第1 自宅だけを見て財産分与なしと決めない
1 オーバーローンと分与対象全体の評価
住宅ローンの残高が自宅の価額を上回る状態を,オーバーローンという。自宅だけなら差引きの価値はマイナスになるが,預貯金など他の分与対象財産があれば,それを含めた評価が必要となる。「住宅がオーバーローンなら,住宅とローンを計算から外して預金だけを半分にする」「住宅がオーバーローンなら,一切の財産分与ができない」と一律に扱うべきではない。
東京高等裁判所令和6年8月21日判決は,他の対象財産と住宅ローンを通算する考え方と,通算が当事者間の衡平を害する場合の調整を述べた。本記事は,この判決の掲載全文と,令和8年10月5日現在の民法を基に説明する。
2 すべての借金を差し引くわけではない
まず,住宅及びローンが財産分与の対象となるかを確認する。婚前取得,相続・贈与を原資とする部分,借入れの使途,婚姻中の取得・維持への協力等を整理する必要がある。配偶者の個人的な浪費や婚姻共同生活と無関係の借金まで,自動的に他方へ負担させる趣旨ではない。
登記持分,ローンの契約名義及び現実の返済割合も記録する。所有名義だけで財産分与の額が決まるわけではなく,現行民法768条3項は,取得・維持への寄与が異なることが明らかでないときは,寄与の程度を等しいものとする。
第2 東京高裁令和6年8月21日判決
1 通算と衡平調整の考え方
東京高等裁判所令和6年8月21日判決(令和6年(ネ)第710号,判例タイムズ1539号60頁)は,財産分与の対象不動産の評価額を住宅ローンが上回る場合,他の対象積極財産と評価額を通算し,分与額・方法を定める考え方を示した。
一方で,機械的な通算が当事者間の衡平を害する事情がある場合には,異なる額・方法を定めることにも合理性があるとした。自宅を取得して返済を続ける側は,完済後に負債のない不動産を保有し得るのに対し,他方は住居も積極財産も得られない場合があること等を踏まえた説明である。
これは一つの高裁判決の判断であり,全国のすべての事件で同じ計算方法が適用されると保証するものではない。通算の計算だけでなく,誰がどの資産と負担を引き受け,離婚後の生活がどうなるかを具体的に示す必要がある。
2 この事件では財産分与を認めなかった
本件では,自宅のローンが評価額の3倍を超え,対象財産全体の総評価額は約193万円の債務超過であった。裁判所は,退職金支給の不確実性等も検討し,財産分与申立ての却下を維持した。
判決は,婚姻破綻についての責任や住居を離れた経緯等も,本件の衡平調整の要否を判断する事情として検討している。しかし,これを「不貞をした配偶者には財産分与がない」「家を出た配偶者は分与を受けられない」という一般的な制裁の規則にすることはできない。
また,本判決自体は,ペアローン商品の契約構造を正面から判断した判決ではない。ペアローンの事件で参考にするときも,通算・衡平に関する考え方と,各ローン契約・保証契約の処理を分ける必要がある。
第3 計算と生活への影響を分けて示す
1 通算の計算例
以下は計算の仕組みを示す仮定例であり,裁判例の金額又は確定的な分与額ではない。自宅とローン及び預金の全額が分与対象となり,価額に争いがないと仮定する。
| 項目 | 評価額 |
|---|---|
| 自宅 | 2000万円 |
| 住宅ローン | マイナス2500万円 |
| 対象預金 | 800万円 |
| 通算後の純額 | 300万円 |
この例では,住宅とローンだけの差額はマイナス500万円であるが,他の対象預金と通算すると純額は300万円となる。寄与を2分の1とする単純計算では,各人の純取得額の目安は150万円となる。ただし,現物を誰が取得するか,その人が既に保有している対象財産と負担は何かを踏まえて,清算金を計算する必要がある。各人に150万円を追加で払えばよいという意味ではない。
2 衡平調整を求めるなら事情を具体化する
通算結果と異なる分与を求める場合は,自宅の取得・居住継続,完済後の利益,離婚後の返済能力,双方の転居費用,収入,健康及び他の財産の状況を示す。負担だけでなく,保有資産や将来の利益を含む説明が必要である。
現行民法768条3項は,離婚後の財産上の衡平を図るため,対象財産と寄与,婚姻期間,生活水準,協力・扶助,年齢,心身の状況,職業,収入等を考慮すると定めている。「公平にしてほしい」という抽象的な希望にとどめず,通算結果のどの点がどの事情によって不均衡になるのかを明示する。
第4 金融機関への責任と夫婦間の清算
1 家を渡す合意だけでローンから抜けられない
夫婦間で,自宅を一方が取得し,その一方が残りのローンを払うと合意しても,金融機関に対する債務者や連帯保証人の地位が当然に変わるわけではない。民法472条の免責的債務引受には,債権者との契約又は債権者の承諾など,金融機関の関与が必要となる。
住宅金融支援機構も,離婚による債務者・持分の変更について審査が必要であり,希望どおり認められないことや,一部繰上返済等が必要となることがあると案内している。夫婦間の分与内容を決める前に,借換え,債務者変更,保証の解除及び売却の可否を,契約先へ確認する。
ペアローンの仕組みと金融機関との調整は,ペアローンを組んだ夫婦の離婚と財産分与で詳しく扱っている。
2 別居後・離婚後の返済を記録する
いつの不動産価額とローン残高を計算に使うかを明示する。対象財産を確定する基準時と価額を評価する時点は同じとは限らないため,査定日,残高証明の基準日及び返済履歴を分けて一覧にする。
別居後に一方が返済した場合は,元本,利息,居住利益,支払原資及び当事者の合意を確認し,財産分与,婚姻費用又は別個の請求のどこで処理するかを整理する。同じ支払をローン残高の減少と立替金の両方で重ねて計上しないようにする。
他方名義のローンを払った場合の検討は,妻が払った夫名義の住宅ローンは取り戻せるかを,生活費の算定は,別居中の婚姻費用と住宅ローンを参照されたい。
第5 期限と合意前の確認事項
1 離婚日によって家裁への請求期間が違う
財産分与の協議が調わない,又は協議できない場合,現行民法768条2項は家庭裁判所に協議に代わる処分を求めることを認めるが,離婚から5年を経過すると請求できない。
ただし,令和6年法律第33号附則4条により,令和8年4月1日より前に離婚した場合は,従前の2年の期間制限が残る。令和8年3月31日までの離婚と,同年4月1日以後の離婚を分けて,期限を確認する。金融機関との交渉を続けているだけで家裁への請求期限を守ったことにはならない。
この期間制限を,立替金や貸付金など別個の請求権の消滅時効と混同しない。合意の有無・内容,請求の法的根拠及び必要な手続を個別に確認する。
2 資料と合意条項をそろえる
合意又は申立ての準備では,次の事項を確認する。
①登記事項証明書,取得契約,頭金の原資及び持分
②ローン契約,保証契約,基準日を明示した残高証明及び返済履歴
③査定書等の評価資料と,売却費用を含む計算の前提
④預貯金,有価証券,保険及び退職金等の他の対象財産
⑤自宅の取得者・居住者,返済計画及び他方の住居確保
⑥金融機関の審査条件,承諾の要否及び審査不成立時の代替案
⑦清算金,支払時期,登記,費用負担及び履行確保の方法
審査が通る前提だけで最終的な債務離脱を約束せず,審査が通らなかった場合に売却等へ切り替えるのかを明確にする。不動産移転の課税は,ローンと財産を差し引く分与の計算とは別に確認する。国税庁は,分与した時の時価を譲渡所得の収入金額とすると説明しており,オーバーローンであることだけで非課税になるとはいえない。離婚時の財産分与と税金も参照されたい。
第6 出典・確認範囲
①民法768条・472条。令和8年10月5日現在の条文。
②民法等の一部を改正する法律(令和6年法律第33号)の768条改正部分及び附則4条。
③東京高等裁判所令和6年8月21日判決・令和6年(ネ)第710号・判例タイムズ1539号60頁。判例秘書L07920691の掲載全文を確認。本記事の通算・衡平の説明は,特に理由第3の1(6)を踏まえる。
④住宅金融支援機構「離婚するので債務者を夫から妻へ変えることはできますか」。金融機関の説明であり,財産分与額を決める裁判基準ではない。
⑤国税庁「離婚して土地建物などを渡したとき」。
⑥「不動産がオーバーローンのときの財産分与」は,上記東京高裁判決を検討するきっかけとなった解説資料であり,判決本文と区別して参照した。