目次第1 本記事の結論と対象1 結論2 本記事の対象と基準日第2 義務履行地の裁判籍の仕組み1 民事訴訟法4条及び5条1号2 売買代金債務の履行場所3 持参債務の原則と義務履行地の裁判籍第3 振込みによる支払と義務履行地に関する裁判例1 東京高裁昭和53年4月21日決定(売掛代金)2 大阪高裁平成10年4月30日決定(賃金の口座振込)3 松山地裁宇和島支部昭和60年8月8日決定(送金債務)4 金融機関の支店の所在地が義務履行地とされた例第4 振込先の支店の所在地を義務履行地と主張できる場合1 弁済場所についての明示の合意がある場合2 「振り込んで支払う」とだけ定める条項3 約款で支払場所を定める条項の限界第5 実務上の対応1 売主が訴えを提起する場合2 買主が訴えられた場合3 契約書を作成する段階第6 出典1 法令2 裁判例3 文献
第1 本記事の結論と対象
1 結論
売買代金を売主の指定する預金口座へ振り込んで支払う約束があるだけでは,その口座を管理する金融機関の支店の所在地は,民事訴訟法5条1号の義務履行地にはならないと考えられる。
大阪高裁平成10年4月30日決定は,銀行振込を義務履行のための一つの方法にすぎないとし,東京高裁昭和53年4月21日決定は,売掛代金が売主本店の口座への振込みで支払われていたことから支払場所を本店とする暗黙の合意の成立を推認することは困難であるとしており,いずれもこの考え方に沿うものである。
売買代金債務の履行場所は,弁済場所についての別段の意思表示がない限り,民法484条1項により債権者の現在の住所となり,商行為によって生じた債務であれば商法516条により債権者の現在の営業所となる。
したがって,売主は,自らの住所又は営業所の所在地を義務履行地として民事訴訟法5条1号の管轄を主張するのが通常であり,これとは別に振込先の支店の所在地を管轄の根拠とする意味は乏しい。
振込先の支店の所在地が義務履行地となり得るのは,その支店を弁済場所とする明示の合意がある場合など,当事者の意思表示によって弁済場所が特定されている場合に限られると考えられる。
もっとも,売買代金の事案で振込先の支店の所在地を義務履行地と認めた裁判例は,本記事で確認した範囲では見当たらなかった。
2 本記事の対象と基準日
本記事は,令和8年9月18日現在の法令並びに本記事で確認した裁判例及び文献に基づき,国内の売買代金(売掛金)請求訴訟の土地管轄を対象とする。
国際裁判管轄,手形又は小切手による金銭の支払の請求(民事訴訟法5条2号),消費者契約に特有の問題及び個別の契約条項の有効性の判断は,本記事の対象外とする。
本記事で取り上げる裁判例には,賃金,保険金,銀行取引等,売買代金以外の債務に関するものが含まれる。
これらは義務履行地の考え方を示すものとして参照するものであり,売買代金の事案にそのまま当てはまるとは限らない。
第2 義務履行地の裁判籍の仕組み
1 民事訴訟法4条及び5条1号
民事訴訟法4条1項は,訴えは被告の普通裁判籍の所在地を管轄する裁判所の管轄に属すると定め,同条4項は,法人の普通裁判籍は主たる事務所又は営業所により定まるとしている。
これに対し,同法5条柱書き及び1号は,財産権上の訴えについて,義務履行地を管轄する裁判所にも訴えを提起することができると定めている。
売買代金の支払を求める訴えは財産権上の訴えであるから,買主の普通裁判籍の所在地のほか,代金支払債務の義務履行地にも管轄が生じる。
そのため,代金支払債務の義務履行地がどこかが,売主がどこの裁判所に訴えを提起できるかを左右する。
2 売買代金債務の履行場所
(1) 民法484条1項
民法484条1項は,「弁済をすべき場所について別段の意思表示がないときは、特定物の引渡しは債権発生の時にその物が存在した場所において、その他の弁済は債権者の現在の住所において、それぞれしなければならない。」と定めている。
金銭債務である売買代金債務は「その他の弁済」に当たるから,別段の意思表示がなければ,売主の現在の住所が履行場所となり,これを持参債務の原則という(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法―総則・物権・債権―〔第6版〕』(日本評論社,2019年)968頁)。
同書は,別段の意思表示がない場合にも,債権発生行為の性質上弁済地が特定される場合には,民法484条の適用はないと説明している(同書969頁)。
(2) 商法516条
商法516条は,商行為によって生じた債務の履行をすべき場所がその行為の性質又は当事者の意思表示によって定まらないときは,特定物の引渡し以外の債務の履行は「債権者の現在の営業所(営業所がない場合にあっては、その住所)」においてしなければならないと定めている。
事業者間の売掛金は通常これに当たるから,売主の現在の営業所が履行場所となる。
(3) 民法574条
民法574条は,売買の目的物の引渡しと同時に代金を支払うべきときは,その引渡しの場所において支払わなければならないと定めている。
(続きを読む...)売掛金の振込先口座がある銀行支店の所在地で訴えを提起できるか―民事訴訟法5条1号の義務履行地と振込払いの裁判例(AI作成)