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日本はなぜ直接軍政を免れたのか――ポツダム宣言第7項・第12項と間接統治,1952年の占領終了(AI作成)

第1 ポツダム宣言第7項・第12項は何を定めたか

1 条文の文言と占領の対象

本記事は,生成AIを用いて米国立公文書館・国立国会図書館所蔵の一次資料を横断的に確認し,日本占領が「直接軍政」ではなく「間接統治」という方式で行われた経緯,及び占領が1952年に終了するまでの法的な枠組みを検証した上で構成した。
対象とするのはポツダム宣言第7項及び第12項であり,宣言全13項の概要は別稿に譲り,本記事ではこの2つの条項が占領の方式と終了条件についてどう定め,実際の占領統治がどのような過程を経てこれに応えたかを扱う。

第7項の英語正文は次のとおりである。

Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan’s war-making power is destroyed,points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.

外務省仮訳は「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」である。
条文は占領の対象を「連合国が指定する日本国領域内の諸地点」に絞っているが,占領を日本政府を介して行うか,連合国が直接に統治権を行使するかという占領の方式については規定していない。

第12項は,占領終了の条件を定める。

The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.

外務省仮訳は「前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」である。
条件は「目的の達成」と「日本国民の自由な意思による平和的で責任ある政府の樹立」という2つの要件を並立させる構造であり,暦日による期限は定めていない。

東京高等裁判所第二刑事部昭和28年7月17日判決(昭和27年(う)第2817号,医師法違反被告事件,高等裁判所刑事判例集6巻7号902頁)は,占領中に米空軍横田基地内で無免許診療行為をした被告人の事案で,第7項の解釈を次のように示した。

ポツダム宣言第七項に依ると,平和,安全及び正義の新秩序が建設せられ且日本国の戦争遂行能力が破砕せられたことが確認せられる迄は,連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は…占領せらるべきものである。従つて右第七項によつて占領せられた日本国領域内の諸地点は依然として日本の領土であるから,右の占領に直接に関連のない事項及び場所に対しては,右占領地域内においても日本国の主権は及ぶものと解するのを相当とする。

横田基地のような占領地点の内部であっても,占領目的に直接関連しない事項には日本の主権が及ぶと述べたこの判示は,第7項が占領地点の主権そのものを連合国に移すものではないことを示している。

2 発表直後から指摘されていた統治方式の多義性

第7項・第12項が占領の方式(直接統治か間接統治か)を定めていないという空白は,後世の読み込みではなく,宣言発表の直後から認識されていた。
米国務省極東部長ジョセフ・バランタインが国務次官補アーチボルド・マクリーシュに宛てた1945年8月8日付メモ(宣言発表のわずか13日後,日本受諾の6日前)は,次のように記す。

Do we propose to deal with the Japanese Government or to take over power and control in Japan as we have done in Germany? We would say that paragraphs 7 and 12 of the Proclamation leave open the question whether Allied military forces will supervise the Japanese Government or govern Japan directly.

われわれは日本国政府を相手として交渉するのか,それとも我々がドイツで行ったように日本において権力と統治を掌握するのか,宣言第7項及び第12項は連合国軍が日本国政府を監督するのか日本を直接統治するのかという問題を未解決のまま残している,という趣旨である。
この時点で米国務省内部が抱えていた懸案は,その後1か月余りの政策文書の書き換えを経て解決されることになる。

第2 直接軍政という選択肢はどこまで具体的だったか

1 第7項の起草過程における文言の変化

第7項の文言は,ポツダム会談に至る過程で少なくとも4段階の書き換えを経ている。
1945年7月2日,スティムソン陸軍長官がトルーマン大統領に提出した草案は「Japanese lands must be occupied and the exercise of our authority shall continue until there is convincing proof that Japan’s war-making power is destroyed」というもので,占領対象も権限行使も範囲を限定していなかった。
7月6日から9日にかけて国務・陸軍・海軍3省が承認した合衆国代表団ワーキングペーパーでは,「the exercise of our authority shall continue」という一般的な権限継続の文言が削除され,「Japanese territory shall be occupied to the extent necessary to secure the achievement of the basic objectives」という,目的の達成に必要な限度に絞る文言へ改められた。
7月24日にバーンズ国務長官がチャーチル首相に手交した案でも文言は同じままであったが,同じ文書の脚注には,英国側の修正提案を受けて第7項が変更対象として印を付けられていたことが記録されている。
7月26日の最終確定文言では,占領対象が「Japanese territory」(日本国領域)から「points in Japanese territory to be designated by the Allies」(連合国が指定する日本国領域内の諸地点)へとさらに絞り込まれた。

会談最終盤のこの2日間で対象が絞り込まれたことは一次資料で確認できる。
もっとも,この変更が直接軍政の可能性を排除する意図によるものかを明示する資料,及び英国側修正提案の具体的内容を示す資料には到達できなかった。

2 SWNCC150――1945年6月11日の原案が定めていた直接軍政

第7項の文言そのものではなく,米国政府内の政策文書が,占領方式の実体的な検討の舞台になった。
国務・陸軍・海軍調整委員会(SWNCC)が1945年6月11日付でまとめた対日占領方針の原案「SWNCC150」は,次のように直接軍政を明文で定めていた。

Immediately upon the unconditional surrender or total defeat of Japan,the supreme allied commander will exercise supreme authority over the domestic and foreign affairs of the Japanese Empire. Simultaneously,the constitutional powers of the Emperor shall be suspended.

日本の無条件降伏又は完全な敗北と同時に,連合国最高司令官が日本帝国の内政・外交に関する最高の権限を行使し,同時に天皇の憲法上の権限は停止される,という内容である。
もっとも同じ原案は,実務レベルでは「軍政は日本の行政機構及び可能な限り日本人官吏を利用する」ともしており,天皇の権限停止・軍政による最高権限の行使という直接統治は,法的な建前の水準にとどまり,末端の行政執行まで米軍人に置き換える構想ではなかった。

3 ドイツ型の布告案という並行するもう一つの検討

SWNCC150番台とは別に,降伏受理の実務文書(布告,降伏文書,一般命令第一号)を検討するSWNCC21番台が並行して進んでいた。
1945年8月10日付のSWNCC21/3は,ドイツの前例に準拠して「布告第1号」の案を検討しており,この案は次のとおり,統治権の包括的な接収を定めていた。

The Governments of ____ hereby assume supreme authority with respect to Japan,including all the powers possessed by the Emperor of Japan,Japanese Government,the Japanese Imperial High Command,and any regional,prefectural,municipal or local government or authority.

天皇・日本国政府・大本営及びあらゆる地方政府の権限を含め,日本に関する最高の権威を連合国が引き受ける,という内容である。
同じ報告書は,この文言がドイツで用いられた法的原則に準拠したものであることを認めつつ,次のように日本とドイツの違いを自ら指摘していた。

The assumption of power in Germany by the Four Governments was also based upon the non-existence of a German Government. This is not true as to Japan.

ドイツにおける四か国政府による権力の掌握はドイツ政府が存在しないという事実にも基づいていたが,日本についてはこれは当てはまらない,という趣旨である。
1945年8月10日の時点で,米国政府内ではなお,この種の包括的な統治権接収案が法的検討の対象になっていたことになる。

第3 間接統治への転換

1 SWNCC150番台の書き換え

SWNCC150は,その後わずか2か月半で内容を大きく書き換えられた。
8月12日改訂のSWNCC150/2は,「天皇及び日本国政府が国家を統治する権限は…最高司令官に従属する」,「最高司令官の権限は,天皇又は権限を与えられた日本の統治機関を通じて行使される」という,間接統治の骨格を備えた定式化へ移った。
もっとも同時に,「天皇等が意思又は能力を欠く場合には最高司令官が直接行動する権利を留保する」という直接統治への転換可能性も残していた。
8月22日改訂とされるSWNCC150/3を経て,8月31日にSWNCC内で採択され,9月6日にトルーマン大統領が承認したSWNCC150/4は,次のように間接統治を確定させた。

The Supreme Commander will exercise his authority through Japanese governmental machinery and agencies,including the Emperor,to the extent that this satisfactorily furthers United States objectives. […] The policy is to use the existing form of Government in Japan,not to support it. […] The Japanese Government will be permitted,under his instructions,to exercise the normal powers of government in matters of domestic administration.

最高司令官は,合衆国の目的に十分適う範囲で天皇を含む日本の統治機構を通じて権限を行使し,既存の政府形態を利用するのであってこれを支持するものではなく,日本国政府はその指示の下で国内行政に関する通常の統治権限の行使を許される,という内容である。

2 JCS1380/15によるマッカーサーへの命令

統合参謀本部は,1945年11月3日付でマッカーサーに宛てて基本指令JCS1380/15を発した。
同指令は次のように,直接軍政を樹立しないことを明示的に命じた。

Unless you deem it necessary,or are instructed to the contrary you will not establish direct military government,but will exercise your powers so far as compatible with the accomplishment of your mission through the Emperor of Japan or the Japanese Government.

貴官は直接軍政を樹立せず,天皇又は日本国政府を通じて権限を行使するものとする,という趣旨である。
もっとも同時に,「天皇又は日本の他の当局が実効的に行動する意思又は能力を欠く場合に直接行動を取る最高司令官としての権利」を常に留保するとも定めており,間接統治は絶対的なものではなく留保付きであった。

3 現地の経緯――8月30日から9月3日まで

現地における統治方式の転換点については,米陸軍公式戦史「Reports of General MacArthur」を典拠とする記述がある。
これによれば,昭和20年8月30日に現地部隊向けの作戦指示が修正され,占領軍が布告を発する方式から日本政府自身が執行しSCAPが監督する方式へ転換し,9月3日にはマッカーサーと重光葵外相の会談を経て,同日付で占領統治の基本的権限を定める連合国最高司令官指令第2号が発せられた。
重光がこの会談で日本政府を通じた統治の有効性を説き,マッカーサーに直接軍政実施の計画を棚上げさせたという説明も見られるが,この点を「Reports of General MacArthur」の当該箇所そのもので確認するには至っていない。
他方,ワシントンでの政策文書の書き換えに即して見ると,間接統治の骨格(SWNCC150/3)は8月22日の時点で既にほぼ固まっており,SWNCC150/4の大統領承認(9月6日)はこの現地での経緯よりも後であった。
したがって,現地でのマッカーサーの判断とワシントンでの政策確定作業がどこまで連動していたかは,一次資料の上では確定できない。

第4 間接統治を支えた法的な仕組み

1 降伏文書の2つの条項

1945年9月2日,東京湾上の米艦ミズーリ号で調印された降伏文書には,機能の異なる2つの条項がある。
一つは,日本国政府・大本営が連合国最高司令官の要求する命令を発し措置を執ることを約束する条項であり,次のように定める。

We hereby undertake for the Emperor,the Japanese Government and their successors to carry out the provisions of the Potsdam Declaration in good faith,and to issue whatever orders and take whatever action may be required by the Supreme Commander for the Allied Powers or by any other designated representative of the Allied Powers for the purpose of giving effect to that Declaration.

もう一つは,天皇及び日本国政府の統治権限そのものを制限する条項であり,次のように定める。

The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.

天皇及び日本国政府の国家統治の権限は,連合国最高司令官の制限の下に置かれる,という趣旨である。
前者は,後述するポツダム緊急勅令の直接の授権根拠として制定当時の政府自身が説明に用いており,後者は,日本国憲法に優越するSCAPの権限を認めた占領期の裁判例が援用する条項である。

2 一般命令第一号が定めなかったこと

降伏文書と同じ1945年9月2日,大本営はマッカーサーが発した一般命令第一号に基づき,各戦域の日本軍がどの連合国側指揮官へ降伏すべきかを指定した。
日本本土は米太平洋陸軍最高司令官(マッカーサー)が降伏を受理するものとされたが,これは軍事的な降伏受理の所管を定めたものであり,本土の民政統治を直接軍政と間接統治のいずれの方式で行うかは,一般命令第一号自体には定められていない。
現に,同じ指揮官(マッカーサー)に降伏受理が指定された北緯38度以南の朝鮮半島は,米軍政(USAMGIK)による直接統治に置かれており,統治方式の実体的な決定は,一般命令第一号ではなく,前述したSWNCC150/4及びJCS1380/15という別の政策文書に委ねられていた。

東京高等裁判所第六刑事部昭和29年4月21日判決(昭和27年(う)第3880号,特別公務員暴行傷害被告事件,高等裁判所刑事判例集7巻3号432頁)は,占領軍憲兵隊長の指示で逮捕した日本人に暴行した司法警察員の事案において,降伏文書及び一般命令第一号の服従条項を引用した上で,次のように述べた。

連合国軍がいわゆる間接統治方式を採用したことを思えば,私人又は本来職務権限のない行政官庁に指示命令を与えるようなことはよほど特別な場合でなければ認められない。

占領期の裁判所自身が「間接統治方式」という語を用いてこの構造を認識していたことを示す判示である。

3 ポツダム緊急勅令という国内法の受け皿

降伏文書による命令発出の約束を国内法上実施するための受け皿として制定されたのが,昭和20年勅令第542号(通称ポツダム緊急勅令)である。
同勅令第1条は,大日本帝国憲法第8条の緊急勅令として,「政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」と定め,1945年9月20日に公布された。
この勅令が何を根拠として制定されたかは,制定直後の第89回帝国議会(1945年12月13日,衆議院委員会審議)で,政府委員が次のように説明している。

降伏文書の中には,帝國政府が聯合國最高司令官の要求する所に從ひ「ポツダム」宣言所定の事項の實現の爲め,必要なる一切の措置を執るべきものとする旨の條項がある。

降伏文書による命令発出の約束が国内法上の委任立法の根拠であることを,制定当時の政府自身が公式に説明していたことになる。
この勅令に基づき発せられた個々の命令(ポツダム命令)が占領期の日本国憲法の下でどのような法的効力を持ったか,及びその後の廃止経緯については,別稿「日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令」で詳述しているため,本記事では立ち入らない。

4 統治機構の存続

JCS1380/15は,地方及び国の行政機関について「容認しがたい職員の更迭後も引き続き機能することを許される」とし,通常の刑事・民事裁判所についても「最高司令官が定める規制,監督及び統制に服する限度で引き続き機能することを許される」としていた。
この方針の下,帝国議会は占領期間中も存続し,占領開始からわずか3か月余りの第89回帝国議会が,SCAPの要求実施のための緊急勅令であるポツダム緊急勅令自体を審議し承諾したことは,統治機構存続の具体的な実例である。
間接統治の下で存続した日本政府・帝国議会・裁判所の権限は,あくまで降伏文書によるSCAPの制限の下で許容された権限行使であって,その制限から独立した固有の統治権ではなかった。

第5 本土とは異なる沖縄・奄美・小笠原の統治

1 一般命令第一号に先立つ沖縄の軍政

沖縄における米軍の統治は,一般命令第一号(9月2日)に先立つ1945年3月末,米軍の慶良間列島上陸直後に公布された米海軍軍政府布告第1号(通称ニミッツ布告)による日本の行政権停止から始まっていた。
沖縄は,海軍軍政(1945年から1946年),陸軍軍政(1946年から1950年),琉球列島米国民政府(USCAR,1950年から1972年)という系譜をたどり,日本の行政機構は解体されて米側が設置した機構に置き換えられた。
日本政府を存続させSCAPが指令を通じて統治した本土の間接統治とは,統治権行使の主体そのものが異なっていた。

2 SCAPIN677号による分離とポツダム宣言第8項

1946年1月29日,GHQ/SCAPは「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN677号)を発した。
同覚書第1項は日本政府による当該地域への行政権行使を停止し,第3項は北緯30度以南の琉球諸島,伊豆・小笠原・火山列島等を「日本」の定義から除外する一方,第6項は次のように留保していた。

Nothing in this directive shall be construed as an indication of Allied policy relating to the ultimate determination of the minor islands referred to in Article 8 of the Potsdam Declaration.

この指令中の条項は,ポツダム宣言第8項にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない,という趣旨である。
ポツダム宣言第8項は「日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と定め,本州等4島以外の「諸小島」の帰属を連合国が今後決定するものとして留保しており,SCAPIN677号による沖縄・奄美・小笠原の分離は,この未確定の留保を法的な足場としていた。

最高裁判所大法廷昭和48年9月12日判決(昭和47年(あ)第2613号,刑集27巻8号1379頁)は,沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律が,沖縄の法制下で行われた裁判を本土の法制下の裁判と「みなす」としたことについて,次のように判示した。

沖縄の法制下にあつた者に対し本土の法制下にあつた者と同一の刑事手続上の地位を保障するに足り,憲法14条,31条に違反するものではない。

沖縄が復帰まで本土とは別個の法制下にあったことを前提とする判示である。

3 奄美・小笠原の返還と平和条約第3条

奄美群島は1946年2月2日の「二・二宣言」で日本から分離され,1953年12月25日に返還された。
小笠原諸島も同じくSCAPIN677号で分離され,統治は一貫して米海軍が担当し,1968年6月26日に返還された。
1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効後は,分離の法的根拠がSCAPIN677号から同条約第3条(米国が単独で施政権を行使する権利,及び国連への信託統治提案の留保)へ切り替わったが,統治の実体は連続した。
沖縄への日本国憲法の適用について,2017年2月21日付政府答弁書は「日本国憲法は,観念的には同地域に施行されていたが,現実には…米国が施政権を行使していたため,実効性をもって適用されることはなかった」としている。
同答弁書はまた,復帰前の沖縄住民についても日本国籍を有していたことを確認しており,施政権の分離と国籍の分離とは別の問題であったことになる。

第6 占領はいつ終わったか

1 第12項の条件とサンフランシスコ平和条約第6条

1951年9月8日署名,1952年4月28日発効のサンフランシスコ平和条約第6条(a)は,「連合国のすべての占領軍は,この条約の効力発生の後なるべくすみやかに,且つ,いかなる場合にもその後90日以内に,日本国から撤退しなければならない」と定める。
第12項の条件(目的の達成及び平和的で責任ある政府の樹立)が暦日の期限を持たなかったのに対し,第6条(a)は発効後90日以内という確定した期限を設けており,両者は条件の性質を異にする。
この関係について,第6条が第12項を履行する規定であると明示した一次資料又は学説は確認できなかった。
日本政府自身は,2015年6月5日付答弁書において,ポツダム宣言を「日本国との平和条約により連合国との間で戦争状態が終結されるまでの間の連合国による我が国に対する占領管理の原則を示したもの」と位置づけ,「同宣言の効力は,同条約が効力を発生すると同時に失われた」としており,第6条による個別の履行ではなく,宣言全体の失効という構成を採っている。

2 1952年4月28日という日付が意味するもの

平和条約第1条(a)は日本国と各連合国との間の戦争状態が条約発効の日に終了するとし,同条(b)は連合国が日本国民の完全な主権を承認するとする。
第23条(a)は,条約の効力発生に日本国及び主たる占領国11か国のうち過半数の批准書寄託を要すると定めており,日本の批准書は1951年11月28日に米国政府へ寄託された。
条約は1952年4月28日に効力を生じ,同日付でGHQ/SCAPは廃止され,1945年9月2日のSCAPIN第1号から1952年4月26日のSCAPIN第2204号までの一連の指令は効力を失った。
条約の条文上「占領を終了する」と明記した単独の条項は見当たらず,占領終了という法的効果は,戦争状態の終了,日本国民の完全な主権の承認,及び占領軍の撤収義務という複数の条項が組み合わさって導かれる構成になっている。

3 占領終了と米軍駐留の継続は別の問題である

平和条約第6条(a)の但書は,占領軍の撤収義務が「二国間若しくは多数国間の協定に基く…外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない」と定める。
同日発効した日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)第1条は,この但書を受け,「日本国は,平和条約及び本条約の効力発生と同時に,アメリカ合衆国が日本国内及び附近に陸軍,空軍及び海軍を配備することを認め,アメリカ合衆国はこれを受諾する」と定めている。
両条約が同時に効力を生じるという規定自体が,起草者において占領終了と駐留の法的根拠の切替えを同一時点で連続させる意図があったことを示している。
占領軍としての地位は,降伏文書及び占領管理文書を法的な淵源とし,日本国政府の統治権限を制限する優越的地位であったのに対し,1952年4月28日以降の駐留は,主権を回復した日本国政府が対等な条約当事者として駐留権を認める関係であり,法的な淵源と日本国政府に対する法的地位のいずれの点でも別個の問題であった。

最高裁判所大法廷昭和34年12月16日判決(砂川事件,昭和34年(あ)第710号,刑集13巻13号3225頁)は,次のように判示した上で,安全保障条約に基づく米軍の駐留は憲法9条2項の戦力に当たらないと判断した。

憲法第九条は,わが国が敗戦の結果,ポツダム宣言を受諾したことに伴い…わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。

最高裁判所第二小法廷昭和38年12月25日決定(昭和37年(あ)第994号,集刑149号517頁)は,平和条約第6条(a)但書を逐語引用した上で,安全保障条約が同但書によって認められた米軍駐留に関する条約であると述べており,占領終了後の駐留継続の法的根拠を条文上確認している。

第7 ドイツとの比較

ドイツの無条件降伏文書(1945年5月7日及び8日調印)には,ドイツ国防軍最高司令部代表の署名しかなく,文民政府を代表する署名者は存在しない。
1945年6月5日,米・英・ソ・仏4か国政府は「ドイツの敗北及び連合国による最高権力掌握に関する宣言」(ベルリン宣言)により,「ドイツ政府,最高司令部及びあらゆる州・市町村の政府又は機関が保持する一切の権限を含め」た最高の権威を引き受けると宣言し,その理由として「秩序維持の責任を負いうる中央政府がドイツには存在しない」ことを明記した。
ドイツはその後,米・英・仏・ソ4か国の占領地区に分割され,各地区は各国軍政長官の直接統治下に置かれ,ドイツ全体に関わる事項は4か国司令官から成る統合管理理事会が共同で決定する体制を取った。
西ドイツの占領統治は,1949年の連合国高等弁務官委員会への移行を経て,1952年5月26日署名の一般条約と1954年10月23日のパリ協定によって1955年に終結したが,ドイツ全体を対象とする包括的な平和条約は,1990年の「ドイツに関する最終規定条約」(2プラス4条約)まで締結されなかった。
中央政府の存否こそが日独の統治方式を分ける前提であったことは,前述したSWNCC21/3自身が「ドイツにおける権力の掌握はドイツ政府が存在しないという事実にも基づいていた。日本についてはこれは当てはまらない」と述べていたとおりである。
日本は,降伏文書に天皇及び日本国政府の署名を残し,その統治機構を存続させたまま,敗戦から6年8か月余りで多数国間の平和条約により占領を終了させた点で,ドイツとは異なる経過をたどった。

出典・参考資料

1 法令・条約

①ポツダム宣言(1945年7月26日,米英中三国宣言)第7項,第8項,第12項
②降伏文書(Instrument of Surrender,1945年9月2日)
③一般命令第一号(General Order No. 1,1945年9月2日)
④「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(昭和20年勅令第542号,1945年9月20日)
⑤SCAPIN677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(1946年1月29日)
⑥日本国との平和条約(1951年9月8日署名,1952年4月28日発効)第1条,第3条,第6条,第23条
⑦日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約,1951年9月8日署名,1952年4月28日発効)第1条
⑧沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律

2 裁判例

東京高等裁判所第二刑事部昭和28年7月17日判決(昭和27年(う)第2817号,医師法違反被告事件,高等裁判所刑事判例集6巻7号902頁,裁判所ウェブサイト
東京高等裁判所第六刑事部昭和29年4月21日判決(昭和27年(う)第3880号,特別公務員暴行傷害被告事件,高等裁判所刑事判例集7巻3号432頁,裁判所ウェブサイト
最高裁判所大法廷昭和48年9月12日判決(昭和47年(あ)第2613号,刑集27巻8号1379頁,裁判所ウェブサイト
最高裁判所大法廷昭和34年12月16日判決(砂川事件,昭和34年(あ)第710号,刑集13巻13号3225頁,裁判所ウェブサイト
最高裁判所第二小法廷昭和38年12月25日決定(昭和37年(あ)第994号,集刑149号517頁,裁判所ウェブサイト

3 公文書・歴史資料

①Foreign Relations of the United States, Diplomatic Papers, The Conference of Berlin (The Potsdam Conference), 1945, Vol. I, Document 592, 594(第7項起草過程)
②同Vol. II, Document 1244, 1382(第7項確定文言)
③Foreign Relations of the United States, Diplomatic Papers, 1945, The British Commonwealth, The Far East, Vol. VI, Document 383(SWNCC150原案),Document 392(バランタイン覚書),Document 393(SWNCC21/3),Document 395(SWNCC150/2),Document 398(SWNCC150/4承認)
④国立国会図書館「日本国憲法の誕生」United States Initial Post-Surrender Policy for Japan (SWNCC150/4),(SWNCC150/4/A) 及び Basic Initial Post Surrender Directive (JCS1380/15)
⑤第89回帝国議会衆議院「昭和二十年勅令第五百四十二号(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件)(承諾を求むる件)委員会」第2号(1945年12月13日,帝国議会会議録検索システム)
⑥ベルリン宣言(1945年6月5日,Yale Avalon Project)
⑦衆議院議員逢坂誠二君提出「沖縄県における日本国憲法の適用開始の時点に関する質問主意書」及び答弁書(2017年2月21日,内閣衆質193第64号)
⑧参議院議員和田政宗君提出質問主意書及び答弁書(2015年6月5日,第189回国会質問第146号)

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※本記事中の判例及び法令の引用は,読みやすさのため句読点を「,」に統一した。仮名遣い・漢字等の表記は原典のままである。