目次
第1 在外財産補償問題の全体像
1 結論と法的枠組み
(1) 在外財産の損失について一般的な個別補償請求権は認められていないこと
第2次世界大戦の終結に伴って日本人が国外又は旧外地に残した財産については,平和条約等による国際的な資産・請求権処理が行われました。国内では,1957年及び1967年に引揚者等を対象とする給付制度が設けられましたが,財産ごとの損失額を填補する制度ではありませんでした。
最高裁判所は,在外資産の処分による損失を戦争損害と捉え,憲法29条3項に基づく補償請求を認めていません。そのため,現行法上,旧在外財産の評価額を基礎として国に一般的な個別補償を求めることは困難です。ただし,財産の所在,処分主体,条約上の取扱い,既存給付の対象及び税関預り財産の有無は,個別に確認する必要があります。
(2) 4つの問題を区別する必要があること
ア 国際法上の資産・請求権処理
サンフランシスコ平和条約その他の条約・取決めによって,日本又は日本国民の財産及び請求権がどのように処理されたかという問題です。
イ 憲法29条3項に基づく国内補償
国際的な処理により個人に生じた損失について,日本国に補償義務があるかという問題です。
ウ 引揚者等への政策的給付
生活基盤を失って帰国した引揚者等に対し,国が特別措置として給付金又は特別交付金を支給した問題です。
エ 現在も残る個別財産の返還
引揚げの際に税関へ預けた通貨・証券等が保管されている場合に,所有者又は相続人が返還を受ける問題です。これは旧在外財産の損失補償とは別の手続です。
(3) 国内措置は損失額の填補ではなく政策的給付として実施されたこと
在外財産問題審議会は,在外財産の損失に対する法的補償を認めるのではなく,終戦により生活基盤を失った引揚者の特殊事情に着目した特別措置を採る方向で整理しました。1957年法及び1967年法の給付額は,個々の不動産,預金,事業用資産等の評価額とは連動していません。
2 用語と対象範囲
(1) 本稿における「在外財産」
本稿にいう在外財産とは,主として終戦時に日本国民が旧植民地,旧占領地域その他の国外に保有し,敗戦,領域変更,接収,引揚げ又は条約上の処理により利用・回収できなくなった不動産,動産,預金,証券,事業資産その他の財産をいいます。問題の概観については,在外財産補償問題に関する補助的な解説もありますが,法的判断には条約,法令,判例及び政府原資料を用いる必要があります。
(2) 「引揚者」と「在外財産所有者」は一致しないこと
給付法上の「引揚者」は,国外に生活の本拠を有していた期間,終戦日,帰国時期その他の法定要件によって定まります。国外に財産を所有していたことだけで給付対象になるわけではなく,反対に,高額の在外財産を持たなかった引揚者でも要件を満たす場合がありました。
引揚げの概要については,平和祈念展示資料館の常設展示・施設案内も参照できます。中国残留邦人等に対する現在の支援制度は,東京都福祉局「中国残留邦人等への支援」で確認できます。
(3) 現在の国外財産を意味する用法との区別
税務・相続実務では,「在外財産」が現在国外に所在する相続財産を意味することがあります。例えば,国外財産を含む相続手続の解説は現代の国際相続に関するものであり,本稿の戦後補償問題とは対象が異なります。
3 現在も確認すべき実務上の問題
(1) 税関に預けられた通貨・証券等の返還
海外からの引揚者が税関へ預けた通貨・証券等について,財務省は現在も返還手続を案内しています。本人確認と預入れの確認ができれば,預り証がなくても照会できる場合があります。相談者が「在外財産の補償」を求めていても,実際には返還可能な税関預り財産の問題であることがありますので,財務省「税関に預けた通貨・証券等の返還」を確認する必要があります。
(2) 相続人による照会
財務省の案内によれば,預入者が死亡している場合には家族からの照会も想定されています。実務上は,預入者の氏名,生年月日,本籍・住所,引揚地,引揚時期,利用船・上陸港等を可能な範囲で整理し,戸籍資料により相続関係を明らかにした上で,所管税関へ照会します。
第2 平和条約等による在外財産・請求権の処理
1 サンフランシスコ平和条約の構造
(1) 14条(a)2(I)による在外資産の処分
日本国との平和条約14条(a)2(I)は,連合国がその管轄内にある日本国及び日本国民等の財産・権利・利益を差し押さえ,留置し,清算し,又は処分する権利を認めました。同条には一定の例外がありますので,個別財産を論じる場合には,財産の所在,名義,取得時期及び例外該当性まで確認する必要があります。
(2) 19条(a)による請求権の放棄
同条約19条(a)は,日本国及び日本国民の連合国及びその国民に対する請求権のうち,戦争及び占領から生じたもの等を放棄する旨を定めました。この国家間の請求権処理により個人の請求が国際的にどのような扱いを受けるかという問題と,日本国が個人に対して国内法上の補償義務を負うかという問題は,論理上区別して検討します。
(3) 分離地域及び非締約国との処理
朝鮮,台湾,樺太等の分離地域にある財産については,同条約4条その他の取決めが関係します。また,中国等との財産・請求権関係は,サンフランシスコ平和条約だけで完結しません。対象地域ごとに,適用条約,国交正常化文書,国内措置及び当時の管理・接収法令を特定する必要があります。
2 在外資産の規模
(1) 政府資料上の総額
外務省「歴史問題Q&A」は,終戦時に日本が海外に有していた資産を約236億8100万ドル,円換算で約3794億9900万円と説明しています。この数字は,在外資産問題の規模を示す歴史的な集計値であり,現在の貨幣価値による損害額ではありません。
(2) 地域別概数
最高裁判所判例解説等に示された地域別概数は,次のとおりです。
| 地域 | 概数 |
|---|---|
| 朝鮮 | 約702億円 |
| 台湾 | 約425億円 |
| 中国東北 | 約1465億円 |
| 華北 | 約554億円 |
| 華中・華南 | 約367億円 |
| その他 | 約280億円 |
(3) 数字を利用する際の注意点
地域別数字は丸められた概数であるため,各欄の単純合計と総額が完全には一致しません。また,推計時点,為替換算,公私財産の範囲及び評価方法を確認せずに,現在の個別損害額へ換算することはできません。
3 国際法上の処理と国内補償との関係
(1) 国家間の処理だけでは国内補償の結論が自動的に決まらないこと
条約により日本又は日本国民の請求権が国際的に処理されたとしても,それだけで国内法上の補償義務の有無が当然に決まるわけではありません。国内補償については,憲法29条3項,平等原則,関係立法及び最高裁判例を別に検討する必要があります。
(2) 最高裁が憲法29条3項による補償を否定したこと
もっとも,最高裁は,在外財産の喪失を国民が等しく受忍すべき戦争損害の一類型と位置付け,憲法29条3項に基づく補償を否定しました。したがって,実務では,条約の文言だけでなく,第4記載の判例法理を前提に見通しを説明する必要があります。
第3 引揚者に対する国内給付と政治的解決
1 在外財産問題審議会による検討
(1) 3段階の整理
ア 第1段階
在外財産の実態調査と評価が進められ,個人財産の補償を求める議論が行われました。
イ 第2段階
1956年の整理では,在外財産そのものに対する法的補償ではなく,終戦により生活基盤を失った引揚者の特殊事情を考慮する政策的措置が選択されました。
ウ 第3段階
1966年11月30日の答申は,法的補償義務を認めず,政策上の特別交付金を支給することで最終的解決を図る方向を示しました。
審議の経過,2つの給付制度及び最高裁判例の関係は,国立国会図書館調査及び立法考査局の「戦後処理の残された課題」にも整理されています。
(2) 法的補償ではなく特別措置とされたこと
この経緯から,1957年及び1967年の給付は,在外財産の所有権又は評価額に応じた損失補償ではありません。立法目的,支給要件及び定額の給付体系を確認すると,生活基盤喪失への政策的配慮として設計されたことが分かります。
2 1957年の引揚者給付金等支給法
(1) 制度の目的と対象
引揚者給付金等支給法は,引揚者本人,その遺族及び引揚げ前に死亡した者の遺族等を対象とする給付制度を設けました。同法2条は,原則として国外に6か月以上生活の本拠を有したこと等を引揚者の要件としていますが,例外・除外規定があります。
(2) 給付額と国債
引揚者本人の給付額は,終戦時の年齢に応じ,50歳以上2万8000円,30歳以上50歳未満2万円,18歳以上30歳未満1万5000円,18歳未満7000円でした。給付は,原則として記名国債により行われ,償還期間は10年以内,利率は年6分とされました。
1957年の参議院答弁書は,制度全体について500億円に及ぶ給付との見込みを示しています。後に整理された実績値とは区別して引用する必要があります。
3 1967年の特別交付金
(1) 正式な法律名と対象
正式な法律名は,引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律です。同法は,原則として国外に1年以上生活の本拠を有した引揚者等を対象とし,法定の除外・遺族順位等を定めています。
(2) 本人分の額
引揚者本人の基本額は,終戦時の年齢に応じ,50歳以上16万円,35歳以上50歳未満10万円,25歳以上35歳未満5万円,20歳以上25歳未満3万円,20歳未満2万円でした。終戦日まで引き続き8年以上外地に生活の本拠を有していた者には1万円が加算されたため,本人分の上限は17万円です。
(3) 遺族分の額
対象者が死亡している場合の遺族分の基本額は,同じ年齢区分に応じ,11万2000円,7万円,3万5000円,2万1000円又は1万4000円でした。8年以上の生活本拠要件を満たす場合の加算額は7000円でした。
(4) 請求期限と国債
通常の請求期限は1972年3月31日とされ,遅れて引き揚げた場合等について個別の特則が置かれました。特別交付金は,10年以内に償還される無利子の記名国債によって交付されました。現在の相談では,通常の請求期限が既に経過していることを前提に,特則の該当性,既往の請求・裁定及び相続関係を確認する必要があります。
4 支給実績の正確な整理
(1) 約2100億円という概数
1957年法による給付は,1969年2月末現在で462億1075万8000円でした。1967年法による特別交付金は,1975年4月までに約1636億円でした。両者を概算すると約2100億円ですが,基準時点が異なるため,同一時点における最終支給実績の合計ではありません。
(2) 約313万人という認定実績
1975年7月8日付内閣答弁書によれば,1967年法の特別交付金について,同年4月までに約313万人が支給対象者として認定され,約1636億円が支給されました。1957年法の給付と1967年法の特別交付金は,根拠法,支給要件及び基準時点を区別して引用する必要があります。
第4 在外財産補償に関する最高裁判例
1 最高裁判例の位置付け
(1) 検討すべき3判決
在外財産・戦後補償の法的枠組みを確認する際には,少なくとも次の3判決を区別して検討する必要があります。
ア 最大判1968年11月27日・民集22巻12号2808頁(昭和40年(オ)第417号,カナダ在外資産補償請求訴訟)
イ 最二小判1969年7月4日・民集23巻8号1321頁(昭和41年(オ)第831号,サンフランシスコ平和条約19条(a)に関する損失補償請求)
ウ 最一小判1997年3月13日・民集51巻3号1233頁(平成5年(オ)第1751号,シベリア抑留者補償請求訴訟)
(2) 判例を読む際の共通注意点
3判決は,対象となる損害,関係条約,請求原因及び時代背景が異なります。「戦争損害受忍論」という要約だけで処理せず,各判決の事案,条約条項,憲法上の主張及び判示範囲を確認する必要があります。
2 最大判1968年11月27日
(1) 事件と結論
カナダにあった日本国民の財産がサンフランシスコ平和条約14条(a)2(I)に基づく処分の対象となったことから,日本国に対して補償金が請求された事件です。最高裁大法廷は,請求を棄却しました。
(2) 判示の核心
最高裁は,戦争中から戦後占領時代にかけて国民が生命・身体・財産の犠牲を余儀なくされた状況を踏まえ,在外資産の賠償への充当による損害も一種の戦争損害であり,国民が「ひとしく受忍」すべきもので,その補償は憲法が予定していないとの趣旨を判示しました。
3 最二小判1969年7月4日
(1) 事件と結論
サンフランシスコ平和条約19条(a)による請求権放棄に関連して,国に損失補償が求められた事件です。最高裁第二小法廷は,憲法29条3項に基づく補償請求を認めませんでした。
(2) 19条(a)との関係
同判決は,条約締結による請求権処理を国による通常の財産権侵害と同一視せず,戦争及び戦後処理に伴う損失として捉えました。したがって,条約上の請求権放棄があれば当然に憲法29条3項の「特別の犠牲」になるという構成は採用されていません。
4 最一小判1997年3月13日
(1) シベリア抑留者補償請求訴訟
シベリア抑留者が,日本国に補償等を求めた事件です。最高裁第一小法廷は,日ソ共同宣言6項による請求権放棄等をめぐる主張について,憲法違反を認めず,請求を退けました。
(2) 在外財産事件との共通性と相違
同判決は在外財産そのものを対象とする事件ではありませんが,戦争及び講和処理に伴う損害について,補償立法の要否・内容に関する立法府の裁量を広く認める判例の流れを理解する上で重要です。他方,身体拘束・強制労働に関する損害と財産損害を同一の事案として扱うべきではありません。
5 戦争損害受忍論の射程
(1) 判例法理の内容
一般に「戦争損害受忍論」と呼ばれる法理は,戦争・敗戦・占領という非常事態から広く生じた損害を,憲法29条3項が当然に補償を要求する通常の公用収用と区別するものです。
(2) 学説上の批判と立法裁量
学説上は,性質も程度も異なる戦争被害を一律に処理すること,被害者間の平等及び国家行為との因果関係を十分に区別しないこと,並びに補償を憲法の想定外と表現することに批判があります。現在の実務では,判例の結論を前提としつつ,被害類型の特殊性,立法措置の有無,平等原則及び立法不作為の構成を分けて検討することが必要です。
(3) 通常の損失補償との区別
特定の公共事業・規制によって特定人に特別の犠牲が生じた通常の損失補償事件と,戦争・講和処理に伴う損失は,事案の構造が異なります。通常の土地収用における補償額の審理判断方法については,最三小判1997年1月28日・民集51巻1号147頁(平成5年(行ツ)第11号)を参照できますが,戦争・講和処理に伴う損失とは事案の構造が異なります。
第5 政府答弁・戦後処理問題懇談会報告
1 1950年の内閣答弁書
(1) 平和条約前の段階における回答
1950年2月17日付内閣答弁書は,平和条約締結前の時点で,引揚邦人の在外財産補償について調査・検討中である旨を回答しました。
(2) 現在の法的評価に直結させないこと
この答弁は,サンフランシスコ平和条約,1957年法,1967年法及びその後の最高裁判例より前のものです。したがって,政府が現在も個別損失の補償義務を認めている根拠として用いることはできません。
2 1975年の内閣答弁書
(1) 政府見解の要点
1975年7月8日付内閣答弁書は,在外財産の喪失について法的補償義務を認めず,1957年法及び1967年法による措置で処理したとの政府見解を示しています。
(2) 原文の「実態的な戦争状態」
同答弁書には「実態的な戦争状態」という表現があります。「実体的」に直したくなる箇所ですが,国会掲載原文が「実態的」であるため,引用する場合は原文どおりに記載する必要があります。
3 1984年の戦後処理問題懇談会報告
(1) 報告の法的性格
戦後処理問題懇談会は,総理府総務長官,後に内閣官房長官の私的諮問機関として,恩給欠格者,戦後強制抑留者及び在外財産の問題を検討しました。その1984年12月21日付報告は政策文書であり,裁判所の判決又は法律上の審議会による法的拘束力のある判断ではありません。
(2) 在外財産問題についての整理
報告は,在外財産問題について,平和条約等による国際的処理,最高裁判例,在外財産問題審議会の答申及び2つの給付立法を踏まえ,国において追加措置を講ずべきものとはしませんでした。中国関係については,「日中間の法律関係」が日中国交正常化によって影響を受けないとの整理を示しています。
(3) 平和祈念事業特別基金
報告は,追加の金銭補償とは別に,関係者の慰藉と戦争体験の継承に資する事業を提言しました。これを受けて設けられた平和祈念事業特別基金に関する資料は,総務省の公表資料に掲載されています。
4 現在の政府資料を確認する意味
(1) 条約上の処理に関する外務省の説明
外務省は,歴史問題Q&Aにおいて,戦後の財産・請求権問題は関係国との条約等により処理されたとの政府の立場を説明しています。個別相談では,この一般的説明に加え,対象地域に適用される具体的な条約・取決めを確認します。
(2) 援護行政と個別財産返還を分けること
戦後処理に関する追加補償が否定されていることは,税関が現に保管する通貨・証券等の返還まで否定するものではありません。政策的給付,国家補償,保管物返還及び現在の国際相続を同じ問題として扱わないことが重要です。
第6 在外財産問題の歴史的前提
在外財産の喪失は,敗戦,領域変更,接収,降伏及び引揚げの過程で生じました。本節は,平和条約と国内給付立法の前提を理解するため,この過程に関係する事項を整理するものです。
在外財産の喪失は,日本の敗戦に伴う領域変更,連合国による資産処分,現地政権による管理・接収及び大規模な引揚げと結び付いています。以下では,本題との関係が分かる範囲で主要文書と経過を確認します。
1 大西洋憲章
(1) 会談の日時と場所
ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は,1941年8月9日及び10日,プラセンティア湾で会談し,8月14日に大西洋憲章を公表しました。会談場所は,当時カナダに未加入であったニューファンドランドであり,ニューファンドランドがカナダへ加入したのは1949年です。会談の日時・性格は,米国務省歴史局の解説及びカナダ政府の歴史的境界資料で確認できます。
日本語資料として,国立国会図書館「大西洋憲章」を参照できます。
(2) 領土不拡大原則
大西洋憲章は,領土的拡張を求めないこと,住民の自由に表明された意思に反する領土変更を望まないこと等を掲げました。法的拘束力を有する講和条約ではありませんが,その後の連合国の戦争目的及び国際秩序構想を理解する重要文書です。
2 連合国共同宣言
(1) 1942年1月1日の宣言
1942年1月1日,米国,英国,ソ連,中国等26か国は,大西洋憲章の原則を支持し,枢軸国に対して共同で戦う旨の連合国共同宣言に署名しました。日本語訳として,連合国共同宣言を参照できます。
(2) 国際連合とのつながり
「United Nations」という名称はこの宣言で用いられ,後の国際連合へつながりました。国際連合憲章の日本語本文は,国際連合広報センターで確認できます。
3 カイロ宣言
(1) 日付と公表日
ルーズベルト,チャーチル及び蒋介石によるカイロ会談は,1943年11月22日から26日まで行われました。コミュニケは11月27日付とされ,カイロ宣言として12月1日に公表されました。1941年の文書ではありません。
(2) 台湾・澎湖諸島・朝鮮
宣言は,日本が中国から奪取した地域として満州,台湾及び澎湖諸島を中国へ返還する方針を示し,朝鮮については将来の自由独立を掲げました。カイロ会談の概要については,カイロ会談の補助的な解説もあります。
(3) 南樺太・千島列島との関係
カイロ宣言は南樺太及び千島列島を名指ししていません。他方,日本が暴力・貪欲により略取した他の一切の地域から駆逐されるとの一般条項に両地域が含まれると理解されたとの説明があります。南樺太及び千島列島を具体的に扱ったのは,次項のヤルタ協定です。
(4) 朝鮮独立と「in due course」
朝鮮について用いられた「in due course」は,独立の時期を直ちに確定しない表現でした。ただし,カイロ宣言本文が信託統治を明記したわけではありません。信託統治構想は,その後の連合国間の検討で具体化されました。
関連書籍として,加藤聖文『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』があります。
4 ヤルタ協定
(1) 南樺太・千島列島に関する秘密協定
ヤルタ協定は,1945年2月,ドイツ降伏後のソ連による対日参戦の条件として,南樺太及び隣接島嶼のソ連への返還,千島列島のソ連への引渡し等を定めました。
(2) 日本に対する法的拘束力
ヤルタ協定は米国,英国及びソ連の秘密協定であり,日本は当事国ではありません。このため,同協定だけを根拠として日本が法的に拘束されたと説明することは適切ではありません。日本の領域の法的処理は,ポツダム宣言,降伏文書,サンフランシスコ平和条約その他の関連文書を併せて検討する必要があります。
(3) 中国・モンゴルとの関係
ヤルタ協定は,中国東北部の港湾・鉄道権益及び外モンゴルの現状維持にも言及しました。その後,中ソ友好同盟条約及び外モンゴル独立公民投票へつながりました。
5 ポツダム会談とポツダム宣言
(1) 会談の出席者
ポツダム会談は,1945年7月17日から8月2日まで,米国,英国及びソ連の首脳間で行われました。会談の概要については,ポツダム会談の補助的な解説があります。
(2) チャーチルからアトリーへの交代
英国総選挙の結果判明に伴い,会談は7月26日及び27日に中断され,7月28日の再開時からアトリー首相が出席しました。この経過は,米国務省のポツダム会談記録でも確認できます。
(3) 中国の同意と宣言の発表
蒋介石はポツダム会談自体には出席していませんが,宣言案は蒋介石へ送られ,同意を得た上で,1945年7月26日に米英中3国名でポツダム宣言が公表されました。ソ連は対日参戦後に宣言へ参加しました。
大陸打通作戦は国民政府軍の弱体さを露呈し,米国と蒋介石政権の関係にも影響しましたが,中国がヤルタ会談及びポツダム会談に出席しなかった理由を同作戦だけで説明することはできません。作戦の概要については,大陸打通作戦を参照できます。
6 宣言受諾・降伏・引揚げ
(1) 終戦の詔書と降伏文書
日本は,1945年8月10日,ポツダム宣言受諾の申入れを行いました。連合国側は,バーンズ回答を示し,日本は同月14日に受諾を最終決定しました。
終戦の詔書は8月14日午後11時に発布され,玉音放送は15日正午に行われました。受諾通告については,国立国会図書館掲載資料で確認できます。降伏文書は9月2日に署名され,一般命令第1号が発せられました。
ポツダム宣言受諾をめぐる外交文書のまとまりは,外務省「日本外交文書デジタルコレクション 太平洋戦争第3冊」でも案内されています。
(2) 在外邦人の現地定着方針
日本政府は,1945年8月14日,大東亜省暗号電信第716号により,在外邦人を現地に定着させる初期方針を在外公館へ伝えました。その後,8月31日の終戦処理会議で,できる限り現地で共存することを第一義とし,やむを得ず引き揚げる者には便宜を与えるとの方針を整理しました。
(3) 大規模な引揚げ
実際には,連合国側の方針,各地域の治安・政治状況及び日本人の法的地位の変化等により,大規模な引揚げが実施されました。外務省資料では,終戦時に海外にいた軍人・軍属と一般邦人を合わせた多数の人々が,長期にわたり帰国した経過が整理されています。
7 朝鮮半島の38度線
(1) 一般命令第1号より前に作成された区分案
米国側は,1945年8月10日夜から11日未明にかけて,朝鮮における米ソ両軍の日本軍降伏受領区域を北緯38度線で分ける案を作成し,ソ連はこれを受諾しました。一般命令第1号が初めて38度線を考案したわけではありません。案の作成目的と受降区分は,米国務省外交史料でも確認できます。
(2) 暫定的な受降区分から南北分断へ
一般命令第1号は,38度線以北の日本軍をソ連軍に,同線以南の日本軍を米軍に降伏させるものとして,受降区分を具体化しました。米国務省の関連外交史料は,当初,この線が降伏受領のための暫定的・作戦上の区分と理解されていたことを示しています。その後の米ソ対立,統一政府樹立交渉の失敗その他の要因により,南北分断が固定化しました。
8 各地域に残された日本人と戦後の混乱
(1) 朝鮮に残された日本人
朝鮮独立をめぐる連合国の議論については,大阪産業大学の旧掲載サイトに掲載された「朝鮮独立問題をめぐる連合国の論議」を参照できます。在朝日本人二世の朝鮮・朝鮮人に対する意識については,曺龍淑「在朝日本人二世の朝鮮・朝鮮人に対する意識形成の研究―在釜山日本人を中心に」を参照できます。
(2) ブラジルの日系社会
終戦情報をめぐってブラジルの日系社会に生じた対立は,日本本土・旧外地の引揚げとは別の問題ですが,海外在留日本人の戦後を理解する補助線になります。背景として,日系ブラジル人,1944年,プロパガンダ及び勝ち組に関する補助的な解説があります。
第7 関連資料・関連記事
1 法令・判例・政府資料
(1) 法令
(2) 裁判例
ア 最大判1968年11月27日・民集22巻12号2808頁(昭和40年(オ)第417号)
イ 最二小判1969年7月4日・民集23巻8号1321頁(昭和41年(オ)第831号)
ウ 最一小判1997年3月13日・民集51巻3号1233頁(平成5年(オ)第1751号)
エ 最三小判1997年1月28日・民集51巻1号147頁(平成5年(行ツ)第11号,土地収用補償額の審理判断方法)
(3) 政府・国会資料
カ 国立国会図書館調査及び立法考査局「戦後処理の残された課題」
2 歴史資料・研究資料
(1) 連合国文書
イ 大西洋憲章
ウ 連合国共同宣言
エ カイロ宣言
カ ヤルタ協定
キ ポツダム宣言
ク 一般命令第1号
ケ 国際連盟規約
(2) 論文・解説
ウ 曺龍淑「在朝日本人二世の朝鮮・朝鮮人に対する意識形成の研究―在釜山日本人を中心に」
(3) 補助的なウェブ資料
ア アルカディア会談
イ ソ連対日参戦
ウ 最高戦争指導会議
エ 御前会議
3 関連記事
(1) 戦後補償・戦後賠償
ア 日本の戦後賠償
イ ドイツの戦後補償
(2) 領土・国交正常化
ア ドイツの国境問題
イ 日韓請求権協定
ウ ポツダム協定