第1 本記事の対象と要点
本記事は,健康保険(全国健康保険協会(協会けんぽ)及び健康保険組合)の被保険者に支給される傷病手当金について,令和8年9月11日現在の法令,厚生労働省の通知・事務連絡,社会保険審査会の裁決,裁判例及び協会けんぽの公表資料に基づき,支給要件,金額,支給期間,退職後の継続給付並びに他の給付との調整を整理するものである。
休職中の社員について会社が確認すべき事項(会社の休職期間と支給期間の違い,会社が就業させない期間の扱い,事業主の証明,休職期間満了による退職)は,休職中の傷病手当金――待期,通算1年6か月,退職後の継続給付及び2年の時効で整理しており,本記事では,傷病手当金の制度そのものの要件,金額,期間及び他の給付との調整を扱う。
国民健康保険,共済組合,船員保険及び日雇特例被保険者の傷病手当金の細部は,本記事の対象外である。
要点は次のとおりである。
①業務外の傷病の療養のため本来の仕事に就けない日が3日連続した後,4日目以降の仕事に就けない日について支給される。
②日額は,原則として,直近12か月の標準報酬月額の平均の30分の1の3分の2である。
③支給期間は,同一の傷病について,支給を始めた日から通算して1年6か月である。
④退職後も受け取るには,退職日まで継続して1年以上被保険者であったことと,退職日の時点で受給中又は受給できる状態にあることが必要であり,退職日に出勤すると継続給付は受けられない。
⑤同一の傷病による障害厚生年金,出産手当金及び労災保険の給付等とは調整され,雇用保険の基本手当とは同じ日について重ねて受けることは通常できない。
⑥請求権は,労務不能であった日ごとに,その翌日から2年で時効により消滅する。
第2 傷病手当金の位置付けと対象者
1 健康保険法99条の給付
健康保険法99条1項は,次のとおり定めている。
「被保険者(任意継続被保険者を除く。第百二条第一項において同じ。)が療養のため労務に服することができないときは、その労務に服することができなくなった日から起算して三日を経過した日から労務に服することができない期間、傷病手当金を支給する。」
最高裁は,この給付について,療養のための就労不能により報酬を受けることができない被保険者に,一定の限度でその生活を保障して療養に専念できる状態を与えようとするものであると述べている(最高裁昭和49年5月30日判決・昭和42年(行ツ)第98号・民集28巻4号551頁)。
同判決は,受給要件を厳格に解しすぎると,療養中の被保険者が可能な限度を超えて働かざるを得なくなり,制度の目的に反するとも述べている。
2 対象とならない者
任意継続被保険者は健康保険法99条1項の括弧書により除かれているため,任意継続被保険者である間に発生した傷病については傷病手当金は支給されない。
これに対し,在職中に受給していた者が退職後に任意継続被保険者となった場合については,同法104条が任意継続被保険者の資格を喪失した者の被保険者期間の数え方まで定めており,継続給付の要件(第6)により判断される。
国民健康保険法58条2項は,「市町村及び組合は、前項の保険給付のほか、条例又は規約の定めるところにより、傷病手当金の支給その他の保険給付を行うことができる。」と定めるにとどまる。
したがって,国民健康保険の傷病手当金は任意給付であり,自営業者等の国民健康保険の被保険者が受けられるかどうかは,加入先の市町村又は国民健康保険組合の条例・規約による。
共済組合(公務員,私立学校教職員等)の傷病手当金は各共済組合法に基づく給付であり,本記事の説明がそのまま当てはまるとは限らない。
役員であっても,健康保険の被保険者であれば対象となり得る。
常勤の取締役として実際に労務を提供し,報酬を受け,会社の人事・労務の管理下で勤務していた者について,少なくとも事実上の使用関係があったとし,健康保険組合が被保険者資格の確認を取り消した上でした傷病手当金の不支給決定を違法として取り消した裁判例がある(大阪高裁昭和55年11月21日判決・昭和54年(行コ)第51号)。
第3 支給要件
1 業務外の傷病の療養のためであること
健康保険法55条1項により,同一の傷病について労働者災害補償保険法等による相当の給付を受けることができる場合には,傷病手当金は支給されない。
業務上の傷病及び通勤災害は,原則として労災保険の対象である。
協会けんぽの案内によれば,健康保険で受ける療養に限らず,自費で診療を受けた場合でも仕事に就くことができないことの証明があれば対象となり,自宅療養の期間も対象となる。
他方で,美容整形のように病気とみなされないものは対象外とされている。
2 労務不能
労務不能の判断について,平成26年9月1日付けの厚生労働省保険局保険課事務連絡「傷病手当金の支給に係る産業医の意見の取扱いについて」は,昭和31年1月19日保文発第340号が示した考え方として,保険者が「必ずしも医学的基準によらず、その被保険者の従事する業務の種別を考え、その本来の業務に堪えうるか否かを標準として社会通念に基づき認定する」ことを引用している。
つまり,日常生活ができるかどうかではなく,その人の本来の業務に堪えられるかどうかが基準である。
最高裁昭和49年5月30日判決は,「被保険者がたとえその本来の職場における労務に就くことが不可能な場合であつても、現に職場転換その他の措置により就労可能な程度の他の比較的軽微な労務に服し、これによつて相当額の報酬を得ているような場合は、同条所定の受給要件には該当しないものというべきである」とした。
他方で,同判決は,生計の補いとして副業又は内職のような本来の業務の代わりにならない労務に従事したり,傷病手当金の支給があるまでの一時的なつなぎとして軽微な労務に服したりして賃金を得ても,受給権を失うことはないとした原判決を正当とした。
平成15年2月25日保保発第0225007号・庁保険発第4号の通知も同じ基準を示し,報酬を得ていることだけを理由に直ちに労務不能でないと認定せず,労務の内容と報酬額を十分に検討するよう求めている。
主治医と産業医の意見が分かれる場合について,前記の平成26年事務連絡は,主治医から労務不能の意見が得られなかったときに,産業医が任意に作成した書類を保険者に提出することは差し支えないとし,主治医が就労可能と判断し産業医が休業を要すると判断した場合も,保険者は双方の意見を参酌して判断するよう求めている。
社会保険審査会は,労務不能は本来の業務に耐えられるかを標準として社会通念に基づき認定すべきであり,医学的見地のみから判断すべきではないとしつつ,「特段の事情の存しない限り、まずは、その傷病の診療に当たった医師が、その傷病の性質、病状及び治療の経過等を踏まえた結果として、労務不能か否かについてどのような医学的判断をしているかが重視されなければならない」としている(社会保険審査会令和4年1月31日裁決・令和3年(健)第249号)。
同裁決は,自覚症状があることや通院して投薬等を受ける必要があることだけで直ちに労務不能とするものではなく,症状,治療内容及び予後の見通し等を総合的に検討して保険者が判断するとも述べている。
その上で,同裁決は,初診日より前の期間であること等を理由とする一部不支給について,入院と自宅療養の経過及び複数の医師の判断から同様の病態が継続していたとして,原処分を取り消した。
医師の意見が一見消極的でも,本来の業務との関係で読むと労務不能と評価されることがある。
社会保険審査会令和2年1月31日裁決(令和元年(健)第304号)は,保険者の照会に対して医師が「療養の為労務不能ではないが患者の訴えにより労務不能とした」と回答していた事案で,回答全体からは一切の作業ができないわけではないが立位で行う本来の作業には堪えられない趣旨と読めるとして,不支給処分を取り消した。
実務上は,医師に本来の業務の内容(立ち仕事か,重量物を扱うか,対人業務か等)を具体的に伝えた上で,意見書の「労務不能と認めた期間」を記載してもらうことが重要である。
3 待期3日間
健康保険法99条1項の「起算して三日を経過した日から」の意味について,昭和32年1月31日保発第2号の2は,療養のため労務に服することができない状態が同一の傷病につき3日間連続すれば待期は完成し,それで足りるとしている。
同通知の設例では,「休休休出休」の場合は待期が既に完成しており,5日目から支給され,「休出休休」の場合は待期がまだ完成していない。
一度待期が完成すれば,その後に出勤した日を挟んでも,同じ傷病について待期をやり直す必要はない。
令和3年11月10日付け厚生労働省保険局保険課事務連絡問2の例でも,復職を挟んで再び労務不能となった期間には,改めて待期は置かれていない。
協会けんぽは,「待期には、有給休暇、土日・祝日等の公休日も含まれるため、給与の支払いがあったかどうかは関係ありません。」と案内している。
また,就労時間中に業務外の事由で発生した傷病により仕事に就くことができない状態となった場合は,その日を待期の初日として数える扱いである。
4 報酬を受けないこと
健康保険法108条1項は,傷病について報酬の全部又は一部を受けることができる者には,その期間は傷病手当金を支給しないとしつつ,報酬の額が傷病手当金の額より少ないときは差額を支給するとしている。
協会けんぽのQ&Aによれば,出勤していない日に支払われる報酬として,有給休暇の賃金,出勤の有無にかかわらず支給される通勤手当・扶養手当・住宅手当等の手当,食事・住居等の現物支給が調整の対象となり,残業手当等の出勤した日の報酬や見舞金等の一時的に支給されるものは記入が不要とされている。
したがって,年次有給休暇は待期の3日間に充てても待期は完成するが,4日目以降に年次有給休暇を使った日は,その賃金が傷病手当金の日額以上であれば傷病手当金は支給されない。
年次有給休暇との関係は,年次有給休暇の付与日数,取得方法,年5日義務及び時季変更権も参照されたい。
なお,事業主から受けることができるはずであった報酬を受けられなかった場合には,保険者が傷病手当金を支給し,その額を事業主から徴収する(健康保険法109条)。
第4 支給額の計算
1 原則の計算式
健康保険法99条2項によれば,傷病手当金の日額は,次の手順で計算する。
①支給を始める日の属する月以前の直近の継続した12か月間の各月の標準報酬月額を平均する。
②その平均額の30分の1を求め,5円未満の端数は切り捨て,5円以上10円未満の端数は10円に切り上げる。
③②の額の3分の2を求め,50銭未満の端数は切り捨て,50銭以上1円未満の端数は1円に切り上げる。
標準報酬月額が基準であり,実際の手取り額ではない。
また,3か月を超える期間ごとに受ける賞与は健康保険法上の「報酬」に含まれない(同法3条5項)ため,標準報酬月額の平均にも反映されない。
計算例は次のとおりである。
①標準報酬月額の平均が30万円の場合は,30万円÷30=1万円,1万円×3分の2=6666.66…円となり,日額は6667円である。
②協会けんぽの例のように,支給開始日が令和8年2月15日で,標準報酬月額が令和7年3月から8月まで16万円,同年9月から令和8年2月まで18万円の場合は,平均17万円÷30=5666.6…円を5670円とし,その3分の2の3780円が日額となる。
日額は支給開始日の時点で決まり,同じ傷病について2回目以降の申請で計算し直すことはない(令和3年12月27日付け厚生労働省保険局保険課事務連絡別紙2問1)。
2 加入期間が12か月に満たない場合
支給を始める日の属する月以前の直近の継続した期間で標準報酬月額が定められている月が12か月に満たない場合は,①その各月の標準報酬月額の平均額と,②支給を始める日の属する年度の前年度の9月30日における全被保険者の標準報酬月額の平均額を基に算定した額のうち,いずれか少ない額を用いる(健康保険法99条2項ただし書)。
協会けんぽは,②の額を「30万円:支給開始日が令和7年3月31日以前の方」「32万円:支給開始日が令和7年4月1日以降の方」と案内している。
例えば,協会けんぽに加入して6か月で,その間の標準報酬月額が40万円の者について,支給開始日が令和7年4月1日以降であれば,32万円を用いることになり,32万円÷30=1万0666.6…円を1万0670円とし,その3分の2の7113円が日額となる。
32万円は協会けんぽの案内であり,健康保険組合に加入している場合の具体的な額は,加入先の組合で確認する必要がある。
また,平均の対象となるのは,「被保険者が現に属する保険者等により定められたもの」に限られる(健康保険法99条2項本文の括弧書)。
同じ保険者の中で勤務先が変わっただけであれば,変更前の標準報酬月額も平均の対象になる(前記事務連絡別紙2問2・問5)が,転職により別の健康保険組合へ移った場合は,前の保険者の標準報酬月額は平均の対象とならない。
第5 支給期間(通算1年6か月)
1 令和4年1月1日からの通算化
健康保険法99条4項は,「傷病手当金の支給期間は、同一の疾病又は負傷及びこれにより発した疾病に関しては、その支給を始めた日から通算して一年六月間とする。」と定めている。
この「通算」の仕組みは令和4年1月1日から施行され,令和2年7月2日以後に支給を始めた傷病手当金に適用されている(令和3年11月10日付け厚生労働省保険局保険課事務連絡・問9・問10)。
改正前の同項は,支給を始めた日から起算して1年6月を超えないものとしていた(社会保険審査会令和2年1月31日裁決・令和元年(健)第304号が引用する当時の条文)ため,途中で復職した期間も1年6か月の中に数えられていた。
2 支給日数の数え方
前記事務連絡問1・問2によれば,まず支給を始めた日から暦に従って1年6か月を数えて支給日数を確定し,その日数は傷病手当金を支給した日数分だけ減っていく。
例えば,令和4年3月1日から3日までが待期で,同月4日が支給開始日の場合,同月4日から令和5年9月3日までの549日間が支給日数となり,途中で出勤して傷病手当金が支給されなかった日の分は減らない。
3 支給日数が減らない場合
前記事務連絡問5によれば,報酬,障害年金又は出産手当金等との調整により傷病手当金が支給されなかった期間は,支給期間が減らない。
他方で,それらの額が傷病手当金の額を下回るために差額が支給された期間は,支給期間が減る。
時効により支給されなかった期間も,支給期間は減らない(令和3年12月27日事務連絡問10)。
同じ期間に複数の傷病について支給要件を満たす場合は,傷病ごとに支給期間が決まり,それぞれの支給期間が減っていく(前記事務連絡問6)。
なお,障害基礎年金の障害認定日は,原則として初診日から起算して1年6か月を経過した日である(国民年金法30条1項)。
傷病手当金の1年6か月は支給を始めた日から数えるので同じ日にはならないが,長期療養の場合は,傷病手当金の支給期間の残りと並行して,障害年金の請求を検討する時期が来ることになる。
第6 退職後の継続給付
1 要件
健康保険法104条は,次のとおり定めている。
「被保険者の資格を喪失した日(任意継続被保険者の資格を喪失した者にあっては、その資格を取得した日)の前日まで引き続き一年以上被保険者(任意継続被保険者又は共済組合の組合員である被保険者を除く。)であった者(第百六条において「一年以上被保険者であった者」という。)であって、その資格を喪失した際に傷病手当金又は出産手当金の支給を受けているものは、被保険者として受けることができるはずであった期間、継続して同一の保険者からその給付を受けることができる。」
要件は次の2つである。
①資格喪失日の前日(通常は退職日)まで引き続き1年以上被保険者であったこと(任意継続被保険者,共済組合の組合員である被保険者及び国民健康保険の期間は含めない)。
②資格喪失の際に傷病手当金の支給を受けていること。
②の「支給を受けている」には,現に受給している場合だけでなく,報酬の全部が支払われているため傷病手当金の支給が停止されているにとどまる場合も含まれる(昭和27年6月12日保文発第3367号,昭和32年1月31日保発第2号の2)。
障害厚生年金との調整により支給が停止されている場合も,要件を満たせば継続給付を受けられる(令和3年12月27日事務連絡問11)。
在職中は報酬を受けていたため支給されず,退職後に初めて支給が始まる場合は,資格喪失日の前日を基準として日額を計算する(健康保険法施行規則84条の2第1項)。
協会けんぽも,資格喪失日の前日に「現に傷病手当金を受けているか、受けられる状態」であれば,資格喪失後も引き続き支給を受けられると案内している。
2 退職日に出勤した場合と待期が完成していない場合
協会けんぽのQ&Aは,「退職日に出勤したときは、継続給付を受ける条件を満たさないために資格喪失後(退職日の翌日)以降の傷病手当金はお支払いできません。」としている。
また,前記の昭和32年通知は,資格喪失の日の前に労務不能の状態が3日間連続しているだけ(待期が完成しただけ)では,まだ傷病手当金の支給を受けているわけではなく,支給を受ける状態にもないから,継続給付は受けられないとしている。
したがって,退職後も傷病手当金を受けるには,退職日までに待期3日間を完成させ,退職日を含む労務不能の日について傷病手当金を受けているか,報酬を受けているために支給が停止されているにとどまる状態であることが必要と考えられる。
挨拶や引継ぎのために退職日に出勤すると継続給付を失うので,退職日の設定と最終出勤日には注意が必要である。
休職期間の満了によって退職となる場合に会社が確認すべき点は,休職中の傷病手当金――待期,通算1年6か月,退職後の継続給付及び2年の時効で整理している。
旧法に関する判断ではあるが,最高裁昭和49年5月30日判決は,資格喪失時にたまたま一時的に具体的な医療行為を受けていなかったとしても,療養を継続する意思と必要性があり,全体としてみれば療養の状態が継続していると認められる限り,資格喪失の際に療養の給付を受けている者に当たるとした原判決を相当としている。
3 いったん働けるようになった場合
継続給付は「継続して」受けるものであるため,いったん労務可能となった場合は,治癒しているか否かを問わず,同一の傷病により再び労務不能となっても傷病手当金は支給されない(令和3年11月10日事務連絡問11,協会けんぽの案内)。
在職中の傷病手当金は就労した日を挟んでも通算1年6か月まで受けられるのと異なり,退職後は一度途切れると復活しない。
もっとも,保険者がある期間を労務不能でないとして不支給にしたことが誤りであれば,継続は途切れていないことになる。
前記の社会保険審査会令和2年1月31日裁決は,退職後の一部期間の不支給処分を取り消した上で,それ以降の期間も資格喪失後の支給が継続していることになるとして,後続の期間の不支給処分もあわせて取り消した。
4 老齢年金との調整
継続給付を受けている者が老齢基礎年金や老齢厚生年金等を受けることができるときは,傷病手当金は支給されず,年金額(2以上あるときは合算額)を360で除した額が傷病手当金の日額より少ないときに限り,その差額が支給される(健康保険法108条5項,同法施行令38条,同法施行規則89条2項)。
この調整は継続給付の受給者に関するものであり,在職中の被保険者が受ける傷病手当金には及ばない。
5 退職後の健康保険との関係
継続給付は「同一の保険者」から支給されるので,退職後に任意継続被保険者となっても,国民健康保険に加入しても,家族の被扶養者となっても,元の保険者に申請する。
ただし,傷病手当金を受けていると,家族の被扶養者になれないことがある(第9の3)。
第7 他の給付との調整
1 障害厚生年金・障害手当金
同一の傷病について障害厚生年金を受けることができるときは,傷病手当金は支給されず,障害厚生年金の額(同一の支給事由による障害基礎年金があるときはその合算額)を360で除した額が傷病手当金の日額より少ないときに差額が支給される(健康保険法108条3項,同法施行規則89条1項)。
同一の傷病について障害手当金を受けることができるときは,傷病手当金の合計額が障害手当金の額に達するまで傷病手当金は支給されない(同法108条4項)。
調整されるのは「同一の疾病又は負傷及びこれにより発した疾病」に限られる。
社会保険審査会令和7年8月29日裁決(令和6年(健)第945号)は,慢性腎不全による障害厚生年金等を受給中の者が狭心症で傷病手当金を申請した事案で,保険者の医師照会が因果関係ありとの回答を誘導したものとうかがわれるなどとして医師回答をそのまま採用せず,両者の相当因果関係を認めず,一部不支給とした原処分を取り消した。
障害年金の対象傷病とは別の傷病による傷病手当金であれば,調整の対象とならない(令和3年12月27日事務連絡問7)。
障害年金の認定と労務提供能力の関係は,障害者手帳・障害年金の認定と労務提供能力は同じか―雇用紛争で区別すべき四つの判断層で整理している。
2 出産手当金
出産手当金を支給する期間は,傷病手当金は支給されず,出産手当金の額が傷病手当金の額より少ないときに差額が支給される(健康保険法103条1項)。
出産手当金を支給すべき場合に傷病手当金が支払われたときは,その傷病手当金は出産手当金の内払とみなされる(同条2項)。
3 労災保険
前記のとおり,同一の傷病について労災保険の休業補償給付等を受けられる場合は,傷病手当金は支給されない(健康保険法55条1項)。
もっとも,業務上か業務外かの判断がつかない場合について,平成24年6月20日付け厚生労働省保険局保険課事務連絡は,労災保険の認定が確定していないことを理由に健康保険の給付申請を受理しないことは認められないとし,健康保険の給付を受ける権利は業務上の災害に当たるかどうかの最終的な決定の有無にかかわらず2年で時効消滅するとしている。
東京高裁平成17年11月16日判決(平成17年(行コ)第193号)も,同一の疾病について労災保険の給付と傷病手当金の双方を請求することが可能であった以上,労災保険の給付を請求したからといって傷病手当金を請求したと同視することはできないとし,傷病手当金の請求権の時効消滅を認めた原判決(東京地裁平成17年6月24日判決・平成15年(行ウ)第612号)を維持した。
業務上か業務外かが争いになりそうな場合は,労災保険の請求と並行して傷病手当金も申請しておくのが安全である。
後に業務上の疾病と判断された場合,受給した傷病手当金は健康保険の保険者に返還すべきものとなる。
最高裁平成26年3月24日判決(平成23年(受)第1259号・集民246号89頁)は,業務上の鬱病による休業損害について使用者に損害賠償を求めた事案で,「本件傷病手当金等は,業務外の事由による疾病等に関する保険給付として支給されるものであるから(健康保険法1条,55条1項),上記の上告人保有分は,不当利得として本件健康保険組合に返還されるべきものであって,これを上記損害賠償の額から控除することはできないというべきである」とした。
労災保険の給付内容は,労災保険の給付内容―給付の種類,金額及び令和8年改正で説明している。
4 雇用保険(基本手当・受給期間の延長・傷病手当)
雇用保険の基本手当は「失業」している日について支給され,失業とは,離職し,「労働の意思及び能力を有するにもかかわらず、職業に就くことができない状態」をいう(雇用保険法4条3項)。
傷病手当金は療養のため働けない日について支給されるものであるから,本記事では,同じ日について傷病手当金と基本手当を重ねて受けることは通常できないと整理する。
退職後に療養が続く場合は,基本手当の受給期間の延長を検討する。
雇用保険法20条1項及び同法施行規則30条1号により,離職後に疾病又は負傷のため引き続き30日以上職業に就くことができない者は,公共職業安定所長に申し出ることで,職業に就くことができない日数を受給期間に加算することができ,加算後の期間は最長4年である。
傷病手当金の支給期間が終わって働けるようになった後に,延長した受給期間の中で基本手当を受けることになる。
雇用保険法37条の「傷病手当」は,離職後に公共職業安定所で求職の申込みをした後に疾病又は負傷のため職業に就くことができなくなった場合の給付であり,健康保険の傷病手当金とは別の制度である。
同条8項により,健康保険法99条の傷病手当金を受けることができる日については,雇用保険の傷病手当は支給されない。
5 交通事故等の損害賠償
交通事故のように第三者の行為によって生じた傷病について傷病手当金を支給した保険者は,支給した額の限度で,受給者が加害者に対して有する損害賠償請求権を取得する(健康保険法57条1項)。
受給者が先に加害者から賠償を受けたときは,保険者はその限度で給付を免れる(同条2項)。
損害賠償の計算では,傷病手当金は休業損害と同質の給付として損害額から控除されることがあり,過失相殺との先後については下級審の判断が分かれている。
名古屋地裁平成15年3月24日判決(平成13年(ワ)第4280号)及び大阪地裁平成21年2月19日判決(平成19年(ワ)第12383号)は,健康保険の傷病手当金を過失相殺前に控除し,札幌地裁令和4年3月17日判決(令和2年(ワ)第825号等)は,国家公務員共済組合法に基づく傷病手当金について過失相殺後の損害額から控除すべきであるとした。
過失割合が大きい事案では,この先後によって最終的な受取額が大きく変わる。
第8 申請手続と時効
1 申請書と添付書類
健康保険法施行規則84条により,傷病手当金の申請書には,傷病名,労務に服することができなかった期間,報酬を受けることができるときはその額及び期間等を記載し,医師又は歯科医師の意見書と,労務に服さなかった期間及び報酬等に関する事業主の証明書を添付する。
協会けんぽは,給与の支払の有無について事業主の証明が必要になるため,給与の締切日ごとに1か月単位で申請することを勧めており,審査の結果支払が可能であれば受付から10営業日以内に支払うとしている。
使用者は,勤務と給与の記録どおりに証明する必要がある。
事業主が虚偽の証明をしたために保険給付が行われたときは,保険者は,事業主に対し,受給者と連帯して不正利得の徴収金を納付するよう命ずることができる(健康保険法58条2項)。
2 時効
健康保険法193条1項により,保険給付を受ける権利は,行使することができる時から2年を経過したときは時効によって消滅する。
傷病手当金については,昭和30年9月7日保険発第199号の2が,労務不能であった日ごとにその翌日から時効が進行するとしている。
東京地裁平成17年6月24日判決も,「傷病手当金は、労務不能となった日ごとに、その翌日から請求権の行使が可能であって、この権利の行使に法律上の障害は存在しないから、それぞれの日分の傷病手当金請求権の消滅時効の起算点は、それぞれの日の翌日であると解すべきである」とした。
令和3年12月27日事務連絡問9の例では,令和4年9月1日から同月30日までの労務不能期間について令和6年9月15日に請求した場合,同月1日から14日までの分は時効が完成しているため支給されない。
休職期間が終わるまで,あるいは退職するまで申請をまとめて待つと,古い日の分から順に失われていく。
第9 税・社会保険料・扶養
1 税金
健康保険法62条は,「租税その他の公課は、保険給付として支給を受けた金品を標準として、課することができない。」と定めている。
したがって,傷病手当金は所得税や住民税の課税の対象とならない。
2 休職中の社会保険料
病気休職のように雇用関係が続いている間は被保険者資格を失わず,事業主と被保険者は,賃金の支給が停止される前の標準報酬に基づく保険料を折半して負担する(昭和26年3月9日保文発第619号)。
傷病手当金を受けていても保険料は免除されない。
無給の期間に給与から控除できない本人負担分の支払方法と,復職後の給与から立替金を控除する場合の制約は,社員が私傷病休職を開始する際に使用者が注意すべき事項の第6の3で整理している。
3 被扶養者の認定
日本年金機構の案内によれば,被扶養者の認定における年間収入には,雇用保険の失業等給付,公的年金のほか,健康保険の傷病手当金や出産手当金も含まれ,雇用保険等の受給者の場合は日額3611円以下であることが目安とされている。
退職後に家族の被扶養者となることを考えている場合は,継続給付の日額との関係を先に確認する必要がある。
第10 不正受給と給付制限
偽りその他不正の行為によって保険給付を受けた者からは,保険者はその給付の価額の全部又は一部を徴収することができる(健康保険法58条1項)。
また,保険者は,偽りその他不正の行為により保険給付を受け,又は受けようとした者に対し,6か月以内の期間を定めて,傷病手当金の全部又は一部を支給しない旨の決定をすることができる(同法120条本文)。
ただし,不正の行為があった日から1年を経過したときは,この決定はできない(同条ただし書)。
このほか,闘争,泥酔又は著しい不行跡によって給付事由を生じさせたときは保険給付の全部又は一部を行わないことができ(同法117条),正当な理由なしに療養に関する指示に従わないときは保険給付の一部を行わないことができる(同法119条)。
第11 統計に見る傷病手当金
協会けんぽの「全国健康保険協会管掌健康保険 現金給付受給者状況調査報告」(令和6年度)は,令和6年10月の傷病手当金の受給者全員(17万9680件)を調べたものである。
傷病別の件数の構成割合は,精神及び行動の障害が39.15%で最も高く,次いで新生物(14.49%),筋骨格系及び結合組織の疾患(8.76%),循環器系の疾患(7.32%),損傷,中毒及びその他の外因の影響(6.54%)の順である。
精神及び行動の障害の割合は,男性で35.69%,女性で42.68%である。
同じ調査の年度別の表によれば,精神及び行動の障害の割合は,平成7年の4.45%から,平成20年に21.46%,令和元年に31.30%となり,新型コロナウイルス感染症の影響が大きかった令和4年(18.11%)を除いて上昇を続け,令和6年に39.15%となった。
これは協会けんぽの各年の調査時点における件数の構成割合であり,健康保険組合や共済組合を含まず,精神疾患による休業者の人数や発生率そのものを示すものではない。
第12 実務上の留意点
本人の立場では,次の点が重要である。
①医師には本来の業務の内容を具体的に伝え,意見書の労務不能期間を業務との関係で書いてもらう。
②申請は給与の締切日ごとに行い,休職の終了や退職まで待たない。
③退職する場合は,被保険者期間が1年以上あるかを確認し,退職日に出勤しない。
④業務上の傷病の可能性があるときは,労災保険の請求と並行して傷病手当金も申請する。
⑤支給期間の残りが少なくなってきたら,障害年金の請求と雇用保険の受給期間の延長を確認する。
使用者の立場では,労務不能の判定は保険者が行うので,会社が支給を約束したり,支給されないと断定したりしないことが重要である。
休職期間中の給与,休業手当及び就業禁止との関係は,休職期間中の無給と休業手当の区別――民法536条2項,労働基準法26条及び就業禁止条項で,試し出勤の期間の扱いは,休職中の試し出勤制度―給与・最低賃金,労災・通勤災害及び傷病手当金の取扱いで説明している。
弁護士の業務では,休職期間満了による退職,解雇,業務上外の争い及び交通事故の損害賠償の場面で,傷病手当金の要件と調整が結論や計算に影響する。
特に,退職日の定め方は継続給付の可否に直結し,業務上の疾病と認められた場合は受給済みの傷病手当金の返還と損害賠償の計算が問題になる。
第13 関連記事
休職中の傷病手当金に絞った要点は,休職中の傷病手当金――待期,通算1年6か月,退職後の継続給付及び2年の時効で整理している。
社会保険の加入,保険料及び資格の取得・喪失は,社会保険の加入・保険料・資格取得喪失と士業の適用で説明している。
雇用保険の手続を含む労働保険の概要は,労働保険の加入・保険料・労災給付・雇用保険の手続で説明している。
第14 出典
1 法令
①e-Gov法令検索「健康保険法」3条5項,55条,57条,58条,62条,99条,103条,104条,108条,109条,117条,119条,120条及び193条(https://laws.e-gov.go.jp/law/211AC0000000070)
②e-Gov法令検索「健康保険法施行令」38条(https://laws.e-gov.go.jp/law/215IO0000000243)
③e-Gov法令検索「健康保険法施行規則」84条,84条の2及び89条(https://laws.e-gov.go.jp/law/215M10000008036)
④e-Gov法令検索「国民健康保険法」58条(https://laws.e-gov.go.jp/law/333AC0000000192)
⑤e-Gov法令検索「雇用保険法」4条3項,20条1項及び37条(https://laws.e-gov.go.jp/law/349AC0000000116)
⑥e-Gov法令検索「雇用保険法施行規則」30条(https://laws.e-gov.go.jp/law/350M50002000003)
⑦e-Gov法令検索「国民年金法」30条1項(https://laws.e-gov.go.jp/law/334AC0000000141)
2 裁判例
①最高裁昭和49年5月30日判決・昭和42年(行ツ)第98号・民集28巻4号551頁(https://www.courts.go.jp/hanrei/54111/detail2/index.html)
②東京地裁平成17年6月24日判決・平成15年(行ウ)第612号(https://www.courts.go.jp/hanrei/14826/detail5/index.html)
③東京高裁平成17年11月16日判決・平成17年(行コ)第193号(https://www.courts.go.jp/hanrei/34121/detail5/index.html)
④最高裁平成26年3月24日判決・平成23年(受)第1259号・集民246号89頁(https://www.courts.go.jp/hanrei/84051/detail2/index.html)
⑤大阪高裁昭和55年11月21日判決・昭和54年(行コ)第51号(https://www.courts.go.jp/hanrei/17358/detail5/index.html)
⑥名古屋地裁平成15年3月24日判決・平成13年(ワ)第4280号(https://www.courts.go.jp/hanrei/7656/detail4/index.html)
⑦大阪地裁平成21年2月19日判決・平成19年(ワ)第12383号(https://www.courts.go.jp/hanrei/37457/detail4/index.html)
⑧札幌地裁令和4年3月17日判決・令和2年(ワ)第825号等(https://www.courts.go.jp/hanrei/91789/detail4/index.html)
3 社会保険審査会の裁決
①令和2年1月31日裁決・令和元年(健)第304号(https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/syakai/dl/05-r02_03/01_01.pdf)
②令和4年1月31日裁決・令和3年(健)第249号(https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/syakai/dl/05-r04_05/01_01.pdf)
③令和7年8月29日裁決・令和6年(健)第945号(https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/syakai/dl/05-r07/01_01.pdf)
4 通知・事務連絡
①「休職と被保険者資格について」(昭和26年3月9日保文発第619号)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta2526&dataType=1&pageNo=1)
②「資格喪失の傷病手当金の支給について」(昭和27年6月12日保文発第3367号)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta2825&dataType=1&pageNo=1)
③「傷病手当金及び出産手当金の請求権消滅時効の起算日について」(昭和30年9月7日保険発第199号の2)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta2457&dataType=1&pageNo=1)
④「傷病手当金の支給について」(昭和32年1月31日保発第2号の2)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00ta2827&dataType=1&pageNo=1)
⑤「資格喪失後の継続給付に係る関係通知の廃止及び「健康保険法第98条第1項及び第99条第1項の規定の解釈運用」について」(平成15年2月25日保保発第0225007号・庁保険発第4号)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tb1103&dataType=1&pageNo=1)
⑥「労災保険給付の請求が行われている場合の健康保険の給付申請の取扱いについて」(平成24年6月20日事務連絡)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc7655&dataType=1&pageNo=1)
⑦「傷病手当金の支給に係る産業医の意見の取扱いについて」(平成26年9月1日事務連絡)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc0389&dataType=1&pageNo=1)
⑧「全世代対応型の社会保障制度を構築するための健康保険法等の一部を改正する法律による健康保険法及び船員保険法改正内容の一部に関するQ&Aの送付について」(令和3年11月10日事務連絡)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc6287&dataType=1&pageNo=1)
⑨同Q&Aの「内容の追加等について」(令和3年12月27日事務連絡)(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc6389&dataType=1&pageNo=1)
5 公的な解説・統計
①全国健康保険協会「傷病手当金」(https://www.kyoukaikenpo.or.jp/benefit/injury_and_sickness_allowance/index.html)
②全国健康保険協会「病気やケガで会社を休んだとき(傷病手当金)」(よくあるご質問)(https://www.kyoukaikenpo.or.jp/faq/benefit/002/index.html)
③全国健康保険協会「全国健康保険協会管掌健康保険 現金給付受給者状況調査報告 令和6年度」第一部(傷病手当金)概要・2頁~4頁(https://www.kyoukaikenpo.or.jp/assets/beneficiary_status_survey_r06_1-1.pdf)
④日本年金機構「従業員(健康保険・厚生年金保険の被保険者)が家族を被扶養者にするとき、被扶養者に異動があったときの手続き」(https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/hihokensha1/20141202.html)