損益相殺は,損害賠償額を算定する際,被害者が同じ原因によって得た利益を損害から控除する考え方である。
もっとも,労災保険給付,公的年金,生命保険金,人身傷害保険金等は,名称だけで控除の可否を決めることができない。
本記事では,損害項目との対応,支給の確定,受給者,過失相殺との順序及び各制度の調整規定を分けて説明する。
第1 損益相殺と損益相殺的な調整
1 損益相殺の意味
不法行為等によって損害を受ける一方,同じ原因によって利益を得た場合に,その利益を控除しなければ被害者が損害額を超える回復を受けることがある。
このような利益を損害から控除する考え方が損益相殺である。
労災保険給付や公的年金については,給付制度の趣旨,給付の対象となる損害及び代位・求償の仕組みを踏まえて調整するため,最高裁判例は「損益相殺的な調整」という表現を用いている。
最高裁平成22年9月13日第一小法廷判決及び最高裁平成22年10月15日第二小法廷判決は,社会保険給付による填補の対象となる特定の損害と同性質であり,かつ,相互補完性を有する損害の元本との間で調整すると判示している。
2 控除の可否を判断する順序
控除の可否は,次の順序で確認すると整理しやすい。
- ① 事故と利益との間に原因関係があるか。
- ② 給付が填補する損害と,賠償を求める損害とが同性質であり,相互補完性を有するか。
- ③ 給付が現実に支給されたか,又は支給を受けることが確定したか。
- ④ 給付の受給権者と損害賠償請求権者が同一か。
- ⑤ 過失相殺その他の減額と給付の控除のどちらを先に行うか。
- ⑥ 法令,約款,労働協約,就業規則,補償規程,示談書又は和解条項に特別の調整規定があるか。
「保険金」「年金」「見舞金」等の名称だけから,控除される又は控除されないと断定することはできない。
第2 労災保険給付と損害項目との対応
1 同一の事由に当たる主な組合せ
労災保険給付と民事上の損害項目との主な対応は,次のとおりである。
| 労災保険給付 | 対応する主な損害項目 | 控除範囲の要点 |
|---|---|---|
| 療養補償給付・療養給付 | 治療費 | 給付と同性質であり,相互補完性を有する治療関係費の範囲 |
| 休業補償給付・休業給付 | 休業損害 | 休業によって得られなかった利益の範囲 |
| 傷病補償年金・傷病年金 | 休業損害・逸失利益 | 給付が対象とする消極損害の範囲 |
| 障害補償給付・障害給付 | 後遺障害逸失利益 | 身体障害によって失われた利益の範囲 |
| 介護補償給付・介護給付 | 介護費用 | 給付と同性質の介護費用の範囲 |
| 遺族補償給付・遺族給付 | 死亡逸失利益等 | 受給権者が失った被扶養利益等の範囲 |
| 葬祭料・葬祭給付 | 葬祭費 | 葬祭費用の範囲 |
大分労働局「民事損害賠償と労災保険との調整方法について」も,労災保険給付ごとに対応する損害項目を示している。
療養給付を入院雑費,通院交通費その他の治療周辺費用から控除できる範囲には裁判例上の幅があるため,積極損害全体から一律に控除するのではなく,各費用との同性質性及び相互補完性を確認する必要がある。
2 慰謝料から労災保険給付を控除することはできない
労災保険には,精神的苦痛を填補する慰謝料に対応する保険給付がない。
最高裁昭和62年7月10日第二小法廷判決は,休業補償給付,傷病補償年金及び障害年金を,財産的損害のうちの積極損害又は精神的損害から控除することはできないと判示した。
したがって,労災保険給付が逸失利益の認定額を上回っても,その超過額を慰謝料から差し引くことはできない。
3 時的範囲と人的範囲
(1) 現実に支給された額又は支給が確定した額
年金が将来支給される可能性があるだけでは,その全額を直ちに損害賠償額から控除することはできない。
最高裁平成27年3月4日大法廷判決は,遺族補償年金の支給を受け,又は支給を受けることが確定したときに,被扶養利益の喪失による損害と同性質であり,相互補完性を有する逸失利益等の消極損害の元本との間で調整すると判示した。
同判決及び平成22年の各最高裁判決によれば,制度の予定と異なる著しい支給遅滞等の特段の事情がない限り,対象損害は不法行為時に填補されたものと法的に評価される。
(2) 給付を受ける者の損害賠償債権との調整
遺族年金等については,給付を受ける相続人と損害賠償を請求する相続人が一致するかを確認する必要がある。
最高裁平成16年12月20日第二小法廷判決は,死亡を原因として遺族厚生年金の受給権を取得した相続人の損害賠償請求において,その相続人について支給が確定した遺族厚生年金を控除すると判示した。
別の相続人が受給する年金を,受給権を有しない相続人の損害賠償債権から当然に控除することはできない。
第3 労災保険給付と損害賠償の先後関係
1 労災保険給付が先に行われた場合の求償
労働者災害補償保険法12条の4第1項は,第三者の行為によって事故が生じ,政府が保険給付をした場合,給付価額の限度で受給者の第三者に対する損害賠償請求権を取得すると定める。
これは,労災保険給付によって填補された部分について,政府が加害者又はその保険会社に求償する仕組みである。
2 損害賠償が先に行われた場合の控除
同条2項は,保険給付を受けるべき者が第三者から同一の事由について損害賠償を受けたとき,政府がその価額の限度で保険給付をしないことができると定める。
したがって,示談金又は保険金を先に受領した場合は,その名称ではなく,どの損害項目について支払われたかを確認する必要がある。
慰謝料等,労災保険給付と同一の事由に当たらない損害について受けた賠償は,この控除の対象ではない。
3 使用者による損害賠償と労災保険法附則64条
被災労働者又は遺族が使用者に損害賠償を請求する場合は,第三者行為災害を定める12条の4とは別に,労災保険法附則64条が問題となる。
同条は,年金給付と同一の事由について使用者から損害賠償を受けることができる場合の履行猶予及び免責並びに,損害賠償を先に受けた場合の保険給付の支給調整を定める。
厚生労働省の昭和56年6月12日付通達は旧条番号である法67条2項を表題に残しているが,同省掲載ページは現行の附則64条2項に対応することを明示している。
第三者から受ける賠償と使用者から受ける賠償とでは,適用される調整規定が異なるため,両者を一括して扱うことはできない。
第4 損益相殺と過失相殺の計算順序
1 労災保険給付は過失相殺後に控除する
最高裁平成元年4月11日第三小法廷判決は,第三者行為災害について被災労働者にも過失がある場合,損害額から被災労働者の過失割合による減額をした後,労災保険給付の価額を控除すると判示した。
したがって,労災保険給付についての基本式は,次のとおりである。
請求可能額=同一費目の損害額×(1-被害者の過失割合)-同一の事由に対応する労災保険給付額
ここで用いるのは,被請求者である加害者の過失割合ではなく,被害者である被災労働者の過失割合である。
2 支出を免れた利益は控除後に過失相殺をする
最高裁令和8年7月7日第三小法廷判決は,火災事故によって代替処理費を支出する一方,従前必要であった運転管理費の支出を免れた事案について,支出を免れた費用を控除した後に過失相殺をすると判示した。
これは,事故によって支出を免れた利益を扱う支出節約型の損益相殺である。
これに対し,平成元年4月11日判決は,事故後に第三者から労災保険給付を受ける第三者給付型を扱ったものである。
令和8年判決によって,労災保険給付を過失相殺後に控除する平成元年判決のルールが変更されたわけではない。
3 計算例
(1) 労災保険給付が300万円の場合
同一費目の損害額が1000万円,被害者の過失割合が20%,同一の事由に対応する労災保険給付が300万円であると仮定する。
1000万円×(1-20%)-300万円=500万円となる。
(2) 事故によって200万円の支出を免れた場合
代替費用が1000万円,事故によって支出を免れた同質の費用が200万円,被害者の過失割合が20%であると仮定する。
(1000万円-200万円)×(1-20%)=640万円となる。
これらは計算順序を示すための設例であり,個別事件の損害額を示すものではない。
第5 特別支給金,企業内補償及び示談金
1 労災保険の特別支給金は控除されない
休業特別支給金,障害特別支給金等は,本来の保険給付とは別に,労災保険法29条1項の社会復帰促進等事業として支給される。
労働者災害補償保険特別支給金支給規則1条も,現行法29条1項を根拠条文としている。
最高裁平成8年2月23日第二小法廷判決は,特別支給金を被災労働者の損害額から控除することはできないと判示した。
同判決当時と現行法とでは根拠条文の番号が異なるため,現行制度を旧法23条に基づくものとして説明するのは正確でない。
2 企業内補償,和解金及び見舞金は文言と目的で判断する
企業内補償,示談金,和解金又は見舞金は,その名称だけで労災保険給付との調整の有無を決めることができない。
厚生労働省の昭和56年6月12日付通達は,行政上の支給調整について,次の取扱いを示している。
- ① 企業内労災補償は,規程上,労災保険給付相当分を含むことが明らかな場合を除き,原則として支給調整をしない。
- ② 将来の労災保険給付を前提とする上積みの示談金及び和解金は,原則として支給調整をしない。
- ③ 民事損害賠償の性質を有しない単なる見舞金は,支給調整をしない。
もっとも,企業内補償と使用者の民事上の損害賠償との関係は,労働協約,就業規則,補償規程及び支払時の合意を解釈して判断する別の問題である。
3 示談前に確認すべき事項
示談書又は和解条項を作成する際は,少なくとも次の事項を区別する必要がある。
- ① 支払額が治療費,休業損害,逸失利益,慰謝料その他のどの損害項目に対応するか。
- ② 既払又は将来の労災保険給付を前提とする上積み額であるか。
- ③ 清算条項が対象とする請求権の範囲はどこまでか。
- ④ 労災保険法12条の4又は附則64条による求償若しくは支給調整が生じるか。
示談書に労災保険給付を除外すると記載すれば常に将来給付が維持されるとは限らず,実際の損害項目,支払目的及び法定の調整規定に即して判断される。
第6 公的年金と民間保険金
1 遺族補償年金と遺族厚生年金
遺族補償年金は,受給権者について支給を受け,又は支給を受けることが確定した額を,被扶養利益の喪失による損害と同性質であり,相互補完性を有する逸失利益等から調整する。
遺族厚生年金についても,死亡を原因として受給権を取得した相続人の損害賠償請求との間で調整が問題となる。
もっとも,労災保険の遺族補償年金における生計維持要件と,公的年金における生計同一及び収入の要件は,制度の組立てが異なる。
日本年金機構「生計維持」が示す公的年金の要件と労災保険の要件を,どちらが一律に緩やかであるかという形で比較するのは適切でない。
2 老齢年金は事故を原因とする給付ではない
老齢基礎年金及び老齢厚生年金は,事故によって支給原因が生じる給付ではないため,事故後に受給を続けた年金を事故による利益として損害額から一律に控除することはできない。
死亡によって将来の老齢年金を受給できなくなった場合に,その喪失を逸失利益として評価できるかという問題は,遺族年金の控除とは別に検討する必要がある。
3 生命保険金,傷害給付金及び搭乗者傷害保険金
最高裁昭和39年9月25日第二小法廷判決は,生命保険金を死亡による損害賠償額から控除すべきでないと判示した。
最高裁昭和55年5月1日第一小法廷判決は,生命保険契約の特約に基づく傷害給付金又は入院給付金について,第三者に対する損害賠償請求権を失わせる保険代位の適用を否定した。
最高裁平成7年1月30日第二小法廷判決も,定額の搭乗者傷害死亡保険金を相続人の損害額から控除すべきでないと判示した。
ただし,保険約款に損害填補及び代位の定めがある保険は,定額給付型の保険と同じ結論になるとは限らない。
4 人身傷害保険と政府保障事業
人身傷害保険では,損益相殺という名称よりも,約款に基づく保険会社の代位範囲が問題となる。
最高裁平成24年2月20日第一小法廷判決及び最高裁平成24年5月29日第三小法廷判決は,被害者の権利を害さない旨の約款の下では,人身傷害保険金と過失相殺後の損害賠償請求権の合計が過失相殺前の損害額を上回る場合に限り,その超過部分について保険会社が代位すると判示した。
最高裁令和4年3月24日第一小法廷判決は,人傷一括払の事案で,保険会社が保険代位できる範囲を超えて自賠責保険の支払相当額を被害者の損害賠償請求権から控除することを否定した。
また,自動車損害賠償保障法の政府保障事業には独自の控除規定がある。
最高裁平成21年12月17日第一小法廷判決は,同事業における他法令給付に当たる年金について,支給が確定した額だけでなく,将来給付分を含む年金額を控除して政府の填補額を算定すると判示した。
これは政府保障事業の法定計算に関する判断であり,民事上の損害賠償一般について将来年金を常に控除するという意味ではない。
第7 租税と養育費を控除しない例
1 得べかりし営業利益に対する租税
最高裁昭和45年7月24日第二小法廷判決は,負傷によって失われた営業上の利益を算定する際,その営業収益に課されるはずであった所得税その他の租税を控除すべきでないと判示した。
2 死亡した幼児について不要となった養育費
最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決は,交通事故で死亡した幼児の逸失利益を算定する際,相続人が支出を免れた将来の養育費を控除すべきでないと判示した。
令和8年7月7日判決の支出節約型の判断は,この幼児の養育費に関する判例を変更したものではなく,利益と損害との同質性,因果関係及び従来の判例の射程を個別に検討する必要がある。
第8 関連する資料及び記事
第9 出典
1 法令
2 裁判例
- ① 最高裁昭和62年7月10日第二小法廷判決(昭和58年(オ)第128号,民集41巻5号1202頁)
- ② 最高裁平成元年4月11日第三小法廷判決(昭和63年(オ)第462号,民集43巻4号209頁)
- ③ 最高裁平成8年2月23日第二小法廷判決(平成6年(オ)第992号,民集50巻2号249頁)
- ④ 最高裁平成16年12月20日第二小法廷判決(平成16年(受)第525号,裁判集民事215号987頁)
- ⑤ 最高裁平成21年12月17日第一小法廷判決(平成20年(受)第1192号,民集63巻10号2566頁)
- ⑥ 最高裁平成22年9月13日第一小法廷判決(平成20年(受)第494号,民集64巻6号1626頁)
- ⑦ 最高裁平成22年10月15日第二小法廷判決(平成21年(受)第1932号,裁判集民事235号65頁)
- ⑧ 最高裁平成24年2月20日第一小法廷判決(平成21年(受)第1461号,民集66巻2号742頁)
- ⑨ 最高裁平成24年5月29日第三小法廷判決(平成22年(受)第2035号,裁判集民事240号261頁)
- ⑩ 最高裁平成27年3月4日大法廷判決(平成24年(受)第1478号,民集69巻2号178頁)
- ⑪ 最高裁令和4年3月24日第一小法廷判決(令和2年(受)第1198号,民集76巻3号350頁)
- ⑫ 最高裁令和8年7月7日第三小法廷判決(令和6年(受)第1694号)
- ⑬ 最高裁昭和39年9月25日第二小法廷判決(昭和39年(オ)第328号,民集18巻7号1528頁)
- ⑭ 最高裁昭和45年7月24日第二小法廷判決(昭和44年(オ)第882号,民集24巻7号1177頁)
- ⑮ 最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決(昭和50年(オ)第656号,民集32巻7号1500頁)
- ⑯ 最高裁昭和55年5月1日第一小法廷判決(昭和54年(オ)第344号,裁判集民事129号591頁)
- ⑰ 最高裁平成7年1月30日第二小法廷判決(平成3年(オ)第1038号,民集49巻1号211頁)
3 行政資料
- ① 厚生労働省「労働者災害補償保険特別支給金支給規則」
- ② 厚生労働省「民事損害賠償が行われた際の労災保険給付の支給調整に関する基準」
- ③ 大分労働局「民事損害賠償と労災保険との調整方法について」
- ④ 日本年金機構「生計維持」
4 文献
- ① 中込一洋『職業・年齢別ケースでわかる!交通事故事件 社会保険の実務』学陽書房,2020年,89頁~107頁,214頁~219頁
- ② 岩出誠編集代表,ロア・ユナイテッド法律事務所編集『労災民事賠償マニュアル―申請,認定から訴訟まで』ぎょうせい,2018年,143頁~154頁
- ③ 加藤新太郎・谷口園恵編集『裁判官が説く民事裁判実務の重要論点[交通損害賠償編]』第一法規,2021年,13頁~20頁
- ④ ロア・ユナイテッド法律事務所編集『労災の法律相談 改訂版』青林書院,2023年,199頁~200頁,264頁~265頁
- ⑤ 新潟県弁護士会編集『労働災害の法律実務』ぎょうせい,2022年,286頁~291頁
- ⑥ 北河隆之『交通事故損害賠償法 第3版』弘文堂,2023年,304頁,318頁~321頁
- ⑦ 小野裕樹『被害者側弁護士のための交通賠償法実務』日本評論社,2025年,544頁~571頁
- ⑧ 日弁連交通事故相談センター東京支部『民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準 2026年版(上巻・基準編)』307頁~317頁