7頁ないし9頁には,「第3節 検察制度の本質」として以下の記載があります(文中の「庁法」は検察庁法のことであり,「章程」は検察庁事務章程のことです。)。
1 社会の秩序を破った者を処罰することは,人間社会の成立とともに始まったといわれる。古代の社会における秩序を乱す行為は,殺人,傷害,窃盗などであったが, これに対する処罰は,民事,刑事の分化もなく,私人間, あるいは,その属する家や部族の間の復仇や自力救済に放任され,家や部族内のものについては,家長や部族の長の手に委ねられていた。その後,部族間の争闘の歴史を経て,部族等の上位社会としての国家が成立すると, 国家は部族問の紛争はもとより社会間の紛争にも介入するようになり,国家権力の強大化とともに犯罪者に刑罰を科することは, 「国家刑罰権」 として,国家の手に収められた。
このようにして,封建国家や絶対王制国家においては,全ての国家作用がそうであったように,刑罰権も領主や王の絶対権力に基づいて行使された。
2 古来,法は正義を理念とし,裁判は公正を生命とするといわれながらも,領主や王が全権力を掌握し人民に対し生殺与奪の自由をもっていた以上,刑罰を科すについての法や裁判は,領主や王の恋意を覆い隠す装飾にすぎない場合もあり,人民の権利や自由に対する制度的な保障ではなかった。すなわち, そこには権力分立の観念はなく,全ての官吏は領主,国王の部下,代官であり,裁判官と行政官の職分の区別もなかった。
したがって, 当時の刑事裁判手続は,裁判官(官憲)の掌中に収められ,裁判官が自ら犯人を捜して捕え,何らの訴えなしに職権をもって自ら審理を開始し,必要があれば拷問を用いるなど,一方的な秘密審理によって行なわれた(糺問手続の形式)。
3 しかし, 自由民権思想の発展,高揚は,領主や王の絶対権力を否定し,国家の統治権は立法,行政, 司法の三権に分立され,法による統治の時代をもたらした。かくして, これまで国王の代官・部下として社会の秩序を維持し公共の利益を図るために司法と行政の両機能を果してきた裁判所は, 司法の機能のみを担うこととし, 自ら進んで犯罪者に対して刑罰権を行使するという行政の機能を他に譲ることとなった(注1)。そして,裁判所は,紛争上対立する当事者から訴が提起された場合に,はじめて法律を基準とし, その適用によって判定を与えることに専念することとなった(弾劾手続の形式) (注2)。
(注1) 司法と行政の区別
司法とは,「法の適用によって当事者間の具体的な法律上の争訟を解決する国家作用をいう」 とされているが,行政とは,「国家作用のうち,立法と司法とを除いた残余の国家機能をいう」 とされ,行政については,積極的な定義付けができないとする見解が有力である。
(注2) 糺問手統(糺問主義)と弾劾手続(弾劾主義)
糺問主義(手続) とは,刑事訴訟手続上の基本的な脈理で, (イ)訴訟の開始が,訴えによらず,裁判所の職権による主義,(ロ)訴訟が開始された後,訴訟の主体として,裁判所・被告人の2面関係しかなく,裁判所・訴追者・被告人の3面関係ではない訴訟の形式を意味する。 これに対して,弾劾主義(手続) とは,(イ)刑訴法上,裁判機関以外の者の訴えを待って訴訟を開始する主義,(ロ)その場合,訴えを提起した者が当事者となるのが通例であるから,裁判所と積極・消極の両当事者の3主体によって構成される訴訟の形式を意味する。したがって,不告不理の原則は,弾劾主義の本質的内容をなすものといえる。
4 このようにして,刑事裁判手続は,訴訟手続の形式による公開審理によって行われるようになった。 ところで,刑事裁判手続が訴訟手続(弾劾手続)の形式で行われるためには,必然に,原告にあたる訴追者がなければならない。これを被害者や一般民衆の手に委ねる(私人訴追主義) と,訴追が私憤等によって左右されて偏ぱなものとなる場合があって適切ではない。訴追は,本来,冷静な合理的処置として行われなければならないこと,また,偶然的,恣意的でなく一定方針で画一的に行われる必要があること,訴追は司法権と行政権の接点にあるものであることなどを考えると, その権限は,公正な立場にある一定の国家機関をして分担せしめることが適切・妥当である (国家訴追主義)。
5 以上のように,国家の統治権を三権に分立し,人権を保障し,社会の平和を保持して公共の利益を図るためには,公益の代表として,刑事について公訴を行い,裁判所に法の正当な適用を請求するなどの機能を担う機関が必要であり,欠くことができない。 ここに検察制度が誕生した理由がある。
したがって,検察制度は,三権分立,特に司法権の独立という国家の体制を維持,発展させるために創設されたものであり, それに奉仕するものである。この意味において,検察制度の発展によって, 司法の独立の原則もまた確立せられたものであるといってよい。