第1 相続放棄を考えたら最初に確認すること
相続放棄は,亡くなった人の借金を引き継がないためだけの制度ではない。家庭裁判所に申述し,有効に放棄すると,その相続について初めから相続人でなかったものとして扱われる。預貯金や土地を残して借金だけを放棄することはできない。
まず,自分の期限,相続財産・債務の状況及び既にした行為を確認し,財産を売る,払い戻して使う,遺産分割協議書に署名するといった行為を急がないことが重要である。
| 確認すること | 最初の対応 |
|---|---|
| いつ死亡と自分の相続人性を知ったか | 日付と連絡の経緯を記録し,通知書・封筒・メールを保存する。 |
| 財産と借金がどこまで分かっているか | 預貯金,不動産,借入れ,保証債務等の資料を分け,分からない部分を残す。 |
| 預金を引き出したり遺品を処分したりしたか | 日時,対象,金額,原資,使途及び領収書を整理し,追加の処分を止める。 |
| 3か月以内に判断できるか | 調査が終わらない場合は,期限前の期間伸長を検討する。 |
本記事は,放棄するかどうかを考える段階の案内である。申述書や戸籍の詳しい準備は相続放棄の手続を自分でする方法で説明している。
第2 相続放棄・単純承認・限定承認の違い
1 資産と債務を一緒に考える
民法896条は,被相続人の財産に属した権利義務を原則として相続人が承継すると定める。資産だけでなく債務も調べた上で,承認又は放棄を選択する必要がある。
| 選択 | 基本的な効果 | 判断の際の注意 |
|---|---|---|
| 単純承認 | 被相続人の権利義務を無限に承継する。 | 相続人自身の財産も債務の責任財産になる。法律上,承認したとみなされる場合もある。 |
| 相続放棄 | その相続について初めから相続人でなかったものとみなされる。 | 資産も承継しない。各人で選択できるが,家庭裁判所への申述を要する。 |
| 限定承認 | 相続で得た財産の限度で債務・遺贈を弁済することを留保する。 | 共同相続人がいる場合は全員で行い,目録提出や清算手続も必要になる。 |
限定承認は,財産が残る可能性はあるが債務の全体が分からない場合に検討の余地がある。ただし,放棄より常に有利又は簡単な制度ではない。清算の負担も含めて判断し,具体的な手順は限定承認の手続と換価を参照されたい。
2 遺産分割で何も受け取らないこととの違い
親族間で「財産を受け取らない」と合意したり,遺産分割協議書にその旨を書いたりしても,家庭裁判所への相続放棄の申述の代わりにはならない。親族間の負担の合意だけで,債権者に対する責任が当然に消えると考えてはならない。
また,遺産の帰属を決める協議への参加が,法定単純承認の問題を生むことがある。借金の有無が分からないまま,形式だけの署名を求められても,先に相続放棄との関係を確認すべきである。
第3 相続放棄の期限は原則3か月
1 死亡日から一律に数えない
民法915条1項の熟慮期間は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月である。通常は,死亡と,その死亡により自分が法律上の相続人になったことの双方を知った時が問題になる。
死亡を後から知った場合や,先順位者の放棄により後順位者が相続人になった場合は,死亡日だけを見て期限を決められない。家族全員に同じ期限があるとも限らない。
2 調査が間に合わない場合と3か月を過ぎた場合
期限内に財産・債務の調査をしても判断材料が得られない場合は,家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申し立てることを検討する。債権者との交渉や戸籍の取寄せをしているだけで,期限が自動的に止まるわけではない。
死亡から3か月が過ぎていても,実際の起算点を確認せずに諦めるべきではない。他方,借金を後から知れば必ず新たな3か月が始まるわけでもない。最高裁昭和59年4月27日判決の例外は,相続財産が全くないと信じたことと,そのように信じる相当な理由等を要する。
具体的な期間計算,必要資料,例外の限界は相続放棄の3か月はいつからかで説明している。
第4 手続きと費用の見通し
1 家庭裁判所への申述から受理まで
提出先は,被相続人の最後の住所地の家庭裁判所である。自分の相続順位と管轄を確認し,申述書,戸籍等及び費用を準備して提出する。裁判所から照会や追加資料の求めがあれば,指定された期限までに,実際の事実に即して回答する。
受理された後は,受理を知らせる書面を保管し,必要に応じて受理証明書を取得する。請求してきた債権者には受理の事実と資料を伝え,後順位者にも自分の放棄によって相続人になる可能性があることを連絡するのが実務的である。
申述の受理は,後の民事訴訟で放棄の効力が一切争われなくなることを意味しない。裁判所から訴状等が届いたときは,受理済みという理由で放置しない。
2 800円だけで全て終わるわけではない
裁判所の全国案内では,申述人1人につき収入印紙800円と連絡用の郵便料を要する。これに戸籍・住民票除票等の交付手数料や郵送請求費用が加わる。専門家に依頼する場合は,別に報酬等が必要になる。
郵便料や戸籍の提出方法は提出先の案内を確認する。複数人の申述でも,手数料は各人ごとに必要である。共通書類の重複提出を省ける場合と,申述自体が1人分になることを混同してはならない。
第5 相続放棄のデメリットと放棄後に残る問題
1 資産も失い,自由には撤回できない
放棄すると,後で価値の高い土地や預金が見つかっても,その相続について相続人として取得することはできない。借金だけを放棄することもできない。民法919条により,承認・放棄は熟慮期間内でも自由に撤回できず,取消しは別の要件を満たす場合に限られる。
財産の見落としだけでなく,故人の保証契約,争いのある債務,継続中の契約等も判断材料になる。資料が足りないときは,期限前の伸長を含めた対応を考える必要がある。
2 次の順位の相続人と自分自身の債務を区別する
子が全員放棄すると,直系尊属,さらに兄弟姉妹等へ順位が移ることがある。放棄した子の子が,放棄だけを理由として代襲相続するわけではない。配偶者は,子等とは別に常に相続人となる立場であり,子の放棄によって配偶者も放棄したことにはならない。
また,自分が保証人として負っている債務や,自分で業者と契約して負った代金等は,相続による債務とは別に検討する。相続放棄で自分固有の契約まで解消されると考えてはならない。
3 放棄した家や遺品をそのまま捨ててよいとは限らない
現行民法940条では,放棄の時に相続財産を現に占有している者に,その財産を相続人又は相続財産清算人に引き渡すまでの保存義務がある。放棄者全員に一律の管理義務があるという説明は正確でないが,占有している家や家財を受理後直ちに放置・処分してよいわけではない。
家の売却・解体や価値のある家財の廃棄を急がず,占有状況と引渡し先を確認する必要がある。全員が放棄しても,家が自動的に国の所有になり,国が直ちに管理を引き受けるわけではない。
保存の範囲,引渡し先,相続財産清算人の選任及び費用の記録は,相続放棄した家・空き家はどうなるかで詳しく説明している。
第6 よくある疑問と相談のタイミング
1 死亡保険金や未支給年金も全て受け取れなくなるか
判断の出発点は,その権利が故人の相続財産なのか,受取人・遺族自身の権利なのかである。受取人が指定された死亡保険金,未支給年金及び死亡退職金等は,契約や法律・支給規程によって帰属が異なる。
「保険金」という名前だけで結論を出さず,保険証券,受取人の指定,給付の種類及び支給規程を確認する。詳しくは相続放棄をしても受け取れる権利を参照されたい。
2 既に預金を引き出した・遺品を整理した場合
一つの行為の名称だけで,全ての事案の放棄の可否が決まるわけではない。しかし,行為の時期,対象財産,経済的価値,原資及び使途によって法定単純承認が問題になるため,事実を整理せずに次の処分を進めるのは危険である。
法定単純承認の判断基準と,預貯金の払戻し後の判断と対応で,行為ごとの検討方法を説明している。
3 早めに専門家へ相談した方がよい場合
期限が迫る,起算点が争われる,既に財産を処分した,多額又は不明な債務がある,未成年者との利益相反がある,相続人が承認・放棄を決める前に死亡した,空き家の引渡し先が見つからない,債権者から訴状が届いた場合は,書類の準備だけでは解決しない問題がある。
相談時には,相続関係図,死亡等を知った日付の表,債権者の通知,資産・負債資料,預金の入出金及び遺品整理の記録,裁判所からの書類を持参すると,判断に必要な事実を共有しやすい。
山中弁護士への相談・依頼は遺言・相続のお問い合わせから可能である。
第7 出典と詳しい記事
法令はe-Gov法令検索・民法の887条,889条,890条,896条,915条,919条,920条,921条,922条,923条,924条,938条,939条,940条及び952条による。現行条文を令和8年10月11日に確認した。
手続・費用は裁判所「相続の放棄の申述」,地域別の提出方法は大阪家庭裁判所の案内を参照した。実際の提出時には提出先の最新案内を確認されたい。
熟慮期間の例外は最高裁昭和59年4月27日第二小法廷判決による。各論の判例,給付ごとの根拠及び手続上の注意は,本文からリンクした個別記事で説明している。