第1 刑事裁判の終了まで,一律に待つ必要はない
1 会社の担当者が最初に確認すること
盗難品が警察に押収された場合,まず確認すべきなのは,何が,どの事件の証拠として,どこに保管されているかである。
逮捕又は起訴の有無だけで,返還時期や返還先が決まるわけではない。
本記事は,会社の在庫品・工具・原材料等が盗まれ,捜査機関又は裁判所に押収された場合の還付と,損害回復を並行して進める方法を扱う。
法令と公的資料の確認日は令和8年10月3日である。
会社の担当者は,担当警察官又は担当検察官に,事件番号,押収品の品目・数量・符号,現在の保管・処分の担当,会社の被害申告との対応を確認する。
その上で,会社の所有物であることを示す資料を提出し,留置の必要性がなくなった物の被害者還付と,留置を続ける物の仮還付の可否を分けて相談する。
これらは申出を具体化するための実務上の提案であり,全国共通の必須添付書類や返還期限を定めるものではない。
2 証拠調べの終了は,一律の前提条件ではない
刑事訴訟法123条1項は,留置の必要がない押収物を,被告事件の終結を待たずに還付する制度を定める。
同法124条1項は,押収された盗難品等について,留置の必要がなく,被害者に還付すべき理由が明らかである場合の被害者還付を定め,222条1項により捜査機関の押収にも準用される。
したがって,起訴後の証拠調べが終わるまで,すべての押収品が必ず留置されるという説明は正確ではない。
他方,原物の提示,鑑定,争われている同一性の確認等がなお必要であれば,留置が続くことがある。
写真,計量・分析結果,容器・ロットの記録又は必要な試料を確保することで,原物全部の留置を続ける必要がなくならないかを相談することは考えられるが,会社が代替資料を用意しただけで還付が認められるわけではない。
法務省の被害者支援の案内も,窃盗・強盗の被害品は捜査・公判上の必要がなくなり次第返還すること,所有物の返還希望は担当検察官・検察事務官又は被害者支援員に相談することを説明している。
第2 被害者還付と仮還付を区別する
1 被害者還付では,会社に戻す理由を示す
刑事訴訟法124条1項の被害者還付には,押収物が犯罪によって取得された物であること,留置の必要がないこと,被害者に還付すべき理由が明らかであることが必要である。
単に会社が同じ種類の物を扱っていたというだけで,押収された全数量が会社の物であると決めることはできない。
また,社員宅から押収された物と,買取業者から押収された物では,取得経緯や第三者の権利主張についての確認事項が異なり得る。
購入伝票・納品書,製造番号・ロット番号,容器やラベルの写真,在庫・受払記録,持出し時期・場所,会社の管理方法及び売却記録を突き合わせる。
供述がある場合も,客観的資料と対応させ,確かめられた数量と推計数量を分けて提出する。
高価であることだけから,危険物の廃棄等が行われず必ず返還されると考えるべきではなく,薬品等では適法な運搬・保管方法も早期に相談する。
2 留置の必要があっても,仮還付を検討する
刑事訴訟法123条2項は,所有者,所持者,保管者又は差出人の請求により,押収物を仮に還付できると定め,この規定も222条1項によって捜査機関の押収に準用される。
被害者であるというだけで自動的に仮還付を受けられるのではなく,会社が所有者等として請求できるか,証拠の確保に支障がないかを確認する。
会社の業務に必要である場合は,使用予定,代替品の調達可能性,留置による支障,保管場所・管理責任者,現状を維持する方法及び再提出に応じられる体制を説明する。
緊急性の説明と,証拠保全を損なわない説明を併せて行うことが適切である。
仮還付が認められるかは個別判断であり,納期や操業への影響が大きいことだけで認められるとは限らない。
第3 仮還付された物を自由に消費してよいわけではない
1 再提出と管理の条件を確認する
仮還付は,必要があれば再び提出することを予定した取扱いである。
裁判所の「押収物等取扱規程の運用について」の別紙様式第24「受領書(仮還付)」(PDF51頁)は,必要時の提出を約する様式になっている。
仮還付を通常の還付と同じ意味に受け取り,原材料を直ちに工程で消費し,又は他社へ転売してしまうことは避けるべきである。
受領時に,通常の還付か仮還付か,現状保存・使用・移動に関する条件,再提出の連絡先,保管責任者及び受領書の内容を確認する。
社内では通常在庫と区別し,品目・数量・状態の記録を残して管理する。
使用が必要な物は,使用によって原物や証拠としての性質が失われることを先に伝え,許される取扱いを担当機関に確認する。
2 受領の記録を,損害回復の記録にもつなげる
会社が物を受領したら,返還日,品目・数量,重量,品質,損傷,鑑定・試料採取による減少,運搬・保管に要した費用及び使用可能性を記録する。
現物が戻ったことと,盗難による損害がすべて回復したことは同じではない。
品質低下や合理的な代替調達費等については,因果関係と損害の資料を別に整理する。
第4 買取業者の権利主張や精錬がある場合
1 第三者の権利は,刑事手続だけで確定しない
刑事訴訟法124条2項は,被害者還付によって,利害関係人が民事訴訟で権利を主張することを妨げないと定める。
したがって,会社への被害者還付も,押収元への通常の還付も,それだけで最終的な所有権を確定する裁判ではない。
買取業者が即時取得や代価弁償を主張している場合は,取得時の善意・過失,取引経路,盗難時期,現に物を支配する者を確認し,民事上の請求も検討する。
民法193条の2年間の回復請求と,194条の代価弁償は別に検討する必要がある。
古物営業法20条の特則も,対象が同法の「古物」に当たるか等を確かめなければならない。
詳細は,社員が会社の物品を買取業者に売ったときの取戻しを参照されたい。
2 精錬後の物と元の原材料を混同しない
化学的な精錬によって元の原材料が消費され,別の物になっていれば,消滅した原材料そのものの返還を受けることはできない。
ただし,未処理品や試料が残っているか,精錬後の地金を特定できるか,混和又は加工によって誰に権利が帰属するかは別問題である。
「精錬済みだからすべて回復不能」「精錬後の地金は当然に会社の物」のどちらも,処理記録と民法245条・246条等の検討を省くことになる。
残存する物の返還,民法248条の償金,703条・704条の不当利得及び709条の損害賠償は,要件と対象が異なる。
業者の故意・過失と損害との因果関係を立証できる場合の損害賠償額を,業者の転売による利益だけに限定することはできない。
一方,善意の受益者に対する不当利得返還は現存利益の限度が問題となるため,損害賠償と同じ額を当然に請求できる制度ではない。
償金の買取代金控除を含む詳細は,前記取戻し記事の第5の2で説明している。
第5 刑事記録の取得と民事の財産保全を並行する
1 第一回公判期日後でも,捜査記録全部を取得できるとは限らない
犯罪被害者等保護法3条は,第一回公判期日後から事件の終結までの間,被害者等による公判記録の閲覧・謄写の申出について定める。
対象は当該被告事件の訴訟記録であり,警察・検察が集めた資料のすべてが公判記録になるとは限らない。
長期間の窃盗のうち一部だけが起訴された場合や,買取業者への請求に必要な資料が提出されていない場合には,公判記録だけで民事上の立証を完成できないことがある。
取得した資料を,盗難の各回,数量,取得者,処理・転売,支払及び過失を基礎づける事情ごとに整理し,不足する資料と次の照会先を明らかにする。
後の公判で追加された記録の確認も必要になることがある。
申出の窓口,第一回公判前の相談,不起訴記録及び使用条件は,従業員の窃盗・横領被害を受けた会社が捜査・刑事裁判の情報を確認する方法で扱っている。
2 捜査機関の押収は,会社の民事債権の保全ではない
刑事事件の証拠として物が押収されたことから,社員の預金等が会社の損害賠償請求のために確保されたとはいえない。
刑事記録がそろうまで本訴を待つことが合理的な場合でも,会社資料の保存,被害数量・請求根拠の整理,適法に確認できる財産の調査及び仮差押えの準備まで止める必要はない。
資産の移動・費消,時効又は回復期間が問題となる場合は,待つことで何を失うかを先に検討する。
民事保全法13条・20条により,仮差押えには保全すべき権利と,将来の執行ができなくなり又は著しく困難になるおそれの疎明が必要である。
逮捕や被害額の大きさだけで保全の必要性が認められるわけではない。
請求権の疎明,銀行・取扱店舗,担保,送達及び本訴への接続は,会社備品を盗んで転売した社員への対応を参照されたい。
第6 還付と被害弁償を二重に計上しない
1 返還済み・未返還・品質低下を分ける
損害額の整理では,返還された物の回復価値,未返還品,品質低下その他の残損害,現に受領した金銭及び保険金等を対応させる。
仮還付の状態や再提出の条件も記録し,物が社内へ戻ったことだけで最終的な解決として処理しない。
原材料の重量,金属換算重量,買取代金及び会社の損害額を同じ数字と扱わないことも必要である。
数量と評価の組立ては,工場の原材料が長期間盗まれていたときの被害立証で説明している。
2 示談では,支払約束と実際の回収を区別する
被害弁償の申出があれば,刑事手続の進行と並行して交渉することは考えられるが,返済の意欲と返済能力は別である。
会社は,支払原資,実際の入金,分割払の期限・不履行時の取扱い,合意の対象となる盗難の範囲及び未解明の被害を確認する。
一部の物又は金銭を受領しただけで,不明な被害や第三者への請求まで一括して放棄する文言に同意しないよう,合意の範囲を明確にすることが適切である。
第7 申出後に返還が進まないとき
1 担当と判断の対象を確認する
連絡が止まった場合は,移送・送致・公判提出等によって,物の保管先や処分担当が変わっていないかを確認する。
どの物について,どの資料が不足し,何のために留置が必要なのかを整理し,追加資料を提出するか,仮還付を請求するかを検討する。
不許可の判断がある場合と,書類の補充や照会の途中である場合を区別し,窓口とのやり取りを記録する。
2 不服申立ては,処分主体と内容に合わせて検討する
刑事訴訟法430条は,検察官・検察事務官又は司法警察職員のした押収・押収物の還付等に関する処分への不服について,裁判所へ取消し又は変更を請求する制度を定める。
裁判所がした裁判を争う場合は,処分主体が異なるため,同じ申立先・同じ手続と扱うべきではない。
還付を拒まれた経緯,正式な処分の有無,争う物の特定及び会社の権利を示す資料を弁護士に伝え,利用できる手続を個別に確認する。
本記事は,不服申立ての全類型,期限及び訴訟書式まで網羅するものではない。
第8 出典と説明の範囲
1 法令・公的資料
①e-Gov法令検索「刑事訴訟法」123条,124条,222条,347条及び430条
②e-Gov法令検索「民法」193条,194条,245条,246条,248条,703条,704条及び709条
③e-Gov法令検索「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」3条
④e-Gov法令検索「民事保全法」13条・20条
⑤法務省「8.裁判後の段階での被害者支援」「証拠品の返還」
⑥裁判所「押収物等取扱規程の運用について」第6の10及び別紙様式第24(PDF11頁~12頁・51頁)
2 本記事の確認範囲
法令の根拠と,申出を具体化するための資料・社内管理の提案を区別して記載した。
写真・試料等による代替,還付時期,窓口の要求書類及び仮還付品の使用可否は,個別事件の判断と指示を確認する必要がある。
精錬・混和後の加工物の権利,不当利得の具体的計算及び不服申立ての詳細は,事実関係・裁判例を踏まえた別途の検討を要し,本記事だけで特定の物又は金額を回収できると結論付けるものではない。