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GHQ・極東委員会・対日理事会の違い――占領政策の決定・執行・助言(AI作成)

第1 この記事が答える問い

占領政策は誰が決め,誰が執行し,誰が助言したのか。
本記事は,混同されやすい三つの機関の役割を区別する。

第2 占領政策は誰が決めていたのか

1 政策文書はワシントンで作られた

対日占領の統治方式を実体的に決めたのは,最高司令官の現地判断ではなく,国務・陸軍・海軍調整委員会が作成した政策文書(SWNCC150番台)である。
1945年8月31日に採択され,同年9月6日に大統領が承認したSWNCC150/4は,日本の既存の統治形態を「支持するためではなく,利用するために」用いるという方針を確定した。

2 最高司令官への命令という形をとった

統合参謀本部が1945年11月3日付でマッカーサーに発した基本指令(JCS1380/15)は,次のように命じている。

“you will not establish direct military government, but will exercise your powers so far as compatible with the accomplishment of your mission through the Emperor of Japan or the Japanese Government.”

直接軍政を樹立してはならず,天皇又は日本国政府を通じて権限を行使せよ,という趣旨である。
同時に,天皇その他の当局が実効的に行動する意思又は能力を欠く場合に直接行動をとる権利も留保されていた。

第3 三つの機関の位置付け

1 連合国最高司令官と総司令部

連合国最高司令官(SCAP)は,占領政策を執行する主体である。
総司令部(GHQ)はその機構であり,日本政府に対して指令(SCAPIN)を発した。

2 極東委員会

極東委員会は,対日占領の基本政策を決定する多国間の機関である。

設置の根拠は,1945年12月にモスクワで開かれた米英ソ三国外相会議のコミュニケである。
同コミュニケに付された付託事項(Terms of Reference)が,委員会の構成・所在地・任務・議決方法を定めている。
本記事は,米国務省の公刊外交文書(Foreign Relations of the United States 1945, Volume II)に収録された同コミュニケの原文により,次を確認した。

構成国は11か国である。ソビエト連邦,英国,米国,中国,フランス,オランダ,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,インド,フィリピン連邦。
所在地はワシントンである(付託事項第6条1項)。
任務は,日本が降伏条項に基づく義務を履行するための政策・原則・基準を策定すること,加盟国の要求により最高司令官へ発せられた指令を再検討すること,その他付託された事項を審議することである(同第2条A)。
議決には,全代表の過半数であって,かつ米国・英国・ソビエト連邦・中国の4か国の代表の賛成を含むことを要する(同第5条2項)。

④が,しばしば「拒否権」と呼ばれるものである。
正確には,4大国のいずれか1国が反対すれば議決が成立しないという構造であり,日本の占領政策が米ソ対立の影響を直接受ける制度上の入口であった。

3 対日理事会

対日理事会は,最高司令官に助言する機関として東京に置かれた。
設置の根拠は,極東委員会と同じくモスクワ会議のコミュニケである。

所在地は東京であり,議長は最高司令官(又はその代理)が務める。
構成は4者である。最高司令官(又はその代理)が兼ねる米国代表,ソビエト連邦代表,中国代表,及び英国・オーストラリア・ニュージーランド・インドを共同で代表する1名。
任務は,最高司令官と協議し,助言することである。

権限関係について,コミュニケは明快である。
命令はすべて最高司令官が発する。
最高司令官は,事前に理事会と協議し助言を受けるが,これらの事項についての最高司令官の決定が支配する(controlling)

すなわち,対日理事会は決議機関でも監督機関でもない。
議長が助言を受ける相手方であると同時に,助言を受けた上で最終的に決める者でもある,という構造である。
ソ連代表が理事会でしばしば異議を述べながら占領政策を左右できなかったのは,この構造による。

もっとも,例外がある。
政策の変更,憲法機構の改正,日本政府全体の交代に関しては,理事会の構成員が最高司令官に反対した場合,最高司令官は極東委員会で合意が成立するまで命令の発出を差し控えるものとされていた。

4 中間指令――米国が単独で先に指令を出せる仕組み

極東委員会の議決に4大国の賛成を要する以上,緊急の事項について委員会の合意を待っていては占領行政が動かない。
そこで付託事項第3条3項は,緊急の事項が生じたときに,米国が委員会の決定に先立って中間指令(interim directives)を発することを認めた。

ただし,中間指令によることができない事項が三つ明示されている。

①日本の憲法機構の根本的な変更(fundamental changes in the Japanese constitutional structure)
②統治の体制の変更(change in the regime of control)
③日本政府全体の交代(change in the Japanese Government as a whole)

これらについては,極東委員会との協議と合意を経なければならない。

この三つの留保は,憲法改正の過程を理解する上で重要である。
総司令部が日本政府へ憲法改正を働きかけていた時期に,モスクワ・コミュニケによってその事項が最高司令官の手から離れたからである。

第4 日本政府へはどう伝わったか

1 終戦連絡中央事務局を経由した

指令は,総司令部から,1945年8月26日に設置された終戦連絡中央事務局(外務省の外局)を経由して日本政府へ伝達された。
指令には,1945年9月2日から1952年4月26日までの間に,SCAPIN-1からSCAPIN-2204までの番号が付されている。

2 国内法へ翻訳して実施した

日本政府は,受領した指令を勅令・政令・法律等の国内法の形式に置き換えて実施した。
この二段階の構造が,間接統治の実務である。

3 拘束力の重層構造

指令の国内的な拘束力は,次の重層構造として理解できる。

①降伏文書による国際法上の拘束
②一般命令第一号による一般的な服従義務
③昭和20年勅令第542号による国内法上の委任立法の権限
④占領期の裁判例が示した,占領目的に必要な限度で憲法の枠外の効力を認めるという理論構成

④については「日本国憲法外で法的効力を有していたポツダム命令」で扱っている。

第5 「GHQがすべてを決めた」といえるか

政策の決定と執行は分かれていた。
基本政策はワシントンで作られ,多国間の機関も関与し,執行は最高司令官が担った。

もっとも,日本政府から見た相手方は総司令部であり,実務上の接触もそこに集中した。
「GHQが決めた」という言い方は,日本側から見た実感としては理解できるが,政策の決定過程の説明としては正確でない。

第6 なお確認していないこと

本記事は,極東委員会及び対日理事会の設置合意(モスクワ会議コミュニケの付託事項)の原文を確認して書いたものである。
他方,次の点は確認していない。記述の限界として明示しておく。

①極東委員会及び対日理事会が実際に最初に開かれた年月日。
②極東委員会が採択した個別の決定文書。
③対日理事会の議事録と,そこでの議論の実際の経過。
④米国が中間指令を実際に何件発したか,及びその内容。

したがって本記事は,制度がどう設計されたかを述べたものであり,制度が実際にどう動いたかまでは踏み込んでいない。

第7 出典・参考資料

①モスクワ三国外相会議コミュニケ(1945年12月)及びこれに付された極東委員会・対日理事会の付託事項。United States Department of State, Foreign Relations of the United States: Diplomatic Papers, 1945, Volume II, Document 268 所収の原文で確認した。
②SWNCC150/4(1945年8月31日採択・9月6日大統領承認)
③JCS1380/15(1945年11月3日)
④降伏文書(1945年9月2日),一般命令第一号(同日)
⑤昭和20年勅令第542号