第1 ソブリンCDSで何を取引するのか
国債の元利金が期日に支払われなかった場合でも,その国を参照するCDSが直ちに決済されるとは限らない。
ソブリンCDSの決済の要否は,支払期日だけでなく,契約に組み込まれた信用事由の定義,猶予期間及び対象債務によって決まる。
本記事では,2014年ISDAクレジット・デリバティブ定義とギリシャ国債の事例を手がかりに,支払不履行,債務再編及びインフレによる購買力の低下を区別して整理する。
本記事は,2026年11月8日時点で公開されている資料に基づくものであり,特定の取引や投資の判断を勧めるものではない。
ソブリンCDSは,国などを参照先として,契約で定めた信用リスクを移転するデリバティブ取引である。
プロテクションの買い手は契約に従って対価を支払い,信用事由が発生して決済条件が整うと,売り手との間で決済する。
参照先の国とCDSの売り手は別の者であるから,国に対する元利金の請求権と,CDSの相手方に対する契約上の権利は区別して考える必要がある。
例えば,ある国の国債を保有する投資家が,その国を参照先とするCDSで支払不履行のリスクを移転することがある。
もっとも,保有する国債と,CDSの参照債務・決済の対象となる債務・通貨・期間が一致するとは限らない。
現物を保有しないでCDSを取引できるかは,適用される規制やヘッジの対象によって異なる。
第2 支払遅延と債務再編はいつ信用事由になるか
1 信用事由は取引確認書で選ばれる
2014年ISDAクレジット・デリバティブ定義の第4.1節は,信用事由を,破産,支払不履行,期限の利益の喪失,期限の利益喪失事由の発生,履行拒否・支払猶予,債務再編及び政府の介入のうち,取引確認書で指定されたものと定めている。
新聞で「国家破綻」と表現されたかや,国債が値下がりしたかだけでは,CDSの決済の要否は決まらない。
2 支払不履行(Failure to Pay)
定義の第4.5節は,適用される猶予期間が経過した後に,参照先が一つ又は複数の対象債務について,支払うべき時と場所で支払わなかった金額の合計が,所定の最低額(取引確認書に定めがなければ100万米ドル相当額。第4.9節(d))以上であることを支払不履行としている。
したがって,約定日に着金しなかったという事実だけから,直ちに信用事由が生じたとはいえない。
猶予期間は原則として債券の条件によるが,債券に猶予期間がない場合や3営業日未満の場合には3営業日の猶予期間があるものとみなされ(第1.46節(c)),取引確認書で猶予期間の延長(Grace Period Extension)が適用されるかによっても扱いが変わる(同(b))。
3 債務再編(Restructuring)
定義の第4.7節(a)は,利息の減額,元本の減額,元利金の支払時期の繰延べ,支払順位の劣後化,及び所定の通貨(カナダ・日本・スイス・英国・米国の法定通貨及びユーロ)以外への支払通貨の変更を挙げている。
これらが債務再編に当たるには,対象債務の合計額が所定の額(取引確認書に定めがなければ1,000万米ドル相当額。第4.9節(a))以上であること,全保有者を拘束する形で行われたこと,及びもとの債務の条件にその変更が明示的に定められていなかったことが必要である。
また,参照先の信用状態又は財務状況の悪化に直接又は間接に起因しない変更は,債務再編に当たらない(第4.7節(b)(iv))。
そのため,一部の保有者が任意に交換に応じたというだけでは,全保有者を拘束する債務再編があったことにはならない。
4 履行拒否・支払猶予(Repudiation/Moratorium)
債務の否認や支払停止の宣言については,取引確認書で履行拒否・支払猶予が信用事由として選ばれているかを確認する。
定義の第4.6節は,参照先の権限ある者又は政府機関による否認・支払猶予の宣言等と,同じ対象債務について所定の評価日までに生じた支払不履行又は債務再編の双方を要件としている。
第3 ギリシャ国債の事例―信用事由の判定と決済額
2012年3月9日,ISDAの欧州・中東・アフリカ地域のクレジット・デリバティブ決定委員会は,ギリシャについて債務再編の信用事由が生じたと全会一致で判断した。
ギリシャが集団行動条項を用いてギリシャ法準拠の国債の条件を変更し,対象となる国債の全保有者の支払を受ける権利が減額されたためである。
この判断は,当時の2003年ISDAクレジット・デリバティブ定義(2009年7月の補遺による改正後のもの)の第4.7節(a)に基づくものである。
同年3月19日に実施されたオークションでは,CDSの決済に用いるギリシャ国債の最終価格が額面の21.5%と決まった。
参照価格を100%とし,最終価格との差額を金銭で決済する場合,想定元本100に対する決済額は78.5となる(2014年定義の第5.6節・第6.4節も同じ計算方法を定めている)。
この21.5%は当該オークションの決済価格であり,すべてのギリシャ国債の回収率や,将来の債務不履行の確率を表す数字ではない。
実際の受払額を確認するときは,取引の想定元本,決済方法,受渡しの対象となる債務及び適用されるオークションの条件を特定する。
オークションが行われない場合等には,現物決済や金銭決済といった代替の決済方法が問題となることもある(2014年定義の第6.1節)。
第4 CDSスプレッドと実際の債務不履行確率
CDSスプレッドから読み取れるのは,その条件で信用リスクを引き受けるための価格である。
そこから期間内の債務不履行確率を推計するには,決済の対象となる債券の想定回収率や残存期間等を仮定する必要がある。
市場価格にはリスクに対する投資家の評価も含まれるので,そこから逆算した値は,実際の発生頻度とは異なり得る。
シカゴ連銀の2023年の分析は,米国の債務上限問題の際にCDSのスプレッドが上昇した一因として,決済に用いられ得る長期国債の価格が低く,信用事由が生じた場合の想定損失が大きかったことを挙げている。
同分析は,CDSの価格から推計した確率を,市場参加者のリスクに対する態度や損失額の不確実性を含む「リスク調整後」の確率と位置付けている。
複数の国のCDSの価格を比較するときも,観測時刻,満期,通貨,価格の種類及び契約条件をそろえたうえで,回収率の仮定を確認する必要がある。
第5 インフレや通貨安で購買力が落ちた場合
額面どおりに円が支払われても,物価の上昇によって同じ金額で買える財やサービスが減ることはある。
円安によって,円を外貨に換えたときに受け取れる外貨が減ることもある。
しかし,それだけでは,円建て債務の支払不履行や債券の支払条件の変更があったことにはならない。
これに対し,実際に債券の支払通貨や元利金の条件が変更された場合には,債券の条件とCDSの条項を別々に読む必要がある。
2014年定義には,所定の通貨以外への支払通貨の変更(第4.7節(a)(v)),ユーロへの切替え等の除外(同(b)(i)・(ii)),及び政府機関の一般的な措置による通貨の切替えの扱い(第4.11節)についての規定がある。
購買力の低下と契約条件の変更は,異なる資料と条件で確認するものである。
第6 取引確認書と証拠のチェックポイント
1 適用される契約文書
取引確認書,参照された標準定義の版,補遺,取引類型とマトリックス及び個別の修正を集める。
そのうえで,参照先,対象債務,適用される信用事由,金額の基準,通貨,満期,通知及び決済の条項を照合する。
2 債券の条件と事実
支払期日・支払場所・通貨,猶予期間,実際の送金・受領の記録を確認する。
債務再編が問題となる場合は,交換の前後の条件,発行体の告知,集団行動条項の投票結果とその効力発生日も保全する。
3 決定委員会の判断と期限
決定委員会の判断の対象となる取引かを確認し,決定,受渡しの対象となる債務の一覧及び決済の日程を保存する。
契約上の通知先,期限,時刻・営業日の数え方及び受渡書類の要否も別に確認する。
第7 出典・関連記事
2014 ISDA Credit Derivatives Definitions(Section 1.46,4.1,4.5~4.7,4.9,4.11,5.6,6.1,6.4)
ISDA「Credit Derivatives Physical Settlement Matrix and Confirmation」
ISDA「ISDA EMEA Determinations Committee: Restructuring Credit Event Has Occurred with Respect to The Hellenic Republic」(2012年3月9日)
欧州委員会「The Second Economic Adjustment Programme for Greece」(2012年3月)47頁~48頁
Markit・ICE「Markit and IntercontinentalExchange Announce Results of Credit Event Auction re: The Hellenic Republic」(2012年3月19日)
シカゴ連銀「What Does the CDS Market Imply for a U.S. Default?」(Economic Perspectives,2023年第4号)
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