第1 判決の一文を引用する前に確認すること
刑事弁護で判例を引用するときは,結論が有罪か無罪かだけでなく,誰の判断を,どの事実関係について,どの範囲で引用するのかを確認する必要がある。
最高裁判決に記載された文章であっても,原審の判断を紹介した部分,弁護人の主張を要約した部分,法廷意見及び補足意見では,その意味が異なる。
本記事では,裁判所が公開する判決全文を基に,判例引用を点検する手順を整理する。
題材は,交付要求前の詐欺未遂を扱う最高裁平成30年3月22日第一小法廷判決(平成29年(あ)第322号)と,第三者に対する強盗殺人未遂を扱う最高裁昭和53年7月28日第三小法廷判決(昭和52年(あ)第623号)である。
以下の確認表や記載方法は,判決が定めた訴訟上の義務ではなく,引用の対象と射程を明確にするための実務上の整理方法である。
第2 文章の主体と役割を分ける
判決を読む際は,主文,認定された事実,法廷意見の判断,個別意見及び引用された原審判断を分ける。
特に,争点の紹介部分に書かれた当事者の主張を,裁判所の判断として引用しないことが重要である。
① 法廷意見については,問題となった法的争点と,その結論を支える理由を確認する。
② 補足意見については,法廷意見に付け加えた説明であることを示し,その理論的説明を法廷意見自身の言葉として扱わない。
③ 原審判断については,最高裁が紹介した内容と,最高裁自身が是認し,又は別の理由で説明し直した内容を分ける。
④ 判断を留保した事項については,結論が書かれていないことを,肯定又は否定の判断へ置き換えない。
この区分は,個別意見を軽視するためのものではない。
説得力のある理論を主張の根拠として用いる場合にも,その説明がどこに記載されているかを正確に示すためのものである。
第3 詐欺未遂判決で法廷意見と補足意見を読む
1 法廷意見が判断した範囲
最高裁平成30年3月22日判決の法廷意見は,現金の交付要求前であっても,犯行計画に沿った一連の嘘が,交付判断の前提となる重要事項に関わり,交付要求に直接つながり,即座に現金を交付する危険性を著しく高めたという事実関係の下で,詐欺罪の実行の着手を認めた。
参照箇所は,公開PDFの3頁~4頁である。
引用するときは,交付要求がなかったという一点と,着手が認められたという結論だけを結び付けない。
現金を用意させる嘘,受取役の訪問予告及び交付までのつながりという,判断を支えた事情を併せて示す必要がある。
この判決を,特殊詐欺であれば最初の電話から常に未遂になるという一般則へ広げることはできない。
2 補足意見が説明したことと,留保したこと
同判決の補足意見は,実行行為そのものへの着手がなくても,実行行為に密接な行為に着手し,被害発生の客観的危険性が認められる場合には未遂罪が成立し得るという説明をしている。
処罰範囲の拡大を制約するため,密接性の判断を慎重に行う必要も指摘している。
参照箇所は,公開PDFの5頁~6頁である。
補足意見は,現金が被害者宅に移された後,間もなく警察官が訪問するとの2回目の電話が行われた段階について,交付要求との密接性と客観的危険性を説明している。
1回目の電話だけで実行の着手を認められるかについては,判断を留保している。
したがって,補足意見を根拠に,1回目だけで着手を肯定したとも,1回目では必ず着手がないとしたとも記載できない。
3 準備書面・意見書での書き分け
法廷意見を引用する場合は,「最高裁は,このような一連の嘘と交付危険を認定した事案で,交付要求前の実行の着手を認めた」と書き,検討中の事案に同じ事情があるかを対比する。
理論的な説明を補足する場合は,「同判決の補足意見は,密接性と客観的危険性から説明している」と,引用の主体を別に示す。
着手時点が争われる事件では,電話ごとに,述べられた嘘,現金の所在,訪問の具体化及び交付までに残る行為を分けると整理しやすい。
判例の結論を先に当てはめるのではなく,どの段階のどの事情が判例と共通し,どの事情が異なるかを示す。
第4 原審の説示と最高裁自身の判断を分ける
最高裁昭和53年7月28日判決は,強盗の手段として行われた殺害行為により,行為者が認識していなかった第三者にも傷害が生じた事件で,殺人の故意と方法の錯誤を検討した。
公開PDFの3頁~5頁では,人を殺す意思のもとに殺害行為に出た場合の故意と因果関係を理由として,第三者に対する強盗殺人未遂罪の成立を説明している。
同判決には,原審が過失致死傷と刑法240条の関係を説示したことも記載されている。
しかし,最高裁は,その説示を強盗殺人未遂罪の解釈についての判断を示したものとは考えられないとした上で,原審が強盗殺人未遂罪の成立について過失で足りると判断したものではないと説明している。
したがって,原審の説示を抜き出し,「最高裁が,過失だけで強盗殺人未遂罪が成立すると判断した」と紹介することは誤りである。
一方,この最高裁判決を,第三者に対する過失致傷と刑法240条の関係について,あらゆる場面を否定した判決として扱うこともできない。
引用に際しては,原審の説明,最高裁が読み取った原審の趣旨及び最高裁自身が示した成立理由を分ける必要がある。
第5 引用前に作る確認メモ
判例を主張の根拠に使うときは,次の項目を一つのメモに記載すると,引用と当てはめのずれを点検しやすい。
① 裁判所,裁判年月日,事件番号及び公開本文のURL
② 法廷意見,補足意見,原審判断又は当事者の主張の別
③ 引用又は要約する箇所の頁と前後の文章
④ その箇所で裁判所が認定した事実と,判断を支える条件
⑤ 実際に判断した事項と,判断しなかった事項
⑥ 検討中の事案との共通点,相違点及び結論への影響
⑦ 法令の改正がある場合の,判決当時と検討時点の条文
「判断しなかった」と「否定した」は別である。
また,検索で本文を見つけられなかった場合は,未確認の状態として記録し,その判例が存在しないとは書かない。
他の判決が引用している裁判例でも,引用先の原文を読んでいなければ,その原文を直接確認したとは扱わない。
司法試験の出題趣旨・採点実感も,資料の性質を区別する必要がある。
令和5年司法試験の刑事系採点実感は,共謀の射程と錯誤,強盗の手段から生じた傷害と「強盗の機会」を分けて検討することを指摘している。
法律文書の論点整理には参考になるが,実際の事件について一般的な判例法理を確定した裁判例として引用するものではない。
第6 関連記事と出典
実行の着手の具体的な検討は,特殊詐欺は現金の交付要求前でも詐欺未遂になるか―最高裁平成30年3月22日判決と実行の着手(AI作成)で整理している。
傷害の因果関係と「強盗の機会」の関係は,強盗後に被害者が転倒・負傷した場合の強盗致傷罪(AI作成)を参照されたい。
共謀の射程と故意・錯誤の区別は,特殊詐欺の受取役が強盗へ変更した場合の指示役の責任(AI作成)で扱っている。
① 最高裁平成30年3月22日第一小法廷判決(平成29年(あ)第322号,刑集72巻1号82頁。法廷意見は公開PDF3頁~4頁,補足意見は5頁~6頁)
② 最高裁昭和53年7月28日第三小法廷判決(昭和52年(あ)第623号,刑集32巻5号1068頁。公開PDF3頁~5頁)
③ 法務省「令和5年司法試験の採点実感等に関する意見(刑事系科目)」(公開PDF3頁。判例ではなく,論点整理の参考資料として使用)