第1 判決の概要
1 主文の要旨
東京地方裁判所は,令和8年1月26日,北朝鮮帰国事業で日本から朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という。)へ渡航した原告らが北朝鮮を被告として損害賠償を求めた訴訟の差戻し後の第一審において,北朝鮮に対し,原告ら4名にそれぞれ2200万円及び遅延損害金の支払を命じた(東京地裁令和8年1月26日判決(令和5年(ワ)第30330号))。
原告らの請求は1人当たり1億円であり,その余の請求は棄却された。
担当裁判官は,東京地裁民事第6部の神野泰一裁判長,綿引聡史裁判官及び住岡由梨奈裁判官である。
本記事は,判決文に基づき,北朝鮮が日本の裁判権から免除されなかった理由,日本の裁判所の国際裁判管轄及び除斥期間の判断を整理する。
帰国事業の歴史的評価や,判決後の執行の見通しは扱わない。
2 原告らの主張
判決の「事案の概要」によれば,原告らは,昭和35年から昭和47年までの間に帰国事業に参加して北朝鮮へ渡航した4名(うち1名は訴訟中に死亡し,相続人が訴訟を受け継いだ。)についての損害賠償を求めた。
原告らは,北朝鮮が,十分な衣食住を享受できるなどと虚偽の宣伝をして帰還を勧誘し,これを信じた4名を北朝鮮へ渡航させ,渡航後は出国を許さずに留め置いたことにより,人生をいかなる場所・体制下で送るかについての4名の自己決定権及び移動の自由を侵害したと主張した。
判決が前提とした事実によれば,4名はいずれも平成13年から平成15年までの間に北朝鮮を出国している。
3 訴訟の経過
4名は,平成30年8月20日,東京地方裁判所に訴えを提起した。
差戻前の第一審である東京地裁令和4年3月23日判決(平成30年(ワ)第26750号)は,訴えの一部を却下し,その余の請求を棄却した。
控訴審である東京高裁令和5年10月30日判決(令和4年(ネ)第1972号)は,この判決を取り消し,事件を東京地方裁判所に差し戻した。
第2 北朝鮮が日本の裁判権から免除されなかった理由
1 対外国民事裁判権法の原則
外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律(以下「対外国民事裁判権法」という。)4条は,「外国等は、この法律に別段の定めがある場合を除き、裁判権(我が国の民事裁判権をいう。以下同じ。)から免除されるものとする。」と定める。
同法2条は,「外国等」を,国及びその政府の機関等のうち「日本国及び日本国に係るもの」を除くものと定義している。
主権免除の原則と例外の全体像は,主権免除とは―国家免除の原則・例外と外国国家への民事訴訟(AI作成)で説明している。
2 控訴審の判断
控訴審判決は,前提事実として,北朝鮮は国際連合加盟国であるが,日本国政府は北朝鮮を国家として承認していないとした。
その上で,「外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律4条は、外国等は、同法に別段の定めがある場合を除き、我が国の民事裁判権から免除される旨を定めるが、その趣旨は、主権を有する国家同士の間ではその平等と独立を相互に尊重することにあるから、我が国が国家として承認していない主体については、同法にいう「外国等」(同法2条)には当たらず、上記の定めの適用はないと解するのが相当である。」とした。
さらに,「未承認国において民事裁判権からの免除を当然に享有するとの国際慣習法が存在するとも認められない。」とし,北朝鮮は日本の民事裁判権から免除されないと判断した。
3 差戻し後の第一審が控訴審の判断に従った理由
差戻し後の第一審判決は,控訴審判決における事実上及び法律上の判断が,裁判所法4条により,裁判権免除に関する差戻し後の第一審の判断を拘束するとした。
そして,その判断に従い,北朝鮮は日本の裁判権から免除されないとした。
したがって,未承認国家と主権免除の関係についての実質的な判断は,控訴審判決にある。
4 国家として承認している国が被告だった場合
日本が国家として承認している国が被告であれば,対外国民事裁判権法4条により原則として裁判権から免除され,同法5条以下の例外に当たるかを個別に検討することになる。
例えば,同法10条は,人の死亡若しくは傷害又は有体物の滅失若しくは毀損について,原因となる行為の全部又は一部が日本国内で行われ,かつ,その行為をした者が当該行為の時に日本国内に所在していた場合に限り,免除を否定する。
国外にいる者が遠隔操作で日本国内の機器に働きかけた場合の同条の扱いは,外国政府のスパイウェアによる被害は日本で訴えられるか―対外国民事裁判権法10条の「所在」要件と英米の判決(AI作成)で説明している。
条約上の扱いと国内法の関係は,国連国家免除条約とは―発効状況と日本の対外国民事裁判権法との関係(AI作成)で説明している。
国家承認と裁判上の扱いの関係については,国家承認と政府承認の違い―国交,条約関係と日本の裁判への影響(AI作成)も参照されたい。
未承認国との条約関係については,北朝鮮映画事件―ベルヌ条約,未承認国及び著作権法6条3号(AI作成)も参照されたい。
第3 日本の裁判所の国際裁判管轄と準拠法
1 国際裁判管轄
民事訴訟法3条の3第8号は,不法行為に関する訴えについて,「不法行為があった地が日本国内にあるとき(外国で行われた加害行為の結果が日本国内で発生した場合において、日本国内におけるその結果の発生が通常予見することのできないものであったときを除く。)」に日本の裁判所の管轄権を認める。
判決が要約した原告らの主張によれば,北朝鮮による一連の行為は継続的不法行為であって全体として1個の不法行為と捉えるのが相当であり,自己決定権及び移動の自由が侵害されたという結果は,4名が「帰国」を決意した時点に始まり北朝鮮から出国するまで続いたから,結果発生地は日本及び北朝鮮であるとされている。
控訴審判決は,北朝鮮が北朝鮮において行った加害行為により,4名の法益が侵害されるという結果が当初は日本国内で発生し,4名が北朝鮮に到着してから脱出するまでの間は北朝鮮で発生し続けたとした。
その上で,北朝鮮で行った事実と異なる情報の流布によって,日本国内で4名を含む在日朝鮮人及びその家族の居住地選択の自由の侵害という結果が発生することは通常予見することが可能であったとして,同号に基づき日本の裁判所に管轄権があるとした。
差戻し後の第一審判決は,この判断が裁判所法4条により国際裁判管轄に関する判断を拘束するとして,その判断に従い,日本の裁判所に本件訴えについての管轄権があるとした。
2 準拠法
判決は,不法行為の準拠法について,法例11条1項の「原因タル事実ノ発生シタル地」の法律によるとし,加害行為の時にその地で結果が発生することが通常予見できる場合は,加害行為の結果が発生した地を指すと解した。
そして,判決は,北朝鮮は,事実と異なる情報を流布することによって,4名を含む在日朝鮮人及びその家族の居住地選択の自由が侵害されるという結果が日本国内で発生することを予見することが可能であったから,加害行為の結果発生地である日本の法が準拠法となるとした。
第4 除斥期間
判決は,本件を,北朝鮮が事実と異なる情報を流布して帰還を呼びかけ,日本から北朝鮮へ渡航させ,渡航後は出国を許さずに在留させたことにより,居住地選択の自由を侵害し,事前の情報と異なる苛酷な状況下で長期間生活することを余儀なくさせた継続的不法行為であり,全体として1個の不法行為であるとした。
そして,その終期は4名が北朝鮮を脱出した時点であり,いずれも脱出から20年を経過する前に訴えを提起しているから,損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅することはないとした。
第5 出典
東京地裁令和8年1月26日判決(令和5年(ワ)第30330号)
東京地裁令和4年3月23日判決(平成30年(ワ)第26750号)
東京高裁令和5年10月30日判決(令和4年(ネ)第1972号)
外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律(e-Gov法令検索)
民事訴訟法(e-Gov法令検索)