第1 弁護士の本人確認はすべての相談で一律ではない
1 犯罪収益移転防止法12条と日弁連会規が根拠になる
犯罪による収益の移転防止に関する法律12条は,弁護士等の本人特定事項の確認,確認記録・取引記録の作成保存等に相当する措置について,特定事業者の例に準じて日本弁護士連合会の会則で定めるとする。
現在の具体的な義務は,日弁連の「依頼者の本人特定事項等の確認及び記録保存等に関する規程」及び同規則によって確認する必要がある。
金融機関等に適用される犯罪収益移転防止法の本人確認方法を,そのまま弁護士の全業務へ当てはめるものではない。
2 すべての法律相談が対象になるわけではない
本人特定事項等の確認が必要になるのは,規程が定める資産管理行為等又は特定の取引等の準備・実行を行う場面である。
単に初回相談を受けたという理由だけで,同規程上の詳細な確認義務が常に発生するわけではない。
ただし,利益相反確認,連絡先確認,委任契約,弁護士職務基本規程その他の理由から,対象業務以外でも依頼者情報を確認することはある。
3 本人確認とマネー・ローンダリング対策を分けない
本人確認書類を取得するだけでは十分でない。
依頼の目的,職業又は事業内容,実質的支配者,資金・資産の流れ及び不自然な点を確認し,必要に応じて依頼を受けないこと又は辞任することまで含む仕組みである。
第2 本人特定事項等の確認が必要になる主な業務
1 200万円以上の資産管理行為等
法律事務に関連して,依頼者の金融機関口座を管理する場合又は依頼者から若しくは依頼者のために合計200万円以上の金員,有価証券その他の資産を預かり,若しくは管理する場合が対象になる。
送金を伴う預り金も含まれる。
もっとも,裁判所等への予納・供託,裁判手続等による弁済金・和解金の受領,刑事事件の被害弁償金の預託,報酬・費用の前受けその他規程が列挙する場合には適用除外があるので,条文に即して確認する。
2 特定の取引等の準備又は実行
主な対象は,次のとおりである。
①不動産の売買。
②会社設立又は経営を目的とする出資その他の資金拠出。
③会社の組織変更,合併,会社分割,株式交換,株式移転又は目的変更。
④会社の業務執行者又は代表者の選任。
⑤会社以外の法人,組合,匿名組合,投資事業有限責任組合その他の団体の設立又は合併。
⑥団体の目的変更又は業務執行者・代表者の選任。
⑦信託の設定,併合,分割,目的変更又は受託者変更。
⑧会社の買収又は売却。
3 疑わしい態様は対象を広げる
取引資産が犯罪収益である疑いがある場合,依頼者が犯罪収益の隠匿等を行っている疑いがある場合又は同種の取引と著しく異なる態様で行われる場合も,規程上の確認対象になる。
過去5年以内に確認済みの依頼者であっても,なりすまし,確認事項を偽った疑い,外国PEPs又は高リスク国・地域など,厳格な顧客管理が必要な場合には追加確認が必要になる。
第3 確認する事項
1 自然人の依頼者
自然人についての本人特定事項は,氏名,住居及び生年月日である。
これに加えて,依頼の目的及び職業を確認する。
正当な法律事務の受任を妨げるおそれがある一定の場合には特例があるので,匿名性が必要な相談等については規則の要件を確認する。
2 法人又は団体の依頼者
法人については,名称及び本店又は主たる事務所の所在場所を確認する。
さらに,依頼の目的,事業内容及び実質的支配者の本人特定事項を確認する。
現に依頼行為をする担当者が依頼者本人と異なる場合は,担当者の依頼権限も確認する。
3 実質的支配者
実質的支配者については,会社又は団体の議決権,出資,収益配当又は支配的影響力など,規則が定める関係を踏まえて自然人を特定する。
申告だけで足りる場面がある一方,株主名簿,有価証券報告書,法人税申告書別表,定款認証時の申告書,実質的支配者リスト又は利用可能なデータベースで補強することが考えられる。
確認方法と判断理由を記録する。
第4 令和9年3月31日までの確認方法
1 対面での自然人確認
写真付き本人確認書類の提示を受ける方法が基本の一つである。
写真のない本人確認書類を用いる場合は,別書類との組合せ又は転送不要郵便による送付など,規則が定める追加手続を確認する。
書類の有効期限,氏名・住所・生年月日の一致及び改ざんの兆候を確認する。
2 非対面・オンラインでの自然人確認
令和9年3月31日までの規則は,容貌画像と本人確認書類画像を用いる方法,ICチップ情報を用いる方法,公的個人認証を用いる方法及び本人確認書類の送付と転送不要郵便を組み合わせる方法などを定めている。
電子メールやウェブ会議で運転免許証の画像を一枚受け取るだけで,常に規則上の確認が完了するわけではない。
採用する方法ごとに,必要な画像,IC情報,電子署名,郵送及び保存資料を確認する。
本人確認書類の画像に加工の疑いが生じたときは,適法に受領したファイルを必要な範囲で原状のまま保全し,受領日時・経路・送信者・確認担当者を記録する。原本を実見したのか,画像だけで確認したのかを区別し,追加資料やIC情報等による再確認の経過も残す。これは個別事件の確認と証拠保全のための実務上の提案であり,原本実見や画像の追加保存を全件に義務付ける趣旨ではない。加工した本人確認書類を用いたローン申込みの罪責と証拠も参照されたい。
3 法人確認と依頼権限
法人本人確認書類の提示・送付,官公庁から登記事項証明書等を取得する方法又は公表情報を確認する方法などがある。
法人の実在確認と,担当者がその法人を代理して依頼する権限の確認は別である。
登記上の代表者でない担当者については,委任状,社員証,法人の連絡先への照会その他の方法で権限を確認する。
第5 確認記録と取引記録
1 確認記録を作る
確認記録には,確認を行った者,確認日,依頼者の本人特定事項,依頼目的,職業又は事業内容,実質的支配者,確認方法及び用いた資料などを記載する。
提示を受けた書類の写し,送付・提出を受けた書類又は送信を受けた情報も,規則に従って保存する。
令和9年4月1日以後にICチップを読み取る場合も,採用した方法,提示日時及び照合結果を記録するが,ICチップ内の情報それ自体を一律に保存する義務が生じるわけではない。
2 取引記録も別に作る
対象となる資産管理行為等又は取引等を行った場合は,確認記録だけでなく,日付,種類,財産価額及び移転元・移転先を特定する事項などを記載した取引記録を作る。
年次報告書の公開様式も,確認記録と取引記録の双方を保存する必要があることを明示している。
3 保存期間は終了後5年間である
確認資料及び確認記録並びに取引記録の保存期間は,対象となる資産管理行為等又は取引等の終了後5年間である。
受任日又は本人確認日から機械的に5年を数えるのではなく,最終の対象行為がいつ終了したかを記録する。
共同事務所,法人又は担当者の変更があっても検索できる保管方法にする。
第6 疑わしい取引への対応
1 弁護士に金融機関と同じ届出義務をそのまま課す制度ではない
犯罪収益移転防止法12条は,弁護士等について日弁連会則による相当措置を定める仕組みであり,金融機関等に課される疑わしい取引の届出義務をそのまま弁護士へ適用する規定ではない。
しかし,届出義務がないことは,疑わしい依頼を受けてよいことを意味しない。
これに対し,税理士等には守秘義務に配慮した同法8条2項の届出制度が適用されるため,税理士の取引時確認と疑わしい取引の届出で制度差を確認する必要がある。
2 依頼前と受任後で対応を分ける
日弁連規程は,受任前に依頼目的が犯罪収益の移転に関わるか慎重に検討し,その目的が認められるときは依頼を受けてはならないとする。
受任後にその目的を知ったときは,違法性を説明して目的の実現を回避するよう説得し,応じない場合は辞任しなければならない。
守秘義務,辞任による依頼者の不利益,裁判所その他への説明及び預り資産の扱いを,個別事情に即して検討する。
第7 令和9年4月1日からの本人確認方法
1 日弁連規程・規則が改正された
日本弁護士連合会は,令和8年8月の理事会で依頼者本人確認の規程・規則を改正し,令和9年4月1日から施行する。
本人確認の対象業務と確認時期を定める規程2条は変更せず,偽変造された本人確認書類によるなりすましを防ぐため,確認方法を改めるものである。
施行日前に適法に行った確認及び記録保存は従前の例によるため,施行後に一律のやり直しを要しない。
2 対面はICチップ情報の読取りが中心となる
写真付きICチップ搭載本人確認書類を用いる場合は,書類の提示に加え,ICチップから氏名,住居,生年月日及び顔写真等を読み取って映像面に表示し,券面情報と照合する。
ICチップのない写真付き書類は提示と転送不要の書留等,ICチップがあって写真のない書類は提示・IC読取りと転送不要の書留等を組み合わせる。
住民票の写し又は印鑑登録証明書等を用いる方法及び住民基本台帳法の適用を受けない者等については,改正規則が定める別の方法を確認する。
3 非対面は電子的確認へ移行する
非対面では,本人の容貌画像と本人確認書類のICチップ情報を組み合わせる方法,スマートフォンに搭載したカード代替電磁的記録,公的個人認証サービス又は一定の民間電子証明書等を用いる方法が中心となる。
書類画像と容貌画像だけに依存する方法及び書類写しと転送不要郵便を組み合わせる一部の旧方式は廃止される。
法律事務所は,受け付ける本人確認書類,対応する読取手段,障害時の代替方法,事務職員の権限及び確認記録の様式を施行前に決める必要がある。
第8 法律事務所の確認表
1 受任・業務開始時
①規程上の資産管理行為等又は特定の取引等に当たるか。
②依頼者本人と現に依頼行為をする者は誰か。
③自然人又は法人の本人特定事項は何か。
④依頼目的,職業又は事業内容を確認したか。
⑤法人・団体について実質的支配者と依頼権限を確認したか。
⑥高リスク事情又は通常と著しく異なる態様がないか。
⑦確認実施日が令和9年4月1日の前か後かを区別したか。
2 記録・保存時
①採用した確認方法の要件を満たす資料がそろっているか。
②令和9年4月1日以後の対面確認では,必要なICチップ情報を読み取り,券面と照合したか。
③非対面確認では,改正後も利用できる方法を採用したか。
④確認記録と取引記録を別々に作ったか。
⑤提示書類の写し又は送信情報を規則に従って保存したか。
⑥対象行為の最終終了日を記録し,終了後5年間を満たす保存期限を設定したか。
⑦読取障害の発生,暫定受付,代替方法及び確認完了を記録したか。
⑧検索権限,アクセス履歴及び廃棄方法を決めたか。
⑨画像の加工疑義があれば,原本実見の有無,受領経路と再確認の経過を記録したか。
3 年次点検
日弁連規程11条に基づく年次報告書は,原則として毎年6月30日までに所属弁護士会へ提出する。
年次報告書を提出しないことは,それだけで懲戒の理由になり得る。2019年から2022年まで年次報告書を提出しなかったことを理由に業務停止1月とされた例があり(第二東京弁護士会,『自由と正義』2024年12月号82頁),2018年から2024年まで年次報告書を提出しなかったことを理由に業務停止1月とされた例もあり(東京弁護士会,令和8年5月15日効力発生,『自由と正義』2026年10月号70頁),預り金口座の届出や預り金に関する照会への回答を怠ったことと併せて業務停止1月又は戒告とされた例もある(弁護士の預り金の管理と懲戒――令和8年6月施行の改正預り金規程と公表事例に見る処分の段階)。
年次点検では,本人確認の実施件数だけでなく,確認記録・取引記録の保存,事務職員研修,内部規程,監査及び高リスク取引の継続的な精査を確認する。
第9 出典・確認範囲
1 法令及び日弁連資料
①e-Gov法令検索「犯罪による収益の移転防止に関する法律」12条(令和8年10月15日確認)。
②日本弁護士連合会会員ページ「令和9年4月1日施行 依頼者の本人確認方法が変わります」及び同ページから取得した令和8年8月改正の規程・規則・新旧対照表(令和8年10月15日確認)。
③日本弁護士連合会「依頼者の本人特定事項等の確認及び記録保存等に関する規程」及び同規則の現行・改正資料(令和8年10月15日確認)。
④第二東京弁護士会「本人確認・記録保存義務の対象とその対応」(令和8年10月15日確認)。
⑤日本弁護士連合会「懲戒処分の公告」『自由と正義』2024年12月号82頁,2026年10月号70頁。
2 令和9年見直しの公的資料
①警察庁「犯罪による収益の移転防止に関する法律施行規則の改正に係るQ&A」(令和8年3月6日公表,令和8年10月15日確認)。
②デジタル庁「マイナンバーカード対面確認アプリ」及び地方公共団体情報システム機構「個人番号カード対応版券面事項表示ソフトウェア」(令和8年10月15日確認)。
3 一次資料で確認できる範囲と限界
令和9年4月1日施行の弁護士向け確認方法は,日弁連会員ページと同ページから取得した改正規程・規則・新旧対照表で直接確認した。
警察庁のQ&Aは一般の特定事業者向けの公的運用資料であり,日弁連規則そのものではないため,弁護士の直接義務は日弁連資料を基準とする。
本記事は将来施行される確認方法の規範及び運用を扱うものであり,裁判例によって定立する命題を置いていないため,判例秘書は検索していない。
施行までに日弁連のQ&A,様式又は機器案内が追加・更新される可能性があるため,実際の導入時には最新資料を再確認する必要がある。