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控訴審が第1審の過失認定を覆すには―猪苗代湖ボート事故の最高裁令和8年10月16日判決と刑訴法382条(AI作成)

第1 事案と判決の概要

1 本記事の対象と資料

本記事は,猪苗代湖で起きたプレジャーモーターボートの事故について,最高裁令和8年10月16日判決(令和7年(あ)第137号,業務上過失致死傷被告事件,最高裁判所第二小法廷)の判決全文を読み,控訴審が第1審の事実認定を覆すための基準を整理するものである。
資料は,裁判所ウェブサイトに掲載された同判決の全文(8頁)及び別紙図面並びに第1審判決と原判決の全文であり,令和8年10月17日に確認した。
同日時点で,裁判所ウェブサイトの同判決の詳細ページは,判示事項だけを掲げ,裁判要旨欄,参照法条欄及び判例集等巻・号・頁欄は空欄である。

2 事故の概要

第1審判決が認定した犯罪事実の要旨は,船長として本件船(プレジャーモーターボート)を操船していた被告人が,令和2年9月6日午前10時58分頃,猪苗代湖の中田浜湾内を時速約15ないし20kmで航行するに当たり,針路前方左右の見張りを厳に行わなかった過失により,ザップボードに乗るためにライフジャケットを着用して湖上に浮かんでいた被害者らに気付かないまま,船の後部の回転中のプロペラを接触させたというものである。
この事故により,当時8歳の被害者1名が死亡し,当時35歳の被害者1名が加療約237日間を要する両下腿不全切断等の傷害を,当時8歳の被害者1名が加療約142日間を要する傷害を負った。

3 三つの審級の結論

審級裁判所・裁判年月日・事件番号結論
第1審福島地裁令和5年3月24日判決(令和3年(わ)第151号)過失を認め,禁錮2年の実刑(求刑は禁錮3年6月)
控訴審(原審)仙台高裁令和6年12月16日判決(令和5年(う)第68号,第1刑事部)事実誤認を理由に第1審判決を破棄し,無罪
上告審最高裁令和8年10月16日判決(令和7年(あ)第137号,第二小法廷)原判決を破棄し,被告人の控訴を棄却(第1審判決を維持)

第1審の裁判長は三浦隆昭裁判官,原審の裁判長は渡邉英敬裁判官である。
最高裁の裁判体は,裁判長裁判官高須順一,裁判官三浦守,裁判官岡村和美及び裁判官尾島明であり,判決は裁判官全員一致の意見によるもので,個別意見は付されていない。

第2 争点と第1審判決の判断構造

1 争点は過失の有無

第1審で,被告人は,事故の地点の周辺が船舶航行区域又はこれに近接する区域であったこと等から,人が目印や特段の動きもなく浮かんでいることを具体的に想定できず,衝突を回避できる地点で被害者らを人として発見することはできなかったと主張して,過失を争った。
第1審判決は,水面利用区分の明確な線引きや周知がされておらず,複数の水上バイクやトーイングボートが湾内を航行していたこと等から,事故の地点の周辺は湖上に浮かんでいる人の存在を想定できる水域であったと認定した。
その上で,被告人には,針路前方左右の見張りを厳に行い,針路上に浮遊物を視認した場合には人でないかを確認すべき注意義務があったとした。

2 死角と視認可能性

本件船は,増速の過程で一時的に船首部が持ち上がり,操縦席からの船首方の見通しが悪くなる性質を持ち,事故の直前には被害者らが船の死角に入っていた。
そのため,第1審判決の結論は,被害者らが死角に入るまでの間に,被告人が被害者らを「浮遊物として」視認できたかどうかにかかっていた。

3 四つの事情を積み重ねた推認

最高裁は,第1審判決の事実認定の判断構造を,次の四つの事情を積み重ねたものと理解した。
①実況見分で,被告人自身が約223m先の事故の地点に浮かぶマネキンを浮遊物として現に視認できたこと
②船が停泊状態にあったときに撮影された映像に,被害者らと推認される浮遊物が船の左前方に映っており,その時点で被害者らが死角に入っていなかったこと
③被告人の供述する航路に基づけば,マネキンを発見した地点の付近を通過してから被害者らが死角に入るまでには数十秒以上の時間があること
④被告人と同様の航路を航行していた被告人の知人が,被害者らを現に浮遊物として視認し,衝突を回避できていたこと

第1審判決は,これらから,停泊状態を経て事故の地点に徐々に近づいていく過程の「いずれかの地点ないし時点」で,被告人が被害者らを浮遊物として視認できたと推認したものである。
特定の一地点で被害者らを確実に見えたと認定したものではない点が,後の判断で重要になる。

第3 原判決(仙台高裁)の判断

1 無罪とした理由

原判決は,事故の地点の周辺は遊泳禁止区域であるため,人が目印も特段の動きもなく浮かんでいることを想定することが相当に困難な水域であり,被害者らを浮遊物として視認できただけでなく,人その他の確認を要する浮遊物として視認できなければ,人として発見することは困難であるとした。
また,原判決は,船に同乗していた者らが撮影した画像等の位置情報を挙げて,船が停泊地点の付近から事故の地点の方向へ大きく舵を切らずに航行した可能性を否定できず,被害者らが早期に死角に入った可能性があるとした。
さらに,事故当時と実況見分当時の条件の差によって視認できる距離が変わると考えられ,その程度が不明であるから,実況見分で約223m手前からマネキンを視認できたことをもって,事故当時にも被害者らを視認できたとはいえないとした。

2 原判決の付言

原判決は,自判した理由の中で,死角を減らす義務の違反や適切な航路を設定する義務の違反等を訴因として構成することも全く考えられないわけではないとしつつ,検察官が原審の段階から追加の立証や主張を行わない旨を明確にしてきたことなどを挙げ,控訴審で探索的に追加の主張立証を求めることも,差し戻すことも適切でないとして,無罪を言い渡した。
最高裁の判決は,この付言には触れていない。

第4 最高裁の判断

1 上告理由と職権調査

最高裁は,検察官の上告趣意のうち高等裁判所の判例違反をいう点は事案を異にする判例を引用するもので適切でなく,その余は実質が単なる法令違反又は事実誤認の主張であって,刑事訴訟法405条の上告理由に当たらないとした。
しかし,所論に鑑み職権で調査し,原判決は同法411条1号により破棄を免れないとした。

2 刑訴法382条の事実誤認の意味

最高裁は,最高裁平成24年2月13日判決(平成23年(あ)第757号,刑集66巻4号482頁)を引用し,次のとおり判示した。
「刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当であり、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」
そして,原判決は,第1審判決の事実認定について,論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価できないとした。

3 注意義務の前提

最高裁は,遊泳禁止区域であることを理由に,人その他の確認を要する浮遊物として視認できなければ人として発見することは困難であるとした原判決の理由付けを採らなかった。
最高裁は,「本件地点周辺が、湖上に浮かんでいる人の存在を想定できる水域である以上、本件地点周辺に浮遊物を視認すれば、人でないかを確認すべき注意義務があるとした第1審判決の判断は正当である」とした。
その結果,検討すべき点は,被告人が被害者らを浮遊物として視認できたといえるかどうかに絞られた。

4 航路の認定と位置情報

第1審判決は,被告人の第1審公判供述や停泊中の映像に基づいて,船が停泊地点の付近から湖水浴場の方向へ針路を取り,湾の中心に向かってしばらく航行した後に左転したと認定し,左転して被害者らが死角に入るまでの間,被害者らは船の左前方にいたと認定したものであり,最高裁はこれに相応の合理性があるとした。
これに対し,原判決が挙げた位置情報は2台の携帯電話機で記録されたもので,同時刻のものとして記録された緯度・経度に相当程度の誤差があった。
それにもかかわらず,原判決は,一方の携帯電話機の位置情報の一部に他方の携帯電話機の位置情報の一部をつなげて航路を示唆しているとしたものであり,最高裁は,「このような判断は論理則に反し、是認できない」とした。

5 条件の差と「一連の過程」の認定

最高裁は,第1審判決が,事故当時と実況見分当時の条件の差も考慮しており,実況見分の結果だけから直ちに,マネキンを発見した地点の付近で被害者らを発見できたと認定したものではないとした。
第1審判決は,船がマネキンを発見した地点の付近を通過した後,停泊状態を経て事故の地点に徐々に近づく過程,すなわち直線距離では遠ざかることなく様々な角度から事故の地点の方向を見ることができる過程で,いずれかの地点ないし時点で被害者らを浮遊物として視認できたと認定したものであり,特定の一地点で視認できたと認定したものでもない。
また,映像に被害者らが映っていることや知人が被害者らを視認したことは,太陽光の反射や被害者らの姿勢によって視認できない状況が常時続いていたわけではないことを示している。
ところが,原判決は,この判断構造を正解せず,マネキンを発見した地点や停泊地点といった個別の地点又は時点で,湖面の状況や被害者らの姿勢等の条件の差により発見できなかった可能性があることを指摘するにとどまっていた。
最高裁は,原判決が,一連の過程を分断して検討したため,第1審判決の認定が不合理であることを具体的に示したものとは評価できないとした。

6 結論と自判

最高裁は,「第1審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる」とした。
そして,刑事訴訟法411条1号により原判決を破棄した上で,訴訟記録に基づいて検討すると,禁錮2年に処した判断を含め,第1審判決を維持するのが相当であるとして,同法413条ただし書,414条及び396条により被告人の控訴を棄却した。
原判決は量刑不当の控訴趣意について判断していなかったが,最高裁は,事件を差し戻さず,刑の量定を含めて第1審判決を維持する自判をしたことになる。

第5 実務上の意味

1 有罪から無罪への破棄にも同じ基準が及ぶ

最高裁平成24年2月13日判決は,覚醒剤の密輸入事件で被告人を無罪とした第1審判決を,控訴審が事実誤認を理由に破棄して有罪とした事案であった。
本判決は,その逆に,第1審の有罪判決を控訴審が事実誤認を理由に破棄して無罪とした事案に,同じ基準を当てはめたものである。
同じ型の先例として,最高裁平成30年7月13日判決(平成29年(あ)第837号,刑集72巻3号324頁)は,被告人を殺人及び窃盗の犯人と認めて有罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決について,第1審判決の説示を分断して個別に検討するのみで,間接事実の総合評価という観点からの検討を欠いているとして,破棄して差し戻した。
本判決は,同様の考え方を,業務上過失致死傷事件の過失(結果回避の前提となる視認可能性)の認定に及ぼしたものと位置付けられる。

2 控訴趣意書・答弁書での示し方

第1審判決が複数の間接事実を積み重ねて推認している場合,控訴趣意書で事実誤認を主張する側は,個々の地点や時点ごとに被害者等を発見できなかった可能性を並べるだけでは足りない。
第1審判決の推認の構造(前提事実,個々の間接事実,総合評価)を先に示し,どの段階の推認が論理則,経験則等に照らしてなぜ不合理なのかを具体的に書く必要がある。
反対に,第1審判決を維持したい側の答弁書では,第1審判決が条件の差を考慮した上で「一連の過程」を総合評価していることを示し,原判決や控訴趣意の指摘が推認過程の分断にとどまることを指摘することになる。
客観証拠を使う場合も,本判決が位置情報の扱いを論理則違反としたように,誤差のある記録をつなぎ合わせて結論を導いていないかを確かめる必要がある。

3 過失犯の立証と訴因の組立て

本判決は,見張り義務違反という訴因のまま,被害者らを浮遊物として視認できたかという点を,実況見分,映像,航路及び第三者の視認状況の総合評価で認めた第1審判決を是認した。
他方で,原判決が付言したように,死角に入る時点が早いと視認可能性の立証が難しくなるため,同種の事故では,見張り義務のほかに死角を減らす義務や航路の設定に関する義務を訴因として構成するかどうかが問題になり得る。
最高裁はこの点について判断していないため,本判決から訴因の選択について一般的な結論を導くことはできない。

4 禁錮刑が維持された理由

刑法211条の業務上過失致死傷罪の法定刑は,現在は「五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金」である。
もっとも,刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律441条1項は,同法等の施行前にした行為の処罰について,別段の定めがあるもののほか,なお従前の例によると定めている。
本件の事故は令和2年に起きたものであるから,令和7年6月1日の拘禁刑の導入後に言い渡された本判決でも,第1審判決の禁錮2年がそのまま維持された。

第6 出典・関連記事

1 裁判例

①最高裁令和8年10月16日判決(令和7年(あ)第137号,最高裁判所第二小法廷,破棄自判。判決全文PDF)
②仙台高裁令和6年12月16日判決(令和5年(う)第68号,第1刑事部,破棄自判)
③福島地裁令和5年3月24日判決(令和3年(わ)第151号)
④最高裁平成24年2月13日判決(平成23年(あ)第757号,最高裁判所第一小法廷,刑集66巻4号482頁)
⑤最高裁平成30年7月13日判決(平成29年(あ)第837号,最高裁判所第二小法廷,刑集72巻3号324頁)

2 法令

①e-Gov法令検索「刑事訴訟法」382条,396条,405条,411条,413条及び414条
②e-Gov法令検索「刑法」211条
③e-Gov法令検索「刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律」441条

3 関連記事

①刑事控訴の事実誤認―刑訴法382条の審査基準と論理則・経験則違反
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④「合理的な疑いを差し挟む余地がない」の意義―直接証拠と間接証拠
⑤刑事事件の上訴及び不服申立て-控訴・上告・抗告等の期間と手続