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日韓請求権協定とは|個人請求権・措置法・韓国大法院判決(徴用工判決)・仲裁手続(AIリライト)

本記事の結論

日韓請求権協定は,1965年に日本と大韓民国との間の財産・請求権問題を国家間で「完全かつ最終的に解決」した協定です。ただし,「個人請求権がすべて実体法上消滅した」と一括して説明することは正確ではありません。日本法上は,①措置法によって消滅した特定の財産権,②協定の対象となり,日本政府が「請求に応ずべき法律上の義務が消滅し,救済が拒否される」と説明する請求権,③そもそも協定の対象に含まれるかが争われる請求権を分けて検討する必要があります。

2018年10月30日の韓国大法院全員合議体判決は,原告らが主張した強制動員慰謝料請求権を協定の対象外と判断しました。日本政府は,韓国側の対日請求要綱,交渉記録及び協定文言を根拠に,旧朝鮮半島出身労働者の請求を含めて解決済みであるとの立場を採っています。したがって,現在の中心的な争点は,単に「個人請求権が消えたか」ではなく,各請求の原因・性質が協定の事項的範囲に含まれるか,含まれる場合にどのような国内法上の効果が生じるかです。

本記事は,令和8年(2026年)7月15日現在の法令,裁判例及び公表資料を基準としています。法令・条約の引用部分は,内容を変えず,数字及び読点を本記事の表記に整えています。

第1 日韓請求権協定の全体像と個人請求権に関する結論

1 日韓請求権協定とは何か

日韓請求権協定の正式名称は,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」です。1965年6月22日に日韓基本条約等と同時に署名され,同年12月18日に発効しました。協定は,1条で日本から韓国への経済協力,2条で両国及び両国民の財産・請求権問題の解決,3条で協定の解釈・実施に関する紛争処理を定めています。

協定の公式本文及び附属文書は,外務省掲載の条約集PDFで確認できます。従前から参照されているデータベース「世界と日本」の日韓請求権協定にも全文が掲載されています。

2 「個人請求権は消滅したのか」に対する回答

(1) 国家間の解決

協定2条1項により,両国は,両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなること」を確認しました。2条3項は,所定の財産,権利及び利益に対する措置と,1965年6月22日以前に生じた事由に基づくすべての請求権について,いかなる主張もすることができないものとしています。

(2) 措置法による財産権の消滅

日本は,協定の国内実施のため,昭和40年法律第144号を制定しました。同法1項は,協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当する韓国又は韓国国民の財産権のうち,日本国又は日本国民に対する債権及び所定の担保権を消滅させました。したがって,この範囲の財産権については,国内法上の実体的消滅が明文で定められています。

(3) 協定の対象となる請求権の法的効果

他方,措置法は,1965年6月22日以前の事由に基づくあらゆる請求権を,原因・性質を問わず一律に消滅させる一般条項ではありません。日本政府は,協定の対象となる個人請求権について,請求権それ自体を国内法上当然に消滅させたという説明ではなく,協定が各締約国内で適用されることにより,請求に応ずべき相手国及びその国民の法律上の義務が消滅し,その結果として救済が拒否されるため法的に解決済みである,と説明しています。

(4) 韓国大法院が協定外とした慰謝料請求権

2018年韓国大法院全員合議体判決の多数意見は,判決対象の請求を,未払賃金その他の単純な財産請求ではなく,日本の植民地支配及び侵略戦争と直結した日本企業の反人道的な不法行為を原因とする慰謝料請求権と構成し,この請求権は協定の対象に含まれないと判断しました。日本政府は,この解釈に正面から反対しています。

問題日本法・日本政府の整理韓国大法院多数意見の整理
国家間の請求権問題協定により完全かつ最終的に解決済み協定が対象とした財産・請求権問題は解決済み
措置法所定の財産権措置法により実体的に消滅日本国内法上の問題
協定の対象となる個人請求権請求に応ずべき法律上の義務が消滅し,救済が拒否される意見により効果の理解が異なる
判決対象の強制動員慰謝料請求権協定の対象であり解決済み協定の事項的範囲外

3 弁護士が最初に確認すべき事項

具体的事件では,「個人請求権」という抽象語だけで結論を出してはいけません。少なくとも,次の順序で確認する必要があります。

  1. 請求主体及び相手方が国,法人又は個人のいずれであるか。
  2. 請求原因が未払金,供託金,預金,恩給,不法行為,慰謝料その他のいずれであるか。
  3. 請求の基礎となる事由が1965年6月22日以前に生じたか。
  4. 協定2条3項の「財産,権利及び利益」と「請求権」のいずれに位置付けられるか。
  5. 措置法その他の国内法が当該権利に適用されるか。
  6. 日本又は韓国のいずれの裁判所で,どの準拠法により争うのか。
  7. 判決取得後に,どの国のどの財産に対して執行するのか。

第2 協定の成立,経済協力及び交渉の構造

1 署名・発効と協定の構成

請求権協定は,日韓国交正常化の一環として,日韓基本条約,漁業協定,在日韓国人の法的地位に関する協定等とともに締結されました。交渉では,韓国側が提示した対日請求項目を個別に積み上げる方式が検討されたものの,法的根拠に関する見解の隔たり及び資料散逸のため,経済協力と並行して財産・請求権問題を一括して処理する方式が採られました。

2 5億ドルの経済協力

(1) 無償3億ドル・有償2億ドル

協定1条は,日本が韓国に対し,10年間にわたり3億ドルに相当する日本国の生産物及び日本国民の役務を無償供与し,さらに2億ドルに相当する長期低利の貸付けを行うことを定めました。供与及び貸付けは,韓国の経済発展に役立つものでなければならないとされています。

(2) 請求権の対価ではないこと

『日韓条約と国内法の解説』(『時の法令』別冊,1966年)42頁,43頁,62頁及び63頁は,経済協力と請求権問題の解決との間に法的な対価関係はなく,交渉の経緯から同一協定で扱われたと説明しています。したがって,「日本が個々の請求権の賠償金として5億ドルを支払った」と表現するのは正確ではありません。法的性格は経済協力である一方,政治的・交渉上は請求権問題の最終的解決と同時に合意された一括処理の一部でした。

同書の所在については,従前から掲載している『日韓条約と国内法の解説』の書誌情報も参照してください。

(3) 韓国の経済発展との関係

経済協力資金が韓国の産業基盤整備に利用されたことと,韓国の高度経済成長を一つの原因だけで説明することとは別問題です。韓国の経済発展には,国内の経済開発計画,輸出政策,外国資本,国際情勢その他の複数の要因があります。従前からの参考リンクとして,国家基本問題研究所HP「韓国は先人の日韓友好努力を無にするな」及びWikipediaの「漢江の奇跡」がありますが,金額比較又は因果関係を論じる場合は,基準年,為替,名目・実質及び統計主体を明示する必要があります。

3 韓国側の対日請求要綱と一括処理

合意議事録は,完全かつ最終的に解決された問題に,日韓会談で韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれることを確認しています。その第5項には,被徴用韓国人の未収金,補償金及びその他の請求権が含まれていました。

もっとも,この事実だけで2018年韓国大法院判決の結論が直ちに否定されるわけではありません。同判決多数意見は,交渉で処理された未収金・補償金と,植民地支配の違法性を前提とする慰謝料請求権とを区別しました。これに対し,日本政府は,協定の包括的な文言及び交渉記録から,当該慰謝料請求も解決済みであると主張しています。

第3 請求権協定2条の条文と解釈

1 2条の構造

(1) 1項の「完全かつ最終的に解決」

2条1項は,両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題が,サンフランシスコ平和条約4条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認しています。

(2) 2項の例外

2条2項は,①一方の国民で,1947年8月15日から協定署名日までの間に他方の国に居住したことがある者の財産,権利及び利益と,②1945年8月15日後の通常の接触の過程で取得され,又は他方の国の管轄下に入った財産,権利及び利益を,所定の条件の下で除外しています。

(3) 3項の「いかなる主張もすることができない」

2条3項は,2項の例外を前提として,①協定署名日に他方の国の管轄下にある財産,権利及び利益に対する措置と,②他方の国又はその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものについて,いかなる主張もすることができないものとしています。

この文言上,①には「措置」という語があり,②にはありません。この差異は重要です。国際法学会の「元徴用工訴訟問題と日韓請求権協定」も,①が各国の国内的措置に委ねられたのに対し,②は協定自体により主張できなくなったという構造を指摘しています。

2 「財産,権利及び利益」と「請求権」の区別

合意議事録(1)は,「財産,権利及び利益」を,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利と定義しています。これに対し,未確定の損害賠償請求等は「請求権」と整理され得ます。両者は協定本文で書き分けられており,措置法が前者について採った国内措置を,後者のすべてにそのまま及ぼすことはできません。

「財産,権利及び利益」という表現は,ベルサイユ条約297条,イタリア平和条約78条,サンフランシスコ平和条約14条等の戦後処理条項にも見られます。

3 合意議事録が定める事項

合意議事録は,2条について,主に次の事項を確認しています。

  • 「財産,権利及び利益」の定義
  • 日本についての「特別の措置」の意味
  • 2条2項(a)の「居住した」の意味
  • 終戦直後の特殊な状態における取引等が「通常の接触」に含まれないこと
  • 2条3項による措置が,各国の国内措置として行われること
  • 韓国側の対日請求要綱の範囲に属する請求が解決対象に含まれること
  • 協定署名日までの韓国による日本漁船拿捕から生じた請求権が解決対象に含まれること

4 2条2項の「居住した」に関する最高裁判例

最高裁昭和51年3月23日判決は,韓国の財団法人について,2条2項(a)及び合意議事録2項(c)の「居住した」に該当するためには,日本国内で登記した事務所まで必要ではないものの,少なくとも事実上の事務所をもち,本来の目的とする活動を所定期間内のいずれかの時まで1年以上継続していることを要すると判示しました。

第4 措置法,日本の裁判例及び政府見解

1 措置法の正確な射程

措置法の正式名称は,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」です。e-Gov法令検索及び衆議院掲載の制定法本文で確認できます。

(1) 1項の債権・担保権

1項は,韓国又は韓国国民の財産権であって,協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するもののうち,①日本国又は日本国民に対する債権と,②日本国又は日本国民が有する物又は債権を目的とする担保権を,1965年6月22日に消滅したものとしています。ただし,同日に第三者の権利の目的となっていたものには,所定の例外があります。

(2) 2項の保管物

2項は,日本国又は日本国民が1965年6月22日に保管していた韓国又は韓国国民の物で,協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するものを,同日に保管者へ帰属させました。

(3) 3項の証券化された権利

3項は,韓国又は韓国国民が有する証券に化体された権利で,協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当するものについて,1項及び2項が適用されるものを除き,1965年6月22日後はその権利に基づく主張をすることができないものとしました。

注意点

措置法によって実体的に消滅したのは,同法が列挙した「財産権」です。同法は,韓国国民が主張し得るあらゆる不法行為請求権又は慰謝料請求権を,原因・性質を問わず一律に消滅させるとの規定ではありません。

2 日本の主要裁判例

(1) 最高裁平成16年11月29日判決

最高裁平成16年11月29日判決(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)は,敗戦に伴う国家間の財産処理という特殊な性格を踏まえ,措置法が憲法17条及び29条2項・3項に違反しないと判断しました。裁判所ウェブサイトの現行ページでは,事件番号平成15年(オ)1895,集民215号789頁として確認できます。

(2) 未払金供託に関する裁判例

朝鮮半島出身者の未払賃金等の供託金還付請求については,請求権が協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当し,措置法1項により消滅したとする裁判例があります。例えば,東京地裁平成16年10月15日判決は,供託金還付請求権が財産権であることを前提に,措置法による消滅を認めました。他方,この結論を,不法行為を原因とするすべての慰謝料請求へ一般化することはできません。

平成15年政府答弁書が取り上げた大阪高裁平成14年11月19日判決も,その事件の債権が「財産,権利又は利益」に該当すると判断した事案です。重要なのは,具体的な請求権の性質を認定した上で措置法の適用を判断している点です。

(3) 最高裁平成19年4月27日判決との区別

最高裁平成19年4月27日判決は,日中共同声明5項について,請求権を実体的に消滅させるのではなく,裁判上訴求する権能を失わせるものと解し,債務者側の任意・自発的な対応を妨げないと判示しました。判決の概要は,本ブログの「最高裁平成19年4月27日判決」も参照してください。

ただし,同判決は日中共同声明を対象とし,日韓請求権協定及び措置法の効果を直接判断したものではありません。日韓請求権協定の問題では,協定2条の構造,措置法の適用範囲及び個々の請求原因を別に検討する必要があります。

3 平成3年・平成4年の国会答弁

平成3年の国会答弁では,請求権協定による処理を外交的保護権の放棄という観点から説明しました。さらに,平成4年2月26日の国会答弁では,条約上,個人の請求権を国内法的な意味で直接消滅させたものではないことと,協定2条3項の「財産,権利及び利益」に該当する権利について日本が措置法による消滅措置を採ったこととを区別しています。

平成30年11月14日の衆議院外務委員会会議録でも,政府は,請求権それ自体を国内法上消滅させたものではないとの従来答弁を確認しつつ,協定の対象となる個人請求権は法的に救済されないとの立場を説明しています。

4 平成15年及び平成30年の政府答弁書

平成15年1月28日付け政府答弁書は,大阪高裁判決が,具体的な債権を協定2条3項の「財産,権利又は利益」に該当すると認定し,措置法によって消滅したと判断したことを紹介しています。

平成30年11月20日付け政府答弁書は,韓国との間の個人請求権について,協定の規定が各締約国内で適用されることにより,請求に応ずべき他方の国及びその国民の法律上の義務が消滅し,その結果救済が拒否されるため,法的に解決済みとなっている,と説明しています。

したがって,日本政府の現在の立場を表す場合は,「個人請求権がすべて実体的に消滅した」と短縮するのではなく,「協定の対象となる個人請求権について,請求に応ずべき法律上の義務が消滅し,救済が拒否される」と記載するのが適切です。

第5 在韓日本財産及び李承晩ラインの請求権処理

1 北緯38度線以南の日本財産

在韓米軍政府は,1945年12月6日付け軍令33号により,北緯38度線以南の日本財産を取得する旨を定めました。その後,アメリカ合衆国政府と大韓民国政府との間の財政及び財産に関する最初の取極により,これらの財産は韓国政府へ移管されました。

サンフランシスコ平和条約4条(b)は,在韓米軍政府等による日本国及び日本国民の財産処理の効力を日本が承認することを定めました。1957年には,米国が,大韓民国の管轄内の財産について日本及び日本国民の権利・権原・利益は取り去られており,日本はこれらについて有効な請求権を主張できないとの解釈を示し,日韓両国は同年12月31日の合意議事録でこれを受け入れました。

2 北緯38度線以北の日本財産

北緯38度線以北の日本財産は,1946年以降の北朝鮮当局による措置及び1948年の北朝鮮成立後の国有化の対象となりました。1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定後に韓国政府の管轄下へ入った地域の北朝鮮政府財産についても,韓国国内で処理されました。

引揚者が海外財産だけでなく生活基盤を失った事情については,総務省の「旧独立行政法人平和祈念事業特別基金の公表文書」に掲載された戦後処理問題懇談会報告が参考になります。

3 李承晩ラインと拿捕被害

(1) 李承晩ラインの設定

連合国最高司令官指令によるマッカーサー・ラインは,サンフランシスコ平和条約の発効に伴い失効する予定でした。韓国は,1952年1月18日,大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領宣言,いわゆる李承晩ラインを公表しました。

日弁連人権委員会は,1953年10月31日,「李ライン問題に関する日本漁民拉致に対し韓国の反省を求める件」を公表し,日本漁船の拿捕,乗組員の拘束等について抗議しました。

(2) 日本側の請求と協定による処理

1965年3月27日の外相会談では,韓国側の在籍船舶補償要求と,日本側の拿捕漁船・乗組員に関する補償要求を,安全操業の確保を前提に相互に白紙へ戻す方向で合意しました。韓国側の船舶要求の経緯は,「船舶問題の経緯」も参照してください。

合意議事録は,協定署名日までの韓国による日本漁船拿捕から生じたすべての請求権が,完全かつ最終的な解決の対象に含まれ,韓国政府に主張できないことを確認しました。

(3) 被害数・損害額と国内救済

『日韓漁業対策運動史』425頁・426頁所収の1965年9月14日決議は,漁船328隻,抑留船員3929人,死傷者44人,損害額90億3100万円としています。他方,交渉で日本側が示した要求額,評価基準を変えた推計,保険金控除後の残額等には別の数値があります。数値を引用するときは,算定時点,算定主体及び「総損害額・要求額・保険控除後残額」のいずれであるかを明示しなければなりません。

国内救済としては,特別給付金約40億円と,農林漁業金融公庫による長期低利融資10億円が実施されました。正式名称は「特別給付金」です。この制度の政府説明は,1965年10月27日衆議院農林水産委員会会議録で確認できます。李承晩ラインの歴史資料として,島根県の「李承晩ライン宣言と韓国政府」があります。

第6 韓国大法院2018年判決と強制動員慰謝料請求権

1 判決の概要

韓国大法院2018年10月30日全員合議体判決(2013ダ61381)は,旧日本製鉄の承継会社に当たるとされた新日鉄住金株式会社に対し,原告4人への各1億ウォンの慰謝料支払を命じた原審判決を維持しました。判決全文は,韓国大法院公表PDFで確認できます。日本語資料としては,日本語仮訳もありますが,厳密な検討では韓国語原文との照合が必要です。

日本国内ではこの判決を「徴用工判決」と呼ぶことが多いものの,原告ごとの動員経緯は同一ではありません。募集,官斡旋及び国民徴用令による徴用は,制度上の時期と法的根拠が異なるため,本記事では,判決及び政府資料に即して「旧朝鮮半島出身労働者」又は「強制動員被害者」と表記します。

2 多数意見の論理

(1) 訴訟物の特定

多数意見は,原告らの請求を,未払賃金又は単なる労働契約上の債権ではなく,「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為」を原因とする慰謝料請求権として把握しました。したがって,判決を理解する際には,まず,大法院が訴訟物をどのように構成したかを確認する必要があります。

(2) 協定の対象外とした理由

多数意見は,日韓請求権協定の交渉過程では日本の植民地支配の不法性について合意に至らず,協定が基本的に両国間の財政的・民事的債権債務関係を政治的合意によって解決するものであったと理解しました。その上で,上記の慰謝料請求権は,韓国側の対日請求要綱8項目に含まれず,協定の適用対象でもないと判断しました。

この判断は,「協定の対象に含まれるが権利行使は妨げられない」としたものではなく,原告らが主張する特定の慰謝料請求権は,そもそも協定の事項的範囲に含まれないとしたものです。

(3) 別個意見及び反対意見

全員合議体には複数の意見がありました。3人の裁判官の別個意見は,問題となった請求権が協定の対象には含まれるものの,協定によって放棄されたのは韓国の外交的保護権であり,個人の請求権自体は消滅せず,韓国国内で裁判上行使できるとしました。これに対し,2人の裁判官の反対意見は,請求権自体が当然に消滅するわけではないとしつつも,協定によって韓国国内での権利行使は制限されるとの立場を採りました。

したがって,「韓国大法院は個人請求権が消滅していないと判示した」とだけ要約すると,多数意見の事項的範囲論と,別個意見・反対意見の効果論が混同されます。

3 日本政府の反論

(1) 対日請求要綱8項目との関係

日本政府は,韓国側の対日請求要綱8項目に「被徴用韓国人の未収金,補償金及びその他請求権」が掲げられ,交渉では精神的・肉体的苦痛に対する補償も議論されたことなどから,旧朝鮮半島出身労働者の請求は協定によって解決済みであると説明しています。日本政府の整理は,外務省の「旧朝鮮半島出身労働者問題をめぐる事実関係」で確認できます。

(2) 日本企業に対する判決への評価

日本政府は,韓国大法院判決及びこれに続く判決について,日韓請求権協定2条に明らかに反し,日本企業に不当な不利益を課すものとして受け入れられないとの立場を一貫して表明しています。新日鉄住金株式会社は2018年10月30日付コメントを,三菱重工業株式会社は2018年11月29日付コメントを公表しました。

ここで重要なのは,韓国大法院の多数意見と日本政府とで,協定の対象に含まれる請求の範囲自体について解釈が対立していることです。一方当事国の国内裁判所の判決だけで,条約当事国間の解釈紛争が解消するわけではありません。

4 動員制度と用語の整理

朝鮮半島から日本内地への労務動員は,一般に,1939年以降の募集,1942年以降の官斡旋,1944年9月以降の国民徴用令適用という段階に分けて説明されます。法令資料として,国家総動員法国民徴用令及び国立国会図書館の近代日本軍事関係文献目録があります。

訴訟では,一般的な制度説明だけでなく,各原告の募集経緯,勤務先,期間,賃金・供託の有無及び被害事実を証拠によって個別に認定する必要があります。

5 韓国国内の補償措置

韓国では,請求権資金法及び対日民間請求権申告法等に基づく申告・補償が行われ,その後も,強制動員被害の調査及び被害者支援に関する法律により追加措置が講じられました。2018年大法院判決は,韓国国内措置の経過も整理しています。

具体的な受給要件及び支給実績は,適用時点の韓国法令及び韓国政府の公表資料で確認する必要があります。

第7 判決額の読み方とドイツ「記憶・責任・未来」基金

1 韓国判決の認容額

2018年10月30日判決では,各原告につき1億ウォンの慰謝料が認容されました。三菱重工業関係の2018年11月29日判決でも,被害類型等に応じて金額が判断されています。日本円への換算額は為替時点によって変動するため,裁判例を紹介する際は,原則として判決通貨であるウォンで表示するのが適切です。

2 ドイツの基金との比較

(1) 基金の制度

ドイツの「記憶・責任・未来」基金は,ドイツ連邦政府とドイツ企業が各50億ドイツマルクを拠出する合意に基づき,利息等を含む101億ドイツマルクの設立時資産をもって,ナチス時代の強制労働等の被害者に給付を行った制度です。基金法は,被害類型に応じ,強制収容所等の被害者に最大1万5000ドイツマルク,その他の強制労働被害者に最大5000ドイツマルクなどの上限を定めました。制度の経緯は,基金の設立史基金法及び強制労働に関する説明で確認できます。日本語の関連整理は,本ブログのドイツの戦後補償も参照してください。

(2) 単純平均による比較が適切でない理由

基金の総支給額を全受給者数で割った単純平均を,韓国判決の慰謝料額と直接比較することは適切ではありません。基金は複数の被害類型,法定上限及びパートナー組織を通じた行政的給付を含むのに対し,韓国判決は,特定当事者間の不法行為に基づく個別の司法判断だからです。比較するのであれば,制度目的,対象被害,証明基準,給付又は損害項目,法定上限,遅延損害金及び時点をそろえる必要があります。

第8 2023年の韓国政府解決策と2026年までの動向

1 韓国政府の第三者弁済案

韓国政府は,2023年3月6日,韓国行政安全部傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」が,韓国大法院の2018年確定判決3件の原告に対し,判決金及び遅延利息を支払う解決策を発表しました。内容は,韓国外交部の公式発表で確認できます。

日本政府は,同日の外務大臣会見で,韓国政府の措置を「日韓関係を健全な関係に戻すためのもの」と評価し,1998年の日韓共同宣言を含む歴代内閣の歴史認識に関する立場を全体として引き継いでいることを確認しました。

背景解説として,東洋経済オンラインの記事も参照できます。また,当時の報道へのリンクは次のとおりです。

産経ニュース記事への短縮リンク

2 受領を拒む原告と供託

第三者弁済案は,受領を希望する原告らへの支払を進める一方,受領を拒む原告らとの関係では供託の受理及び効力が争われました。2024年2月には,日本企業が韓国国内で供託した金銭について,韓国の裁判所が差押債権者への支払を認め,日本政府は日韓請求権協定に明らかに反するとの立場を表明しました。この経過は,外務省の旧朝鮮半島出身労働者問題の資料ページに整理されています。第三者弁済案は,確定判決の存在そのものを消滅させる制度ではないため,個別原告の意思及び訴訟・執行の状況を分けて把握する必要があります。

3 韓国裁判所のその後の判決

韓国では,2023年末以降も日本企業に賠償を命ずる大法院判決が相次ぎ,2025年12月11日,12月24日,2026年1月15日及び同月29日にも関連判決が言い渡されました。日本外務省は,2025年12月11日同月24日2026年1月15日及び同月29日判決について,それぞれ抗議を公表しています。

さらに,韓国大法院は,2026年2月12日の2024ダ228777判決で,差戻し後の事件における上告を棄却し,強制動員慰謝料請求権が協定の対象外であるとの従前の判断を前提に,日本の旧会社更生法上の更生計画認可決定による免責の効力が原告らに及ぶとの抗弁について,原審に判断脱漏がないとしました。判決要旨は,韓国大法院公表PDFで確認できます。

4 現在地

2023年の解決策により,一部の原告らへの支払と日韓関係の改善は進みました。しかし,受領を拒む原告,後続訴訟,供託金の執行及び日本企業の韓国内資産をめぐる問題は残っています。したがって,「2023年案により法的紛争が全面的に解決した」と評価することはできません。最新の日本政府資料は,外務省の旧朝鮮半島出身労働者問題のページで確認できます。

第9 請求権協定3条の協議・仲裁手続

1 3段階の紛争解決手続

請求権協定3条は,協定の解釈及び実施に関する両国間の紛争について,次の3段階の手続を定めています。

段階手続概要
第1段階外交上の協議両国政府が外交上の経路を通じて解決を図ります。
第2段階3人の仲裁委員会各国が1人ずつ委員を任命し,その2人が第三国の委員長を選びます。
第3段階第三国による委員選定委員又は委員長が期限内に任命されない場合,各国が選んだ第三国政府等に選定を要請します。

3条の手続は「仲介」ではなく仲裁です。また,仲裁委員会は単に意見交換を行う機関ではなく,多数決で決定を行う紛争解決機関です。日本語条文は,日韓請求権協定全文で確認できます。

2 2019年の協議要請と仲裁付託

日本政府は,2019年1月9日,韓国政府に対し,協定3条1項に基づく外交上の協議を要請しました。協議に応じる回答が得られなかったとして,同年5月20日,3条2項に基づく仲裁委員会付託を通告しました。さらに,同年6月19日,3条3項に基づき,仲裁委員の選任を第三国に委ねる手続を開始しました。

日本政府は,同年7月19日,韓国側が期限までに第三国を選定しなかったとして,外務大臣談話を公表しました。当時の関連発表として,従前の外務省リンクもあります。

3 仲裁委員会が設置されなかった法的意味

韓国側が委員又は第三国の選定に応じなかったため,仲裁委員会は構成されず,協定3条に基づく仲裁判断も存在しません。その経過は,2024年4月3日衆議院外務委員会会議録でも確認できます。その結果,協定の事項的範囲及び国内法上の効果に関する両国の解釈対立は,条約上の仲裁によって確定していません。

これは,日本側の協定違反の主張がなかったことを意味せず,反対に,日本側の解釈が仲裁判断によって確定したことも意味しません。法律記事では,「仲裁要請をしたこと」と「仲裁委員会が成立し,判断が示されたこと」を区別して記載する必要があります。

第10 弁護士実務における確認事項

1 日本で請求を検討する場合

日韓請求権協定に関係する請求の相談を受けたときは,「個人請求権」という抽象的な名称だけで結論を出さず,少なくとも次の順序で検討する必要があります。

  1. 請求原因の特定:預貯金,供託金,社債,未払賃金,不法行為に基づく慰謝料,物の返還その他のいずれかを特定します。
  2. 当事者及び基準時の確認:権利者の国籍,1965年6月22日以前の居住地,法人の設立法,債務者の属性及び相続関係を確認します。
  3. 協定の事項的範囲:協定2条,合意議事録及び交渉記録に照らし,当該請求が解決の対象に含まれるかを検討します。
  4. 措置法の適用:当該権利が措置法1項から3項までのどの類型に該当するか,除外事由がないかを検討します。
  5. その他の抗弁:消滅時効又は除斥期間,準拠法,裁判管轄,国家無答責,主権免除,法人格の承継その他の独立した論点を検討します。
  6. 証拠の確保:雇用・動員記録,供託書,預金台帳,戸籍・除籍,会社沿革,支払記録及び韓国国内での補償受給歴を収集します。

協定又は措置法の適用が問題となる事件でも,訴えの適法性,請求原因の成否,時効及び立証は別個の争点です。協定論だけで事件全体の結論を先取りしないことが重要です。

2 韓国訴訟又は韓国内執行に関与する場合

韓国訴訟に関与する場合は,韓国法上の国際裁判管轄,国際送達,外国法人の当事者能力,会社の同一性・承継,準拠法,消滅時効及び遅延損害金を確認します。確定判決後は,対象資産の帰属,差押可能性,供託金の取扱い及び第三者弁済の効力が独立した執行論点になります。

また,日本で韓国判決の承認・執行が求められる場合は,民事訴訟法118条の間接管轄,敗訴被告への送達又は応訴,公序及び相互保証を個別に検討します。日韓請求権協定との関係が同条3号の公序要件の検討対象となるかは,具体的な請求原因,判決理由及び執行内容に即して判断する必要があり,外国判決承認の各要件を省略することはできません。

3 企業側の紛争予防・開示対応

関係企業では,歴史的資料を含む文書保存,海外送達を受領した場合の即時エスカレーション,現地代理人との役割分担,対象資産の正確な把握及び会計・適時開示上の重要性判断を平時から整理しておく必要があります。訴訟対応と並行して,国連「ビジネスと人権に関する指導原則」等を踏まえ,人権デュー・ディリジェンス,ステークホルダーとの対話及び救済へのアクセスも検討対象になります。

企業法務上の一般的な基礎資料として,ビジネスローヤーズの「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」の解説と企業実務への影響「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法及びドイツのサプライチェーン・デューディリジェンス法が日本企業に与える影響があります。具体的な開示・対応は,事件の進行,重要性及び適用市場のルールに即して判断します。

4 資料収集の優先順位

資料の信用性と探索効率を両立するため,①条約・法令の公布文,②裁判所の判決全文,③両国政府の公式発表,④国会会議録・政府答弁,⑤交渉記録・公文書,⑥専門書・論文,⑦報道・一般解説の順に確認するのが基本です。二次資料に結論が記載されていても,引用部分と一次資料が一致するかを必ず確認します。

第11 条約・裁判例・関連資料へのリンク

1 条約・議定書・交渉資料

2 日本の法令・裁判例・国会資料

3 韓国の裁判例・政府資料

4 補助資料・従前からの参考リンク

補助資料及び旧URLには,移転又は公開終了により閲覧できないものがあります。条文,判旨及び政府見解の確認には,上位に掲げた公式資料を優先してください。

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第12 まとめ

日韓請求権協定は,両国及びその国民の財産・請求権問題を国家間で完全かつ最終的に解決し,その処理を各国の国内法に委ねる枠組みを設けました。日本は措置法により,一定の財産,権利及び利益を消滅させましたが,同法の対象は条文に該当する権利に限られます。

日本政府は,協定の対象となる個人請求権について,請求に応ずべき法律上の義務が消滅し,救済が拒否されるとの立場です。これに対し,韓国大法院2018年判決の多数意見は,原告らの強制動員慰謝料請求権を協定の対象外と判断しました。両国の対立は,個人請求権の抽象的な存否だけでなく,請求原因が協定の対象に含まれるかという入口の解釈対立です。

2023年の韓国政府解決策により一部の原告らへの支払は進みましたが,後続訴訟及び執行問題は残っています。弁護士実務では,協定,合意議事録,措置法及び裁判例を一括して論ずるのではなく,請求原因,基準時,当事者,事項的範囲,国内法上の効果,時効,管轄及び証拠を順に検討することが不可欠です。

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