司法研修所の沿革

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目次
第1 司法研修所及び司法省研修所への分離
第2 高輪時代(昭和22年10月から昭和23年6月まで)
第3 紀尾井町時代(昭和23年6月から昭和46年4月まで)
第4 湯島時代(昭和46年4月から平成6年4月まで)
第5 和光時代(平成6年4月から)
第6 関連記事

第1 司法研修所及び司法省研修所への分離
1 司法省司法研究所は,昭和22年5月3日,最高裁判所設置の「司法研修所」と司法省設置の「司法省研修所」に分離されました。
2 昭和23年2月15日,司法省及び法制局が統合して法務庁となり,昭和24年6月1日,法務庁が法務府となり,昭和27年8月1日,法務府が法務省及び法制局に解体されました。
   また,昭和37年7月1日,法制局は,衆参両院に置かれた議院法制局と区別するため,内閣法制局に改称されました。
3   司法省研修所は,昭和27年8月1日の法務省設置の際,法務総合研究所となりました。

第2 高輪時代(昭和22年10月から昭和23年6月まで)
1 昭和22年10月14日,初代所長の前沢忠成が最初の司法研修所職員となりました。
   高輪南町の旧毛利公爵邸跡地に仮設された司法研修所において,昭和22年12月1日,第1期司法修習生(昭和22年5月15日任命。実務修習から開始)146人のうちの74人(東京地裁及び横浜地裁に配属の修習生)だけの入所式が実施されました。
2 日本初の女性裁判官は第1期司法修習生から出ました。

第3 紀尾井町時代(昭和23年6月から昭和46年4月まで)
1 昭和23年6月30日,千代田区紀尾井町3番地(戦前の行政裁判所の跡地)に移転しました。
2(1) 紀尾井町3番地には現在,
紀尾井町ビル(平成元年11月建築)があります(自由と正義2018年10月号1頁参照)。
(2) 紀尾井町は,江戸時代に,「紀」州徳川家,「尾」張徳川家及び彦根「井」伊家の屋敷が存在した場所であり,3つの大名家の頭文字を取った地名です。
3 寄宿寮として小石川寮がありました。
   ただし,寄宿寮につき,昭和42年7月,それまでの小石川寮から鉄筋コンクリート5階建ての松戸寮に移転しました(自由と正義2018年10月号7頁)。

第4 湯島時代(昭和46年4月から平成6年4月まで)
1 昭和46年4月8日,文京区湯島四丁目6番6号(岩崎邸の跡地)に移転しました。
   そして,25期前期修習から湯島での集合修習が開始しました。
2 湯島4丁目6番には現在,関東財務局東京財務事務所があります(自由と正義2018年10月号1頁参照)。
3 26期司法修習生は,紀尾井町の司法研修所と和光の司法研修所の両方を体験した期となります。

第5 和光時代(平成6年4月から)
1(1) 平成6年4月4日,和光市南二丁目3番8号(在日米軍キャンプ朝霞の跡地)に移転しました。
   そして,48期前期修習からが和光市での集合修習が開始しました。
(2) 寄宿寮としていずみ寮及びひかり寮があります。
(3) 47期司法修習生は,湯島の司法研修所と和光の司法研修所の両方を体験した期となります。
2 平成14年1月31日,いずみ寮B棟が新たに建築されました。
3 平成17年2月15日,司法研修所西館が増築されました。
   司法修習生の人数が,58期の約1200人から59期の約1500人に増えたことに対応するためであると思われます。
4 平成18年11月27日に採用された新60期から新司法修習が開始しました。
   ただし,60期から65期までの間は新旧の司法修習が併存しました。
5 平成23年11月27日に採用された新65期から司法修習生に対する修習資金の貸与制が開始しました(「司法修習生の修習資金貸与制」参照)。
6 平成25年9月,司法研修所別館の研修東棟及びなごみ寮(宿泊棟)が新たに建築されました(裁判所HPの「裁判所施設の耐震診断結果等の公表について」「平成28年度 裁判所施設の耐震性に係るリスト」参照)。
7 平成25年11月27日に採用された67期から兼業許可の運用が大幅に緩和されました。
8 平成26年11月27日に採用された68期から導入修習が開始しました。
9 平成29年11月27日に採用された71期から修習給付金制度が開始しました(「司法修習生の修習給付金及び修習専念資金」参照)。
10 令和元年11月27日に採用された73期につき,オンライン形式で集合修習が実施されました。
11 令和3年3月31日に採用された74期につき,オンライン形式で導入修習が実施されました。

第6 関連記事
・ 司法研修所五十年史(平成10年2月発行)
・ 司法省司法研究所の沿革
 法務総合研究所

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