第1 はじめに
国税庁が公表する統計には、申告・課税などの行政記録を集計したもの、標本を抽出して全体を推計したもの、税務調査等の実績を集計したものがある。いずれも有用であるが、同じ「件数」「割合」「1件当たり」といった表現でも、母集団、集計単位、抽出方法及び分母が異なる。
特に、民間給与実態統計調査、会社標本調査及び申告所得税標本調査は、名称に「標本調査」を含む一方、税務調査事績は、調査対象として選定された納税者等に対する実地調査又は簡易な接触の結果である。後者を納税者全体の無作為標本とみなすことはできない。
本記事では、国税庁の一次資料に基づき、これらの統計について、①誰又は何が母集団であるか、②1行又は1件が何を表すか、③同じ人・会社が複数回現れ得るか、④選択の仕組みが数値の意味にどう影響するかを整理する。個別の統計表を引用する前に、その数値が答えられる問いと答えられない問いを切り分けることが目的である。
第2 最初に区別すべき4つの公表物
1 行政記録の全数集計
国税庁の「統計情報」には、徴税、申告所得税、源泉所得税、法人税、相続税、消費税等の申告・課税事績を集計した統計年報などがある。これらは、対象となる行政記録を集計したものであり、標本から母集団を推計する標本調査とは性質が異なる。
ただし、全数集計であっても、「日本にいるすべての人」又は「すべての事業者」を意味するとは限らない。申告書、課税、源泉徴収義務者など、各表が対象とする行政記録の範囲が、そのまま母集団の範囲になる。
2 3つの標本調査
民間給与実態統計調査は、民間事業所の給与所得者を対象として、給与階級別分布等を明らかにする調査である。会社標本調査は、国内の普通法人のうち所定の範囲を対象として、資本金階級別・業種別の実態等を明らかにする調査である。申告所得税標本調査は、申告所得税の納税者を対象として、所得者別・所得種類別の構成等を明らかにする調査である。
いずれも層化等により標本を抽出するが、抽出率は一律ではない。規模の大きい層を全数抽出とし、それ以外の層について異なる抽出率を用いることがある。そのため、単純な標本件数と推計された全体件数を混同してはならない。
3 税務調査等の事績
法人税等又は所得税・消費税の調査事績は、実地調査や簡易な接触を実施した件数、そのうち申告漏れ等が把握された件数、追徴税額等を集計したものである。調査対象は、申告内容、資料情報、過去の調査状況などを踏まえ、調査必要度を考慮して選定される。
したがって、「実地調査1件当たりの申告漏れ所得金額」や「調査した件数のうち非違があった割合」は、選定された案件に条件付けられた数値である。これを納税者全体の申告漏れ率又は平均申告漏れ額と読み替えることはできない。
4 調査年・事業年度・事務年度
公表資料の期間も統一されていない。民間給与実態統計調査は暦年の給与、会社標本調査は一定期間内に終了した事業年度、税務調査事績は原則として7月から翌年6月までの事務年度を基礎とする。異なる資料を比較するときは、表題の「令和6年分」「令和6年度」「令和6事務年度」が同じ期間を意味しないことに注意を要する。
第3 3つの標本調査の母集団と集計単位
| 調査 | 主な母集団 | 主な集計単位 | 範囲を読む際の注意 |
|---|---|---|---|
| 民間給与実態統計調査 | 年末現在の民間事業所の給与所得者 | 給与所得者 | 官公庁職員、日雇労働者その他の所定の者を含まない。複数の勤務先から給与を得た人は複数人として集計され得る。 |
| 会社標本調査 | 活動中の国内普通法人のうち所定の範囲 | 事業年度 | 同一法人に対象期間中に終了する事業年度が複数あれば、それぞれ対象になり得る。 |
| 申告所得税標本調査 | 申告所得税の納税者 | 納税者 | 集計対象は、所定の時点までに申告し、申告納税額がある者であり、還付申告者や申告納税額のない者を含まない。 |
1 民間給与実態統計調査
民間給与実態統計調査の給与所得者は、原則として調査年の12月31日現在で民間事業所に勤務する給与所得者であり、所得税の納税の有無を問わない。一方、官公庁等の職員、日々雇い入れられる者、給与所得者の全員について所得税を源泉徴収する必要のない事業所の従事者等は対象外である。
標本は、事業所を抽出し、その事業所に所属する給与所得者を調べる二段抽出である。年間給与額が2000万円を超える者等について全数を調査する層が設けられ、その他の標本については抽出率及び回答率に応じた推計が行われる。
同一人が年中に複数の事業所に勤務し、それぞれから給与の支払を受けた場合、各事業所の給与所得者として複数人に数えられ得る。このため、同調査の「給与所得者数」や平均給与を、直ちに個人単位の就業者数又は一人の年間総収入と同一視することはできない。
2 会社標本調査
会社標本調査は、会社企業を資本金階級等により層化して抽出する。大規模法人や連結・グループ通算に関係する法人等には全数抽出となる層があり、その他の層には抽出率に応じた標本調査が用いられる。集計値は、標本法人の数値に標本抽出率の逆数に相当する係数を乗じるなどして推計される。
集計単位は、法人そのものではなく、対象期間内に終了した事業年度を基本とする。同一法人に対象期間中に終了した事業年度が2つ以上ある場合には、それぞれが調査対象となり得る。この性質を踏まえずに「法人数」と読み替えると、集計対象を誤るおそれがある。
また、利益計上法人と欠損法人の所得金額等は事業年度ごとに区分される一方、法人数の区分には、対象期間中に利益計上事業年度が1つでもあるかという別の取扱いがある。表の注記を確認し、金額の分類基準と会社数の分類基準を分けて読む必要がある。
3 申告所得税標本調査
申告所得税標本調査の対象は、個人の所得税の確定申告をしたすべての人ではない。所定の集計時点までに申告した者のうち、申告納税額がある者を母集団とするため、還付申告者及び申告納税額のない者は含まれない。
所得者の種類や所得階級等に応じて標本を抽出し、抽出率に応じて母集団を推計する。高額所得の層などで全数抽出が行われる場合がある。したがって、標本数の大小だけから、その層の母集団に占める割合又は推計精度を判断することはできない。
第4 重複と反復をどう考えるか
1 同じ年の中の重複
民間給与実態統計調査では、同一人が複数の事業所から給与を受けると、事業所ごとの給与所得者として複数に数えられ得る。会社標本調査では、同一法人に対象期間中に終了した事業年度が複数あると、複数の事業年度が対象になり得る。
この重複は、単純な集計ミスではなく、統計が採用する観察単位から生じる。統計表の名称だけでなく、「給与所得者」「会社」「事業年度」「納税者」のどれを数えているのかを確認する必要がある。
2 年をまたぐ反復
同じ給与所得者、会社又は納税者が翌年の母集団にも含まれることは当然あり得る。しかし、公表された年次集計表だけでは、前年と翌年の同一主体を結び付けて追跡することはできない。したがって、年ごとの公表値は、原則として各年の横断面を示す反復横断統計として扱うのが安全である。
これは公表集計表の構造から導かれる実務上の読み方であり、国税庁が個票レベルの情報を保有していないという意味ではない。公表表から同一人又は同一法人の移動、継続又は離脱を直接推計するには、別の縦断データ又は追加資料が必要である。
第5 抽出率と選択効果は別の問題である
1 標本調査の不均等な抽出
3つの標本調査では、規模、所得階級、業種等により層を分け、層ごとに異なる抽出率を用いる。不均等抽出そのものは、適切な推計倍率を用いる限り、母集団全体を推計するための調査設計である。高額層の全数抽出は、その層の把握を安定させるための設計と理解できる。
ただし、標本誤差、回答の有無、調査時点後の修正、母集団から除外される者の存在などは別に検討する必要がある。公表資料に標準誤差や信頼区間が示されていない表について、わずかな前年差を実質的な変化と断定することにも慎重さを要する。
2 税務調査の選定
税務調査は、母集団の数値を推計するための無作為標本抽出ではない。国税庁は、申告内容、資料情報、過去の調査状況等を分析し、調査必要度が高いと認められる納税者等を選定する。データ分析やAIが選定を支援しても、調査の要否を判断する業務であるという性質は変わらない。
その結果、税務調査事績における非違件数の割合、申告漏れ所得金額又は追徴税額は、選定された対象についての条件付きの成果を示す。選定方法や重点分野が変われば、実際の納税者全体の状況が同じでも、調査1件当たりの金額や非違割合が変わる可能性がある。
3 1件当たり金額の分母
「実地調査1件当たり」の金額を利用するときは、分子と分母を同じ公表表で確認する。追徴税額には加算税を含むか、調査対象となった複数年分を含むか、簡易な接触を含むかによって意味が変わる。
税務調査事績の増減を、納税者一般の違反傾向の増減と直結させることはできない。少なくとも、調査件数、選定方針、実地調査と簡易な接触の区分及び対象税目を併記する必要がある。
第6 弁護士・税理士が引用する際の確認手順
1 資料名と表番号を固定する
「国税庁の統計によれば」とだけ記載せず、資料名、年分・年度・事務年度、表番号及び公表日を特定する。ウェブ上の概要ページとPDF本表で定義が異ならないかも確認する。
2 母集団と除外対象を書く
数値を主張の根拠にするときは、その母集団を一文で説明する。例えば、申告所得税標本調査を用いるなら、確定申告者全体ではなく、申告納税額がある者を対象とすることを明記する。
3 集計単位と重複可能性を書く
人、給与の支払元、会社、事業年度、申告書、調査件数のいずれを数えた数値かを確認する。同一人の複数勤務先又は同一法人の複数事業年度が含まれ得る場合は、そのことを注記する。
4 推計値と実数を分ける
標本調査の推計値なのか、行政記録又は調査実績の実数なのかを区別する。標本調査では、抽出率、推計倍率、回答率及び全数抽出層の有無を確認する。
5 選択後の割合を母集団に外挿しない
税務調査で把握された非違割合や1件当たり金額は、調査対象に選ばれた案件についての数値である。「全納税者の何%」という表現に置き換えない。必要に応じて、選定対象に関する条件付きの数値であることを本文又は脚注に示す。
6 個別事件への当てはめは別に行う
統計上の平均値は、個別の納税者、損害賠償請求、婚姻費用・養育費、逸失利益又は事業価値を直ちに決めるものではない。個別事件では、源泉徴収票、確定申告書、総勘定元帳、預金取引、雇用契約、実際の勤務先数等の資料を優先し、統計は補充的な位置付けを明示して用いる。
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第8 国税庁の一次資料
国税庁の統計全体の入口は、統計情報である。
民間給与実態統計調査の調査対象、抽出方法、推計方法及び複数事業所から給与を得る者の取扱いは、民間給与実態統計調査参照。
会社標本調査の対象、抽出方法及び集計上の留意事項は、令和6年度分会社標本調査―調査の概要、令和6年度分会社標本調査―利用上の注意及び標本抽出方法参照。
申告所得税標本調査の対象、抽出方法及び推計方法は、令和6年分申告所得税標本調査及び標本抽出方法参照。
税務調査事績の件数、申告漏れ所得金額及び追徴税額は、令和6事務年度 法人税等の調査事績の概要及び令和6事務年度 所得税及び消費税調査等の状況参照。