第1 この記事の対象と結論
本記事は,令和7年司法試験の論文式試験のうち,選択科目(労働法)第1問を対象として,法務省が公表した「出題の趣旨」及び「採点実感」から答案の評価項目を抽出し,5段階で重み付けをした上で,それらの評価項目を満たす模範解答を示すものである。
本問は,退職後1年間の競業避止を定めた労働契約上の条項に違反して同業他社に就職した労働者に対し,会社が退職金の半額を不当利得として返還請求できるか(設問1)と,産前産後休業及び育児休業から復職する際に役職を外され役職手当を支給されなくなった労働者が,役職手当の支払を請求できるか(設問2)を問うものである。
公式資料から抽出できた評価項目は24項目であり,重み5(答案の骨格又は採点実感が評価の分かれ目とした事項)に当たるのは,設問1の2つの論点(競業避止の合意と退職金支給制限条項)の区別,競業避止の合意の有効性の具体的な判断枠組み,退職金の功労報償的性格の具体的な検討,均等法9条3項・育児介護休業法10条による検討,両規定の強行規定性,最高裁判例の例外⑴の考慮要素を含めた提示,例外⑵の提示及び両方向の事実の総合評価の8項目である。
第5の模範解答は,設問1について退職金の半額(175万円)の返還請求を認め,設問2について令和5年4月から令和6年3月までの月15万円の役職手当の支払請求を認める結論を採っている。
答案は,論文式答案で広く使われてきた型(問題提起,規範の定立,当てはめ及び結論の順に書く型)で示し,その後に出題の趣旨・採点実感を踏まえた解説を付けている。
第2 評価項目の示し方と重み付けの基準
1 評価項目の示し方
評価項目は,本問の出題の趣旨(労働法第1問の部分)又は採点実感(労働法の科目総論及び「第1問について」の部分)の記述から抜き出したものに限り,一つの項目に一つの判定対象だけを入れ,答案に何が書かれていれば満たすのかが分かる形に言い換えた。
各項目には,出題の趣旨と採点実感のどこに根拠があるかを,PDFの頁と設問で示した(採点実感の「3⑴」は「3 採点実感等」の「⑴ 第1問について」を指す。)。
一方の資料に記載がない場合は「記載なし」,一般的な記述から導いたものは「間接」と表示した。
採点実感が不十分な答案として指摘した事項は,正しい書き方の項目の裏返しであればその項目にまとめ,独立の注意点であれば「〜しない」の形の項目にした(番号3・10・23)。
結論が複数あり得る論点は,結論ではなく検討の有無を項目にした。
公式資料の文章は,評価の強さを示す短い語句を除いて引用せず,根拠となる記述の趣旨を要約して示している。
2 5段階の重み付けの基準
重みは,公式資料の書きぶりの強さから本記事が付けたものであり,法務省の配点ではない。
項目数や重みの合計は,得点,合格可能性又は科目間の難易度を示すものでもない。
①重み5:採点実感が「高い評価」と「低い評価」を分けた事項,「大多数」「ほぼ存在しなかった」等と明言した事項,又は答案の骨格そのもの
②重み4:出題の趣旨が検討を求め,採点実感も高く評価し,又は不足・誤りの指摘を通じて取り上げた事項
③重み3:どちらか一方が明示する中核の理由付け又は当てはめ,若しくは評価を大きく下げる誤りとして指摘された事項
④重み2:一方が軽い表現で触れる補強の事項,又は典型的な誤りとして指摘された事項
⑤重み1:一方が控えめに触れるだけの事項
第3 本問の概要
Y社はバイアウト投資事業を営む会社であり,Xは平成24年4月に期間の定めなく雇用された女性労働者である。
XとY社との労働契約には,退職後1年間,Y社の事前の同意なくバイアウト投資事業を営む他社に就職せず,同事業の業務に従事しないとの条項(本件条項)があった。
Y社の就業規則には,退職金を「退職時の基本給×勤続年数に応じて逓増する支給率」で算定する定めと,本件条項に違反した者には退職金の半額を支給しないとの条項(退職金支給制限条項)があった。
Xは投資部門のグループの長(マネジャー)として月例賃金85万円(うち役職手当15万円)を受けていたが,産前産後休業及び1年間の育児休業から令和5年4月に復職する際,ディレクターAから,育児をしながらのマネジャー業務は困難であり,1年を超えるブランクがあり,後任のBがマネジャーに就いていることを理由にアソシエイトとしての復職を告げられた。
Aは復帰の見通しに言及せず,Xは到底納得できなかったが,交渉の精神的負担への不安からやむなく受け入れ,役職手当は0円となった。
Xは令和6年3月末に退職して退職金350万円を受け取り,同年4月から同業のC社で投資案件を担当した。
Xは在職中にBから,Y社が最優先案件の一つとしたD社の案件を知らされていたが,C社でその案件を担当し,C社の提案が採用されてY社は投資機会を逃した。
設問1は,Y社による退職金の半額の不当利得返還請求の当否を,設問2は,Xによる令和5年4月以降の月15万円の役職手当の支払請求の当否を,それぞれ検討すべき法律上の論点を挙げて論じさせる。
不正競争防止法の適用は検討不要とされている。
第4 評価項目と重み
1 設問1(退職金の半額の返還請求)
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | ①競業避止の合意(本件条項)の有効性とXの違反の有無と,②就業規則の退職金支給制限条項の有効性とXへの適用を,別個の論点として区別して論じる | 5 | 33頁(設問1):①②を主な論点として挙げる | 27頁3⑴(設問1):両者を区別しない答案が「少なからず見られた」 |
| 2 | 競業避止の合意の有効性を,職業選択の自由(憲法22条1項)を踏まえ,合意の目的(使用者の正当な利益の保護か),在職中の職位・職務内容,禁止の範囲(期間・地域・対象業種ないし行為),代償措置の有無等に照らし,合理性がなければ公序良俗違反で無効とする具体的な枠組みで判断する(抽象的な基準にとどめない) | 5 | 33頁(設問1①):下級審裁判例の判断基準を示し論述のポイントとする | 27〜28頁3⑴:具体的な規範と当てはめに高い評価,抽象的な規範に低い評価 |
| 3 | 本件条項は労働契約上の合意であり,就業規則の条項として労働契約法7条の合理性の観点から論じない | 3 | 記載なし | 28頁3⑴:「誤りというほかない」答案が相当数 |
| 4 | 判断枠組みの各考慮要素に本件の事実(投資先情報・分析手法等のノウハウ,マネジャーの職位,1年の期間,地域の限定なし,バイアウト投資事業への限定,代償措置なし等)を当てはめる | 4 | 33頁(設問1①):具体的事実への的確な当てはめを論述のポイントとする | 28頁3⑴:当てはめを適切に論じた答案に高い評価 |
| 5 | 本件条項が有効であるとして,Xに本件条項違反(同業他社への就職と業務への従事)が認められるかを検討する | 4 | 33頁(設問1①):違反の有無を①に含める | 28頁3⑴:検討を欠く答案が相当数 |
| 6 | 退職金支給制限条項は就業規則上の条項であるから,その合理性(労働契約法7条)による有効性自体を検討する(適用の可否だけを論じない) | 4 | 33頁(設問1②):労働契約法7条の合理性の検討を求める | 28頁3⑴:有効性自体を検討しない答案が散見 |
| 7 | 最高裁昭和52年8月9日判決等を踏まえ,本件退職金の算定方法に即してその功労報償的性格を検討し,支給制限条項の合理性を判断する(退職金一般に特定の性格があることを前提にしない) | 5 | 33頁(設問1②):退職金の性格に照らした検討を求める | 28頁3⑴:具体的な検討をした答案は「それほど多くなかった」 |
| 8 | 退職金支給制限条項が公序良俗等に反しないかを検討する | 2 | 33頁(設問1②):合理性と並べて触れる | 記載なし |
| 9 | 全額払原則(労働基準法24条1項)は既発生の賃金債権の全額払を求めるものであり,退職金債権をそもそも制限された限度でしか発生させない定めであれば違反しないことを示す | 4 | 33頁(設問1②):全額払原則との関係の検討を求める | 28頁3⑴:多くは適切だが正しく理解しない答案も散見 |
| 10 | 全額払原則との関係で,後払い的性格の部分の不支給は許されない,背信性があれば全額払原則違反とならない等の誤った理由付けをしない | 2 | 記載なし | 28〜29頁3⑴:「ごく初歩的な点」の誤りとして例示 |
| 11 | 支給制限条項が有効でも,退職金の賃金後払い的性格を踏まえ,Xに適用することの適否を背信性の有無により本件の事実に即して検討する | 4 | 33頁(設問1②):適用の適否(背信性の有無)を論述のポイントとする | 29頁3⑴:裁判例を参考にした検討を求める |
| 12 | 本件条項を無効とし,又は違反を否定する場合でも,仮に有効で違反があるとして番号6〜11を検討する(そのように考える答案に限る) | 2 | 33頁(設問1):仮定的な検討を求める | 記載なし |
2 設問2(役職手当の支払請求)
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 13 | 本件降格の有効性を,均等法9条3項又は育児介護休業法10条に照らし,産前産後休業ないし育児休業の取得を理由とする不利益取扱いとして許されないかという観点から検討する | 5 | 33頁(設問2):主な論点とする | 29頁3⑴:上記法条を指摘できない答案がある |
| 14 | 均等法9条3項(最高裁平成26年10月23日判決)及び育児介護休業法10条(同判例を踏まえた裁判例・行政解釈)が強行規定であり,違反する不利益取扱いは違法・無効であることを示す(努力義務規定として公序違反・人事権濫用の判断に流れない) | 5 | 33〜34頁(設問2):判例の枠組みの前提として示す | 29頁3⑴:強行規定性を多くの答案が指摘できず「非常に残念」 |
| 15 | 休業等を契機としてされた降格は,原則として禁止される取扱いに当たることを示す | 4 | 34頁(設問2):判例の判断枠組みとして示す | 29頁3⑴:規範としての提示を求める |
| 16 | 例外⑴(有利・不利な影響の内容や程度,事業主の説明の内容その他の経緯,労働者の意向等に照らし,自由な意思に基づく承諾を認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき)を,考慮要素を含めて規範として示す | 5 | 34頁(設問2):例外⑴を考慮要素とともに示す | 30頁3⑴:抽象的な規範部分のみの答案が多く,具体的に示した答案に「極めて高い評価」 |
| 17 | 例外⑵(降格せずに復職させることに業務上の必要性から支障があり,その必要性の内容・程度と有利・不利な影響に照らし,法の趣旨・目的に実質的に反しない特段の事情があるとき)を示す | 5 | 34頁(設問2):例外⑵を示す | 30頁3⑴:言及を欠く答案が「大多数」 |
| 18 | 最高裁判例の判断枠組みは軽易業務転換という有利な取扱いを伴う場合に限るとみる余地があることに触れ,本件に用いる理由,又は用いない理由と代わる規範を示す | 4 | 34頁(設問2):射程への言及と代わる規範の提示を求める | 29頁3⑴:代わる規範を示す答案は「ほぼ存在しなかった」 |
| 19 | 適法の評価に傾く事実(異議を留保せず受け入れたこと,ポストが埋まっていたこと等)と違法の評価に傾く事実を対比し,互いの評価を検討して総合的に判断する(並列的に列挙して直ちに結論を出さない) | 5 | 34頁(設問2):関連事実の的確な拾い上げと当てはめを求める | 30頁3⑴:総合評価に高い評価,並列的列挙に相対的に低い評価 |
| 20 | 例外⑴の当てはめとして,不利な影響(役職と月15万円の役職手当の喪失),説明の内容(復帰の見通しへの不言及等),経緯と意向(到底納得できず,やむなく受け入れた)を評価する | 3 | 間接(34頁(設問2):本件の事実関係に即した当てはめ) | 間接(30頁3⑴:本件への適切な当てはめ) |
| 21 | 例外⑵の当てはめとして,ポストが埋まっていたこと・ブランクを,休業時期の予見可能性,Y社自身の人選,5つのグループの存在,休業中の情報収集,育児を理由とする発言等と対比して評価する | 3 | 間接(34頁(設問2):本件の事実関係に即した当てはめ) | 間接(30頁3⑴:本件への適切な当てはめ) |
| 22 | 強行規定違反の本件降格は無効であり,Xは元の役職にあるものとして役職手当の支払請求を判断する(元の役職を主張し得ないとして請求を否定しない) | 3 | 記載なし | 30頁3⑴:元の役職を主張し得ないとする答案が若干 |
| 23 | Xの請求を役職手当の支払請求として論じ,役職手当相当額の損害賠償請求として論じない | 3 | 記載なし | 30頁3⑴:損害賠償として論じることは「的外れ」 |
3 答案全体
| 番号 | 評価項目 | 重み | 出題の趣旨 | 採点実感 |
|---|---|---|---|---|
| 24 | 各設問の結論を,問われている請求(設問1は退職金の半額の不当利得返還請求,設問2は役職手当の支払請求)の可否に対応させて締めくくる | 2 | 記載なし | 30頁3⑴:設問2の指摘に付して「設問1に関しても,同様に」と触れる |
4 重みの分布
24項目の内訳は,重み5が8項目,重み4が7項目,重み3が5項目,重み2が4項目,重み1が0項目であり,重みの合計は91点である。
設問別では,設問1が12項目・44点,設問2が11項目・45点,答案全体が1項目・2点であり,両設問がほぼ同じ比重になっている(問題文の配点は第1問全体で50点であり,設問ごとの配点は示されていない。)。
重み5の8項目は,設問1の2つの論点の区別(番号1),競業避止の合意の具体的な判断枠組み(番号2),本件退職金の功労報償的性格の具体的な検討(番号7),均等法9条3項・育児介護休業法10条による検討(番号13),両規定の強行規定性(番号14),例外⑴の考慮要素を含めた提示(番号16),例外⑵の提示(番号17)及び両方向の事実の総合評価(番号19)である。
番号1・13は答案の骨格そのものであり,番号2・7・14・16・17・19は採点実感が高い評価と低い評価を分けた,又は「大多数」「ほとんど存在しなかった」等と明言した事項である。
第5 模範解答
1 答案の前提と表記
以下の答案は,第4の評価項目をすべて満たすように作成したものであり,試験の実施時(選択科目は令和7年7月16日)の法令と,それまでに言い渡された判例を前提にしている。
設問はいずれも「あなたの意見」を求めているので,中立の立場から請求の当否を判断する形で書いた。
答案は,旧司法試験の時代から論文式答案で広く使われてきた型によっている。
見出しを「1」「(1)」「ア」の順に下げ,論点ごとに,問題提起(「〜が問題となる。」),規範の定立(「思うに,〜。よって,〜と解する。」),当てはめ(「本問では,〜といえる。」)及び結論(「よって」「したがって」「以上より」)の順に書き,反対の見方は「確かに,〜とも思える。しかし,〜。」の形で取り上げ,最後に「以上」と書く型である。
答案の括弧書きで示した判例は,裁判所ウェブサイトの判決全文で判示を確認したものに限った。
「判例同旨」は判例と同じ規範によるものを示し,設問1の「判例同旨」は最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決を,設問2の「判例同旨」は最高裁平成26年10月23日第一小法廷判決を指す。
字数は見出しを含めて約2,400字である。
実際の答案で分量を減らす場合は,重み5の評価項目(番号1・2・7・13・14・16・17・19)に対応する部分を残し,その他の部分を短くすることになる。
2 答案
1 設問1について
(1) Y社の不当利得返還請求(民法703条,704条)は,Xの退職金債権が半額の限度でしか発生していなければ認められる。そこで,①本件条項の有効性とXの違反の有無,②退職金支給制限条項の有効性とXへの適用の可否が,別個に問題となる。
(2)ア 本件条項は,就業規則ではなく,XとY社との労働契約上の合意である。退職後の競業避止の合意は職業選択の自由(憲法22条1項)を制約するから,合理性を欠けば公序良俗(民法90条)に反し無効となる。
思うに,退職した労働者は職業を自由に選択できるのが原則であり,他方,使用者は営業上の秘密等を保護する正当な利益を有する。よって,①合意の目的が使用者の正当な利益の保護にあるか,②在職中の職位・職務内容,③禁止の範囲(期間・地域・対象業種ないし行為),④代償措置の有無等に照らし,合理性が認められるかで判断すると解する。
イ 本問では,①投資先企業の情報や分析手法等のノウハウは,アソシエイトを含む全員がアクセスできたとはいえ,Y社固有のものであり,同業他社に利用されれば直ちに損失となるから,正当な利益といえる。②Xはマネジャーとしてグループを率い,これらを熟知していた。③期間は「1年」と短く,対象もバイアウト投資事業に限られる。地域の限定はないが,投資事業の性質上やむを得ず,Xが他の金融業務に就くことは妨げられない。④代償措置はないが,Xは月例賃金85万円等の処遇を受けており,違反の効果も退職金の半額不支給にとどまるから,制約の程度は小さいといえる。
したがって,本件条項は有効である。そして,Xは退職直後からC社でバイアウト投資先企業開拓の業務に従事しているから,本件条項に違反する。
(3)ア 退職金支給制限条項は就業規則の定めであり,Xの個別の同意はうかがわれないから,その合理性(労働契約法7条)が問題となる。
思うに,退職金の性格は当該退職金の定めによる。本件退職金は,退職時の基本給に勤続年数に応じて逓増する支給率を乗じて算定され,賃金の後払いの性格とともに功労報償の性格を併せ有する。よって,同業他社への就職により功労の評価が減殺され,退職金の権利そのものが半額の限度でしか発生しないとする本条項は,合理性を欠かず,公序良俗にも反しないと解する(判例同旨)。この場合,退職金債権は半額しか発生しないから,全額払の原則(労働基準法24条1項)にも反しない。
もっとも,賃金の後払いの性格にかんがみ,本条項をXに適用できるのは,条項の必要性,退職の経緯・目的,Y社の損害等に照らし,功労の評価を減殺するに足りる背信性がある場合に限ると解する。
イ 本問では,Xは在職中にBから,Y社が「最優先案件の1つ」としたD社の案件を知らされながら,C社で同案件を担当し,Y社は投資機会を逃している。確かに,Xの退職は復職時の処遇を契機としており,酌むべき事情がある。しかし,Y社の方針を知る者が競合する側で同じ案件を担当したことは,Y社の正当な利益を直接害するものであり,背信性があるといえる。
(4) したがって,受領した350万円のうち175万円は法律上の原因を欠き,Y社の返還請求は認められる。
2 設問2について
(1) Xは復職時にマネジャーの役職を外され(以下「本件降格」という。),役職手当を失った。そこで,本件降格が男女雇用機会均等法9条3項又は育児・介護休業法10条の禁止する,産前産後休業ないし育児休業の取得を理由とする不利益な取扱いに当たらないかが問題となる。
(2)ア 両規定は,休業等の権利保障の実効性を確保する強行規定であり,違反する措置は違法・無効である(均等法9条3項につき判例同旨。育児・介護休業法10条も,同判例を踏まえた裁判例や行政解釈のとおり同様に解される)。
そして,休業等を契機とする降格は原則として禁止される取扱いに当たるが,ⓐ有利・不利な影響の内容や程度,事業主の説明の内容その他の経緯,労働者の意向等に照らし,自由な意思に基づいて降格を承諾したと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき,又はⓑ降格せずに復職させることに業務上の必要性から支障があり,その必要性の内容・程度と有利・不利な影響に照らし,法の趣旨に実質的に反しない特段の事情があるときは,この限りでないと解する(判例同旨)。
確かに,同判例は軽易業務への転換という有利な取扱いを伴う事案であり,本件に及ばないとも思える。しかし,休業後の復職に伴う降格も休業等を契機とする不利益取扱いである点で異ならないから,同じ枠組みによるべきである。
イ 本問では,本件降格は休業直後の復職時に「1年を超えるブランク」を理由にされたから,休業を契機とするものである。
ウ ⓐについて,Xは異議を留保せず受け入れており,承諾があったとも思える。しかし,本件降格に有利な影響はなく,月例賃金は85万円から70万円へ減る。Aはマネジャーに戻る見通しに「言及しなかった」。Xは「到底納得できなかった」が,交渉の精神的負担への不安から「やむなく」受け入れたにすぎず,適切な説明を受けて諾否を決定し得たとはいえない。よって,ⓐの理由は存在しない。
エ ⓑについて,ポストが埋まっていたことは業務上の必要性を基礎付けるとも思える。しかし,休業と復職の時期はあらかじめ明らかで,Bを充てたのはY社の判断であり,5つのグループがあるのに他の配置を検討した事情もない。Xは休業中もブランクを抑える努力をしていた。かえって,Aは「幼児を育てつつ」の困難を理由としており,法の趣旨に正面から反する。よって,ⓑの特段の事情もない。
(3) したがって,本件降格は無効であり,Xは元のマネジャーの地位にあるから,役職手当の支払請求は,令和5年4月から令和6年3月まで月15万円の限度で認められる。
以上
3 出題の趣旨・採点実感を踏まえた解説
(1) 答案と評価項目の対応
設問1の(1)が番号1・24,(2)アが番号2・3,(2)イが番号4・5,(3)アが番号6〜10,(3)イが番号11に対応し,(4)が番号24の結論である。
設問2の(1)が番号13,(2)アが番号14〜18,(2)イ〜エが番号19〜21,(3)が番号22〜24に対応する。
番号12は,本件条項を有効・違反ありとした答案では問題とならない条件付きの項目である。
(2) 設問1
出題の趣旨によれば,退職後の競業避止義務の合意の有効性については一般的な判断枠組みを示す最高裁判例はなく,下級審裁判例が,職業選択の自由を踏まえ,合意の目的,在職中の職位・職務内容,転職が禁止される範囲(期間・地域・対象業種ないし行為),代償措置の有無等から合理性を判断する基準を形成してきたとされる。
採点実感は,「職業選択の自由の不当な制約か」という抽象的な基準にとどまる答案を低く評価しているので,答案では考慮要素を規範の段階で列挙した(番号2)。
採点実感が特に問題にしたのは,本件条項を就業規則の条項として労働契約法7条で論じる答案である(番号3)。
問題文は,本件条項を「XとY社との労働契約において」存在する条項とし,就業規則の内容と書き分けているから,本件条項は個別の合意として公序良俗の観点から審査し,就業規則の退職金支給制限条項は労働契約法7条の合理性の観点から審査することになる。
答案はこの区別を見出しの段階で示している(番号1・3・6)。
退職金支給制限条項については,最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決(集民121号225頁)が,同業他社に就職した退職社員の退職金を一般の自己都合退職の半額とする定めについて,退職金が功労報償的な性格を併せ有することから合理性がないとはいえず,退職金の権利そのものが半額の限度でしか発生しない趣旨と解されるから,労働基準法16条・24条や民法90条に違反しないと判断している。
採点実感は,本件の退職金の性格を論じないまま退職金一般の性格を前提にする答案を指摘しているので,答案では本件の算定方法(退職時の基本給×勤続年数に応じて逓増する支給率)から性格を導いた(番号7)。
全額払原則との関係は,同原則が既発生の賃金債権の全額払を求めるものであり,支給制限条項がそもそも退職金債権を制限された限度でしか発生させないものであれば違反しない,という形で整理する(番号9・10)。
支給制限条項が有効でも,退職金に賃金の後払いの性格があることから,Xへの適用の適否(背信性)を検討する必要がある(番号11)。
名古屋高裁平成2年8月31日判決(高民集43巻2号125頁)は,退職後6か月以内の同業他社就職者に退職金を支給しないとする全額不支給の条項について,条項の必要性,退職の経緯・目的,会社の被った損害等を総合して「顕著な背信性」がある場合に限って適用できるとしており,答案はこれを参考に,半額の不支給にふさわしい程度の背信性を要求した。
Xの退職が復職時の処遇に起因すること(第3)は背信性を弱める方向の事情であり,答案では反対方向の事情として取り上げている。
(3) 設問2
採点実感は,均等法9条3項・育児介護休業法10条の強行規定性を多くの答案が指摘できず,両規定を努力義務規定として公序違反や人事権濫用の判断に流れた答案が少なくなかったことを「非常に残念」としている(番号14)。
最高裁平成26年10月23日第一小法廷判決(民集68巻8号1270頁)は,均等法9条3項を強行規定とし,妊娠中の軽易業務への転換を契機とする降格は原則として同項の禁止する取扱いに当たるが,自由な意思に基づく承諾を認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき,又は業務上の必要性から支障がある場合で同項の趣旨・目的に実質的に反しない特段の事情が存在するときは,この限りでないとした。
同判決は,承諾の合理的な理由について,労働者が措置による影響につき事業主から適切な説明を受けて十分に理解した上でその諾否を決定し得たかという観点から判断すべきものとし,その事案では,育児休業終了後の復帰の可否等について説明を受けた形跡がないことを重視している。
本問のAが復帰の見通しに「言及しなかった」という事実は,この観点に直接対応する。
採点実感によれば,例外⑵に言及しない答案が大多数で,例外⑴も抽象的な規範部分だけを示す答案が多くを占めたから,答案では,例外⑴の考慮要素と例外⑵の判断要素を規範の段階で示した(番号16・17)。
出題の趣旨は,同判決の枠組みは軽易業務転換という有利な取扱いを伴う場合に限るとみる余地もあり,そう考える場合も同判決に言及した上で,参照すべきでない理由と代わる規範を示すことを求めている(番号18)。
答案は,休業後の復職に伴う降格も休業等を契機とする不利益取扱いである点で異ならないとして同じ枠組みを用いたが,射程を限定し,例えば業務上の必要性と不利益の程度を比較する別の規範を立てる構成も許容されると考えられる。
当てはめについて,採点実感は,関係しそうな事実を並列的に列挙して直ちに結論を示す答案を相対的に低く評価し,異なる方向の評価を示唆する事実の相互の評価を求めている(番号19)。
本問では,Xが異議を留保せずに受け入れたこと,後任のBがマネジャーに就いてポストが埋まっていたことが適法の評価に傾く事実であり,答案では「確かに〜とも思える。しかし,〜」の形でこれらを取り上げてから退けた(番号20・21)。
降格が無効であれば,Xは元の役職にあることになり,就業規則に基づく役職手当の支払請求が認められる(番号22)。
採点実感は,Xの請求を役職手当相当額の損害賠償請求として論じる答案を「的外れ」としており,答案は請求を賃金の支払請求のまま判断している(番号23)。
(4) 答案の弱点と扱わなかった事項
本件条項の有効性と背信性は,代償措置がないことや,社内で広く共有された情報であることを重く見れば,逆の結論も成り立ち得る。
その場合も,退職金支給制限条項の有効性と適用を仮定的に検討する必要がある(番号12)。
答案は字数を約2,400字に抑えるため,不当利得の悪意の受益者(民法704条)の利息,非債弁済(民法705条),賃金請求権の消滅時効,民法536条2項による反対給付の扱いは書いていない。
いずれも公式資料が求める事項ではない。
出題の趣旨は,競業避止の判断基準を示す裁判例として,奈良地裁昭和45年10月23日判決(下民集21巻9〜10号1369頁),東京高裁平成24年6月13日判決及び東京高裁令和5年11月30日判決(労判1312号5頁)を挙げ,育児介護休業法10条の強行規定性について東京高裁令和5年4月27日判決(労判1292号40頁)と厚生労働省の通達を挙げている。
このうち東京高裁平成24年6月13日判決は裁判所ウェブサイトで判決全文を確認したが,その他の3件は裁判所ウェブサイトに掲載されておらず,判決原文を確認していないため,答案の括弧書きには用いていない。
第6 関連記事
1 同じ年度の司法試験の別の模範解答
①令和7年度司法試験論文式試験の主要7科目の模範解答
②令和7年度司法試験論文式試験の選択科目8科目の模範解答
③令和7年度司法試験公法系第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した40項目と5段階の重み付け
④令和7年度司法試験公法系第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した72項目と5段階の重み付け
⑤令和7年度司法試験民事系第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した96項目と5段階の重み付け
⑥令和7年度司法試験民事系第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した65項目と5段階の重み付け
⑦令和7年度司法試験民事系第3問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した75項目と5段階の重み付け
⑧令和7年度司法試験刑事系第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した59項目と5段階の重み付け
⑨令和7年度司法試験刑事系第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した51項目と5段階の重み付け
⑩令和7年度司法試験倒産法第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した38項目と5段階の重み付け
⑪令和7年度司法試験倒産法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した28項目と5段階の重み付け
⑫令和7年度司法試験租税法第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した33項目と5段階の重み付け
⑬令和7年度司法試験租税法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した43項目と5段階の重み付け
⑭令和7年度司法試験経済法第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した25項目と5段階の重み付け
⑮令和7年度司法試験経済法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した25項目と5段階の重み付け
⑯令和7年度司法試験知的財産法第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した25項目と5段階の重み付け
⑰令和7年度司法試験知的財産法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した35項目と5段階の重み付け
⑱令和7年度司法試験労働法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した33項目と5段階の重み付け
⑲令和7年度司法試験環境法第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した26項目と5段階の重み付け
⑳令和7年度司法試験環境法第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した28項目と5段階の重み付け
㉑令和7年度司法試験国際関係法(公法系)第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した19項目と5段階の重み付け
㉒令和7年度司法試験国際関係法(公法系)第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した22項目と5段階の重み付け
㉓令和7年度司法試験国際関係法(私法系)第1問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した30項目と5段階の重み付け
㉔令和7年度司法試験国際関係法(私法系)第2問の模範解答と評価項目―出題の趣旨・採点実感から抽出した29項目と5段階の重み付け
2 本問の模範解答と関連する山中弁護士ブログの記事
①退職後の競業避止義務と退職金の減額・不支給―誓約書・就業規則の有効性と返還請求
②産休・育休からの復職時の降格・役職外し―均等法9条3項・育児介護休業法10条と「特段の事情」
③懲戒解雇でも退職金は全額不支給になるか―私生活上の犯罪・飲酒運転と功労抹消
④社員のミスやAIの使いすぎで会社が損害を受けたとき,本人に請求できるか―茨石事件・福山通運事件と労働基準法16条・24条
⑤男女雇用機会均等法の内容・改正経過・主要判例
⑥就業規則とは―記載事項・作成届出・周知・変更・懲戒の基本
第7 出典及び確認状態
1 公式資料
①法務省「令和7年司法試験の実施について」
②法務省「令和7年司法試験の試験問題」(選択科目のPDFの24〜25頁が労働法第1問)
③法務省「令和7年司法試験の結果について」(「論文式試験出題の趣旨」のPDFの32〜34頁が労働法第1問)
④法務省「令和7年司法試験の採点実感」(選択科目のPDFの27〜30頁が労働法の科目総論と第1問,32〜33頁が答案の評価等)
⑤令和7年司法試験の実施日程等について(司法試験委員会決定)
2 法令
①労働基準法(11条,16条,24条,65条)
②労働契約法(7条)
③民法(90条,703条,704条)
④雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(9条3項)
⑤育児休業,介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(10条)
⑥厚生労働省雇用均等・児童家庭局長通知(平成27年1月23日雇児発0123第1号)
3 裁判例
①最高裁昭和52年8月9日第二小法廷判決(昭和51年(オ)第1270号,集民121号225頁)
②最高裁平成26年10月23日第一小法廷判決(平成24年(受)第2231号,民集68巻8号1270頁)
③名古屋高裁平成2年8月31日判決(平成元年(ネ)第386号,高民集43巻2号125頁)
④東京高裁平成24年6月13日判決(平成24年(ネ)第920号等)
4 確認状態
出題の趣旨及び採点実感は,法務省が公表したPDFのうち労働法第1問の部分と,採点実感の労働法の科目総論・答案の評価等の部分を読んで評価項目を抽出した。
第2問の部分は評価項目の根拠にしていない。
法令は,e-Gov法令検索で試験の実施時(令和7年7月)の条文を確認した。
本件降格がされた令和5年4月の時点の均等法9条3項・育児介護休業法10条の条文も確認し,試験の実施時と同じ内容であることを確かめた。
厚生労働省の通達は,厚生労働省の法令等データベースで原文を確認した。
裁判例は,第7の3の4件について裁判所ウェブサイトで判決全文を確認した。
出題の趣旨・採点実感が挙げる裁判例のうち,奈良地裁昭和45年10月23日判決,東京高裁令和5年11月30日判決及び東京高裁令和5年4月27日判決は裁判所ウェブサイトに掲載されておらず,判決原文を確認していない。
また,最高裁昭和52年8月9日判決を「三晃社事件」,名古屋高裁平成2年8月31日判決を「労民集41巻4号656頁」とする公式資料の表示は,裁判所ウェブサイトの表示では確認できなかった。