第1 本記事の対象と結論
1 対象と基準日
本記事は,令和8年9月19日現在,従業員が会社の現金,商品,備品その他の財物を持ち出した疑い,又は業務上占有する会社の金銭を私的に流用した疑いが生じたときに,会社が行う社内調査の標準的な手順と限界を整理するものである。
調査の対象は「犯罪があったか」だけではない。被害額及び期間,関与者,会計処理,保管・承認手続,内部統制上の不備並びに再発防止策も含む。
役員自身の不正,粉飾決算,賄賂,キックバック,反社会的勢力及び国外拠点を含む大規模不祥事は,調査主体,公表,金融商品取引法上の開示その他の論点が加わるため,別途の検討を要する。
2 結論
最初に行うべきことは,本人を問い詰めることではなく,被害の拡大を止め,客観証拠の消失を防ぐことである。
その後,①調査する事実と期間を仮に定める,②会計資料,防犯カメラ,入退室記録,メール及び操作ログ等の客観証拠を保全する,③通報者及び周辺者から聴取する,④客観証拠と供述の不一致を整理した上で本人を聴取する,⑤本人の説明及び反証を検証する,という順序が基本形となる。
会社は企業秩序違反の事実を調査できるが,警察のような強制捜査権限を有しない。調査の目的,必要性,対象,方法及び程度を絞り,従業員のプライバシー,名誉,私物の所有権及び通報者の保護と均衡させる必要がある。
第2 発覚直後の初動
1 被害拡大と証拠消失を防ぐ
(1) 本人に知らせる前に保全する
現金の不足,棚卸差異,不自然な振込み又は経費精算が見つかった場合,その場で本人へ電話したり,職場の一斉メールで事情を尋ねたりすると,データ削除,帳票差替え,共犯者への連絡又は供述の口裏合わせの機会を与えることがある。
先に,当該時期の金種表,レジ及び金庫記録,会計伝票,預金取引明細,在庫データ,稟議・承認履歴,防犯カメラ映像,入退室記録,業務用アカウントのログ及びバックアップの保存期間を確認する。
被害継続の現実的な危険があるときは,業務継続への影響を考慮しつつ,決済権限,倉庫への入場権限,金庫の鍵,カード,業務用アカウント及びデータ削除権限を見直す。ただし,アカウント停止や端末の電源操作そのものが証拠を変化させることがあるため,情報システム担当者又はデジタル・フォレンジックの専門家と方法を選ぶ。
権限の見直しを行う際は,調査を担当する権限,利用停止を決裁する権限及びシステムを操作する権限を分けて確認する。危険を具体化し,停止の対象・期間,部分制限や代替業務の可否,本人の説明方法及び次の見直し日を記録する方法が考えられる。調査が終わっていないという一事だけで,保全済みの資料や無関係な共有設備まで停止し続けない。
長野地裁令和8年3月27日判決(令和5年(ワ)第149号,判例秘書L08150326)は,公立大学法人の教授に対する減給処分の審査において,当初の疑い自体は不合理とせず,反対資料を踏まえない予算保留や教育用サーバー停止等の主導を問題とした。学生のデータは一定期間利用できなくなったのであり,消去・喪失したと認定された事件ではない。調査中の制限一般を一律に違法とした判決でもない。
措置ごとの決裁権限,緊急性,第三者への影響及び再評価の具体的な検討は,不正調査中の職場・研究室・サーバーの利用制限を参照されたい。
(2) 調査チームと情報共有範囲を決める
調査の責任者,証拠の取得担当者,会計・システムの分析担当者,事情聴取者及び最終判断者を決める。一人に取得,保管,分析及び判断を集中させず,誰が,いつ,何を,どの状態で受け取り,どこに保管したかを記録する。
疑われている者の直属上司,会計処理を承認した者又は通報の対象とされた幹部を,そのまま調査の指揮者にしてはならない。調査の秘密性は必要であるが,「他の部門に知らせない」ことと,利益相反のある人物に調査を任せることは別問題である。
税務調査や取引先の照会から発覚した場合は,情報の受領日時・受領者・具体的内容と,会社が確認できた事実を分けて記録する。
帳簿が整合していても,使用済みの入力自体が事実と違う可能性があるため,原資料と現物・工程・外部取引を照合する。
安全確保,法定届出,証拠保全,税務上の訂正及び財産保全は,担当を定めて並行して検討する。
具体的な分担は,税務調査で従業員の盗難・横領が判明したときで整理している。
2 「疑い」を複数の仮説に分ける
(1) 事実を日時,金額及び行為に置き換える
「横領したらしい」という評価のままでは調査対象として粗い。①いつ,②どの口座,金庫,店舗又は倉庫で,③いくら又は何が減少し,④どの伝票,承認,出庫又は送金操作が対応し,⑤誰がその操作及び財物にアクセスできたか,という命題に分解する。
調査範囲は,被害が疑われる期間とその前後,同じ手口が可能な取引類型,同じ権限を持つ者とする。最初から全社員のメール,全期間の端末及び全ての私生活情報へ広げるのではなく,新たな根拠が出たときに範囲を更新する。
(2) 不正以外の説明も残す
現金不足や使途不明金の原因には,①窃盗又は横領,②会計又は棚卸しのミス,③承認済み支出の未記帳,④仮払金又は立替金の未精算,⑤システムの反映遅延,⑥権限共有・代理操作による操作者誤認等があり得る。
調査は,不利益な仮説を裏付ける資料だけでなく,それを弱める資料も集める。本人の弁明を後から「新しい言い訳」と扱わないため,事情聴取前に会社が確認していた資料と仮説を日付付きで残す。
3 窃盗か横領かを分けるため刑法上の占有を確認する
会社の財物を持ち出した事案でも,対象者がその財物に触れられたというだけで,窃盗か横領かが決まるわけではない。刑法上,窃盗は他人の占有する財物を奪う犯罪であり,横領は自己の占有する他人の物を領得する犯罪であるため,まず犯行時に誰が財物を事実上支配していたかを具体的に確認する。
| 確認事項 | 事情聴取・証拠の例 |
|---|---|
| 日常的な接触・保管 | 陳列,棚卸し,金庫管理,入出庫及び保管場所へのアクセス |
| 鍵・パスワード | 所持者,共有の有無,使用ログ,勤務時間外の利用 |
| 排他的な支配 | 他の従業員又は上司が自由に確認・移動できたか |
| 店外持出し権限 | 持出しに上司の承認,伝票又は目的の限定が必要か |
| 処分・価格決定権限 | 販売,廃棄,返品,値引き又は移管を単独で決められたか |
| 上位者の統制 | 承認経路,定期点検,現金・在庫の照合及び職務分掌 |
| 共同占有 | 上位者と従業員の双方が現実に管理・支配できるか。上位者の占有が残るなら,従業員にも事実上の支配があっても,その侵害として窃盗が成立し得る |
| 対象物固有の権限 | 一般的な役職名ではなく,問題となる財物についての持出し,販売,廃棄,返品又は処分に個別承認が必要か |
会社が民法上の所有者又は名義上の保管者であることと,刑法上の占有主体は同じ問題ではない。法人については,どの自然人又は職務機能を通じて,対象物に対する現実の支配・管理が行われていたかを特定する。
役職名が「店長」「副店長」「管理者」であることや,鍵を預かっていることだけから独立した刑法上の占有を断定してはならない。店外への持出しや処分に上位者の承認が必要で,会社又は上司の支配が残っているなら窃盗となる余地がある一方,対象者に独立した保管・処分支配が認められるなら横領又は業務上横領が問題となる。
同じ従業員でも,レジ現金,陳列商品,預り品,返品商品,廃棄予定品及び倉庫在庫について,占有の結論が同じとは限らない。対象物ごとに,通常の職務権限,監督の実態,鍵・アクセス権,棚卸し,持出し又は処分時の個別承認を確認する。
社内調査報告書では,犯罪名を先に確定せず,「接触可能」「鍵を管理」「持出しには承認が必要」「廃棄権限なし」などの観察事実を記載し,占有主体については確認済み事実,推認及び未確認事項を分ける。共同占有者の一人が他の共同占有者の占有を奪って自己単独の占有に移す行為が窃盗となることについては,最高裁判所第三小法廷昭和25年6月6日判決(昭和25年(れ)第175号,刑集4巻6号928頁)が,原審の証拠によれば少なくとも係長も占有を有していたと認められるとした上で,「共同占有の場合、共同占有者の占有を奪つて自己単独の占有に移す行為は窃盗を以て目すべきこと大審院以来判例の認める処で其解釈は正当である。」と判示している。もっとも,同判決の本文(裁判所ウェブサイト及び判例秘書に掲載されたもの)には,持ち出された物や各人の職務の内容が記載されていないため,同判決から役職別の結論を一般化することはできない。家族や友人の間で一緒に管理していたお金を持ち出した場合と親族相盗例(刑法244条)については,一緒に管理していたお金や物を一人が持ち出したとき―窃盗罪か横領罪か,共同占有と親族相盗例(刑法244条)の裁判例で扱っている。
第3 証拠別の保全と確認
1 現金,商品及び会計資料
(1) 現物の状態を複数人で固定する
現金,商品,回収物又は証票類は,保管場所及び施錠状況を撮影し,複数人で数量,金種,製造番号,日付,文書の種類及び欠番を確認する。コピーや写真を取る場合も,原本の保管者,取得日時,取得方法及び保管場所を記録する。
商品又は材料が常時出入りする場合,断面的な数え直しだけでは足りない。直前の棚卸数,仕入れ,販売,返品,廃棄,破損,見本及び内部移動を時間順に突合させる。
(2) 帳票と外部記録を突合する
会社内部の帳簿だけではなく,金融機関の取引明細,決済事業者のログ,取引先の請求書・領収書,配送記録,返品記録及び税務資料と突合する。
伝票の作成者表示と実際の操作者は同じとは限らない。アカウント共有,代行入力,承認後の修正,時刻設定のずれ,バッチ処理及び自動連携の有無を確認する。
備品の反復持出し・転売では,品名,型番,製造番号,保管場所,持出し時期,転売先,評価額及び返還・弁償を品物ごとの台帳で対応させる。
在庫不足の全額を直ちに特定の従業員の損害とせず,廃棄・払下げ,記帳漏れ及び他者の持出しの可能性と,本人の行為を示す資料を分けて確認する。
2 防犯カメラと入退室記録
(1) 上書き前に必要期間を複製する
防犯カメラは保存期間が短いことがあるため,撮影範囲,機器の時刻と実時刻の差,フレーム落ち,映像が保存されていない時間及び書出し方法を記録して,先に必要期間を保全する。
映像に人が写っていること,その人が商品を持ち出したこと,商品に対する不法領得の意思があったことは,それぞれ別の命題である。出庫処理,廃棄,返品,社外持出しの承認及び本人の説明と照合する。不法領得の意思の内容が窃盗罪と横領罪とでどう異なり,捨てる又は隠す目的で持ち出した場合にどう扱われるかは,会社の書類や物を持ち出して隠した・捨てたときの不法領得の意思―窃盗・詐欺と横領で判例の定式が違う理由で扱っている。
映像,入退室記録,POS・レジ取引,出庫・返品・廃棄の承認及び本人の説明は,同じ時間軸で照合する。記録上の時刻と実時刻の差,タイムゾーン,記録が生成される時点及び後から修正できる範囲を資料ごとに確認し,元の表示時刻を残した上で,補正した時刻と補正根拠を併記する。連携機能の表示だけで整合したと扱わず,連携設定の有無や欠落も調べる。
照合結果は,対象日時,映像上の行動,取引・承認記録,本人の説明,一致点,不一致点及び未確認事項に分けて整理する。入場記録は入場者の行為全体を証明せず,POSの取消しも直ちに不正を意味しない。各資料の保存期限を確認し,最も早く消える映像・ログから保全する。保全を依頼しただけで終えず,必要なデータを実際に取得し,再生又は読取りができることを確認する。これらは証拠評価のための実務上の手順であり,全項目が一律の法定義務という趣旨ではない。
(2) 撮影と利用の目的を確認する
個人情報保護委員会の「カメラに関するQ&A」は,特定の個人を識別できるカメラ画像は個人情報であり,利用目的をできる限り特定し,その範囲内で利用する必要があるとする。防犯目的が設置状況から明らかな場合は利用目的の通知・公表が不要と考えられるが,撮影を容易に認識できない場合は掲示等の措置を要するとしている。
社内調査では,映像の閲覧者,複製範囲,利用目的,保管期間及び第三者提供の有無を記録し,関係者にとどまらない広範な社内共有を避ける。
既存の防犯映像を上書き前に保全することと,新たに隠しカメラ,録音又は顔識別機能を導入して監視を広げることは別の判断である。捜査機関の撮影に関する刑事訴訟法上の基準を,そのまま会社の調査権限の根拠にせず,利用目的,職場のルール,労働関係及び従業員・第三者のプライバシーを個別に確認する。
疑われる者と会話又は行動を共にしていたというだけで,相手も不正に関与したと断定してはならない。各人物について,映像から確認できる行動,事件との関連性,推認及び未確認事項を分ける。警察又は外部の弁護士へ渡す段階では,撮影・保全の適法性とは別に,提供の根拠と範囲を判断する。
民間事業者が保管する防犯カメラ映像の外部提供については,防犯カメラ映像を警察・弁護士に提供するとき―捜査関係事項照会,弁護士会照会,第三者の映り込みと提供範囲(AI作成)で,本人同意の例外,提供範囲,原記録の保全及び受渡しの記録を整理している。
3 メール,操作ログ及び会社端末
(1) 原データと取得履歴を残す
電子メール,チャット,クラウド,会計システム及び端末ログは,管理画面のスクリーンショットだけで済ませない。取得元,対象アカウント,期間,検索条件,タイムゾーン,出力形式,取得者,取得日時,ハッシュ値その他の同一性確認情報及び取得後の保管場所を記録する。
独立行政法人情報処理推進機構の「組織における内部不正防止ガイドライン」第5版89頁~91頁は,「いつ,誰が,何をしたのか」に関する検証可能な証拠の保全と,証拠保全の一貫性を証明できる書類への参照を示している。
端末は,起動,接続,ログイン,ソフトウェア実行又は通常のファイルコピーでも記録が変化し得る。改ざん,削除,USB接続履歴又は操作時刻が重要な案件では,担当者が独断で操作せず,先に専門家と保全方法を決める。
(2) 監視の目的と範囲を必要最小限にする
個人情報保護委員会「『個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン』に関するQ&AQ5-7」は,従業者のモニタリングについて,①目的を事前に特定して社内規程等に定め,従業者に明示する,②責任者及び権限を定める,③実施ルールを策定して運用者に徹底する,④ルールに従った運用かを確認する,という留意点を示している。
常時のモニタリング規程があることは,個別事案で関係のないメール,ファイル又は全期間の操作履歴を無制限に読む根拠にはならない。疑いの具体性,対象情報と行為の関連性,より侵害の小さい手段の有無及び私的情報が含まれる可能性を検討する。
4 私物端末と個人アカウント
(1) 会社端末と私物は分ける
会社所有の端末と従業員所有のスマートフォン,パソコン又はクラウドアカウントは,同じ扱いにはならない。
内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター「サイバーセキュリティ関係法令Q&Aハンドブック」104頁~105頁は,私物PC等は会社に所有権がないため,所有者の意思に反する調査は原則としてできず,高度の必要性がある例外的場合に限定されると解説している。
(2) 任意の提出と警察相談を切り替える
私物端末の提出を求めるときは,調査目的,対象期間,閲覧対象,複製の有無,保管者,返却時期及び同意しない場合の扱いを具体化して,任意性が保たれる方法で確認する。家族,弁護士,医療,労働組合活動その他の明らかな私的情報が混在する場合は,対象を検索語,期間,送受信先又は業務用フォルダ等で絞る。
同意が得られず,私物内部に重要な証拠があると合理的に疑われるときは,会社がパスワードを割り出したり,身体から端末を取り上げたりするのではなく,保全した客観資料とともに警察及び弁護士へ相談する。
従業員が私物のUSBメモリや個人のメールアドレス等で会社の情報を扱っていた場合の営業秘密,個人情報保護法及び懲戒の問題は,社員が私用LINE・私物USB・個人メールで会社の情報を扱ったとき―シャドーITと営業秘密,個人情報保護法,懲戒及び退職時の対応(AI作成)で整理している。
第4 事情聴取の順序と方法
1 客観証拠と周辺者を先に確認する
(1) 聴取の順序
通報者,発見者,現金・在庫・システムの管理者,取引先その他の周辺者から先に聴取し,原資料と対照する。疑われる本人への聴取は,通常,主要な客観証拠を保全し,説明を求める事実を日時,行為及び金額等で特定した後に行う。
同じ事実を知る複数人を同席させると,発言が影響し合うことがある。原則として個別に聴取し,第一回の記録を固定してから,不一致点を再確認する。
聴取の場所,人数及び時間は,供述の任意性と具体性を確保できるように設計する。休憩,退室,トイレの利用及び体調に配慮し,多人数で威圧したり,自認するまで長時間の聴取を続けたりしない。同日に集中的に調査する方法を選んでも,長時間拘束を正当化する理由にはならない。
(2) 記録すべき事項
記録には,聴取日時,場所,出席者,説明した目的,質問,回答,提示した資料,本人が示した訂正・反証,休憩及び終了時刻を残す。調書を作成する場合は,読み聞かせ又は閲覧の機会を設け,訂正履歴が分かる方法にする。
空欄のある書面へ署名させたり,会社が作った「自認」の結論に署名するだけの書面にしたりしない。自認があっても,金額,期間,方法,共犯関係及び返還状況は客観証拠で裏付ける。
事実確認書には,日付,取引,相手,金額,行為及び本人の認識を具体的に記載し,否認・訂正とその理由も残す。事実の確認と,損害賠償・報酬返上・請求放棄等の合意は区別し,一つの署名で全てに同意したと扱わない。録音を行う場合も,目的,管理担当者,閲覧・提供の範囲及び保存期間を検討し,供述の前後の文脈が確認できる形で保管する。
2 従業員はいつでも調査に協力する義務を負うわけではない
(1) 富士重工業事件の基準
最高裁判所第三小法廷昭和52年12月13日判決(昭和49年(オ)第687号,民集31巻7号1037頁)は,企業が企業秩序違反事件の事実関係を調査できるとしつつ,従業員がいつ,どのような場合にも調査協力義務を負うわけではないとした。
同判決によれば,調査協力がその従業員の職務内容である場合を除き,違反行為の性質・内容,見聞する機会と職務執行との関連性,より適切な調査方法の有無等を総合し,労務提供義務の履行上必要かつ合理的と認められるときに協力義務が生じる。
(2) 協力拒否だけで不正と断定しない
本人又は関係者が回答を拒む場合,①質問と職務の関連性,②質問範囲の必要性,③既に確認できている事実,④他の証拠取得手段,⑤弁護士等の同席希望,⑥心身の状態及び聴取時間を確認する。
拒否自体を窃盗又は横領の自認のように扱わず,会社が必要性と合理性を説明し,質問範囲を絞った後も回答が得られないときは,その経過を客観的に記録する。不正の有無は,回答拒否とは分けて,他の証拠に基づいて認定する。
第5 所持品,ロッカー及び机の調査
1 所持品検査には厳しい条件がある
(1) 西日本鉄道事件の判断枠組み
最高裁判所第二小法廷昭和43年8月2日判決(昭和42年(オ)第740号,民集22巻8号1603頁,西日本鉄道事件)は,金品の不正隠匿の摘発・防止を目的とする所持品検査について,①合理的な必要性,②一般的に妥当な方法と程度,③制度として職場従業員に対する画一的な実施,④就業規則その他の明示的な根拠を重視した。
この「画一的な実施」は,個別の窃盗疑惑があれば嫌疑者一人の身体や持物を会社が強制的に調べてよいという判断ではない。最高裁判決を引用した裁判所HP掲載判決3頁~4頁も,所持品検査はプライバシー侵害の危険を伴うとし,方法について直接強制は許されないことを前提としている。
(2) ロッカーや机も公私の範囲を確認する
会社備付けのロッカー,机,書庫又は車両であっても,従業員の私物保管を認めてきた領域であれば,プライバシーへの配慮が必要である。所有関係,貸与規程,私物保管の可否,調査条項,鍵の管理,従前の運用及び嫌疑の具体性を確認する。
開ける必要がある場合も,二名以上で対応し,本人の立会い又は事前説明の可否,撮影範囲,開始・終了時刻,発見物,元の状態及び再施錠を記録する。調査に関係しない私物の内容を記録又は共有しない。
2 拒否された場合の限界
本人が所持品又は私物の提示を拒否した場合,暴力,長時間の引止め,威嚇,身体検査,ポケットからの強制的な取出し,無断のパスワード回避又は私物の留め置きを行うべきではない。
会社は,根拠規定,必要性,対象及び方法を説明し,拒否の理由と経過を記録し,防犯カメラ,入退室記録,在庫記録,目撃証言その他の手段を検討する。証拠隠滅又は持出しの危険が高く,会社限りの任意調査では足りないときは,警察への相談,被害届又は告訴等の分岐を早めに検討する。
第6 調査結果から次の対応へ進む
1 調査報告書は事実,推認及び未確認を分ける
調査報告書は,①調査目的と範囲,②調査担当者と利益相反の確認,③取得資料と来歴,④聴取対象者と日時,⑤認定できる事実,⑥推認にとどまる事項,⑦未確認事項,⑧本人の説明及び反証,⑨被害額の計算根拠,⑩内部統制上の原因並びに⑪追加調査を要する事項に分ける。
「本人のIDで操作された」ことと,「本人が操作した」ことは同じではない。「現金が不足した」ことと,「本人が不法領得の意思で取得した」ことも同じではない。記録から直接確認できる事実と,他の事実と併せて行う評価を分ける。
2 懲戒・解雇は調査と別に判断する
不正行為が認定できても,懲戒又は解雇の有効性は自動的に決まらない。行為時の就業規則,懲戒事由,処分の種類,所定の手続,認定事実と条項の対応,故意・態様,被害額,返還,信頼関係,過去の処分との均衡,弁明の機会及び処分の相当性を確認する。
労働契約法15条は,懲戒が客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当でない場合は無効とし,同法16条は解雇について同様の基準を置いている。証拠が不十分なのに,本人が調査に批判的であること又は所持品の提示を拒んだことだけで,当初の窃盗・横領を認定してはならない。
本人が逮捕・勾留されている場合は,接見・通信の制限と実際に可能な回答方法を確認する。
就業規則等が弁明,懲戒委員会その他の手続を定めている場合はこれを履行し,拘禁のため回答できないことを直ちに非違行為の自認と扱わない。
懲戒解雇の判断と,労働基準法20条の解雇予告・予告手当及び解雇予告除外認定の問題も別に確認する。
3 損害回収と賃金支払は分ける
会社が従業員に対して損害賠償請求権又は返還請求権を有する可能性があっても,そのことから直ちに賃金から天引きできるわけではない。
労働基準法24条の賃金全額払原則との関係を検討する必要がある。本人が返還又は分割支払を申し出た場合も,被害額,支払期日,方法,遅延時の扱い,保証又は担保の有無等を書面化し,強圧による合意との疑いが生じないようにする。
損害賠償請求権と将来の執行が困難になるおそれを疎明できる場合,預金仮差押えの準備を懲戒処分の完了まで待つ必要はない(民事保全法13条・20条)。
逮捕の事実だけで保全の必要性が決まるわけではなく,被害品と損害額の裏付け,財産状況及び資産処分等の具体的事情を確認する。
解雇手続と財産保全を並行して進める方法は,会社備品を盗んで転売した社員への対応―証拠保全,懲戒解雇と預金仮差押えを並行して進める方法(AI作成)で扱っている。
4 警察相談は社内調査の「最後」とは限らない
窃盗又は横領の疑いが具体化した場合,警察相談,被害届又は告訴等を検討する。社内調査を全て終えてからでなければ相談できないわけではない。
①証拠が消失し又は社外へ移される危険が高い,②私物・住居・個人アカウント等に重要証拠があり任意提出が得られない,③共犯者又は社外受領者がいる,④被害が継続している,⑤事後の取引履歴など会社の権限だけでは入手できない証拠が必要であるときは,社内調査と並行して早期相談を検討する。
警察庁のデジタル・フォレンジックの説明も,電磁的記録は容易に消去,改変等ができるため,適正な手続による解析の重要性を指摘している。
警察への相談・被害届又は告訴の後は,会社の担当窓口を明確にし,捜査経過,送致先,処分結果及び公判日時等の確認を並行して行う。経過の通知を受けることと,供述調書等の刑事記録を取得することは別である。現在の手続段階ごとの確認先と記録取得の要件は,従業員の窃盗・横領被害を受けた会社が捜査・刑事裁判の情報を確認する方法(AI作成)で説明している。
毒物・劇物については,一般の警察相談に加え,毒物及び劇物取締法17条2項(業務上取扱者には22条4項・5項で準用)の直ちの届出義務を確認する。
単に相談したという記録だけで履行を判断せず,何をいつ把握し,警察へ何を伝えたかを残す。
税務署等から接触を控えるよう求められても,それが法定届出を当然に延期させるものとは扱わない。
同法はe-Govの条文で確認できる。
第7 内部通報から発覚した場合
1 通報者の特定と不利益取扱いを防ぐ
通報内容が公益通報者保護法上の公益通報に当たる可能性があるときは,通常の不正調査に加え,通報者を特定させる事項の管理,不利益取扱いの防止,通報者探しの防止,利益相反の排除及び調査記録の保管を行う。
消費者庁の令和3年内閣府告示第118号による指針は,幹部に関係する事案での独立性の確保,正当な理由がない限り必要な調査を行うこと,利益相反の排除,範囲外共有等の防止及び対応記録の作成・保管を求めている。
通報内容が結果として証明できなかったことと,通報が虚偽又は不正な目的であったことは同じではない。通報者の動機の推測に先行して,通報内容と客観資料を検証する。
2 令和8年12月1日施行の改正と区別する
基準日現在,令和7年法律第62号による改正は公布済みであるが,施行日は令和8年12月1日である。したがって,令和8年11月30日までの事案と同年12月1日以降の事案では,適用法と体制整備の確認時点を分ける必要がある。
改正内容は,「令和8年12月1日施行の改正公益通報者保護法―事業者及び通報者の実務対応(AI作成)」で整理している。
第8 社内調査の実務チェックリスト
①不足の種類,時期,金額,場所,発見経緯及びアクセス可能者を記録したか。
②本人への連絡前に,保存期間の短い映像,ログ,承認履歴及び帳票を保全したか。
③調査責任者,取得担当者,分析担当者及び最終判断者を分け,利益相反を確認したか。
④証拠ごとに取得元,取得日時,取得者,原本・写しの別,保管場所及び取得後の操作を記録したか。
⑤犯罪仮説だけでなく,ミス,記録遅延,承認済み支出又はアカウント共有等の代替説明を検証したか。
⑥通報者,発見者及び周辺者を個別に聴取し,原資料と対照したか。
⑦本人への聴取前に,説明を求める事実と客観証拠を整理し,本人が反証を示せるようにしたか。
⑧所持品,私物端末,ロッカー,メール又はログの調査について,根拠,必要性,関連性,相当性及び代替手段を確認したか。
⑨任意の提出を拒まれた場合に,会社限りの強制に進まず,他の証拠と警察相談を検討したか。
⑩調査報告書で,確認できる事実,推認,本人の説明,未確認事項及び法的評価を分けたか。
⑪懲戒,損害回収,賃金支払,警察相談,税務・会計修正及び再発防止をそれぞれ分けて判断したか。
キックバックの調査・回収は,キックバックが疑われたときの会社の対応で扱っている。
取締役の地位・報酬と責任追及は,役員不正が発覚したときの処遇と責任追及を参照されたい。
第9 関連する山中弁護士ブログの記事
①問題社員対応の基本手順―事実確認・注意指導・改善機会・記録化から処分まで(AI作成)
②デジタル証拠の原本保全とハッシュ値-弁護士が解析前に残すべき記録(AI作成)
③USB型フォレンジックツールを労務管理で利用する場合の法的注意点(AI作成)
④社員のミスやAIの使いすぎで会社が損害を受けたとき,本人に請求できるか(AI作成)
⑤減給の制裁の上限―労働基準法91条の解釈と計算例(AI作成)
⑥逮捕されたら会社にばれるか―逮捕・勾留中の欠勤,懲戒,解雇の実務(AI作成)
⑦社員が私用LINE・私物USB・個人メールで会社の情報を扱ったとき―シャドーITと営業秘密,個人情報保護法,懲戒及び退職時の対応(AI作成)
⑧従業員の窃盗・横領被害を受けた会社が捜査・刑事裁判の情報を確認する方法(AI作成)
第10 出典・確認状況
1 法令
①刑法235条,252条及び253条,令和8年9月19日確認(占有の切分けに関する追記に際し,同月24日にも現行条文を再確認)。
②労働契約法15条及び16条,同日確認。
③労働基準法24条,89条及び91条,同日確認。
④個人情報の保護に関する法律17条~25条,同日確認。
⑤公益通報者保護法11条及び12条,同日確認。
⑥法務省「令和3年司法試験論文式試験出題の趣旨」及び「令和3年司法試験の採点実感(刑事系科目)」(会社所有物について共同占有及び対象物固有の管理権限を切り分けるための論点発見資料として参照。裁判例と同じ拘束力を持つ資料としては扱っていない。)。
2 裁判例
①最高裁判所第三小法廷昭和52年12月13日判決,昭和49年(オ)第687号,民集31巻7号1037頁(富士重工業事件),PDF1頁~5頁,本文及び頁画像を同日確認。
②最高裁判所第二小法廷昭和43年8月2日判決,昭和42年(オ)第740号,民集22巻8号1603頁(西日本鉄道事件)。全国労働基準関係団体連合会「労働基準判例検索」の判例情報と,最高裁判決を引用する裁判所HP掲載判決3頁~4頁で判断枠組みを同日確認。最高裁判決の全文PDF自体は裁判所HPで確認できていない。
③最高裁判所第三小法廷昭和25年6月6日判決,昭和25年(れ)第175号,刑集4巻6号928頁,PDF1頁の本文を令和8年9月25日確認(判例秘書L00510175の本文も同じ)。
長野地裁令和8年3月27日判決・令和5年(ワ)第149号,給料等請求事件。判例秘書掲載本文L08150326。上訴・確定状況は未確認。
3 法令上の指針
①消費者庁「公益通報者保護法第11条第1項及び第2項の規定に基づき事業者がとるべき措置に関して,その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針」(令和3年内閣府告示第118号)1頁~4頁,本文及び頁画像を令和8年9月19日確認。
4 行政機関等の解説及び実務資料
①個人情報保護委員会「『個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン』に関するQ&AQ5-7」,同日確認。
②個人情報保護委員会「カメラに関するQ&A」1頁~2頁,本文及び頁画像を同日確認。
③内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター「サイバーセキュリティ関係法令Q&Aハンドブック」Ver.1.0,令和2年3月2日,95頁~100頁及び104頁~105頁,本文及び該当頁画像を令和8年9月19日確認。同書は令和2年版の法律家向け解説資料であり,現行法令の確認は個別に行った。
④独立行政法人情報処理推進機構「組織における内部不正防止ガイドライン」第5版89頁~91頁,本文及び該当頁画像を同日確認。
⑤警察庁「デジタル・フォレンジック」,同日確認。
⑥厚生労働省「使用者が労働者に対して有する債権をもって,労働者の賃金債権と相殺することはできないとした裁判例」及び「賃金に関するQ&A」,同日確認。
防犯カメラの設置目的,従業者の監視,保存期間及びクラウド契約については,店舗・法律事務所に防犯カメラを設置するときも参照されたい。