第1 交通事故の慰謝料は原則として所得税非課税である
交通事故の被害者が,心身に受けた損害に対する慰謝料や治療費の賠償金を受け取った場合,原則として所得税はかからない。
所得税法9条1項18号及び所得税法施行令30条が,これらを非課税としているためである。
本記事は,令和8年8月30日現在の法令と国税庁の公表資料に基づき,個人の被害者又は遺族が,相手方やその賠償責任を扱う保険会社から受け取る賠償金の所得税,医療費控除及び死亡時の相続税を説明する。
自分の契約に基づく人身傷害保険金は支払の根拠が異なるため,その課税関係は人身傷害保険金に税金はかかるかを参照されたい。
「示談金」又は「解決金」という名称だけで,全額の課税・非課税が決まるわけではない。
一つの振込に治療費,慰謝料,休業損害,事業上の損害等が含まれている場合は,何の損害を補う金額かを分けて判断する必要がある。
第2 自営業者の休業損害と事業の補償は分ける
1 けがで働けないことへの補償
所得税法施行令30条1項1号は,心身の損害に対する賠償金に,傷害のため働けないことによる給与又は収益の補償を含めている。
したがって,自営業者であっても,本人がけがで働けなくなったことへの休業損害が,職業だけを理由に課税されるわけではない。
後遺障害による労働能力の低下を補う逸失利益も,身体の傷害に基因する損害賠償金として判定する。
ただし,休業中の店舗賃料など,所得計算上の必要経費を補う部分が含まれていれば,その部分は別に扱う。
2 商品損害・必要経費の補填等
所得税法施行令94条1項は,棚卸資産の損害に対する補償や,事業の休止等による収益の補償など,収入金額に代わる性質の金額を所得計算に含めるとしている。
商品の損害に対する賠償等は,本人のけがに対する休業損害と区別する必要がある。
また,所得税法施行令30条1項は,必要経費に算入される支出を補う部分を非課税の範囲から除いている。
事業の必要経費を補う金額が休業損害とまとめて支払われた場合は,その内訳を確認する。
事業用の物が壊れた場合でも,すべてが課税対象になるわけではない。
国税庁「No.1700 加害者から治療費,慰謝料及び損害賠償金などを受け取ったとき」は,事業用車両の廃車損害への賠償金自体は非課税としつつ,資産損失の計算では賠償により補われる部分を差し引くと説明している。
第3 非課税でも確定申告をする場合がある
非課税に当たる慰謝料等を受け取ったことだけを理由に,その金額を課税所得として確定申告する必要はない。
もっとも,給与以外の所得や事業所得などにより申告が必要であるかどうかは別に判断する問題であり,「慰謝料が非課税だから,その年は一切申告しなくてよい」という意味ではない。
申告義務がない人でも,医療費控除によって,給与等から源泉徴収された所得税の納め過ぎが生じる場合は,還付申告をすることができる。
国税庁「No.2030 還付申告」によれば,この還付申告は,対象年の翌年1月1日から5年間提出できる。
既にその年分を申告している場合の訂正は,新たな還付申告とは区別する必要がある。
第4 医療費控除から差し引く金額
1 治療費の補填と慰謝料を区別する
所得税法73条は,医療費控除を計算する際,保険金や損害賠償金等で補填される部分を医療費から除くとしている。
そのため,治療費として受け取った賠償金は,所得税が非課税であっても,対応する医療費から差し引く必要がある。
差し引くかどうかは,受け取った金額が医療費を補うものかによって異なる。
所得税基本通達73-8・73-9の区別に沿うと,次のようになる。
| 受け取った金額の内容 | 医療費控除での扱い |
|---|---|
| 治療費を補う損害賠償金 | 対応する医療費から差し引く |
| 精神的苦痛に対する慰謝料 | 医療費の補填ではないため差し引かない |
| けがで働けないことによる収入減の補償 | 医療費の補填ではないため差し引かない |
| 医療費を補う入院給付金や高額療養費等 | 対応する医療費から差し引く |
ある治療の補填額がその治療費を上回っても,余った額を別の治療の医療費から差し引く必要はない。
国税庁「No.1120 医療費を支払ったとき(医療費控除)」も,差引額の上限を,その給付の目的となった医療費としている。
保険会社が医療機関へ直接支払った治療費を,被害者が自己負担した医療費として重ねて計上しないことにも注意が必要である。
示談書に記載された治療費総額だけでなく,誰が実際に支払い,被害者の負担がいくら残っているかを支払明細と領収書で確認する。
2 医療費控除の計算例
通常の医療費控除額は,その年に支払った対象医療費から補填金を差し引き,さらに10万円を差し引いて計算する。
総所得金額等が200万円未満の場合は,10万円ではなく総所得金額等の5%を差し引き,控除額は最高200万円,計算結果がマイナスなら0円である。
これは所得税法73条及び国税庁No.1120による計算である。
例えば,総所得金額等が200万円以上で,本人がその年に対象となる治療費40万円を支払い,その治療費の補填として25万円,慰謝料として70万円を受け取り,他に医療費や補填金がないと仮定する。
この場合の医療費控除額は「40万円-25万円-10万円=5万円」であり,慰謝料70万円は差し引かない。
この5万円は,所得から差し引く控除額であって,5万円がそのまま返金されるわけではない。
還付額は,他の所得・控除と,源泉徴収等で既に納めた所得税額によって異なる。
第5 示談や入金が翌年以降になる場合
1 支払った年と補填される医療費を対応させる
医療費控除は,原則として,医療費を実際に支払った年分で計算する。
示談成立や賠償金の入金が翌年になっても,前年の治療費を補う金額を,入金年の別の医療費から差し引くものではない。
申告時に医療費の補填額が確定していない場合は,見込額を医療費から差し引く。
国税庁「医療費を補填する保険金等が未確定の場合」及び所得税基本通達73-10は,確定額と見込額が異なれば,医療費を支払った年分に遡って控除額を訂正する取扱いを示している。
まだ入金されていないという理由だけで,補填額を0円とするわけではない。
治療費の支払が二つの年にまたがる場合は,まず補填金がどの年の医療費を対象とするかを確認する。
国税庁「医療費を補填する保険金等の金額のあん分計算」は,両年の入院費を補う保険金をまとめて受け取った事例について,原則として,各年に支払った入院費の額に応じて按分するとしている。
この説明を使って,慰謝料や休業損害を含む示談金総額まで一律に按分するものではない。
2 見込額と確定額が違ったときの訂正
医療費の補填額が見込みより多く,その結果,申告した医療費控除が過大で納税額が少なくなっていた場合などは,修正申告によって訂正する。
国税庁『暮らしの税情報』令和8年度版「医療費を支払ったとき」は,補填金の注記でこの訂正方法を説明している。
反対に,補填額が見込みより少なく,控除が過少で税金を納め過ぎていた場合などは,更正の請求を検討する。
既に還付申告をしていて還付額が少なかった場合も,追加の還付を求める手続は更正の請求となる。
国税通則法23条による更正の請求は,原則として法定申告期限から5年以内である。
ただし,申告義務のない人が還付申告をしていた場合は,原則としてその提出日から5年以内であり,後発的理由には別の要件と期間がある。
示談が成立した日から一律に5年間請求できるわけではないため,国税庁「所得税及び復興特別所得税の更正の請求手続」で,元の申告と訂正理由に対応する期限を確認する必要がある。
第6 死亡に対する賠償金と未収金の相続
国税庁「No.4111 交通事故の損害賠償金」は,死亡に対して遺族が受ける賠償金と,生前に受け取ることが決まっていた未収の賠償金を区別している。
単に死亡後に入金されたかどうかではなく,何に対する支払であり,死亡時にどのような権利があったかが確認点となる。
| 場面 | 国税庁が示す税務上の取扱い |
|---|---|
| 被害者の死亡に対して遺族が受け取る損害賠償金 | 相続税の対象とならない。死亡に対する人的損害の賠償は所得税も非課税 |
| 被害者が受け取ることが生前に決まっていたが,未収のまま死亡した損害賠償金 | 受け取る権利が相続財産となり,相続税の対象となる |
死亡に対する賠償金の所得税非課税は,国税庁「No.1705 遺族の方が損害賠償金を受け取ったとき」にも示されている。
ただし,同時に支払われる商品損害や事業経費の補償等まで,死亡に対する賠償と同じ扱いになるとは限らない。
一方,生前に示談が成立していた賠償金が未払のまま本人が死亡した場合は,未収金を含めて相続財産を確認する必要がある。
生前に示談がなかったことだけから,事故前後のあらゆる請求権が相続税の対象外になると逆に判断することもできない。
相続税の対象となる財産があることと,実際に相続税の納付が必要になることは同じではない。
相続税法15条の遺産に係る基礎控除などがあるため,未収金だけでなく遺産全体と適用される控除を踏まえて判断する。
第7 示談書に内訳がないときの確認
「解決金一式」とだけ記載された示談書では,医療費の補填額や事業所得に含める部分が読み取れないことがある。
まず,保険会社等に損害計算書と支払明細を求め,①損害項目ごとの金額,②治療費の対象期間と支払先,③既払金と今回支払額の対応を確認する方法が考えられる。
医療費控除については,その明細を領収書,医療費通知及び過去の申告書と照合し,どの年にいくら支払い,いくら補填されるかを整理する。
複数年の通院や補填額の変更がある場合は,年ごとの対応を残しておくと,申告後の訂正にも利用できる。
死亡時の未収金が問題になるときは,示談書等の合意日,支払が決まった内容,死亡日及び入金日を示す資料を確認する。
支払案の提示にとどまっていたのか,既に合意に達していたのかも,書面の表題だけでなく内容と経緯から確かめる必要がある。
内訳を明らかにする目的は,支払の実質に沿って申告することであり,課税される金額を便宜上「慰謝料」と表示し直すことではない。
資料を確認しても区分が決まらない場合は,不明な費目とその計算根拠を示して,税務署又は税理士に確認する必要がある。
示談案そのものの項目別の読み方は,保険会社から届いた交通事故の示談案の見方で説明している。
出典
1 法令
①所得税法(昭和40年法律第33号)9条1項18号・73条
②所得税法施行令(昭和40年政令第96号)30条・94条
③相続税法(昭和25年法律第73号)2条・15条
④国税通則法(昭和37年法律第66号)23条
2 国税庁の法令解釈通達
所得税基本通達・法第73条《医療費控除》関係73-2,73-8~73-10。
リンク先の「法第72条《雑損控除》関係」に続く同一ページ内に掲載されている。
3 国税庁の解説・質疑応答・手続案内
①No.1700 加害者から治療費,慰謝料及び損害賠償金などを受け取ったとき
②No.1120 医療費を支払ったとき(医療費控除)
③No.2030 還付申告
④No.4111 交通事故の損害賠償金
⑤No.1705 遺族の方が損害賠償金を受け取ったとき
以上のタックスアンサーの表示基準日は,いずれも令和7年4月1日である。
本記事では,令和8年8月30日に確認した現行条文と照合して使用している。
⑥質疑応答事例「医療費を補填する保険金等が未確定の場合」(令和7年8月1日現在)
⑦質疑応答事例「医療費を補填する保険金等の金額のあん分計算」(令和7年8月1日現在)
⑧『暮らしの税情報』令和8年度版「医療費を支払ったとき」
⑨「所得税及び復興特別所得税の更正の請求手続」