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過失相殺と素因減額が併存する場合の人身傷害保険会社の代位の範囲――最高裁令和7年7月4日判決(AI作成)

第1 この記事が扱う問題と最高裁令和7年7月4日判決

1 対象と射程

本記事は,最高裁判所令和7年7月4日第三小法廷判決(令和5年(受)第1838号・損害賠償,求償金請求事件・民集第79巻5号2155頁)を対象として,交通事故等の被害者に過失相殺と素因減額の双方がされる事案において,人身傷害保険金を支払った保険会社がどの範囲で被害者の損害賠償請求権を代位取得するかを整理するものである。人身傷害保険金を受け取った被害者が加害者に残額を請求する場面では,保険会社の代位の範囲がそのまま被害者の請求可能額を決めるから,代位の範囲は被害者側にとっても加害者側にとっても直接に金額を左右する。過失相殺だけがされる場合の代位の範囲は最高裁判所平成24年2月20日第一小法廷判決によって決着していたが,そこに素因減額が加わる場合の処理は下級審裁判例も学説も分かれており,令和7年判決はこの点に初めて判断を示したものである。本記事は,判決全文,e-Gov法令検索の条文本文及び公表された実務文献を確認した上で,生成AIを用いて整理した。

素因減額そのものの要件,判断枠組み及び主張立証については,素因減額の要件・判例・主張立証と計算方法で扱っている。人身傷害保険の補償範囲,人傷先行と賠償先行の選択及び自賠責保険からの回収については,人身傷害保険の補償範囲と請求順序で扱っている。本記事は,これらと重複しない範囲で,代位の範囲という一点に絞って検討する。

2 事案及び原審の判断

事案は,平成30年5月,被害者が普通乗用自動車を運転して駐車場に進入した際,設置又は保存の瑕疵に当たる路面の陥没に右前輪が入り込み,その衝撃で腰椎椎間板ヘルニア等の傷害を負ったというものである。被害者には陥没の発見が遅れた過失があり,過失割合は2割とされた。また,被害者には事故前から第5腰椎と第1仙椎の間の椎間板に変性が生じており,腰椎椎間板ヘルニアはこの変性に事故による外力が加わったことにより生じたものと認定された。被害者は,駐車場を所有管理していた会社に対して工作物責任に基づく損害賠償を求めるとともに,自動車保険契約の保険会社から人身傷害保険金666万3789円の支払を受けていた。

原審である仙台高等裁判所令和5年6月13日判決は,椎間板の変性をもって素因減額をするのが相当であるとした上で,保険会社は人身傷害保険金の額と素因減額後の損害額のうちいずれか少ない額を限度として損害賠償請求権を代位取得するとし,本件では保険金の額と過失相殺後の損害額との合計額1193万5047円から素因減額後の損害額658万9073円を控除した残額534万5974円の範囲で代位取得するから,被害者の損害賠償請求権は全部が代位されたとして請求を棄却した。最高裁判所はこの判断を是認し,上告を棄却した。

第2 前提となる二つの法理

1 素因減額

被害者の疾患が損害の発生又は拡大に寄与した場合の減額について,最高裁判所平成4年6月25日第一小法廷判決(昭和63年(オ)第1094号・民集第46巻4号400頁)は,「被害者に対する加害行為と被害者のり患していた疾患とがともに原因となって損害が発生した場合において,当該疾患の態様,程度などに照らし,加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは,裁判所は,損害賠償の額を定めるに当たり,民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して,被害者の当該疾患をしんしゃくすることができる」と判示した。心因的要因については最高裁判所昭和63年4月21日第一小法廷判決(昭和59年(オ)第33号・民集第42巻4号243頁)が同様に民法722条2項の類推適用を認めている。

疾患に当たると認められる場合には,斟酌の可否は周辺の事情によって左右されない。最高裁判所平成8年10月29日第三小法廷判決(平成5年(オ)第1603号・損害賠償請求反訴事件・交通事故民事裁判例集29巻5号1272頁。裁判所ウェブサイト未掲載)は,追突事故の被害者が事故前から頸椎後縦靱帯骨化症に罹患しており,これが治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していた事案において,前掲平成4年6月25日判決を引用した上で,「このことは,加害行為前に疾患に伴う症状が発現していたかどうか,疾患が難病であるかどうか,疾患に罹患するにつき被害者の責めに帰すべき事由があるかどうか,加害行為により被害者が被った衝撃の強弱,損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者の多寡等の事情によって左右されるものではない」と判示し,これらの事情を理由に疾患の斟酌を否定した原判決を破棄して差し戻した。素因減額が争われる場面では,事故前に症状が出ていなかったこと,疾患が難病であること,罹患について被害者に落ち度がないことなどが減額を否定する事情として持ち出されやすいが,同判決はこれらをいずれも決め手としない。

もっとも,減額の対象は無限定ではない。最高裁判所平成8年10月29日第三小法廷判決(平成5年(オ)第875号・民集第50巻9号2474頁)は,「被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても,それが疾患に当たらない場合には,特段の事情の存しない限り,被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできない」とし,その理由として,極端な肥満など通常人の平均値から著しくかけ離れた身体的特徴を有する者が日常生活において通常人に比べてより慎重な行動をとることが求められるような場合は格別,「その程度に至らない身体的特徴は,個々人の個体差の範囲として当然にその存在が予定されているものというべきだから」と説示した。首が長くこれに伴う多少の頸椎不安定症があるという身体的特徴による減額は否定されている。この「疾患か,個体差の範囲内の身体的特徴か」という区別は,後述するとおり令和7年判決の射程を考える際にも効いてくる。

2 過失相殺がされる場合の代位範囲――裁判基準差額説

最高裁判所平成24年2月20日第一小法廷判決(平成21年(受)第1461号・第1462号・民集第66巻2号742頁)は,人身傷害条項に基づく保険金が「被害者が被る実損をその過失の有無,割合にかかわらず塡補する趣旨・目的の下で支払われる」ものであることから,約款の代位条項にいう「保険金請求権者の権利を害さない範囲」との文言を,保険金請求権者が過失相殺前の損害額(裁判基準損害額)を確保できるように解するのが合理的であるとした上で,「上記保険金の額と被害者の加害者に対する過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が裁判基準損害額を上回る場合に限り,その上回る部分に相当する額の範囲で保険金請求権者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得する」と判示した。実質的には,人身傷害保険金がまず被害者の過失割合に対応する自己負担部分に充てられ,これを超える部分だけが代位に回るという処理である。同判決は,人身傷害保険金が損害の元本を塡補するものであって遅延損害金を塡補するものではないから,代位の対象も元本の支払請求権に限られることもあわせて判示している。

最高裁判所平成24年5月29日第三小法廷判決(平成22年(受)第2035号・集民第240号261頁)は同じ枠組みを確認し,比較の基準となるのは約款所定の算定基準による人傷基準損害額ではなく裁判基準損害額であることを明らかにした。同判決の補足意見は,同一の約款の下で保険金の支払と加害者からの賠償金の支払との先後によって被害者が受領できる金額が異なるのは好ましくないとして,保険約款の見直しが速やかにされることを期待すると述べていた。この指摘を受けて約款は改定され,最高裁判所令和4年3月24日第一小法廷判決(令和2年(受)第1198号・民集第76巻3号350頁)及び最高裁判所令和5年10月16日第一小法廷判決(令和4年(受)第648号・集民第270号173頁)が認定する現行の代位条項は,裁判基準差額説の内容を約款自体の文言として規定している。したがって現在の事案では,この処理は判例法理としてだけでなく約款の文言として直接に働く。

3 保険法25条と約款との関係

保険法25条1項は,保険者は保険給付を行ったときは「当該保険者が行った保険給付の額」と「被保険者債権の額(前号に掲げる額がてん補損害額に不足するときは,被保険者債権の額から当該不足額を控除した残額)」のうちいずれか少ない額を限度として被保険者に代位すると定めており,条文自体が差額説を採用している。人身傷害保険は保険法2条7号の傷害疾病損害保険契約に当たり,同法35条の読替規定により25条及び26条の適用を受ける。そして同法26条は,24条及び25条の規定に反する特約で被保険者に不利なものを無効とするから,25条は片面的強行規定である。約款の裁判基準差額説は,比較の基準を人傷基準損害額よりも大きい裁判基準損害額に取ることで代位の範囲を狭め,被保険者に有利な内容となっているから,同条に反しない。もっとも最高裁判所は,令和7年判決を含め一貫して「保険会社がいかなる範囲で保険金請求権者の上記請求権を代位取得するのかは,上記約款の定めるところによる」という約款解釈の枠組みで処理しており,保険法25条を正面から適用してはいない。約款の文言解釈が結論を左右する構造については,保険約款の文言の解釈方法も参照されたい。

第3 最高裁令和7年7月4日判決の判断

1 判旨

最高裁判所は,まず代位の範囲が約款の定めによることを平成24年2月20日判決を引用して確認した上で,本件約款の限定支払条項について,人身傷害保険金が事故により生じた損害の塡補を目的として支払われるものであることから,「その影響の度合いに応じて保険金の一部を減額して支払うものとすることにより,既存の身体の障害又は疾病による影響に係る部分を保険による損害填補の対象から除外する趣旨を明らかにしたもの」と解した。そして次のとおり判示した。

したがって,上記人身傷害条項の被保険者である被害者に対する加害行為と加害行為前から存在していた被害者の疾患とが共に原因となって損害が発生した事案について,裁判所が,損害賠償の額を定めるに当たり,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,上記疾患をしんしゃくし,その額を減額する場合において,上記疾患が本件限定支払条項にいう既存の身体の障害又は疾病に当たるときは,被害者に支払われた人身傷害保険金は,上記疾患による影響に係る部分を除いた損害を填補するものと解すべきである。

以上によれば,上記の場合において,上記疾患が本件限定支払条項にいう既存の身体の障害又は疾病に当たるときは,被害者に対して人身傷害保険金を支払った訴外保険会社は,支払った人身傷害保険金の額と上記の減額をした後の損害額のうちいずれか少ない額を限度として被害者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得すると解するのが相当である。このことは,訴外保険会社が人身傷害保険金の支払に際し,本件限定支払条項に基づく減額をしたか否かによって左右されるものではない。

2 限定支払条項の位置付け

限定支払条項とは,被保険者が傷害を被った時に既に存在していた身体の障害又は疾病の影響により傷害が重大となった場合には,保険会社はその影響がなかったときに相当する金額を支払う旨の条項をいい,人身傷害条項に一般に置かれている。判決の論理は,この条項が単に支払額を調整するものではなく,保険が塡補の対象とする損害の範囲そのものを画するものだと読んだ点にある。この読み方は約款の文言からも裏付けられる。公表されている自動車保険約款には,搭乗者傷害条項等の同種の条項が「その影響がなかったときに相当する金額を支払います」と定めるのに対し,人身傷害条項の限定支払条項だけが「その影響がなかったときに相当する金額を損害額とします」と定めている例があり,前者が支払額の調整を意味するのに対し,後者は損害額の認定そのものを規律する書き方になっている。もっとも約款の文言は保険会社及び改定時期によって異なり得るから,個別の事案では当該契約に適用される約款の文言を確認する必要がある。

3 補足意見

林道晴裁判官の補足意見は,素因減額も民法722条2項の類推適用を根拠とする以上,過失相殺と同様に扱うべきだという上告人の主張を,次のとおり退けている。

しかし,素因減額は,基本的には,被害者に対する加害行為と加害行為前から存在していた被害者の疾患とが共に原因となった場合における損害額の発生そのものに係る局面の問題であり,発生した損害額について公平な分担のための調整を図る過失相殺の問題とは局面が異なるのである。

過失相殺は,既に発生した損害額をどう分担させるかという調整の問題であり,代位はその調整の内部で働く。これに対して素因減額は,賠償されるべき損害額がどこまで生じているかという入口の問題であって,保険が何を塡補するかという限定支払条項の話と同じ層にある,という切り分けである。この整理に対しては,素因減額における過失相殺規定の類推適用という技法は発生した損害額のすべてを不法行為と相当因果関係のある損害と評価した上で公平の観点から減額を認めるものであるから,減額される部分についてそもそも損害が発生していないという趣旨であれば適切ではない,との批判が実務文献において示されている。

4 「限度として」の意味

判旨は「いずれか少ない額を限度として」代位取得すると述べるが,これを代位額そのものを定めた式と読むのは正確ではない。判決は原審の判断を「以上と同旨の見解に立って」正当と是認しているところ,原審は,上限としてこの少ない方の額を画した上で,その枠内では平成24年2月20日判決の裁判基準差額説をなお適用し,基準となる損害額を裁判基準損害額から素因減額後の損害額に置き換えて代位額を算出している。すなわち令和7年判決がしたのは,差額説の放棄ではなく,差額説における基準額の置換えである。本件では,上限は人身傷害保険金666万3789円と素因減額後の損害額658万9073円のうち少ない658万9073円であり,実際の代位額は保険金と過失相殺後の損害額との合計額1193万5047円から素因減額後の損害額を控除した534万5974円である。この額が既払金控除後の残元本447万1258円を上回るため,損害賠償請求権は全部が代位され,請求が棄却された。

第4 判決前の裁判例及び学説の状況

1 裁判例

判決前の下級審裁判例は分かれていた。実務文献の整理によれば,人身傷害保険金が素因減額部分に充当されると判断した裁判例として京都地方裁判所令和3年5月11日判決(交通事故民事裁判例集54巻3号583頁)及び広島高等裁判所令和3年1月29日判決(自保ジャーナル2089号11頁)があり,充当されないと判断した裁判例として大阪地方裁判所平成24年9月19日判決(交通事故民事裁判例集45巻5号1164頁),大阪地方裁判所平成25年11月21日判決(交通事故民事裁判例集46巻6号1479頁),仙台高等裁判所平成29年11月24日判決(自保ジャーナル2022号1頁)及び大阪地方裁判所令和5年3月28日判決(自保ジャーナル2152号67頁)があるとされる。数の上では充当を否定する裁判例が優勢であったといわれ,令和7年判決はこの多数の実務を最高裁として追認したものと位置付けられる。これらの下級審裁判例はいずれも裁判所ウェブサイトに掲載されておらず,本記事では,日弁連交通事故相談センター東京支部及び同センターが公刊する実務書による整理として書誌を示すにとどめ,判示内容の詳細には立ち入らない。

充当を否定した大阪地方裁判所平成24年9月19日判決については,約款の文言上,素因がある場合の保険金は素因がない場合の人身損害を対象として支払われるものと解するほかないこと,及び本来的に過失と素因とは異質なものであることを理由としたと紹介されており,令和7年判決の論理と重なる。

2 学説

学説も二つに分かれていた。人身傷害保険金は素因減額部分を塡補するものではないとする見解は,人身傷害保険が急激かつ偶然な外来の事故を保険事故とする傷害保険として構成されており,そこから疾病リスクを除外するために限定支払条項が置かれていること,したがって約款の文言上,素因減額を過失相殺と同様に扱うことには無理があることを論拠とする。これに対して塡補を認めるべきだとする見解は,素因減額も類推適用とはいえ民法722条2項を根拠とすること,及び人身傷害保険の趣旨・目的は被保険者が被る実損をその過失の有無,割合にかかわらず塡補する点にあることを論拠としていた。前者が優勢であったとされ,令和7年判決はこれに沿う。

さらに,前者の立場を採りつつ,保険会社が限定支払条項を適用せずに満額を支払った場合には,既存の障害又は疾病の影響がないと判断して全損害を塡補する趣旨で支払ったといえるから,その後の訴訟で素因減額が認められても保険金は素因減額部分の塡補に充てられるとする見解もあった。令和7年判決の判旨末尾が「限定支払条項に基づく減額をしたか否かによって左右されるものではない」とわざわざ述べているのは,この見解を明示的に否定する趣旨と読むのが自然である。本件の上告人の主張もこの筋のものであり,実務文献は,この主張が容れられていれば被害者にはなお194万9172円の損害賠償請求権が残っていたはずであると試算している。

3 平成24年最高裁判決の調査官解説との関係

見落とされやすいのは,平成24年2月20日判決の調査官解説が,私見と断りつつ,約款に素因減額の分について限定支払条項があったとしても,代位の場面では被害者が被る実損をその過失の有無,割合にかかわらず塡補するという人身傷害保険の趣旨・目的に照らし,同判決の示した法理が適用されてよいと思われる,と述べていたことである(榎本光宏『最高裁判所判例解説民事篇(平成24年度)』)。令和7年判決はこれとは異なる結論に至ったことになる。調査官解説は判決そのものではないから判例としての拘束力を持たないが,平成24年判決の射程が素因減額の場面にも及ぶという読み方に有力な支えがあったことは,判決前の実務の混乱を理解する上で重要である。令和7年判決は,その読み方を採らないことを明らかにしたものと整理できる。

第5 計算方法

1 計算の順序

令和7年判決の事案は,計算の順序をそのまま示している。すなわち,①総損害額を確定し,②素因減額をし,③過失相殺をし,④既払金を控除する。素因減額と過失相殺はいずれも乗算であるから最終的な金額は順序に依存しないが,代位額の算定基準となるのは②の段階の「素因減額後・過失相殺前の損害額」であるから,書面ではこの段階の金額を明示する必要がある。損益相殺との関係を含む控除の順序一般については,損益相殺とは―労災保険給付・年金・保険金の控除と計算順序を参照されたい。

2 判決の事案における計算

項目金額
総損害額941万2961円
素因減額(3割)△282万3888円
素因減額後の損害額658万9073円
過失相殺(2割)△131万7815円
過失相殺後の損害額527万1258円
既払金△80万円
既払金控除後の残元本447万1258円
支払済みの人身傷害保険金666万3789円
代位額(保険金+過失相殺後損害額−素因減額後損害額)534万5974円

代位額が残元本を上回るため,被害者が加害者に請求できる額は零となる。これに対し,人身傷害保険金が素因減額前の総損害額を塡補するという上告人の立場によれば,比較の基準が941万2961円となるため代位額は252万2086円にとどまり,被害者にはなお194万9172円が残ることになる。約195万円の差が,どの損害額を基準に取るかという一点から生じている。

3 素因減額が代位に与える二重の効果

一般化すると,総損害額をL,素因減額率をs,被害者の過失割合をk,支払済みの人身傷害保険金をPとすれば,素因減額後の損害額はL×(1−s),過失相殺後の損害額はこれに(1−k)を乗じた額となり,被害者の自己負担部分はその差額である。人身傷害保険金はまずこの自己負担部分に充てられるから,代位はPがこれを超えて初めて生じる。ここで注意を要するのは,令和7年判決の下では自己負担部分が素因減額後の損害額を基準に算定される点である。素因減額部分は自己負担部分に含まれない。

その結果,素因減額には二つの効果が生じる。第一に,損害額そのものが(1−s)倍に減る。第二に,人身傷害保険金が加害者への請求額に食い込み始める水準が下がる。素因減額がない場合の自己負担部分はL×kであるのに対し,素因減額がされるとL×(1−s)×kとなり,sの分だけ小さくなるからである。素因減額を主張する側にとっては,損害額の減少だけでなく,既払の人身傷害保険金が請求額を圧縮し始める閾値が下がることも効いてくる。逆に被害者側から見れば,素因減額が認められると,人身傷害保険による塡補が及ばない自己負担部分が相対的に大きくなる。

第6 実務上の留意点

1 約款に限定支払条項があるかの確認

令和7年判決の規範は,「上記疾患が本件限定支払条項にいう既存の身体の障害又は疾病に当たるとき」という条件付きである。したがって,当該契約に適用される約款に限定支払条項が置かれていることが出発点となる。人身傷害条項には一般に置かれているが,保険会社及び改定時期によって文言が異なり得るから,主張の前提として約款の該当条項を確認することになる。相手方が受領した保険金の額及び約款の内容は当方が当然に把握できるものではないから,訴訟では釈明を求めて約款の提出を得る必要が生じる。

2 素因減額の対象と限定支払条項の射程のずれ

素因減額は「疾患」以外の事情によってもされ得るのに対し,限定支払条項の対象は「既存の身体の障害又は疾病」である。両者の範囲は一致しない。疾患であれば双方に当たるが,加齢による変性,疾患に至らない身体的特徴及び心因的要因については,限定支払条項の対象となるかがそもそも問題になる。特に心因的要因は,最高裁判所昭和63年4月21日判決以来,民法722条2項の類推適用による減額の対象とされてきたが,身体の障害又は疾病ではないから,限定支払条項の文言には素直には収まらない。心因的要因を理由に素因減額がされた場合の人身傷害保険金の塡補範囲について最高裁判所の判断はなく,令和7年判決の論理が及ぶかは今後の課題として残る。また,疾患に至らない身体的特徴については,前掲平成8年10月29日判決により,そもそも素因減額自体が特段の事情のない限り否定される。素因減額を主張する側は,加齢や姿勢といった事情を並べるよりも,診療記録等から「疾患」といえる事情を特定する方が,減額の可否と代位の処理の双方において筋が通る。

3 費目拘束

人身傷害保険金を損害額と比較する際に,治療費,休業損害,慰謝料といった損害項目ごとに比較すべきか,損害の積算額で比較すべきかという問題がある。損害項目ごとに比較すべきとした裁判例もあるが,積算額で比較すべきとする裁判例が多いとされ,学説も積算額による比較を支持するものが多いといわれる。もっとも損害項目別の比較を主張する見解もあり,外貌醜状のように裁判所の認定額が人傷基準を下回り得る費目があるため,実益がなくなったわけではない。

4 人傷先行と賠償先行

裁判基準差額説は,人身傷害保険金の支払が先行し,保険会社の代位と被害者の損害賠償請求権が競合する場面についての法理である。加害者からの賠償が先行した場合に,保険会社が支払うべき人身傷害保険金の計算にまで同じ考え方を及ぼせるかは別問題であり,大阪高等裁判所平成24年6月7日判決(平成23年(ネ)第2046号・保険金請求事件)は,平成24年2月20日判決は保険金の支払が先行した場面について訴訟基準差額説を採ることを認めたものにすぎないとし,賠償先行の事案における支払保険金の算定に同説を用いることは約款の解釈論として採用する余地がないと判示している。どちらを先行させるかによって最終的な取得額が変わり得るため,請求の順序の選択は実務上の判断事項となる。

出典・参考資料

法令

裁判例(裁判所ウェブサイト掲載)

裁判例(裁判所ウェブサイト未掲載)

以下のうち最高裁判所平成8年10月29日判決(平成5年(オ)第1603号)は判例秘書で全文を確認した。その余の各裁判例は裁判所ウェブサイトに掲載されておらず,本記事では下記文献による整理として書誌を示すにとどめている。

  • 最高裁判所平成8年10月29日第三小法廷判決・平成5年(オ)第1603号・損害賠償請求反訴事件・交通事故民事裁判例集29巻5号1272頁(判例秘書)
  • 京都地方裁判所令和3年5月11日判決・交通事故民事裁判例集54巻3号583頁
  • 広島高等裁判所令和3年1月29日判決・自保ジャーナル2089号11頁
  • 大阪地方裁判所令和5年3月28日判決・自保ジャーナル2152号67頁
  • 仙台高等裁判所平成29年11月24日判決・自保ジャーナル2022号1頁
  • 大阪地方裁判所平成25年11月21日判決・交通事故民事裁判例集46巻6号1479頁
  • 大阪地方裁判所平成24年9月19日判決・交通事故民事裁判例集45巻5号1164頁

文献

  • 公益財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部編『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準 2026年版 下巻(講演録編)』「重要最高裁判例情報」183頁~190頁
  • 公益財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部編『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準 2026年版 上巻(基準編)』319頁
  • 公益財団法人日弁連交通事故相談センター編『交通事故損害額算定基準――実務運用と解説――』(27訂版,令和2年)191頁~192頁
  • 坂東総合法律事務所編『実務家が陥りやすい交通事故事件の落とし穴』(新日本法規出版,令和2年)199頁~202頁
  • 交通事故賠償研究会編『交通事故診療と損害賠償実務の交錯』(創耕舎,平成28年)105頁~106頁
  • 加藤新太郎=谷口園恵編『裁判官が説く民事裁判実務の重要論点[交通損害賠償編]』(第一法規,2021年)60頁~61頁
  • 『被害者側弁護士のための交通賠償法実務』(日本評論社,令和7年)112頁~113頁,574頁
  • 榎本光宏『最高裁判所判例解説民事篇(平成24年度)』
  • 渡邉隆浩「最高裁 時の判例」ジュリスト2026年5月号(No.1622)105頁~108頁
  • 不法行為法研究会編『交通事故民事裁判例集 第54巻 索引・解説号』(ぎょうせい,2023年)21頁~23頁
  • 藤村和夫ほか編『実務交通事故訴訟大系② 責任と保険』(ぎょうせい)487頁
  • 鴻常夫編『註釈自動車保険約款(上)』(有斐閣,1995年)251頁

ウェブ資料