第1 本記事の対象と結論の要旨
1 本記事が扱う場面
大規模な個人情報の漏えいが公表されると,被害者が集まって損害賠償を求める「集団訴訟」が話題になることがある。
本記事は,個人情報の漏えいについて多数の被害者が損害賠償を求める場合に,日本の法制度上どのような手続があり,消費者裁判手続特例法(消費者の財産的被害等の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律)の手続がどこまで使えるかを説明するものである。
本記事の記載は,令和8年10月25日時点で確認できた法令と公表資料に基づく。
2 結論の要旨
①被害者がそれぞれ原告となって同じ事業者を訴える共同訴訟(民事訴訟法38条)では,確定判決の効力は当事者となった被害者に及び,訴訟に加わらなかった被害者には及ばない。
②消費者裁判手続特例法には,内閣総理大臣の認定を受けた特定適格消費者団体が原告となる共通義務確認訴訟の制度があるが,精神上の苦痛を受けたことによる損害(慰謝料)は,原則として対象から除かれている(同法3条2項6号)。
③慰謝料が除かれてきたのは,第2段階の手続で個々の債権を適切かつ迅速に判断できること(支配性)と,事業者が被害額の見通しを把握できること(係争利益の把握可能性)を確保するために,対象を類型化したためである。
④令和4年法律第59号による改正で,慰謝料も,算定の基礎となる主要な事実関係が相当多数の消費者に共通することを前提に,財産的請求と併せて請求する場合か,事業者の故意によって生じた場合に限り,対象となった。
⑤改正に先立つ消費者庁の検討会報告書は,過失による個人情報漏えいの慰謝料を対象外とすべきとの指摘と,個人情報漏えい事案かどうかで対象を決めることは妥当でないとする個人情報保護委員会の指摘の双方を記録している。
⑥その結果,事業者の過失による漏えいについて慰謝料だけを求める場合は,同法の手続を使うことができず,被害者は,自ら原告となるか,選定当事者を選定するなどして,民事訴訟法の手続で請求することになる。
第2 「集団訴訟」と呼ばれる手続の種類
1 多数の原告による共同訴訟
民事訴訟法38条は,訴訟の目的である権利又は義務が数人について共通であるとき,同一の事実上及び法律上の原因に基づくとき,又は同種であって事実上及び法律上同種の原因に基づくときは,その数人は共同訴訟人として訴えることができると定める。
同じ漏えい事故で個人情報が流出した被害者が,一つの訴えで同じ事業者に損害賠償を求めるのは,この共同訴訟に当たる。
共同訴訟でも,請求権は原告ごとに別であり,どの情報が流出したか,二次被害があったか,損害がいくらかは,原告ごとに主張し,証明する必要がある。
確定判決は当事者に対して効力を有するものであり(民事訴訟法115条1項1号),訴訟に加わらなかった被害者には及ばない。
2 選定当事者
民事訴訟法30条1項は,共同の利益を有する多数の者は,その中から,全員のために原告となるべき一人又は数人を選定することができると定める。
選定された者(選定当事者)が全員のために訴訟を追行するので,多数の被害者が全員で訴訟手続に関わる負担を減らすことができる。
選定当事者が受けた確定判決の効力は,選定をした者にも及ぶ(民事訴訟法115条1項2号)。
もっとも,選定当事者になるのは共同の利益を有する者の中の者であり,被害者でない団体が代わりに原告となる制度ではない。
3 特定適格消費者団体による共通義務確認訴訟
消費者裁判手続特例法は,特定適格消費者団体が原告となり,相当多数の消費者に共通する原因に基づいて事業者が金銭を支払う義務を負うことの確認を求める共通義務確認訴訟(第1段階)と,その後に個々の消費者の債権の存否及び内容を確定する簡易確定手続(第2段階,同法2条7号)の2段階で,消費者の被害を回復する制度を定めている。
特定適格消費者団体は,被害回復裁判手続を追行するのに必要な適格性を有する法人である適格消費者団体として,内閣総理大臣の認定を受けた者である(同法2条10号)。
個々の消費者は,第1段階の訴訟の当事者にならない。
第2段階では,簡易確定手続を申し立てた特定適格消費者団体が,対象となる消費者から授権を受けて,その債権を届け出る(同法33条1項・34条1項)。
制度の流れと最高裁判例は,消費者被害の集団的回復手続―共通義務確認訴訟と最高裁令和6年3月12日判決(AI作成)で整理している。
第3 消費者裁判手続特例法と慰謝料
1 対象となる請求
同法3条1項は,共通義務確認の訴えの対象を,消費者契約に関する一定の金銭の支払義務に限っている。
具体的には,契約上の債務の履行の請求,不当利得に係る請求,契約上の債務の不履行による損害賠償の請求,民法の規定による不法行為に基づく損害賠償の請求等である。
個人情報の漏えいは,会員契約や利用契約を結んだ消費者の情報が事業者の管理下から流出するものであれば,消費者契約に関するものといえる場合が多いと考えられる。
2 慰謝料が対象外とされてきた理由
同法3条2項は,同条1項3号から5号までの請求(債務不履行,不法行為等による損害賠償の請求)について,共通義務確認の訴えを提起することができない損害として,いわゆる拡大損害,逸失利益,人の生命又は身体を害されたことによる損害と並べて,6号で「精神上の苦痛を受けたことによる損害」を掲げている。
消費者庁の「消費者裁判手続特例法等に関する検討会」の報告書(令和3年10月)は,このように対象を限っている基本的な考え方を,第1段階の判決の効力を第2段階の手続に加わる消費者に及ぼす仕組みであることから,第2段階で対象債権の存否及び内容を適切かつ迅速に判断できること(支配性)と,事業者が消費者の被害額のおおよその見通しを把握して十分な攻撃防御ができること(係争利益の把握可能性)の二つの要請を満たすために,対象となる請求と対象外となる損害を類型化することにあると説明している(同報告書9頁)。
同報告書は,制度の創設時には,事業者の経済活動を萎縮させるような不適切な訴訟提起を防ぐ観点等から対象範囲が慎重に検討され,要請を満たし得る類型も一律に対象外と整理された面があったとも述べている(同報告書9頁)。
3 慰謝料が対象となる二つの場合
同法3条2項6号の括弧書は,精神上の苦痛を受けたことによる損害のうち,その額の算定の基礎となる主要な事実関係が相当多数の消費者について共通するものであり,かつ,次のいずれかに当たるものを除外の対象から外している。
①共通義務確認の訴えにおいて一の訴えにより,財産的請求と併せて請求されるものであって,財産的請求と共通する事実上の原因に基づくもの(同号イ)
②事業者の故意によって生じたもの(同号ロ)
この括弧書は,令和4年法律第59号による改正で加えられたものであり,令和5年10月1日から施行されている。
消費者庁の改正の概要も,対象範囲の拡大として,基礎的事実関係が共通であることに加えて財産的損害と併せて請求する場合又は故意による場合に慰謝料を追加したと説明している。
4 個人情報漏えいが議論された経緯
前記の検討会報告書は,慰謝料を対象とすることについて,個人情報漏えい事案は「なお慎重な検討を要するとの指摘があった」と記載している(同報告書11頁)。
その理由として,同報告書は,事業者の過失により大量の個人情報が一斉に流出する事案で慰謝料が一律に対象となると,一人ひとりの額は低くても集団としての総額が膨大になり,データの利活用が妨げられることや,事前予防や事後の措置にかけるべき事業者の資源が圧迫されることへの懸念を挙げ,過失による個人情報漏えい事案は対象外とすべきとの指摘があったとしている(同報告書11頁~12頁)。
他方で,個人情報の意図的な目的外利用のような事案は対象とすべきと考えられるとし,重大な過失による漏えい事案も対象とすべきとの意見があったことも記録している(同報告書12頁)。
また,検討会に参考人として出席した個人情報保護委員会は,個人情報漏えい事案であるか否かで対象を決めることは妥当でないと指摘した(同報告書12頁~13頁)。
改正法は,個人情報漏えい事案という類型で区別する方法ではなく,財産的請求との併合又は事業者の故意を要件とする方法をとっている。
5 過失による漏えいの慰謝料だけを求める場合
第三者による不正アクセスで情報が持ち出された事案では,事業者が漏えいを意図したという故意を問題にすることは通常困難であり,争点となるのは,安全管理措置の不備という過失の有無であると考えられる。
また,個人情報が漏えいしただけで財産的な被害が生じていない被害者が求めるのは,慰謝料である。
そのため,過失による漏えいについて慰謝料だけを求める場合は,同法3条2項6号の括弧書に当たらず,特定適格消費者団体による共通義務確認訴訟の対象にならない。
被害者が損害賠償を求めるには,自ら原告となるか,選定当事者を選定するなどして,民事訴訟法の手続によることになる。
6 財産的請求と併せる場合
同号イは,財産的請求と併せて請求される慰謝料であって,財産的請求と共通する事実上の原因に基づくものを対象としている。
ここでいう財産的請求は,同法3条1項各号の請求であり,損害賠償の請求のほか,契約上の債務の履行の請求や不当利得に係る請求も含む。
そのため,漏えいと共通する事実上の原因に基づいて,相当多数の消費者に共通する財産的請求が成り立つ場合には,慰謝料を併せて請求する余地があると考えられる。
もっとも,同条2項は,消費者契約の目的となるもの以外の財産が滅失し又は損傷したことによる損害や,消費者契約の目的となるものや役務の提供があるとすればその処分,使用又は利用により得るはずであった利益を喪失したことによる損害を除いているので,漏えいの被害者がこうした財産的請求を立てられる場面は限られると考えられる。
第4 共同訴訟で請求するときの留意点
1 原告ごとの主張と証明
共同訴訟でも,各原告は,自分の情報が漏えいしたこと,漏えいした項目,二次被害の有無等を主張し,証明する必要がある。
事業者からの通知のメールや郵便物,問合せ窓口の回答,不審な連絡の記録は,このための資料になる。
漏えいの通知を受けた後に残しておく資料は,個人情報漏えいの通知を受けたら―流出項目別の対処,二次被害の防止と証拠保存(AI作成)で整理している。
2 訴訟の目的の価額
民事訴訟法9条1項は,一の訴えで数個の請求をする場合には,その価額を合算したものを訴訟の目的の価額とし,その訴えで主張する利益が各請求について共通である場合はこの限りでないと定める。
共同訴訟で各原告がそれぞれの慰謝料を請求する場合,各原告の請求は別個の利益に関するものであり,原則として価額は合算されると考えられる。
3 認容額の水準
氏名や住所等の基本的な情報が漏えいし,実害が確認されていない事案の認容額は,ベネッセ事件の差戻後の控訴審で1000円(大阪高裁令和元年11月20日判決,平成29年(ネ)第2612号),Yahoo! BB事件の第一審で6000円(大阪地裁平成18年5月19日判決,平成16年(ワ)第5597号),宇治市の住民基本台帳データの流出事件で1万5000円(大阪高裁平成13年12月25日判決,平成13年(ネ)第1165号)であった。
裁判例ごとの認容額と金額を左右する事情は,個人情報漏えいの慰謝料はいくらか―ベネッセ事件最高裁判決と裁判例の認容額(AI作成)で整理している。
前記の検討会報告書には,個人情報漏えい事案における慰謝料の現実の認容額の水準からすると消費者による個別提訴はおよそ現実的ではないとして,少なくとも重大な過失による漏えい事案の慰謝料も対象とすべきとする意見が記録されている(同報告書12頁)。
4 消滅時効
不法行為による損害賠償の請求権は,被害者が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないとき,又は不法行為の時から20年間行使しないときは,時効によって消滅する(民法724条)。
事業者からの通知や公表で漏えいを知った場合,その時が3年の起算点となり得る。
契約上の安全管理の義務の不履行を理由とする損害賠償の請求権は,権利を行使することができることを知った時から5年間,又は権利を行使することができる時から10年間行使しないときに,時効によって消滅する(民法166条1項)。
5 登録,委任契約及び提訴の区別
大規模な漏えいでは,被害者側の訴訟への参加を募るウェブサイトが開設されることがある。
もっとも,サイトへの登録,弁護士との委任契約の締結及び裁判所への提訴は,それぞれ別の段階である。
参加を検討するときは,委任契約の内容,費用の額と支払時期,提訴の予定時期,和解した場合の取扱いを書面で確かめることが大切である。
タイムズカーの漏えい事案での例は,タイムズカー約660万アカウントの個人情報漏えいから考える本人通知―退会者・入会未完了者・法人会員の登録運転者(AI作成)で扱っている。
第5 関連記事
①消費者被害の集団的回復手続―共通義務確認訴訟と最高裁令和6年3月12日判決(AI作成)
②個人情報漏えいの慰謝料はいくらか―ベネッセ事件最高裁判決と裁判例の認容額(AI作成)
③個人情報漏えいの通知を受けたら―流出項目別の対処,二次被害の防止と証拠保存(AI作成)
④タイムズカー約660万アカウントの個人情報漏えいから考える本人通知―退会者・入会未完了者・法人会員の登録運転者(AI作成)
第6 出典
1 法令
①消費者の財産的被害等の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律2条・3条・33条・34条
②民事訴訟法9条・30条・38条・115条
③民法166条・724条
2 公表資料
①消費者裁判手続特例法等に関する検討会「報告書」(令和3年10月)
②消費者庁「消費者契約法・消費者裁判手続特例法の改正(概要)」
3 裁判例
①大阪高裁令和元年11月20日判決(平成29年(ネ)第2612号)
②大阪地裁平成18年5月19日判決(平成16年(ワ)第5597号)
③大阪高裁平成13年12月25日判決(平成13年(ネ)第1165号)