「新検察制度十年の回顧」には,「検察庁の名称について」という表題で,以下の記載があります(法曹時報10巻3号87頁及び88頁)。
検察庁法において、検察庁ば検事の行う事務を統括するところと定義し、検察庁には最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁及び区検察庁がある(法第二条)ことを規定しているが、この検察庁という名称は、昭和三年司法省が検事局を裁判所から分離して独立させる法案を立案した際すでにこれを使用し、また昭和十三年第七十三帝国議会において衆議院議員から提出された検察庁法案にもこの名称が使われており、検察庁という名称はとくに目あたらしいものではないので、この度の立法にあたってもこの名称を踏襲したのである。ただ検察庁の定義を定めた第一条の規定は、法制局と法案の審議をした当初これをもうけてなかったのを法制局の示唆によっておくようになったことは、すでに述べたところであるが(検察官同一体の原則の項参照)、右規定において、検察庁は、検察官の行う事務を統括するところというようにとくに仮名で表現し、このところを処あるいは場所としなかったのは、検察官の行う事務を形式的に行う場所、もしくはこれを単に機械的に統一する場所というだけの意味でなく、形而上的な意味すなわち検察官が国の独立機関として独自に行使できる検察事務を検察全体として統括するところであることをあらわすためにしたのであって、いわば検察官同一体の原則の一つの根拠となるのである。
検察庁の種類の名称は、昭和三年の検察庁法案および第七十三帝国議会の議員提出になる検察庁法案には、その当時の大審院、控訴院、地方検察庁、区検察庁に対して総検察院、検察院、地方検察院、区検察院の名称が使われていたが、司法制度の改正により裁判所は最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所に改められたので、これに対応して最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁、区検察庁としたのである。
*1 「検察官の名称の由来」も参照してください。
*2 昭和43年版犯罪白書の「第二章 刑事関係制度の変遷」には以下の記載があります(改行を追加しています。)。
明治二二年二月発布の大日本帝国憲法は,第五章に司法に関する条章を設け,司法権は,天皇の名において,法律により裁判所が行なうことを定めたほか,裁判官の資格・身分保障,裁判の公開,特別裁判所等について規定し,この規定を受けて,翌二三年二月裁判所構成法が公布された。
同法は,通常裁判所を大審院,控訴院,地方裁判所および区裁判所の四種とし,区裁判所は,違警罪,二月以下の禁錮または百円以下の罰金にかかる軽罪等を管轄し,地方裁判所は,区裁判所の権限および大審院の特別権限に属しない刑事訴訟ならびに区裁判所の判決に対する控訴審につき裁判権を有し,控訴院は,地方裁判所の第一審判決に対する控訴および区裁判所管轄事件の上告等につき,大審院は,控訴院の第二審判決に対する上告および皇室に対する罪等の予審および裁判につき,裁判権を有するものとされた。
また,判事および検事のほか,予備判事および予備検事の名称を設け,各裁判所に検事局を付置し,大審院検事局に検事総長,控訴院検事局に検事長,地方裁判所検事局に検事正をおくことを定めた。