第1 素因減額の意味と判断の順序
1 素因減額の意味
素因減額とは,加害行為と,被害者に加害行為前から存在した疾患又は一定の心因的要因とが共に原因となって損害が発生又は拡大した場合に,その損害の全部を加害者に負担させることが公平を失するとき,賠償額を減額する法理である。判例は,民法722条2項が定める過失相殺の規定を類推適用している。
被害者に既往症,体質上の特徴又は一定の性格傾向があるだけでは,素因減額の要件を満たさない。加害者側が問題とする素因が,現実にどの損害の発生又は拡大へ,どのような機序で寄与したかを具体的に認定でき,その態様・程度等に照らして全損害を加害者に負担させることが公平を失する場合に限って,減額が問題となる。
2 相当因果関係及び過失相殺との区別
相当因果関係と素因減額は,判断の段階が異なる。まず,加害行為と個々の損害との相当因果関係及びその範囲を認定し,次に,相当因果関係のある損害について,素因の寄与を理由とする公平上の減額が必要かを検討する。同じ事情によって治療期間を限定した上で,同じ評価を減額率へ重ねて反映させると,二重の減額となるおそれがある。
過失相殺は,被害者の不注意その他の過失を考慮して損害を公平に分担する制度である。これに対し,素因減額は,被害者に責められる事情がなくても,疾患等が損害の発生又は拡大に寄与したことを考慮する法理であるため,被害者の帰責性の有無だけで結論は決まらない。
第2 身体的素因に関する最高裁判例
1 疾患を斟酌できる場合
最高裁平成4年6月25日第一小法廷判決・昭和63年(オ)第1094号・民集46巻4号400頁は,加害行為と被害者の疾患とが共に原因となって損害が発生し,疾患の態様・程度等に照らして損害の全部を加害者に賠償させることが公平を失するときは,民法722条2項を類推適用して疾患を斟酌できるとした。同判決の事案では,被害者が事故の約1か月前に罹患した一酸化炭素中毒と事故による頭部打撲が共に死亡の原因となっており,原審が身体的素因として50%を斟酌した判断が維持された。
この判決は,診断名が付けば当然に減額できるとしたものではない。事故前の症状及び治療歴,疾患の自然経過,事故がなければ同じ時期に症状が発現した蓋然性,事故の外力,画像所見と神経学的所見との整合並びに各損害への寄与を調べた上で,公平上の減額が必要かを判断することになる。
2 後縦靱帯骨化症を扱った判決
最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決・平成5年(オ)第1603号・交通事故民事裁判例集29巻5号1272頁は,事故前から進行していた後縦靱帯骨化症と事故とが共に原因となって損害が生じた事案を扱った。同判決は,①事故前に疾患の症状が出ていなかったこと,②疾患が難病であること,③疾患について被害者に責められる事情がないこと,④事故の衝撃が強くなかったこと,⑤同様の素因を有しながら通常の社会生活を営む者が少なくないことのいずれによっても,疾患を斟酌できないことにはならないとした。同判決は裁判所HP未掲載であり,全文はD1-Law.com判例体系で確認した。
差戻審である大阪高裁平成9年4月30日判決・平成8年(ネ)第3134号・交通事故民事裁判例集30巻2号378頁は,後縦靱帯骨化症の寄与について30%を減額した。他方で,同判決は,主訴の多くが同疾患による症状として医学的に説明できるとして,被害者の不満,不信感等を理由とする追加の心因的要因による減額を否定した。一つの症状を身体的素因と心因的要因の双方で重ねて評価しないという点でも参考になる。同判決も裁判所HP未掲載であり,全文はD1-Law.com判例体系で確認した。
3 疾患に当たらない身体的特徴
最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決・平成5年(オ)第875号・民集50巻9号2474頁は,首が長く,これに伴う多少の頚椎不安定症があることを,疾患に当たらない身体的特徴と評価した。同判決は,疾患に当たらない身体的特徴は個体差の範囲として当然に予定されているため,平均的な体格又は通常の体質と異なっていても,特段の事情がない限り,賠償額の算定に当たって斟酌できないとした。
この判決と前項の後縦靱帯骨化症判決は,いずれも最高裁第三小法廷が平成8年10月29日に言い渡したが,事件番号も判示内容も異なる別の判決である。裁判所HPの事件番号平成5年(オ)第875号のページを,後縦靱帯骨化症判決の出典として用いることはできない。
第3 画像所見及び医学的知見の扱い
1 後縦靱帯骨化症
後縦靱帯骨化症は,椎体後方の後縦靱帯が骨化し,脊柱管が狭くなることによって脊髄又は神経根が圧迫され,感覚障害又は運動障害等を生じ得る疾患である。難病情報センターの解説によれば,一般外来を受診した成人の頚椎側面単純X線写真で骨化が見つかる頻度は1.5%~5.1%であり,平均は3%であるが,骨化がある者の全員に症状が現れるわけではない。他方で,軽微な外傷を契機として症状が急に出現し,又は増悪することがある。
医学的知見に照らせば,後縦靱帯骨化症の画像上の進展と症状の進行には明確な相関がない一方,同疾患は骨傷のない頚髄損傷の危険因子となり得る。したがって,無症状であったことだけで事故損害への寄与を否定することも,画像上の骨化があることだけで一定割合の寄与を肯定することもできない。現在Mindsで公開されている資料は,脊柱靭帯骨化症診療ガイドライン2019である。
2 加齢性変化及び無症候性の画像所見
脊椎の画像所見には,症状のない者にも認められるものがある。無症候者3110人を含む33研究の系統的レビューでは,椎間板変性が認められる割合は20歳の37%から80歳の96%へ,椎間板膨隆は20歳の30%から80歳の84%へ上昇していた。この結果は,多くの退行性画像所見が通常の加齢の一部であり得るため,症状及び臨床所見との関係で解釈すべきことを示している。
画像上の変性,狭窄又は圧迫があるという事実だけでは,その所見が法的に斟酌できる疾患であることも,事故後の損害へ寄与したことも証明されない。事故前後の画像を比較し,症状の部位,神経学的異常所見及び発症時期との解剖学的・時間的な整合を確認する必要がある。
第4 心因的要因による素因減額
1 損害の拡大に寄与した心因的要因
最高裁昭和63年4月21日第一小法廷判決・昭和59年(オ)第33号・民集42巻4号243頁は,身体に対する加害行為によって生じた損害が,その加害行為だけで通常生ずる程度・範囲を超え,かつ,損害の拡大に被害者の心因的要因が寄与しているときは,民法722条2項を類推適用して心因的要因を斟酌できるとした。同判決は,軽微な交通事故後に入通院が長期化した事案に関するものであり,心因的要因の寄与を認めた原審の判断を是認した。
もっとも,治療又は症状が長期化したという結果だけから,事故前からの心因的要因の存在及び寄与を推認することはできない。身体疾患,疼痛,事故後に生じた精神症状,治療内容及び生活上の支障を時系列で検討し,加害行為だけで通常生ずる損害の範囲を超えた部分と,その部分に心因的要因が寄与した機序を区別して認定する必要がある。
2 通常の個性の範囲にある性格
最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・平成10年(オ)第217号・民集54巻3号1155頁は,ある業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れない性格及びこれに基づく業務遂行態様について,賠償額を定める際に心因的要因として斟酌できないとした。
したがって,「神経質である」,「几帳面である」,「責任感が強い」又は「真面目である」といった抽象的な性格評価だけでは,素因減額の根拠にならない。事故後の通院回数が多いこと,補償手続に関与したこと又は訴訟を提起したことも,それ自体は事故前からの心因的要因が損害を拡大したことを示す事実ではない。
3 医学上の予後因子との区別
医学的知見に照らせば,むち打ち後の症状継続は,初期の疼痛及び障害の強さ,受傷後の不安等と統計的に関連することがある。しかし,受傷後に観察された予後因子と事故前から存在した心因的要因とは同じではなく,統計上の関連は,個別事件における法的な寄与又は減額率を直接証明するものでもない。
むち打ち後には抑うつ症状又はPTSD症状が一定割合で継続するとの系統的レビューがある一方,研究間の異質性,原因と結果の方向及び補償要因の評価には限界がある。事故後に精神症状が出現したことを,事故前の性格が損害拡大へ寄与したことへ短絡させるべきではない。また,事故後の治療中断又は医師の指示への不遵守を問題とする場合は,事故前から存在した素因ではなく,事故後の行為と損害拡大との因果関係を別に検討すべきである。
第5 主張立証と証拠の集め方
1 加害者側の主張立証
加害者側が素因減額を求める場合,診断名又は画像所見を挙げるだけでは足りない。加害行為前から存在した素因の内容・程度,その自然経過,加害行為がなかった場合の予測,事故後の症状との医学的整合,各損害の発生又は拡大への具体的な寄与及び全損害を負担させることが公平を失する事情を,診療録,画像,医師の意見等によって具体化する必要がある。
最初に確認すべき資料は,事故前後の診療録及び画像,健康診断記録,服薬歴,事故直後からの神経学的所見並びに就労・生活状況である。加害者側又は保険者が被害者の過去の診療録を当然に取得できるわけではなく,本人の同意,訴訟上の調査嘱託又は文書送付嘱託等が必要となることがある。医療機関の保存状況,秘密及び裁判所又は医療機関の判断によって取得できない場合もあるため,まず既に提出された診断書,画像及び診療報酬明細書から争点を絞るのが相当である。
2 被害者側の反論
被害者側は,素因が存在しないという反論だけでなく,素因があっても事故損害へ具体的に寄与していないこと,又は寄与があっても全損害を加害者に負担させることが公平を失する程度ではないことを検討する。事故前に症状,治療及び就労制限がなかった事実,事故直後から症状が一貫していること,事故の外力と発症機序が整合すること並びに画像所見と神経学的所見が一致することは,いずれも重要な反証となり得る。
もっとも,事故前に無症状であったことだけで素因の寄与が否定されるわけではないことは,後縦靱帯骨化症判決が示している。被害者側でも,単に「事故前は健康であった」と主張するのではなく,事故がなければ同じ時期に同じ症状が出た蓋然性,外傷による発症又は増悪の医学的機序及び損害項目ごとの影響を資料に即して反論する必要がある。
3 医師への照会及び専門家意見
医師に尋ねるべき事項は,法的評価である「素因減額をすべきか」又は「何%減額すべきか」ではなく,疾患の自然経過,事故による発症・増悪の医学的機序,事故がなかった場合の予測,画像所見と症状との整合及び治療期間への影響である。医学的な寄与率が示されても,それが直ちに法的な素因減額率になるわけではない。
高額な専門家意見又は鑑定に進む前に,既存の診療録及び画像を時系列に並べ,双方の主張の違いを特定すべきである。専門家意見は,未解決の医学的争点が結論を左右し,どの医学的事実が判明すれば評価が変わるかを説明できる場合に限って検討するのが合理的である。既存資料だけで素因の寄与を具体化できない場合は,費用の大きい追加調査をしても減額の主張を維持できないことがある。
第6 減額率と計算方法
1 減額率に定型的な基準はないこと
素因減額率に一律の算定表又は固定的な基準はない。事故態様,疾患又は心因的要因の内容・程度,事故前の症状及び治療歴,自然経過,事故がなかった場合の発症可能性,事故後の症状及び治療経過,後遺障害の内容並びに各損害への寄与を総合して判断する。
後縦靱帯骨化症の差戻審が30%を減額したことは,当該事件の認定結果であって,同じ診断名の事件に30%を適用するという基準ではない。医学的な寄与率も,医学上の原因寄与に関する評価であり,公平の観点を含む法的な素因減額率と常に一致するものではない。
2 過失相殺もある場合の計算
素因減額と過失相殺の双方を行う場合,素因減額後の損害額に過失割合を適用する。例えば,全損害額が100,素因減額率が40%,被害者の過失割合が10%であれば,100×(1-0.4)×(1-0.1)=54となる。40%と10%を単純に加えて50%を控除する計算ではない。
実際の事件では,既払金,人身傷害保険金,労災保険給付その他の損益相殺又は代位の処理が加わることがある。控除の対象となる損害項目及び計算の順序は給付ごとに異なり得るため,素因減額と過失相殺の計算だけで最終受取額を判断することはできない。
3 二重評価の回避
同じ事情を,相当因果関係のある治療期間の限定,後遺障害の評価,既存障害の控除及び素因減額へ重ねて用いると,損害を二重に減額するおそれがある。どの事実を,どの損害項目の,どの判断段階で評価したかを明示する必要がある。
例えば,既往症の影響を理由に休業期間を短く認定した場合,その期間外の休業損害は既に損害の範囲から外れている。その上で同じ影響を理由に全休業損害へ素因減額率を適用するのであれば,異なる損害部分又は異なる寄与を評価していることを説明できなければならない。
第7 既存障害及び人身傷害保険との関係
1 自賠責保険の加重障害
自動車損害賠償保障法施行令2条2項は,既に後遺障害のある者が傷害によって同一部位について後遺障害の程度を加重した場合に,加重後の後遺障害に対応する保険金額から既存の後遺障害に対応する保険金額を控除することを定めている。これは自賠責保険の支払限度額に関する加重障害の計算であり,民法722条2項の類推適用による素因減額とは別の制度である。
事故前の障害が自賠責保険上の既存障害として控除され,かつ,同じ障害が民事損害賠償上の素因として問題となることはあり得る。しかし,制度が異なるというだけで同じ影響を重ねて控除できるわけではなく,各控除が対象とする損害及び評価内容を区別して二重評価を避ける必要がある。
2 人身傷害保険金を支払った保険者の代位
最高裁令和7年7月4日第三小法廷判決・令和5年(受)第1838号・民集79巻5号2155頁は,素因減額と,人身傷害保険金を支払った保険者が取得する損害賠償請求権の範囲との関係を判断した。同判決は,事故前から存在した疾患が人身傷害条項の限定支払条項にいう身体の障害又は疾病に当たる場合,保険者は,実際に同条項による保険金の減額をしたか否かにかかわらず,支払った人身傷害保険金と素因減額後の損害額のいずれか少ない額を限度として,被害者の加害者に対する損害賠償請求権を代位取得するとした。
この判決を適用するには,約款上の限定支払条項の文言,素因に当たる疾患が同条項の障害又は疾病に該当するか,素因減額後の損害額及び支払済みの人身傷害保険金額をそれぞれ確認する必要がある。保険法25条は損害保険者の代位を定めているが,具体的な代位範囲は,約款及び同判決が示した基準に沿って計算することになる。
第8 出典・参考資料
1 法令
2 裁判例
①最高裁昭和63年4月21日第一小法廷判決・昭和59年(オ)第33号・民集42巻4号243頁
②最高裁平成4年6月25日第一小法廷判決・昭和63年(オ)第1094号・民集46巻4号400頁
③最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決・平成5年(オ)第1603号・交通事故民事裁判例集29巻5号1272頁(裁判所HP未掲載,D1-Law.com判例体系で全文確認)
④最高裁平成8年10月29日第三小法廷判決・平成5年(オ)第875号・民集50巻9号2474頁
⑤大阪高裁平成9年4月30日判決・平成8年(ネ)第3134号・交通事故民事裁判例集30巻2号378頁(裁判所HP未掲載,D1-Law.com判例体系で全文確認)
⑥最高裁平成12年3月24日第二小法廷判決・平成10年(オ)第217号・民集54巻3号1155頁
⑦最高裁令和7年7月4日第三小法廷判決・令和5年(受)第1838号・民集79巻5号2155頁
3 文献
①須藤典明・深見敏正編『損害賠償訴訟Ⅰ―損害論・交通・学校・職場・家庭〔最新裁判実務大系12〕』青林書院,2025年,47頁~57頁
②小野裕樹『被害者側弁護士のための交通賠償法実務』日本評論社,2025年,601頁,604頁~606頁,608頁,610頁,612頁,615頁~621頁
③北河隆之『交通事故損害賠償法〔第3版〕』弘文堂,2023年,339頁~345頁
④大島眞一『〔改訂版〕交通事故事件の実務―裁判官の視点』新日本法規,2023年,183頁~189頁
⑤小賀野晶一・古笛恵子編『交通事故医療法入門〔第2版〕』勁草書房,2023年,146頁~152頁
⑥窪田充見『不法行為法〔第2版〕』有斐閣,2018年,443頁~451頁
⑦渡邉隆浩「最高裁時の判例」ジュリスト1622号,有斐閣,2026年5月号,105頁~108頁