第1 「日本の7人」の数え方と一覧
日本の首相経験者のうち,暗殺又は在任中の襲撃後に死亡した人物として一般に挙げられるのは,伊藤博文,原敬,濱口雄幸,犬養毅,高橋是清,斎藤実及び安倍晋三の7人である。
もっとも,7人は事件当時の地位と死亡までの経過が同じではない。
首相在任中に殺害されたのは原敬と犬養毅であり,濱口雄幸は首相在任中に狙撃された後に辞任し,事件から約9か月後に死亡した。
伊藤博文,高橋是清,斎藤実及び安倍晋三は,首相退任後に殺害された。
本記事では,この違いを明示した上で,日本の7人について公的資料に基づいて整理し,あわせて,各事件がどのような裁判手続で処理され,どのような法制度の改正につながったのかを整理する。
暗殺された米国の現職大統領4人については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で詳しく扱っており,本記事では一覧と,日本との制度上の比較にとどめる。
安倍晋三事件の判決内容及び警護検証については,安倍晋三元首相暗殺事件に関する資料にも掲載している。
「暗殺」は,一般に政治的目的を含む殺害を指すが,歴史上の一覧では,襲撃時と死亡時の間隔,犯人の動機及び法的因果関係の扱いが資料によって異なる。
特に濱口雄幸は,1930年11月14日の狙撃直後には死亡せず,1931年4月14日に首相を辞任し,同年8月26日に死亡したため,他の6人とは区別して読む必要がある。
もっとも,国立国会図書館が狙撃,その後の健康悪化,辞職及び死亡を連続して記載していることを踏まえ,歴史上の通例に従って濱口を含む7人とする。
なお,凶器も一様ではなく,原敬は刃物により,その他の6人は銃器により襲撃されている。
| 人物 | 襲撃時の地位 | 襲撃日 | 場所 | 死亡までの経過 |
|---|---|---|---|---|
| 伊藤博文 | 首相退任後・枢密院議長 | 1909年10月26日 | ハルビン駅 | 銃撃後まもなく死亡 |
| 原敬 | 現職首相 | 1921年11月4日 | 東京駅 | 襲撃により死亡 |
| 濱口雄幸(浜口雄幸) | 現職首相 | 1930年11月14日 | 東京駅 | 重傷後に辞任し,1931年8月26日死亡 |
| 犬養毅 | 現職首相 | 1932年5月15日 | 首相官邸 | 同日死亡 |
| 高橋是清 | 首相退任後・大蔵大臣 | 1936年2月26日 | 東京の私邸 | 二・二六事件で死亡 |
| 斎藤実 | 首相退任後・内大臣 | 1936年2月26日 | 東京四谷の私邸 | 二・二六事件で死亡 |
| 安倍晋三 | 首相退任後・衆議院議員 | 2022年7月8日 | 奈良市の近鉄大和西大寺駅付近 | 同日午後5時3分頃死亡 |
第2 暗殺された日本の首相・元首相7人
1 伊藤博文
国立国会図書館「伊藤博文」によれば,初代内閣総理大臣を含めて4度首相を務めた伊藤博文は,1909年10月26日,ハルビン駅頭で安重根(アン・ジュングン)により暗殺された。
安重根らに対する判決文は,事件当時の伊藤の地位を枢密院議長とし,同日午前9時過ぎ,ロシア東清鉄道ハルビン停車場内において,安重根が拳銃を連射し,そのうち3発が伊藤に命中して死亡させたと認定している。
同判決は,随行員のうち総領事川上俊彦,宮内大臣秘書官森泰二郎及び南満州鉄道株式会社理事田中清次郎にも各1発が命中して銃創を負わせたが,この3名については目的を遂げなかったと認定しており,殺人1個と殺人未遂3個の合計4個の殺人罪の併合として処断している。
すなわち,同判決は,伊藤に対する殺人につき日本刑法第199条を適用して安重根を死刑に処し,死刑を科す以上,同法第46条第1項により残る3個の殺人未遂罪については刑を科さないとした。
また,同判決は,犯行を幇助した禹徳淳を懲役3年に,曹道先及び劉東夏を各懲役1年6月に処している。
この判決を言い渡したのは,日本の裁判所である関東都督府地方法院であり,判決日は1910年(明治43年)2月14日である。
同判決は,管轄権について,犯罪地及び逮捕地が清国の領土でありながらロシアの東清鉄道附属地であるという事情を踏まえ,ロシア官憲が被告人らを韓国籍と認めてロシアでは裁判に付さないと決定したこと,1905年11月17日の日韓協約第1条及び1898年9月11日の韓清通商条約第5款により,ハルビンの日本領事館が1909年法律第70号(領事官の職務に関する法律)に基づき審判権を有すること,1908年法律第52号第3条により外務大臣が同年10月27日に同法院へ裁判を移す旨命じたことを順次説示して,自らの管轄権を基礎付けている。
準拠法についても争いがあり,弁護人は,日韓協約第1条による保護は韓国政府の委任によるものであるから韓国政府が発布した刑法を適用すべきであると主張したが,同判決は,同条の趣旨は日本政府がその国民に対して有する公権作用の下に韓国国民をも保護することにあるとして,日本刑法を適用すべきものと判定した。
量刑については,同判決は,安重根の決意が私憤によるものでないとしても,深謀熟慮から出たものであり,厳重な警護を犯して著名人が集合した場所で敢行されたものであるとして,極刑を科すのが至当であるとした。
人名の読みは,国立国会図書館典拠データに従い「アン・ジュングン」とした。
なお,安重根の生年については,同典拠データが1878年とするのに対し,国立公文書館「明治宰相列伝:伊藤博文」は1879年としており,公的資料の間で記載が分かれている。
2 原敬
現職首相であった原敬は,1921年11月4日午後7時25分,東京駅で中岡艮一に襲撃され,死亡した。
国立国会図書館が公開する阪谷芳郎の日記(大正10年11月4日条「原敬暗殺事件報」)と解説は,時刻,場所,犯人名のほか,中岡艮一が当時19歳の東京・大塚駅のポイント作業員であったこと,及び事件の目的地が京都の立憲政友会近畿大会であったことを記している。
国立国会図書館「原敬」は,原内閣を初の本格的政党内閣と位置付けている。
中岡艮一に対する裁判の内容を記載した公的資料は,本記事の調査範囲では確認できなかった。
3 濱口雄幸(浜口雄幸)
現職首相であった濱口雄幸は,1930年11月14日午前8時57分,東京駅のプラットホームで佐郷屋留雄からモーゼル式拳銃で狙撃され,下腹部に重傷を負った。
時刻,使用された拳銃及び負傷部位は,国立国会図書館が公開する濱口の日記で確認できる。
もっとも,同館の解説は,濱口が当日に重傷を負っていることから,この日記は後日つづられたものと思われるとしており,同時性のある記録ではない点に留意を要する。
同解説は,濱口が岡山での陸軍大演習視察に出かけようとした際の事件であったことも記している。
国立国会図書館「浜口雄幸襲撃事件」によれば,狙撃は統帥権干犯に憤った佐郷屋留雄によるものであり,濱口は一命を取り留めたものの,病身を押して議会に出席した以後健康状態が悪化し,1931年4月14日に首相を辞職した後,同年8月26日に62歳で死亡した。
したがって,濱口は,現職首相時の襲撃直後に死亡した原敬及び犬養毅と同列には扱えず,本記事の「7人」の中でも注記を要する事例である。
4 犬養毅
現職首相であった犬養毅は,1932年5月15日,首相官邸を襲撃した海軍青年将校らに射殺された。
国立国会図書館「5.15事件」及び国立公文書館「犬養毅首相が海軍青年将校に射殺される」は,この事件を政党内閣の終焉につながる出来事として説明している。
国立公文書館は,海軍の青年将校らが首相官邸,警視庁などを襲撃したこと,及び翌日に高橋是清大蔵大臣が臨時に内閣総理大臣を兼任することとなり,その裁可書が現存することを記している。
すなわち,犬養毅の後を臨時に継いだ高橋是清自身が,その4年後に二・二六事件で殺害されることになる。
襲撃隊の構成及び弾丸数には資料間の表現差があるため,本記事では,公的資料が共通して示す「海軍青年将校らによる官邸襲撃と射殺」の範囲に記述を限定した。
5 高橋是清
首相経験者で,当時は岡田内閣の大蔵大臣であった高橋是清は,1936年2月26日未明,二・二六事件の反乱部隊に私邸を襲撃され,殺害された。
国立国会図書館「2.26事件」は,急進的な陸軍青年将校が所属部隊から約1400人の兵を率いて首相官邸等を襲撃し,内大臣斎藤実,蔵相高橋是清及び陸軍教育総監渡辺錠太郎らを殺害したと記している。
国立公文書館「二・二六事件」も同旨を記した上で,鈴木貫太郎侍従長が重傷を負ったこと,27日に東京市に戒厳令が施行され,29日に青年将校らが反乱軍として鎮圧されたことを記している。
同館が掲載する資料は,27日の戒厳令施行に関する閣議書(緊急勅令「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用ス」)であり,内閣総理大臣の決裁欄には臨時代理の後藤文夫内相の花押があり,殺害された高橋蔵相の決裁欄が空欄になっていることが指摘されている。
国立国会図書館「高橋是清」は,高橋が軍事費抑制方針を示して軍部と対立し,二・二六事件で暗殺されたと説明している。
6 斎藤実
首相経験者で,当時は内大臣であった斎藤実は,1936年2月26日午前5時頃,東京四谷の私邸を襲撃され,殺害された。
奥州市公式サイトの斎藤實記念館による事件概要は,坂井中尉率いる210名が私邸を襲撃したこと,斎藤が全身に40数発の銃弾を受けて即死したこと,及び斎藤をかばおうと抵抗した夫人も銃で撃たれて重傷を負ったことを説明している。
同記念館が公開する「弾丸貫通の鏡」は,斎藤が47発の銃弾を受けたと記載している。
公的資料で確認できる多数の創傷は銃弾によるものであり,刀傷の数を示す公的資料は確認できない。
なお,同記念館の事件概要は,陸軍皇道派青年将校20名が兵約1500名を率いたとしており,前記の国立国会図書館の「約1400人」とは兵員数の記載が一致しない。
また,同概要及び国立国会図書館が公開する大木操の日記によれば,岡田啓介首相は義弟で秘書官の松尾伝蔵が身代わりとなって難を逃れ,鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負って生存した。
鈴木貫太郎は,この襲撃を生き延びた後,1945年に内閣総理大臣に就任している。
7 安倍晋三
首相経験者で,当時は衆議院議員であった安倍晋三は,2022年7月8日午前11時31分頃,奈良市の近鉄大和西大寺駅付近で参議院議員選挙の応援演説中に,手製の2銃身パイプ銃で背後から2回発射された。
奈良地方裁判所令和8年1月21日判決(令和5年(わ)第7号,同第154号)は,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反及び建造物損壊の各事実を認定し,被告人を無期懲役に処し,未決勾留日数中800日をその刑に算入し,パイプ銃7丁及び黒色火薬20点を没収した。
検察官の求刑は無期懲役であった。
同判決によれば,1射目は約6.9メートル,2射目は約5.3メートルの距離から発射され,各散弾には金属性弾丸6個が装填されていた。
1射目の弾丸6発はいずれも命中せず,2射目の弾丸のうち2発が体内に侵入し,そのうち1発が左上腕部から左大胸筋を貫いて左右鎖骨下動脈を損傷し,安倍が同日午後5時3分頃,左上腕部射創による左右鎖骨下動脈損傷に基づく失血により死亡したと認定されている。
もう1発は右前頚部から侵入して右上腕骨を骨折させている。
同判決は,死亡確認が銃撃から約5時間30分後であるものの,搬送先の病院での処置の状況等に鑑みると,銃撃直後には非常に重篤でほぼ即死に近いような状態に至っていたことがうかがわれるとしている。
本件の法律上の争点は,手製銃の分類であった。
すなわち,同判決は,銃刀法における「拳銃」及び武器等製造法における「けん銃」を「肩付けせず,片手で保持して照準を合わせ,金属性弾丸を発射することができるような装薬銃で,本来,人の殺傷を目的としているもの」と解した上で,手製3銃身パイプ銃がこれに該当すると認定した。
また,同判決は,銃刀法及び武器等製造法における「砲」を,金属性弾丸を発射する機能を有する武器としての装薬銃砲のうち口径20ミリメートル以上のものとの要素を満たせば足りると解し,口径20ミリメートル以上の破壊力を有する砲弾を発射する構造まで必要とする弁護人の主張を排斥して,殺害に用いられた手製2銃身パイプ銃を含む各手製銃が「砲」及び「小口径砲」に該当すると認定した。
さらに,同判決は,拳銃等の加重所持罪は発射罪に吸収されず,両罪が成立して併合罪を構成するとした。
量刑については,同判決は,被告人の生い立ちが人格形成や思考傾向に一定の影響を与え,本件各犯行の背景や遠因となったこと自体は否定できないとしつつ,被告人は犯行着手時に既に40代を迎えた自立した生活を送る社会人であり,「人を殺してはならない」という社会規範に立ち戻る機会を何度も与えられながらこれを無視したこと,最終的な標的の選択も自身の都合を優先させた短絡的で自己中心的な意思決定にほかならないことを指摘して,生い立ちの大きな影響は認められないとした。
被告人側は2026年2月4日に控訴しており,控訴を報じたテレ朝NEWSの記事によれば,弁護側は量刑不当のほか,判決が手製銃を銃刀法の「拳銃」や「砲」と認定したことに不服を申し立てるものとみられ,大阪高等裁判所で審理されることとなる。
第3 暗殺された米国の現職大統領4人(一覧)
米国では,現職大統領として暗殺された人物は,エイブラハム・リンカーン,ジェームズ・A・ガーフィールド,ウィリアム・マッキンリー及びジョン・F・ケネディの4人である。
このうちガーフィールドとマッキンリーは,銃撃直後に死亡したのではなく,それぞれ80日間及び8日間の治療期間を経て死亡している点で,日本の濱口雄幸と同じ類型に属する。
| 大統領 | 銃撃日 | 死亡日 | 場所 | 実行者又は公式調査上の人物 |
|---|---|---|---|---|
| エイブラハム・リンカーン | 1865年4月14日 | 1865年4月15日 | ワシントンのフォード劇場 | ジョン・ウィルクス・ブース |
| ジェームズ・A・ガーフィールド | 1881年7月2日 | 1881年9月19日 | ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック鉄道駅 | チャールズ・ギトー |
| ウィリアム・マッキンリー | 1901年9月6日 | 1901年9月14日 | ニューヨーク州バファローのパンアメリカン博覧会 | レオン・チョルゴッシュ |
| ジョン・F・ケネディ | 1963年11月22日 | 1963年11月22日 | テキサス州ダラス | ウォーレン委員会報告上はリー・ハーヴェイ・オズワルド |
各事件の経過,共同謀議の有無,実行者及び共犯者がどのような裁判手続で裁かれたか,並びに各事件が生んだ法制度(軍事委員会とEx parte Milligan,ペンドルトン公務員制度改革法,シークレットサービスによる大統領警護の始まり,合衆国法典第18編第1751条の新設及びJFK暗殺記録収集法)については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人――事件を裁いた手続と,事件が動かした法制度で扱っている。
第4 関連する日本の政治家襲撃事件
1 日本国憲法施行後,在職中に殺害された国会議員
日本国憲法施行後,在職中に殺害された衆議院議員として,本記事で国会記録,裁判所資料及び報道により確認できたのは,次の5人である。
政府が作成した網羅的な公式一覧は確認できないため,ここでいう「5人」は,本記事の調査範囲で確認した人数である。
もっとも,1990年12月18日の衆議院本会議における丹羽兵助議員に対する追悼演説が「国会議員の殺傷事件は,去る昭和三十五年十月十二日の日本社会党中央執行委員長浅沼稲次郎氏以来であります」と述べていることは,浅沼事件から丹羽事件までの間に同種事件がなかったことを示す国会の公的な認識として参照できる。
| 氏名 | 死亡日 | 当時の地位 | 事件の概要 | 主な公的記録 |
|---|---|---|---|---|
| 浅沼稲次郎 | 1960年10月12日 | 衆議院議員・日本社会党委員長 | 日比谷公会堂での演説のさなかに刺されて死亡 | 池田勇人総理の追悼演説(第36回国会衆議院本会議録第2号) |
| 丹羽兵助 | 1990年11月2日 | 衆議院議員 | 10月21日に陸上自衛隊守山駐屯地での式典に出席する途上で刃物を持った男に襲われ,13日目に死亡 | 衆議院本会議の追悼演説 |
| 山村新治郎 | 1992年4月12日 | 衆議院議員 | 訪朝団団長として平壌に赴く前日に死亡(追悼演説は死亡の事実のみを述べ,事件の内容には触れていない) | 衆議院本会議の追悼演説 |
| 石井紘基 | 2002年10月25日 | 衆議院議員 | 自宅前で車に乗り込む際に刃物を持った男に襲われ死亡 | 衆議院本会議の追悼演説 |
| 安倍晋三 | 2022年7月8日 | 衆議院議員・首相経験者 | 選挙応援演説中に銃撃されて死亡 | 奈良地裁判決 |
この一覧は,選挙運動中又は政治活動中の事件だけでなく,私人間の事情による殺害も含むため,「政治的暗殺の一覧」と同義ではない。
特に山村新治郎については,追悼演説が死亡の事実を述べるにとどまり,死亡の原因や事件の内容に一切触れていないため,本記事では公的記録に現れた範囲を超えて記述していない。
2 伊藤一長長崎市長射殺事件
長崎市長であった伊藤一長は,2007年4月17日,市長選挙の運動期間中に,長崎市内の選挙事務所前歩道上で背後から拳銃で2発撃たれ,翌18日に死亡した。
最高裁判所第三小法廷平成24年1月16日決定(平成21年(あ)第1877号,集刑307号81頁)は,暴力団の幹部である被告人が,長崎市に対する不当な要求を繰り返していたところ,同市が市長である被害者の方針で暴力団からの不当要求等に屈しない姿勢をとっていたことから被害者を逆恨みし,被害者が次期市長選挙に立候補することを知ると,同人を殺害して当選を阻止することで恨みを晴らすとともに,自らの力を誇示しようと考えて犯行に及んだと認定し,これを「行政対象暴力の極み」と評価している。
成立した罪は,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反及び公職選挙法違反である。
本件の量刑の経過は,記憶されてよい。
第1審は被告人を死刑に処したが,原審である福岡高等裁判所平成21年9月29日判決は,第1審判決を破棄して被告人を無期懲役に処した。
同決定は,検察官及び被告人双方の上告をいずれも棄却した上で,職権により,殺害された者が1名であること,犯行の動機,目的自体に利欲目的がなかったこと,何らかの政治的信条に基づきその主義主張を実現する手段として犯行に及んだものではなく,主要な動機は被害者に対する恨みであって選挙妨害そのものを目的としたものではないことなどを指摘した原判決の判断は首肯し得ないではないとして,死刑を選択しなかった原判決が刑の量定において甚だしく不当であるとはいえないとした。
したがって,同事件は,選挙妨害の結果を伴いつつも,政治的暗殺と直ちに分類するのは適切でない。
3 殺害に至らなかった主な首相・元首相襲撃
首相又は首相経験者に対する襲撃は,上記7人以外にも発生している。
次の表は,公的資料で確認できる主な事例であり,未遂事件の完全な一覧ではない。
| 年月日 | 対象者 | 概要 | 資料 |
|---|---|---|---|
| 1936年2月26日 | 岡田啓介首相 | 二・二六事件で首相官邸を襲撃されたが,義弟で秘書官の松尾伝蔵が身代わりとなって生存 | 国立国会図書館「大木操の日記」 |
| 1936年2月26日 | 鈴木貫太郎侍従長 | 二・二六事件で瀕死の重傷を負ったが生存し,1945年に首相に就任 | 国立公文書館「二・二六事件」 |
| 1960年7月14日 | 岸信介首相 | 首相官邸中庭での自民党総裁交代の記念パーティーを中座して邸内に戻る際,後方から暴漢に刺された | 日本記者クラブの回顧資料 |
| 1975年6月16日 | 三木武夫首相 | 日本武道館で執行された故佐藤榮作元総理の国民葬儀で,午後1時53分頃,遺骨を出迎えるため正面玄関付近に立っていたところ,男に顔面を殴打され転倒。男は「自殺勧告状」とダイバーナイフを持っていた | 警察庁昭和51年警察白書,参議院質問主意書 |
| 1994年5月 | 細川護熙前首相 | 「細川前首相直近におけるけん銃発砲事件」として右翼によるテロ・ゲリラ事件に計上された(同人の負傷は記載されていない) | 警察庁平成7年警察白書 |
| 2023年4月15日 | 岸田文雄首相 | 衆議院和歌山1区補欠選挙の候補者が主催する街頭演説会に応援演説で訪れていたところ,付近に爆発物を投げ込まれた。岸田本人は負傷しなかったが,聴衆エリアにいた2名が負傷した | 警察庁検証報告書,和歌山地裁判決 |
岸田首相襲撃事件について,和歌山地方裁判所令和7年2月19日判決(令和5年(わ)第285号)は,火薬類の製造,爆発物の製造・使用・所持,選挙の自由妨害及び殺人未遂並びに包丁の携帯の各事実を認定し,被告人を懲役10年に処した(求刑は懲役15年)。
同判決は,殺人未遂の被害者を,当時の内閣総理大臣であった岸田文雄のほか,補欠選挙の立候補者,聴衆エリア内にいた当時70歳の男性及び当時33歳の男性の合計4名として認定し,このうち2名が加療約1週間及び全治約2週間の傷害を負ったと認定している。
争点は,爆発物の製造,使用及び所持についての身体加害目的と,殺人未遂についての殺意の有無であり,同判決はいずれも肯定した。
被告人の動機は,被選挙権の資格要件等が不当であるとして提起した国家賠償請求訴訟の経過をソーシャルネットワーキングサービスで発信したものの反響がなかったことから,世間の注目を集める手段として要人を狙ったというものであった。
大阪高等裁判所令和7年9月25日判決(令和7年(う)第410号)は,控訴を棄却した。
控訴審では,火薬類取締法,爆発物取締罰則及び銃砲刀剣類所持等取締法が憲法第29条第1項に,公職選挙法の被選挙権年齢の定めが憲法第43条第1項及び第44条ただし書に,殺意の有無を審理することが憲法第19条にそれぞれ違反するという主張がされたが,同判決はいずれも排斥した。
同判決は,被告人が投げた爆発物が岸田から約1メートルの地点に落ちたこと,その周囲に14名,演説会場に少なくとも一般聴衆181名がいたこと,爆発物は投げ込みから約52秒後に爆発したこと,パイプニップル(長さ約15センチメートル,重さ330.4グラム)が39.73メートル離れた倉庫の壁面に当たり,鋳鉄製キャップの金属片(重さ75.6グラム)が60.55メートル離れたコンテナ壁面に刺さっていたことなどを認定している。
また,同判決は,爆発物の落下直後に岸田が退避したのは警護官のとっさの判断と行動の結果であったと認定している。
テレ朝NEWSの2026年3月30日付記事によれば,最高裁判所は同月27日付けで被告人の上告を棄却し,懲役10年が確定することとなった。
もっとも,同記事は法廷名を報じておらず,同日付の当該決定は裁判所ウェブサイトの裁判例検索にも掲載されていない。
なお,本事案についても警察庁が検証を行っており,警察庁「令和5年4月15日に和歌山市内において実施された内閣総理大臣警護に係る警護上の課題と更なる警護の強化のための取組について」(令和5年6月)は,投擲された爆発物が警護対象者である内閣総理大臣の直近に落下したが,警護員の的確な任務遂行によりその身辺の安全は確保されたとする一方,「令和4年に制定された新警護要則の下,警護の在り方を根本的に見直してその関与を強化していたにもかかわらず,わずか1年以内に本事案が発生した」と述べている。
同報告書は負傷者を民間人1名としているが,これは刑事責任の認定とは範囲が異なり,前記の和歌山地裁判決は民間人1名のほかに警備に当たっていた警察官1名の傷害も認定している。
第5 暗殺事件を処理した裁判手続と,事件が動かした法制度
1 戦前の2事件は軍法会議で裁かれた
五・一五事件及び二・二六事件の被告人がどこで裁かれたかについては,政府の国会答弁がある。
1978年4月25日の衆議院法務委員会において,伊藤榮樹法務省刑事局長は,「当時,五・一五事件あるいは二・二六事件の被告人はほとんど軍法会議で裁かれ,一部一般の裁判所で裁かれておりますけれども,おおむね禁錮刑をもって処せられておるようでございます」と述べ,さらに「五・一五,二・二六の被告人の処断罪名は内乱罪ではなくて軍刑法の反逆罪でございますとか,あるいは民間人につきまして一部殺人,爆発物取締罰則等で裁かれておる」と答弁している。
すなわち,現職首相及び首相経験者3人を殺害した2つの事件は,通常の刑事裁判所ではなく,主として軍法会議が処理した。
その手続の性質について,前記の奥州市斎藤實記念館の事件概要は,二・二六事件の首謀者が「戒厳状態が続く中で弁護人なしの特設軍法会議の裁判によって死刑判決を受け,処刑されました」と説明している。
弁護人が付かない一審制の特設軍法会議という手続は,被告人の防御権という観点から見れば,現在の刑事訴訟法の下では想定し得ないものである。
なお,これらの軍法会議の記録については,2017年12月1日の衆議院法務委員会において,上川陽子法務大臣が,谷垣法務大臣の時代に国立公文書館へ移管することが決断され,移管作業が行われている旨を答弁している。
2 日本には政治的暗殺を特別に処罰する規定がない
日本の現行法には,政治的な目的による要人の殺害を,通常の殺人罪と区別して特別に処罰する規定がない。
本記事で取り上げた戦後の各事件も,殺人罪,銃砲刀剣類所持等取締法違反,武器等製造法違反,火薬類取締法違反,爆発物取締罰則違反,公職選挙法違反(選挙の自由妨害)といった一般の刑罰法規の組合せで処理されている。
もっとも,そのような特別法を設けようとする試みがなかったわけではない。
浅沼稲次郎事件の翌年である1961年6月1日の参議院法務委員会では,衆議院議員坪野米男が「政治テロ行為処罰法案」の提案理由を説明し,「自己の政治上の主義と相いれないということを理由として,相手方の言論あるいは政治的活動を圧殺するために相手方を殺傷するという行為が民主主義を破壊する,あるいは言論の自由を侵害する最も憎むべき犯罪行為だ」として,12か条から成る刑法の特別法を提案している。
しかし,この法案は成立しておらず,e-Gov法令検索でも「政治テロ」「テロ行為処罰」の語を含む法令は確認できない。
この点は,後述の米国が1965年に大統領等の殺害を処罰する連邦法を新設したのと対照的である。
3 安倍晋三事件と警護要則の全部改正
安倍晋三事件が最も直接的に動かした法規範は,警護要則である。
警察庁「令和4年7月8日に奈良市内において実施された安倍晋三元内閣総理大臣に係る警護についての検証及び警護の見直しに関する報告書」(令和4年8月25日)は,事件当時の警護が警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)に基づいて実施されていたこと,安倍元総理が令和2年9月16日に警護対象者として指定されていたことを明らかにした上で,警護計画の作成過程で遊説場所の南方向への警戒や銃器による攻撃への備えが具体的に検討されなかったこと,制服警察官の配置や交通規制が検討されなかったことなどを認定し,「警護要則の抜本的見直し」を提言した。
この提言を受けて,旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)は令和4年8月26日限りで廃止され,同日,新たな警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)が公布・施行された。
e-Gov法令検索により両者を比較すると,旧規則が全11条であったのに対し,新規則は全21条となり,次のような規定が新たに置かれている。
| 新規則の条項 | 内容 |
|---|---|
| 第2条第4号 | 「現場指揮官」を「警護の現場において警護員に対する指揮を行う警察官」と定義(旧規則に定義なし) |
| 第3条第2項 | 「警護は,警護計画を作成する段階から警護における危険度を評価し,それに十分対応できるものでなければならない。」 |
| 第3条第4項 | 直近・周辺・交通整理等の3類型の警護員を配置し,重層的に警護を行うこと |
| 第9条 | 警察庁長官が,場所の種別,警護対象者の行動の態様,不特定多数の者の有無等について「警護計画の基準」を定めること |
| 第10条第1項 | 警護計画の記載事項を11号に細分化(旧規則は5号)。周囲及び高所の警戒,交通整理及び雑踏整理,突発事案発生時の退避措置,現場指揮官の氏名・階級,装備資機材等を明記 |
| 第11条 | 実地踏査を行い,警護上の問題点を的確に把握しなければならないこと |
| 第12条 | 警察本部長が警護計画の案を長官等に報告し,長官等が修正等を指示できること |
| 第14条 | 現場指揮官を指名し,指揮に必要な権限を付与しなければならないこと |
| 第16条第1項 | 警護本部の設置を義務化(旧規則第7条は「特に必要があると認めるときは」設置するものとする,であった) |
| 第19条・第20条 | 長官による教養訓練の体系的計画の作成,装備資機材の開発・導入 |
また,警護対象者の定義も,旧規則第2条の「その身辺に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者」から,新規則第2条第1号の「その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者」に改められている。
いずれも国家公安委員会規則であり,法律の改正を伴うものではない点は留意を要する。
4 安倍晋三事件と銃刀法の改正
奈良地裁判決は,被告人が「インターネットで手製銃の製作方法等を調べるなどして」自宅で手製銃の製造を開始したと認定している。
この点に対応する法改正として,警察庁の解説によれば,銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律(令和6年法律第48号)により,次の措置が講じられた。
| 改正事項 | 内容 | 施行日 |
|---|---|---|
| あおり・唆し罪の新設 | 拳銃等の不法所持等を,公然と,あおり,又はそそのかす行為に1年以下の懲役又は30万円以下の罰金。インターネットやSNSでの投稿も「公然と」に含まれ得る | 2024年7月14日 |
| 電磁石銃の所持禁止 | 電磁石の磁力により金属性弾丸を発射する機能を有する銃のうち,運動エネルギーが20ジュール毎平方センチメートル以上のものの所持を禁止 | 2025年3月1日 |
警察庁は,禁止される行為の例として「インターネット上で,拳銃の自作方法を解説した動画を投稿し,不法所持を呼びかける」行為を挙げている。
なお,同法律案は,2024年6月7日の参議院本会議で全会一致により可決されている。
5 国葬儀の法令上の根拠
安倍晋三事件は,首相経験者の葬儀の法令上の根拠という論点も生じさせた。
第209回国会質問第9号「国葬,国葬儀,合同葬儀の違い等に関する質問主意書」に対する令和4年8月15日付答弁書(内閣参質209第9号)は,次のとおり答弁している。
第1に,「現在までに国葬儀について規定した法律はない」が,国の儀式を内閣が行うことは行政権の作用に含まれること,内閣府設置法第4条第3項第33号に内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務が明記されていることから,閣議決定を根拠として国の儀式である国葬儀を行うことは可能である。
なお,同号をe-Gov法令検索で確認すると,その文言は「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」である。
第2に,旧憲法時代の国葬令は現在は存在しない。
第3に,故安倍晋三国葬儀は内閣府設置法第4条第3項第33号の「国の儀式」として行われる葬儀であり,故中曽根康弘内閣・自由民主党合同葬儀は同号の「内閣の行う儀式」として行われた葬儀である。
第4に,宮内庁法第2条第8号に規定する儀式及び日本国憲法第7条第10号に規定する儀式を除いた「国の儀式」の例は,1967年10月31日に行われた故吉田茂国葬儀のみである。
第5に,経費は全額を国費で支弁するが,「国民をあげて喪に服する」ことを求めるものではない。
会場は北の丸公園内の日本武道館とされ,これは前記の故佐藤榮作元総理の国民葬儀の会場と同じである。
6 米国との比較——大統領の殺害を処罰する連邦法は1965年に新設された
米国では,大統領,副大統領,大統領当選者等の殺害,誘拐及び暴行を処罰する規定が合衆国法典第18編第1751条に置かれている。
もっとも,同条は1965年8月28日の連邦法(Pub. L. 89-141, 79 Stat. 580)によって新設されたものであり,1963年11月22日のケネディ大統領暗殺当時,大統領の殺害それ自体を処罰する一般的な連邦法は存在しなかった。
また,警護についても,同第3056条(a)が,現職の大統領・副大統領及びその当選者,元大統領及びその配偶者(終身),主要な大統領・副大統領候補者などを,法律で警護対象として列挙している。
これに対し日本の警護要則第2条第1号は,警護対象者を「内閣総理大臣,国賓その他その生命及び身体に危害が及ぶことが国の公安に係ることとなるおそれがある者として警察庁長官が定める者」と規定しており,首相経験者や選挙の候補者が当然には対象とならず,長官の指定によって対象となる。
前記の警察庁報告書によれば,安倍元総理が警護対象者として指定されたのは,令和2年9月16日であった。
米国側の立法の経緯(1902年に一度は両院を通過しながら成立しなかったこと,ウォーレン委員会の勧告の内容,同条の管轄に関する規定)については,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人で扱っている。
第6 出典
1 日本の首相・元首相に関する公的資料
① 国立国会図書館「伊藤博文」及び国立公文書館「明治宰相列伝:伊藤博文」
② 韓国史データベース(統監府文書)「安重根ら被告に対する判決文」
③ 国立国会図書館「阪谷芳郎:大正10年11月4日の日記より」
④ 国立国会図書館「浜口雄幸:昭和5年11月14日の日記より」及び「浜口雄幸襲撃事件」
⑤ 国立国会図書館「5.15事件」及び国立公文書館「犬養毅首相が海軍青年将校に射殺される」
⑥ 国立国会図書館「2.26事件」及び国立公文書館「二・二六事件」
⑦ 国立国会図書館「大木操:昭和11年2月26日の日記より」
⑧ 奥州市・斎藤實記念館「二・二六事件(事件の概要)」及び「弾丸貫通の鏡」
⑨ 国立国会図書館典拠データ「安重根」
2 裁判例及び手続資料
① 奈良地方裁判所令和8年1月21日判決(令和5年(わ)第7号,同第154号)
② 安倍晋三事件の被告人側控訴を報じたテレ朝NEWS
③ 最高裁判所第三小法廷平成24年1月16日決定(平成21年(あ)第1877号,集刑307号81頁)
④ 和歌山地方裁判所令和7年2月19日判決(令和5年(わ)第285号)
⑤ 大阪高等裁判所令和7年9月25日判決(令和7年(う)第410号)
⑥ 岸田首相襲撃事件の上告棄却を報じたテレ朝NEWS
⑦ 警察庁「安倍元総理の警護に関する検証及び警護の見直しに関する報告書」
⑧ 警察庁「令和5年4月15日に和歌山市内において実施された内閣総理大臣警護に係る警護上の課題と更なる警護の強化のための取組について」
3 法令・国会資料
① 警護要則(令和4年国家公安委員会規則第15号)及び旧警護要則(平成6年国家公安委員会規則第18号)
② 銃砲刀剣類所持等取締法の一部を改正する法律(令和6年法律第48号)及び警察庁の解説
③ 参議院第209回国会質問第9号及び内閣参質209第9号答弁書
④ 第36回国会衆議院本会議録第2号(浅沼稲次郎議員に対する追悼演説)
⑤ 第120回国会衆議院本会議(丹羽兵助議員に対する追悼演説),第123回国会衆議院本会議(山村新治郎議員に対する追悼演説),第155回国会衆議院本会議(石井紘基議員に対する追悼演説)
⑥ 第84回国会衆議院法務委員会議録第19号(昭和53年4月25日)及び第195回国会衆議院法務委員会議録第2号(平成29年12月1日)
⑦ 第38回国会参議院法務委員会(昭和36年6月1日・政治テロ行為処罰法案の提案理由説明)
⑧ 警察庁昭和51年警察白書及び平成7年警察白書
4 米国に関する資料
① 合衆国法典第18編第1751条及び第3056条
② その余の米国政府の公的資料及び医学文献は,姉妹記事暗殺された米国の現職大統領4人の出典欄に掲げている。