第1 この記事が答える問い
日本を分割して占領する計画は存在したのか。
存在したとして,どこまで具体化したのか。
結論を先に述べる。
分割占領という語は,①構想・提案,②降伏受理区域の割当て,③実際の部隊配置という異なる層で用いられており,これを区別しないと議論がかみ合わない。
日本本土について,連合国が統治権を分割して行使する体制は実現していない。
第2 三つの層を区別する
①構想・提案 検討にとどまり採用されなかった案。
②降伏受理区域 どの部隊がどの地域で日本軍の降伏を受理するかの割当て。統治区域の分割ではない。
③実際の部隊配置 占領軍が地域ごとに展開したこと。統治権限の所在とは別である。
「分割占領が計画されていた」という説明の多くは①を指すが,②や③と混線したまま語られることが多い。
第3 第7項は占領の方式を定めていない
1 「連合国が指定する諸地点」という文言
第7項の確定文言は,連合国が指定する日本国領域内の「諸地点」の占領を定める。
“Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan’s war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.”
条文は占領の対象を「指定する諸地点」に絞っているが,占領の方式,すなわち日本政府を介するのか連合国が直接統治するのかについては何も定めていない。
なお,起草の最終盤(1945年7月24日から26日)に,占領対象が「日本国領域」全体から「連合国が指定する諸地点」へ限定された。
ただし,この変更が直接軍政の排除を目的としたものであると明記する資料は確認できていない。
2 同時代の米側自身が多義性を認識していた
米国務省極東部長が国務次官補に宛てた1945年8月8日付の覚書は,次のように記す。
“We would say that paragraphs 7 and 12 of the Proclamation leave open the question whether Allied military forces will supervise the Japanese Government or govern Japan directly.”
宣言第7項及び第12項は,連合国軍が日本政府を監督するのか日本を直接統治するのかという問題を未解決のまま残している,という趣旨である。
宣言の発表からわずか13日後,日本の受諾の6日前の文書である。
第4 ドイツ型の統治権接収案が並行して検討されていた
1 1945年8月10日の布告第1号案
降伏受理の実務文書を検討していた米国政府内の委員会は,1945年8月10日付の文書で,ドイツの前例(1945年6月5日のベルリン宣言)に準拠した「布告第1号」の草案を検討していた。
同案は,天皇,日本国政府及び大本営が保持する一切の権限を含め,日本に関する最高の権威を連合国が引き受けるという,統治権の包括的な接収を明文で定めるものであった。
2 採用されなかった
この布告案は,実際の降伏文書には採用されなかった。
最終的な降伏文書の条項は,「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ…聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」という,統治権限の従属という抑制的な定式化である。
ただし,この収斂がいつ,誰の判断によるものかを直接示す決定文書には到達できていない。
3 日独の違いを米側自身が自覚していた
同じ報告書は,ドイツにおける四か国による権力の掌握はドイツ政府が存在しないという事実にも基づいており,日本についてはこれが当てはまらない,と明記している。
中央政府の存否こそが日独の分岐点として,同時代人に認識されていた。
第5 降伏受理区域は統治区域ではない
一般命令第一号(1945年9月2日)は,各戦域における日本軍の降伏の受理者を指定する文書である。
日本本土についてはマッカーサーが指定された。
重要なのは,この命令自体には民政統治の方式を定める条項が存在しないことである。
現に,同じ指揮官に降伏受理が指定された地域でも,日本本土は間接統治,朝鮮半島の38度線以南は米軍政による直接統治と,方式が分かれた。
戦域別の降伏の経過は「日本軍の降伏完了はいつか」で扱っている。
第6 部隊の配置と統治権限は別である
占領軍が地域ごとに展開したことと,統治権限が地域ごとに分割されたこととは別である。
日本本土の統治は,連合国最高司令官の下に一元化されていた。
統治の仕組みそのものは親記事で,機関相互の権限関係は「GHQ・極東委員会・対日理事会の違い」で扱う。
第7 ドイツの分割占領との違い
ドイツでは,降伏文書の署名者が軍最高司令部の代表のみで文民政府の代表を欠き,中央政府が存在しなかった。
1945年6月5日のベルリン宣言により連合国が統治権を包括的に接収し,四か国による分割占領と管理理事会による直接軍政が行われた。
日本については中央政府が存続したため,同じ方式は採られていない。
第8 確認できなかったこと
①第7項の文言変更が直接軍政の排除を目的としたものであると明記する資料。
②英国側の修正提案の具体的内容。
③布告第1号案が採用されなかった経緯を直接示す決定文書。
第9 出典・参考資料
①ポツダム宣言第7項(1945年7月26日)
②United States Department of State, Foreign Relations of the United States, The Conference of Berlin, 1945(第7項の各草案)
③米国務省極東部長発国務次官補宛て覚書(1945年8月8日)
④国務・陸軍・海軍調整委員会の文書(1945年8月10日,布告第1号案)
⑤降伏文書(1945年9月2日),一般命令第一号(同日)
⑥ベルリン宣言(1945年6月5日)