目次第1 本記事の対象と結論1 本記事の対象と基準日2 結論第2 事件の経過1 担当事件の女性被告人との接触2 最高裁判所長官による訴追請求3 町長選挙への立候補と失職4 訴追委員会の審査打切り第3 退職手当と年金1 全額支払となる旨の答弁2 支払を控える余地の検討3 退職手当の額第4 刑事事件1 捜査2 最高裁判所昭和60年7月16日決定第5 国会の議論と改正の経緯1 政府と最高裁判所の当初の反応2 改正の方法をめぐる議論3 最高裁判所事務当局の案4 裁判員会議の決定と改正の依頼5 小委員会での審議6 可決と公布7 簡易裁判所判事の推薦基準の見直し第6 裁判官弾劾法41条の2の内容1 条文2 適用の効果3 適用される場面と適用されない場面4 同時に改正された15条第7 罷免と退職手当の関係1 罷免された場合2 公職選挙法90条による退職3 退職後の刑事処分第8 関連記事第9 出典・参考資料1 法令2 裁判例3 国会会議録4 公的資料5 文献6 調査範囲
第1 本記事の対象と結論
1 本記事の対象と基準日
本記事は,昭和55年,最高裁判所長官から罷免の訴追を求められていた小倉簡易裁判所判事の安川輝夫(以下「安川簡裁判事」という。)が福岡県久山町長選挙に立候補して裁判官の身分を失い,裁判官訴追委員会が審査を打ち切った経緯と,これを受けた裁判官弾劾法41条の2の新設までを整理するものである。
経緯は,国会会議録,裁判官弾劾裁判所の公表資料,衆議院の制定法律情報及び裁判所ウェブサイトの最高裁判所決定で確認した。
法令は,令和8年9月27日現在の条文をe-Gov法令検索で確認した。
山本祐司『最高裁物語(下巻)』(講談社+α文庫,1997年)の記述は,同書によるものであることを示して補足的に用いた。
2 結論
①昭和55年9月10日,最高裁判所長官は,担当する刑事事件の女性被告人と私的に接触した安川簡裁判事について,裁判官訴追委員会に罷免の訴追を求めた。
②安川簡裁判事は,同年10月12日に久山町長選挙に立候補したため,公職選挙法90条により裁判官の身分を失い,訴追委員会は同月17日に審査打切りの決定をした。
③弾劾裁判による罷免がなかったため,退職手当と共済年金は法律に従って支払われることになり,最高裁判所は支払を控える解釈の余地を検討したものの,年度末に支払を決定した。
④国会では,罷免の訴追を逃れるための立候補を防ぐ方法として,公職選挙法90条を改める方法と裁判官弾劾法を改める方法が議論され,最高裁判所事務当局の案を骨格とする裁判官弾劾法の改正が選ばれた。
⑤裁判官弾劾法の一部を改正する法律(昭和56年法律第66号)は,衆議院議院運営委員長が提出した議員立法であり,衆参両院で全会一致により可決され,昭和56年6月5日に公布され,同日施行された。
⑥新設された裁判官弾劾法41条の2により,最高裁判所から罷免の訴追を求められている裁判官と訴追委員会から罷免の訴追をされている裁判官には,公職選挙法90条が適用されなくなった。
⑦もっとも,最高裁判所が訴追請求をする前の段階での立候補は同条の対象外であり,その場合の退職手当については,現行の国家公務員退職手当法12条1項2号及び14条1項が支給制限の根拠となり得る。
⑧安川簡裁判事は刑事事件でも起訴され,最高裁判所第三小法廷昭和60年7月16日決定は,担当する窃盗被告事件の女性被告人を喫茶店に呼び出した行為が公務員職権濫用罪に当たるとした原判断を是認し,上告を棄却した。
第2 事件の経過
1 担当事件の女性被告人との接触
最高裁判所第三小法廷昭和60年7月16日決定(昭和58年(あ)第1309号,刑集39巻5号245頁)が示す第一審判決の認定(原判決が是認したもの)によれば,被告人は小倉簡易裁判所判事で,女性被告人に対する窃盗被告事件の審理を担当していた。
同事件の次回公判期日は,被害弁償を待つために昭和55年7月16日に指定されていた。
被告人は,同月11日午後8時40分ころ,自己との交際を求める意図で女性被告人に電話をし,被害弁償のことで会いたいなどと言って呼び出した。
女性被告人は,被告事件について出頭を求められたものと誤信し,同日午後9時ころから9時30分ころまで,駅付近の喫茶店で被告人と同席した。
国会では,勝見嘉美最高裁判所事務総局人事局長が,昭和55年10月15日の衆議院法務委員会で,最高裁判所が把握した事実を説明した。
その説明によれば,9月6日の第1回事情聴取で,安川簡裁判事は,担当する刑事事件の女性被告人と7月11日,同月15日及び8月4日の3回にわたり喫茶店で面会したことは認めたが,旅館に行ったことと5万円を渡したことは否認した。
しかし,9月8日の第2回事情聴取で,安川簡裁判事は,7月15日に女性被告人と旅館に行って情交関係を持ち,別れる際に5万円を手渡したことを認めた。
2 最高裁判所長官による訴追請求
勝見人事局長は,上記の事情聴取の後,最高裁判所長官が訴追委員会に対して罷免の訴追を求めたと説明した。
昭和56年5月27日の衆議院議院運営委員会国会法改正等に関する小委員会で,大西勝也最高裁判所事務総局人事局長は,その日付を昭和55年9月10日と述べている。
裁判官弾劾裁判所の公表資料も,昭和55年9月10日に最高裁判所長官が訴追委員会に訴追請求をしたとしている。
当時の裁判官弾劾法15条3項は,罷免の訴追を求める義務を「最高裁判所長官」に負わせていた(後記第6の4)。
(続きを読む...)安川輝夫簡裁判事の失職と裁判官弾劾法41条の2―訴追請求中の町長選立候補で退職手当が支払われた事件と法改正(AI作成)