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司法研修所の沿革―高輪,紀尾井町,湯島及び和光への庁舎の変遷(AIリライト)

第1 この記事の対象と庁舎所在地の変遷

1 この記事の対象

司法研修所は,裁判官の研究及び修養並びに司法修習生の修習に関する事務を取り扱わせるため,最高裁判所に置かれた機関である(裁判所法14条)。
現在の所在地は埼玉県和光市南二丁目3番8号であり,本館,東館,西館,大講堂,図書館棟,合宿舎及び体育館から成る施設が置かれている。

本記事は,司法省の研修機関から分かれた経緯,芝高輪南町,紀尾井町,湯島及び和光市への庁舎の移転並びに各時代の増改築を,最高裁判所が作成した「庁舎の沿革及び現況説明書」,司法研修所五十年史の年表,裁判所ウェブサイト及び日本法令索引によって確認できる範囲で時系列に整理するものである。
庁舎の変遷と結び付く限度で,司法修習生の人数の増加,導入修習の実施,感染症下の実施方式その他の司法修習の変化にも触れる。

修習期間の短縮,給費制から貸与制及び修習給付金への移行その他の司法修習制度そのものの改正経緯は,「司法修習制度の改正経緯」で扱っている。
司法省側に残った機関の沿革は,「司法省司法研究所の沿革」及び「法務総合研究所の組織,業務,沿革及び公開資料」を参照されたい。

2 庁舎所在地の変遷

裁判所ウェブサイトの「司法研修所について」は,司法研修所の沿革を次のとおり示している。

時期出来事
昭和14年7月司法省に「司法研究所」を設置
昭和22年5月最高裁判所の研修機関として司法研修所を設置
昭和23年6月東京都千代田区紀尾井町に移転
昭和46年4月東京都文京区湯島に移転
平成6年4月埼玉県和光市に移転
平成25年8月裁判官の研修部門が埼玉県和光市の司法研修所別館に移転
令和8年2月裁判官の研修部門が司法研修所本館に移転

このうち令和8年2月の項目は,平成25年8月に司法研修所別館へ移された裁判官の研修部門が本館へ戻ったことを示すものである。
これに伴い,同ページの所在地欄は,本記事の作成時点では司法研修所(和光市南二丁目3番8号)だけを掲げており,従前併記されていた司法研修所別館(研修東棟。同二丁目3番5号)は掲げられていない。

第2 司法省の研修機関からの分離

1 司法研究所から司法省の司法研修所へ

昭和14年7月6日の勅令第445号(司法研究所官制)により,判事,検事及び司法官試補の研究並びに修習をつかさどる機関として,司法省に司法研究所が置かれた。
裁判所ウェブサイトは,同研究所が第二次世界大戦中に事実上その機能を停止していたと注記している。

昭和21年5月15日の勅令第269号は,昭和14年勅令第445号を全部改正した「司法研修所官制」であり,これにより司法研究所は廃止され,新たに司法省に司法研修所が置かれた。
この題名及び改正関係は日本法令索引の「法務庁研修所官制」の法令沿革で確認することができ,最高裁判所の「庁舎の沿革及び現況説明書」も同日欄に「勅令第269号をもって,司法研究所を廃し,新たに司法省に司法研修所を設置」と記載している。

司法省の司法研修所は,昭和21年7月15日,東京都芝区(昭和22年3月15日以後は港区)高輪南町の旧毛利公爵邸へ移った。
高輪の建物は,最高裁判所に司法研修所が置かれる前年から,司法省の研修機関の庁舎として使われていたことになる。

司法官試補の修習が戦後どこで再開されたかについては,当時これに関与した法曹の回想がある。
『法学者・法律家たちの八月十五日』所収の「敗戦直後の司法修習」は,応召から帰った司法官試補と新たに採用された試補を指導するため,戦争中休止していた司法研究所の指導官を命ぜられ,板橋の旧陸軍被服廠の一部で修習を始めたと記している。
これは後年の回想であって当時作成された公文書ではないから,日付その他の細部まで確定する資料としては扱えないが,高輪へ移る前の実施場所を示す証言として意味がある。

2 昭和22年5月3日の分離

日本国憲法及び裁判所法が施行された昭和22年5月3日,裁判所法14条により,最高裁判所に司法研修所が設置された。
同日,政令第6号によって昭和21年勅令第269号の題名が「司法省研修所官制」に改められ,司法省側の機関は司法省研修所となった。

したがって,この日に二つに分かれたのは,昭和21年5月15日以降の司法省の司法研修所であり,昭和14年に設置された司法研究所そのものではない。
裁判所ウェブサイトも,「司法研究所」について,「戦後の一時期,司法省に『司法研究所』に代わる施設として『司法研修所』が設置されていた」と注記している。

分離の背景としては,裁判官の研修を司法大臣の管理下にある組織で行うことが三権分立の観点から適切でないと考えられたことが挙げられる。
前記の「敗戦直後の司法修習」も,新憲法の施行によって裁判所が行政部から完全に独立し,司法官試補という名称も司法修習生と改められたこと,その養成を司法省と裁判所のいずれが所管するかについて争いがあり,最高裁判所が所管することになったことを記している。

3 司法省側の機関のその後

昭和23年2月15日,司法省及び法制局が統合して法務庁となり,司法省研修所は法務庁研修所となった。
官制の題名改正は,同月14日の政令第39号による。

その後の変遷は,法務省が公表している沿革によれば次のとおりである。
昭和24年6月1日に法務庁が法務府となって法務府研修所となり,昭和25年4月1日には幹部検察官を対象とする検察研究所が置かれた。
昭和27年8月,法務府が法務省及び法制局に分かれた際,法務府研修所は検察研究所を統合して法務研修所となり,昭和34年4月に刑事政策の専門的研究部門を加えて法務総合研究所となった。
昭和27年8月の時点で生まれたのは法務研修所であり,法務総合研究所への改称は昭和34年4月である。

なお,法制局は,昭和37年7月1日,衆参両院に置かれた議院法制局と区別するため,内閣法制局に改称された。

第3 高輪時代(昭和22年5月から昭和23年6月まで)

1 旧毛利邸を仮庁舎とした発足

最高裁判所の「庁舎の沿革及び現況説明書」は,昭和22年12月1日の欄に「旧毛利邸(港区芝高輪南町)を司法研修所仮庁舎として修習開始」と記載している。
新たに設けられた最高裁判所の司法研修所は,庁舎を新築したのではなく,前年から司法省の司法研修所が使用していた旧毛利公爵邸の建物を仮庁舎として引き継いだものである。

高輪の庁舎では,第1期司法修習生の修習と並行して,戦前からの司法官試補の修習も終期を迎えていた。
司法研修所五十年史の年表によれば,「高輪第1期生」の修習終了が昭和22年12月18日,「高輪第2期生」の修習終了が昭和23年4月22日である。

2 初代所長と第1期司法修習生

昭和22年10月14日,前沢忠成が初代の司法研修所長に任命された。
これが最初の司法研修所職員である。

第1期司法修習生は,昭和22年5月15日に採用され,実務修習から開始した。
昭和22年12月1日に前期修習組の当所修習が始まり,146人のうち東京地方裁判所及び横浜地方裁判所に配属された74人だけの入所式が実施された。
同日付けで司法研修所規則(昭和22年12月1日最高裁判所規則第11号)が公布されており,日本法令索引でその公布年月日を確認することができる。

第1期からは,日本で最初の女性裁判官が出ている。
石渡満子裁判官は昭和24年6月4日に東京地方裁判所判事補へ任官しており,2番目の女性裁判官である三淵嘉子裁判官の任官(同月25日)よりも早い。

3 高輪南町の現況

旧毛利公爵邸は,東京市芝区高輪南町27番地にあった。
鹿島建設が公開している社史資料は,その跡地について,品川プリンスホテル及びエプソンアクアパーク品川などのある一帯であると説明している。

第4 紀尾井町時代(昭和23年6月から昭和46年4月まで)

1 行政裁判所跡地への新築移転

昭和23年6月30日,司法研修所は,東京都千代田区紀尾井町3番地の新庁舎(一部竣工)へ移転した。
最高裁判所の「庁舎の沿革及び現況説明書」は,この土地を「元行政裁判所跡地」と記載している。
行政裁判所は,行政事件の裁判を行う特別裁判所であったが,特別裁判所を設置することができないとする日本国憲法76条2項の下では存続し得ず,昭和22年5月に廃止された。
最高裁判所の司法研修所は,行政裁判所が廃止された直後に発足し,その翌年に同じ土地へ移ったことになる。

紀尾井町庁舎の落成式は昭和23年11月22日に行われ,昭和26年3月15日には講堂が増築された。
また,昭和23年11月16日には司法研修所報の創刊号が発行されている。

2 分室及び寄宿寮

紀尾井町時代には,庁舎とは別に分室が置かれた。
五十年史の年表によれば,昭和23年3月8日に滝野川分室が開設され,昭和24年には同分室で火災が発生した。
昭和24年2月10日には,文京区指ヶ谷町77番地の小石川分室が一部竣工している。

寄宿寮としては,当初は小石川寮があった。
昭和42年3月30日に松戸分室が新築され,同年7月20日,小石川分室が廃止されて合宿舎が松戸分室へ移った。
このため,昭和42年7月以降の寄宿寮は,鉄筋コンクリート5階建ての松戸寮となった。

3 裁判所職員の研修及び司法研究の所管

紀尾井町時代の初期に司法研修所が担当していたのは,司法修習生の修習だけではない。
昭和23年7月16日には,司法研究に関する事項の所管を最高裁判所事務局総務部から承継している。
また,五十年史の年表によれば,昭和25年に裁判所書記官研修所が設置されたことに伴い,書記官及び事務官等の研修に関する事項が同研修所へ移管された。

裁判所職員の研修が紀尾井町で行われていたことは,当事者の証言からも裏付けられる。
清永聡『家庭裁判所物語』は,家庭裁判所の職員第一期生が,当時千代田区紀尾井町にあった司法研修所へ通って研修を受けたという回想を紹介している。

4 司法修習生の法的地位を示した最高裁判決

紀尾井町時代には,司法修習生の法的地位について,現在も参照される最高裁判決が出されている。
最高裁判所第二小法廷昭和42年4月28日判決(昭和38年(オ)第5号,退職手当金請求,民集21巻3号759頁)は,司法修習生が国家公務員等退職手当法にいう国家公務員又はこれに準ずるものに当たらないと判示した。
給与及び手当の支給,統括及び監督並びに兼業の制限その他の規律は,修習を実効的に行い,修習中に接する秘密を保護するための制度であって,これらがあることから直ちに公務員としての地位が導かれるものではないという整理である。

この判断は,後年の給費制廃止違憲訴訟でも前提とされている。
給費制の廃止をめぐる裁判例の系列及びその到達点は,「司法修習制度の改正経緯」で整理している。

5 紀尾井町時代の終わり

紀尾井町時代の最後には,司法研修所を舞台とする出来事があった。
昭和46年3月31日,最高裁判所は宮本康昭判事補の再任を拒否し,23期の任官志望者のうち7人を採用しなかった。
同年4月5日の23期の修習終了式では,クラス委員会委員長であった阪口徳雄司法修習生が発言を求め,同人は罷免された。
湯島への移転は,その3日後の同月8日である。

昭和45年4月採用の24期は,前期修習を紀尾井町庁舎で受け,移転後の湯島庁舎で後期修習を受けている。
すなわち,紀尾井町の司法研修所と湯島の司法研修所の両方を体験した期は,24期である。

6 紀尾井町3番地の現況

紀尾井町3番地には,現在,紀尾井町ビルがある。
同ビルは,千代田区紀尾井町3番12号に所在する地上26階地下4階建ての建物であり,平成元年11月に竣工した。

紀尾井町という地名は,江戸時代にこの地にあった「紀」州徳川家,「尾」張徳川家及び彦根「井」伊家の各中屋敷に由来し,3つの大名家の頭文字を取ったものである。

第5 湯島時代(昭和46年4月から平成6年4月まで)

1 旧岩崎邸・裁判所書記官研修所跡への移転

昭和46年4月8日,司法研修所は,東京都文京区湯島四丁目6番6号の新庁舎へ移転した。
「庁舎の沿革及び現況説明書」及び五十年史の年表は,この土地を「旧岩崎邸・裁判所書記官研修所跡」と記載している。

この土地は,岩崎久弥邸(現在の旧岩崎邸庭園)の敷地であった。
公益財団法人東京都公園協会の案内によれば,同邸は戦後に連合国軍総司令部へ接収され,昭和27年に国有財産となった後,最高裁判所の司法研修所として使用された。
司法研修所の湯島庁舎が着工したのは昭和44年6月11日であるから,それ以前は同じ敷地が裁判所書記官研修所として使われていたことになる。

湯島庁舎では,25期の前期修習からその修習が行われた。
24期が紀尾井町と湯島の両方を体験したことは,前記第4の5のとおりである。

2 湯島庁舎の規模と敷地の変遷

「庁舎の沿革及び現況説明書」によれば,湯島庁舎は,昭和44年6月11日に着工し,昭和46年3月31日に竣工した。
敷地は37,008平方メートル,本館は鉄筋コンクリート造5階建て(建築面積1,144平方メートル,延べ面積5,797平方メートル),別館は鉄筋コンクリート造2階建てであり,総工事費は4億9,698万円である。
落成式は昭和46年6月1日に行われた。

湯島庁舎の敷地は,その後段階的に縮小している。
昭和50年3月25日に1,876平方メートルが最高裁判所湯島宿舎へ,昭和52年3月19日に1,641平方メートルが最高裁判所湯島北宿舎へそれぞれ用途変更され,昭和58年5月31日には3,035平方メートルが大蔵省へ引き継がれて,庁舎敷地は30,546平方メートルとなった。
昭和59年3月29日には,鉄骨造2階建ての新館(裁判官研究室)が増築されている。

3 各地の分室の整備

湯島時代には,各地に分室が新築された。
五十年史の年表によれば,高松分室(昭和46年3月27日),大阪分室(昭和47年12月5日),白金分室(昭和48年6月30日改築),広島分室(昭和50年3月25日),紀尾井町分室(昭和50年8月30日),名古屋分室(昭和53年12月8日),仙台分室(昭和54年3月28日)及び札幌分室(昭和54年12月24日)が順次整備され,和光移転後の平成7年3月9日には福岡分室が新築された。

4 司法研修所第一部の発足

昭和57年4月1日,司法研修所規程の一部を改正する規程(最高裁判所規程第3号)により,司法研修所第一部が発足した。
これによって,裁判官の研究及び修養を担当する第一部と,司法修習生の修習を担当する第二部という現在の二部制が成立した。
最高裁判所が作成した司法研修所別館の案内も,第一部について,昭和57年から専任の教官が配置されていると説明している。

5 湯島時代に起きた出来事

湯島時代には,司法研修所の運営をめぐって外部から問題提起がされた例がある。
日本弁護士連合会は,昭和50年5月24日の第26回定期総会において,「司法研修所弁護教官の選任及び新任拒否に関する決議」を採択した。
同決議は,最高裁判所が同年4月に司法研修所弁護教官の選任について日弁連の推薦を無視する措置をとったこと及び27期の任官志望者4人を不採用としたことを取り上げ,これらが思想・信条による差別を行ったという疑惑を抱かせるものであるとして,適切な措置をとるよう求めている。

昭和51年の30期前期修習では,女性司法修習生に対する司法研修所の裁判教官等の発言が問題となった。
司法研修所長は,昭和51年9月14日,教官及び事務局長各1人に対して書面による厳重注意を行っている。
経過,資料間の相違及び最終措置の法的性質は,「30期前期修習の女性差別発言問題」で整理している。

司法修習生の採用における国籍の取扱いも,湯島時代に動いている。
最高裁判所は昭和31年10月の採用公告で国籍を不採用事由に加えていたが,昭和52年に韓国籍のままの金敬得が31期司法修習生として採用されたことを契機として,昭和53年度から例外を認める運用が始まった。
その後の経過は,「司法修習生の国籍条項」で整理している。

6 湯島四丁目6番の現況

湯島四丁目6番には,現在,関東財務局東京財務事務所がある。
これは,昭和58年5月31日に湯島庁舎の敷地の一部が大蔵省へ引き継がれたことと対応している。

司法研修所が和光市へ移転した後,旧岩崎邸の建物及び残りの敷地は文化庁へ移管され,現在は都立庭園である旧岩崎邸庭園として公開されている。

第6 和光時代(平成6年4月から)

1 キャンプ朝霞南地区跡地への移転

平成6年4月4日,司法研修所は,埼玉県和光市南二丁目3番8号の新庁舎で開庁式を行った。
湯島庁舎の閉庁式は同月1日であり,新庁舎の竣工は同年3月15日,落成式は同年6月3日である。
48期の前期修習から,和光庁舎での修習が始まった。
なお,47期は,湯島の司法研修所と和光の司法研修所の両方を体験した期である。

和光庁舎の敷地は,在日米軍のキャンプ朝霞(別名キャンプ・ドレイク)のうち,国道254号線より南の南地区の跡地に当たる。
キャンプ朝霞南地区は,米軍放送の送信所を除き,昭和53年7月10日までに返還された。

移転の背景には,司法修習生の増加がある。
泉徳治裁判官(15期)への聞き取りをまとめた『一歩前へ出る司法』は,和光市の司法研修所を,平成6年4月に司法修習生が700人台に増加したことに合わせて開所した施設として紹介している。

2 和光庁舎の構成と敷地

「庁舎の沿革及び現況説明書」によれば,和光庁舎は平成4年11月18日に着工し,平成6年3月15日に竣工した。
敷地は64,680平方メートル,建築面積は14,492平方メートル,延べ面積は51,146平方メートルであり,総工事費は約200億円である。
設計監理は建設省関東地方建設局及び株式会社日本設計が担当した。

庁舎は,本館(事務棟),東館(裁判官研究棟),西館(司法修習棟),大講堂,図書館棟,ひかり寮(裁判官宿泊棟),いずみ寮(修習生宿泊棟)及び体育館の8棟から成り,体育館を除く各棟は渡り廊下で連結されている。
また,敷地は埼玉県和光市南二丁目と東京都練馬区大泉学園町九丁目にまたがっており,司法研修所の敷地の一部は東京都内にある。

3 修習生の増加等に対応した増改築

和光庁舎は,開庁後も増改築を重ねている。
「庁舎の沿革及び現況説明書」の庁舎現況説明書部分は,司法制度改革の一環としての司法修習生の採用人員の増加に伴い,平成11年度に教室の増設を,平成14年度に宿泊棟の増築を,平成16年度に司法修習棟の増築及び事務棟の改修(教官室の拡張等)を行ったと説明している。
具体的には,平成11年11月10日に西館の一部(1階演習室及び談話室)が教室2室分へ改修され,平成14年1月31日に合宿舎(いずみ寮B棟)及び渡り廊下が増築され,平成17年2月15日に西館(教室)が増築された。

これらの増改築が修習生の増加に対応するものであったことは,人数の推移からも確認できる。
法務省の資料によれば,司法修習生の採用者数は,第58期が1,188人であったのに対し,第59期は1,499人である。

修習生の増加以外の要因による改修もある。
平成21年5月21日からの裁判員制度の施行に伴い,平成19年度に本館の法廷教室が裁判員裁判用法廷へ改修され(竣工は平成20年3月31日),平成26年度には,導入修習の実施に伴う司法修習生の受入れのため,東館,西館及び図書館棟に教室が増設された。

4 司法研修所別館と裁判官研修部門の移転

平成25年9月13日,和光市南二丁目3番5号に司法研修所別館が竣工した。
敷地は18,955.35平方メートルであり,研修棟(鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て)及びなごみ寮(鉄筋コンクリート造3階建て)の2棟から成る。
別館は,同じ所在地にある裁判所職員総合研修所と渡り廊下で連結されており,総工事費は約53億2,470万円である。

裁判所ウェブサイトの沿革によれば,裁判官の研修部門は,平成25年8月に別館へ移り,令和8年2月に司法研修所本館へ移った。
別館の新築から本館への復帰までの間,裁判官の研修は,司法修習生の修習が行われる本館とは別の建物で行われていたことになる。

5 寄宿寮の名称

和光庁舎の寄宿寮の名称は,周辺の地名に由来するものと説明されている。
いずみ寮は西武池袋線の大泉学園駅の「泉」に,ひかり寮は東武東上線等の和光市駅の「光」にそれぞれちなむ。
別館のなごみ寮は,和光の「和」を「なごみ」と読んだものである。

第7 和光時代における司法修習の主な変化

1 新司法修習の開始と新旧修習の併存

平成18年11月27日に採用された新第60期から,法科大学院の修了を前提とする新司法修習が始まった。
もっとも,旧司法試験の合格者を対象とする修習も併存しており,法務省の資料によれば,現行(旧)第65期は平成23年7月採用が最後である。
したがって,第60期から第65期までの間は,新旧2つの司法修習が並行して行われていた。

2 経済的支援の変化

平成23年11月27日に採用された新第65期から,司法修習生に対する給与の支給が廃止され,修習資金の貸与制が始まった。
平成29年11月27日に採用された第71期からは修習給付金の制度が設けられ,修習専念資金の貸与と併存している。
金額,税務上の取扱いその他の詳細は,「司法修習生の給費制,貸与制及び修習給付金」で整理している。

3 導入修習の復活及び兼業許可の運用緩和

新第60期では約4週間の導入修習が実施されたが,新第61期から新第67期までは,司法研修所における導入修習は行われなかった。
平成26年11月27日に採用された第68期から,司法研修所における導入修習が改めて実施されるようになった。
平成26年度に東館,西館及び図書館棟の教室が増設されたのは,この導入修習の実施に対応するものである。

平成25年11月27日に採用された第67期からは,兼業許可の運用が大幅に緩和された。
平成25年6月26日の法曹養成制度検討会議取りまとめが,司法修習に支障を生じない範囲で従来の運用を緩和し,休日等を用いて行う教育活動により収入を得ることを認めるべきであるとしたことによる。

なお,司法研修所の卒業アルバムの作成は,新第61期から廃止された。
東京弁護士会の会報であるLIBRA2023年5月号は,新第61期が25クラス・1クラス75人前後の大人数であったため,卒業アルバムが当期から廃止されたと記している。

4 新型コロナウイルス感染症の影響と参集方式への復帰

令和元年11月27日に採用された第73期については,集合修習がオンライン形式で実施された。
令和3年3月31日に採用された第74期及び令和3年11月12日に採用された第75期については,導入修習及び集合修習がオンライン形式を用いて実施された。
『法律のひろば』の司法研修所に関する報告は,第73期及び第74期を全面オンライン方式,第75期を一部オンライン・一部参集と整理している。

令和4年11月27日に採用された第76期では,導入修習及び集合修習のいずれもが,司法修習生が和光市に集まる参集方式で実施された。
その後も,導入修習及び集合修習については全面参集方式が採られている。

5 在学中受験に伴う3月開始への移行

令和元年法律第44号による法科大学院在学中の司法試験受験の導入と,令和5年からの司法試験の7月実施化に伴い,司法修習の開始時期は,従前の11月下旬から3月中旬へ前倒しされた。
第77期は令和6年3月21日,第78期は令和7年3月19日,第79期は令和8年3月19日に,それぞれ採用の発令と司法研修所における導入修習の開始が行われている。

これは修習期間を更に短縮するものではなく,法科大学院の修了から司法修習の開始までの待機期間を短くする趣旨の変更である。
各期の日程は,「司法修習等の日程(70期以降の分)」及び「第79期司法修習の日程」に掲載している。

第8 関連記事その他

司法研修所の法的根拠,組織,裁判官研修及び司法修習との関係は,「司法研修所とは―最高裁判所の附属機関としての役割,組織,司法修習及び裁判官研修」で整理している。

司法研修所五十年史(平成10年2月発行)の各項目は,「司法研修所五十年史(平成10年2月発行)」に掲載しており,本記事が依拠した年表も同記事から参照することができる。
なお,五十年史のほかに司法研修所十年史があり,国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている(オンラインでの公開範囲は国立国会図書館内限定であるが,図書館・個人送信の対象である)。

司法研修所の施設,寄宿寮,交通及び組織については「司法研修所」で整理している。
新司法修習の内容は「新司法修習」,修習給付金及び修習専念資金は「司法修習生の修習給付金及び修習専念資金」を参照されたい。

出典・参考資料

1 法令及び規則

日本国憲法76条2項(e-Gov法令検索)
裁判所法(昭和22年法律第59号)14条(e-Gov法令検索)
法務庁研修所官制(昭和21年5月15日勅令第269号。制定題名は「司法研修所官制」,昭和14年勅令第445号の全部改正)の法令沿革(日本法令索引)
司法研修所規則(昭和22年12月1日最高裁判所規則第11号)(日本法令索引)
司法修習生に関する規則(昭和23年最高裁判所規則第15号)(日本法令索引)

2 裁判例

最高裁判所第二小法廷昭和42年4月28日判決(昭和38年(オ)第5号,退職手当金請求,民集21巻3号759頁,裁判所ウェブサイト)

3 公文書・歴史資料

①最高裁判所「司法研修所庁舎の沿革及び現況説明書等」(情報公開により取得したもの。庁舎の沿革,庁舎現況説明書及び司法研修所別館ガイドを含む。)
②司法研修所「年表」(『司法研修所五十年史』平成10年2月発行)91頁~137頁
③日本弁護士連合会「第26回定期総会・司法研修所弁護教官の選任及び新任拒否に関する決議」(昭和50年5月24日)
④法務省「司法修習生採用者数・考試(二回試験)不合格者数」(最高裁判所調べ)
⑤最高裁判所「平成28年度 裁判所施設の耐震性に係るリスト」(「裁判所施設の耐震診断結果等の公表について」所収)

4 文献

①日本評論社法律編集部編『法学者・法律家たちの八月十五日』(日本評論社,2021年)143頁~145頁
②清永聡『家庭裁判所物語』(日本評論社,2018年)93頁
③泉徳治ほか『一歩前へ出る司法―泉徳治元最高裁判事に聞く』(日本評論社,2017年)123頁
④宮本康昭=大出良知『再任拒否と司法改革―司法の危機から半世紀,いま司法は』(日本評論社,2021年)278頁
⑤豊川義明『現代労働法論―開かれた法との対話』(日本評論社,2023年)225頁
⑥第二東京弁護士会司法修習委員会「特集 司法修習はこう変わった(前編)」NIBEN Frontier2017年11月号30頁~39頁
⑦関理秀「わたしの修習時代 『修習は楽しい』ということ―あれから15年 幾星霜―」LIBRA2023年5月号34頁
⑧「自由と正義」2018年10月号1頁・7頁
⑨『法律のひろば』2023年1月号・同年12月号・2025年2月号・2026年4月号

5 ウェブ資料

①最高裁判所「司法研修所について
②最高裁判所「司法修習の概要
③公益財団法人東京都公園協会「旧岩崎邸庭園
④鹿島建設「鹿島の軌跡 第45回 高輪毛利邸洋館工事
⑤財務省関東財務局「東京財務事務所