伊藤栄樹検事総長の,退官直後の死亡までの経緯

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目次
1 盲腸がんの手術から検事総長退官までの経緯の概要
2 がんの手術から死亡に至るまでの経緯
3 盲腸がん及び腸閉塞(イレウス)
4 関連記事その他

1 盲腸がんの手術から検事総長退官までの経緯の概要
・ 「秋霜烈日―検事総長の回想」168頁及び169頁には以下の記載があります。
    昨年七月十三日、”急性虫垂炎”の手術をしたが、実は盲腸がんであった。退院を前に主治医から告知を受けた。その瞬間は、ショックを受けたが、公私両面にわたって十分な心の準備をすることができ、よかったなあと思っている。もう十年も、毎年欠かさず人間ドックへ入ってきたのにといってみても、後の祭りだった。すでにがんは腹膜に転移しており、七月一杯で退院するときは、再発の遅いことを期待するだけであった。
再発は、最短コースをたどって、同年十月七日、腸閉塞の症状が現れた。がん性腹膜炎に囲まれた腸に腸液やガスが溜りにたまって、医師団は、一致して十一月中の死を家族に予測したそうだ。

    しかし、鼻から腸まで通した太いイレウス管による医師、看護師の必死の腸液などの汲み上げ、家族の懸命な看病、それにやり残した仕事への私のいささかの執念、それらが奇跡的な回復をもたらした。十二月十八日には、再手術できるまでに体力が戻り、腸三か所にバイパスや人工肛門をつくる手術に成功した。
    そんなことで小康を得た本年三月二十四日、かねてからのひそかな計画どおり、お許しを得て、定年まで一年十カ月を残して退官させていただいた。

2 がんの手術から死亡に至るまでの経緯
(1) 人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-(著者は伊藤栄樹(いとうしげき) 元検事総長)によれば,がんの手術から死亡に至るまでの経緯は以下のとおりです(2度目の入院以降については,書籍に記載がある役所への登庁日を一通り記載しています。)。
昭和62年
7月3日:毎年の人間ドックをすませたところ,レントゲン検査,エコー(超音波)検査などで当日判明した限りでは,異常なしといわれた。
7月8日:朝から腹がはる感じがしたため,何年ぶりかの胃腸薬を飲んだ。
7月11日(土)虫垂炎を切ってもらおうと決意して急患扱いで病院に行ったところ,医者からは,虫垂炎とは断定できない,腸炎であろうということで,抗生物質及び整腸剤を7日分もらっただけで帰された。
7月13日:虫垂炎を疑わせる自覚症状に基づき,7月19日までの予定を秘書官にキャンセルしてもらった上で病院に行き,急性虫垂炎の手術(実際には盲腸がんの手術)を受け(生まれて初めての手術),そのまま入院となった(生まれて初めての入院)。
7月19日:手術後からこの日までは点滴だけで栄養をとり,全く飲まず食わずで過ごした。
7月20日:流動食を取るようになった。
7月26日:常食に戻った。
7月29日:病院から登庁し,ロッキード事件丸紅ルート控訴審判決に関する共同記者会見を検事総長室で行ったり,午後7時半過ぎから病室において,リンパ節及び腹膜への転移を伴う盲腸がんであることを告知されたりした。
7月30日(木)昼食後に主治医と面談した際,最良の場合,何年ぐらい生きられるかと質問したものの,答えをもらえなかった。そして,退院した。
8月3日(月)久しぶりに登庁した。
10月2日(金)右腹に痛みを覚えた。
10月7日(水)前日夕刻から胃が痛み,胃に尋常でない膨満感を覚えたため,病院に行ったところ,腸閉塞の疑いが大きいので即日入院となった(2回目の入院)。
10月16日:がんの再発を告知された。
10月17日:次長検事及び法務事務次官に病院まで来てもらった上で,退職の意向を伝えた。
10月18日(日)妻及び娘と一緒にこっそりと検事総長室に行き,もう来られない場合を考えて机の中とかの整理をしたり,すべての予定行事のキャンセルを依頼したりした。
10月19日(月)法務事務次官が病室に来て,当分の間,現職にとどまってほしいと伝える。その後,法務省会議室での検事長会同に出席した。
(10月20日:中曽根裁定により,竹下登が次の自民党総裁になることが決まった。)
10月29日:午後1時に役所に行って,退任予定の法務大臣に別れの挨拶をするなどした後,午後3時に病院に戻った。
11月5日:午前9時に病院を出て,次席検事会同冒頭のセレモニーだけ出席し,同様にセレモニーだけ出席の法務大臣及び法務政務次官にお別れの挨拶をして,午前10時30分に病院に戻った。
(11月6日:竹下内閣が発足した。)
11月9日:消化器外科の部長に対し,1月15日頃まで命があるでしょうかと質問したところ,「進行が早いので」とだけいわれて,答えがなかった。
11月10日:もう役所に行ける機会はなくなるかもしれないと思いつつ役所に行って法務大臣と面会し,就任のお祝いを述べた。
11月14日:妻と娘の案内で自宅の建築現場を見に行った。
12月上旬:抗がん剤がよく効いたため,腹膜に転移したがんは治まっているし,腸のがんの進行も大変遅くなっているため,現在できているがんそれ自体による死は,半年後か,ひょっとすれば1年後になるという趣旨の説明を医師から受けた。
12月8日:放射線治療が始まった。
12月15日:3日後の手術の実施が決まった。
12月18日:大腸及び小腸の手術を受け,人工肛門を作った(2度目の手術)。
12月22日:手術内容の説明を受けた。
昭和63年
1月12日:午後1時から午後3時まで登庁して新年の挨拶を受けるなどした。
1月14日:午後1時から午後3時まで登庁して事件処分の決裁のための会議に出るなどした。
1月19日:午後1時から午後3時まで登庁して,検察長官会同における訓示案を検討した。
1月22日(金)登庁した。
1月26日(火)検事長と打ち合わせをした。
1月27日~同月28日:検察長官会同(全国の検事長及び検事正が集まる会同です。)に出席した。
1月29日:元検察認証官の親睦会である「日比谷会」の昼食会に出席した。
2月5日(金)午後1時から午後3時まで登庁して,種々決裁をした。
2月9日(火)法曹会館での法曹会役員昼食会に出席した。
2月12日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月16日(火)法務事務次官が病室に来て,5月下旬に退官することとなった。
2月17日(水)検事長と打ち合わせをした。
2月18日(木)検事長会同に出席した。
2月19日(金)法曹会館での,法曹会役員諸氏を招いたパーティーに1時間足らず出席した。
2月23日(火)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月26日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。帰院した後,いつでも退院されて結構であると医者からいわれた。
2月29日(月)現職の検事総長として,布施健(ふせたけし) 元検事総長(2月25日死亡)の葬儀委員長を務めた。
3月1日(火)5ヶ月ぶりに退院し,午後1時から午後3時まで登庁したものの,退院後の体調が思わしくなかった。
3月4日(金)午後1時に登庁し,法務事務次官に退官の意向を伝えたところ,夕方,後任者の認証式の都合で3月24日退官となることが決まった。
3月5日(土)新聞朝刊において,病気療養のための退官であることが一斉に報道された。
3月8日(月)最高検察庁の検事全員との最後の会食を行った。
3月11日(金)3回目かつ最後の入院となった。
3月14日(月)法務大臣に依願退官の意向を伝えたり,検事総長,東京高検検事長及び次長検事に関する異動の内示を行ったりした。
3月16日(水)最高検察庁の部長検事との最後の会食を行ったり,内閣総理大臣宛ての辞表を書いたり,最後の給料明細書をもらったりした。
3月18日(金)退官に伴う行事以外では,最後の登庁となった。
3月23日(水)最高検察庁会議室において,最高検察庁の職員全員とのお別れの挨拶をしたり,退官に伴う記念写真を撮影したり,記者会見をしたり,警察庁長官,国税庁長官及び公正取引委員会委員長を訪ねて退官の挨拶をしたりした。
3月24日(木)法務省大臣室で,法務大臣から免官辞令を受け取ったり,次の検事総長に事務引継をしたり,拍手に送られて退庁したり,東宮御所で皇太子殿下に退官ご挨拶をしたり,首相官邸で竹下首相に退官ご挨拶をしたりした。
3月25日(金)最高裁長官及び日弁連会長に退官挨拶をしたほか,その他の人についてはあいさつ状を送るにとどめることとなった。
4月26日(火)第一東京弁護士会宣誓式に出席し,弁護士バッジをもらった。
5月2日(月)最後の病状説明を記載した。
5月7日(土)新潮社出版部の担当者が初めて伊藤栄樹と面談した。
5月10日(火)体調を崩し,著者校正用のゲラ刷りに目を通す体力が失われた。
5月25日(水)盲腸がん及びがん性腹膜炎のために死亡した。
(2) 人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-(発行所は新潮社)は,「新潮45」(昭和63年5月号及び6月号)の連載記事を元にして,遺族によって死後出版された書籍です。


3 盲腸がん及び腸閉塞
(1) 盲腸がんのステージ別分類
ア 盲腸がんを含む「大腸がん」のステージ分類として,ハートライフ病院HP「大腸癌の生存率 2018年」には以下の記載があります(播種は「はしゅ」と読みます。)。
癌の広がり具合をステージ(病期)で表します。ステージは、癌が大腸壁に入り込んだ深さ(深達度)、どのリンパ節までいくつの転移があるか(リンパ節転移の程度)、肝臓や肺など大腸以外の臓器や腹膜への転移(遠隔転移)の有無によってきまります。
ステージ0が最も進行度が低く(最も早い段階で発見されたもの)、ステージⅣが最も進行度が高い状態です。治療方針を決定するのに、治療前にステージを予測する事が重要です。
・ステージ0:癌が粘膜の中にとどまっている。
・ステージⅠ:癌が大腸の壁(固有筋層)にとどまっている。
・ステージⅡ:癌が大腸の壁(固有筋層)の外まで浸潤している。
・ステージⅢ:リンパ節転移がある。
・ステージⅣ:血行性転移(肝転移、肺転移など)または腹膜播種がある。
イ 国立がん研究センターがん情報サービスHP「がん診療連携拠点病院等院内がん登録生存率集計」によれば,ステージ4の大腸がんの5年生存率(2010年-2011年)は,実測生存率が16.7%であり,相対生存率が18.5%です。
(2) 腸閉塞(イレウス)
・ 静岡県立静岡がんセンターHP「腸閉塞でたびたび入院した際のイレウス管挿入が死ぬ思いで嫌だった。」には以下の記載があります(字下げを追加しています。)。
     腸管に通過障害が起こり、腸の内容物が滞ってしまうのが腸閉塞(イレウス)です。排便や排ガスがなくなり、腹痛、おう吐、腹部膨満などの症状が出現します。
     腸閉塞が起こる原因は、いくつかあります。お腹の手術を受けた人の場合に、腸がゆ着して起こることがありますし、高齢者であれば、強度の便秘といった原因も考えられます。
     原因や症状の程度によって、治療法は異なりますが、基本的には、絶食、点滴と、鼻からチューブを挿入し腸管を減圧する治療を行います。鼻からチューブを入れるとき、痛みがないように麻酔のゼリーを使い、レントゲンで腹部を確認しながら、腸までチューブを入れて留め置きます。

4 関連記事その他
(1) 最高裁昭和57年3月30日判決は以下の判示をしています。
     人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である
(2)ア 医療訴訟の実務(第2版)372頁には以下の記載があります。
     近年、国民の食生活の変化などを背景に、大腸がんが増加しているが、一般的には内視鏡検査がその発見には有効であるとされ、訴訟の場面でも、内視鏡検査を実施する義務があったのかが争われることが多い。
イ おなかの健康ドットコム「大腸内視鏡検査の受け方」が載っています。
(3) 以下の記事も参照してください。
・ 叙位の対象となった裁判官
・ 裁判官の死亡退官
・ 裁判所職員の病気休職
・ 弁護士の自殺者数の推移(平成18年以降)
・ 裁判所時報マニュアル(平成31年4月に開示されたもの)

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