第1 証明度と証明責任の違い
民事裁判で「返す約束があった」と認めてもらうには,どこまで証拠が必要か。
送金があったことに争いがなくても,返還の合意を証明できず,貸金の返還請求が退けられることがある。
本記事は,この例を手がかりに,民事訴訟の証明度と,真実を認め損なう消極的誤判を考え,第三者委員会の調査報告書が事実認定の目安をどのように書いているかも確認する。
証明度とは,裁判所がある事実を認めるために必要な心証の程度である。
証明責任は,その事実の存否が決められないとき,その不利益をどちらの当事者が負うかという問題である。
民事訴訟法247条は,「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。」と定めている。
同条は自由心証主義を定めた規定であり,どの程度の心証で事実を認めるかを数値で定めてはいない。
民事訴訟法247条(e-Gov法令検索)
例えば,送金が貸付けであったとして返還を請求する場合,送金記録は金銭の移動を裏付ける。
返還の合意が争われたときは,送金前後のやり取りや,返済を求めた際の応答なども手がかりになる。
返還の合意を認めるだけの証明がなければ請求は棄却され得るが,その結論から,相手方のいう贈与が積極的に認定されたとはいえない。
第2 最高裁が示した高度の蓋然性
ルンバール事件の最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決(昭和48年(オ)第517号,民集29巻9号1417頁)は,訴訟上の因果関係の立証について,「一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」と判示した。
この判示は因果関係の立証について述べたものであり,百分率による基準は示していない。
最高裁昭和50年10月24日判決の全文(裁判所PDF)
同事件では,発作が腰椎穿刺等の施術の直後に起きたという事情に加え,施術前の病状,診療録,鑑定及び別の原因をうかがわせる事情の有無が検討され,最高裁は因果関係を否定した原判決を破棄した。
一つの資料から原因を断定しにくくても,各資料がどの説明を支えるかを比較し,全体として判断できる。
ルンバール事件判決とは―最高裁昭和50年10月24日判決と因果関係の立証(AI作成)
第3 須藤典明裁判官の論文と二種類の誤判
1 「相当程度の蓋然性」を原則的証明度とする論文
32期の須藤典明裁判官(平成27年6月に定年退官)の論文「民事裁判における原則的証明度としての相当程度の蓋然性」は,高橋宏志ほか編『民事手続の現代的使命―伊藤眞先生古稀祝賀論文集』(有斐閣,2015年)に収録されている。
同論文を引用する越智今治農業協同組合第三者委員会の調査報告書は,「相当程度の蓋然性」を,ある事実が認められる証拠に相当程度の優劣の差(6対4程度の差)があれば当該事実を認定するという意味であると説明している。
同論文を紹介する実務家の解説も,原則的証明度として高度の蓋然性ではなく相当程度の蓋然性を採用し,6対4程度の差があれば事実を認定すべきとする見解として紹介している。
以下の6対4の目安は,これらの紹介に基づく説明であり,立証の優劣の目安であって,証拠の件数や勝訴確率とは異なる。
有斐閣『民事手続の現代的使命』の書誌・目次,アスカ法律事務所「医療訴訟における証明度再考(相当程度の蓋然性という考え方)」
2 積極的誤判と消極的誤判
この議論で重要なのは,事実認定には二つの方向の誤りがあることである。
返還の合意が実際にはなかったのに裁判所がこれを認めるのが積極的誤判であり,合意が実際にはあったのに証明不足として認められないのが消極的誤判である。
証拠の評価を同じと仮定して認定に必要な心証の水準を上げれば,認定を見送る範囲が広がる。
その結果,誤って認める危険は抑えられる一方で,真実を認め損なう危険は大きくなる。
伊藤眞「一点の疑義も許されない自然科学的証明?」(日本学士院ニュースレター第34号)は,判例法理に対し,証明度を高く設定するあまり,認定すべき事実を認定しないという意味での消極的誤判を招きかねないとの批判があるとして,須藤論文(同書345頁)を挙げている。
同稿は,この批判にもかかわらず判例法理は現在に至るまで変更されていないとし,近時の判例や実務は,立証の対象を「死亡や後遺症が生じなかった相当程度の可能性」に置き換えることで原告の立証負担を軽減していると説明している。
伊藤眞「一点の疑義も許されない自然科学的証明?」(日本学士院)
第4 第三者委員会はどのように認定するか
1 6対4程度を明示した越智今治農協の報告書
越智今治農業協同組合第三者委員会の令和6年2月27日付け「調査報告書(最終)」は,調査と判断を,証拠によって「相当程度の蓋然性あり」との心証に基づいて行ったと記載している。
同報告書の2頁脚注1は,須藤論文を挙げ,「相当程度の蓋然性」を,証拠に6対4程度の優劣の差があれば事実を認定するという意味であると説明している。
一方,職員に対するアンケート調査の結果は,その性質上,事実認定には使用せず,組織風土等を把握する資料としての扱いに留めている。
この例では,委員会が採った認定の目安と,どの資料をどの目的に使ったかの双方を確認できる。
越智今治農業協同組合第三者委員会「調査報告書(最終)」2頁・脚注1
2 日弁連ガイドラインと神戸市の報告書
日本弁護士連合会の「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年7月15日策定,同年12月17日改訂)は,第2部「指針」の「事実認定に関する指針」で,「第三者委員会は、各種証拠を十分に吟味して、自由心証により事実認定を行う。」とし,「法律上の証明による厳格な事実認定に止まらず、疑いの程度を明示した灰色認定や疫学的認定を行うことができる」としている。
その脚注は,この場合には,その影響にも十分配慮するとしている。
日本弁護士連合会「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」
神戸市立小学校における職員間ハラスメント事案に係る調査委員会の「調査報告書の概要」(令和2年2月21日)によれば,同委員会は,日弁連ガイドラインに準拠して構成された委員会であり,原則として民事訴訟における裁判所の事実認定の方法に準ずるよう努めた。
そのうえで,強制的な権限を有しないこと,ハラスメントの調査では客観的証拠がない場合が多く「疫学的認定」にも適さないこと,調査期間が限られていることを踏まえ,事実認定の方法を定めている。
関係当事者の供述が一致しない事項は,客観的資料,供述の一貫性・具体性・迫真性,時系列との整合性・不自然さの有無,供述者の立場等を総合的に評価し,認定できると判断した場合に限り事実として認定する。
事実として認定できない場合でも,事実であった可能性が高いと思われ,原因究明や再発防止策の策定に有用と思われるときは,事実認定には至らないが事実であった可能性が高いものと認定するとし,そのような行為を24項目記載した。
越智今治農協の報告書が認定の目安を示したのに対し,この例は,確定的な認定に至らない情報の報告の仕方を示している。
神戸市「神戸市立小学校における職員間ハラスメント事案に係る調査委員会」調査報告書の概要10頁~11頁
第5 判決や報告書を読むときの確認点
判決では,まず,何の事実について誰が証明責任を負い,どの証拠がその事実を支え,反対の説明にどのような裏付けがあったかを確認する。
調査報告書では,その委員会が採った認定方法に加え,記載が認定事実,可能性の指摘,組織上の原因分析のどれに当たるかを確認する。
第三者委員会の結論を裁判で援用する場合も,報告書の目的,収集した資料,認定理由を確認し,訴訟で証明すべき事実との対応を検討する必要がある。
調査報告書の読み方は第三者委員会の調査報告書の読み方-独立性,調査範囲,証拠,原因分析及び再発防止策(AI作成)で,間接事実による推認は最高裁破棄判決に学ぶ間接証明―経験則・消滅時効・授権・統計的証拠の4事例(AI作成)で整理している。
第6 出典
民事訴訟法(e-Gov法令検索)
最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・昭和48年(オ)第517号・民集29巻9号1417頁(裁判所の裁判例情報)
有斐閣『民事手続の現代的使命―伊藤眞先生古稀祝賀論文集』(高橋宏志ほか編,2015年)の書誌・目次
伊藤眞「一点の疑義も許されない自然科学的証明?」(日本学士院ニュースレター第34号)
アスカ法律事務所「医療訴訟における証明度再考(相当程度の蓋然性という考え方)」(2017年7月5日)
越智今治農業協同組合第三者委員会「調査報告書(最終)」(令和6年2月27日)
日本弁護士連合会「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年7月15日策定,同年12月17日改訂)
神戸市立小学校における職員間ハラスメント事案に係る調査委員会「調査報告書の概要」(令和2年2月21日)
須藤典明裁判官(32期)の経歴