第1 結論―請求権者,代理人及び和解権限を分ける
マンション共用部分の欠陥を理由とする損害賠償請求では,①誰が請求権を取得したか,②管理者が誰を代理して請求・受領できるか,③規約又は集会決議に基づいて訴訟追行できるか,④請求の減額・放棄又は清算を含む和解を誰がどこまで決められるかを分けて確認する必要がある。
管理組合が共用部分を管理していることだけで,個々の区分所有者が取得した契約上の損害賠償請求権が当然に管理組合へ移るわけではない。
令和8年4月1日に施行された改正区分所有法26条は,管理者が,現区分所有者だけでなく一定の旧区分所有者を含む請求権者を代理して,保険金,損害賠償金又は不当利得返還金の請求及び受領を行えることを明確にした。
ただし,請求権そのものを管理組合へ当然に移転させる制度ではなく,旧区分所有者には書面又は電磁的方法による別段の意思表示も認められている。
実際の交渉又は和解では,権利者の範囲,請求原因,規約,集会決議,委任,別段の意思表示及び和解対象を照合する。
解決金の支払又は補修への協力に合意することと,争われていた事実又は法的責任を認めることも同じではないため,責任不承認条項と清算条項の役割を区別することが重要である。
第2 損害賠償請求権は誰に帰属するか
1 共用部分の持分と損害賠償請求権は同じではない
区分所有者は共用部分を共有するが,共用部分について問題が見つかったときに生じる請求権の内容は,請求原因によって異なる。
分譲契約の契約不適合を理由とする請求権は,原則として売主と売買契約を締結した買主が取得する。
不法行為,請負契約,保証,保険又は不当利得を根拠とする場合は,それぞれの要件と当事者関係を別に確認する。
したがって,「現在の区分所有者である」「管理組合が修繕を行う」「共用部分に関する問題である」という一事だけで,すべての請求権者が決まるわけではない。
誰が契約を締結し,いつどの請求権を取得し,債権譲渡,代位弁済,保険金支払その他の権利移転があったかを確認する必要がある。
2 区分所有権の譲渡だけでは契約上の請求権は当然に移らない
法務省民事局長は令和7年5月14日の国会答弁で,分譲契約の契約不適合に基づく損害賠償請求権は区分所有権とは別個の財産権であり,区分所有権が譲渡されても当然に移転するものではないと説明している。
改正法は,この請求権を現区分所有者へ当然承継させる仕組みではなく,管理者による代理行使を整備する方法を採った。
売買契約に債権譲渡条項があるか,別途の債権譲渡がされたか,権利の一部が既に行使又は清算されていないかも確認する。
旧区分所有者に権利が残る場面と,現区分所有者が別の契約又は不法行為に基づく権利を取得する場面は併存し得るため,一括して処理しない方がよい。
第3 改正区分所有法26条による管理者の代理
1 請求及び受領の代理
建物の区分所有等に関する法律26条は,管理者がその職務に関し区分所有者を代理することを定めている。
改正後の同条は,共用部分等に関する保険金,損害賠償金及び不当利得返還金の請求・受領について,請求権を有する現区分所有者又は旧区分所有者を管理者が代理できることを明確にした。
この制度の目的は,区分所有権の転売があっても,共用部分に関する請求を管理者がまとめて行いやすくすることにある。
もっとも,管理者は権利者の代理人であり,管理組合が請求権を当然に取得するわけではない。
管理者が金銭を受領した後の保管,修繕への充当又は権利者への分配についても,法令,規約,集会決議及び権利者の承諾を確認する必要がある。
2 旧区分所有者の別段の意思表示
旧区分所有者が,管理者に対し書面又は電磁的方法で別段の意思表示をしたときは,改正区分所有法26条による代理又は訴訟追行の仕組みがその旧区分所有者に適用されない。
したがって,転売履歴があるマンションでは,旧区分所有者の特定,連絡先,請求権の有無,債権譲渡及び別段の意思表示の有無が実務上の重要な確認事項となる。
別段の意思表示がある場合に,その者の持分相当の請求をどのように区分し,残る権利者について交渉又は訴訟を続けるかは,具体的な権利関係に即して検討する。
一人の意思表示があったというだけで全員の請求権が消滅するわけでも,残る請求をそのまま同額で維持できると当然に決まるわけでもない。
3 訴訟追行と通知
管理者は,規約又は集会の決議に基づき,対象となる請求権について権利者のために原告又は被告となることができる。
これは管理者自身が請求権者になるという意味ではなく,法定訴訟担当として訴訟を追行する仕組みである。
訴訟を提起するときは,規約又は決議が対象とする請求,権利者,請求原因及び相手方を確認し,法定の通知を行う。
規約に一般的な権限規定があることと,個別の請求,減額又は和解について必要な意思決定が済んでいることを同一視しないことが重要である。
第4 標準管理規約24条の2と実際の管理規約
1 標準管理規約が示す一元的な権利行使
国土交通省の令和7年マンション標準管理規約は,単棟型等の24条の2に,共用部分等に関する保険金,損害賠償金等の請求及び受領を理事長へ一元化する規定を設けた。
同規約は,区分所有者による個別行使を制限し,区分所有権を譲渡したときに区分所有法26条2項の別段の意思表示を行わないこと,受領金を原則として修繕に充てることも想定している。
この仕組みは,権利者ごとの個別対応を減らし,修繕資金を確保するための実務的なモデルである。
ただし,標準管理規約はひな型であり,各マンションの管理規約へ採用されて初めて具体的な規律となる。
2 既に譲渡した旧区分所有者には後の規約変更が当然に及ばない
国土交通省の説明資料は,個別行使又は別段の意思表示を制限する規定を設ける前に区分所有権を譲渡し,既に区分所有者でなくなっていた者には,その後の規約の効力が及ばないと説明している。
したがって,現在の規約だけでなく,請求権が生じた時点,区分所有権の譲渡時点及び規約設定・変更時点を時系列で確認する必要がある。
実際の規約が標準管理規約と同じとは限らない。
管理組合名,理事長の権限,集会決議の要否,受領金の使途及び旧区分所有者への通知方法について,現行規約と改正履歴を確認する。
第5 管理者はどこまで和解できるか
1 請求・受領の代理と権利処分を区別する
改正区分所有法26条が管理者による請求・受領及び訴訟追行を認めていることから,具体的な授権内容を問わず,管理者がすべての請求権を自由に減額・放棄し,又は対象外の紛争まで全面的に清算できると即断することはできない。
和解案を検討するときは,法定代理の範囲に加え,規約,集会決議,委任状及び権利者の個別意思を確認する。
特に,元本の減額,遅延損害金の放棄,請求原因の追加,専有部分又は個人固有の損害の処理,第三者との清算及び将来請求の放棄は,対象と授権の根拠を具体化する必要がある。
相手方にとっても,和解当事者と権限が不明確なままでは,履行後に別の権利者から請求を受ける危険が残る。
2 裁判上の和解と裁判外の和解
管理者が規約又は集会決議に基づいて訴訟を追行している場合でも,裁判上の和解案が既存の授権に含まれるか,別の集会決議又は個別委任を要するかを,規約と決議内容に即して確認する。
国会審議でも,具体的な和解内容を管理組合総会へ諮り,決議を経る実務が取り上げられている。
裁判外の和解では,法定訴訟担当による訴訟追行の場面と同じと決めつけず,署名者の代表・代理権と権利者の範囲を合意書上で明確にする。
必要に応じて,規約,総会議事録,委任状,権利者一覧又は別段の意思表示の確認結果を,合意書の別紙又は前提資料として対応させる。
3 責任不承認条項と清算条項は役割が異なる
紛争を早期に終えるための支払,補修又はその他の協力に合意しても,それだけで従前争われていた事実又は法的責任を認めたことになるとは限らない。
責任を認めずに解決するときは,責任不承認条項と,合意によって新たに負う給付義務を併記する。
他方,責任不承認条項は,清算の範囲を自動的に決める条項ではない。
どの当事者間の,どの契約,物件,行為,期間及び損害項目を清算し,何を留保するかは別に定める。
合意時までに生じた原因から後に判明する損害と,合意後の新たな行為又は事故から生じる損害も区別し,「将来一切」という抽象的な文言だけに依存しない方がよい。
第6 和解・合意書で確認する事項
1 権利者と授権資料
①請求原因ごとの権利者及び請求額
②現区分所有者と旧区分所有者の区別
③区分所有権及び債権の譲渡履歴
④別段の意思表示の有無
⑤管理規約,改正履歴及び集会決議
⑥管理者,理事長その他の署名者の代表・代理権
権利者一覧の人数又は持分割合だけでなく,どの権利を誰が取得したかを請求原因別に確認する。
個人情報への配慮から一覧を相手方へそのまま交付できない場合でも,弁護士間で確認方法,表明保証又は証明資料を取り決めることが考えられる。
2 給付と清算の範囲
①支払金額,期限,振込先及び費用負担
②補修その他の金銭以外の義務と完了確認
③責任又は事実を認める範囲と認めない範囲
④請求放棄及び清算の対象となる当事者・請求・期間
⑤留保する請求,別件及び合意後の新たな行為
⑥保険金,既払金,代位又は第三者からの回収との調整
受領した金銭を修繕に使う場合は,使途,管理口座,工事発注,残金及び区分所有者・旧区分所有者との関係を確認する。
複数の支払義務者又は複数の権利者がいる場合は,対外的な支払義務と内部負担・分配を分ける。
3 資料の保存
規約,総会議事録,委任状,通知,別段の意思表示,権利者一覧,債権譲渡資料,合意書及び履行資料を相互に対応させて保存する。
工事又は補修を伴うときは,原因調査,図面,見積書,施工記録,写真,検査及び完了確認の資料も残す。
和解成立後は,金銭の受領だけでなく,清算条項の効力発生条件,補修の完了,必要な通知,保険会社への連絡及び内部の分配・会計処理が済んだかを確認する。
履行が終わる前に証拠又は権限資料を廃棄しないことが重要である。
第7 相談時に準備する資料
①管理規約,使用細則及び改正履歴
②総会・理事会の議事録と委任状
③区分所有者名簿及び分譲・転売の履歴
④売買契約,請負契約,保証書及び保険契約
⑤原因調査報告,設計図書,工事記録及び写真
⑥請求額の計算書,見積書,請求書,領収書及び既払金資料
⑦旧区分所有者への通知,回答及び別段の意思表示
⑧訴状,準備書面,判決,和解案その他の交渉・訴訟資料
必要な資料は,請求原因,マンションの規約及び売買履歴によって変わる。
交渉期限,消滅時効,訴訟上の期限又は工事日程がある場合は,資料が全部そろうまで待たず,未取得資料を明示して早めに弁護士へ相談するのがよい。
第8 関連する記事
裁判外の和解契約書・合意書の作り方-和解条項と債務名義化は,責任不承認,請求放棄,清算及び履行確保の一般的な考え方を整理している。
マンション共用部分の漏水は誰が責任を負うかは,管理組合の民法717条上の占有者該当性,修繕と損害賠償及び保険を扱う。
第9 主な出典と記事の基準日
①建物の区分所有等に関する法律26条
https://laws.e-gov.go.jp/law/337AC0000000069
②法務省「老朽化マンション等の管理及び再生の円滑化等を図るための建物の区分所有等に関する法律等の一部を改正する法律について」
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00375.html
③衆議院・第217回国会国土交通委員会法務委員会連合審査会第1号(令和7年5月14日)
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/012521720250514001.htm
④国土交通省「マンション標準管理規約」及び「令和7年マンション標準管理規約の見直し」
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/mansionkiyaku.html
https://www.mansion-info.mlit.go.jp/wp-content/uploads/2025/11/%E4%BB%A4%E5%92%8C7%E5%B9%B4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%A8%99%E6%BA%96%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%A6%8F%E7%B4%84%E6%94%B9%E6%AD%A3%EF%BC%88%E8%AA%AC%E6%98%8E%E8%B3%87%E6%96%99%EF%BC%89.pdf
本記事は令和8年10月16日現在の法令及び公表資料を基準とする。
個別の請求権の帰属又は和解権限は,契約,規約,決議,委任,権利移転及び別段の意思表示によって異なるため,具体的資料に基づく確認が必要である。