検察庁法14条に基づく法務大臣の指揮権

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目次
1 検察庁法14条の条文
2 法務大臣の一般的指揮監督権(検察庁法14条本文)
3 法務大臣の具体的指揮監督権(検察庁法14条ただし書)
4 昭和29年4月の,造船疑獄における法務大臣の指揮権発動
5 検察行政事務に関する法務大臣の指揮監督権
6 検察庁法14条に関する立案関係者の説明,及び歴代の司法大臣
7 法務省刑事局に関する法務省組織令条文
8 内閣総理大臣は検察官を直接指揮することはできないこと
9 検察庁と行政委員会の比較
10 昭和12年12月16日,16人の被告人全員に無罪判決が言い渡された帝人事件
11 昭和3年の検察庁法案及び昭和13年の検察庁独立法案

1 検察庁法14条の条文
(1) 法務大臣の指揮権について定める検察庁法14条は以下のとおりです。
   法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。
(2) 検察庁法4条は,検察官の公訴等について規定し,検察庁法6条は検察官の捜査権について規定しています。
(3) 「検察官同一体の原則」も参照してください。

2 法務大臣の一般的指揮監督権(検察庁法14条本文)
(1) 法務大臣は,①検察事務の処理方法に関する一般的基準を指示したり,②犯罪防止のために一般的方針を訓示したり,③法令の行政解釈を示したり,④個々の具体的事件について報告を求めたりすることができます(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。
(2) 検察事務に関する法務大臣の訓令として以下のものがあります。
・ 刑事関係報告規程(昭和62年12月18日付の法務大臣訓令)
・ 逃亡犯罪人引渡法に関する書式例(平成12年10月31日付の法務大臣訓令)
・ 取調べ状況の記録等に関する訓令(平成15年11月5日付の法務大臣訓令)
・ 処分請訓規程(平成17年8月15日付の法務大臣訓令)
・ 係検事に関する規程(平成27年3月17日付の法務大臣訓令)


3 法務大臣の具体的指揮監督権(検察庁法14条ただし書)
(1) 14条ただし書の「取調べ」とは,被疑者及び参考人の取り調べだけをいうのではなく,捜査一般,つまり,捜査の方法,順序等をも含めて,検察官の行う捜査事務全般をいいます。
   また,14条ただし書の「処分」とは,起訴・不起訴の処分のほか,公判の遂行及び刑の執行をも含めて,刑罰権の実現のために検察官が行う捜査以外の一切の検察事務をいいます。
   そのため,法務大臣は,個別の事件に関する検察事務については,捜査の着手から刑の執行に至るまで,直接個々の検察官を指揮することは許されず,検事総長のみを指揮することができるにすぎません。
   つまり,法務大臣は,具体的事件に関しては,検事総長が部下検察官に対して有する指揮監督権(検察庁法7条1項)を媒介としてのみ,個々の検察官の行う検察事務に干渉しうるに過ぎません(新版検察庁法逐条解説85頁参照)。
(2)ア いわゆる「指揮権」とは,法務大臣が検事総長に対して具体的事件について指揮しうる権限をいい,「指揮権発動」とは,法務大臣がこの権限を行使することをいいます。
イ 法務大臣は検事総長の上司ですから,法務大臣が具体的事件について検事総長に対して指揮をした場合,重大かつ明白な瑕疵がない限り,国家公務員法98条1項に基づき,検事総長は法務大臣の指揮に従うべきこととなります。
(3) 以下の犯罪について起訴又は不起訴の処分を行う場合,あらかじめ検事長及び検事総長の指揮を受けなければなりませんし,検事総長はあらかじめ法務大臣の指揮を受けなければなりません(処分請訓規程4条1項等)。
① 外患に関する罪
② 国交に関する罪
③ 外国の君主若しくは大統領又は外国の施設に対して犯した罪
④ 日米地位協定の実施に伴う刑事特別法6条及び7条の罪
⑤ 日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法違反の罪
⑥ 特定秘密の保護に関する法律違反の罪
(4)ア 外部ブログの「検察庁法の起源」には以下の記載があります。
 検察庁法制定当時の検察内部の意見は「検察庁は内閣の外に立つ独立機関たるべしという意見が圧倒的だった」(出射義夫『検察の面でみた刑事訴訟法の25年』―『ジュリスト』昭49・1・1 )。彼らは、昭和戦前期の「検察権の独立」の観念に強く支配されていたので、戦後憲法のもとで政党内閣が常態化し、政党出身の司法大臣が検察組織に君臨することを病的に警戒していた。
 他方において、在野には戦前の検察ファッショ復活への警戒感が根強く、また何よりGHQ(占領軍最高司令部)が検察の民主的統制に強い関心を持っている以上、統帥権の独立にも似た検察権の独立を表立って維持することは難しいという判断も、司法省内にはあった。
 そうした政治状況の中で、実際に出来上がった「検察庁法」は、政党出身の司法大臣を容認する代わりに、検事総長の任命には国会の関与を排除し、また司法大臣の監督権限を制限する条項(現14条)を設けて、検察への「一般」的指揮権を認める一方、個々の捜査については検事総長を通じてのみ指揮できる、という妥協案に落ち着いたのだ。
イ Wikipediaの「指揮権(法務大臣)」には以下の記載があります。
   検察権は、犯罪を捜査し処罰を請求する能動的な作用であるから、その監督と責任は政府がにぎるのは当然であって、消極的に人権を保障し、国家権力の行使を阻止する司法権のような独立は認められず、検察権を独立させることは、理論上権力分立に反するだけでなく、なんら政治的責任を負わず民主的監視を受けない強大な官僚陣営を認めることとなって弊害を生ずる。
(5) Wikipediaの「稲葉修」(昭和49年12月9日から昭和51年12月24日までの間,法務大臣をしていた人です。)には以下の記載があります。
 在任中にロッキード事件が発覚。法相として新聞のインタビューで「これまで逮捕した連中は相撲に例えれば十両か前頭。これからどんどん好取組が見られる」「捜査は奥の奥まで神棚の中までやる」とコメントを残し、7月27日に検察首脳会議で決定された田中角栄逮捕を許可した。この稲葉の姿勢に対して田中派は猛反発し、それを受けて稲葉も反角栄の立場を固めることになった。

4 昭和29年4月の,造船疑獄における法務大臣の指揮権発動
(1)ア 検事総長の請訓に対し,明らかにこれを否決する法務大臣の指揮が行われたのは,造船疑獄(太平洋戦争後の日本における計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定請願をめぐる贈収賄事件)における指揮権発動だけです。
   造船疑獄では,昭和29年4月21日,法務大臣の犬養健が重要法案(防衛庁設置法及び自衛隊法)の審議中であることを理由に,第三者収賄罪の容疑による佐藤栄作自由党幹事長の逮捕状請求を中止させて任意捜査を指示し,同月22日,法務大臣を辞任しました。
   昭和29年6月26日,佐藤栄作は政治資金規正法違反で在宅起訴されたものの,昭和31年12月19日の国連加盟恩赦により免訴となりました。
イ 新版検察庁法逐条解説103頁には,「いわゆる指揮権を発動した犬養法務大臣は、その翌々日の四月二三日職を退いている。」と書いてあるものの,辞任日は4月22日です(昭和29年4月24日の官報第8192号410頁及び411頁参照)。
(2) 法務大臣の検事総長に対する指揮権発動に関し内閣に警告するの決議(昭和29年4月23日の参議院本会議の決議)は以下のとおりです。
 検事総長が自由党幹事長である国会議員の逮捕請求許可の請訓をなしたのに対して、法務大臣が「法律的性格と重要法案の審議の現状に鑑み、特別例外的事情にある」との理由に基き指揮権を発動してこれをおさえたことは、検察庁法第十四条の不当な運用と認める。
 議員の逮捕許諾と法案審議の関係は、国会の決すべき問題であつて、政府今回の措置は、国民関心の的である被疑事実に対し、累次の言明に反して検察権の行使を制約し、捜査を困難ならしめ、延いては国民の疑惑を深め政治の信用を失墜せしめることとなる。本院はこれを極めて遺憾とする。
 政府は、過ちを改め速やかに善後の措置をとるべきである。
 右決議する。
(3) 朝日新聞HPに載っている「東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書」には以下の記載があります。
当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件(山中注:昭和51年2月5日から報道されるようになったロッキード事件のこと。)に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。

 検察行政事務に関する法務大臣の指揮監督権
(1)ア 検察権は行政権の一部をなすものであり,行政権は内閣に属し(憲法65条),内閣は,行政権の行使について,国会に対し連帯して責任を負います(憲法66条3項,内閣法2条2項)。
   そして,内閣を組織する各大臣は,主任の大臣として行政事務を分担管理し(内閣法3条1項,国家行政組織法5条1項),法務大臣は,法務省の長として(法務省設置法2条2項),「検察に関すること。」(法務省設置法4条1項7号)を含む法務省の所管事務を分担管理しています。
   そのため,法務大臣は,検察庁法14条によって指揮監督権の行使を制限されていない検察行政事務,つまり,庶務,会計,人事等に関する事務や,犯罪の防止その他の刑事政策上の諸施策に関する事務については,検察官に対し,十全な指揮監督権を行使することができます(新版検察庁法逐条解説84頁参照)。
イ 例えば,森雅子法務大臣の主導により,法務省は令和2年4月9日,新型コロナウィルス感染症の感染拡大に伴い,新型インフルエンザ等対策特別措置法32条1項に基づく緊急事態宣言(令和2年4月7日付)が発令されたことを受けて,同月10日付の検事の人事異動のうち,他省庁に関連する56人を除く675人の人事異動を凍結しました(ヤフーニュースの「森雅子法相“検事の人事凍結”で大混乱 一人ほくそ笑む黒川検事長」参照)。
(2) 検察庁は,国家行政組織法8条の3に基づいて法務省に置かれる「特別の機関」です(法務省設置法14条参照)。
(3) 法務省行政文書取扱規則(平成30年12月17日改正後のもの)を掲載しています。
(4) 検察官俸給法3条1項に基づく準則として以下のものがあります(平成25年5月当時の文書です。)。
・ 検察官の初任給調整手当に関する準則(昭和46年4月1日付の法務大臣訓令)
・ 検察官の期末手当及び勤勉手当の支給に関する準則(平成9年12月16日付の法務大臣訓令)
・ 法科大学院に派遣された検察官の給与の支給に関する準則(平成16年3月11日付の法務大臣訓令)
・ 検察官の初任給及び昇給に関する準則(平成18年3月15日法務大臣訓令)
・ 検察官の管理職員特別勤務手当に関する準則(平成18年3月15日付の法務大臣訓令)
・ 法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律の一部改正に伴う経過措置に関する準則(平成21年5月29日付の法務大臣訓令)

6 検察庁法14条に関する立案関係者の説明,及び歴代の司法大臣
(1) 検察庁法14条に関する立案関係者の説明
   「新検察制度十年の回顧」には以下の記載があります(法曹時報10巻2号69頁)。
   司法大臣は法務行政の最高責任に任ずべきものであるから検察機構を内閣から切り離して別個独立のものにしない限り、司法大臣は法務行政に属する検察事務全般に対し指揮監督権を持ち、犯罪の捜査およびその処理についても当然指揮権があることになる。
   ところが憲法改正草案の構想では政党内閣による政治体制を予想していたから、そうなれば司法大臣の地位はこれまでとは異って政党の出身者がこれを占めることになり、政治勢力が検察に影響を及ぼすことも考えられ検察の独立が政治勢力によって左右される懸念がないとはいえないと考えられた。
   そこで不当な政治力から検察を守るために司法大臣の検察に対する指揮権について適当な規定をおく必要が生じた。しかしながら司法大臣は検察官に対する監督ならびに検察行政の責任者だから、その指揮監督の権限を抑制することができないので、犯罪の捜査、公訴の提起などの検察事務について検察官を一般に指揮監督することはできるが、個々の事件の取調または処分については検事総長のみを指揮することができるということにして個々の事件の取調または処分に対して司法大臣が検察官に直接指揮命令することができないものとして調整したのである。
   こうすれば検事総長は司法大臣の監督の下にあっても全検察官に対して実権を掌握しているのであるから、たとえ司法大臣の不当な指揮があってもたやすくこれに応ずる筈はなく、さればといって認証官である検事総長を罷免するのも容易ではないから、その指揮は適当に是正され、一般の検察官に不当な干渉が及ぶことはなく、したがって正しく検察権を行使することができると考えたからである。検察庁法の制定される以前には、政治体制が異っており、多年検察事務の運用に慣れた検事出身者が検察部内から司法大臣に就任する慣行があったため、内閣の政治力が検察に不当な影響を与えるような考慮は必要でなく、したがってかかる規定をおく必要はなかった。
   この立法をするにあたって、司法大臣の検察に対する指揮権を全然認めないか、検事総長が司法大臣を兼ねる制度を設ければ、政党の不当な政治力が検察に影響を及ぼす懸念はなくなるという考慮はないではなかったが、憲法改正草案は内閣総理大臣に国務大臣の任命、罷免の権限を予想していたので、内閣総理大臣が閣僚中に罷免できないものをおくこと、あるいは法務行政について内閣に責任を負わぬ司法大臣をおくことは、明らかに憲法に抵触することであり、実現できないことだと考えた。しかしながら憲法が実施された後の状況によると、国の警察行政や会計検査について内閣に直接責任を負わない国家公安委員会、会計検査院などがおかれた。これを顧みると、検察の組織を規定するのに他に別の考え方ができたのではないかとも思われるが、当時は責任大臣のない行政組織を定めることは憲法に反するものと考えられていたのである。
(2) 歴代の司法大臣
ア 1925年以降の司法大臣は以下のとおりであって(カッコ内は主な元職です。),「多年検察事務の運用に慣れた検事出身者が検察部内から司法大臣に就任する慣行」ができたのは,1932年の5・15事件(犬養毅首相(立憲政友会総裁)が海軍の青年将校によって首相官邸で暗殺された事件です。)が発生した後に限られます。
30代 江木翼(内閣書記官長)
1925年8月2日~1927年4月20日(加藤高明内閣→第1次若槻内閣)
31代 原嘉道(東京弁護士会会長)
1927年4月20日~1929年7月2日(田中義一内閣)
32代 渡邊千冬(貴族院議員)
1929年7月2日~1931年12月13日(濱口内閣→第2次若槻内閣)
33代 鈴木喜三郎(検事総長)
1931年12月13日~1932年3月25日(犬養内閣)
34代 川村竹治(内務次官,台湾総督)
1932年3月25日~同年5月26日(犬養内閣)
35代 小山松吉(検事総長)
1932年5月26日~1934年7月8日(齊藤内閣)
36代 小原直(司法次官)
1934年7月8日~1936年3月9日(岡田内閣)
37代 林頼三郎(検事総長,大審院長)
1936年3月9日~1937年2月2日(廣田内閣)
38代 塩野季彦(名古屋控訴院検事長,大審院検事局次長)
1937年2月2日~1939年8月30日(林内閣→第1次近衛内閣→平沼内閣)
39代 宮城長五郎(長崎控訴院検事長,名古屋控訴院検事長)
1939年8月30日~1940年1月16日(阿部内閣)
40代 木村尚達(司法省刑事局長,東京控訴院長,検事総長)
1940年1月16日~同年7月22日(米内内閣)
41代 風見章(衆議院議員,内閣書記官長)
1940年7月22日~同年12月21日(第2次近衛内閣)
42代 柳川平助(陸軍次官,台湾軍司令官)
1940年12月21日~1941年7月18日(第2次近衛内閣)
43代 近衛文麿(首相兼任)
1941年7月18日~同月25日(第3次近衛内閣)
44代 岩村通世(検事総長)
1941年7月25日~1944年7月22日(第3次近衛内閣→東條内閣)
45代 松阪広政(検事総長)
1944年7月22日~1945年8月17日(小磯内閣→鈴木貫太郎内閣)
46代 岩田宙造(弁護士,貴族院勅選議員)
1945年8月17日~1946年5月22日(東久邇宮内閣→幣原内閣)
47代 木村篤太郎(帝国弁護士会理事長,検事総長)
1946年5月22日~1947年5月24日(第1次吉田内閣)
イ 戦前の幹部裁判官の出世コースについては,外部HPの「大正・昭和戦前期における幹部裁判官のキャリアパス分析-戦前期司法行政の一断面への接近」が非常に参考になります。
ウ 「司法大臣」は,昭和23年2月15日に「法務総裁」となり,昭和27年8月1日に「法務大臣」となりました。

7 法務省刑事局に関する法務省組織令の条文
(1) 法務省刑事局に関する法務省組織令(平成12年政令第248号)の条文は以下のとおりです。
(刑事局に置く課等)
第二十八条 刑事局に、次の三課並びに刑事法制管理官一人及び国際刑事管理官一人を置く。
総務課
刑事課
公安課
(総務課の所掌事務)
第二十九条 総務課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 刑事局の所掌事務に関する総合調整に関すること。
二 検察庁の組織及び運営に関すること。
三 犯罪捜査の科学的研究に関すること。
四 情報システムの整備その他の検察事務の能率化に関すること。
五 刑事の裁判の執行指揮その他の検務事務に関すること。
六 司法警察職員の教養訓練に関すること。
七 法科大学院への裁判官及び検察官その他の一般職の国家公務員の派遣に関する法律の規定による検察官の派遣に伴う法科大学院の教育に対する法曹としての実務に係る協力に関すること。
八 前各号に掲げるもののほか、刑事局の所掌事務で他の所掌に属しないものに関すること。
(刑事課の所掌事務)
第三十条 刑事課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 一般刑事事件の検察に関すること。
二 環境関係事件の検察に関すること。
三 選挙関係事件の検察に関すること。
四 交通関係事件の検察に関すること。
五 財政経済関係事件の検察に関すること。
六 少年に係る刑事事件の検察に関すること。
七 前各号に掲げる事件に係る犯罪の予防に関すること。
(公安課の所掌事務)
第三十一条 公安課は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 公安関係事件の検察に関すること。
二 労働関係事件の検察に関すること。
三 風紀関係事件の検察に関すること。
四 薬物関係事件の検察に関すること。
五 暴力団に係る刑事事件の検察に関すること。
六 外国人に係る刑事事件の検察に関すること。
七 前各号に掲げる事件に係る犯罪の予防に関すること。
(刑事法制管理官の職務)
第三十二条 刑事法制管理官は、刑事法制に関する企画及び立案に関する事務をつかさどる。
(国際刑事管理官の職務)
第三十三条 国際刑事管理官は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 犯罪人の引渡し、国際捜査共助その他の刑事に関する国際間の共助に関すること。
二 前号に掲げるもののほか、刑事に関する国際間の協力に関すること。
三 刑事に関する条約その他の国際約束の実施に関すること。
四 犯罪人の出国に係る事務の関係行政機関との調整に関すること。
(2) 官房,局及び部の設置及び所掌事務の範囲は政令事項です(国家行政組織法7条4項)。

8 内閣総理大臣は検察官を直接指揮することはできないこと
(1) 衆議院議員鈴木宗男君提出内閣総理大臣の指揮権発動に関する質問に対する答弁書(平成19年6月8日付)には以下の記載があります。
① 一般に、「指揮権」とは、命令をし、これに従わせる権限をいうものと承知している。
② 検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第十四条の規定により、個別具体的な事件に関する取調べについて、法務大臣は、検事総長以外の個々の検察官を直接指揮することはできず、検事総長のみを指揮することができる。これに対し、個別具体的な事件に関する取調べについて、内閣総理大臣が検察官を直接指揮することができる旨を定めた法令の規定はなく、内閣総理大臣が検察官を直接指揮することはできないと考えている。
(2) 衆議院議員浅野貴博君提出指揮権発動に係る法務大臣の発言等に関する質問に対する答弁書(平成24年6月15日付)には以下の記載があります。
① 内閣総理大臣が各閣僚から受ける報告の内容の詳細については、答弁を差し控えたいが、御指摘の「指揮権を発動して捜査をすべきとの意向」が、小川敏夫前法務大臣から、野田佳彦内閣総理大臣に報告されたとは承知していない。
② 一般論として申し上げれば、内閣法(昭和二十二年法律第五号)第六条の規定により、内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、法務大臣を指揮監督することができる。
(3) ロッキード事件に関する最高裁大法廷平成7年2月22日判決は以下のとおり判示しています(改行を追加しています。)。
   内閣総理大臣は、憲法上、行政権を行使する内閣の首長として(六六条)、国務大臣の任免権(六八条)、内閣を代表して行政各部を指揮監督する職務権限(七二条)を有するなど、内閣を統率し、行政各部を統轄調整する地位にあるものである。
   そして、内閣法は、閣議は内閣総理大臣が主宰するものと定め(四条)、内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて行政各部を指揮監督し(六条)、行政各部の処分又は命令を中止させることができるものとしている(八条)。
   このように、内閣総理大臣が行政各部に対し指揮監督権を行使するためには、閣議にかけて決定した方針が存在することを要するが、閣議にかけて決定した方針が存在しない場合においても、内閣総理大臣の右のような地位及び権限に照らすと、流動的で多様な行政需要に遅滞なく対応するため、内閣総理大臣は、少なくとも、内閣の明示の意思に反しない限り、行政各部に対し、随時、その所掌事務にっいて一定の方向で処理するよう指導、助言等の指示を与える権限を有するものと解するのが相当である。

9 検察庁と行政委員会の比較
(1) 文部科学省HPに掲載されている「行政委員会制度の概要」には以下の記載があります。
3.行政委員会の主な特徴
① 数人の構成員からなる合議制の機関
② 委員の構成について一定の配慮が行われるとともに、委員の身分を保障
③ 権限行使について首長から独立性を有し、自らの判断と責任において事務を執行
④ 規則制定権を有するほか、審判、裁定等を行う権限を有するものもある
(中略)
※参考:国の行政機関
国の行政は、議院内閣制の下、内閣がその責任において行うことを基本としており、行政委員会が設置されているのは
① 個人の人権に対する直接的関与という事務の性質から特別に政治的中立性の確保が強く必要とされるもの(国家公安委員会)
② 所掌事務のうち準立法的又は準司法的権限を有するなど、特に慎重、公平な事務処理を必要とされるもの(人事院、公正取引委員会)
のような行政分野である。
(2)ア 行政委員会と比較した場合,検察庁の特徴は以下のとおりと思います(純粋に個人的意見です。)。
① 独任制の官庁であるとはいえ,検事総長をトップとして中央集権的に構成されています(「検察官同一体の原則」参照)。
② 検察幹部の構成について特段の配慮は行われていないものの,検事の身分は裁判官に準じて保障されています。
③ 検察権の行使について法務大臣から独立性を有し(検察庁法14条ただし書),自らの判断と責任において検察権を行使します。
④ 規則制定権を有していないものの,起訴・不起訴等の処分を行う権限を有します。
イ 検察庁の場合,個人の人権に対する直接的関与という事務の性質から特別に政治的中立性の確保が強く必要とされますし,所掌事務は準司法的権限を有するなど,特に慎重,公平な事務処理を必要とされるものの,行政委員会制度は採用されていません。
(3) 平成22年12月付の「いわゆる厚労省元局長無罪事件における捜査・公判活動の問題点等について(公表版)」を見れば,検察庁内部において,逮捕の判断,起訴の判断,捜査・処理における取調べ・決裁,公判遂行中の対応が具体的にどのようになされているかが非常によく分かります。

10 昭和12年12月16日,16人の被告人全員に無罪判決が言い渡された帝人事件
(1) 帝人事件というのは,昭和9年1月から追及されるようになった,帝国人造絹糸株式会社(略称は「帝人」であり,昭和37年11月以降は「帝人株式会社」です。)の株式をめぐる背任及び贈収賄事件であり,昭和9年7月8日の斎藤内閣(昭和7年の5・15事件の直後に発足した内閣であり,穏健派の海軍大将が起用されました。)の総辞職につながりました。
   昭和12年12月16日,起訴された16人の被告人(台湾銀行頭取,番町会関係者,大蔵次官,大蔵省銀行局長,商工大臣,鉄道大臣,帝人社長等です。)全員に対して東京刑事地裁で無罪判決が言い渡され(昭和12年12月17日の大阪朝日新聞参照),塩野季彦司法大臣(前職は大審院検事局次長です。)の判断により検察が控訴を断念したため,そのまま確定しました。
(2)ア 昭和10年5月1日から昭和22年5月2日までの間,東京地裁は東京民事地裁及び東京刑事地裁に分かれていました(昭和10年4月4日公布の法律第29号による改正後の裁判所構成法2条2項,及び裁判所ノ廃止及設立ニ関する法律(昭和10年4月4日公布の法律第30号)))。
イ 番町会というのは,大正12年頃に設立された,第一次世界大戦前後の財界の世話役だった郷誠之助(帝人事件当時,日本商工会議所会頭をしていました。)を囲む少壮財界人や若手官僚の勉強会でした。
ウ Wikipediaの斎藤実には以下の記載があります。
   (山中注:斎藤実内閣は)軍部の方針とも大きく対立はせず、1932年(昭和7年)9月15日、日満議定書を締結し満州国を承認、その後国際連盟総会にて日本側の主張が却下されると、1933年(昭和8年)3月27日、国際連盟脱退を日本政府として表明した。しかし一部軍人からは、元来リベラル派である斎藤への反感や、陸軍予算折衝で荒木陸相を出し抜いた高橋蔵相への反発などから、閣僚のスキャンダル暴きが行われた。
   そして1934年(昭和9年)、帝人事件が勃発。鈴木商店倒産に伴い台湾銀行の担保とされた同子会社帝国人造絹糸(帝人)株式22万株をめぐり、財界グループ「番町会」が買い戻しの依頼を受け、その後の帝人増資で株価利益を上げた問題で、帝人社長高木復亨や番町会の永野護、台湾銀行頭取島田茂、黒田大蔵次官など16名が起訴された。斎藤内閣は綱紀上の責任を理由に、同年7月8日総辞職した。
   同事件は、265回にわたる公判の結果、1937年(昭和12年)10月(山中注:昭和12年12月の誤りです。)全員が無罪判決を得るという異例の経過をたどったことから、検察内の平沼騏一郎派、陸軍将校、立憲政友会右派らが倒閣の為に仕組んだ陰謀であったと見られている。
エ 斎藤実(さいとうまこと)は,1914年(大正3年)1月発覚のシーメンス事件(ドイツのシーメンス社による日本海軍高官への贈賄事件)により,同年3月24日の第1次山本内閣の総辞職により海軍大臣を辞職した人であり,内大臣在任中に発生した昭和11年の2・26事件で殺害されました。
(3)ア 平沼騏一郎は,昭和7年の5・15事件の直後,陸軍内部から首相就任を期待する声が強かった人であり,昭和14年1月5日に内閣総理大臣となり,独ソ不可侵条約の締結が発表された直後の昭和14年8月30日に平沼内閣は総辞職しました。
イ Wikipediaの「馬場義続」(検事総長経験者です。)は以下の記載があります(「フレームアップ」は「でっちあげ」という意味です。)。
   田原総一朗は元検事の聞き取りとして、馬場の処世術について触れ、「検察官として、極く平均的な生き方をした人間」として平沼騏一郎がおり、平沼が出世した理由として、政治家のちょっとしたスキャンダルを見つけてきては、それをフレームアップする。狙いをつけている政治家が頼み込んできたら、そこで打ち切って大いに恩に着せる。その平沼流出世術を真似したのが馬場であり、これを当時の自民党の実力者である河野一郎にやり、のち広島高検に転出させられそうになったのを河野の口利きで撤回させたという。なお、検事総長になるほどの人物であれば、誰でもこの類の話に事欠かないとも記している。
(4) 「冤罪事件における捜査・公判活動の問題点」も参照してください。


11 昭和3年の検察庁法案及び昭和13年の検察庁独立法案
(1)ア 昭和3年に司法省刑事局で「検察庁法案」が立案され,昭和13年の第75回帝国議会において衆議院議員から提案された「検察庁独立法案」が審議されました。いずれも,裁判所に付置されていた検事局を検察庁として分離するという法案です。
   検察庁独立法案の審議に際しては,帝人事件が取り上げられ,検察ファッショによる人権蹂躙の防止ということが強調されました(法曹時報10巻1号40頁参照)。
イ 昭和3年の検察庁法案22条は以下のとおりであって,緊急の必要がある場合,司法大臣は個別の検事を指揮できるとされていましたから,検察庁法14条ただし書と比べて司法大臣の権限が強くなっていました。
① 司法大臣ハ公訴ノ実行ニ付検事ヲ指揮ス
② 検事総長以外ノ検事ニ対スル指揮ハ検事総長ヲ経由シテ之ヲ為ス、但シ緊急ノ必要アルトキハ此ノ限ニ在ラズ
③ 前項但書ノ規定ニ依リ指揮ヲ為シタルトキハ司法大臣ハ検事総長ニ其ノ指揮ヲ為シタル事項ヲ通告ス
(2) 法学協会雑誌92巻11号(昭和50年11月発行)の「刑事訴訟法の制定過程(10)」末尾に以下の記載があります。
   昭和三年の検察庁法案は、内藤前掲『経過』第三分冊五百六頁以下に全文が収録されている。この法案は、裁判所、検事局分離の熱心な提唱者であった原嘉道(弁護士)が昭和二年に田中内閣の司法大臣に就任した際に立案を推進し、昭和三年に司法省案として作成して翌年二月枢密院に諮詢したものである。その主要な内容は、検事局を裁判所から分離して検察庁とし、検事に捜査につき司法警察官吏指揮権と公訴権等を与え、検察官吏を設置するなどして検察庁機構の整備強化をはかり、また司法大臣に公訴実行につき検事総長を経由して(緊急の必要あるときを除く)検事を指揮する権限を与えるものであった。この司法省案は、行政機関たる検察庁を法律で新設することは天皇の官制大権を侵すものではないかとの疑義が出されたために、翌月「御無沙汰ニ依リ返上」となった。
イ 明治憲法10条は「天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル」と定めていました。

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