第1 判決の概要
1 主文と請求
札幌高等裁判所は,令和8年7月2日,北海道十勝郡浦幌町内のアイヌにより構成される団体(控訴人)の控訴をいずれも棄却し,控訴人が当審で追加した訴えを却下した(札幌高裁令和8年7月2日判決(令和6年(行コ)第9号))。
控訴人は,浦幌十勝川河口から浦幌川合流地点までの範囲で,刺し網漁によりサケを捕獲する権利を有することの確認と,水産資源保護法28条が控訴人の漁業に関する限り無効であることの確認を求めていた。
当審では,被控訴人らが控訴人に漁業をさせないことが違法であることの確認を求める訴えが追加された。
原審の札幌地裁令和6年4月18日判決(令和2年(行ウ)第22号)は,無効確認の訴えを却下し,その余の請求を棄却していた。
判決書の署名欄には,裁判官として宮崎雅子及び山原佳奈の名があり,裁判長裁判官齋藤清文はてん補のため署名押印できない旨が付記されている。
2 判決の骨子
判決は,アイヌの人々が憲法13条によりアイヌ固有の文化を享有する権利(文化享有権)を有することを認めた。
しかし,求められた漁業権は財産権としての側面が強く,立法府による制約を受けるとして,憲法13条等により保障されるものではないとした。
無効確認と違法確認の訴えについては,控訴人が漁業権を有することを前提とする訴えで確認の利益を欠き,その前提を除けば一般的・抽象的に法律の違憲・違法の確認を求めるもので法律上の争訟に当たらないとして,無効確認の訴えを却下した原判決を維持し,違法確認の訴えを却下した。
第2 憲法13条の文化享有権
判決は,さけの採捕がアイヌの生活,伝統,文化等において重要な部分を占めると認めた。
その上で,「アイヌ固有の文化を享有することは、アイヌの人々において重要な人格的価値を有するものであり、これに加え、自由権規約27条は少数民族に属する者が自己の文化を享有する権利を否定されない旨を定めていることを考慮すると、原判決が説示するとおり、アイヌの人々は、憲法13条により、アイヌ固有の文化を享有する権利(文化享有権)を有すると認められる。」とした。
アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(以下「アイヌ施策推進法」という。)1条は,アイヌの人々を「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族」と位置付けている。
第3 漁業権が文化享有権で保障されないとした理由
1 財産権としての側面
判決は,求められた漁業権を,特定の河川のうち一定の範囲において特定の集団が排他的にさけ漁を営む権利であり,精神的側面を有するものの財産権としての側面が強いと評価した。
そして,憲法29条2項が「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と規定し,財産権は立法府が社会全体の利益を図るために加える規制による制約を受けるとした。
2 河川とさけの性質
判決は,公共用物である河川は国や地方公共団体の公法的支配管理に服し,特定の人や集団による排他的な支配は一般には許されないとした。
また,一定の水面で排他的に漁業を営む権利の設定は,水産資源の持続的な利用の確保等を考慮する必要がある立法政策の問題であり,さけは溯河魚で水産資源としての保護培養を図る必要があるとした。
その結果,「本件漁業権が憲法13条による文化享有権の一環として保障されるものと認めることはできない。」と結論付けた。
3 「最大限尊重されるべき」との判示
もっとも,判決は,さけの採捕がアイヌの生活,伝統,文化等において重要な部分を占め,アイヌの人々が文化享有権を有することに照らすと,「立法政策上もアイヌの人々によるさけの採捕は最大限尊重されるべきものである。」とした。
また,さけの採捕に係る宗教的意義を持つ儀式は,憲法20条により尊重されるべきものであると述べている。
ただし,判決は,水産資源保護法28条が内水面でのさけの採捕を禁止しつつ都道府県知事等の許可による例外を定め,アイヌ施策推進法17条が内水面さけ採捕事業への適切な配慮を定めていることについて,さけ資源を確保するという要請と,アイヌの人々の文化享有権を踏まえたさけ採捕の尊重という要請に配慮したもので,合理性を有するとした。
そして,「水産資源保護法28条は、アイヌの人々の有する文化享有権を不当に制約するものとは認められない。」と結論付けた。
第4 条約・宣言に基づく主張の扱い
1 人種差別撤廃条約
判決は,人種差別撤廃条約1条1項が同条約における「人種差別」を定義し,5条が締約国による人種差別の禁止等を定めるものであって,控訴人に漁業権という具体的な権利を付与する旨を定めたものとは解されないとした。
2 社会権規約15条1項(a)
判決は,社会権規約委員会が平成21年(2009年)に示した一般的意見21が,先住民の土地,領地及び資源に対する権利に触れていることを前提事実等として挙げた。
しかし,同条項は,締約国が権利の実現に向けた積極的政策を推進すべき政治的責任を負うことを定めたもので,個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではないとした。
3 先住民族権利宣言
判決は,先住民族の権利に関する国際連合宣言(以下「先住民族権利宣言」という。)の25条と26条1項を挙げた上で,平成21年7月のアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の報告書が,同宣言を政策のあり方の一般的な国際指針として十分に尊重すべきものとしていることに触れた。
そして,「アイヌ施策推進法等の解釈において先住民族宣言の内容は十分に尊重されるべきものであると解される。しかしながら、先住民族宣言には法的拘束力はない。」とし,同宣言により直接漁業権が保障されるとは解されないとした。
第5 日本政府の立場と国際機関の勧告
先住民族権利宣言は,平成19年(2007年)9月13日,国連総会で賛成143,反対4,棄権11で採択され,日本は賛成した(国連総会第61会期第107回本会議の逐語記録 A/61/PV.107)。
日本の代表は投票後,同宣言は一部の権利を集団的権利と定めているが,集団的人権という概念は一般国際法上確立した概念として広く認められているとは思われず,大半の国は受け入れていない,同宣言の土地・領域に関する権利及びその行使は第三者の利益その他の公益との調和及び保護の観点から正当な理由により制限される,という趣旨の理解を述べている。
人種差別撤廃委員会は,平成30年(2018年)の日本に対する総括所見で,アイヌの土地及び天然資源に対する権利が十分に保護されていないことに懸念を示し,その権利を保護する措置等を勧告した(CERD/C/JPN/CO/10-11,15段落・16段落)。
自由権規約委員会も,令和4年(2022年)の総括所見で,アイヌ等の伝統的な土地及び天然資源に対する権利を完全に保障するための更なる措置をとり,影響を受ける政策の決定に自由に参加する権利の尊重を確保するよう求めた(CCPR/C/JPN/CO/7,42段落・43段落)。
いずれの所見も,「自由で事前の十分な情報に基づく同意」(FPIC)には触れていない。
第6 海外でのFPICの扱いの例
海外では,国連の条約機関が,鉱物の探査許可について先住民族の同意を得る手続を求めた例がある。
社会権規約委員会は,令和6年(2024年)9月27日に採択した見解(E/C.12/76/D/251/2022及び289/2022)で,サーミのトナカイ牧畜集団であるKova-Labba Siidaに属する個人らの通報について,フィンランドの当局が,サーミ議会が自由で事前の十分な情報に基づく同意の前提条件を欠くと述べていた中で鉱物の探査許可をし,また,別の区域について通報者らに連絡しないまま鉱区の予約を認めたことにつき,社会権規約15条1項(a)の違反を認めた。
その上で,法令及び行政手続を改正して自由で事前の十分な情報に基づく同意の国際基準を組み込む取組を続けること等を求めた。
子どもの権利委員会も,同じ探査許可について,令和6年(2024年)9月13日に採択した見解(CRC/C/97/D/172/2022)で子どもの権利条約の違反を認めた。
これらは,フィンランドを相手方とする個人通報について条約機関が示した見解である。
個人通報制度の仕組みは,人権条約の個人通報制度とは―国内裁判・政府報告審査・国連の勧告との違い(AI作成)で説明している。
第7 出典
札幌高裁令和8年7月2日判決(令和6年(行コ)第9号)
札幌地裁令和6年4月18日判決(令和2年(行ウ)第22号)
アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(e-Gov法令検索)
日本国憲法(e-Gov法令検索)
水産資源保護法(e-Gov法令検索)
国連総会第61会期第107回本会議逐語記録(A/61/PV.107,2007年9月13日)
人種差別撤廃委員会「日本の第10回・第11回定期報告に関する総括所見」(CERD/C/JPN/CO/10-11,2018年)
自由権規約委員会「日本の第7回定期報告に関する総括所見」(CCPR/C/JPN/CO/7,2022年)
社会権規約委員会の見解(E/C.12/76/D/251/2022,E/C.12/76/D/289/2022,2024年)
子どもの権利委員会の見解(CRC/C/97/D/172/2022,2024年)