認定

調査を受けた側であるシークレットサービスも,公式に失敗を認めている。

シークレットサービスが公表しているロナルド・L・ロウ長官代行の書面証言(2024年12月5日付,タスクフォース提出)は,次のように述べている。

「7月13日は,シークレットサービスがバトラー・ファーム・ショーの会場を適切に確保し,トランプ大統領選出者を守ることに失敗した日であった。」

「その明白な失敗(abject failure)は,シークレットサービスの運用における重大な欠落を浮き彫りにした。私は,我々が,米国民,議会及び我々の警護対象者が当然に有する期待に応えられなかったことを認識している。」

調査対象機関の長が,議会に提出する書面で「abject failure」という語を用いて自機関の失敗を認めた記録である。

第5 提言の内容

報告書は,バトラーにおける警備の失敗に直接つながった問題について25の個別提言を各節の末尾に置き,これに加えて,指揮,訓練及び機関の資源に関する11の一般提言を掲げている。

報告書は,シークレットサービスの警護任務を「失敗が許されない任務(zero fail protective mission)」と呼んでいる。

提言のうち,制度論として注目されるものを挙げる。

提言の対象内容無線通信の記録7月13日,シークレットサービスは無線通信を記録していなかった。無線のログや録音が存在しないことは,捜査目的でも評価目的でも事後に事象を再構成する能力を著しく制限する。長官代行は今後記録するよう指示したと証言している警備計画の所有権議会は,高い注目を集める行事の警備計画について,警備区域内の部分だけでなく全体の所有権をシークレットサービスに与えるべきである冗長性の確保高圧の場面で運用が破綻しないよう,警備上の冗長性を実装させる監督を議会が行うべきである意見相違のエスカレーション行事における警備上の意見の相違について,正式なエスカレーション手続を設けるべきである警護対象者の数シークレットサービスは,警護する人数を減らすことによって利益を得られる可能性がある捜査機能との併存議会は,シークレットサービスの捜査上の義務が主たる警護任務と実効的に併存し得るか,捜査機能が国土安全保障省内に残るべきかを検討しなければならない

最後の2項目は,日本でいえば「警察庁警備局が警護以外の任務をどこまで併有すべきか」という問いに相当し,機関の任務設計そのものに踏み込んでいる。

第6 日本の検証報告書との比較1 認定された失敗はよく似ている

日本の警察庁が安倍晋三元総理の事件について公表した検証及び警護の見直しに関する報告書(令和4年8月25日)は,警護計画の作成過程で,遊説場所の南方向への警戒や銃器による攻撃への備えが具体的に検討されなかったこと,制服警察官の配置や交通規制が検討されなかったことなどを認定していた。

両者を並べると,認定された失敗の型が驚くほど似ている。

失敗の型米国(2024年・バトラー)日本(2022年・奈良)射線・方向の見落としAGR敷地の高所からステージへの明瞭な射線が確保されないまま放置された遊説場所の南方向への警戒の必要性が具体的に考慮されなかった銃器による攻撃への備え長距離からの脅威に関する具体的情報がありながら計画に反映されなかった銃器による攻撃への備えが特に意識されなかった制服警察官・交通規制警備区域外に未検査の群衆が滞留することを許した制服警察官の配置も県道の交通規制も検討されなかった機関間の責任分担どの機関がAGR敷地を担当するのか明確な指針が示されなかった本部警備課と警察署が署警護員の配置場所を連絡調整しないまま各々計画書を作成した経験の不足事前計画の経験がほとんどない職員に重大な責任が与えられた前回警護を踏襲したのみで,決裁過程でも指摘がされなかった2 検証する主体が違う

もっとも,検証の主体は対照的である。

米国では,立法府である下院が超党派の特別委員会を設置し,公聴会を開いて調査した。

日本では,警護を実施した側である警察庁自身が,国家公安委員会に経過を報告しながら検証した。

安倍事件の報告書は,警察庁が検証・見直しの過程で11回にわたり国家公安委員会に報告し,同委員会における議論を踏まえて作業を進めたと記している。

国会が独自に調査委員会を設けて警護の失敗を検証した例は,本記事の調査範囲では確認できなかった。

3 応答の形式が違う

応答の形式も異なる。

米国のタスクフォースは,機関に対する提言と議会自身が行うべき立法・監督に関する提言とを書き分けている。

これに対し日本では,安倍事件の後,法律の改正ではなく国家公安委員会規則である警護要則の全部改正によって対応した。

旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)は令和4年8月26日限りで廃止され,同日,新たな警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)が公布・施行されている。

米国側の提言のうち「警備計画の全体の所有権を与える」「冗長性を実装させる」「意見相違のエスカレーション手続を設ける」という3点は,日本の新警護要則が第10条(警護計画の記載事項の細分化),第3条第4項(重層的な警護),第14条(現場指揮官への権限付与)で対応している事項と,問題意識が重なる。

両国が,別々の事件を契機に,ほぼ同じ論点に到達していることになる。

なお,米国のシークレットサービスの警護対象は合衆国法典第18編第3056条(a)に法律で列挙されており,トランプ前大統領は,元大統領として同項(3)により終身の対象であると同時に,主要な大統領候補者として同項(7)の対象でもあった。

この点の詳細は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱っている。

第7 出典

① 米国連邦議会下院・ドナルド・J・トランプ暗殺未遂に関するタスクフォース「認定及び提言に関する最終報告書」(2024年12月5日,全180頁)

② 米国シークレットサービス・ロナルド・L・ロウ長官代行の書面証言(2024年12月5日,同タスクフォース提出)

③ 警察庁「令和4年7月8日に奈良市内において実施された安倍晋三元内閣総理大臣に係る警護についての検証及び警護の見直しに関する報告書」(令和4年8月25日)

④ 警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)及び旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)

⑤ 合衆国法典第18編第3056条