第1 この記事の対象と結論
1 この記事の対象と基準日
(1) 想定する遺言
本記事は,遺言者が遺産を換価し,費用及び債務を支払った後の金銭(以下「清算金」という。)のうち一定額を信託の財産とし,残額を相続人又は受遺者に分配するよう定めた遺言を扱う。
例えば,「遺言執行者は,遺言者の預貯金及び有価証券を換価し,その換価金から遺言者の債務,遺言執行費用及び遺言執行者の報酬を控除した残額のうち,第○条に定める額をBに信託する。Bは,これをCの生活費等に充てるため管理し,Cに給付する。残額は,D及びEに各2分の1の割合で取得させる。」という形の遺言である(本記事で作成した一般的な例である)。
清算型遺言一般の実現方法,信託銀行が遺言執行者への就職を辞退した場合の手続及び換価による譲渡所得の帰属は,清算型遺言(財産を換金して分ける遺言)の実現方法で扱っており,本記事は,清算金の一部を信託へ回す場合に固有の問題を取り上げる。
(2) 資料と基準日
本記事は,令和8年9月25日時点でe-Gov法令検索に掲載されている信託法,民法,相続税法,信託業法等の条文,裁判所ウェブサイトに掲載された最高裁判所の判決,国税庁の質疑応答事例及び信託協会の公開資料に基づいて整理したものであり,AIを用いて作成した。
条文の文言から直接導けない部分は,「本記事では~と整理する」「~と考えられる」という形で示す。
2 結論の要約
①信託銀行が商品名として用いる「遺言信託」は,遺言書の保管や遺言の執行を中心とするサービスであり,その契約だけで信託法上の信託が設定されるわけではない。
②遺言で信託を設定する場合(信託法3条2号),信託は遺言の効力の発生によって効力を生ずる(同法4条2項)から,遺言執行者が受託者へ送金することは信託を成立させる行為ではなく,信託財産となる金銭を受託者に移転する遺言の執行である。
③受託者に指定された者は引受けを義務付けられず,引受けの催告に確答しなければ引受けをしなかったものとみなされる(信託法5条2項)から,予備的な受託者を遺言で定めておくことが考えられる。
④遺言執行者は,換価,費用・債務・税金の留保額の確定,受託者への引渡し及び残額の分配の順に執行し,計算書,振込記録,受領書及び完了報告を残す。
⑤清算金が予定額に足りない場合の減額順序,受益者の先死亡と判断能力の低下,信託の終了事由及び残余財産の帰属は,遺言で定めておかないと法律の補充規定や解釈に委ねられる。
⑥遺言による信託の受益者は,信託に関する権利を遺言者から遺贈により取得したものとみなされる(相続税法9条の2第1項)。
第2 「遺言信託」という言葉の二つの意味
1 銀行サービスとしての遺言信託
信託協会の解説ページは,「遺言信託」を,信託銀行等が遺言書作成の相談から遺言書の保管,遺言の執行までの相続手続を支援するサービスとして説明している。
このサービスの中核である遺言の執行は,金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(以下「兼営法」という。)1条1項4号が,認可を受けた金融機関の営むことができる業務として掲げる「財産に関する遺言の執行」に当たる。
そのため,信託銀行と「遺言信託」の契約をしただけでは,遺言者の財産が受託者に移るわけではなく,信託法上の信託財産や受益権は生じない。
信託銀行の遺言信託を利用するときの費用や辞退の問題は,信託銀行の遺言信託を利用する遺言者と家族の注意事項で扱っている。
2 財産管理制度としての信託
信託法2条1項は,信託を,同法3条各号の方法により,特定の者が一定の目的に従い財産の管理又は処分等をすべきものとすることと定義している。
信託財産は受託者に属する財産であり(同法2条3項),受託者は信託行為の定めに従い信託財産の管理又は処分等をすべき義務を負い(同条5項),受益者は受益権を有する(同条6項・7項)。
本記事で「信託」というときは,この信託法上の信託を指す。
銀行サービス,遺言による信託及び遺言代用信託の違い全般は,遺言信託の記事で説明している。
第3 信託を設定する方法と時期
1 生前に設定した信託へ拠出する場合
(1) 信託契約と遺言代用信託
信託契約による信託は,委託者となるべき者と受託者となるべき者との間の信託契約の締結によって効力を生ずる(信託法4条1項)。
委託者の死亡の時に受益者となるべき者が受益権を取得する旨の定めのある信託(同法90条1項1号)等は,一般に遺言代用信託と呼ばれ,生前の契約によって既に効力を生じている点で,遺言による信託と異なる。
信託協会の解説ページも,遺言代用信託を,生存中は本人のために財産を管理・運用し,死亡後は配偶者や子に財産を引き継ぐ信託として説明している。
信託銀行の遺言代用信託の商品を終身保険や生前贈与と比較した整理は,余命宣告を受けた後に特定の相続人へ多くのお金を残す方法で扱っている。
(2) 清算金を追加で拠出するときの確認事項
生前に設定した信託に相続開始後の清算金を追加で拠出するよう遺言で定める場合は,その信託の契約に追加の拠出を受け入れる定めがあるか,受託者が受入れの手続を用意しているかを,遺言作成時に確認しておく必要がある。
追加拠出の法的な性質は遺言の文言と信託契約の定めによって異なり得るため,遺言では,拠出先の信託を契約日や受託者で特定し,受託者が受け入れない場合に清算金をどう扱うかも定めておくことが考えられる。
2 遺言による信託(信託法3条2号)の場合
(1) 効力が生ずる時期
信託法3条2号は,特定の者に対し財産の譲渡その他の処分をする旨と,その者が一定の目的に従い財産の管理又は処分等をすべき旨の遺言をする方法を,信託の方法の一つとして定めている。
この方法による信託は,「当該遺言の効力の発生によってその効力を生ずる」(同法4条2項)。
遺言は遺言者の死亡の時から効力を生ずるから(民法985条1項),遺言による信託は,停止条件又は始期が付されていない限り(信託法4条4項),遺言者の死亡の時に効力を生ずる。
遺言による信託の委託者は遺言者であり,委託者の相続人は,信託行為に別段の定めがない限り,委託者の地位を相続により承継しない(同法147条)。
(2) 受託者への送金は信託財産の移転である
そのため,遺言による信託について「遺言執行者が受託者へ送金して信託を成立させる」と説明するのは正確でない。
信託そのものは相続開始の時に効力を生じており,遺言執行者が換価後に行う送金は,遺言に定められた財産の処分を実行し,信託財産となる金銭を受託者に移転する行為である。
遺言執行者は,遺言の内容を実現するため遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有する(民法1012条1項)から,この移転は遺言の執行として遺言執行者が行う。
信託財産は「受託者に属する財産」であるから(信託法2条3項),本記事では,換価前の遺産や遺言執行者が管理している清算金がそのまま信託財産になるのではなく,受託者に引き渡された金銭が信託財産として管理されることになると整理する。
引渡し前の受託者の地位を正面から定めた規定は本記事の調査では見当たらなかったため,遺言には,受託者への引渡しの時期と方法を具体的に書いておくことが考えられる。
3 相続開始後に信託契約を締結する場合
(1) 効力の発生と委託者
遺言が信託の条項を定めず,「換価金のうち一定額で信託契約を締結する」とだけ定めている場合,信託は,相続開始後に締結される信託契約によって初めて効力を生ずる(信託法4条1項)。
この場合,信託契約の委託者を誰とするか(遺言執行者が相続人のために締結するのか,清算金を取得した相続人又は受遺者が自ら締結するのか)によって,委託者の地位や信託の変更・終了の権限が変わり得る。
(2) 課税上の問題
相続税法9条の2第1項は,受益者等となる者が信託に関する権利を「当該信託の委託者から」贈与(委託者の死亡に基因して信託の効力が生じた場合には,遺贈)により取得したものとみなすと定めている。
条文の文言上,委託者が遺言者ではなく相続人等となる構成では,受益者の取得が遺言者からの遺贈ではなく相続人等からの贈与と扱われるおそれがあると考えられる。
遺言者が信託の目的,受託者,受益者及び信託財産となる金額を自ら決めておきたい場合は,信託の条項を遺言の中に書き,遺言による信託として設計しておく方が,委託者と課税関係の点で説明しやすいと考えられる。
4 受託者となるべき者が引き受けない場合
(1) 引受けの催告
遺言で受託者となるべき者を指定しても,指定された者は引受けを義務付けられるわけではない。
遺言に受託者となるべき者を指定する定めがあるときは,利害関係人は,その者に対し,相当の期間を定めて,その期間内に信託の引受けをするかどうかを確答するよう催告することができる(信託法5条1項)。
指定された者が期間内に委託者の相続人に対して確答をしないときは,信託の引受けをしなかったものとみなされ(同条2項),委託者の相続人が現に存しない場合の確答の相手方は受益者等となる(同条3項)。
遺言執行者に対する就職の催告では,期間内に確答がなければ就職を承諾したものとみなされる(民法1008条)のに対し,受託者に対する引受けの催告では引受けをしなかったものとみなされる点で,効果が逆になる。
(2) 裁判所による受託者の選任
遺言に受託者の指定に関する定めがないとき,又は指定された者が信託の引受けをせず,若しくはこれをすることができないときは,裁判所は,利害関係人の申立てにより,受託者を選任することができる(信託法6条1項)。
この申立ては,遺言者の最後の住所地を管轄する地方裁判所の管轄に属する(同法262条5項)。
遺言執行者の選任は家庭裁判所が行う(民法1010条)のに対し,受託者の選任は地方裁判所に申し立てる点で,申立先が異なる。
選任の裁判に対しては,受益者又は既に存する受託者に限り,即時抗告をすることができる(信託法6条3項)。
なお,未成年者は受託者となることができない(同法7条)。
第4 遺言執行者・受託者・受益者の役割
1 三者の根拠と任務
| 項目 | 遺言執行者 | 受託者 | 受益者 |
|---|---|---|---|
| 地位の根拠 | 遺言による指定又は家庭裁判所の選任(民法1006条1項,1010条) | 遺言による指定と引受け,又は裁判所の選任(信託法3条2号,5条,6条) | 遺言による指定(信託法3条2号) |
| 始まる時 | 就職の承諾(民法1007条1項) | 信託の引受け | 信託行為の定めにより当然に受益権を取得(信託法88条1項本文) |
| 中心となる権利義務 | 相続財産の管理,換価,債務・費用の支払,受託者への引渡し,残額の分配(民法1012条1項) | 信託財産の管理・処分,善管注意義務,忠実義務,分別管理,帳簿の作成(信託法26条,29条,30条,34条,37条) | 受託者に信託事務の処理の状況等の報告を求める(信託法36条) |
| 報告・通知 | 任務開始時の遺言内容の通知,財産目録の交付,任務終了後の経過・結果の報告(民法1007条2項,1011条1項,1012条3項,645条) | 受益権取得の通知,毎年の計算書類の報告(信託法88条2項,37条3項) | 報告を受ける側 |
| 終わる時 | 遺言の執行の完了 | 信託の清算の結了等(信託法56条1項) | 受益権の消滅又は信託の終了 |
遺言執行者の任務は,受託者へ金銭を引き渡し,残額を分配して執行を終えれば終わるのに対し,受託者の任務は,引渡しを受けた時から信託が終了して清算が結了するまで続く。
二つの任務の境目は受託者への引渡しであり,その前は遺言執行者が相続財産として清算金を管理し,その後は受託者が信託財産として管理する。
2 同じ者が遺言執行者と受託者を兼ねる場合
(1) 兼任と義務の区別
本記事で確認した民法及び信託法の条文には,遺言執行者と受託者の兼任を禁止する規定は見当たらず,同じ信託銀行や親族を双方に指定する遺言もあり得る。
兼任すれば引渡しの手続は簡単になるが,遺言執行者としては善良な管理者の注意をもって事務を処理する義務を負い(民法1012条3項,644条),受託者としては受益者のため忠実に信託事務を処理する義務を負う(信託法30条)から,二つの立場は区別される。
(2) 利益が対立する場面
清算金が不足して信託拠出額と他の取得者への分配額のどちらを減らすかが問題となる場面や,換価の時期・方法について受益者と他の取得者の利害が異なる場面では,同じ者が両方の立場で判断することになる。
このような場面に備え,減額順序(第6の2)や換価の時期・方法を遺言で具体的に定めておくと,兼任者の裁量が狭まり,判断の根拠を示しやすくなる。
信託財産を固有財産等と分別して管理する義務(信託法34条)や利益相反行為の制限(同法31条)は,兼任の場合も受託者として適用される。
第5 相続開始から完了報告までの手順
1 遺言執行者の就職と受託者の引受けの確認
(1) 遺言執行者の就職
遺言執行者は,就職を承諾したときは直ちにその任務を行わなければならず(民法1007条1項),任務を開始したときは遅滞なく遺言の内容を相続人に通知しなければならない(同条2項)。
最高裁昭和62年4月23日第一小法廷判決(昭和61年(オ)第264号,民集41巻3号474頁)は,遺言執行者として指定された者が就職を承諾する前であっても,民法1013条にいう「遺言執行者がある場合」に当たるとした。
したがって,信託銀行等が遺言執行者に指定されている場合,相続人は,就職の承諾前であっても,換価の対象となる預貯金や有価証券を処分すべきではない。
信託銀行が遺言書を開示した日と就職を承諾した日の違いは,遺言書を開示した信託銀行はいつ遺言執行者に就任するのかで説明している。
遺言執行者がある場合の相続人の処分制限と通知は,遺言執行者が指定されている場合の相続人の注意点で扱っている。
(2) 受託者の引受け
受託者となるべき者の引受けは,遺言執行者の就職とは別に確認する必要がある。
遺言執行者は,就職後の早い段階で,受託者となるべき者に遺言の写しを送り,引受けの意思,引受けの時期,受入口座及び必要書類を書面で確認しておくと,引受けの有無をめぐる行き違いを防ぎやすい。
引受けの意思が示されない場合は,第3の4の催告と受託者選任の申立てを検討する。
2 預貯金・有価証券の換価
(1) 換価の権限と方法
換価を命じる遺言では,預貯金の解約・払戻しや有価証券の売却・解約が遺言の執行に当たり(民法1012条1項),遺言執行者がその権限内で遺言執行者であることを示してした行為は,相続人に対して直接にその効力を生ずる(民法1015条)。
換価の時期,売却の方法及び証券口座の手続上の問題は,遺言執行者が相続株式・有価証券を売却して分配する際の実務上の問題点で扱っている。
(2) 現物で受け取りたいという申出があるとき
他の取得者から,換価せずに株式や投資信託を現物で受け取りたいとの申出があっても,信託へ拠出する金銭が不足しないかを先に確かめる必要がある。
全員の合意で現物のまま分ける場合の要件と,清算金の一部を信託へ拠出する遺言で確認すべき事項は,遺言で換金して分けるとされた株式・投資信託を現物で受け取れるかで扱っている。
3 費用・債務・税金の留保額の確定
(1) 相続財産から支払う費用と債務
遺言の執行に関する費用は相続財産の負担とされ(民法1021条本文),遺言執行者の報酬は,遺言に定めがあればそれにより,なければ家庭裁判所が定めることができる(民法1018条1項)。
清算型遺言は「債務及び費用を控除した残額」を分けると定めることが多いから,被相続人の借入金,未払の医療費や公租公課,葬儀費用を控除の対象とするかを遺言の文言に照らして確定し,控除する額を計算書にまとめる。
被相続人の死亡した年の所得税の申告(準確定申告)は,相続人が,相続の開始があったことを知った日の翌日から4月を経過した日の前日までにしなければならない(所得税法125条1項)から,その税額も控除の対象として見込んでおく。
相続人が限定承認をした場合には,限定承認者は相続債権者に弁済をした後でなければ受遺者に弁済をすることができない(民法931条)ので,受託者への引渡しも債務の確定を待つことになると考えられる。
(2) 取得者の税金の留保
相続税の申告期限は,相続の開始があったことを知った日の翌日から10月以内である(相続税法27条1項)。
相続税は各取得者が自らの取得分について納めるものであるから,清算金から留保して支払うかどうかは,遺言の定めと取得者の同意によることになる。
換価による譲渡所得については,国税庁の質疑応答事例(第7の3)が法定相続分に応じて各相続人が申告する必要があるとしているから,清算金の多くが信託や相続人以外の受遺者に渡る遺言では,譲渡所得税を負担する相続人と清算金を受け取る者が一致しないことがある。
そのため,遺言で,譲渡所得税相当額を清算金から相続人に補填するかどうかを定めておくことが考えられ,遺言執行者は,定められた留保額とその根拠を計算書に記載しておく。
4 受託者への指定額の引渡し
(1) 引渡しの前提
受託者への引渡しは,受託者が信託の引受けをしたことを書面で確認した後に行う。
受託者は,信託財産に属する金銭を固有財産等と区別し,その計算を明らかにする方法で分別して管理しなければならない(信託法34条1項2号ロ)ので,受託者名義の信託専用の口座を受入口座とするかどうかを,受託者と打ち合わせておく。
信託専用の口座を開設できるかどうかや,その手続に要する期間は金融機関によって異なり得るため,引渡しの時期は受入口座の準備に合わせて定めることになる。
(2) 引渡しの方法と記録
引渡しは,遺言執行者が清算金を管理する口座から受託者の受入口座への振込みによって行い,振込依頼書の控え,受託者の受領書及び引渡額の計算書を一組にして保存しておく。
計算書には,換価した財産ごとの換価額,控除した費用・債務・留保額,遺言に定められた信託拠出額,実際の引渡額及び差額が生じた場合はその理由を記載する。
振込みの摘要や受領書に,遺言に基づく信託財産の引渡しであることが分かる記載をしておくと,後に受益者や他の取得者に説明しやすい。
5 残額の分配
遺言執行者は,受託者への引渡しと並行して,留保額を除いた残額を遺言の定める割合で相続人又は受遺者に分配する。
受託者への引渡しと他の取得者への分配のどちらかを先に行うと,後に債務や税金が判明した場合に,先に受け取った者から返還を受けなければならなくなるおそれがあるから,留保額を確定した後に引渡しと分配をまとめて行うことが考えられる。
留保額に余りが生じたときの分配方法と,留保額が足りなかったときに誰が負担するかも,分配時の計算書に明記しておく。
6 引継資料・通知・完了報告
(1) 遺言執行者から受託者への引継資料
遺言執行者は,受託者に対し,遺言書の写し,換価と控除の計算書,引渡しの振込記録,受益者の連絡先及び受益者への給付について遺言に定められた事項を引き継ぐのが一案である。
受託者は信託財産に係る帳簿等を作成し(信託法37条1項),信託財産の処分に係る契約書等の信託事務の処理に関する書類を作成又は取得の日から10年間保存しなければならない(同条5項)から,引継資料は受託者の帳簿の最初の記録の根拠となる。
(2) 受益者への通知と完了報告
受託者は,受益者となるべき者として指定された者が受益権を取得したことを知らないときは,信託行為に別段の定めがない限り,遅滞なくその旨を通知しなければならない(信託法88条2項)。
遺言執行者は,任務が終了した後は,遅滞なくその経過及び結果を報告しなければならない(民法1012条3項,645条)。
完了報告には,財産目録,換価の結果,控除した費用・債務,受託者への引渡しの記録及び残額の分配の記録を含め,相続人と受遺者に交付しておくと,後の照会に対応しやすい。
信託銀行が遺言執行者である場合の執行の流れは,信託銀行が遺言執行者に就任した後の手続とスケジュールで扱っている。
第6 遺言を作成するときに置いておく条項
1 信託銀行が就職又は受託を辞退した場合の代替条項
(1) 遺言執行者の予備的指定
信託銀行等が相続開始後に遺言執行者への就職を辞退することはあり得るから,辞退した場合に備えて,別の遺言執行者を予備的に指定しておくことが考えられる。
例えば,「遺言者は,遺言執行者として甲信託銀行を指定する。甲信託銀行が就職を承諾しないとき,又は就職後にその任務が終了したときは,乙を遺言執行者に指定する。」という条項である(本記事で作成した一般的な例である)。
予備的な指定がない場合は,利害関係人が家庭裁判所に遺言執行者の選任を請求することになる(民法1010条)。
信託銀行に辞退・辞任を求める方法は,信託銀行に遺言執行者を辞退・辞任してもらう方法で扱っている。
(2) 受託者の予備的指定と後継受託者
受託者についても,「遺言者は,受託者として丙を指定する。丙が信託の引受けをしないとき,又はこれをすることができないときは,丁を受託者に指定する。」と定めておく方法がある(本記事で作成した一般的な例である)。
引受け後に受託者の任務が死亡,後見開始,辞任等によって終了した場合に備え,新受託者となるべき者を指定しておくこともできる(信託法56条1項,62条1項)。
遺言による信託では委託者が死亡しているため,新受託者の定めがない場合等には,受益者が新受託者を選任することになる(同法62条1項・8項)。
受託者が欠けた場合であって,新受託者が就任しない状態が1年間継続したときは,信託は終了する(同法163条3号)。
(3) 受託者が見つからない場合の処理
予備的な受託者も引き受けない場合は,利害関係人が裁判所に受託者の選任を申し立てることになるが(信託法6条1項),選任される者が見つかるとは限らない。
そこで,一定の期間内に受託者が就任しないときは,信託に代えて信託拠出額を受益者に遺贈する,又は残額の分配に加えるといった定めを置くことが考えられる。
もっとも,受益者の判断能力や年齢によっては直接の遺贈が適さないこともあるから,受益者の状況を踏まえて代わりの方法を選び,期間の起算点と,その経過を誰が確認するかも定めておく必要がある。
2 清算金が不足する場合の減額順序
(1) 不足が生じる場面
遺言作成時より預貯金が減った場合,有価証券の価格が下がった場合,想定外の債務や税金が判明した場合には,清算金が,信託拠出額と他の取得者への定額の分配額の合計に足りないことがある。
本記事の調査では,民法に,複数の定額の遺贈等が清算金を超える場合にどれを先に減らすかを一般的に定めた規定は見当たらなかった。
遺留分侵害額の負担については,受遺者が複数あるときは目的の価額の割合に応じて負担するが,遺言者が遺言に別段の意思を表示したときはその意思に従うとされている(民法1047条1項2号)。
遺言による信託の受託者又は受益者がこの規定の「受遺者」に当たるかは,本記事の調査では明らかにできなかった。
(2) 減額順序の条項例
例えば,「換価金から債務,遺言執行費用及び遺言執行者の報酬を控除した残額が,第○条の信託拠出額と第○条の各遺贈額の合計額に満たないときは,まず第○条の遺贈額を減額し,なお不足するときは信託拠出額を減額する。」と定める方法がある(本記事で作成した一般的な例である)。
反対に,信託拠出額と他の分配額を同じ割合で減額する方法や,信託拠出額を定額ではなく清算金に対する割合で定める方法もある。
清算金が予定額を上回った場合の余りの帰属も同じ条項で定めておくと,遺言執行者の判断の余地が小さくなる。
3 受益者の先死亡と判断能力の低下
(1) 受益者が遺言者より先に死亡した場合
遺贈は,遺言者の死亡以前に受遺者が死亡したときは,その効力を生じない(民法994条1項)。
これに対し,信託法には,遺言による信託の受益者となるべき者が遺言者より先に死亡した場合の効果を直接定めた規定は,本記事の調査では見当たらなかった。
そのため,遺言では,受益者が遺言者より先に又は同時に死亡した場合に,信託を効力の生じないものとして信託拠出額を残額の分配に加えるのか,別の者を受益者とするのかを定めておくことが考えられる。
(2) 受益者が信託期間中に死亡した場合
受益者が信託期間中に死亡した場合に信託を終了させるのか,別の者が新たに受益権を取得するのかは,信託行為で定めておくことになる(信託法163条9号,91条)。
受益者の死亡により他の者が新たに受益権を取得する旨の定めのある信託は,信託がされた時から30年を経過した時以後に現に存する受益者が受益権を取得した場合には,その受益者が死亡するまで又は受益権が消滅するまでの間,その効力を有する(同法91条)。
このような受益者連続型信託では,相続税法9条の3の特例の適用も問題となる。
(3) 受益者の判断能力が低下した場合
受益者の判断能力が低下すると,受託者に報告を求めるなど,受益者自身による監督が働きにくくなる。
信託行為では,受益者代理人となるべき者(信託法138条1項)や,信託監督人となるべき者(同法131条1項)を指定しておくことができる。
信託行為に定めがない場合でも,受益者が受託者の監督を適切に行うことができない特別の事情があるときは,裁判所は,利害関係人の申立てにより,信託監督人を選任することができる(同条4項)。
給付の方法についても,受益者本人の口座への送金だけでなく,施設の利用料等を受託者が直接支払う方法を認めるかどうかも,遺言で定めておく余地がある。
4 信託の終了と残余財産の帰属
(1) 終了事由
信託は,信託の目的を達成したとき又は達成することができなくなったとき,信託行為において定めた事由が生じたとき等に終了する(信託法163条1号・9号)。
委託者及び受益者は合意によりいつでも信託を終了することができるとする同法164条1項は,委託者が現に存しない場合には適用されない(同条4項)。
遺言による信託では委託者が死亡しているから,受益者の死亡,一定の年齢への到達,信託財産の残高の減少等,終了事由を遺言で具体的に定めておく必要性が高い。
(2) 残余財産の帰属と清算
信託が終了した後の残余財産は,信託行為で残余財産受益者又は帰属権利者として指定された者に帰属する(信託法182条1項)。
その指定に関する定めがない場合等には,委託者又はその相続人その他の一般承継人を帰属権利者として指定する旨の定めがあったものとみなされる(同条2項)から,遺言者の相続人に残余財産が戻ることになり,遺言者の意図と異なる結果になることがある。
清算受託者は,その職務を終了したときは,遅滞なく信託事務に関する最終の計算を行い,受益者及び帰属権利者の全てに対してその承認を求めなければならない(同法184条1項)。
第7 課税と信託業法
1 信託に関する権利の相続税
(1) 受益者に対する課税
相続税法9条の2第1項は,信託の効力が生じた場合に適正な対価を負担せずに受益者等となる者があるときは,その者が,信託の効力が生じた時に,信託に関する権利を委託者から贈与(委託者の死亡に基因して信託の効力が生じた場合には,遺贈)により取得したものとみなすと定めている。
遺言による信託は遺言者の死亡によって効力を生ずるから,受益者は,信託に関する権利を遺言者から遺贈により取得したものとみなされ,相続税の課税対象となる。
この場合,受益者は,信託財産に属する資産及び負債を取得し,又は承継したものとみなされる(同条6項)。
信託の終了時に残余財産の給付を受けるべき者等が生じた場合の課税は,同条4項が定めている。
民事信託の設定から終了までの課税の時系列は,民事信託(家族信託)の税金はいつ発生するかで扱っている。
(2) 受益者の納税資金
受益者が負担する相続税は受益者が納めるものであるが,清算金の多くが信託財産となり,受益者の手元に現金が残らないと,納税資金が不足するおそれがある。
遺言では,受益者の相続税に充てるための給付を信託から行うことができるように定めておくことが考えられる。
2 国税庁の質疑応答事例の位置付け
(1) 事例の内容
国税庁の質疑応答事例「遺言に基づき遺産の換価代金で特定公益信託を設定した場合の相続税及び譲渡所得の課税関係」は,遺言執行者に指定された信託銀行が遺産である不動産及び有価証券を売却し,その売却代金と預金から相続人への定額の遺贈,債務及び遺言の執行に要する費用等を除いた残金で公益信託を設定する事例を扱っている。
同事例は,遺言により遺産を換価し,その換価代金で特定公益信託を設定する場合も,遺産そのものを遺言により特定公益信託とする場合と異なるものではないとしている。
その上で,相続税の課税対象となる部分の区分は,換価された遺産の価額(評価額)に,換価代金から換価費用を除いた金額のうち特定公益信託に充てられた金額又は充てられなかった金額の割合を乗じて計算するとしている。
(2) 本記事の設例への当てはめと限界
同事例は,照会に係る事実関係を前提とした一般的な回答であり,令和7年8月1日現在の法令・通達等に基づいて作成されたものである。
また,同事例は旧来の公益信託ニ関スル法律の下での特定公益信託を対象としており,公益信託に関する法律(令和6年法律第30号)は令和8年4月1日に施行されているから,公益信託を設定する遺言については,現在の取扱いを別に確認する必要がある。
受益者を個人とする信託について,同事例の区分の方法をそのまま用いることができるかを示した国税庁の資料は,本記事の調査では見当たらなかった。
もっとも,換価代金で信託を設定する場合を遺産そのものを信託する場合と同視する同事例の考え方からすれば,受益者の課税価格も,受け取った金額ではなく換価された遺産の評価額を基礎に計算することが考えられるから,申告に当たっては税理士に確認する必要がある。
3 換価による譲渡所得
同事例は,遺産の換価処分が遺言執行者の職務(民法1012条)としてされ,遺言執行者がその権限内において遺言執行者であることを示してした行為が相続人に対して直接にその効力を生ずる(民法1015条)ことを理由に,換価処分に係る譲渡所得は法定相続分に応じて各相続人が申告する必要があるとしている。
この考え方によれば,清算金の一部が信託財産となって受益者のために管理されるとしても,換価による譲渡所得の申告は相続人が行うことになる。
清算型遺言の換価による譲渡所得は受遺者に帰属するとする見解もあり,その紹介は第1の1で挙げた清算型遺言の実現方法の記事で行っている。
4 受託者と信託業法
(1) 信託銀行の業務の根拠
信託業法2条1項は,「信託業」を,信託の引受け(政令で定めるものを除く。)を行う営業と定義し,同法3条は,信託業は内閣総理大臣の免許を受けた者でなければ営むことができないと定めている。
銀行その他の金融機関は,兼営法1条1項の認可を受けて,信託業のほか,財産に関する遺言の執行等の業務を営むことができる。
そのため,信託銀行が遺言執行者となる場合と受託者となる場合とでは,業務の法的な根拠が異なる。
(2) 親族や専門職が受託者となる場合
信託協会の機関誌に掲載された神田秀樹・折原誠「信託業と信託会社等の業務範囲」(信託282号,2020年,5頁)は,信託業法が信託の引受けを営業として行う場合を信託業としていると説明している。
親族等が特定の受益者のために一度だけ受託者となる場合がこの「営業」に当たるかを直接判断した法令の規定や裁判例は,本記事の調査では見当たらなかった。
弁護士その他の専門職や事業者が報酬を得て複数の信託の受託者となることを予定する場合は,信託業法の規制が及ぶかを事前に確認する必要がある。
弁護士が民事信託に関わる場合の業務の流れは,弁護士による民事信託(家族信託)業務の流れで扱っている。
第8 出典
1 法令
①信託法2条~7条,26条,29条~31条,34条,36条,37条,56条,62条,88条,90条,91条,131条,138条,147条,163条,164条,182条,184条,262条
②民法644条,645条,931条,985条,994条,1006条~1008条,1010条,1012条,1013条,1015条,1018条,1021条,1047条
③相続税法9条の2,9条の3,27条
④所得税法125条
⑤信託業法2条,3条
⑥金融機関の信託業務の兼営等に関する法律1条
⑦公益信託に関する法律(令和6年法律第30号)(施行日)
2 裁判例
①最高裁判所第一小法廷昭和62年4月23日判決(昭和61年(オ)第264号,民集41巻3号474頁)
3 所管行政機関の資料
①国税庁質疑応答事例「遺言に基づき遺産の換価代金で特定公益信託を設定した場合の相続税及び譲渡所得の課税関係」(令和7年8月1日現在の法令・通達等に基づくもの)
4 業界団体の解説・文献
①信託協会「遺言信託」(イチから学ぶ信託)
②信託協会「遺言代用信託」(イチから学ぶ信託)
③神田秀樹・折原誠「信託業と信託会社等の業務範囲」信託282号(2020年5月)5頁