国葬儀


目次
第1 総論
第2 安倍元首相の国葬儀及び叙位叙勲
1 故安倍晋三国葬儀当日における弔意表明
2 安倍元首相の叙位叙勲
3 故安倍晋三国葬儀の費用
4 その他
* 詳細につき,「故安倍晋三国葬儀」を参照してください。
第3 吉田元首相の国葬儀及び叙位叙勲
1 故吉田茂国葬儀当日における弔意表明
2 吉田元首相の叙位叙勲
3 故吉田茂国葬儀の費用
4 その他
第4 佐藤栄作元首相の国民葬,及びセキュリティポリスの設置
1 総論
2 故佐藤栄作国民葬儀当日における弔意表明
3 三木首相殴打事件
4 セキュリティポリスの設置
第5 戦前の国葬
1 国葬儀と国葬の違い
2 国葬令
3 昭和元年以降の国葬令に基づく国葬の実施例
4 戦前の国葬に関する国会答弁等
5 昭和22年12月31日に国葬令が失効したこと
第6 大喪の礼
1 総論
2 大喪の礼と政教分離
3 大喪の礼における弔意表明
第7 皇太后の葬儀
1 貞明皇后の葬儀
2 香淳皇后の葬儀
第8 内閣・自由民主党合同葬
1 過去の実施例
2 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀
第9 戦後,内閣が関与して行われた元内閣総理大臣の葬儀に要した費用
第10 関連記事その他

第1 総論
1 国葬儀とは,国の儀式として全額国費負担で行われる葬儀をいい,その点では戦前の国葬と同じであるものの,一般の国民が喪に服する必要はない点で戦前の国葬と大きく異なります。
2(1) 昭和42年10月20日に病死した吉田茂元首相の場合,同月31日に日本武道館で国葬儀が実施されました。
(2) 令和4年7月8日に暗殺された安倍晋三元首相の場合,同年9月27日に日本武道館で国葬儀が実施される予定です。


第2 安倍元首相の国葬儀及び叙位叙勲
1 故安倍晋三国葬儀当日における弔意表明
(1) 参議院議員浜田聡君提出国葬、国葬儀、合同葬儀の違い等に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
① 故安倍晋三国葬儀の当日における弔意表明の在り方については、現在検討しているところであり、現時点でお尋ねについて明確にお答えすることは困難であるが、例えば、お尋ねの「半日休むようにというようなこと」及び「歌舞音曲を慎んだらどうですかということ」について求めることは現時点では考えていない。
② 故安倍晋三国葬儀は、北の丸公園内に所在する日本武道館において行うこととしているところ、故安倍晋三国葬儀の具体的内容は現在検討中であり、現時点でお尋ねについてお答えすることは困難である。
(2) 故安倍晋三国葬儀の当日における弔意表明について(令和4年8月31日付の故安倍晋三国葬儀葬儀委員長決定)は以下のとおりです。
故安倍晋三国葬儀の当日には、哀悼の意を表するため、各府省においては、弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の一定時刻に黙とうすることとする。

2 安倍元首相の叙位叙勲
(1) 安倍元首相は,令和4年7月11日付の閣議決定により,従一位に叙され,かつ,大勲位菊花章頸飾及び菊花大綬章を授与されました(首相官邸HPの「元内閣総理大臣安倍晋三氏を従一位に叙すること並びに大勲位菊花章頸飾及び菊花大綬章の授与について」,及び「令和4年7月11日付の閣議書(令和4年7月8日付で,衆議院議員安倍晋三に対し,従一位に叙するとともに,大勲位菊花大綬章並びに頚飾を授ける。)」参照)。
(2) 日本国憲法施行後の首相経験者として従一位に叙せられ,かつ,大勲位菊花章頸飾を授けられたのは,吉田茂,佐藤栄作,中曽根康弘及び安倍晋三の4人です。


3 故安倍晋三国葬儀の費用
(1) 令和4年8月26日午前の内閣官房長官記者会見には以下の記載があります。
故安倍晋三国葬義に必要な経費について
 次に、本日の閣議において、故安倍晋三国葬儀に必要な経費について、令和4年度一般会計予備費の使用を決定をしました。国葬儀については、その実施内容を検討しているところであります。今般の国葬儀においては、安倍元総理を追悼したいという気持ちをお持ちの方々のために、日本武道館とは別の場所に献花台を設け、一般献花を実施すること、海外から元首・首脳級の方を含む多数の要人の参列が見込まれることから、参列に当たって必要となる同時通訳等に万全を期す必要があること、会場となる日本武道館には複数の出入口があり、それぞれに警備員や金属探知機を配置するなど、昨今の状況を踏まえて、万全の警備体制を敷く必要があること、さらに参列者として最大で6,000人程度の規模が見込まれることから、その人数に応じたバスの手配やしおりの準備等が必要となること、こうしたことから、予備費の使用額は、令和2年に行われた中曽根元総理の内閣・自由民主党合同葬から約5,700万円増の約2億4,900万円となります。
(2)  令和4年9月6日午前の内閣官房長官記者会見には以下の記載があります。
故安倍晋三国葬儀について
 本日、故安倍晋三国葬儀に関し、お手元に配付のとおり、国葬儀の流れを葬儀委員長決定しました。また、国葬儀に際し、自衛隊による儀礼の実施について、葬儀委員長から防衛大臣に対する協力を依頼することとしました。さらに、国葬儀後、迎賓館において、葬儀委員長である岸田総理ほかが、海外から来られた要人から個別に弔意を受け、挨拶する機会を設ける予定であります。そして、国葬儀に要する経費の見込みについて申し上げます。これまで予備費で賄うこととした式典関係の経費2.49億円以外に、警備費や海外要人の接遇に要する経費などが必要となる見込みであること、しかしながら、警護・接遇を要する要人の数等が不確定であるため、経費についても確たることを申し上げるのは困難であること、を申し上げてまいりました。また、これまでも国が関与した葬儀に関して、既定経費で支出する警備・接遇に要する経費を切り出してお示しをしたことはありません。一方で、先日、総理からもお話があったように、丁寧な説明を尽くすという観点に加え、これまでの各国からの連絡状況を踏まえ、海外から190以上の代表団が参列し、その中で特別の接遇を要する首脳級等の代表団の数が50程度と見込まれることから、これを仮定するとともに、そうした要人が多数集まる行事に対する警備体制を一定の規模で仮定すること等により、あえて現時点での経費の見込みをお示しをしたいと思います。以下申し上げる警備・接遇等の経費については、過去の合同葬と同様に、既に成立をしている今年度予算の中で対応するものであります。まず、警備に関するものでございますが、具体的には、まず警備に要する経費としては8億円程度と見込まれます。その内訳は、道府県警察からの派遣のための旅費などの部隊活動や超過勤務手当に関わる経費が5億円程度、車両等の装備資機材や待機所の借上げの装備費が3億円程度であります。次に、海外要人の接遇に要する経費については6億円程度と見込まれます。その内訳は、海外要人の本邦滞在中の車両の手配や空港での受入体制の構築等の庁費が5億円程度。接遇要員として一時帰国させる在外公館職員の出張のための旅費が1億円程度であります。このほか、自衛隊の儀じょう隊等の車両借上費等が0.1億円程度と見込まれております。これも既定予算で対応することとしております。私(官房長官)からは以上です。


4 その他
(1) 安倍元首相の家族葬は,令和4年7月12日午後,東京都港区芝公園にある増上寺で行われました(産経新聞HPの「安倍元首相の功績しのぶ 増上寺で葬儀、世界から弔意1700件」参照)。
(2) 外務省HPの「故安倍晋三国葬儀への各国・地域・国際機関等からの参列」(令和4年9月22日付)には「参列の内訳は、海外から代表が参列する国・地域・国際機関等が117、海外からは参列しないが駐日大使・駐日国際機関代表等が代表として参列する国・地域・国際機関等が101です。」と書いてあります。
(3) Wikipediaに「安倍晋三銃撃事件」及び「安倍晋三の国葬」が載っています。

第3 吉田元首相の国葬儀
1 故吉田茂国葬儀当日における弔意表明
(1) 昭和42年10月28日(土)の官報には,「故吉田茂国葬儀当日における弔意表明について」として以下の記事が載っています。 
 故吉田茂国葬儀当日(10月31日)哀悼の意を表するため,次のとおり措置するものとする。
1. 各省庁においては,
(1) 弔旗を掲揚すること。
(2) 葬儀中の一定時刻に黙とうすること。
(3) 各省庁の長は当日午後は公務に支障のない範囲内において職員が勤務しないことを認めることができること。
(4) 公の行事,儀式その他歌舞音曲を伴う行事はさしひかえること。
2.以上の各項については,各公署,学校,会社その他一般においても同様の方法により哀悼の意を表するよう協力方を要望すること。
(2) 故安倍晋三国葬儀の場合,「各省庁の長は、公務に支障のない範囲内において職員が勤務しないことを認めること」等は考えられていません(衆議院議員中谷一馬君提出「故安倍晋三国葬儀」における職員が勤務しないこと等に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)参照)。

2 故吉田茂国葬儀の費用
・ 相沢英之大蔵省主計局次長は,昭和43年5月9日の衆議院決算委員会において,故吉田茂国葬儀の費用として以下の答弁をしています。
 総額千八百九万六千円のうち、国葬儀準備等に必要な経費が四百五十九万八千円。その内訳を申しますと、これは送迎用のバス等の借り上げ費が百九十四万円、案内状等の印刷及び送料等通信費が百三十八万五千円、準備会議費、救護班謝礼その他が百二十七万三千円。次に武道館の借り上げに必要な経費が三百九十四万二千円。それから第三番目に、国葬儀場飾りつけ等に必要な経費として九百五十五万六千円でございますが、そのうちおもなものは、生花の飾り二百七十万円、献花百五十万円等でございます。


3 吉田元首相の叙位叙勲
(1) 吉田元首相は,駐イタリア大使をしていた昭和6年1月21日に勲二等瑞宝章を授けられ,同年10月31日に勲二等旭日重光章を授けられ,生存者叙勲の再開に伴い,昭和39年4月29日に大勲位菊花大綬章を授けられました。
(2) 吉田元首相は,昭和42年10月20日付で従一位に叙せられ,かつ,大勲位菊花章頸飾を追贈されました。


4 その他
(1) 吉田元首相の家族葬は,昭和42年10月23日に東京カテドラルでカトリック葬として行われました。
(2) 清水汪内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長は,昭和54年4月13日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています(改行を追加しています。)。
 国葬でございますが、旧国葬令失効後はこれにかわる法律はございません。
 しかしながら、やはり国の立場におきましてそれに相当すべき場合に葬儀を営むという考え方はとれるのではないかという認識を持ったわけでございまして、具体的な例といたしましては、故吉田茂氏の葬儀の場合に、昭和四十二年十月二十三日の閣議決定によりまして国葬を行っております。
(3)ア ダイヤモンド・オンラインの「吉田茂氏の国葬は「大不評」だったのに…安倍氏国葬をゴリ押しする政府の過ち」には「テレビの大騒ぎも今と同じだ。国葬当日は「宰相吉田茂」(NHK)、「人間吉田茂」(フジテレビ)など朝から晩まで全チャンネルで追悼番組を放送。神奈川県大磯の自宅から武道館へと遺骨が運ばれるまでは、民放全局共同で中継をした。」と書いてあります。
イ データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)「故吉田茂国葬儀における佐藤内閣総理大臣の追悼の辞」(昭和42年10月31日付)が載っています。
(4) 令和4年7月現在,日比谷花壇のお別れナビ「会社概要」には,「日比谷花壇のお葬式」として以下の記載があります。
1967年日本で初めての生花祭壇と呼ばれる吉田茂首相の国葬を手掛けるところからはじまり、2004年には葬儀全般を執り行う「日比谷花壇のお葬式」がスタート。
相談実績は累計20,000件以上、年間約800件の葬儀を施行しています。
(5) 日経新聞HPに「吉田茂氏と賀川豊彦氏、ノーベル平和賞の最終候補だった ノーベル研究所の開示資料で明らかに」が載っています。
(6)ア 衆議院議員山岸一生君提出国葬儀に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
 昭和四十二年十二月一日の衆議院議院運営委員会における安宅常彦委員の質問において、故吉田茂国葬儀に関し、「この間吉田さんの葬式がございましたが、そのときに院のほうで全然知らない間に、佐藤総理から衆議院、参議院の副議長が吉田さんの葬式の実行副委員長というのに任命されておった。それではけしからぬではないかということで、これは表面に出ないままに私どもはそれは断わるべきだ、そういうことで断わったいきさつがあるわけです。」との発言があったことは承知していたが、お尋ねの「当初は衆参両院の副議長を葬儀副委員長に委嘱する案であったが、のちに断念したとされる。このように両院の参画を模索した経緯」については承知していない。
イ 参議院議員浜田聡君提出国葬、国葬儀、合同葬儀の違い等に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には「お尋ねの「宮内庁法規定儀式(山中注:宮内庁法2条8号に規定する儀式のこと。)及び憲法規定儀式(憲法7条10号に規定する儀式のこと。)を除いた国の儀式」の例は、昭和四十二年十月三十一日に行われた故吉田茂国葬儀のみである。」と書いてあります。


第4 佐藤栄作元首相の国民葬,及びセキュリティポリスの設置
1 総論
(1) 昭和50年5月19日の夕方,築地の料亭「新喜楽」において脳出血で倒れて昏睡状態となり,5日後に病院に搬送され,同年6月3日に死亡した佐藤栄作元首相の場合,同月16日に日本武道館で国民葬が行われました。
(2) 国民葬の前例は大正11年1月17日に日比谷公園で実施された大隈重信(大正11年1月10日死亡)の国民葬だけでしたところ,Wikipediaの「大隈重信」には「前宮内大臣の波多野敬直を委員長とした葬儀委員会が、一定の儀式が定められており、一般人の参列ができない国葬ではなく、面識のないものでも参加できる「国民葬」の演出とその成功をねらった準備活動を進めた。」と書いてあります。
(3) よりそうお葬式HPに「国葬とは?国民葬との違いや流れについて」が載っています。

2 故佐藤栄作国民葬儀当日における弔意表明
(1) 昭和50年6月14日(土)の官報には,「故佐藤榮作国民葬儀当日における弔意表明について」として以下の記事が載っています。
 故佐藤榮作国民葬儀当日(6月16日)哀悼の意を表するため、次のとおり措置するものとする。
1.各省庁においては、
(1) 弔旗を掲揚すること。
(2) 葬儀中の一定時刻に黙とうすること。
2.各公署等においても前項と同様の方法により哀悼の意を表するよう協力方を要望すること。
(2) 故吉田茂国葬儀当日における弔意表明の場合と異なり,以下の事項はありませんでした。
・ 各省庁の長は当日午後は公務に支障のない範囲内において職員が勤務しないことを認めることができること。
・ 公の行事,儀式その他歌舞音曲を伴う行事はさしひかえること。

3 三木首相殴打事件
・ 昭和50年6月16日の故佐藤榮作国民葬で発生した三木首相殴打事件について,浅沼清太郎警察庁長官は,昭和50年6月18日の衆議院地方行政委員会において以下の答弁をしています(ナンバリングを追加しています。)。
① 故佐藤榮作元内閣総理大臣の国民葬儀という厳粛な行事に際して、一国の総理が暴漢に襲われるという事件を防止できなかったということは、総理はもとより、一般国民に対してもまことに申しわけない、かように考えている次第でございます。
 どうしてそういうような事件が起きたかということにつきましては現在検討中ではございますけれども、まず事案の概要とその経過を説明いたしまして、いままで把握しているところを御説明申し上げたいと思います。
② まず、事案の概要でございますけれども、十六日の一時五十三分ごろに、三木総理が佐藤元総理の御遺骨到着を出迎えるために、日本武道館内から正面玄関の歩道近くに歩み寄ったところ、被疑者の筆保(山中注:筆保泰禎(ふでやすひろよし)のこと。)が報道陣の後方から「核防条約批准反対」(山中注;「核防条約」というのは「核拡散防止条約」のことです。)と叫びながら飛び込んできたわけであります。
 総理の背後から正面に回りまして、右手で総理の顔面を二回殴打しまして、総理はその場に倒れたという状況でございます。
 筆保は、三木総理は屈辱的不平等の核防条約批准を強行せんとする国家、民族の敵だ、即時自殺することを勧告するというような自殺勧告書と、それに刃渡り十四・五センチの登山ナイフをセロテープで取りつけたものを所持しておりまして、警戒陣は暴行直後、現場で公務執行妨害と銃砲刀剣類所持等取締法違反で現行犯逮捕した次第でございます。

③ 取り調べました結果、自供によりますと、筆保は当日六時ごろに文京区大塚の愛国党本部を出まして、荻窪――池袋の間を地下鉄で往復しながら時間待ちをしておった。
 そして、東京駅の大丸デパート便所に入りまして、黒ダブル上下、黒ネクタイに着がえ、喪服姿になりまして、タクシーで午後一時ごろ武道館に到着したわけであります。到着しまして正面玄関わきの報道陣の中に紛れ込んでおりまして、同玄関前に赴く総理をそのときに発見して、核防条約反対と叫んで飛び出してきた。
 そして勧告状を渡そうとした際に、とっさに暴行を加えたというような供述をしているわけであります。
④ 犯行の動機、目的につきましては、先ほど申し上げましたように、核防条約が批准されたならば日本の将来は絶望的だというように考えて、総理に批准反対を訴え、聞き届けられなければ自殺を勧告するつもりであったというように述べておるわけであります。
 また、同人は単独で計画を実行したと述べておりますけれども、警視庁といたしましては、党本部と筆保の居室二カ所につきまして捜索を実施するなど、引き続き事件の究明を進めているという状況であります。
⑤ 特に、どうしてそういうことになったかという、問題になります警護と右翼の視察体制でありますけれども、国民葬に伴う警護、警備のために、当日警視庁は武道館の直近に第一方面警備本部を設置しまして、約千四百名の警察官を配置して警戒に当たっていたわけであります。
 事件当時、総理の身辺及び正面玄関前の御遺骨到着場所周辺には、身辺、行き先地警護員五人を含めまして、制私服二十三人が配置について警護、警備に従事しておったという状況になっております。
⑥ また、右翼の視察につきましては、右翼が当面最も強い関心を持っております核防条約が今国会で批准される可能性が強まったために、大日本愛国党を含む右翼虞犯者の視察を警視庁としては強化していたわけであります。
 筆保は、朝の八時、愛国党事務所並びに同党が実施した核防条約批准反対の街宣活動視察の過程で所在不明であることがわかったわけでありまして、そこで直ちに警視庁の公安三課は、右翼担当課でございますけれども、担当者を増強いたすなど所要の措置をとったわけでありますけれども、先ほど説明いたしましたように、他の弔問者と同様のかっこうで報道陣の中に紛れ込んでおったということや、玄関前には相当数の一般弔問者もいたというようなことで、右翼視察員も、警護、警戒に当たっておった者も事前に、同人を発見することができなかったというのが、このまことに申しわけない事件になったわけでございます。
⑦ 以上のような状況でございます。
(2)ア Wikipediaの大日本愛国党には,「浅沼稲次郎暗殺事件を起こした山口二矢、嶋中事件で知られる小森一孝はいずれも大日本愛国党に所属していたが、それぞれ事件直前に脱党している。」とか,「三木には警視庁の警察官が護衛として配置されていたが、やや離れた場所にいた上に三木の進行方向ばかりに気を取られ、犯行への対応が遅れた。」と書いてあります。
イ 浅沼清太郎警察庁長官は,昭和53年3月26日発生の成田空港管制塔占拠事件の責任を取って,同年6月1日に辞職しました。

4 セキュリティポリスの設置
(1) 三木首相殴打事件をきっかけとして,昭和50年9月13日,警視庁警備部警護課に,要人警護任務に専従するセキュリティポリス(略称はSPです。)が設置されました。
(2) 渡辺善門 警察庁警備局公安第二課長は,昭和53年4月7日の衆議院法務委員会において以下の答弁をしています。
 現在、要人警護につきましては先生のおっしゃいましたとおりで、内閣総理大臣、衆参両院の議長、最高裁判所長官、政党幹部等につきまして行っておるわけでございますけれども、この警護員の教養につきまして、警察庁といたしましては、年一回でございますけれども、中核たる警護専従員を中心に専科教養を実施しております。そのほかに都道府県警察単位に随時教養を実施する、とりわけ身辺警護の衝に当たる警護専従員につきましては、できるだけ回数を多く警護教養をやるように指導をしておるところでございます。



第5 戦前の国葬
1 国葬儀と国葬の違い
(1)ア 戦前の国葬の場合,国葬令に基づいて実施され,国民全体が喪に服することになっていました。
イ 戦後の国葬儀の場合,閣議決定に基づいて実施され,一般国民は哀悼の意を表するように協力を要望されるに過ぎません。

2 国葬令
・ 昭和22年12月31日限りで失効した国葬令(大正15年10月21日勅令第324号)は以下のとおりであって(国葬令2条ただし書の「殤」(しょう)は「若死に」という意味です。),国葬令に基づく国葬の場合,国葬令4条後段に基づき,国民全体が喪に服することになっていました。
第一條 大喪儀ハ國葬トス
第二條 皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃及攝政タル親王内親王王女王ノ喪儀ハ國葬トス但シ皇太子皇太孫七歳未満ノ殤ナルトキハ此ノ限ニ在ラス
第三條 國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ
前項ノ特旨ハ勅書ヲ以テシ内閣總理大臣之ヲ公告ス
第四條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ヲ行フ当日廢朝シ國民喪ヲ服ス
第五條 皇族ニ非サル者國葬ノ場合ニ於テハ喪儀ノ式ハ内閣總理大臣勅裁ヲ経テ之ヲ定ム

3 昭和元年以降の国葬令に基づく国葬の実施例
(1) 昭和元年以降の国葬令に基づく国葬の実施例は以下のとおりです。
① 大正15年12月25日崩御の大正天皇(昭和2年2月7日の大喪儀)
② 昭和 9年 5月30日死亡の東郷平八郎元帥海軍大将(昭和9年6月5日実施)
③ 昭和15年11月24日死亡の西園寺公望元首相(昭和15年12月5日実施)
④ 昭和18年 4月18日戦死の山本五十六元帥海軍大将(昭和18年6月5日実施)
⑤ 昭和20年 5月20日死亡の閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)・元帥陸軍大将(昭和20年6月18日実施)
(2) 西園寺公望及び山本五十六の国葬については,以下のとおりユーチューブに鮮明な動画が載っています。

4 戦前の国葬に関する国会答弁等
(1) 田中龍夫総理府総務長官は,昭和43年5月9日の衆議院決算委員会において以下の答弁をしています。
 ただいま御指摘のように、今後これ(山中注:国葬)に対する何らかの根拠法的なものはつくらないかという御趣旨でありますが、これ(山中注:国葬儀)は行政措置といたしまして、従来ありましたような国民全体が喪に服するといったようなものはむしろつくるべきではないので、国民全体が納得するような姿において、ほんとうに国家に対して偉勲を立てた方々に対する国民全体の盛り上がるその気持ちをくみまして、そのときに行政措置として国葬儀を行なうということが私は適当ではないかと存じます。
(2) 床次徳二(とこなみとくじ)総理府総務長官は,昭和44年7月1日の参議院内閣委員会において以下の答弁をしています。
ただいま御引用になりました吉田元総理の葬儀につきましても、国葬儀として取り扱うということになって、儀という字が入っておる。国葬そのものではないところに、その当時いろいろ検討いたしました結果、ああいう取り扱いになったと承っておるのでありまして、御意見もありますが、しかしこの点は十分検討いたしたいと思います。
(3) 国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うことについて(令和4年7月14日付の内閣官房及び内閣府の文書)には以下の記載があります。
1 国葬令に基づく葬儀(戦前)
(1) 一般に国葬とは、国が国家の儀式として、国費で行う葬儀のことをいうこととされている(小学館日本大百科全書(村上重良) ) 。
大正15年に制定された国葬令(大正15年勅令第324号)においては、天皇、太皇太后、皇太后、皇后の大喪の儀、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、摂政たる親王、内親王、王、女王の葬儀のほか、国家に偉功ある者(皇族含む。)が莞去又は死去した場合における特旨による国葬が定められていた(特旨は勅害をもってし、内閣総理大臣が公告) 。
※ 岩倉具視、島津久光、伊藤博文、大山巌、山県有朋、松方正義、東郷平八郎、西園寺公望、山本五十六など、皇族8名・一般人12名について、特旨により国葬を実施。
(2) 国葬令第4条において、葬儀を行う当日は、「国民喪ヲ服ス」こととされており、これに基づき、官庁・学校は休みとなり、歌舞音曲は停止又は遠慮、全国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされていた。
(3) 国葬令は、法律を以て規定すべき事項を規定するものであったことから、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和22年法律第72号)第1条の規定によりご昭和22年末に失効した。
(4) 参議院議員田島麻衣子君提出故安倍晋三元総理の国葬儀に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
 過去、国葬として実施されたものについては、様々なものがあると承知しており、お尋ねの「国葬の定義」について一概にお答えすることは困難であるが、例えば、国葬令(大正十五年勅令第三百二十四号)の規定により国葬として行われた葬儀がある。同令で規定されていた大喪儀とは、皇室喪儀令(大正十五年皇室令第十一号)に規定され、国葬令の規定により国葬として行われた葬儀である。国葬儀とは、国の儀式として行う葬儀である。

 昭和22年12月31日に国葬令が失効したこと
(1) 瓜生順良宮内庁次長は,昭和38年3月29日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています(改行を追加しています。)。
 皇室典範の大喪の礼、これはどういうふうなやり方でなされるかということはきまっていないわけです。
 国葬令の大喪の礼と同じかといいますと、国葬令は現在は有効ではないと思うのであります。

 従って、その国葬令にありますやり方も参照して、もしそういう必要ができた場合には、十分新しく考えて、適当な方法で行なわれるということかと思います。
(2) 高辻正巳内閣法制次長は,昭和38年3月29日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を追加しています。)。
① ただいま御指摘の勅令三百二十四号、いわゆる国葬令でございますが、御承知の通りに、国葬令自身を廃止した法令というものはございません。
 ございませんが、実はもうすでに御承知だと思いますが、昭和二十二年法律第七十二号という法律がございまして、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以って規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする。」という立法がございます。
 その立法によりまして、法律事項を規定しておるものは現在効力はない。二十二年の十二月末日まではありましたけれども、その後はないということに相なっております。
② そこで、この国葬令が事実的に廃止されておりませんので、どうかという問題はございますが、この国葬令をながめて見ますと、「勅裁ヲ經テ之ヲ定ム」とか「特旨ニ依リ国葬ヲ賜フコトアルヘシ」とかいうような規定があります関係からいたしまして、ただいま瓜生次長が御指摘になりましたように、現在は効力がないというのが相当であろうと思います。

第6 大喪の礼
1 総論

(1)ア 「大喪の礼」は天皇又は上皇の国葬であり(皇室典範25条・天皇の退位等に関する皇室典範特例法3条3項),皇室の私的な儀式としての「大喪儀」とあわせて,「御大葬」といいます。
イ 明治憲法下では,皇室喪儀令1条ないし11条に基づく大喪儀(天皇,皇后,皇太后及び太皇太后が死亡した場合に行われる葬儀でした。)が国葬とされていました(国葬令1条)。
(2)ア 国の儀式として昭和天皇の大喪の礼を平成元年2月24日に新宿御苑で行うことについては,同年1月8日の官報特別号外で告示されました。
イ 昭和天皇の大喪の礼の場合,昭和天皇の大喪の礼の行われる日を休日とする法律(平成元年2月17日法律第4号)に基づき,大喪の礼が実施された平成元年2月24日は休日となりました。
2 大喪の礼と政教分離
(1) 小渕恵三内閣官房長官は,平成元年2月14日の参議院内閣委員会において以下の答弁をしています(ナンバリングを追加しています。)。
① 大喪の礼は、国の儀式として憲法の趣旨に沿い皇室の伝統等を尊重して行われ、葬場殿の儀は、皇室の行事として原則として皇室の伝統的方式に従い旧制を参酌して行われるので、両儀は法的に明確に区分されるわけでございます。
 しかし、いずれにいたしましても、両儀が一連の流れの中で厳粛のうちにスムーズに執行されることが望ましいと考えておりますので、政府といたしましては、この両儀が一連のものとして流れる姿の中で行いたい、このように考えておるところでございます。
② 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室の行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居は撤去すること、大真榊は撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます。
(2) 1期の味村治内閣法制局長官は,平成元年2月14日の参議院内閣委員会において以下の答弁をしています(ナンバリング及び改行を追加しています。)。
① 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます。
② 国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居を撤去し、大真榊は撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法二十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます。

③ その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室の行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございます。
 しかしながら、そこに総理が総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます現天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定の宗教を助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣が総理大臣としての資格で皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法二十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます。
(3) 法の番人として生きる 大森政輔 元内閣法制局長官回顧録157頁には以下の記載があります。
 片や葬場殿の儀(山中注:「そうじょうでんのぎ」)のほうには鳥居が立って、真榊(山中注:「まさかき」)が立っている。これは宗教施設そのものではないかということで、当時の法制局長官が大喪の礼の手続に入ってからは、葬場殿の前にある鳥居と真榊を撤去するよう主張しました。それでずいぶん官邸のほうと対立しまして、感情的なしこりが残ったようです。当時は味村長官ですが、味村さんもさすがに頑張って、「鳥居を立てて、真榊を立てると、その中は神域になる。だから宗教施設そのものだ。だからそれを含めた大喪の礼をやると宗教儀式そのものだ」と言ったのです。それは一理あるので、渋々官房副長官も撤去することに応じて、政教分離については問題がないような形で行われました。
3 大喪の礼における弔意表明
(1) 結城章夫文部科学省大臣官房長は,平成15年7月16日の衆議院内閣委員会において以下の答弁をしています。
 昭和天皇の大喪の礼当日の弔意奉表につきましては、平成元年二月十五日付の文部事務次官通知が出されております。これは、それに先立ちます二月十四日の閣議決定におきまして、学校などに対して、国と同様の方法により哀悼の意を表するよう協力方を要望することとされたことを踏まえまして、文部省管下の機関あるいは各都道府県の教育委員会等に通知を発出したものでございます。
(2) 大阪教育法研究会HPに「天皇陛下崩御に際しての弔意奉表について」(昭和64年1月7日付の文部事務次官通知)が載っています。


第7 皇太后の葬儀

1 貞明皇后の葬儀
(1) 昭和26年5月17日に崩御した貞明皇后(昭和天皇の母親であり,崩御当時は皇太后)の場合,GHQ占領下であったことから,国葬の有無を明確にしないまま,同年6月22日に大喪儀(国葬令1条参照)が行われました。
(2) 林修三法制局長官は,昭和37年2月26日の衆議院予算委員会第一分科会において以下の答弁をしています。
 現状のことで申しますれば、結局、国葬令というものは形式的には失効している。先ほどちょっとお答え申しました通りに、実は貞明皇后の御喪儀については、国葬令の考え方を踏襲して、同時にいわゆる行政府限りにおいて行ない得る範囲のこと、つまり予算措置等の裏づけがあればその範囲において、国葬令の内容と大体同じ考え方で貞明皇后の御喪儀については取り扱ったわけでございます。
2 香淳皇后の葬儀
・ 平成12年6月16日に崩御した香淳皇后(昭和天皇の皇后であり,崩御当時は皇太后)の場合,同年7月25日に斂葬の儀(れんそうのぎ)(大喪儀に相当するもの)が行われました。

第8 内閣・自由民主党合同葬
1 過去の実施例
(1) 内閣・自由民主党合同葬の実施例は以下のとおりです(対象者は元首相だけです。)。
・ 昭和55年 6月12日死亡の大平正芳(昭和55年7月9日実施)
・ 昭和62年 8月 7日死亡の岸信介(昭和62年9月17日実施)
・ 昭和63年11月14日死亡の三木武夫(昭和63年12月5日実施)
・ 平成 7年 7月 5日死亡の福田赳夫(平成7年9月6日実施)
・ 平成12年 5月14日死亡の小渕恵三(平成12年6月8日実施)
・ 平成16年 7月19日死亡の鈴木善幸(平成16年8月26日実施)
・ 平成18年 7月 1日死亡の橋本龍太郎(平成18年8月8日実施)
・ 平成19年 6月28日死亡の宮澤喜一(平成19年8月28日実施)
・ 令和 元年11月29日死亡の中曽根康弘(令和2年10月17日実施)
(2) 以下の元首相については内閣・自由民主党合同葬は実施されませんでした。
・ 平成 5年12月16日死亡の田中角栄
・ 平成10年 5月19日死亡の宇野宗佑
・ 平成12年 6月19日死亡の竹下登
・ 平成29年 8月28日死亡の羽田孜
・ 令和 4年 1月 9日死亡の海部俊樹
(3) 衆議院議員山岸一生君提出国葬儀に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には「御指摘の「『故岸信介』内閣・自由民主党合同葬儀記録」において、御指摘のような記載(山中注:「昭和六十三年三月三十日内閣総理大臣官房発行「『故岸信介』内閣・自由民主党合同葬儀記録」によると、政府は、これに先立つ佐藤元首相の国民葬について、長期政権、沖縄返還などの実績、ノーベル平和賞受賞の三点を挙げて、岸・佐藤両氏の葬儀形式の違いを説明している」という記載)があることは承知していたが、元内閣総理大臣の葬儀の在り方については、これまでも、その時々の内閣において、様々な事情を総合的に勘案し、その都度ふさわしい形を判断してきた」と書いてあります。
2 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀
(1) 最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾を受賞した首相経験者(いずれも没後叙勲です。)は吉田茂,佐藤栄作,中曽根康弘及び安倍晋三でありますところ,佐藤栄作については昭和50年6月16日に国民葬が実施され,中曽根康弘については令和2年10月17日に内閣・自由民主党合同葬が実施されました。
(2) 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀は当初,令和2年3月15日にグランドプリンスホテル新高輪国際館パミールで実施される予定でした(「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の執行について(令和2年1月10日付の内閣総理大臣通知)参照)が,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により同年10月17日に延期されました(「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の執行の延期について(令和2年3月4日付の内閣総理大臣通知)参照)。
(3)ア グランドプリンスホテル新高輪国際館パミールで令和2年10月17日に実施された「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀への裁判所からの出席者は,最高裁判所長官,認証官(15人以内)及び事務総長,並びに元最高裁判所長官だけとなりました(「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀参列者推薦範囲の変更について(令和2年9月10日付の内閣府大臣官房人事課長の文書)参照)。
イ 裁判所の認証官は最高裁判所判事14人及び高裁長官8人の合計22人です。
(4)ア 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の当日における弔意表明について (令和2年10月2日付の閣議了解)の本文は以下のとおりです。
 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の当日 (10月17日)には、哀悼の意を表するため、次のとおり措置するものとする。
1 各府省においては、弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の一定時刻(午後2時10分)に黙とうすること。
2 各府省は、前項と同様の方法により、哀悼の意を表するよう、各公署に対し協力方を要望すること。
イ 弔意表明のレベルとしては,故佐藤榮作国民葬儀当日におけるものと同じでした。
(5) FNNプライムオンラインの「次世代へ受け継がれる中曽根家と皇室の縁…宮内庁記者が見た中曽根康弘元首相の合同葬」(2020年10月21日付)には「今回、合同葬に参列された皇族は、秋篠宮ご夫妻、秋篠宮家の長女・眞子さま、次女・佳子さま、常陸宮さま、寬仁親王妃信子さま、高円宮妃久子さま、高円宮家の長女・承子さまの8方です。慣例により、天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻は出席せず、お使いを差し向けられています。」と書いてあります。
(6)ア 首相官邸HPに「「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀」が載っています。
イ 「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀(令和2年10月17日実施)に関して最高裁判所が作成し,又は取得した文書を掲載しています。
(7) 国の儀式として行う総理大臣経験者の国葬儀を閣議決定で行うことについて(令和4年7月14日付の内閣官房及び内閣府の文書)には以下の記載があります。
2 戦後における内閣総理大臣経験者の葬儀
(1) 戦後の内閣総理大臣経験者の葬儀に関する内閣(国)の関与については、当該者の功績、大方の国民の心情や御遺族のお気持ち等々を総合的に勘案して、個々のケース毎に相応しい方法がとられている。
(2) 具体的には、内閣(国)が関与した葬儀の形式としては、
①国の儀式として行う国葬儀
②内閣の行う儀式として行う内閣葬
がある。
(3)その執行者について、過去の実施実績を見ると、国葬儀は国が単独の執行者となっているのに対し、内閣葬については、内閣に加えて、自由民主党、衆議院等と合同で行われている。費用負担については、自由民主党と合同で行われる場合(内閣葬)には、自由民主党と概ね折半している。
※ なお、御遺族が公費での葬儀を固く辞退され、葬儀の実施に内閣(国)が関与しなかったこともある(海部元総理)。
(8) 参議院議員浜田聡君提出国葬、国葬儀、合同葬儀の違い等に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
① 故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀は、内閣府設置法第四条第三項第三十三号に規定する内閣の行う儀式として行われた葬儀である。
② お尋ねの「前回合同葬儀において、秋篠宮皇嗣同妃両殿下は公的行為を行った」の意味するところが必ずしも明らかではないが、秋篠宮皇嗣同妃両殿下は、故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀に参列されたところであり、当該御参列は、故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀委員長である内閣総理大臣安倍晋三(当時)から参列の願い出を受け、公的な立場で行われたものであり、公的行為に該当するものと考えている。


第9 戦後,内閣が関与して行われた元内閣総理大臣の葬儀に要した費用
・ 参議院議員辻元清美君提出安倍晋三元総理の国葬儀等についての基準に関する質問に対する答弁書(令和4年8月15日付)には以下の記載があります。
 戦後、内閣が関与して行われた元内閣総理大臣の葬儀に要した費用について、①予算額に占める国費の割合及び②執行額をお示しすると、それぞれ次のとおりである。
 吉田茂元内閣総理大臣 ①十割 ②約千八百四万円
 佐藤榮作元内閣総理大臣 ①約五割 ②約千九百九十六万円
 大平正芳元内閣総理大臣 ①約五割 ②約三千六百四十三万円
 岸信介元内閣総理大臣 ①約五割 ②約四千五百十万円
 三木武夫元内閣総理大臣 ①十割 ②約一億千八百七十一万円
 福田赳夫元内閣総理大臣 ①約五割 ②約七千三百三十四万円
 小渕恵三元内閣総理大臣 ①約五割 ②約七千五百五十五万円
 鈴木善幸元内閣総理大臣 ①約五割 ②約五千四百四十九万円
 橋本龍太郎元内閣総理大臣 ①約五割 ②約七千七百三万円
 宮澤喜一元内閣総理大臣 ①約五割 ②約七千五百八十五万円
 中曽根康弘元内閣総理大臣 ①約五割 ②約八千二百九十五万円

第10 関連記事その他

1 日本武道館(にっぽんぶどうかん)は,昭和39年の東京オリンピックの柔道競技会場として建設され,同年10月3日に開館しました。
2 Trend Laboに「【国葬された日本人一覧】費用(国費・税金)はいくら?休みになる?」が載っています。
3 首相官邸HPに「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等」が載っています。
4 令和4年10月3日に国会に提出された国葬儀法案(第210回国会衆法第2号)2条(国葬儀の実施)は以下のとおりです。
① 多年にわたり国政において重要な地位を占め、国家としての存立に関わる国難を乗り越えて我が国の主権と独立を守り、その発展の基礎を築く等の特別の功労のあった者が死亡したときに限り、内閣は、その者について、国葬儀を行うことができる。
② 内閣は、国葬儀を行おうとするときは、あらかじめ、その国葬儀に係る者が前項に規定する特別の功労のあった者に該当すると判断した理由及びその国葬儀に要する費用の見込みその他その行おうとする国葬儀の概要を明らかにして、国会の承認を得なければならない。
5 以下の記事も参照してください。
・ 故安倍晋三国葬儀
・ 平成の代替わりに伴う大嘗祭等に関する裁判例
・ 最高裁判所裁判官及び事務総局の各局課長は襲撃の対象となるおそれが高いこと等
・ 叙位の対象となった裁判官(平成31年1月以降の分)
・ 裁判官の死亡退官
・ 裁判所関係者及び弁護士に対する叙勲の相場
 勲章受章者名簿(裁判官,簡裁判事,一般職,弁護士及び調停委員)


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