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伊藤栄樹検事総長の,退官直後の死亡までの経緯(AIリライト)

第1 伊藤栄樹の経歴

1 生い立ちから検事総長就任まで

伊藤栄樹(いとうしげき)は,大正14年2月3日,愛知県名古屋市で生まれた。
東京帝国大学法学部を卒業し,昭和24年11月,東京地方検察庁検事に任官した。
その後,法務省刑事局長,法務事務次官,次長検事,東京高等検察庁検事長等を歴任し,昭和60年12月19日,検事総長に就任した(前任者は江幡修三,後任者は前田宏である。)。
後記第3のとおり,昭和63年3月24日,定年を1年10か月残して依願退官し,同年5月25日に死亡した。

2 検事総長としての信条

検事総長就任の記者会見で「特捜検察の使命は巨悪退治です」と述べ,検事たちに「巨悪を眠らせるな,被害者と共に泣け,国民に嘘をつくな」と訓示したことで知られ,「ミスター検察」と呼ばれた。
第一線の特捜検事であった昭和29年,造船疑獄事件を担当していた際,犬養健法務大臣が佐藤藤佐検事総長に対し佐藤榮作自由党幹事長への強制捜査を控えるよう指揮した,いわゆる指揮権発動という「政治の壁」に直面した経験が,上記の訓示の原点になったとされる。
指揮権発動の制度上の位置づけと,この事例の詳細については,検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権―一般的指揮と個別事件の指揮で整理している。
検事総長在任中の昭和61年4月には,撚糸工連汚職事件で与野党の政治家を取り調べており,これより前,法務省刑事局長であった昭和54年には,ダグラス・グラマン事件の捜査の進展をめぐる国会答弁「初めに5億円ありき」でも知られている。
一般向けの回想録のほか,検察実務家としての学術的な著作もあり,『検察庁法逐条解説』(立花書房)や,青柳文雄・柏木千秋・佐々木史朗・西原春夫との共編による『注釈刑事訴訟法』(立花書房,全4巻)がある。

第2 盲腸がんの発病から検事総長退官までの経緯の概要

・ 「秋霜烈日―検事総長の回想」168頁及び169頁には以下の記載がある。
  昨年七月十三日、”急性虫垂炎”の手術をしたが、実は盲腸がんであった。退院を前に主治医から告知を受けた。その瞬間は、ショックを受けたが、公私両面にわたって十分な心の準備をすることができ、よかったなあと思っている。もう十年も、毎年欠かさず人間ドックへ入ってきたのにといってみても、後の祭りだった。すでにがんは腹膜に転移しており、七月一杯で退院するときは、再発の遅いことを期待するだけであった。
再発は、最短コースをたどって、同年十月七日、腸閉塞の症状が現れた。がん性腹膜炎に囲まれた腸に腸液やガスが溜りにたまって、医師団は、一致して十一月中の死を家族に予測したそうだ。
しかし、鼻から腸まで通した太いイレウス管による医師、看護師の必死の腸液などの汲み上げ、家族の懸命な看病、それにやり残した仕事への私のいささかの執念、それらが奇跡的な回復をもたらした。十二月十八日には、再手術できるまでに体力が戻り、腸三か所にバイパスや人工肛門をつくる手術に成功した。
そんなことで小康を得た本年三月二十四日、かねてからのひそかな計画どおり、お許しを得て、定年まで一年十カ月を残して退官させていただいた。

第3 がんの手術から死亡に至るまでの経緯

1 経過

人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-(著者は伊藤栄樹(いとうしげき)元検事総長)によれば,がんの手術から死亡に至るまでの経緯は以下のとおりである(2度目の入院以降については,書籍に記載がある役所への登庁日を一通り記載している。)。

昭和62年
7月3日:毎年の人間ドックをすませたところ,レントゲン検査,エコー(超音波)検査などで当日判明した限りでは,異常なしといわれた。
7月8日:朝から腹がはる感じがしたため,何年ぶりかの胃腸薬を飲んだ。
7月11日(土)虫垂炎を切ってもらおうと決意して急患扱いで病院に行ったところ,医者からは,虫垂炎とは断定できない,腸炎であろうということで,抗生物質及び整腸剤を7日分もらっただけで帰された。
7月13日:虫垂炎を疑わせる自覚症状に基づき,7月19日までの予定を秘書官にキャンセルしてもらった上で病院に行き,急性虫垂炎の手術(実際には盲腸がんの手術)を受け(生まれて初めての手術),そのまま入院となった(生まれて初めての入院)。
7月19日:手術後からこの日までは点滴だけで栄養をとり,全く飲まず食わずで過ごした。
7月20日:流動食を取るようになった。
7月26日:常食に戻った。
7月29日:病院から登庁し,ロッキード事件丸紅ルート控訴審判決に関する共同記者会見を検事総長室で行ったり,午後7時半過ぎから病室において,リンパ節及び腹膜への転移を伴う盲腸がんであることを告知されたりした。
7月30日(木)昼食後に主治医と面談した際,最良の場合,何年ぐらい生きられるかと質問したものの,答えをもらえなかった。そして,退院した。
8月3日(月)久しぶりに登庁した。
10月2日(金)右腹に痛みを覚えた。
10月7日(水)前日夕刻から胃が痛み,胃に尋常でない膨満感を覚えたため,病院に行ったところ,腸閉塞の疑いが大きいので即日入院となった(2回目の入院)。
10月16日:がんの再発を告知された。
10月17日:次長検事及び法務事務次官に病院まで来てもらった上で,退職の意向を伝えた。
10月18日(日)妻及び娘と一緒にこっそりと検事総長室に行き,もう来られない場合を考えて机の中とかの整理をしたり,すべての予定行事のキャンセルを依頼したりした。
10月19日(月)法務事務次官が病室に来て,当分の間,現職にとどまってほしいと伝える。その後,法務省会議室での検事長会同に出席した。
(10月20日:中曽根裁定により,竹下登が次の自民党総裁になることが決まった。)
10月29日:午後1時に役所に行って,退任予定の法務大臣に別れの挨拶をするなどした後,午後3時に病院に戻った。
11月5日:午前9時に病院を出て,次席検事会同冒頭のセレモニーだけ出席し,同様にセレモニーだけ出席の法務大臣及び法務政務次官にお別れの挨拶をして,午前10時30分に病院に戻った。
(11月6日:竹下内閣が発足した。)
11月9日:消化器外科の部長に対し,1月15日頃まで命があるでしょうかと質問したところ,「進行が早いので」とだけいわれて,答えがなかった。
11月10日:もう役所に行ける機会はなくなるかもしれないと思いつつ役所に行って法務大臣と面会し,就任のお祝いを述べた。
11月14日:妻と娘の案内で自宅の建築現場を見に行った。
12月上旬:抗がん剤がよく効いたため,腹膜に転移したがんは治まっているし,腸のがんの進行も大変遅くなっているため,現在できているがんそれ自体による死は,半年後か,ひょっとすれば1年後になるという趣旨の説明を医師から受けた。
12月8日:放射線治療が始まった。
12月15日:3日後の手術の実施が決まった。
12月18日:大腸及び小腸の手術を受け,人工肛門を作った(2度目の手術)。
12月22日:手術内容の説明を受けた。

昭和63年
1月12日:午後1時から午後3時まで登庁して新年の挨拶を受けるなどした。
1月14日:午後1時から午後3時まで登庁して事件処分の決裁のための会議に出るなどした。
1月19日:午後1時から午後3時まで登庁して,検察長官会同における訓示案を検討した。
1月22日(金)登庁した。
1月26日(火)検事長と打ち合わせをした。
1月27日~同月28日:検察長官会同(全国の検事長及び検事正が集まる会同である。)に出席した。

1月29日:元検察認証官の親睦会である「日比谷会」の昼食会に出席した。
2月5日(金)午後1時から午後3時まで登庁して,種々決裁をした。
2月9日(火)法曹会館での法曹会役員昼食会に出席した。
2月12日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月16日(火)法務事務次官が病室に来て,5月下旬に退官することとなった。
2月17日(水)検事長と打ち合わせをした。
2月18日(木)検事長会同に出席した。
2月19日(金)法曹会館での,法曹会役員諸氏を招いたパーティーに1時間足らず出席した。
2月23日(火)午後1時から午後3時まで登庁した。
2月26日(金)午後1時から午後3時まで登庁した。帰院した後,いつでも退院されて結構であると医者からいわれた。
2月29日(月)現職の検事総長として,布施健(ふせたけし)元検事総長(2月25日死亡)の葬儀委員長を務めた。
3月1日(火)5ヶ月ぶりに退院し,午後1時から午後3時まで登庁したものの,退院後の体調が思わしくなかった。
3月4日(金)午後1時に登庁し,法務事務次官に退官の意向を伝えたところ,夕方,後任者の認証式の都合で3月24日退官となることが決まった。
3月5日(土)新聞朝刊において,病気療養のための退官であることが一斉に報道された。
3月8日(月)最高検察庁の検事全員との最後の会食を行った。
3月11日(金)3回目かつ最後の入院となった。
3月14日(月)法務大臣に依願退官の意向を伝えたり,検事総長,東京高検検事長及び次長検事に関する異動の内示を行ったりした。
3月16日(水)最高検察庁の部長検事との最後の会食を行ったり,内閣総理大臣宛ての辞表を書いたり,最後の給料明細書をもらったりした。
3月18日(金)退官に伴う行事以外では,最後の登庁となった。
3月23日(水)最高検察庁会議室において,最高検察庁の職員全員とのお別れの挨拶をしたり,退官に伴う記念写真を撮影したり,記者会見をしたり,警察庁長官,国税庁長官及び公正取引委員会委員長を訪ねて退官の挨拶をしたりした。
3月24日(木)法務省大臣室で,法務大臣から免官辞令を受け取ったり,次の検事総長(前田宏)に事務引継をしたり,拍手に送られて退庁したり,東宮御所で皇太子殿下に退官ご挨拶をしたり,首相官邸で竹下首相に退官ご挨拶をしたりした。
3月25日(金)最高裁長官及び日弁連会長に退官挨拶をしたほか,その他の人についてはあいさつ状を送るにとどめることとなった。
4月26日(火)第一東京弁護士会宣誓式に出席し,弁護士バッジをもらった。
5月2日(月)最後の病状説明を記載した。
5月7日(土)新潮社出版部の担当者が初めて伊藤栄樹と面談した。
5月10日(火)体調を崩し,著者校正用のゲラ刷りに目を通す体力が失われた。
5月25日(水)盲腸がん及びがん性腹膜炎のために死亡した。

進行がんの患者については,死亡の2~3か月前まで日常生活を大きな支障なく送ることが多い一方,死亡の約1か月前になると症状が急速に増強するという臨床上の傾向が知られている。
伊藤が退官まで登庁を重ねられたことと,その後わずか2か月で死亡に至った経過は,この一般的な傾向と符合する。

2 『人は死ねばゴミになる』及び『秋霜烈日』の成立

『人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-』(新潮社,昭和63年6月刊)は,「新潮45」(昭和63年5月号及び6月号,連載時タイトルは「私の発病から死まで」)の連載記事を元にした書籍である。
新潮社出版部の担当者が伊藤と面談したのは死去の18日前(5月7日)であり,新潮社により,本人の死去直後に単行本として刊行された。
文庫版として小学館文庫(平成10年)もある。

『秋霜烈日―検事総長の回想』(朝日新聞社,昭和63年7月20日刊,230頁)は,朝日新聞紙上での回顧録連載「秋霜烈日―伊藤栄樹の回想」(同年5月4日開始)を元にした書籍であり,検事総長としての回想に限らず,造船疑獄をはじめとする検事人生全体を振り返る内容である。
後に朝日文庫として『検事総長の回想』(平成4年)が刊行され,令和2年7月には『巨悪は眠らせない 検事総長の回想』(朝日文庫)へ改題の上,復刊されている。

第4 盲腸がん及び腸閉塞に関する基礎知識

1 大腸がんのステージ分類

盲腸がんを含む「大腸がん」のステージ分類として,ハートライフ病院HP「大腸癌の生存率 2018年」には以下の記載がある(播種は「はしゅ」と読む。)。
癌の広がり具合をステージ(病期)で表します。ステージは、癌が大腸壁に入り込んだ深さ(深達度)、どのリンパ節までいくつの転移があるか(リンパ節転移の程度)、肝臓や肺など大腸以外の臓器や腹膜への転移(遠隔転移)の有無によってきまります。
ステージ0が最も進行度が低く(最も早い段階で発見されたもの)、ステージⅣが最も進行度が高い状態です。治療方針を決定するのに、治療前にステージを予測する事が重要です。
・ステージ0:癌が粘膜の中にとどまっている。
・ステージⅠ:癌が大腸の壁(固有筋層)にとどまっている。
・ステージⅡ:癌が大腸の壁(固有筋層)の外まで浸潤している。
・ステージⅢ:リンパ節転移がある。
・ステージⅣ:血行性転移(肝転移、肺転移など)または腹膜播種がある。

2 院内がん登録による生存率

国立がん研究センターがん情報サービスHP「院内がん登録生存率最新集計値」(令和5年3月公表,2014年から2015年までの5年生存率)によれば,ステージ4の大腸がんの5年生存率は,実測生存率が17.0%であり,ネット・サバイバル(純生存率)が18.3%である。
同集計から,指標が相対生存率からネット・サバイバルに変更されている。
また,令和7年3月公表の10年生存率集計(2012年診断例)では,ステージ4の大腸がんの実測生存率は10.2%,ネット・サバイバルは11.6%である。

3 腸閉塞(イレウス)

静岡県立静岡がんセンターHP「腸閉塞でたびたび入院した際のイレウス管挿入が死ぬ思いで嫌だった。」には以下の記載がある(字下げを除いている。)。
腸管に通過障害が起こり、腸の内容物が滞ってしまうのが腸閉塞(イレウス)です。排便や排ガスがなくなり、腹痛、おう吐、腹部膨満などの症状が出現します。
腸閉塞が起こる原因は、いくつかあります。お腹の手術を受けた人の場合に、腸がゆ着して起こることがありますし、高齢者であれば、強度の便秘といった原因も考えられます。
原因や症状の程度によって、治療法は異なりますが、基本的には、絶食、点滴と、鼻からチューブを挿入し腸管を減圧する治療を行います。鼻からチューブを入れるとき、痛みがないように麻酔のゼリーを使い、レントゲンで腹部を確認しながら、腸までチューブを入れて留め置きます。

4 内視鏡検査

近年,食生活の変化等を背景に大腸がんが増加しており,一般的には内視鏡検査がその発見に有効であるとされている。
おなかの健康ドットコム「大腸内視鏡検査の受け方」が載っている。

昭和62年当時の医療水準の評価及び告知をめぐる法的な位置づけ並びに関連する裁判例については,伊藤栄樹検事総長の盲腸癌との闘病生活―原典と現在の医学からの検討(AIリライト)で扱っている。

第5 関連記事

・ 伊藤栄樹検事総長の盲腸癌との闘病生活―原典と現在の医学からの検討(AIリライト)
・ 検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権―一般的指揮と個別事件の指揮(AIリライト)
・ 医療過誤事件に関するメモ書き
・ 叙位の対象となった裁判官
・ 裁判官の死亡退官
・ 国葬儀
・ 裁判所職員の病気休職
・ 弁護士の自殺者数の推移(平成18年以降)
・ 裁判所時報マニュアル(平成31年4月に開示されたもの)

出典・参考資料

1 書籍

①伊藤栄樹『秋霜烈日―検事総長の回想』(朝日新聞社,昭和63年7月20日)168頁~169頁
②伊藤栄樹『人は死ねばゴミになる-私のがんとの闘い-』(新潮社,昭和63年6月)
③伊藤栄樹『検察庁法逐条解説〔新版〕』(立花書房,昭和61年)
④青柳文雄・伊藤栄樹・柏木千秋・佐々木史朗・西原春夫編『注釈刑事訴訟法』(立花書房,全4巻)

2 公的資料・統計

国立がん研究センターがん情報サービス「院内がん登録生存率最新集計値」(国立がん研究センター)
国立国会図書館サーチ(書誌情報の確認)

3 ウェブ資料

伊藤栄樹-コトバンク(日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」,講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」及び日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」を収録)
伊藤栄樹-Wikipedia
布施健-Wikipedia
ロッキード事件-Wikipedia
中曽根裁定-Wikipedia
竹下内閣-Wikipedia
新潮45-Wikipedia
ハートライフ病院「大腸癌の生存率 2018年」
静岡県立静岡がんセンター「腸閉塞でたびたび入院した際のイレウス管挿入が死ぬ思いで嫌だった。」
おなかの健康ドットコム「大腸内視鏡検査の受け方」