第1 この記事の対象と庁舎所在地の変遷1 この記事の対象2 庁舎所在地の変遷第2 司法省の研修機関からの分離1 司法研究所から司法省の司法研修所へ2 昭和22年5月3日の分離3 司法省側の機関のその後第3 高輪時代(昭和22年5月から昭和23年6月まで)1 旧毛利邸を仮庁舎とした発足2 初代所長と第1期司法修習生3 高輪南町の現況第4 紀尾井町時代(昭和23年6月から昭和46年4月まで)1 行政裁判所跡地への新築移転2 分室及び寄宿寮3 裁判所職員の研修及び司法研究の所管4 司法修習生の法的地位を示した最高裁判決5 紀尾井町時代の終わり6 紀尾井町3番地の現況第5 湯島時代(昭和46年4月から平成6年4月まで)1 旧岩崎邸・裁判所書記官研修所跡への移転2 湯島庁舎の規模と敷地の変遷3 各地の分室の整備4 司法研修所第一部の発足5 湯島時代に起きた出来事6 湯島四丁目6番の現況第6 和光時代(平成6年4月から)1 キャンプ朝霞南地区跡地への移転2 和光庁舎の構成と敷地3 修習生の増加等に対応した増改築4 司法研修所別館と裁判官研修部門の移転5 寄宿寮の名称第7 和光時代における司法修習の主な変化1 新司法修習の開始と新旧修習の併存2 経済的支援の変化3 導入修習の復活及び兼業許可の運用緩和4 新型コロナウイルス感染症の影響と参集方式への復帰5 在学中受験に伴う3月開始への移行第8 関連記事その他出典・参考資料1 法令及び規則2 裁判例3 公文書・歴史資料4 文献5 ウェブ資料
第1 この記事の対象と庁舎所在地の変遷
1 この記事の対象
司法研修所は,裁判官の研究及び修養並びに司法修習生の修習に関する事務を取り扱わせるため,最高裁判所に置かれた機関である(裁判所法14条)。
現在の所在地は埼玉県和光市南二丁目3番8号であり,本館,東館,西館,大講堂,図書館棟,合宿舎及び体育館から成る施設が置かれている。
本記事は,司法省の研修機関から分かれた経緯,芝高輪南町,紀尾井町,湯島及び和光市への庁舎の移転並びに各時代の増改築を,最高裁判所が作成した「庁舎の沿革及び現況説明書」,司法研修所五十年史の年表,裁判所ウェブサイト及び日本法令索引によって確認できる範囲で時系列に整理するものである。
庁舎の変遷と結び付く限度で,司法修習生の人数の増加,導入修習の実施,感染症下の実施方式その他の司法修習の変化にも触れる。
修習期間の短縮,給費制から貸与制及び修習給付金への移行その他の司法修習制度そのものの改正経緯は,「司法修習制度の改正経緯」で扱っている。
司法省側に残った機関の沿革は,「司法省司法研究所の沿革」及び「法務総合研究所の組織,業務,沿革及び公開資料」を参照されたい。
2 庁舎所在地の変遷
裁判所ウェブサイトの「司法研修所について」は,司法研修所の沿革を次のとおり示している。
時期出来事昭和14年7月司法省に「司法研究所」を設置昭和22年5月最高裁判所の研修機関として司法研修所を設置昭和23年6月東京都千代田区紀尾井町に移転昭和46年4月東京都文京区湯島に移転平成6年4月埼玉県和光市に移転平成25年8月裁判官の研修部門が埼玉県和光市の司法研修所別館に移転令和8年2月裁判官の研修部門が司法研修所本館に移転
このうち令和8年2月の項目は,平成25年8月に司法研修所別館へ移された裁判官の研修部門が本館へ戻ったことを示すものである。
これに伴い,同ページの所在地欄は,本記事の作成時点では司法研修所(和光市南二丁目3番8号)だけを掲げており,従前併記されていた司法研修所別館(研修東棟。同二丁目3番5号)は掲げられていない。
第2 司法省の研修機関からの分離
1 司法研究所から司法省の司法研修所へ
昭和14年7月6日の勅令第445号(司法研究所官制)により,判事,検事及び司法官試補の研究並びに修習をつかさどる機関として,司法省に司法研究所が置かれた。
裁判所ウェブサイトは,同研究所が第二次世界大戦中に事実上その機能を停止していたと注記している。
昭和21年5月15日の勅令第269号は,昭和14年勅令第445号を全部改正した「司法研修所官制」であり,これにより司法研究所は廃止され,新たに司法省に司法研修所が置かれた。
この題名及び改正関係は日本法令索引の「法務庁研修所官制」の法令沿革で確認することができ,最高裁判所の「庁舎の沿革及び現況説明書」も同日欄に「勅令第269号をもって,司法研究所を廃し,新たに司法省に司法研修所を設置」と記載している。
司法省の司法研修所は,昭和21年7月15日,東京都芝区(昭和22年3月15日以後は港区)高輪南町の旧毛利公爵邸へ移った。
高輪の建物は,最高裁判所に司法研修所が置かれる前年から,司法省の研修機関の庁舎として使われていたことになる。
司法官試補の修習が戦後どこで再開されたかについては,当時これに関与した法曹の回想がある。
『法学者・法律家たちの八月十五日』所収の「敗戦直後の司法修習」は,応召から帰った司法官試補と新たに採用された試補を指導するため,戦争中休止していた司法研究所の指導官を命ぜられ,板橋の旧陸軍被服廠の一部で修習を始めたと記している。
これは後年の回想であって当時作成された公文書ではないから,日付その他の細部まで確定する資料としては扱えないが,高輪へ移る前の実施場所を示す証言として意味がある。
2 昭和22年5月3日の分離
日本国憲法及び裁判所法が施行された昭和22年5月3日,裁判所法14条により,最高裁判所に司法研修所が設置された。
同日,政令第6号によって昭和21年勅令第269号の題名が「司法省研修所官制」に改められ,司法省側の機関は司法省研修所となった。
したがって,この日に二つに分かれたのは,昭和21年5月15日以降の司法省の司法研修所であり,昭和14年に設置された司法研究所そのものではない。
裁判所ウェブサイトも,「司法研究所」について,「戦後の一時期,司法省に『司法研究所』に代わる施設として『司法研修所』が設置されていた」と注記している。