第1 本記事の対象と結論の要旨
1 本記事が扱う場面
本記事は,社員が業務の遂行中にミスをして会社に損害を与えた場合に,会社がその社員に賠償を求めることができるか,できるとしてどの範囲かを,労働基準法16条・24条1項と最高裁判例に沿って説明するものである。
典型的な場面は,社用車の事故,機械や商品の破損及び取引上の損失であるが,本記事では,業務で使う生成AIの利用料が社員の使い方によって高額になった場面も取り上げる。
本記事の記載は,令和8年9月13日時点の法令,裁判例及び公表資料に基づく。
本記事は,主として過失による損害を対象とする。
故意による加害の場合も損害の公平な分担という同じ枠組みで判断されることがあるが,社員側に重い負担が認められやすく,横領の事案では全額の請求が認められた例もある(第4の3の故意による加害の項)。
あわせて,研修費用の返還の約束(第2の3),業務の費用を社員に負担させる合意(第3の4),退職金の減額・不支給(第7の2)及び身元保証人への請求(第8)も取り上げる。
2 結論の要旨
①あらかじめ「損害は本人負担」「超過分は自己負担」のように賠償額を決めておくことはできない(労働基準法16条)。
②損害の賠償を理由に,給料から一方的に差し引くこともできない(同法24条1項)。
③現実に生じた損害の賠償を求めること自体はできるが,最高裁昭和51年7月8日第一小法廷判決(いわゆる茨石事件)により,信義則上相当と認められる限度に制限され,下級審には損害の4分の1程度に制限した例や請求を全部認めなかった例がある。
④社員が被害者に賠償した場合には,逆に社員から会社へ求償できることがある(最高裁令和2年2月28日第二小法廷判決,いわゆる福山通運事件)。
⑤懲戒処分は,損害の賠償とは別に,就業規則上の根拠と労働契約法15条の枠組みで判断される。
⑥研修費用を退職時に返還させる約束は,研修が業務としての性質を持つ場合などには労働基準法16条に反し無効とされる一方,社費留学の費用を貸付けとして扱う合意の効力を認めた裁判例もある。
⑦退職金の全額不支給は,勤続の功を抹消するほどの重大な不信行為がある場合に限られるとした裁判例がある。
⑧身元保証人の責任は,身元保証法5条によって軽減され,全部免責された例もある。
第2 あらかじめ賠償額を決めておくことはできない(労働基準法16条)
1 条文と行政解釈
労働基準法16条は,「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と定めている。
同法の施行時の通達である「労働基準法の施行に関する件」(昭和22年9月13日発基第17号)は,同条について,「本条は、金額を予定することを禁止するのであつて、現実に生じた損害について賠償を請求することを禁止する趣旨ではないこと。」としている。
したがって,同条が禁止しているのは,損害が生じる前に賠償の額を決めておく契約であり,実際に生じた損害の賠償を後から求めることまでは禁止されていない。
後から請求する場合の範囲の問題は,第4で説明する茨石事件の枠組みで判断される。
2 社内規程と誓約書の点検
(1) 予定に当たるおそれがある定め
「社用車を破損した場合は1回につき〇万円を負担する」「ミス1件につき〇円を支払う」のように金額を決めておく定めは,同条の「損害賠償額を予定する契約」に当たる。
生成AIについて「月額の上限を超えた利用料は本人の負担とする」と定める場合も,実際の損害の有無や社員の過失の程度を問わずに負担額の算定方法を先に決めるものであるから,同条に反するおそれが強いと考えられる。
就業規則は法令に反してはならず(労働基準法92条1項),就業規則が法令に反する部分については,就業規則の定めを労働契約の内容とする労働契約法7条等の規定は適用されない(同法13条)。
誓約書に署名させる形をとっても,同条が禁止する契約であることに変わりはないから,その効力は認められないと考えられる。
同条に違反した者は,6か月以下の拘禁刑又は30万円以下の罰金に処される(労働基準法119条1号)。
福山通運事件の補足意見(第5の2)は,使用者が事故に際して「罰則金」の名目で社員から40万円を徴収していたことを,社員が受けた不利益の一つとして挙げている。
名目を「罰則金」「弁償金」としても,同条及び次の第3の問題を避けることはできない。
(2) 定めておいてよいもの
同条の禁止は賠償額の予定に向けられたものであるから,損害の発生を防ぐための定めは別である。
生成AIであれば,利用者ごとの利用上限,高額になりやすい使い方についての事前承認,利用状況の報告及び規程に違反した場合の懲戒事由を定めておくことは,同条の問題にはならない。
こうした予防の定めを置いているかどうかは,第4の茨石事件の考慮要素の一つである「加害行為の予防」についての会社の配慮の程度として,後の請求の範囲にも影響する。
3 研修費用・留学費用の返還の約束
(1) 返還の約束が許される場合
会社が費用を負担して社員に研修や資格の取得をさせ,一定の期間内に退職した場合にはその費用を返還させる約束も,同条との関係が問題になる。
この点を扱った最高裁判例は,裁判所ウェブサイトでは見当たらなかった。
大阪高裁昭和43年2月28日判決(昭和41年(う)第1306号)は,会社が溶接の技量資格検定試験のための社内訓練を行い,受験した社員に,合格又は不合格の決定後1年以内に退職するときは費用として3万円を返済する旨の誓約書を差し入れさせた事案で,労働基準法違反の罪に問われた会社とその代表者を無罪とした。
同判決は,その費用の計算が「合理的な実費であつて使用者側の立替金と解され、かつ、短期間の就労であつて、全体としてみて労働者に対し雇よう関係の継続を不当に強要するおそれがないと認められるときは、労働基準法第一六条の定める違約金又は損害賠償額の予定とはいえない」としている。
(2) 無効とされた例
浦和地裁昭和61年5月30日判決(昭和60年(ワ)第502号)は,美容室の会社が,会社の意向に反して退職した場合には入社月にさかのぼって月4万円の講習手数料を支払うとの契約に基づき,退職した社員に請求した事案で,指導の実態は一般の新入社員教育と大きく異ならず,契約は退職の自由を奪う性格を有するとして,同条に違反し無効とした。
名古屋簡裁平成15年1月23日判決(平成14年(ハ)第4101号)及び同平成16年5月13日判決(平成15年(ハ)第3272号)も,タクシー会社が,所定の運輸収入を24か月達成せずに退職した乗務員に研修費用等を返還させる特約について,実質的には研修費用の名目で違約金を定めるものであるとして,同条に違反し無効とした。
東京地裁平成10年3月17日判決(平成8年(ワ)第11892号等,判例時報1653号150頁,判例秘書L05330106,裁判所ウェブサイト未掲載)は,海外企業研修の終了後5年以内に退職する場合には会社が負担した費用を返済させることがある旨の規則を同条に違反して無効とし,これを知らずに結ばれた分割返済の契約も錯誤により無効とした。
東京地裁平成10年9月25日判決(平成9年(ワ)第18746号,判例時報1664号145頁,判例秘書L05330407,裁判所ウェブサイト未掲載)も,留学終了後5年以内に自己都合で退職した場合には留学費用を原則として全額返還させる旨の留学規程を,同条に違反するとした。
(3) 返還が認められた例
これに対し,京都地裁平成13年12月25日判決(平成13年(レ)第24号)は,ハイヤーの運転手が会社の制度で約1か月の海外研修を受け,帰国後2年以上勤務せずに退職した場合は費用の全額を返納するとの規程に基づいて約83万円の返還を求められた事案で,研修に業務性を認めることは困難であり,規程の不履行は「労働契約の不履行」に当たらないとして,返還請求を認めた。
社費による海外留学の費用については,返還を認めた裁判例がある。
東京地裁平成9年5月26日判決(平成8年(ワ)第7618号,判例時報1611号147頁,判例秘書L05230172,裁判所ウェブサイト未掲載)は,帰国後2年3か月で退職した社員に対する留学費用の返還請求を認め,帰国後一定期間を経ずに退職する場合に留学費用を返還する旨の契約は同条に違反しないとした。
東京地裁平成14年4月16日判決(平成10年(ワ)第19822号,労働判例827号40頁,判例秘書L05731851,裁判所ウェブサイト未掲載)は,同条に違反するかどうかは,契約条項の定め方だけでなく,留学が業務性を有しその費用を会社が負担すべきものか,合意が労働者の自由意思を不当に拘束し労働関係の継続を強要するものかを考慮して判断すべきであるとした上で,返還の合意は会社からの貸付けの実質を有するとして,返還請求を認めた。
東京地裁平成16年1月26日判決(平成14年(ワ)第28395号,労働判例872号46頁,判例秘書L05930264,裁判所ウェブサイト未掲載)は,留学が業務性を有する場合には,消費貸借の形をとっても実質的に違約金又は損害賠償額の予定に当たり同条に反して無効になるとしつつ,その事案では業務性を認めず,返還請求を一部認めた。
東京地裁令和3年2月10日判決(平成31年(ワ)第5764号,労働判例1246号82頁,判例秘書L07630046,裁判所ウェブサイト未掲載)も,留学終了後5年間勤務すれば返還を免除する特約付きの消費貸借契約が成立しており,免除までの期間が不当に長いとまではいえないとして,約3000万円の返還請求を認めている。
(4) 点検の視点
これらの裁判例に照らすと,研修が業務として命じられたものか社員の自由な選択によるものか,返還額が実費の範囲内か,返還を免除されるまでの期間が長すぎないかが分かれ目になると考えられる。
生成AIの研修や資格の取得費用を会社が負担し,退職時に返還させる定めを置く場合も,同じ観点から点検することになる。
第3 給料から差し引くことも原則としてできない(労働基準法24条1項)
1 全額払の原則と控除の例外
労働基準法24条1項は,「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」と定めている。
同項ただし書は,法令に別段の定めがある場合又は事業場の過半数労働組合(ない場合は過半数代表者)との書面による協定がある場合に限って,賃金の一部を控除して支払うことを認めている。
社員が会社に損害を与えたことを理由に,会社が一方的に給料から差し引くことは,この例外に当たらない。
同項に違反した者は,30万円以下の罰金に処される(労働基準法120条1号)。
2 損害賠償債権で相殺することもできない
最高裁昭和36年5月31日大法廷判決(昭和34年(オ)第95号,民集15巻5号1482頁,いわゆる日本勧業経済会事件)は,労働基準法24条1項は「労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。」とし,「このことは、その債権が不法行為を原因としたものであつても変りはない。」とした。
社員の加害行為によって会社が損害賠償債権を持つ場合でも,その債権と給料を一方的に相殺することはできない。
3 社員の同意がある場合
最高裁平成2年11月26日第二小法廷判決(昭和63年(オ)第4号,民集44巻8号1085頁,いわゆる日新製鋼事件)は,労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意した場合においては,「右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえない」とした。
同判決は,あわせて,「右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならない」としている。
事故の直後に定型の同意書へ署名させただけでは,この要件を満たすとは限らないと考えられる。
福岡地裁平成30年9月14日判決(平成27年(ワ)第1246号等,判例タイムズ1461号195頁)も,長距離トラック運転手の賃金から業務放棄による損害賠償金を控除していた会社が,従業員の承諾の下で控除していたと主張した事案で,「そのような合意の存在を裏付ける書面等はない」として合意を認めず,控除を違法とした。
東京地裁令和2年9月25日判決(平成29年(ワ)第19664号,判例秘書L07531592,裁判所ウェブサイト未掲載)も,社員が会社に金銭を支払うことを承諾した書面について,自由な意思によって作成したと認められる客観的に合理的な理由がないとして無効とし,社員が支払った金銭の返還請求を認めている。
退職時の最終給与から会社への返還債務を控除する場合の賃金控除協定と同意の要件は,退職時の定期代精算と最終給与からの控除で扱っている。
4 業務の費用を社員に負担させる合意
京都地裁令和5年1月26日判決(令和元年(ワ)第3008号)は,生命保険会社の営業職員が,業務上の経費を賃金から控除されたことを争った事案である。
同判決は,労働基準法16条との関係について,「業務遂行費用の負担に関する個別合意は、違約金を定め、損害賠償額を予定する契約とは異なり、必ずしも労働者を身分的に拘束したり、労働者に過度な負担を負わせるともいえないから、個別合意をすることが直ちに同条の趣旨に反するとまではいえない。」とした。
他方で,賃金からの控除が適法に認められるには労働者の自由な意思に基づく合意が必要であり,控除の対象が「使用者から義務付けられ、労働者にとって選択の余地がない営業活動費である場合には、自由な意思に基づく合意とはいえず、賃金からの控除は許されないものと解される。」として,会社に34万9470円の支払を命じた。
会社が業務のために使うよう指示した生成AIの利用料を社員に負担させ,給料から差し引く扱いも,この判断に照らすと認められにくいと考えられる。
第4 現実の損害の請求は信義則上相当な限度に制限される(茨石事件)
1 事案と判断
(1) 事案
最高裁昭和51年7月8日第一小法廷判決(昭和49年(オ)第1073号,民集30巻7号689頁)の事案は,次のとおりである。
会社は,石炭,石油,プロパンガス等の輸送及び販売を業とする資本金800万円の株式会社で,従業員約50名を擁し,タンクローリー等の業務用車両を20台近く保有していたが,経費節減のため,対人賠償責任保険にだけ加入し,対物賠償責任保険及び車両保険には加入していなかった。
社員は,主として小型貨物自動車の運転業務に従事し,タンクローリーには特命により臨時的に乗務するにすぎなかったところ,重油をほぼ満載したタンクローリーを運転して渋滞し始めた国道を進行中,車間距離不保持及び前方注視不十分等の過失により,急停車した先行車に追突した。
社員の給与は月額約4万5000円で,勤務成績は普通以上であった。
(2) 判断
同判決は,使用者が,被用者の加害行為により直接損害を被り,又は使用者として損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被った場合には,使用者は,「その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができる」とした。
その上で,会社が直接被った損害と被害者への賠償により被った損害のうち,社員に請求できる範囲は信義則上損害額の4分の1を限度とするとした原審の判断を是認した。
この判示は,会社が自分の車両や設備に受けた損害(直接の損害)と,被害者に賠償したことによる損害(民法715条3項の求償)の双方に及ぶ。
また,同判決の裁判要旨は,保険の不加入,臨時の乗務及び勤務成績等の事実関係の下で4分の1に制限した事例として示されており,一般的な基準は判決理由の中で述べられている。
「4分の1」は同事件の事実関係の下での結論であり,どの事件にも当てはまる割合ではない。
第5の3の大阪高裁令和5年11月22日判決も,同事件を前提に求償割合は25%が原則であるとの会社の主張を退けている。
2 考慮要素の読み方
(1) 会社の側の事情
判決が挙げる「事業の性格、規模、施設の状況」及び「加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度」は,会社がその事業から利益を得ている以上,事業に伴って通常生じる損害は会社の側で予防し,保険等で分散すべきであるという考え方に立つものと読める。
同事件では,業務用車両を多数保有しながら経費節減のため対物賠償責任保険及び車両保険に加入していなかったことが,会社に不利に働いた。
(2) 社員の側の事情
「被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様」は,社員の側の事情である。
同事件では,本来の担当ではないタンクローリーへの臨時の乗務であったこと,月額約4万5000円という給与水準及び普通以上の勤務成績が,社員の負担を軽くする方向で考慮された。
他方,加害行為の態様として,過失の程度が重い場合や故意による場合は,社員の負担を重くする方向に働く。
3 下級審での使われ方
使用者が社員に損害の賠償を求めた民間の事案として,次のものがある。
裁判所ウェブサイトに掲載されていない裁判例(同ウェブサイトで事件番号による全文検索をして見当たらなかったもの)は判例秘書で確認したものであり,その旨を付記した。
裁判所ウェブサイトに掲載された5件(名古屋地裁,仙台地裁,東京地裁平成15年,京都地裁及び東京高裁令和3年3月25日の各判決)については,判例秘書で各事件番号を全文検索したが,控訴審又は上告審の裁判例は見当たらなかった(令和8年9月13日確認)。
(1) 機械や車両の損傷
名古屋地裁昭和62年7月27日判決(昭和48年(ワ)第525号等)は,深夜勤務中に居眠りをして会社の機械(プレナー)を損傷させた社員に対する請求について,機械の価値減少333万6000円の4分の1に当たる83万4000円と弁護士費用10万円の限度で認めた。
同判決は,茨石事件を引用せず,「雇用関係における信義則及び公平の見地」から,機械保険に加入していれば損害を填補できたこと,深夜勤務中の事故であったこと等を考慮している。
仙台地裁平成24年11月9日判決(平成24年(ワ)第172号)は,強雨の中で乗務中にタクシーを冠水箇所に進入させてエンジンを損傷させた乗務員に対する修理代金等53万9173円の請求を,全部認めなかった。
同判決は,乗務員の過失は相当小さいのに対し,会社は車両保険契約を締結しておらず,強雨の中で乗務させながら損害発生を回避する措置をとったことをうかがわせる証拠もないとして,信義則上,損害賠償請求権の行使を否定すべきであるとしている。
(2) 取引上の損失
東京地裁平成15年10月29日判決(平成14年(ワ)第18477号等)は,営業課長が顧客への請求書の作成交付を怠ったために813万円余りが回収不能になったとして会社が賠償を求めた事案で,約4分の1に当たる200万円の限度で認めた。
同判決は,社員の過重な労働環境が一因であったこと,会社が以前にも同様の事件が起きていたのに再発防止のための適切な体制をとっていたとはいい難いこと,上司の監督責任でもあること等を考慮している。
京都地裁平成23年10月31日判決(平成21年(ワ)第2300号等)は,システムエンジニアが取引先の要求に応えられず受注が減ったとして会社が2000万円を超える賠償を求めた事案で,請求を全部認めなかった。
同判決は,売上減少などの損害は報償責任・危険責任の観点から本来的に使用者が負担すべきリスクであること,請求額が社員の受領してきた賃金額に比してあまりにも高額であること等を理由に,「取引関係にある企業同士で通常に有り得るトラブル」を労働者個人に負担させることは相当ではないとしている。
札幌地裁令和2年5月26日判決(平成29年(ワ)第2238号,労働判例1232号32頁,判例秘書L07550382,裁判所ウェブサイト未掲載)は,営業担当の社員が決裁を経て進めた取引で取引先の手形が不渡りとなった事案で,茨石事件を引用した上,代金回収不能のリスクは商品を販売する取引に常に存在し,営業担当という業務の性質上ある程度やむを得ないものであるとし,社員に重大な過失もないとして,約780万円の損害賠償債務が存在しないことを確認した。
同判決は,会社が損害でないことが明らかな経費まで賠償を求めたことなどを含む一連の対応を,全体として不法行為に当たるとも判断している。
東京地裁令和3年5月28日判決(平成30年(ワ)第20894号,判例秘書L07632989,裁判所ウェブサイト未掲載)は,家庭用電化商品等の販売会社の社員が,社外の者を通じた架空の注文に応じて商品を引き渡し,代金を回収できなくなった事案で,売掛取引に必要な基本的な確認を怠った雇用契約上の義務違反を認めた上で,損害の公平な分担の見地から,損害額の4割の限度で請求を認めた。
東京地裁令和2年8月13日判決(平成30年(ワ)第15332号,判例秘書L07531840,裁判所ウェブサイト未掲載)も,顧客への虚偽説明を理由とする契約の解約について社員の責任を認めつつ,上司に同行して営業した際の事情や,社員に負担を求める過程に手続上重大な問題があったこと等から,社員の責任を信義則上相当程度制限した。
(3) 故意による加害
東京高裁令和3年3月25日判決(令和2年(ネ)第1325号)は,証券会社の執行役員が公開買付けの情報を知人に漏らし,金融商品取引法違反で有罪が確定した事案で,信用の毀損により会社が失った引受手数料2500万円のうち6割の1500万円を執行役員の負担とした。
同判決も,福山通運事件と茨石事件を引用して損害の公平な分担という枠組みを用いており,故意による加害であっても会社側の負担が零になるわけではない一方,過失の事案と比べて社員側の負担割合は大きくなっている。
社員が会社の金銭を着服し,又は故意若しくは重大な過失によって送金を怠った事案では,茨石事件の枠組みを前提としても,請求の制限は認められていない。
東京高裁令和3年2月25日判決(令和元年(ネ)第2620号,判例秘書L07620134,裁判所ウェブサイト未掲載)は,経理事務を担当していた職員が長年にわたり単独で口座を管理し,送金すべき公的性質の金員について1億円を超える未払を生じさせてこれを秘匿した事案で,茨石事件を引用した上で,未払金の全額について損害賠償を請求できるとした。
東京地裁平成29年12月8日判決(平成27年(ワ)第11383号,判例秘書L07232647,裁判所ウェブサイト未掲載)も,経理担当の社員が横領したと認められた約1900万円について,社員側が過大な業務負担や会社の管理の不備を理由に信義則による縮減と過失相殺を主張したのに対し,いずれも相当でないとした。
京都地裁令和2年5月28日判決(平成30年(ワ)第2150号,判例秘書L07550896,裁判所ウェブサイト未掲載)は,財務・経理業務の責任者が取引先の代表者と共謀して会社の預金口座から29億円を横領した事案で,会社に会計監査が不十分であった落ち度があるとの主張を退け,信義則による制限も過失相殺も認めなかった。
東京地裁令和4年12月20日判決(令和3年(ワ)第15801号,判例秘書L07733245,裁判所ウェブサイト未掲載)も,社員が会社名義で発注して会社に代金を支払わせた商品を転売し,その代金を領得した事案で,上司のパワーハラスメントに会社が適切に対処しなかったことや内部統制の不備を理由とする過失相殺の主張を退け,悪意による不法行為に基づく損害賠償債務であるから社員の側から相殺を主張することもできないとした(民法509条1号)。
もっとも,鳥取地裁平成22年6月29日判決(平成21年(ワ)第110号,判例秘書L06550348,裁判所ウェブサイト未掲載)は,経理担当者の横領については会社の管理体制が杜撰であったとしても全額の請求は信義則に反しないとする一方,理事長の要求に応じて支出され,本人は利益を得ていない150万円の出金については,損害の公平な分担の見地から2割の限度で請求を認めた。
東京地裁平成28年6月1日判決(平成27年(ワ)第4462号,判例タイムズ1432号138頁,判例秘書L07131399,裁判所ウェブサイト未掲載)は,横領等による損害の元金が全額弁済された後の確定遅延損害金の請求を,信義則に反するなどとして棄却している。
故意の行為であっても,上司の指示によるものか,本人が利益を得たか,弁済の経過等によって,結論が分かれ得る。
(4) 無断の業務放棄
福岡地裁平成30年9月14日判決(平成27年(ワ)第1246号等,判例タイムズ1461号195頁)は,長距離トラック運転手が運行業務の開始前に退職の書置きを残して失踪し,又は無断欠勤したため,指示されていた運行ができなくなった事案で,「労働者は,労働契約上の義務として,具体的に指示された業務を履行しないことによって使用者に生じる損害を,回避ないし減少させる措置をとる義務を負うと解される。」とした。
その上で,損害を運行の受注金額から高速道路費,燃料費,人件費等の経費を控除した額(2回で合計約12万円)とし,過重労働やパワーハラスメントに耐えかねたとの運転手の主張については,事前に退職の意思を伝えることができないほどの緊急性があったとはいえないとして,「原告の賠償責任を信義則上制限すべき事情があるともいえない」とした。
会社の反訴請求約230万円のうち認められたのは約12万円であり,同判決は,会社に未払賃金等約937万円の支払も命じている。
4 請求できる期間
会社が社員に対して損害の賠償を求める場合,その法的根拠によって消滅時効の期間が異なる。
不法行為に基づく損害賠償請求権は,損害及び加害者を知った時から3年間又は不法行為の時から20年間行使しないときに時効によって消滅する(民法724条)。
労働契約上の義務の違反(債務不履行)を理由とする場合は,権利を行使することができることを知った時から5年間又は権利を行使することができる時から10年間である(同法166条1項)。
第5 社員が被害者に賠償した場合(福山通運事件)
1 事案と判断
(1) 事案
最高裁令和2年2月28日第二小法廷判決(平成30年(受)第1429号,民集74巻2号106頁)の事案では,会社は貨物運送を業とする資本金300億円以上の株式会社で,その事業に使用する車両の全てについて自動車保険契約等を締結していなかった。
トラック運転手として雇用されていた社員は,業務としてトラックを運転中,信号機のない交差点を右折する際に自転車と接触する事故を起こし,自転車の運転者は死亡した。
社員は,遺族の一人から訴訟を提起され,判決に従って支払及び弁済供託をした上で,会社に対し求償を求めた。
原審は,被用者が第三者に加えた損害は被用者が全額を負担すべきものであるとして,求償を認めなかった。
(2) 判断
同判決は,民法715条1項の使用者責任は,使用者が被用者の活動によって利益を上げる関係にあることや,自己の事業範囲を拡張して第三者に損害を生じさせる危険を増大させていることに着目し,損害の公平な分担という見地から定められたものであるとした。
その上で,「被用者が使用者の事業の執行について第三者に損害を加え,その損害を賠償した場合には,被用者は,使用者の事業の性格,規模,施設の状況,被用者の業務の内容,労働条件,勤務態度,加害行為の態様,加害行為の予防又は損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし,損害の公平な分担という見地から相当と認められる額について,使用者に対して求償することができる。」とした(裁判要旨)。
最高裁は求償できる額までは判断せず,この点について更に審理を尽くさせるため,事件を大阪高等裁判所に差し戻した。
差戻し後の大阪高等裁判所の判断は,裁判所ウェブサイト及び判例秘書では見当たらなかった(令和8年9月13日確認)。
2 補足意見
(1) 菅野博之裁判官・草野耕一裁判官の補足意見
両裁判官の補足意見は,差戻審でまず重視すべきものは当事者の属性と関係性であるとし,規模の大きな上場会社と,その業務に継続的かつ専属的に従事していた自然人である運転手という関係では,「通常の業務において生じた事故による損害について被用者が負担すべき部分は,僅少なものとなることが多く,これを零とすべき場合もあり得る」と述べている。
また,会社が損害賠償責任保険に加入せず自己資金で賠償を賄う方針(補足意見は「自家保険政策」と呼ぶ)を採っていたことは,被用者側の負担の額を小さくする方向に働く要素であるとしている。
他方で,事案によっては,被用者の負担額が矯正的正義の理念に反するほど過少となったり,同種の業務に従事する者が適正な注意を怠る誘因となるほど過少となったりしないよう配慮する必要がある場合もあるとしている。
(2) 三浦守裁判官の補足意見
三浦裁判官の補足意見は,貨物自動車運送事業の許可基準が十分な損害賠償能力を求めていることに触れた上で,「使用者が,経営上の判断等により,任意保険を締結することなく,自らの資金によって損害賠償を行うこととしながら,かえって,被用者にその負担をさせるということは,一般に,上記の許可基準や使用者責任の趣旨,損害の公平な分担という見地からみて相当でないというべきである。」と述べている。
3 茨石事件との関係
同判決は,使用者が賠償した場合の被用者への求償について茨石事件を引用し,その場合と被用者が賠償した場合とで,使用者の損害の負担について異なる結果となることは相当でないとしている。
そのため,会社から社員への請求と社員から会社への求償は,同じ考慮要素で判断されることになり,どちらが先に被害者に支払ったかによって最終的な負担は変わらないという整理になる。
会社が社員に賠償を求める場面でも,同判決の補足意見が挙げた当事者の属性と関係性及び保険等による損失の分散は,同じように考慮されると考えられる。
会社が被害者に賠償した後に社員へ求償する場面について,大阪高裁令和5年11月22日判決(令和5年(ネ)第1487号,判例秘書L07820701,裁判所ウェブサイト未掲載)は,タクシーの乗務員が事故で亡くなった後に,会社がその相続人に,車両の損害,被害者への賠償の求償及び保険料の増額分を求めた事案である。
同判決は,茨石事件と福山通運事件を引用した上で,会社の保険契約に基づいて保険会社が被害者に保険金を支払った部分は会社が賠償義務を履行したものではないから,保険金による填補後の残額のうち会社が負担した額の限度でしか求償できないとした。
また,タクシー事業は交通事故の危険を内在すること,保険によって損失の分散が図られていること等から求償割合を1割とした原審の判断を是認し,保険料の増額についても,全ての事故に保険を利用する運用は会社の選択であり,増額も想定の範囲内であるとして,事故と相当因果関係のある損害とは認めず,会社の請求を棄却した原判決を維持した。
第6 生成AIの利用料が高額になった場合への当てはめ
1 報道された事例
日本経済新聞の令和8年6月9日の記事は,国内の大手企業で,社員1人のAI利用額が5月だけで1000万円に達し,AIエージェント同士に夜通し会話をさせるなどの長時間の作業を繰り返していたと報じている。
同紙の令和8年9月10日の記事は,日用品メーカーで月々の予算を約200万円超過する状態が3か月続いたこと,利用量の上限が個人単位ではなく企業単位で決まっていたこと及び発行アカウント数の1%にも満たない利用者が利用量の8割近くを占めていたことを報じている。
いずれも報道による事例であり,本記事では当事者の公表資料までは確認していない。
生成AIの利用料は,会社がサービス提供者に支払う費用である。
社員の使い方によって予定を超えて増えた利用料について,会社がその社員に賠償を求める場合も,第2の労働基準法16条,第3の同法24条1項及び第4の茨石事件の枠組みがそのまま当てはまる。
生成AIの利用料について使用者が被用者に賠償を求めた裁判例は,裁判所ウェブサイト及び判例秘書(「生成AI」と「利用料」,「クラウド」と「利用料」と「従業員」の組合せによる全文検索)では見当たらなかった(令和8年9月13日確認)。
以下は,茨石事件の考慮要素と第4の3の裁判例に沿った本記事の整理である。
2 考慮要素との対応
(1) 会社の側の事情
会社が生成AIの積極的な利用を社員に促していたか,利用量を人事評価の指標にしていたか,利用者ごとの上限や通知を設けていたか,利用状況を把握できる状態にあったかが問題になる。
主要な生成AIサービスには,利用者ごとの予算を設定する機能(GitHub Copilot)や,組織及びワークスペースごとに月の支出上限を設定する機能(AnthropicのAPI)が用意されている。
こうした機能を使わずに,上限が組織全体にしか設定されていない状態で利用を任せていた場合には,「加害行為の予防」についての会社の配慮が乏しかったものとして,社員への請求を制限する方向に働くと考えられる。
第4の3の東京地裁平成15年10月29日判決が,再発防止の体制の不備を会社側の事情として考慮していることも,この方向の手掛かりになる。
(2) 社員の側の事情
社員の側では,業務のための利用であったか私的な利用であったか,会社の規程や上司の指示に反していたか,利用額が高くなっていることを知らされた後も同じ使い方を続けたか,長時間の自律稼働を放置したかが問題になる。
業務の効率化のために試行錯誤した結果として利用料が膨らんだ場合には,第4の3の京都地裁平成23年10月31日判決のいう「本来的に使用者が負担すべきリスク」に近く,社員に大きな負担を求めることは難しいことが多いと考えられる。
これに対し,明示の禁止や上限に反して私的な目的に使った場合や,警告の後も改めなかった場合には,社員側に不利な事情として考慮されることになる。
3 会社が先に整えておくこと
損害とはいえない費用まで社員に請求すると,かえって会社の対応が不法行為に当たるとされることもある(第4の3の札幌地裁令和2年5月26日判決)。
事後に社員へ請求するよりも,利用料が膨らむ前に次の手当てをしておくことが実務上は考えられる。
①サービスの管理機能で,利用者ごとの上限と通知を設定する。
②長時間の自律稼働や最上位モデルの常用など,利用料が高額になりやすい使い方を事前承認の対象にする。
③利用状況を定期的に確認し,突出した利用者には早めに使い方を確認する。
④規程には利用上限,承認手続及び違反した場合の懲戒事由を定め,超過分を本人に負担させる定めは置かない(第2の2)。
⑤利用量そのものを人事評価の指標にしない。
契約の段階で確認すべき約款の項目と,社内規程の定め方は,生成AIの利用料が予算を超えないために―従量課金の約款で確認する5項目と社内規程の定め方で扱っている。
生成AIの利用を全面的に禁止すると,社員が会社の認めていないサービスを業務に使うおそれがあることは,シャドーAIの問題点――営業秘密,個人情報保護法及び懲戒処分をめぐる法的枠組みで扱っている。
第7 懲戒処分・退職金との関係
1 懲戒処分
損害の賠償と懲戒処分は,別の制度である。
使用者が社員を懲戒するには,就業規則に懲戒の種類及び事由を定めておく必要があり(労働基準法89条9号参照),懲戒は,社員の行為の性質及び態様その他の事情に照らして,客観的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められない場合は,権利の濫用として無効になる(労働契約法15条)。
懲戒処分として減給をする場合でも,1回の額は平均賃金の1日分の半額,総額は1賃金支払期の賃金総額の10分の1を超えることができない(労働基準法91条)。
そのため,大きな損害を減給の制裁によって回収することはできない。
減給の制裁の上限については,減給の制裁の上限と解釈例規―労働基準法91条の「1回の額」・「総額」と,降格・出勤停止・賞与との違いで扱っている。
2 退職金の減額・不支給
(1) 裁判例
退職金規程に,懲戒解雇の場合や退職後に同業他社へ就職した場合に退職金を減額し,又は支給しない旨を定める例は多い。
最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決(昭和51年(オ)第1270号,集民121号225頁,いわゆる三晃社事件)は,退職後の同業他社への就職を制限し,これに反した社員の退職金を自己都合退職の半額とする定めについて,退職金が功労報償的な性格を併せ有することから合理性のない措置とはいえないとし,「その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、所論の同法三条、一六条、二四条及び民法九〇条等の規定にはなんら違反するものではない。」とした。
他方,東京高裁平成15年12月11日判決(平成14年(ネ)第6224号,いわゆる小田急電鉄事件)は,電車内での痴漢行為を理由に懲戒解雇された社員の退職金について,「その退職金全額を不支給とするには,それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。」とした上で,本来の支給額の3割に当たる276万2535円の支払を命じた。
名古屋高裁平成2年8月31日判決(平成元年(ネ)第386号,いわゆる中部日本広告社事件)も,退職後6か月以内に同業他社に就職した場合は退職金を支給しないとの定めについて,不支給が許されるのは,労働の対償である退職金を失わせることを相当とする顕著な背信性が認められる場合に限られるとした。
(2) 損害の賠償との関係
社員のミスによって会社に損害が生じたことを理由に退職金の減額・不支給の定めを適用する場合も,勤続の功を抹消し又は減殺するほどの背信性があるかという観点から判断されることになり,過失によるミスだけで全額を支給しないことは認められにくいと考えられる。
また,退職金が労働基準法上の賃金に当たる場合に,損害賠償の額を退職金から一方的に差し引くことは,第3の同法24条1項の問題になる。
第8 身元保証人への請求
1 身元保証法の定め
社員の入社時に,親族等に身元保証書を差し入れさせる会社は多い。
社員の行為によって会社が受けた損害を賠償することを約する身元保証契約には,身元保証ニ関スル法律(昭和8年法律第42号。以下「身元保証法」という。)が適用される。
同法は,期間を定めない身元保証契約の効力を成立の日から3年間(商工業見習者は5年間)とし(1条),期間を定める場合も5年を超えることができないとしている(2条)。
使用者は,社員に業務上不適任又は不誠実な事跡があって身元保証人の責任を惹起するおそれがあることを知ったときや,社員の任務又は任地を変更して身元保証人の責任を加重するときなどは,遅滞なく身元保証人に通知しなければならない(3条)。
身元保証人は,この通知を受けたときなどは,将来に向かって契約を解除することができる(4条)。
裁判所は,身元保証人の損害賠償の責任及びその金額を定めるに当たり,「被用者ノ監督ニ関スル使用者ノ過失ノ有無、身元保証人ガ身元保証ヲ為スニ至リタル事由及之ヲ為スニ当リ用ヰタル注意ノ程度、被用者ノ任務又ハ身上ノ変化其ノ他一切ノ事情」を斟酌する(5条)。
同法の規定に反する特約で身元保証人に不利益なものは,無効である(6条)。
また,令和2年4月1日以降に締結された身元保証契約は,社員の将来の不特定の損害賠償債務を保証するものとして民法の個人根保証契約に当たると考えられ,極度額を定めなければ効力を生じない(同法465条の2第2項)。
同日より前に締結された保証契約については,従前の例による(民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)附則21条1項)。
2 裁判例
(1) 最高裁判例
最高裁昭和37年12月25日第三小法廷判決(昭和37年(オ)第242号,民集16巻12号2478頁)は,身元保証法5条について,「民法四一八条、七二二条二項と同趣旨の規定であつて、同条所定の事由あるときは賠償額を実損額より軽減しうる権能を法律が裁判所に付与したものである。」とし,実損額を半分以下に軽減して身元保証人に40万円の賠償を命じた原判決を是認した。
最高裁昭和51年11月26日第二小法廷判決(昭和51年(オ)第876号,集民119号275頁)は,使用者が3条の通知を怠っている間に社員が不正行為をした場合について,通知の遅滞は5条の事情として斟酌されるが,身元保証人の責任を当然に免れさせる理由とはならないとし,賠償額を100万円に軽減した原審の判断を是認した。
(2) 下級審
高松高裁令和7年10月31日判決(令和7年(ネ)第37号)は,退職時にサーバー上のファイルを削除した元社員とその身元保証人2名に会社が約3044万円の賠償を求めた事案で,元社員には約1040万円の支払を命じる一方,身元保証契約は「典型的な情誼による軽率な保証契約」であり,その主な原因は会社が保証意思の確認をせず必要な説明をしなかった点にあるなどとして,身元保証法5条により身元保証人に対する請求を全部認めなかった。
東京地裁平成14年9月2日判決(平成13年(ワ)第25246号)は,懲戒解雇後に元社員がした書き込みによる損害について,契約終了後の社員の行為による損害は身元保証人の責任の範囲に含まれないとした。
第2の3の名古屋簡裁の2件でも,研修費用等の返還の特約が無効とされた結果,その部分については身元保証人に対する請求も認められていない。
社員の横領について身元保証人に請求した事案でも,東京地裁平成17年12月26日判決(平成17年(ワ)第7067号,判例秘書L06035012,裁判所ウェブサイト未掲載)は,社員の実父である身元保証人の責任を身元保証法5条により請求額の45%に減額した。
神戸地裁昭和61年9月29日判決(昭和60年(ワ)第830号,労働判例492号96頁,判例秘書L04150471,裁判所ウェブサイト未掲載)は,約900万円を横領した経理担当者の身元保証人2名の責任を180万円の限度とし,東京地裁平成28年4月28日判決(平成25年(ワ)第23832号,判例秘書L07131014,裁判所ウェブサイト未掲載)も,身元保証人の責任を全体の2割にとどめた。
大阪地裁令和5年9月29日判決(平成30年(ワ)第4800号,判例秘書L07850948,裁判所ウェブサイト未掲載)は,身元保証契約書が社員本人によって署名押印されたものであったとして,身元保証契約の成立を認めなかった。
(3) 会社の側で注意すること
社員本人に対する請求が茨石事件の枠組みで制限される場合,身元保証人の責任はその範囲を超えないと考えられ,さらに身元保証法5条による軽減もあり得る。
身元保証書を取得する場合も,身元保証人本人に署名押印を求め,保証の範囲,期間及び極度額を説明して保証の意思を確認し,社員の任務の変更等があったときは同法3条の通知をしておくことが考えられる。
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就業規則とは―記載事項・作成届出・周知・変更・懲戒の基本は,懲戒規定を適用するための就業規則の記載と周知を扱っている。
第10 出典・参考資料
1 法令
①e-Gov法令検索「労働基準法」16条,24条,89条,91条,92条,119条及び120条
②e-Gov法令検索「労働契約法」7条,13条及び15条
③e-Gov法令検索「民法」166条,465条の2,509条,715条及び724条並びに附則(平成29年6月2日法律第44号)21条
④e-Gov法令検索「身元保証ニ関スル法律」1条~6条
2 裁判例
①最高裁昭和51年7月8日第一小法廷判決,昭和49年(オ)第1073号,民集30巻7号689頁(茨石事件)
②最高裁令和2年2月28日第二小法廷判決,平成30年(受)第1429号,民集74巻2号106頁(福山通運事件)
③最高裁昭和36年5月31日大法廷判決,昭和34年(オ)第95号,民集15巻5号1482頁(日本勧業経済会事件)
④最高裁平成2年11月26日第二小法廷判決,昭和63年(オ)第4号,民集44巻8号1085頁(日新製鋼事件)
⑤最高裁昭和37年12月25日第三小法廷判決,昭和37年(オ)第242号,民集16巻12号2478頁
⑥最高裁昭和51年11月26日第二小法廷判決,昭和51年(オ)第876号,集民119号275頁
⑦最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決,昭和51年(オ)第1270号,集民121号225頁(三晃社事件)
⑧大阪高裁昭和43年2月28日判決,昭和41年(う)第1306号
⑨浦和地裁昭和61年5月30日判決,昭和60年(ワ)第502号
⑩名古屋地裁昭和62年7月27日判決,昭和48年(ワ)第525号等,判例時報1250号8頁,労働判例505号66頁
⑪名古屋高裁平成2年8月31日判決,平成元年(ネ)第386号(中部日本広告社事件)
⑫京都地裁平成13年12月25日判決,平成13年(レ)第24号
⑬東京地裁平成14年9月2日判決,平成13年(ワ)第25246号
⑭名古屋簡裁平成15年1月23日判決,平成14年(ハ)第4101号
⑮東京地裁平成15年10月29日判決,平成14年(ワ)第18477号等,判例タイムズ1146号247頁,労働判例867号46頁
⑯東京高裁平成15年12月11日判決,平成14年(ネ)第6224号(小田急電鉄事件)
⑰名古屋簡裁平成16年5月13日判決,平成15年(ハ)第3272号
⑱京都地裁平成23年10月31日判決,平成21年(ワ)第2300号等,判例タイムズ1373号173頁,労働判例1041号49頁
⑲仙台地裁平成24年11月9日判決,平成24年(ワ)第172号
⑳福岡地裁平成30年9月14日判決,平成27年(ワ)第1246号等,判例タイムズ1461号195頁,判例時報2413・2414合併号195頁(裁判所ウェブサイトの詳細ページの裁判年月日の表示は平成27年9月14日)
㉑東京高裁令和3年3月25日判決,令和2年(ネ)第1325号
㉒京都地裁令和5年1月26日判決,令和元年(ワ)第3008号
㉓高松高裁令和7年10月31日判決,令和7年(ネ)第37号
3 判例秘書で確認した裁判例(裁判所ウェブサイト未掲載)
①神戸地裁昭和61年9月29日判決,昭和60年(ワ)第830号,労働判例492号96頁,判例秘書L04150471
②東京地裁平成9年5月26日判決,平成8年(ワ)第7618号,判例時報1611号147頁,労働判例717号14頁,判例秘書L05230172
③東京地裁平成10年3月17日判決,平成8年(ワ)第11892号等,判例タイムズ986号221頁,判例時報1653号150頁,労働判例734号15頁,判例秘書L05330106
④東京地裁平成10年9月25日判決,平成9年(ワ)第18746号,判例時報1664号145頁,労働判例746号7頁,判例秘書L05330407
⑤東京地裁平成14年4月16日判決,平成10年(ワ)第19822号,労働判例827号40頁,判例秘書L05731851
⑥東京地裁平成16年1月26日判決,平成14年(ワ)第28395号,労働判例872号46頁,判例秘書L05930264
⑦東京地裁平成17年12月26日判決,平成17年(ワ)第7067号,判例秘書L06035012
⑧鳥取地裁平成22年6月29日判決,平成21年(ワ)第110号,判例秘書L06550348
⑨東京地裁平成28年4月28日判決,平成25年(ワ)第23832号,判例秘書L07131014
⑩東京地裁平成28年6月1日判決,平成27年(ワ)第4462号,判例タイムズ1432号138頁,判例秘書L07131399
⑪東京地裁平成29年12月8日判決,平成27年(ワ)第11383号,判例秘書L07232647
⑫札幌地裁令和2年5月26日判決,平成29年(ワ)第2238号,労働判例1232号32頁,判例秘書L07550382
⑬京都地裁令和2年5月28日判決,平成30年(ワ)第2150号,判例秘書L07550896
⑭東京地裁令和2年8月13日判決,平成30年(ワ)第15332号,判例秘書L07531840
⑮東京地裁令和2年9月25日判決,平成29年(ワ)第19664号,判例秘書L07531592
⑯東京地裁令和3年2月10日判決,平成31年(ワ)第5764号,労働判例1246号82頁,判例秘書L07630046
⑰東京高裁令和3年2月25日判決,令和元年(ネ)第2620号,判例秘書L07620134
⑱東京地裁令和3年5月28日判決,平成30年(ワ)第20894号,判例秘書L07632989
⑲東京地裁令和4年12月20日判決,令和3年(ワ)第15801号,判例秘書L07733245
⑳大阪地裁令和5年9月29日判決,平成30年(ワ)第4800号,判例秘書L07850948
㉑大阪高裁令和5年11月22日判決,令和5年(ネ)第1487号,判例秘書L07820701
4 行政解釈
①厚生労働省法令等データベース「労働基準法の施行に関する件」(昭和22年9月13日発基第17号)
5 報道・公表資料
①日本経済新聞「AI浪費、社員1人で月1000万円 企業活用「やってる感」の落とし穴」(令和8年6月9日)
②日本経済新聞「AI利用料の予算超過相次ぐ、月200万円超も コスパ意識し活用拡大へ」(令和8年9月10日)
③GitHub「Updates to GitHub Copilot billing and plans」(2026年6月1日)
④Anthropic「Rate limits」(Spend limits の項,令和8年9月12日確認)