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国会・内閣・選挙

安倍元首相銃撃事件の救命措置,死因及び弾道(AI作成)

目次

第1 銃撃から死亡確認までの経過

1 2回の発砲
2 現場での胸骨圧迫及びAED装着
3 医師への引継ぎ及び病院での治療

第2 第一審判決が認定した弾道と死因

1 1発目と2発目
2 2個の弾丸の経路

(1) 左上腕部から侵入した弾丸
(2) 右前頸部から侵入した弾丸

3 死因
4 第一審判決の位置付け

第3 心停止,胸骨圧迫及びAED

1 市民が心停止を疑った場合の行動
2 AEDが電気ショックを行う場合
3 消防庁統計を本件へ単純適用できないこと

第4 外傷性心停止と出血制御

(続きを読む...)安倍元首相銃撃事件の救命措置,死因及び弾道(AI作成)

参議院の議員会館等に関する文書

1 参議院議員会館案内を以下のとおり掲載しています。
・ 参議院議員会館案内(令和元年版)→議員会館サービスセンターの文書
→ 参議院事務局情報公開審査会の答申(令和3年度答申第3号)に基づき,参議院議員のしおりは全部開示されるようになっています。
・ 参議院議員会館案内(令和7年版)→議員会館監理室及び議員会館サービスセンターの文書

2 参議院議員のしおりを以下のとおり掲載しています。
・ 参議院議員のしおり(令和4年版。参議院事務局作成のもの)
・ 参議院議員のしおり(令和7年版。参議院事務局作成のもの)

在外財産補償問題(AIリライト)

目次

第1 在外財産補償問題の全体像

1 結論と法的枠組み

(1) 在外財産の損失について一般的な個別補償請求権は認められていないこと
(2) 4つの問題を区別する必要があること
(3) 国内措置は損失額の填補ではなく政策的給付として実施されたこと

2 用語と対象範囲

(1) 本稿における「在外財産」
(2) 「引揚者」と「在外財産所有者」は一致しないこと
(3) 現在の国外財産を意味する用法との区別

3 現在も確認すべき実務上の問題

(1) 税関に預けられた通貨・証券等の返還
(2) 相続人による照会

第2 平和条約等による在外財産・請求権の処理

1 サンフランシスコ平和条約の構造

(続きを読む...)在外財産補償問題(AIリライト)

衆議院の議員会館等に関する文書

1 衆議院の議員会館に関する文書を以下のとおり掲載しています。
・ 解散後の議員会館の使用について(令和8年1月23日付の衆議院事務局管理部管理課の文書)
・ 解散後の議員会館の使用について(令和6年10月9日付の衆議院事務局管理部議員会館課の文書)
・ 解散後の議員会館の使用について(令和3年10月14日付の衆議院事務局管理部議員会館課の文書)
・ 解散後の議員会館の使用に関するQ&A(令和3年10月の衆議院事務局管理部議員会館課の文書)
・ 衆議院議員会館案内(令和3年11月の,衆議院事務局管理部議員会館課サービスセンターの文書)

・ 衆議院議員会館案内(令和8年2月の衆議院事務局管理部議員会館課サービスセンターの文書)

2 衆議院議員向けの説明文書を以下のとおり掲載しています。
・ 衆議院ガイドブック(令和3年版)(令和4年11月22日更新)
→ 衆議院HPの「○会議録等刊行物の閲覧及び購入」には「衆議院ガイドブック(議院の機構、機能を初め各種手続等にわたる全般的な事項をとりまとめたもの)」と書いてあります。また,なぜか表紙及び目次がない文書となっています。
・ 衆議院議員向けの説明文書(令和8年6月の開示文書)

暗殺された日本の首相・元首相7人と米国の現職大統領4人(AI作成)

目次

第1 「日本の7人」の数え方と一覧第2 暗殺された日本の首相・元首相7人1 伊藤博文2 原敬3 濱口雄幸(浜口雄幸)4 犬養毅5 高橋是清6 斎藤実7 安倍晋三第3 暗殺された米国の現職大統領4人(一覧)第4 関連する日本の政治家襲撃事件1 日本国憲法施行後,在職中に殺害された国会議員2 伊藤一長長崎市長射殺事件3 殺害に至らなかった主な首相・元首相襲撃第5 暗殺事件を処理した裁判手続と,事件が動かした法制度1 戦前の2事件は軍法会議で裁かれた2 日本には政治的暗殺を特別に処罰する規定がない3 安倍晋三事件と警護要則の全部改正4 安倍晋三事件と銃刀法の改正5 国葬儀の法令上の根拠6 米国では大統領の殺害を処罰する連邦法が1965年に新設された第6 出典1 日本の首相・元首相に関する公的資料2 裁判例及び手続資料3 法令・国会資料4 米国政府の公的資料及び医学文献第1 「日本の7人」の数え方と一覧

日本の首相経験者のうち,暗殺又は在任中の襲撃後に死亡した人物として一般に挙げられるのは,伊藤博文,原敬,濱口雄幸,犬養毅,高橋是清,斎藤実及び安倍晋三の7人である。

もっとも,7人は事件当時の地位と死亡までの経過が同じではない。

首相在任中に殺害されたのは原敬と犬養毅であり,濱口雄幸は首相在任中に狙撃された後に辞任し,事件から約9か月後に死亡した。

伊藤博文,高橋是清,斎藤実及び安倍晋三は,首相退任後に殺害された。

本記事では,この違いを明示した上で,日本の7人について公的資料に基づいて整理し,あわせて,各事件がどのような裁判手続で処理され,どのような法制度の改正につながったのかを整理する。

暗殺された米国の現職大統領4人については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で詳しく扱っており,本記事では一覧と,日本との制度上の比較にとどめる。

安倍晋三事件の判決内容及び警護検証については,安倍晋三元首相暗殺事件に関する資料にも掲載している。

「暗殺」は,一般に政治的目的を含む殺害を指すが,歴史上の一覧では,襲撃時と死亡時の間隔,犯人の動機及び法的因果関係の扱いが資料によって異なる。

特に濱口雄幸は,1930年11月14日の狙撃直後には死亡せず,1931年4月14日に首相を辞任し,同年8月26日に死亡したため,他の6人とは区別して読む必要がある。

もっとも,国立国会図書館が狙撃,その後の健康悪化,辞職及び死亡を連続して記載していることを踏まえ,歴史上の通例に従って濱口を含む7人とする。

なお,凶器も一様ではなく,原敬は刃物により,その他の6人は銃器により襲撃されている。

人物襲撃時の地位襲撃日場所死亡までの経過伊藤博文首相退任後・枢密院議長1909年10月26日ハルビン駅銃撃後まもなく死亡原敬現職首相1921年11月4日東京駅襲撃により死亡濱口雄幸(浜口雄幸)現職首相1930年11月14日東京駅重傷後に辞任し,1931年8月26日死亡犬養毅現職首相1932年5月15日首相官邸同日死亡高橋是清首相退任後・大蔵大臣1936年2月26日東京の私邸二・二六事件で死亡斎藤実首相退任後・内大臣1936年2月26日東京四谷の私邸二・二六事件で死亡安倍晋三首相退任後・衆議院議員2022年7月8日奈良市の近鉄大和西大寺駅付近同日午後5時3分頃死亡第2 暗殺された日本の首相・元首相7人1 伊藤博文

国立国会図書館「伊藤博文」によれば,初代内閣総理大臣を含めて4度首相を務めた伊藤博文は,1909年10月26日,ハルビン駅頭で安重根(アン・ジュングン)により暗殺された。

安重根らに対する判決文は,事件当時の伊藤の地位を枢密院議長とし,同日午前9時過ぎ,ロシア東清鉄道ハルビン停車場内において,安重根が拳銃を連射し,そのうち3発が伊藤に命中して死亡させたと認定している。

同判決は,随行員のうち総領事川上俊彦,宮内大臣秘書官森泰二郎及び南満州鉄道株式会社理事田中清次郎にも各1発が命中して銃創を負わせたが,この3名については目的を遂げなかったと認定しており,殺人1個と殺人未遂3個の合計4個の殺人罪の併合として処断している。

すなわち,同判決は,伊藤に対する殺人につき日本刑法第199条を適用して安重根を死刑に処し,死刑を科す以上,同法第46条第1項により残る3個の殺人未遂罪については刑を科さないとした。

また,同判決は,犯行を幇助した禹徳淳を懲役3年に,曹道先及び劉東夏を各懲役1年6月に処している。

この判決を言い渡したのは,日本の裁判所である関東都督府地方法院であり,判決日は1910年(明治43年)2月14日である。

同判決は,管轄権について,犯罪地及び逮捕地が清国の領土でありながらロシアの東清鉄道附属地であるという事情を踏まえ,ロシア官憲が被告人らを韓国籍と認めてロシアでは裁判に付さないと決定したこと,1905年11月17日の日韓協約第1条及び1898年9月11日の韓清通商条約第5款により,ハルビンの日本領事館が1909年法律第70号(領事官の職務に関する法律)に基づき審判権を有すること,1908年法律第52号第3条により外務大臣が同年10月27日に同法院へ裁判を移す旨命じたことを順次説示して,自らの管轄権を基礎付けている。

準拠法についても争いがあり,弁護人は,日韓協約第1条による保護は韓国政府の委任によるものであるから韓国政府が発布した刑法を適用すべきであると主張したが,同判決は,同条の趣旨は日本政府がその国民に対して有する公権作用の下に韓国国民をも保護することにあるとして,日本刑法を適用すべきものと判定した。

量刑については,同判決は,安重根の決意が私憤によるものでないとしても,深謀熟慮から出たものであり,厳重な警護を犯して著名人が集合した場所で敢行されたものであるとして,極刑を科すのが至当であるとした。

人名の読みは,国立国会図書館典拠データに従い「アン・ジュングン」とした。

なお,安重根の生年については,同典拠データが1878年とするのに対し,国立公文書館「明治宰相列伝:伊藤博文」は1879年としており,公的資料の間で記載が分かれている。

2 原敬

現職首相であった原敬は,1921年11月4日午後7時25分,東京駅で中岡艮一に襲撃され,死亡した。

国立国会図書館が公開する阪谷芳郎の日記(大正10年11月4日条「原敬暗殺事件報」)と解説は,時刻,場所,犯人名のほか,中岡艮一が当時19歳の東京・大塚駅のポイント作業員であったこと,及び事件の目的地が京都の立憲政友会近畿大会であったことを記している。

国立国会図書館「原敬」は,原内閣を初の本格的政党内閣と位置付けている。

中岡艮一に対する裁判の内容を記載した公的資料は,本記事の調査範囲では確認できなかった。

3 濱口雄幸(浜口雄幸)

現職首相であった濱口雄幸は,1930年11月14日午前8時57分,東京駅のプラットホームで佐郷屋留雄からモーゼル式拳銃で狙撃され,下腹部に重傷を負った。

時刻,使用された拳銃及び負傷部位は,国立国会図書館が公開する濱口の日記で確認できる。

もっとも,同館の解説は,濱口が当日に重傷を負っていることから,この日記は後日つづられたものと思われるとしており,同時性のある記録ではない点に留意を要する。

同解説は,濱口が岡山での陸軍大演習視察に出かけようとした際の事件であったことも記している。

国立国会図書館「浜口雄幸襲撃事件」によれば,狙撃は統帥権干犯に憤った佐郷屋留雄によるものであり,濱口は一命を取り留めたものの,病身を押して議会に出席した以後健康状態が悪化し,1931年4月14日に首相を辞職した後,同年8月26日に62歳で死亡した。

したがって,濱口は,現職首相時の襲撃直後に死亡した原敬及び犬養毅と同列には扱えず,本記事の「7人」の中でも注記を要する事例である。

4 犬養毅

現職首相であった犬養毅は,1932年5月15日,首相官邸を襲撃した海軍青年将校らに射殺された。

国立国会図書館「5.15事件」及び国立公文書館「犬養毅首相が海軍青年将校に射殺される」は,この事件を政党内閣の終焉につながる出来事として説明している。

国立公文書館は,海軍の青年将校らが首相官邸,警視庁などを襲撃したこと,及び翌日に高橋是清大蔵大臣が臨時に内閣総理大臣を兼任することとなり,その裁可書が現存することを記している。

すなわち,犬養毅の後を臨時に継いだ高橋是清自身が,その4年後に二・二六事件で殺害されることになる。

襲撃隊の構成及び弾丸数には資料間の表現差があるため,本記事では,公的資料が共通して示す「海軍青年将校らによる官邸襲撃と射殺」の範囲に記述を限定した。

5 高橋是清

首相経験者で,当時は岡田内閣の大蔵大臣であった高橋是清は,1936年2月26日未明,二・二六事件の反乱部隊に私邸を襲撃され,殺害された。

国立国会図書館「2.26事件」は,急進的な陸軍青年将校が所属部隊から約1400人の兵を率いて首相官邸等を襲撃し,内大臣斎藤実,蔵相高橋是清及び陸軍教育総監渡辺錠太郎らを殺害したと記している。

国立公文書館「二・二六事件」も同旨を記した上で,鈴木貫太郎侍従長が重傷を負ったこと,27日に東京市に戒厳令が施行され,29日に青年将校らが反乱軍として鎮圧されたことを記している。

同館が掲載する資料は,27日の戒厳令施行に関する閣議書(緊急勅令「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用ス」)であり,内閣総理大臣の決裁欄には臨時代理の後藤文夫内相の花押があり,殺害された高橋蔵相の決裁欄が空欄になっていることが指摘されている。

国立国会図書館「高橋是清」は,高橋が軍事費抑制方針を示して軍部と対立し,二・二六事件で暗殺されたと説明している。

6 斎藤実

首相経験者で,当時は内大臣であった斎藤実は,1936年2月26日午前5時頃,東京四谷の私邸を襲撃され,殺害された。

奥州市公式サイトの斎藤實記念館による事件概要は,坂井中尉率いる210名が私邸を襲撃したこと,斎藤が全身に40数発の銃弾を受けて即死したこと,及び斎藤をかばおうと抵抗した夫人も銃で撃たれて重傷を負ったことを説明している。

同記念館が公開する「弾丸貫通の鏡」は,斎藤が47発の銃弾を受けたと記載している。

公的資料で確認できる多数の創傷は銃弾によるものであり,刀傷の数を示す公的資料は確認できない。

なお,同記念館の事件概要は,陸軍皇道派青年将校20名が兵約1500名を率いたとしており,前記の国立国会図書館の「約1400人」とは兵員数の記載が一致しない。

また,同概要及び国立国会図書館が公開する大木操の日記によれば,岡田啓介首相は義弟で秘書官の松尾伝蔵が身代わりとなって難を逃れ,鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負って生存した。

鈴木貫太郎は,この襲撃を生き延びた後,1945年に内閣総理大臣に就任している。

7 安倍晋三

首相経験者で,当時は衆議院議員であった安倍晋三は,2022年7月8日午前11時31分頃,奈良市の近鉄大和西大寺駅付近で参議院議員選挙の応援演説中に,手製の2銃身パイプ銃で背後から2回発射された。

奈良地方裁判所令和8年1月21日判決(令和5年(わ)第7号,同第154号)は,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反及び建造物損壊の各事実を認定し,被告人を無期懲役に処し,未決勾留日数中800日をその刑に算入し,パイプ銃7丁及び黒色火薬20点を没収した。

検察官の求刑は無期懲役であった。

同判決によれば,1射目は約6.9メートル,2射目は約5.3メートルの距離から発射され,各散弾には金属性弾丸6個が装填されていた。

1射目の弾丸6発はいずれも命中せず,2射目の弾丸のうち2発が体内に侵入し,そのうち1発が左上腕部から左大胸筋を貫いて左右鎖骨下動脈を損傷し,安倍が同日午後5時3分頃,左上腕部射創による左右鎖骨下動脈損傷に基づく失血により死亡したと認定されている。

もう1発は右前頚部から侵入して右上腕骨を骨折させている。

同判決は,死亡確認が銃撃から約5時間30分後であるものの,搬送先の病院での処置の状況等に鑑みると,銃撃直後には非常に重篤でほぼ即死に近いような状態に至っていたことがうかがわれるとしている。

本件の法律上の争点は,手製銃の分類であった。

すなわち,同判決は,銃刀法における「拳銃」及び武器等製造法における「けん銃」を「肩付けせず,片手で保持して照準を合わせ,金属性弾丸を発射することができるような装薬銃で,本来,人の殺傷を目的としているもの」と解した上で,手製3銃身パイプ銃がこれに該当すると認定した。

また,同判決は,銃刀法及び武器等製造法における「砲」を,金属性弾丸を発射する機能を有する武器としての装薬銃砲のうち口径20ミリメートル以上のものとの要素を満たせば足りると解し,口径20ミリメートル以上の破壊力を有する砲弾を発射する構造まで必要とする弁護人の主張を排斥して,殺害に用いられた手製2銃身パイプ銃を含む各手製銃が「砲」及び「小口径砲」に該当すると認定した。

さらに,同判決は,拳銃等の加重所持罪は発射罪に吸収されず,両罪が成立して併合罪を構成するとした。

量刑については,同判決は,被告人の生い立ちが人格形成や思考傾向に一定の影響を与え,本件各犯行の背景や遠因となったこと自体は否定できないとしつつ,被告人は犯行着手時に既に40代を迎えた自立した生活を送る社会人であり,「人を殺してはならない」という社会規範に立ち戻る機会を何度も与えられながらこれを無視したこと,最終的な標的の選択も自身の都合を優先させた短絡的で自己中心的な意思決定にほかならないことを指摘して,生い立ちの大きな影響は認められないとした。

被告人側は2026年2月4日に控訴しており,控訴を報じたテレ朝NEWSの記事によれば,弁護側は量刑不当のほか,判決が手製銃を銃刀法の「拳銃」や「砲」と認定したことに不服を申し立てるものとみられ,大阪高等裁判所で審理されることとなる。

第3 暗殺された米国の現職大統領4人(一覧)

米国では,現職大統領として暗殺された人物は,エイブラハム・リンカーン,ジェームズ・A・ガーフィールド,ウィリアム・マッキンリー及びジョン・F・ケネディの4人である。

このうちガーフィールドとマッキンリーは,銃撃直後に死亡したのではなく,それぞれ80日間及び8日間の治療期間を経て死亡している点で,日本の濱口雄幸と同じ類型に属する。

大統領銃撃日死亡日場所実行者又は公式調査上の人物エイブラハム・リンカーン1865年4月14日1865年4月15日ワシントンのフォード劇場ジョン・ウィルクス・ブースジェームズ・A・ガーフィールド1881年7月2日1881年9月19日ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック鉄道駅チャールズ・ギトーウィリアム・マッキンリー1901年9月6日1901年9月14日ニューヨーク州バファローのパンアメリカン博覧会レオン・チョルゴッシュジョン・F・ケネディ1963年11月22日1963年11月22日テキサス州ダラスウォーレン委員会報告上はリー・ハーヴェイ・オズワルド

各事件の経過,共同謀議の有無,実行者及び共犯者がどのような裁判手続で裁かれたか,並びに各事件が生んだ法制度(軍事委員会とEx parte Milligan,ペンドルトン公務員制度改革法,シークレットサービスによる大統領警護の始まり,合衆国法典第18編第1751条の新設及びJFK暗殺記録収集法)については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人――事件を裁いた手続と,事件が動かした法制度で扱っている。

第4 関連する日本の政治家襲撃事件1 日本国憲法施行後,在職中に殺害された国会議員

日本国憲法施行後,在職中に殺害された衆議院議員として,本記事で国会記録,裁判所資料及び報道により確認できたのは,次の5人である。

政府が作成した網羅的な公式一覧は確認できないため,ここでいう「5人」は,本記事の調査範囲で確認した人数である。

もっとも,1990年12月18日の衆議院本会議における丹羽兵助議員に対する追悼演説が「国会議員の殺傷事件は,去る昭和三十五年十月十二日の日本社会党中央執行委員長浅沼稲次郎氏以来であります」と述べていることは,浅沼事件から丹羽事件までの間に同種事件がなかったことを示す国会の公的な認識として参照できる。

氏名死亡日当時の地位事件の概要主な公的記録浅沼稲次郎1960年10月12日衆議院議員・日本社会党委員長日比谷公会堂での演説のさなかに刺されて死亡池田勇人総理の追悼演説(第36回国会衆議院本会議録第2号)丹羽兵助1990年11月2日衆議院議員10月21日に陸上自衛隊守山駐屯地での式典に出席する途上で刃物を持った男に襲われ,13日目に死亡衆議院本会議の追悼演説山村新治郎1992年4月12日衆議院議員訪朝団団長として平壌に赴く前日に死亡(追悼演説は死亡の事実のみを述べ,事件の内容には触れていない)衆議院本会議の追悼演説石井紘基2002年10月25日衆議院議員自宅前で車に乗り込む際に刃物を持った男に襲われ死亡衆議院本会議の追悼演説安倍晋三2022年7月8日衆議院議員・首相経験者選挙応援演説中に銃撃されて死亡奈良地裁判決

この一覧は,選挙運動中又は政治活動中の事件だけでなく,私人間の事情による殺害も含むため,「政治的暗殺の一覧」と同義ではない。

特に山村新治郎については,追悼演説が死亡の事実を述べるにとどまり,死亡の原因や事件の内容に一切触れていないため,本記事では公的記録に現れた範囲を超えて記述していない。

2 伊藤一長長崎市長射殺事件

長崎市長であった伊藤一長は,2007年4月17日,市長選挙の運動期間中に,長崎市内の選挙事務所前歩道上で背後から拳銃で2発撃たれ,翌18日に死亡した。

最高裁判所第三小法廷平成24年1月16日決定(平成21年(あ)第1877号,集刑307号81頁)は,暴力団の幹部である被告人が,長崎市に対する不当な要求を繰り返していたところ,同市が市長である被害者の方針で暴力団からの不当要求等に屈しない姿勢をとっていたことから被害者を逆恨みし,被害者が次期市長選挙に立候補することを知ると,同人を殺害して当選を阻止することで恨みを晴らすとともに,自らの力を誇示しようと考えて犯行に及んだと認定し,これを「行政対象暴力の極み」と評価している。

成立した罪は,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公職選挙法違反である。

本件の量刑の経過は,記憶されてよい。

第1審は被告人を死刑に処したが,原審である福岡高等裁判所平成21年9月29日判決は,第1審判決を破棄して被告人を無期懲役に処した。

同決定は,検察官及び被告人双方の上告をいずれも棄却した上で,職権により,殺害された者が1名であること,犯行の動機,目的自体に利欲目的がなかったこと,何らかの政治的信条に基づきその主義主張を実現する手段として犯行に及んだものではなく,主要な動機は被害者に対する恨みであって選挙妨害そのものを目的としたものではないことなどを指摘した原判決の判断は首肯し得ないではないとして,死刑を選択しなかった原判決が刑の量定において甚だしく不当であるとはいえないとした。

したがって,同事件は,選挙妨害の結果を伴いつつも,政治的暗殺と直ちに分類するのは適切でない。

3 殺害に至らなかった主な首相・元首相襲撃

首相又は首相経験者に対する襲撃は,上記7人以外にも発生している。

次の表は,公的資料で確認できる主な事例であり,未遂事件の完全な一覧ではない。

年月日対象者概要資料1936年2月26日岡田啓介首相二・二六事件で首相官邸を襲撃されたが,義弟で秘書官の松尾伝蔵が身代わりとなって生存国立国会図書館「大木操の日記」1936年2月26日鈴木貫太郎侍従長二・二六事件で瀕死の重傷を負ったが生存し,1945年に首相に就任国立公文書館「二・二六事件」1960年7月14日岸信介首相首相官邸中庭での自民党総裁交代の記念パーティーを中座して邸内に戻る際,後方から暴漢に刺された日本記者クラブの回顧資料1975年6月16日三木武夫首相日本武道館で執行された故佐藤榮作元総理の国民葬儀で,午後1時53分頃,遺骨を出迎えるため正面玄関付近に立っていたところ,男に顔面を殴打され転倒。男は「自殺勧告状」とダイバーナイフを持っていた警察庁昭和51年警察白書,参議院質問主意書1994年5月細川護熙前首相「細川前首相直近におけるけん銃発砲事件」として右翼によるテロ・ゲリラ事件に計上された(同人の負傷は記載されていない)警察庁平成7年警察白書2023年4月15日岸田文雄首相衆議院和歌山1区補欠選挙の候補者が主催する街頭演説会に応援演説で訪れていたところ,付近に爆発物を投げ込まれた。岸田本人は負傷しなかったが,聴衆エリアにいた2名が負傷した警察庁検証報告書,和歌山地裁判決

岸田首相襲撃事件について,和歌山地方裁判所令和7年2月19日判決(令和5年(わ)第285号)は,火薬類の製造,爆発物の製造・使用・所持,選挙の自由妨害及び殺人未遂並びに包丁の携帯の各事実を認定し,被告人を懲役10年に処した(求刑は懲役15年)。

同判決は,殺人未遂の被害者を,当時の内閣総理大臣であった岸田文雄のほか,補欠選挙の立候補者,聴衆エリア内にいた当時70歳の男性及び当時33歳の男性の合計4名として認定し,このうち2名が加療約1週間及び全治約2週間の傷害を負ったと認定している。

争点は,爆発物の製造,使用及び所持についての身体加害目的と,殺人未遂についての殺意の有無であり,同判決はいずれも肯定した。

被告人の動機は,被選挙権の資格要件等が不当であるとして提起した国家賠償請求訴訟の経過をソーシャルネットワーキングサービスで発信したものの反響がなかったことから,世間の注目を集める手段として要人を狙ったというものであった。

大阪高等裁判所令和7年9月25日判決(令和7年(う)第410号)は,控訴を棄却した。

控訴審では,火薬類取締法,爆発物取締罰則及び銃砲刀剣類所持等取締法が憲法第29条第1項に,公職選挙法の被選挙権年齢の定めが憲法第43条第1項及び第44条ただし書に,殺意の有無を審理することが憲法第19条にそれぞれ違反するという主張がされたが,同判決はいずれも排斥した。

同判決は,被告人が投げた爆発物が岸田から約1メートルの地点に落ちたこと,その周囲に14名,演説会場に少なくとも一般聴衆181名がいたこと,爆発物は投げ込みから約52秒後に爆発したこと,パイプニップル(長さ約15センチメートル,重さ330.4グラム)が39.73メートル離れた倉庫の壁面に当たり,鋳鉄製キャップの金属片(重さ75.6グラム)が60.55メートル離れたコンテナ壁面に刺さっていたことなどを認定している。

また,同判決は,爆発物の落下直後に岸田が退避したのは警護官のとっさの判断と行動の結果であったと認定している。

テレ朝NEWSの2026年3月30日付記事によれば,最高裁判所は同月27日付けで被告人の上告を棄却し,懲役10年が確定することとなった。

もっとも,同記事は法廷名を報じておらず,同日付の当該決定は裁判所ウェブサイトの裁判例検索にも掲載されていない。

なお,本事案についても警察庁が検証を行っており,警察庁「令和5年4月15日に和歌山市内において実施された内閣総理大臣警護に係る警護上の課題と更なる警護の強化のための取組について」(令和5年6月)は,投擲された爆発物が警護対象者である内閣総理大臣の直近に落下したが,警護員の的確な任務遂行によりその身辺の安全は確保されたとする一方,「令和4年に制定された新警護要則の下,警護の在り方を根本的に見直してその関与を強化していたにもかかわらず,わずか1年以内に本事案が発生した」と述べている。

同報告書は負傷者を民間人1名としているが,これは刑事責任の認定とは範囲が異なり,前記の和歌山地裁判決は民間人1名のほかに警備に当たっていた警察官1名の傷害も認定している。

第5 暗殺事件を処理した裁判手続と,事件が動かした法制度1 戦前の2事件は軍法会議で裁かれた

五・一五事件及び二・二六事件の被告人がどこで裁かれたかについては,政府の国会答弁がある。

1978年4月25日の衆議院法務委員会において,伊藤榮樹法務省刑事局長は,「当時,五・一五事件あるいは二・二六事件の被告人はほとんど軍法会議で裁かれ,一部一般の裁判所で裁かれておりますけれども,おおむね禁錮刑をもって処せられておるようでございます」と述べ,さらに「五・一五,二・二六の被告人の処断罪名は内乱罪ではなくて軍刑法の反逆罪でございますとか,あるいは民間人につきまして一部殺人,爆発物取締罰則等で裁かれておる」と答弁している。

すなわち,現職首相及び首相経験者3人を殺害した2つの事件は,通常の刑事裁判所ではなく,主として軍法会議が処理した。

その手続の性質について,前記の奥州市斎藤實記念館の事件概要は,二・二六事件の首謀者が「戒厳状態が続く中で弁護人なしの特設軍法会議の裁判によって死刑判決を受け,処刑されました」と説明している。

弁護人が付かない一審制の特設軍法会議という手続は,被告人の防御権という観点から見れば,現在の刑事訴訟法の下では想定し得ないものである。

なお,これらの軍法会議の記録については,2017年12月1日の衆議院法務委員会において,上川陽子法務大臣が,谷垣法務大臣の時代に国立公文書館へ移管することが決断され,移管作業が行われている旨を答弁している。

2 日本には政治的暗殺を特別に処罰する規定がない

日本の現行法には,政治的な目的による要人の殺害を,通常の殺人罪と区別して特別に処罰する規定がない。

本記事で取り上げた戦後の各事件も,殺人罪,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反,爆発物取締罰則違反,公職選挙法違反(選挙の自由妨害)といった一般の刑罰法規の組合せで処理されている。

もっとも,そのような特別法を設けようとする試みがなかったわけではない。

浅沼稲次郎事件の翌年である1961年6月1日の参議院法務委員会では,衆議院議員坪野米男が「政治テロ行為処罰法案」の提案理由を説明し,「自己の政治上の主義と相いれないということを理由として,相手方の言論あるいは政治的活動を圧殺するために相手方を殺傷するという行為が民主主義を破壊する,あるいは言論の自由を侵害する最も憎むべき犯罪行為だ」として,12か条から成る刑法の特別法を提案している。

しかし,この法案は成立しておらず,e-Gov法令検索でも「政治テロ」「テロ行為処罰」の語を含む法令は確認できない。

この点は,後述の米国が1965年に大統領等の殺害を処罰する連邦法を新設したのと対照的である。

3 安倍晋三事件と警護要則の全部改正

安倍晋三事件が最も直接的に動かした法規範は,警護要則である。

警察庁「令和4年7月8日に奈良市内において実施された安倍晋三元内閣総理大臣に係る警護についての検証及び警護の見直しに関する報告書」(令和4年8月25日)は,事件当時の警護が警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)に基づいて実施されていたこと,安倍元総理が令和2年9月16日に警護対象者として指定されていたことを明らかにした上で,警護計画の作成過程で遊説場所の南方向への警戒や銃器による攻撃への備えが具体的に検討されなかったこと,制服警察官の配置や交通規制が検討されなかったことなどを認定し,「警護要則の抜本的見直し」を提言した。

この提言を受けて,旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)は令和4年8月26日限りで廃止され,同日,新たな警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)が公布・施行された。

e-Gov法令検索により両者を比較すると,旧規則が全11条であったのに対し,新規則は全21条となり,次のような規定が新たに置かれている。

新規則の条項内容第2条第4号「現場指揮官」を「警護の現場において警護員に対する指揮を行う警察官」と定義(旧規則に定義なし)第3条第2項「警護は,警護計画を作成する段階から警護における危険度を評価し,それに十分対応できるものでなければならない。」第3条第4項直近・周辺・交通整理等の3類型の警護員を配置し,重層的に警護を行うこと第9条警察庁長官が,場所の種別,警護対象者の行動の態様,不特定多数の者の有無等について「警護計画の基準」を定めること第10条第1項警護計画の記載事項を11号に細分化(旧規則は5号)。周囲及び高所の警戒,交通整理及び雑踏整理,突発事案発生時の退避措置,現場指揮官の氏名・階級,装備資機材等を明記第11条実地踏査を行い,警護上の問題点を的確に把握しなければならないこと第12条警察本部長が警護計画の案を長官等に報告し,長官等が修正等を指示できること第14条現場指揮官を指名し,指揮に必要な権限を付与しなければならないこと第16条第1項警護本部の設置を義務化(旧規則第7条は「特に必要があると認めるときは」設置するものとする,であった)第19条・第20条長官による教養訓練の体系的計画の作成,装備資機材の開発・導入

また,警護対象者の定義も,旧規則第2条の「その身辺に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者」から,新規則第2条第1号の「その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者」に改められている。

いずれも国家公安委員会規則であり,法律の改正を伴うものではない点は留意を要する。

4 安倍晋三事件と銃刀法の改正

奈良地裁判決は,被告人が「インターネットで手製銃の製作方法等を調べるなどして」自宅で手製銃の製造を開始したと認定している。

この点に対応する法改正として,警察庁の解説によれば,銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律(令和6年法律第48号)により,次の措置が講じられた。

改正事項内容施行日あおり・唆し罪の新設拳銃等の不法所持等を,公然と,あおり,又はそそのかす行為に1年以下の懲役又は30万円以下の罰金。インターネットやSNSでの投稿も「公然と」に含まれ得る2024年7月14日電磁石銃の所持禁止電磁石の磁力により金属性弾丸を発射する機能を有する銃のうち,運動エネルギーが20ジュール毎平方センチメートル以上のものの所持を禁止2025年3月1日

警察庁は,禁止される行為の例として「インターネット上で,拳銃の自作方法を解説した動画を投稿し,不法所持を呼びかける」行為を挙げている。

なお,同法律案は,2024年6月7日の参議院本会議で全会一致により可決されている。

5 国葬儀の法令上の根拠

安倍晋三事件は,首相経験者の葬儀の法令上の根拠という論点も生じさせた。

第209回国会質問第9号「国葬,国葬儀,合同葬儀の違い等に関する質問主意書」に対する令和4年8月15日付答弁書(内閣参質209第9号)は,次のとおり答弁している。

第1に,「現在までに国葬儀について規定した法律はない」が,国の儀式を内閣が行うことは行政権の作用に含まれること,内閣府設置法第4条第3項第33号に内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務が明記されていることから,閣議決定を根拠として国の儀式である国葬儀を行うことは可能である。

なお,同号をe-Gov法令検索で確認すると,その文言は「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」である。

第2に,旧憲法時代の国葬令は現在は存在しない。

第3に,故安倍晋三国葬儀は内閣府設置法第4条第3項第33号の「国の儀式」として行われる葬儀であり,故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀は同号の「内閣の行う儀式」として行われた葬儀である。

第4に,宮内庁法第2条第8号に規定する儀式及び日本国憲法第7条第10号に規定する儀式を除いた「国の儀式」の例は,1967年10月31日に行われた故吉田茂国葬儀のみである。

第5に,経費は全額を国費で支弁するが,「国民をあげて喪に服する」ことを求めるものではない。

会場は北の丸公園内の日本武道館とされ,これは前記の故佐藤榮作元総理の国民葬儀の会場と同じである。

6 米国との比較——大統領の殺害を処罰する連邦法は1965年に新設された

米国では,大統領,副大統領,大統領当選者等の殺害,誘拐及び暴行を処罰する規定が合衆国法典第18編第1751条に置かれている。

もっとも,同条は1965年8月28日の連邦法(Pub. L. 89-141, 79 Stat. 580)によって新設されたものであり,1963年11月22日のケネディ大統領暗殺当時,大統領の殺害それ自体を処罰する一般的な連邦法は存在しなかった。

また,警護についても,同第3056条(a)が,現職の大統領・副大統領及びその当選者,元大統領及びその配偶者(終身),主要な大統領・副大統領候補者などを,法律で警護対象として列挙している。

これに対し日本の警護要則第2条第1号は,警護対象者を「内閣総理大臣,国賓その他その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める者」と規定しており,首相経験者や選挙の候補者が当然には対象とならず,長官の指定によって対象となる。

前記の警察庁報告書によれば,安倍元総理が警護対象者として指定されたのは,令和2年9月16日であった。

米国側の立法の経緯(1902年に一度は両院を通過しながら成立しなかったこと,ウォーレン委員会の勧告の内容,同条の管轄に関する規定)については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱っている。

第6 出典1 日本の首相・元首相に関する公的資料

① 国立国会図書館「伊藤博文」及び国立公文書館「明治宰相列伝:伊藤博文」

② 韓国史データベース(統監府文書)「安重根ら被告に対する判決文」

③ 国立国会図書館「阪谷芳郎:大正10年11月4日の日記より」

④ 国立国会図書館「浜口雄幸:昭和5年11月14日の日記より」及び「浜口雄幸襲撃事件」

⑤ 国立国会図書館「5.15事件」及び国立公文書館「犬養毅首相が海軍青年将校に射殺される」

⑥ 国立国会図書館「2.26事件」及び国立公文書館「二・二六事件」

⑦ 国立国会図書館「大木操:昭和11年2月26日の日記より」

⑧ 奥州市・斎藤實記念館「二・二六事件(事件の概要)」及び「弾丸貫通の鏡」

⑨ 国立国会図書館典拠データ「安重根」

2 裁判例及び手続資料

① 奈良地方裁判所令和8年1月21日判決(令和5年(わ)第7号,同第154号)

② 安倍晋三事件の被告人側控訴を報じたテレ朝NEWS

③ 最高裁判所第三小法廷平成24年1月16日決定(平成21年(あ)第1877号,集刑307号81頁)

④ 和歌山地方裁判所令和7年2月19日判決(令和5年(わ)第285号)

⑤ 大阪高等裁判所令和7年9月25日判決(令和7年(う)第410号)

⑥ 岸田首相襲撃事件の上告棄却を報じたテレ朝NEWS

⑦ 警察庁「安倍元総理の警護に関する検証及び警護の見直しに関する報告書」

⑧ 警察庁「令和5年4月15日に和歌山市内において実施された内閣総理大臣警護に係る警護上の課題と更なる警護の強化のための取組について」

3 法令・国会資料

① 警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)及び旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)

② 銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律(令和6年法律第48号)及び警察庁の解説

③ 参議院第209回国会質問第9号及び内閣参質209第9号答弁書

④ 第36回国会衆議院本会議録第2号(浅沼稲次郎議員に対する追悼演説)

⑤ 第120回国会衆議院本会議(丹羽兵助議員に対する追悼演説),第123回国会衆議院本会議(山村新治郎議員に対する追悼演説),第155回国会衆議院本会議(石井紘基議員に対する追悼演説)

⑥ 第84回国会衆議院法務委員会議録第19号(昭和53年4月25日)及び第195回国会衆議院法務委員会議録第2号(平成29年12月1日)

⑦ 第38回国会参議院法務委員会(昭和36年6月1日・政治テロ行為処罰法案の提案理由説明)

⑧ 警察庁昭和51年警察白書及び平成7年警察白書

4 米国に関する資料

① 合衆国法典第18編第1751条及び第3056条

② その余の米国政府の公的資料及び医学文献は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人の出典欄に掲げている。

暗殺された米国の現職大統領4人――事件を裁いた手続と,事件が動かした法制度(AI作成)

目次

第1 4人の暗殺と,米国政府の公的資料が示す全体像第2 エイブラハム・リンカーン(1865年)1 事件2 共同謀議であったこと3 共犯者は軍事委員会で裁かれた4 Ex parte Milligan——軍事委員会による民間人の裁判の限界5 その後の展開——Quirin(1942年)とHamdan(2006年)第3 ジェームズ・A・ガーフィールド(1881年)1 事件と,感染をもたらした医療2 合衆国対ギトー事件——精神障害の抗弁3 ペンドルトン公務員制度改革法第4 ウィリアム・マッキンリー(1901年)1 事件——警護されていた中での銃撃2 チョルゴッシュの裁判——精神障害を主張しなかった弁護3 シークレットサービスによる大統領警護の始まり第5 ジョン・F・ケネディ(1963年)1 事件2 大統領の殺害を処罰する連邦法が存在しなかったこと3 ウォーレン委員会の勧告と,18 U.S.C. §1751の新設4 JFK暗殺記録収集法と,2026年までの公開5 ウォーレン委員会と下院暗殺特別委員会の結論の相違第6 大統領警護の法的枠組みの展開第7 日本との比較第8 出典第1 4人の暗殺と,米国政府の公的資料が示す全体像

米国では,現職大統領として暗殺された人物は,エイブラハム・リンカーン,ジェームズ・A・ガーフィールド,ウィリアム・マッキンリー及びジョン・F・ケネディの4人である。

本記事は,この4件について,米国政府の公的資料に基づいて事実関係を整理した上で,各事件がどのような裁判手続で処理され,どのような法制度を生んだのかを扱う。

4件はいずれも,事件そのものよりも,その後にできた法律の方が長く残っている。

すなわち,リンカーン事件は軍事委員会による民間人の裁判という論点を残し,ガーフィールド事件は公務員制度改革法を生み,マッキンリー事件はシークレットサービスによる大統領警護を始めさせ,ケネディ事件は「大統領の殺害を処罰する連邦法」そのものを作らせた。

日本の首相・元首相7人については,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人で扱っている。

また,2024年に起きた大統領候補に対する2件の襲撃事件と,これを調査した下院タスクフォースの報告書については,姉妹記事2024年の米国大統領候補襲撃事件2件で扱っている。

ウォーレン委員会報告書付録7「大統領警護の小史」は,米国大統領に対する襲撃を次のとおり列挙している。

対象者襲撃日結果アンドリュー・ジャクソン大統領1835年1月30日未遂エイブラハム・リンカーン大統領1865年4月14日1865年4月15日死亡ジェームズ・A・ガーフィールド大統領1881年7月2日1881年9月19日死亡ウィリアム・マッキンリー大統領1901年9月6日1901年9月14日死亡セオドア・ルーズベルト元大統領1912年10月14日負傷したが回復フランクリン・D・ルーズベルト大統領選出者1933年2月15日未遂ハリー・S・トルーマン大統領1950年11月1日未遂ジョン・F・ケネディ大統領1963年11月22日同日死亡

同付録は,この数字を「米国大統領の5人に1人が襲撃の対象となり,9人に1人が殺害された」と要約している。

そして同付録は,「大統領の組織的かつ継続的な警護が始まったのは,マッキンリーが撃たれた後になってからである。マッキンリー以前の警護は断続的で発作的なものであった」と述べ,「高度の危険が継続していたにもかかわらず必要な措置をとることに奇妙なほど消極的であった」と評価している。

つまり米国の大統領警護は,3人の大統領が殺害されて初めて制度化された。

第2 エイブラハム・リンカーン(1865年)1 事件

リンカーン大統領は,1865年4月14日午後10時13分頃,ワシントンのフォード劇場で観劇中に,俳優ジョン・ウィルクス・ブースに頭部を撃たれ,意識を回復しないまま翌15日午前7時22分に死亡した。

事件時刻と死亡時刻は,米国国立公園局のリンカーン年表で確認できる。

同年表によれば,ブースは同月26日にバージニア州のたばこ乾燥小屋で射殺されている。

創傷の医学的評価としては,2025年12月にNeurosurgical Review誌に掲載された神経外科的再検討が,銃弾が左後頭部から侵入して左大脳半球を進み左線条体付近にとどまったとする剖検所見を支持した上で,低速度の穿通性脳損傷として救命不能なものであったと評価している。

2 共同謀議であったこと

リンカーン事件は,単独犯による襲撃ではない。

米国国立公文書記録管理局が公開する下院暗殺特別委員会報告書によれば,リンカーン暗殺への関与を疑われた者を裁くために設置された軍事委員会は,この殺害が,リンカーン,アンドリュー・ジョンソン副大統領及びウィリアム・H・スワード国務長官を殺害する共同謀議の一部であったと認定した。

同報告書によれば,ジョージ・A・アッツェロットは怖じ気づいてジョンソンを襲わなかったが,スワードは元南軍兵士ルイス・ペインにより重傷を負わされた。

スワードの受傷内容については,2025年3月のAnnals of Surgery Open誌に医学的分析が掲載されている。

この事件は,米国の4件の中で,襲撃の対象が大統領1人にとどまらなかった唯一の事件である。

3 共犯者は軍事委員会で裁かれた

米国国立公園局(フォード劇場国立史跡)の解説によれば,捜査当局は10人を関与者と判断したが,ブース本人は射殺され,ジョン・サラットは国外へ逃亡した。

残る8人が共同謀議で訴追され,軍事法廷(military tribunal)で裁かれた。

審理は7週間続き,366人の証人が証言した。

結果は,4人が絞首刑,4人が拘禁刑(マッド,アーノルド及びオローリンが終身重労働,スパングラーが6年の重労働)であった。

ここで注意を要するのは,被告人がいずれも軍人ではなく民間人であったにもかかわらず,通常の刑事裁判所ではなく軍事委員会が裁いた点である。

4 Ex parte Milligan——軍事委員会による民間人の裁判の限界

この軍事委員会という手続の適法性について,連邦最高裁判所は,事件の翌々年に,一般論として厳しい限界を画した。

Ex parte Milligan, 71 U.S.(4 Wall.)2 の判決である。

合衆国判例集(米国議会図書館が公開する原本)によれば,法廷意見を述べたのはデイヴィス判事である。

同原本によれば,ミリガンは,合衆国市民であって20年間インディアナ州に居住し,合衆国の陸軍にも海軍にも服務したことがなかったところ,1864年10月5日にインディアナ軍管区司令官の命令により逮捕され,同月21日にインディアナポリスで召集された軍事委員会にかけられて有罪とされた者である。

釈放に係る裁判自体は前の開廷期に行われており,各意見は1866年12月の開廷期の冒頭に言い渡された。

もっとも,裁判所の意見は一つではない。

チェイス長官が,ウェイン,スウェイン及びミラーの各判事とともに,別の意見を述べている。

同意見は,「当法廷の4名は,本件についてこれまでにされた命令については同輩と意見を同じくするが,たった今読み上げられた意見のいくつかの重要な点については同意することができないため,本件全体についての自らの見解を別に述べることを義務と考える」と述べている。

すなわち,ミリガンを釈放するという結論自体は全員が一致したが,議会が軍事委員会を授権し得るかという点については5対4で見解が分かれた。

法廷意見は,次のように判示している。

「戒厳統治(martial rule)は,裁判所が開かれ,その管轄権を適正かつ妨げられることなく行使している場所においては,決して存在し得ない。それはまた,現に戦争が行われている地域に限られる。」

同判決は,その前段で,外国の侵略又は内乱によって裁判所が現実に閉鎖され,法に従って刑事司法を運営することが不可能となった場合には,現に戦争が行われている戦域において,覆された文民の権威に代わるものを供給する必要があると述べ,「必要が規則を作るのと同様に,必要が規則の存続期間を限界づける。裁判所が回復された後もこの統治が継続されるならば,それは重大な権限の簒奪である」としている。

すなわち,通常の裁判所が機能している場所で民間人を軍事委員会にかけることは許されない,という原則である。

この原則を前提とすれば,1865年にワシントンで行われた共犯者8人の軍事委員会による裁判の適法性には,重い疑問が残ることになる。

現に,その後の手続は対照的な結果になった。

前記の下院暗殺特別委員会報告書によれば,国外へ逃亡していたジョン・サラットは,カナダを経てイタリアへ渡り,偽名で教皇のズアーブ兵に加わっていたが,1866年11月に捕らえられて米国へ送還され,暗殺への関与を問われて裁判を受けた。

そして,その裁判は陪審の評決不能(hung jury)で終わり,サラットは釈放された。

軍事委員会で裁かれた8人のうち4人が絞首刑となったのに対し,通常の裁判所で陪審の審理を受けた1人は釈放された。

手続の選択が結論を左右し得ることを,これほど端的に示す例は多くない。

5 その後の展開——Quirin(1942年)とHamdan(2006年)

Milliganが画した「裁判所が開かれている場所で民間人を軍事委員会にかけることはできない」という原則は,その後の戦争によって試された。

まず,Ex parte Quirin, 317 U.S. 1(1942年)である。

合衆国判例集の原本によれば,同事件は,戦時中に敵国の領域から密かに国内へ入り,入国に際して軍服を脱ぎ捨てて敵対行為に及ぼうとした者を,軍事委員会が裁き得るかが問われた事案である。

連邦最高裁判所は,これを肯定した。

判決要旨は,「訴因は,大統領が軍事委員会による裁判を命ずる権限を有する戦争法違反の罪を十分に記載している。被告人らが入国し,逮捕され,裁判のために拘束された地域の裁判所が,逮捕以来平常どおり開かれ機能していたにもかかわらず,そうである。Ex parte Milligan, 4 Wall. 2 は区別される」と述べている。

区別の理由は,ミリガンの事実関係にある。

同判決は,ミリガンについて,「20年間インディアナ州に居住した市民であり,反乱状態にあったいずれの州の住民でもなく,敵性交戦者ではなかった」と述べ,戦争法がミリガンに適用されないとしたMilliganの判示は,同事件の事実に特に関係するものであると解した。

そして,「戦争法上,適法な交戦者は捕虜として捕獲され抑留される対象となるが,違法な交戦者は,これに加えて,その交戦を違法ならしめる行為について軍事法廷による裁判と処罰の対象となる」と判示している。

すなわちQuirinは,Milliganを覆したのではなく,「民間人か,敵性交戦者か」という区別によってその射程を限定した。

次に,Hamdan v. Rumsfeld, 548 U.S. 557(2006年)である。

同判決は,2001年9月11日の同時多発テロを受けて設置された軍事委員会が,収容された者を裁き得るかを扱った。

合衆国判例集の原本によれば,法廷意見は,「半世紀余り前に我々が認めたとおり,軍事委員会による裁判は,我々の憲法構造における権力の均衡について重要な問題を提起する非常措置である」として,Ex parte Quirinを引用した上で,上告を受理したと述べている。

そして結論として,「ハムダンを裁くために召集された軍事委員会は,その構成及び手続が統一軍事裁判法典(UCMJ)とジュネーブ諸条約の双方に違反するため,手続を進める権限を有しない」と判示した。

Milliganが「どこで裁くのか(裁判所が開かれている場所か)」を問い,Quirinが「誰を裁くのか(民間人か敵性交戦者か)」を問うたのに対し,Hamdanは「どのような手続で裁くのか」を問うたことになる。

リンカーン暗殺の共犯者を裁いた1865年の軍事委員会は,被告人がいずれも民間人であり,かつ首都の裁判所は開かれていた。

Milliganの基準によっても,Quirinが示した「民間人か敵性交戦者か」という区別によっても,同委員会が管轄を有したことの説明は容易ではない。

第3 ジェームズ・A・ガーフィールド(1881年)1 事件と,感染をもたらした医療

ガーフィールド大統領は,1881年7月2日,ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック鉄道駅で,チャールズ・ギトーに背後から2発撃たれた。

米国国立公園局の解説によれば,1発目は腕をかすめただけであったが,2発目は背部にとどまり,ガーフィールドは80日間生存した後,同年9月19日に死亡した。

同解説は,当時の医師らがリスターの消毒法や細菌論を学んでおらず,又はこれを意図的に無視して,汚れた指と器具で創部を繰り返し探ったことにより体内に感染をもたらしたと明記している。

4件のうち,医療のあり方そのものが死亡結果に関与したと公的資料が明言しているのは,この事件だけである。

2 合衆国対ギトー事件——精神障害の抗弁

ギトーは,ガーフィールドの死後まもなく大統領殺害で正式に起訴された。

事件名は「合衆国対チャールズ・ギトー」である。

ウォーレン委員会報告書付録7によれば,ギトーは当時38歳で,自称「弁護士,神学者,かつ政治家」であり,1880年の選挙でガーフィールド当選のために尽力したという思い込みから,ヨーロッパの領事への任命を受ける資格があると信じていた。

同付録は,ギトーが法廷で「神(the Deity)が大統領を除くよう命じた」と証言したこと,襲撃が銃撃後の逃走を考えられない状況で行われたこと,家族に遺伝的な精神の問題が存在したことを記している。

米国国立公園局によるギトー裁判の解説によれば,最終弁論は1882年1月12日に始まった。

弁護人は数か月にわたり精神障害の抗弁を主張したが,功を奏さなかった。

この裁判は,医学専門家の証言が正面から衝突した点で注目される。

弁護側の医学専門家は,人は妄想又は幻覚を伴わなくとも精神異常であり得ると証言した。

これに対し検察側の医学専門家は,「遺伝性精神異常」などという疾患は科学上存在しないと反論した。

そして検察側の主張を支えたのは,ギトーに大統領を撃つ意図があったことが明白であるという事実であった。

ギトー自身,自分が何をしたかを分かっていたと法廷で繰り返し述べている。

陪審の評議を経て,ギトーは有罪とされた。

その後数か月にわたり上訴が行われたが,ギトーは1882年6月30日に絞首刑に処された。

これは,ガーフィールドが撃たれた1881年7月2日の1周忌の2日前であった。

なお,同局によるギトーの処刑の解説は,ギトーが精神的に不安定であり,「今日であれば精神障害を理由に無罪とされ,死刑ではなく精神科治療を命じられたかもしれない」と述べている。

米国政府機関自身が,当時の判断が現在の基準では異なり得たことを認めている点は,注目に値する。

3 ペンドルトン公務員制度改革法

ガーフィールド事件が生んだ法律は,警護に関するものではなく,公務員の任用に関するものであった。

米国国立公文書記録管理局の解説によれば,「合衆国の公務を規律し改善するための法律」(ペンドルトン法)は1883年1月16日に承認された。

同解説は,「不満を抱いた求職者によるジェームズ・A・ガーフィールド大統領の暗殺を受けて,議会は1883年1月にペンドルトン法を可決した」と,事件と立法の因果関係を明示している。

同法は,連邦政府の職を能力本位(メリット)で与えること,公務員を競争試験によって選抜すること,同法の適用を受ける職員を政治的理由で解雇し又は降格することを違法とすること,職員に政治的役務又は献金を求めることを禁止することを定め,これを執行する人事委員会(Civil Service Commission)を設置した。

署名したのは,ガーフィールドの死により昇任し,事件後に熱心な改革論者となったチェスター・A・アーサー大統領である。

それまでの米国は,勝者が政府の職を支持者に配分する猟官制(spoils system)の下にあった。

ガーフィールドを撃った動機がまさにその猟官の挫折であったことから,事件は制度そのものへの批判に転化した。

第4 ウィリアム・マッキンリー(1901年)1 事件——警護されていた中での銃撃

マッキンリー大統領は,1901年9月6日,ニューヨーク州バファローで開催されていたパンアメリカン博覧会において,アナーキストのレオン・チョルゴッシュに撃たれ,8日後の同月14日に死亡した。

事件日,実行者,場所及び死亡日は,米国国立公園局のマッキンリー記念碑の解説で確認できる。

ウォーレン委員会報告書付録7は,リンカーン及びガーフィールドと異なり,マッキンリーは撃たれたとき警護されていたと明記している。

同付録によれば,大統領は音楽堂で公衆との短い接見を行っており,人々は警察官と兵士の二列の間を通って大統領と握手していた。

大統領の至近には,バファロー市警の刑事4人,兵士4人及びシークレットサービス職員3人がおり,うち2人は大統領から約3フィート(約90センチメートル)の位置で大統領と向き合っていた。

もっとも,そのうちの1人は後に,そうした場面では大統領の側方に立つのが通常の習慣であったが,このときは大統領秘書と博覧会会長が大統領の両側に立てるよう求められたため,その位置を離れていたと述べている。

チョルゴッシュは,ハンカチの下に拳銃を隠して列に加わり,大統領の正面に立ったときにハンカチ越しに2発撃った。

警護の人数が問題だったのではなく,配置の運用が問題であったことを示す記述であり,これは現代の警護の検証にも通じる論点である。

2 チョルゴッシュの裁判——精神障害を主張しなかった弁護

ウォーレン委員会報告書付録7によれば,チョルゴッシュは米国生まれの28歳の工場労働者兼農場労働者で,自称アナーキストであった。

もっとも,米国の組織的なアナーキストは彼を受け入れておらず,秘密結社にも加入を認めていなかった。

共謀者は誰も発見されず,彼が誰かに打ち明けた形跡もない。

直ちに捕らえられたチョルゴッシュは,「迅速に裁判にかけられ,有罪とされ,死刑を宣告された」。

ここで法律家として見逃せないのは,同付録の次の記述である。

「当時の一部の人々にはチョルゴッシュが訴訟能力を欠くように見えたにもかかわらず,弁護人は精神障害を主張する努力を全くしなかった。」

そしてチョルゴッシュは,「大統領の死亡から45日後に処刑された」。

ガーフィールド事件のギトーが,最終弁論だけで年をまたぎ,有罪判決後も数か月の上訴を経て,襲撃から約1年後に処刑されたのと比べると,手続の速度は際立って対照的である。

さらに同付録は,処刑の約1年後に2人の著名な精神科医が冷静な調査を行い,チョルゴッシュが以前から妄想に苦しんでいたと認定したことを記している。

その妄想とは,自分がアナーキストであるというものと,大統領を暗殺することが自分の義務であるというものであった。

すなわち,精神障害の抗弁が主張されないまま迅速に死刑が執行され,執行後の鑑定で妄想が認定されたという経過である。

抗弁を尽くして敗れたギトーと,抗弁が主張すらされなかったチョルゴッシュという2つの事例は,同じ大統領暗殺という重大事件でありながら,弁護のあり方によって手続の内容がこれほど変わり得ることを示している。

3 シークレットサービスによる大統領警護の始まり

米国シークレットサービスの公式説明は,「我々の警護任務は,マッキンリー大統領の暗殺後である1901年にさかのぼる。この悲劇の後,シークレットサービスは合衆国大統領を警護する権限を与えられた。1906年,議会は大統領警護のための法律と予算を可決した」と述べている。

ただし,ウォーレン委員会報告書付録7は,これがすぐに立法化されたわけではないことを明らかにしている。

同付録によれば,マッキンリー暗殺後の最初の議会は,大統領に対する攻撃に関する立法にそれまでのどの議会よりも注意を払ったが,大統領の警護のための措置は何も可決しなかった。

それにもかかわらず,1902年,当時唯一の本格的な連邦捜査機関であったシークレットサービスが,大統領の安全に対するフルタイムの責任を引き受けた。

当初のホワイトハウス常駐要員はわずか2人であった。

すなわち,1902年から1906年までの4年間,大統領の警護は,予算の裏付けも議会の授権もないまま行われていたことになる。

第5 ジョン・F・ケネディ(1963年)1 事件

ケネディ大統領は,1963年11月22日,テキサス州ダラスで車列走行中に銃撃され,同日死亡した。

米国国立公文書記録管理局が公開するウォーレン委員会報告書第2章は,銃撃,病院への搬送及び死亡宣告までの経過を記載している。

2 大統領の殺害を処罰する連邦法が存在しなかったこと

この事件の法的な最大の特徴は,捜査でも裁判でもなく,そもそも連邦の刑事管轄が存在しなかったことにある。

ウォーレン委員会報告書第8章は,冒頭で次のように述べている。

「ケネディ大統領の暗殺について,連邦の刑事管轄は存在しなかった。」

同章によれば,暗殺が共同謀議の結果であると信じるに足る理由があれば連邦の管轄を主張し得た。連邦公務員をその職務の執行に関連して傷害する共謀は,古くから連邦犯罪とされていたからである。

「しかし,大統領の殺害は連邦法の対象とされたことが一度もなく,そのため,殺害が単独の者の行為であることが合理的に明らかとなった時点で,テキサス州が排他的な管轄権を有することとなった。」

同章は,これを「変則的(anomalous)」と評価している。

すなわち,大統領に危害を加えると脅すことは連邦犯罪であり,政府の役員を暗殺することによる政府転覆の唱道も連邦犯罪であり,連邦裁判官,連邦検事,連邦保安官その他の特定された連邦法執行官の殺害も連邦犯罪であるのに,大統領への攻撃だけが犯罪とされていなかった。

同章はさらに,シークレットサービスに大統領を警護する権限を明示的に与えながら,大統領に危害を加えた者を逮捕する権限を与えていない規定の存在も,同様に変則的であると指摘している。

3 ウォーレン委員会の勧告と,18 U.S.C. §1751の新設

同章は,暗殺を連邦犯罪とする試みが過去にもあったことを記録している。

特にマッキンリー大統領の暗殺後と,フランクリン・D・ルーズベルト大統領選出者の生命に対する襲撃の後である。

そして,1902年には両院で法案が可決されたが,上院が両院協議会報告を受け入れなかったため成立しなかった。

マッキンリー暗殺の翌年に一度は両院を通りながら,最後の一歩で流れたことになる。

ケネディ暗殺の直後にも複数の法案が提出された。

これを受けてウォーレン委員会は,大統領,副大統領又は大統領職の継承順位が次の者,大統領選出者及び副大統領選出者に対する殺人,故殺,殺人の未遂又は共謀,誘拐及び暴行を処罰する立法を議会に勧告した。

同章は,その際,行為が被害者の職務の執行中に行われたかどうか,又は職務の執行を理由とするものであるかどうかを問わないものとすべきであるとしている。

理由として同章は,「暗殺が行われたときの被害者の活動や暗殺の動機は,その行為から生じる合衆国に対する侵害とは何の関係もない」と述べている。

この勧告は立法として実現した。

合衆国法典第18編第1751条は,1965年8月28日の連邦法(Pub. L. 89-141, 79 Stat. 580)によって新設されたものである。

同条の主な内容は,次のとおりである。

条項内容(a)大統領,大統領選出者,副大統領(副大統領が存在しないときは継承順位が次の者),副大統領選出者及び大統領代行者並びに大統領府・副大統領府の特定の職員を殺害した者を処罰する(b)(c)(d)誘拐,殺害又は誘拐の未遂,及び共謀を処罰する(h)連邦の捜査又は訴追の管轄が主張された場合には,連邦の措置が終了するまで,州又は地方の管轄権の行使が停止する(i)本条違反は連邦捜査局が捜査する(j)被害者が本条により保護される公職者であることを被告人が知っていたことを,政府は立証する必要がない(k)本条が禁止する行為には域外管轄が及ぶ

(h)は,ケネディ事件で生じた州と連邦の管轄の空白を裏返しにした規定であり,(j)は,ウォーレン委員会が「職務の執行中かどうかを問わない」としたことに対応する規定である。

4 JFK暗殺記録収集法と,2026年までの公開

ケネディ事件は,記録の公開についても独自の法律を生んだ。

1992年10月26日の連邦法(Pub. L. 102-526, 106 Stat. 3443)である。

官報(Statutes at Large)によれば,同法の題名は「1992年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法」であり,合衆国法典第44編第2107条の注記に収められている。

同法第2条の立法事実は,次の点を挙げている。

第1に,暗殺に関するすべての政府記録は,歴史的及び統治上の目的のために保存されるべきであること。

第2に,すべての記録は即時公開の推定を伴うべきであり,最終的にはすべて公開されるべきであること。

第3に,執行可能で独立した,説明責任のある公開手続を作るために立法が必要であること。

第4に,立法がなければ,暗殺に関連する議会の記録は少なくとも2029年まで公開の対象とならないこと。

第5に,情報自由法の運用では不十分であること。

公開の期限については,同法第5条(g)(2)(D)が,「各暗殺記録は,本法の制定日から25年後の日までに,完全な形で公開され,コレクションにおいて利用可能とされなければならない」と定めている。

制定日が1992年10月26日であるから,期限は2017年10月26日である。

ただし同項は,大統領が,(i)継続的な公開延期が軍事防衛,情報活動,法執行又は外交の遂行に対する特定可能な害によって必要とされること,及び(ii)その特定可能な害が公開の公益を上回るほど重大であることを証明した場合には,例外を認めている。

この例外条項が繰り返し用いられたため,公開作業は期限後も続いた。

米国国立公文書記録管理局の2025年以降の公開ページによれば,従前機密指定により非公開であった記録が2025年3月18日に公開され,2026年1月30日にも1万1022頁,140個のPDFが追加公開された。

事件から60年以上を経てなお記録の公開が続いているのは,公開の期限を法律で切りつつ,大統領の証明による例外を残した立法の構造そのものに由来する。

5 ウォーレン委員会と下院暗殺特別委員会の結論の相違

ケネディ事件については,公的な調査機関の結論自体が一致していない点に注意を要する。

ウォーレン委員会報告書はオズワルドが発砲したと結論付けているが,その後,下院暗殺特別委員会が改めて調査を行った。

米国国立公文書記録管理局が公開する同委員会の認定の要旨は,次のとおり述べている。

まず,「リー・ハーヴェイ・オズワルドはケネディ大統領に向けて3発を発射した。2発目と3発目が大統領に命中した。3発目が大統領を殺害した」として,オズワルドの発砲自体はウォーレン委員会と同じく認定している。

その上で同委員会は,「科学的な音響証拠は,2人の銃撃者がケネディ大統領に向けて発砲した高い蓋然性を証明する」とし,結論として「委員会は,入手し得た証拠に基づき,ケネディ大統領はおそらく共同謀議の結果として暗殺されたと考える」と述べた。

もっとも同委員会は,「もう1人の銃撃者又は共同謀議の範囲を特定することはできない」としており,共謀者を具体的に認定したわけではない。

また同委員会は,ソビエト政府及びキューバ政府が関与していなかったと考えること,反カストロのキューバ人グループも団体としては関与していなかったと考えることを,あわせて認定している。

したがって,米国の4件のうち,公的な調査によって共同謀議の存在が認定されているのはリンカーン事件とケネディ事件であり,ガーフィールド事件とマッキンリー事件は,いずれも共謀者が発見されていない。

ただし,リンカーン事件が軍事委員会という裁判手続の中で共同謀議を認定したものであるのに対し,ケネディ事件は裁判を経ておらず,議会の調査委員会が蓋然性の判断を示したにとどまる点で,認定の重みは同じではない。

第6 大統領警護の法的枠組みの展開

米国シークレットサービスの公式年表及びウォーレン委員会報告書付録7によれば,大統領警護の法的根拠は,次のように段階的に整備された。

年内容1894年クリーブランド大統領に対する非公式・非常勤の警護を開始1901年マッキンリー大統領暗殺の結果,議会がシークレットサービスによる大統領警護を要請1902年大統領の安全に対する常勤の責任を引き受ける(ホワイトハウス常駐は2人)1906年1907年度の雑費歳出法により,大統領警護のための予算が措置される1908年大統領選出者の警護を開始1913年大統領の恒久的警護と,大統領選出者の警護に法律上の授権が与えられる1917年大統領を郵便その他の方法で脅迫することを犯罪とする法律(脅迫罪)を制定。大統領の近親者の警護も授権1951年7月16日,恒久的な授権法が成立(それまでは毎年の歳出法で更新が必要であった)1962年副大統領,副大統領選出者等を対象に追加(Public Law 87-829)1965年大統領の暗殺未遂を連邦犯罪とする立法(Public Law 89-141)/元大統領とその妻を終身警護(Public Law 89-186)1968年ロバート・F・ケネディ上院議員(大統領候補)の暗殺の結果,主要な大統領・副大統領候補者の警護を授権1971年訪米する外国の元首・政府の長等の警護を授権2013年2012年元大統領警護法により,1997年以降に在職した元大統領の警護を10年に制限していた従前法を覆し,終身警護に戻す

現在の到達点は,合衆国法典第18編第3056条(a)である。

同項は,シークレットサービスの警護対象を法律で列挙しており,現職の大統領・副大統領及びその当選者(同項(1)),その近親者(同項(2)),元大統領及びその配偶者について終身(配偶者は再婚により終了。同項(3)),元大統領の16歳未満の子(同項(4)),訪米する外国の元首・政府の長(同項(5)),主要な大統領・副大統領候補者及び本選挙前120日以内のその配偶者(同項(7))などが含まれる。

同項(2)から(8)までの警護は辞退することができるが,(1),すなわち現職の大統領等の警護については,辞退の定めが置かれていない。

なお,ウォーレン委員会報告書付録7は,セオドア・ルーズベルトが1906年にロッジ上院議員に宛てた書簡で,シークレットサービスの職員を「非常に小さいが,非常に必要な,肉中の棘」と評し,リンカーンの言葉として「大統領にとっては檻の中で暮らす方が安全だろうが,それでは仕事の邪魔になる」を引いていることを記録している。

警護と公務の両立という問題が,制度の出発点から意識されていたことがうかがえる。

第7 日本との比較

日本の首相・元首相7人の事件と対比すると,制度の設計が対照的である点が2つある。

第1に,日本には,政治的な目的による要人の殺害を通常の殺人罪と区別して特別に処罰する規定がない。

戦後の各事件も,殺人罪,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反,爆発物取締罰則違反,公職選挙法違反(選挙の自由妨害)といった一般の刑罰法規の組合せで処理されている。

1961年に「政治テロ行為処罰法案」が国会に提出されたが成立せず,e-Gov法令検索でも「政治テロ」「テロ行為処罰」の語を含む法令は確認できない。

米国が1965年に18 U.S.C. §1751を新設したのとは,異なる道を歩んだことになる。

第2に,警護対象者の決め方が異なる。

米国は,前記のとおり18 U.S.C. §3056(a)で対象者を法律に列挙し,元大統領を終身,主要な候補者を選挙期間中の対象としている。

これに対し日本の警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)第2条第1号は,警護対象者を「内閣総理大臣,国賓その他その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める者」と規定しており,首相経験者や選挙の候補者が当然には対象とならず,長官の指定によって対象となる。

もっとも,襲撃から時間を置いて死亡した事例が両国にあるという点は共通している。

米国のガーフィールド(80日)とマッキンリー(8日)は,日本の濱口雄幸(狙撃から約9か月後に死亡)と同じ類型に属する。

日本側の詳細は,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人に譲る。

第8 出典

① 米国国立公文書記録管理局・ウォーレン委員会報告書付録7「大統領警護の小史」

② 米国国立公文書記録管理局・ウォーレン委員会報告書第2章及び第8章

③ 米国国立公文書記録管理局・下院暗殺特別委員会報告書(認定及び認定の要旨)

④ 米国国立公文書記録管理局・JFK暗殺記録の2025年以降の公開

⑤ 米国国立公文書記録管理局・ペンドルトン法(1883年)に関する解説

⑥ 米国国立公園局・リンカーン年表

⑦ 米国国立公園局(フォード劇場国立史跡)・リンカーン暗殺の共謀者に関する解説

⑧ 米国国立公園局・ガーフィールド暗殺に関する解説,ギトー裁判に関する解説及びギトーの処刑に関する解説

⑨ 米国国立公園局・マッキンリー記念碑の解説

⑩ 米国シークレットサービス・公式沿革年表及び警護任務の説明

⑪ 合衆国判例集 Ex parte Milligan, 71 U.S.(4 Wall.)2,Ex parte Quirin, 317 U.S. 1(1942年)及び Hamdan v. Rumsfeld, 548 U.S. 557(2006年)(いずれも米国議会図書館が公開する原本)

⑫ 合衆国法典第18編第1751条及び第3056条

⑬ 1992年ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法(Pub. L. 102-526, 106 Stat. 3443)

⑭ Neurosurgical Review誌(2025年12月)掲載のリンカーンの頭部創傷に関する神経外科的再検討

⑮ Annals of Surgery Open誌(2025年3月)掲載のスワード国務長官の頭頸部創傷に関する分析

2024年の米国大統領候補襲撃事件2件――下院タスクフォース報告書が認定した警護の失敗(AI作成)

目次

第1 2024年に起きた2件と,下院タスクフォース第2 2024年7月13日 ペンシルベニア州バトラー1 事実経過2 「防ぐことができた」という結論3 認定された失敗——場所の確保4 認定された失敗——責任分担の不明確5 認定された失敗——技術,通信及び情報6 認定された失敗——経験と訓練第3 2024年9月15日 フロリダ州ウェストパームビーチ——阻止された事例第4 シークレットサービス自身の認定第5 提言の内容第6 日本の検証報告書との比較1 認定された失敗はよく似ている2 検証する主体が違う3 応答の形式が違う第7 出典第1 2024年に起きた2件と,下院タスクフォース

本記事は,2024年に米国で起きた大統領候補に対する2件の襲撃事件を,米国連邦議会下院の調査報告書に基づいて整理する。

この2件は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱った4件と異なり,いずれも未遂に終わっている。

しかし,警護がどこで失敗し,どこで機能したのかが,議会の調査によって具体的に認定されている点で,法制度の資料としての価値は4件に劣らない。

日本の首相・元首相の事件については,姉妹記事暗殺された日本の首相・元首相7人で扱っている。

下院は,2024年7月24日,全会一致で決議を可決し,この事件を調査する特別委員会(Task Force on the Attempted Assassination of Donald J. Trump)を設置した。

同委員会は,2024年12月5日付で,180頁の最終報告書(Final Report of Findings and Recommendations)を公表している。

委員長はマイク・ケリー下院議員(ペンシルベニア州第16区),筆頭理事はジェイソン・クロウ下院議員(コロラド州第6区)であり,委員は両党から選任されている。

報告書は,「5か月に満たない期間に,証人から聴取し,証拠を入手・分析し,ペンシルベニア州及びフロリダ州における暗殺未遂について公聴会を開いた」と述べている。

第2 2024年7月13日 ペンシルベニア州バトラー1 事実経過

報告書の冒頭は,事実関係を次のように記述している。

2024年7月13日,ペンシルベニア州バトラーで開催された選挙運動の行事において,暗殺を企てた者がドナルド・J・トランプの生命を奪おうとした。

その銃弾は,参加者コーリー・コンペレトーレの生命を奪い,参加者デービッド・ダッチ及びジェームズ・コペンヘイバーに重傷を負わせた。

シークレットサービスのカウンタースナイパー1名と,バトラー郡緊急対応部隊(Butler ESU)の隊員1名が応射し,銃撃者を排除した。

壇上及びその付近に配置されていたシークレットサービスの特別捜査官らがトランプ前大統領を覆い,現場から搬出した。

トランプ前大統領は,生命に別状のない負傷で難を逃れた。

報告書によれば,銃撃者トーマス・マシュー・クルックスは,集会のステージに向けて8発を発射している。

2 「防ぐことができた」という結論

報告書の要旨は,結論を次の2文で示している。

第1に,「タスクフォースは,ペンシルベニア州バトラーにおける悲劇的かつ衝撃的な出来事は防ぐことができたものであり,起きてはならなかったと認定した」。

第2に,「もっとも,トーマス・マシュー・クルックスが前大統領をあわや暗殺するに至らせた単一の瞬間や単一の決定は存在しなかった」。

そして,「7月13日及びそれ以前における計画,実行及び指揮の各種の失敗と,その日に配置された人的・物的資産の実効性を損なっていた先行的な諸条件とが,重なり合って,前大統領と行事の参加者全員を重大な危険にさらす環境を作り出した」と述べている。

単一の原因ではなく,複数の不作為の重畳によって結果が生じたという認定の仕方は,日本の警察庁が安倍晋三元総理の事件について行った検証と共通する構造である。

3 認定された失敗——場所の確保

報告書が第一に挙げるのは,会場に隣接する高リスク区域を確保しなかったことである。

具体的には,アメリカン・グラス・リサーチ(AGR)の敷地及び建物群である。

報告書によれば,この区域は,主要道路に近接し,ステージへの明瞭な射線を有し,高所に位置していた。

それにもかかわらず,シークレットサービスは,警備区域とAGR敷地とを隔てるフェンス際に,シークレットサービスその他の法執行機関の検査を受けていない群衆が集まることを許した。

報告書は,警備区域の外に群衆が存在したことが,クルックスの挙動が次第に不審になっていく中で,同人を阻止することを一層困難にしたとしている。

そして,AGRの敷地を最初から確保しなかったことの帰結は,同区域が脅威を抑止するに足りるだけの監視も巡回も受けていなかったという事実によって増幅された,と評価している。

4 認定された失敗——責任分担の不明確

報告書は,シークレットサービスが州及び地方のパートナーに対し,どの機関がこの区域を担当するのかについて明確な指針を示さなかったと認定している。

その結果として何が起きたかの記述が,本件の核心である。

AGRの建物の窓に配置されていた地元のスナイパーチームは,自らの任務を群衆と会場のオーバーウォッチであると理解しており,クルックスが徘徊して準備をしていた警備区域の外については,シークレットサービスのカウンタースナイパーと巡回部隊が確保しているものと信じていた。

その誤解の結果,同チームは,窓の直下や屋根を監視する位置に配置されていなかった。

会場の反対側に配置されていた別の地元スナイパーチームは,AGRの敷地への射線を有していたが,同様に自らの担当であるとは考えず,監視をしなかった。

報告書は,人員及び資機材の不足が表明されていたのに十分に手当てされず,地上のカバーに空隙が生じたことも認定している。

「誰も担当だと思っていない区域」が生まれたという認定であり,これは複数機関が関与する警護に共通する構造的な弱点である。

5 認定された失敗——技術,通信及び情報

報告書は,当日の失敗として次の3点を挙げている。

第1に,会場の警備を補完するための技術が,数時間にわたり機能していなかった。

第2に,断片化した通信構造と拙劣な意思決定により,重要な情報が関係する法執行職員に届かなかった。

報告書は,この技術と通信の機能不全が,クルックスの追跡を妨げ,介入の機会を逸させたとし,さらに,前大統領を壇上から退去させることができたシークレットサービス職員への情報の流れをも中断させたとしている。

第3に,情報コミュニティの構成員が把握していた関連する脅威情報が,集会に従事する主要な職員に対して上げられなかった。

6 認定された失敗——経験と訓練

報告書は,7月13日の失敗が行事当日やその数日前に限られたものではないとし,指揮と訓練における先行的な問題が,上記の個別の失敗が生じ得る環境を作ったと認定している。

すなわち,事前計画の役割についてほとんど又は全く経験のないシークレットサービス職員に,重大な責任が与えられていた。

報告書は,これを,当該行事が射線の問題が多い高リスクの屋外会場で開かれ,しかも長距離からの脅威に関する具体的な情報があったにもかかわらず,と留保付きで指摘している。

さらに,事前計画の重要な役割にあった一部の捜査官は,自らの責任の区分を明確に理解していなかった,としている。

第3 2024年9月15日 フロリダ州ウェストパームビーチ——阻止された事例

報告書は,バトラーの約2か月後に起きた第2の事件も調査対象としている。

2024年9月15日,フロリダ州ウェストパームビーチのトランプ・インターナショナル・ゴルフクラブにおいて,シークレットサービスの特別捜査官1名が,前大統領に先行して区域を偵察していたところ,敷地の外周フェンスのすぐ外側で待ち伏せをしていた別の暗殺企図者を発見した。

報告書によれば,同捜査官が銃撃をもって対処したところ,当該人物は現場から逃走し,その後に逮捕された。

負傷者は生じなかった。

報告書は,この事件について,「これに対し,2024年9月15日にフロリダで起きた出来事は,適切に実行された警護措置が暗殺未遂を阻止し得ることを示した」と評価している。

同じ人物に対する2か月違いの2件が,失敗例と成功例として1つの報告書に並べられている点は,警護の検証資料として珍しい。

そして,成功した側の決め手が,特別捜査官による先行しての区域偵察であったことは,日本の警護要則第11条が実地踏査を義務付けていることと重なる。

第4 シークレットサービス自身の認定

調査を受けた側であるシークレットサービスも,公式に失敗を認めている。

シークレットサービスが公表しているロナルド・L・ロウ長官代行の書面証言(2024年12月5日付,タスクフォース提出)は,次のように述べている。

「7月13日は,シークレットサービスがバトラー・ファーム・ショーの会場を適切に確保し,トランプ大統領選出者を守ることに失敗した日であった。」

「その明白な失敗(abject failure)は,シークレットサービスの運用における重大な欠落を浮き彫りにした。私は,我々が,米国民,議会及び我々の警護対象者が当然に有する期待に応えられなかったことを認識している。」

調査対象機関の長が,議会に提出する書面で「abject failure」という語を用いて自機関の失敗を認めた記録である。

第5 提言の内容

報告書は,バトラーにおける警備の失敗に直接つながった問題について25の個別提言を各節の末尾に置き,これに加えて,指揮,訓練及び機関の資源に関する11の一般提言を掲げている。

報告書は,シークレットサービスの警護任務を「失敗が許されない任務(zero fail protective mission)」と呼んでいる。

提言のうち,制度論として注目されるものを挙げる。

提言の対象内容無線通信の記録7月13日,シークレットサービスは無線通信を記録していなかった。無線のログや録音が存在しないことは,捜査目的でも評価目的でも事後に事象を再構成する能力を著しく制限する。長官代行は今後記録するよう指示したと証言している警備計画の所有権議会は,高い注目を集める行事の警備計画について,警備区域内の部分だけでなく全体の所有権をシークレットサービスに与えるべきである冗長性の確保高圧の場面で運用が破綻しないよう,警備上の冗長性を実装させる監督を議会が行うべきである意見相違のエスカレーション行事における警備上の意見の相違について,正式なエスカレーション手続を設けるべきである警護対象者の数シークレットサービスは,警護する人数を減らすことによって利益を得られる可能性がある捜査機能との併存議会は,シークレットサービスの捜査上の義務が主たる警護任務と実効的に併存し得るか,捜査機能が国土安全保障省内に残るべきかを検討しなければならない

最後の2項目は,日本でいえば「警察庁警備局が警護以外の任務をどこまで併有すべきか」という問いに相当し,機関の任務設計そのものに踏み込んでいる。

第6 日本の検証報告書との比較1 認定された失敗はよく似ている

日本の警察庁が安倍晋三元総理の事件について公表した検証及び警護の見直しに関する報告書(令和4年8月25日)は,警護計画の作成過程で,遊説場所の南方向への警戒や銃器による攻撃への備えが具体的に検討されなかったこと,制服警察官の配置や交通規制が検討されなかったことなどを認定していた。

両者を並べると,認定された失敗の型が驚くほど似ている。

失敗の型米国(2024年・バトラー)日本(2022年・奈良)射線・方向の見落としAGR敷地の高所からステージへの明瞭な射線が確保されないまま放置された遊説場所の南方向への警戒の必要性が具体的に考慮されなかった銃器による攻撃への備え長距離からの脅威に関する具体的情報がありながら計画に反映されなかった銃器による攻撃への備えが特に意識されなかった制服警察官・交通規制警備区域外に未検査の群衆が滞留することを許した制服警察官の配置も県道の交通規制も検討されなかった機関間の責任分担どの機関がAGR敷地を担当するのか明確な指針が示されなかった本部警備課と警察署が署警護員の配置場所を連絡調整しないまま各々計画書を作成した経験の不足事前計画の経験がほとんどない職員に重大な責任が与えられた前回警護を踏襲したのみで,決裁過程でも指摘がされなかった2 検証する主体が違う

もっとも,検証の主体は対照的である。

米国では,立法府である下院が超党派の特別委員会を設置し,公聴会を開いて調査した。

日本では,警護を実施した側である警察庁自身が,国家公安委員会に経過を報告しながら検証した。

安倍事件の報告書は,警察庁が検証・見直しの過程で11回にわたり国家公安委員会に報告し,同委員会における議論を踏まえて作業を進めたと記している。

国会が独自に調査委員会を設けて警護の失敗を検証した例は,本記事の調査範囲では確認できなかった。

3 応答の形式が違う

応答の形式も異なる。

米国のタスクフォースは,機関に対する提言と議会自身が行うべき立法・監督に関する提言とを書き分けている。

これに対し日本では,安倍事件の後,法律の改正ではなく国家公安委員会規則である警護要則の全部改正によって対応した。

旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)は令和4年8月26日限りで廃止され,同日,新たな警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)が公布・施行されている。

米国側の提言のうち「警備計画の全体の所有権を与える」「冗長性を実装させる」「意見相違のエスカレーション手続を設ける」という3点は,日本の新警護要則が第10条(警護計画の記載事項の細分化),第3条第4項(重層的な警護),第14条(現場指揮官への権限付与)で対応している事項と,問題意識が重なる。

両国が,別々の事件を契機に,ほぼ同じ論点に到達していることになる。

なお,米国のシークレットサービスの警護対象は合衆国法典第18編第3056条(a)に法律で列挙されており,トランプ前大統領は,元大統領として同項(3)により終身の対象であると同時に,主要な大統領候補者として同項(7)の対象でもあった。

この点の詳細は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱っている。

第7 出典

① 米国連邦議会下院・ドナルド・J・トランプ暗殺未遂に関するタスクフォース「認定及び提言に関する最終報告書」(2024年12月5日,全180頁)

② 米国シークレットサービス・ロナルド・L・ロウ長官代行の書面証言(2024年12月5日,同タスクフォース提出)

③ 警察庁「令和4年7月8日に奈良市内において実施された安倍晋三元内閣総理大臣に係る警護についての検証及び警護の見直しに関する報告書」(令和4年8月25日)

④ 警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)及び旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)

⑤ 合衆国法典第18編第3056条