第1 この記事の目的と結論
1 「AI安全のための協調」を一括りにしない
本記事は,競合するAI開発会社,クラウド事業者,利用企業,評価機関又は業界団体が,AIの安全性を高めるために共同研究,事故情報共有,共通試験,標準化,認証又は開発速度の調整を行う場合の独占禁止法上の確認事項を扱う。基準日は令和8年9月24日である。
安全性を高める目的は重要である。しかし,同じ「安全協調」という説明でも,脆弱性を共同研究することと,競合企業が新モデルの発売時期,計算資源,研究開発費又は供給量をそろえることとでは,競争への影響が異なる。目的の名称ではなく,誰が,どの市場で,何を合意し,競争手段をどこまで拘束するかを確認しなければならない。
2 結論を先に示す
実務上は,①安全上必要な共同部分を狭く定義し,②価格,顧客,販売数量,発売時期,研究開発方針その他の競争上重要な情報を遮断し,③参加・利用条件を客観化し,④より競争制限的でない代替手段を比較し,⑤期間,見直し及び脱退の仕組みを設ける必要がある。
外部評価者を置けば直ちに問題がなくなるわけでもない。評価者へのアクセス権,報告先,資金提供,利益相反,試験結果の公表範囲,異議申立て及び機密情報の隔離を設計しなければ,評価制度が競合企業間の情報交換又は新規参入排除の経路となり得る。
第2 競合企業間の行為を八つに分ける
少なくとも,次の八類型を分けて検討する。
①各社が独立に安全基準を設定し,試験結果を公表する行為
②既に発生した事故,脆弱性又は攻撃手法を,必要な範囲で匿名化して共有する行為
③安全評価手法,測定器又は防御技術を共同研究する行為
④相互運用可能な共通試験方法又はベンチマークを作る行為
⑤任意の技術標準又は行動規範を作る行為
⑥第三者が標準への適合性を審査・認証する行為
⑦一定の能力又は危険指標に達した場合に追加試験を行うチェックポイントを設定する行為
⑧計算資源,学習規模,研究開発費,モデル公開,発売時期,供給量又は顧客への提供を競合企業間で制限する行為
①から⑦にも設計次第で競争上の問題は生じるが,⑧は企業が本来独立して決める重要な競争手段を直接そろえる危険が大きい。名称を「自主基準」又は「安全誓約」としても,実際に相互監視,制裁又は統一行動があれば,形式だけで評価は変わらない。
第3 日本の独占禁止法上の出発点
1 安全目的だけで適法性は決まらない
私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律は,事業者が共同して相互に事業活動を拘束し,公共の利益に反して一定の取引分野の競争を実質的に制限する不当な取引制限を禁止する。また,事業者団体による競争の実質的制限,事業者数の制限,不公正な取引方法をさせる行為等も問題となる。
公正取引委員会の共同研究開発ガイドラインは,共同研究開発が研究開発活動を活発かつ効率的にし,技術革新を促進し得る一方,参加者間の競争を制限するおそれもあるとする。また,安全性,環境保全その他の社会公共的な目的があっても,そのことだけで独占禁止法上の問題がないとは限らず,目的達成のために必要な範囲かどうかを検討する。
2 共同研究開発の判断要素
共同研究開発では,①参加者の市場占有率及び参加者数,②研究の基礎・応用・開発段階,③共同化の必要性,④対象範囲及び期間,⑤参加・脱退の自由,⑥成果へのアクセス,⑦研究終了後の製造・販売活動まで拘束するかを確認する。
安全評価手法又は防御技術を共同開発する必要があっても,製品価格,生産数量,販売地域,顧客,発売時期又は独自研究まで統一する必要があるとは限らない。共同研究に必要な技術情報と,競争上機微な営業情報を分離することが重要である。
3 事業者団体,標準化及び情報共有
公正取引委員会の事業者団体ガイドラインは,社会公共的な目的に基づく合理的な基準又は認証であっても,内容又は運用によっては競争を制限し得ること,価格,数量,顧客その他の競争上重要な事項について共通の意思が形成される情報活動は問題となり得ることを示している。
したがって,安全標準は,対象とする危険と技術要件の対応,参加・認証条件の客観性,代替規格の許容,知的財産の取扱い,認証費用,新規参入者の利用可能性及び不合格理由の説明を確認する。所管官庁の関与又は推奨があることだけで,民間の合意が当然に独占禁止法の適用外となるわけではない。
第4 八つの確認ゲート
協調案を作るときは,次の八項目を順番に記録する。
①当事者-競合企業,取引先,研究機関,評価者,業界団体及び行政機関の役割は何か。
②市場-基盤モデル,クラウド,半導体,評価サービス,特定用途のAI等のどの取引分野へ影響するか。
③行為類型-共同研究,情報共有,標準化,認証又は競争手段の制限のどれか。
④合意の証拠-契約,議事録,共同声明,相互監視,制裁又は並行行動を説明する連絡があるか。
⑤競争への影響-価格,品質,技術革新,発売時期,供給量,顧客選択又は参入へどのような影響があるか。
⑥必要性と代替案-各社の単独試験,第三者試験,匿名化した事故情報共有又は行政規制で目的を達成できないか。
⑦手続上の歯止め-情報遮断,利益相反管理,任意参加,異議申立て,期間制限及び定期見直しがあるか。
⑧法的経路-公正取引委員会への相談,所管法令に基づく制度又は米国法上の個別の法的枠組みを利用する必要があるか。
「安全のために必要」という抽象的説明では,⑥を確認できない。危険の発生確率,損害の重大性,提案する制限が危険を減らす仕組み,より狭い代替案を採用できない理由及び見直し時期を文書化する。
第5 外部評価者の独立性を設計する
外部評価者を競合企業の内部へ置き,開発過程又はモデルへ継続的にアクセスさせる方法は,問題の早期発見に役立ち得る。他方,評価者が各社の未公開情報を横断的に知るため,評価者自身の独立性と情報管理が重要になる。
契約及び運用では,①評価対象とアクセス範囲,②評価者の選任・交代・解任,③報告先,④報酬及び研究資金の負担者,⑤競合他社への情報流出を防ぐチーム・システムの分離,⑥法的助言・訴訟対応資料の取扱い,⑦重大な危険を発見した場合の通知先,⑧結果を公表する条件,⑨評価を受けた会社の意見・異議申立て,⑩制度全体の監査を定める。
令和8年9月18日にAnthropicとAccentureが公表したembedded evaluationの提携は,特定企業間の評価枠組みが実際に設計され始めていることを示す資料である。ただし,公表資料だけでは,個別の評価者の権限,独立性,秘密情報の隔離及び全ての契約条件は確定できない。また,この二社間の提携は,競合するAI開発会社全体による開発速度の合意を示すものではない。
第6 米国反トラスト法から得られる注意点
1 National Society of Professional Engineers判決
米国連邦最高裁のNational Society of Professional Engineers v. United States, 435 U.S. 679 (1978)は,技術者団体が競争入札による価格交渉を制限した事案で,価格競争が安全を害するという正当化を退けた。競争そのものが望ましくないという理由で競争を止めることは,シャーマン法上の競争分析と両立しないとされた。
この判決はAI開発速度の合意を直接判断したものではない。しかし,安全という目的を掲げるだけで,価格,供給又は技術革新に関する競争制限が正当化されるわけではないという比較法上の注意点を与える。
2 国防生産法708条とNCRPA
米国のDefense Production Act(国防生産法)708条は,国防上必要な自主協定又は行動計画について,一定の要件と行政手続の下で反トラスト法上の防御を設ける制度である。民間企業が安全目的を表明しただけで自動的に免責される制度ではない。
National Cooperative Research and Production Act(NCRPA)も,共同研究・生産等の一定の活動について,届出を前提に合理の原則による評価及び損害賠償上の保護を定めるが,反トラスト法を全面的に適用除外するものではない。適用対象,届出範囲及び実際の行為が一致しているかを個別に確認する必要がある。
3 企業間協調ガイダンスは更新過程にある
米国司法省と連邦取引委員会は,従前の競合企業間協調ガイドラインを令和6年12月に撤回し,令和8年2月に新たなガイダンスへ向けた意見募集を開始した。データ共有,アルゴリズムその他の新しい協調形態も検討対象とされている。
したがって,過去のガイドラインだけを現行当局の確定的な立場として使わず,個別行為,最新の公表資料及び執行事例を確認する。日本企業であっても,米国市場,米国の顧客又は米国法人を含む協調では,米国法の助言を別途得る必要がある。
第7 令和8年のAI開発速度をめぐる提案と訴訟
AnthropicのDario Amodeiは,令和8年9月12日付けの論考で,高度なAIの危険へ対処するため,企業内部へ配置する評価者,民主的な政府による調整,国際協調,能力上のチェックポイント及び一定の場合の計算資源・学習規模の制限を提案した。これは論考に記載された提案であり,その全てが法令,企業間契約又はAnthropicの現在の運用として成立したことを示すものではない。
同年9月22日,AnthropicはClaude Opus 5.5を公表した。これは,前記論考が直ちに一律のモデル公開停止を意味しないことを示す後続の公表事実である。他方,個別モデルの公開だけで,将来の協調の有無又は内容を確定することもできない。
同年9月18日に米国カリフォルニア北部地区連邦地方裁判所へ提出されたBuistほかの訴状(訴状表紙はNo. 3:26-cv-10693,公開ドケットの現行表示はNo. 5:26-cv-10693)は,AI開発会社間の水平的合意等を主張している。しかし,訴状は原告側の主張であって,裁判所による事実認定又は法的判断ではない。本記事で確認した公開ドケットは同日取得時点の掲載であり,PACERによりその後の全記録を確認したものではない。
第8 契約・議事録・情報遮断の実務
共同研究,業界団体又は評価制度の契約には,①目的と対象危険,②共同作業の範囲,③共有できる情報,④共有禁止情報,⑤個社判断として残す事項,⑥参加・脱退・成果利用の条件,⑦知的財産,⑧秘密保持,⑨情報遮断,⑩違反時の是正,⑪期間・終了,⑫定期見直しを定める。
競合企業が参加する会議では,価格,顧客,販売計画,モデル公開日,計算資源の調達量,研究開発予算,人材採用その他の競争上機微な事項を議題から外す。必要な技術情報は集計,匿名化,第三者管理又は時間差を利用し,参加者へ返す情報の粒度を定める。
議事録は,安全目的だけでなく,検討した代替案,採用した範囲,競争上機微な話題を中止した事実,反対意見,脱退の自由及び次回見直し日を残す。弁護士の出席又は法律意見があることだけで行為が適法になるわけではないため,事実上の運用が契約及び議事録と一致するかを監査する。
利用企業がAIベンダーを審査するときは,安全標準又は評価制度への参加の有無だけでなく,その制度が製品公開を拘束するか,競合他社へどの情報が渡るか,評価者の費用を誰が負担するか,結果の訂正・異議申立てが可能か,制度変更又は脱退時にサービスが継続するかを質問する。
第9 確認済み事項,資料の記述,推論及び不明
確認済み事項として,日本の独占禁止法,公正取引委員会の共同研究開発・事業者団体に関するガイドライン,米国連邦最高裁判決,米国法令及び司法省の公表資料を確認した。また,Anthropicによる論考,提携及びモデル公開は,同社側の公表資料として確認した。
資料の記述として,Amodeiの論考はAI開発速度を調整する複数の制度案を提案し,Buistほかの訴状は水平的合意等を主張している。これらは,成立済みの企業間合意又は裁判所の認定と同じではない。
推論として,安全評価を共通化する場合でも,モデル公開時期又は計算資源を競合企業間で合わせる必要性は別途立証すべきであり,外部評価者の独立性と競争上機微な情報の遮断が重要になると考える。
現在の不明は,AI開発会社間に実際に成立している非公開の契約内容,Buist事件の令和8年9月18日以後のPACER上の全記録,令和8年2月に意見募集が開始された米国ガイダンスの最終内容及びAI開発速度の合意を直接判断した日本の裁判例である。
判例秘書は,本記事の作成時にログイン後のデータベース検索を実施していない。したがって,直接関連する日本の裁判例が存在しないとは述べない。個別案件では,参加者,対象市場,合意内容及び争う請求類型を確定した上で,裁判所公表資料及び判例データベースを検索する必要がある。
第10 出典・関連記事
1 日本の法令・公正取引委員会資料
①e-Gov法令検索「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」
②公正取引委員会「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」
③公正取引委員会「事業者団体の活動に関する独占禁止法上の指針」
④公正取引委員会「グリーン社会の実現に向けた事業者等の活動に関する独占禁止法上の考え方」
⑤公正取引委員会「生成AIを巡る市場に関する実態調査報告書」(令和8年4月16日)
2 米国の法令・判決・行政資料
①United States Code, Title 15, Chapter 1
②National Society of Professional Engineers v. United States, 435 U.S. 679 (1978)
③United States Code, 50 U.S.C. §4558
④U.S. Department of Justice, Filing a Notification Under the NCRPA
⑤U.S. Department of Justice, Justice Department and Federal Trade Commission Seek Public Comment on Guidance for Business Collaborations(2026年2月23日)
⑥Buist et al., Complaint(訴状表紙:No. 3:26-cv-10693,現行公開ドケット:No. 5:26-cv-10693), Complaint及び公開ドケット
3 企業側の公表資料
①Dario Amodei, We must pace the frontier(2026年9月12日)
②Anthropic, Anthropic and Accenture pioneer embedded AI safety evaluation(2026年9月18日)
③Anthropic, Claude Opus 5.5(2026年9月22日)
4 関連記事
①AI・データ事業を止めない法務設計-データフロー,横断法令,代替案及び行政相談
②AIサービスを導入する前のベンダー審査-資本関係,顧客集中,クラウド依存,循環的資金調達及び出口計画(AI作成)
③渡辺惠理子最高裁判事が独占禁止法及び競争法について述べていること