目次第1 はじめに――本記事の対象と全体像1 本記事が対象とする算定基準2 医療専門職の視点から論じる意義3 全体を貫く前提――「症状固定」という概念第2 医師の立場から1 「症状固定」の概念と臨床的実態2 治療の「必要性・相当性」の判断3 将来の介護費と後遺障害の評価第3 看護師の立場から1 付添看護費における「完全看護」の実態2 入院雑費と将来介護費の基準額3 看護記録による立証第4 薬剤師の立場から1 症状固定後の薬物療法と「必要性」2 医薬品選択の「相当性」3 柔道整復師等の施術と医薬品第5 理学療法士の立場から1 症状固定とリハビリテーションの継続性2 労働能力喪失率と身体機能評価3 家屋改造費・装具費と生活環境整備第6 作業療法士の立場から1 家事従事者の労働価値の評価2 高次脳機能障害と生活への影響3 装具・器具・家屋改造の選定第7 言語聴覚士の立場から1 言語機能障害(失語症)の深刻さ2 摂食嚥下障害がもたらす影響第8 柔道整復師の立場から1 施術費の「必要性・相当性」2 むち打ち症の慰謝料と施術の実態第9 診療放射線技師の立場から1 「他覚所見のないむち打ち症」と画像診断の限界2 経時的変化の記録としての画像3 被ばくへの配慮と検査の必要性第10 臨床検査技師の立場から1 損害の全体像把握における臨床検査2 素因減額と客観的データ第11 医療ソーシャルワーカーの立場から1 「損害の填補」における制度活用の支援2 家屋改造・転居・成年後見と生活再建3 心理社会的支援の重要性第12 義肢装具士の立場から1 義肢・装具の「必要性」と個別性2 交換の必要性と将来の費用3 技術の進歩と費用の変化第13 結び第14 参考資料
第1 はじめに――本記事の対象と全体像
1 本記事が対象とする算定基準
本記事は,大阪民事交通訴訟研究会編著『大阪地裁における交通損害賠償の算定基準〈第4版〉』(判例タイムズ社,2022年)を対象に,交通事故の損害項目と医療専門職の記録・評価との関係を整理する。
同書の記述を紹介する部分では版と頁を示し,医療実務との接点に関する記事の検討とは区別する。
各職種の見出しは,資料と論点を職種別に整理するための区分である。
以下の医療実務に関する考察は,記事側の検討として読む必要がある。
同基準は,第1編に算定基準(積極損害・消極損害・慰謝料等)を,第2編に基準の解説と裁判例を,第3編に賃金構造基本統計調査・各種係数表・平均余命表等の資料を収める。損害賠償という,本来は金銭に換算しがたいものを扱う司法の場において,このように明確な基準が存在することは,迅速かつ公平な紛争解決に不可欠である。
2 医療専門職の視点から論じる意義
交通事故の被害者は,受傷から治療,症状固定,後遺障害の残存,そして生活の再建に至るまで,数多くの医療専門職と関わる。医師,看護師,薬剤師,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士,柔道整復師,診療放射線技師,臨床検査技師,医療ソーシャルワーカー,義肢装具士――それぞれが被害者の回復と社会復帰に固有の役割を担っている。
これらの専門職が,日々の臨床で得た知見と客観的データを司法の場に提供することは,算定基準を個々の事案の実態に即して適用するための重要な一助となる。本記事は,各専門職の立場から,算定基準の合理性を評価しつつ,臨床の実態と法的判断の接点で留意すべき点を整理するものである。
3 全体を貫く前提――「症状固定」という概念
(1) 症状固定の医学的意味
各専門職の議論に共通する最も重要な概念が「症状固定」である。これは,医学的にこれ以上の改善が見込めず,症状が一進一退の安定した状態に至ったことを指し,損害賠償額算定の起点となる極めて重要なメルクマールである。この概念により賠償の範囲が確定し,訴訟の長期化を防ぐ効果があることは論を俟たない。もっとも,医学的に「治癒」していなくても算定上は症状固定として扱われるため,法的概念と臨床実態との間には,しばしば乖離が生じる。なお,「症状固定」は医学用語でも法令用語でもなく,労災補償の障害等級認定基準が,傷病に対して行われる医学上一般に承認された治療方法をもってしても,その効果が期待し得ない状態(療養の終了)で,かつ,残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に達したときを,負傷が治ったときとしていることに由来する実務上の用語である(小松初男・小林覚・西本邦男編『後遺障害入門 認定から訴訟まで』(青林書院,平成30年)5頁)。
(2) 症状固定後の治療費の原則と例外
交通事故による損害の賠償は,民法709条の不法行為責任に基づき,事故と相当因果関係のある損害に限られる。症状固定後の治療は,一般に「症状の維持・悪化防止」を目的とするものと評価され,事故と相当因果関係のある「治療」とは見なされないため,その費用は原則として賠償の対象外となる。
もっとも算定基準は,「症状の内容・程度に照らし,必要かつ相当なものは認める」との留保を置いている。将来にわたり症状の悪化を防ぐために不可欠な処置など,その必要性・相当性が立証された場合には,症状固定後の費用も損害として認められる余地がある。この留保の柔軟な運用こそ,以下で各専門職が繰り返し論じる論点である。
(3) 損害項目の全体像
交通事故の損害は,治療費や付添費等の積極損害,休業損害や逸失利益等の消極損害,そして精神的損害である慰謝料に大別される。後遺障害が残った場合には,これらに加えて,将来の治療・介護費用,装具・器具購入費,家屋改造費,後遺障害逸失利益,後遺障害慰謝料等が問題となる。なお,人の生命又は身体を害する不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は,民法724条の2により,損害及び加害者を知った時から5年間である。
第2 医師の立場から
医師が作成する診断書,診療録及び意見書は,傷害の内容,治療の必要性及び後遺障害の評価を検討する資料となる。
以下では,これらの記録と損害賠償の算定項目との接点を整理する。
1 「症状固定」の概念と臨床的実態