遺言の作成を相談された弁護士は,遺言執行者を誰にするかについても助言を求められる。信託銀行の「遺言信託」を勧められて迷う依頼者は少なくない。
本記事は,信託銀行が遺言執行を担う法的根拠とその限界,「遺言信託」の手数料構造,弁護士・相続人自身による執行との費用対効果,及び弁護士に依頼する利点を,法令の現行条文と各信託銀行が公表する手数料表に基づいて整理する。結論を先取りすれば,費用と対応範囲の両面から,遺言執行は弁護士への依頼を第一に検討すべき場面が多い。
本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり,特定の個別事案に対する法的助言ではない。手数料の額・料率は各信託銀行が随時改定するため,実際の助言に当たっては,当該時点の公表手数料表を確認する必要がある。
第1 本記事の対象と結論の要旨
1 対象と射程
本記事は,信託銀行が「遺言信託」の名称で提供する役務のうち,当該信託銀行が遺言執行者となる部分の費用対効果を対象とし,弁護士に遺言執行を依頼する場合と対比する。
対象とする信託銀行は,三菱UFJ信託銀行,三井住友信託銀行,みずほ信託銀行及びりそな銀行である。いずれも「遺言信託」又は同種の名称の商品の手数料を公表しており,本記事の手数料に関する記述はその公表手数料表に依拠する。
遺言代用信託(民事信託・家族信託を含む信託法上の信託)は本記事の対象ではない。両者は名称が似るが法的性質を異にするため,第1の3で区別する。
2 結論の要旨——遺言執行は弁護士への依頼を第一に検討すべき
信託銀行の遺言執行報酬には最低報酬額(本記事で確認した範囲で110万円から165万円)が設定され,遺言書保管開始時の基本手数料(33万円から110万円)が別に発生する。弁護士の遺言執行報酬は自由化されており,最低報酬額を設けない事務所も少なくない。したがって,遺産が単純で高額でない事案では,弁護士に依頼する方が費用を抑えられることが多い。
費用以上に重要なのが,対応できる範囲の差である。相続人間に紛争が生じた場合,信託銀行は遺言執行者への就職を辞退し又は辞任することがあり,その旨が各行の商品説明に明示されている。争訟性のある事務は弁護士法72条により弁護士でない者が業として扱えないためである。これに対し,弁護士に依頼すれば,遺言の作成段階から関与し,紛争が予想される場合には,誰を遺言執行者とし弁護士がどの立場で関与するかをあらかじめ設計しておくことで,遺留分侵害額請求や遺言の効力をめぐる紛争への対応まで見据えることができる。もっとも,弁護士が自ら遺言執行者に就任した場合は,職務の中立性から,後に一部の相続人の代理人となることが弁護士会の懲戒との関係で制約される(第6の2)。この制約を踏まえた関与の設計ができることも,作成段階から弁護士が関与する意義である。
専門家の関与が最も必要となる紛争局面で信託銀行が退く可能性がある一方,弁護士はその局面こそを本来の業務とする。この差は,遺言執行者の選択において決定的な意味を持ち得る。
もっとも,法人である信託銀行は遺言者に先立って死亡・引退しないなどの利点も指摘される。本記事は,これらの利点が弁護士への依頼で代替できるかを含めて対比し(第6・第7),判断の材料を提供する。
3 用語——「遺言信託」は信託法上の信託ではない
信託銀行の「遺言信託」は,商品の名称に「信託」を含むが,信託法上の信託ではない。実体は,遺言書作成の相談,公正証書遺言の保管,及び遺言執行という役務を組み合わせたものである。信託協会も,遺言信託を「信託銀行等が遺言書作成の相談から,遺言書の保管,そして遺言書の執行まで相続に関する手続きをサポートするサービス」と説明している。
みずほ信託銀行はこの役務を「遺言執行引受予諾業務」と称しており,名称自体が,商品の中核が遺言執行の引受けにあることを示している。
したがって,「遺言信託」を利用しても,通常の公正証書遺言を作成し,執行者を定めることを超える特別の法的効果が生じるわけではない。財産の管理・承継のために信託の仕組み(受託者への財産移転や受益権の設定)を用いるものではない点で,遺言代用信託とは異なる。役務の内容が通常の遺言作成・執行と同質であるならば,その担い手として弁護士と信託銀行のいずれが適するかは,費用と対応範囲によって判断することになる。
第2 信託銀行が遺言執行を担える法的根拠とその限界
1 兼営法1条1項4号による併営業務
銀行その他の金融機関が信託業務を営むことは,金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(兼営法)1条1項が内閣総理大臣の認可を要件として認めている。同項は営むことができる業務を列挙し,その4号に「財産に関する遺言の執行」を掲げる。信託銀行が遺言執行者となり得るのは,この併営業務の認可に基づく。
条文が「財産に関する遺言の執行」と限定していることは,業務範囲を画する上で重要である。みずほ信託銀行の商品説明も「お引き受けできる遺言執行の範囲は,法律により財産の処分・相続に関するものに限られています」と述べ,遺言の内容によっては引き受けられない場合があるとする。認知(民法781条2項)や推定相続人の廃除(民法893条)のように,財産処分にとどまらない執行を要する事項は,信託銀行の業務範囲の外縁に位置し得る。弁護士にはこのような業務範囲の限定はない。
2 弁護士法72条による限界——紛争になれば扱えない
弁護士法72条は,弁護士又は弁護士法人でない者が,報酬を得る目的で「訴訟事件,非訟事件……その他一般の法律事件」に関して鑑定・代理・仲裁・和解その他の法律事務を取り扱うことを業とすることを禁じ,ただし書で「この法律又は他の法律に別段の定めがある場合」を除くと定める。信託銀行の遺言執行は,兼営法という「他の法律」の定めによって適法に行い得るが,その範囲は同法が認めた「財産に関する遺言の執行」にとどまる。
相続人間で遺言の効力や遺産の帰属が争われ,あるいは遺留分侵害額の請求(民法1046条)がされて紛争性のある事務の処理が必要になった場合,その代理・和解等は弁護士法72条が弁護士に留保する法律事務に当たり得る。信託銀行はこれを業として扱えないため,紛争局面では対応の限界に直面する。相続に紛争は珍しくなく,遺留分の問題は多くの遺言で潜在的に存在する。信託銀行を選ぶことは,この限界をあらかじめ抱え込むことを意味する。
3 就職辞退・辞任という帰結と依頼者の負担
この限界は,各行の商品説明に具体的な形で現れている。みずほ信託銀行は,相続開始後「遺言執行が著しく困難な場合は,遺言執行者への就職を辞退させていただくこともあります」と明記する。りそな銀行は,執行を辞退する場合に精算費(本記事で確認した額で16万5000円)を申し受けるとし,辞退があり得ることを前提とした料金を設けている。三菱UFJ信託銀行は,就職通知の発送後に遺言執行者を辞任することを家庭裁判所が認めた場合の報酬(相続財産目録の交付前で33万円等)を定めている。
遺言執行者は,正当な事由があるときは家庭裁判所の許可を得て任務を辞することができる(民法1019条2項)。信託銀行が辞退・辞任した場合,相続人は改めて弁護士に執行や紛争対応を依頼することになる。この場合,信託銀行に支払った基本手数料(各行とも中途解約時に返還しないとされている)に加えて,弁護士費用が重ねて生じ得る。紛争が予想される事案で信託銀行を選ぶことは,二重の費用負担につながるおそれがある。はじめから弁護士に依頼していれば,この重複は避けられる。
第3 遺言執行者の職務・報酬・費用の枠組み
1 職務の内容と権限
遺言執行者は,就職を承諾したときは直ちに任務を行わなければならず,任務開始時に遅滞なく遺言の内容を相続人に通知しなければならない(民法1007条1項・2項)。また,遅滞なく相続財産の目録を作成して相続人に交付する義務を負う(民法1011条1項)。
遺言執行者は,遺言の内容を実現するため,相続財産の管理その他遺言の執行に必要な一切の行為をする権利義務を有し,遺言執行者がある場合には遺贈の履行は遺言執行者のみが行うことができる(民法1012条1項・2項)。特定財産承継遺言があるときは,対抗要件を備えるために必要な行為をすることができ,対象が預貯金債権であるときは払戻しの請求及び一定の場合の解約の申入れをすることができる(民法1014条2項・3項)。
平成30年法律第72号による改正により,遺言執行者がその権限内で遺言執行者であることを示してした行為は相続人に対して直接に効力を生ずることが明文化された(民法1015条)。
これらの規定から分かるとおり,遺言執行者の中核的な作業は,相続人への通知(相続人の人数に対応する),財産目録の作成(財産の件数に対応する),及び名義変更・払戻し・解約(口座や不動産の件数に対応する)である。作業の分量は,遺産の評価額ではなく,関係者や財産の件数に対応して増減する。
2 報酬の決まり方(民法1018条)
遺言執行者の報酬について,民法1018条1項は,家庭裁判所が相続財産の状況その他の事情によって定めることができるとしつつ,ただし書で「遺言者がその遺言に報酬を定めたときは,この限りでない」とする。遺言に報酬の定めがあれば,その定めが優先する。
信託銀行の最低報酬額や料率も,法が一律に定めた金額ではなく,遺言者と信託銀行との契約に基づき遺言に定める報酬として機能するにすぎない。弁護士の報酬も同様に自由化されており,遺言に定めておくことができる。いずれも当事者が設定する価格である以上,最低報酬額の有無や算定方法を含めて比較・交渉することができる。信託銀行の定型的な料金表を所与とする必要はない。
3 費用の負担(民法1021条)と復任(民法1016条)
遺言の執行に関する費用は相続財産の負担とするが,これによって遺留分を減ずることはできない(民法1021条)。信託銀行の報酬・手数料も,遺言執行に関する費用として相続財産から支弁されるのが通常であり,最終的には相続人が取得する遺産を減少させる。
遺言執行者は,自己の責任で第三者にその任務を行わせることができる。ただし,遺言者が遺言に別段の意思を表示したときはその意思に従う(民法1016条1項)。信託銀行は,不動産の相続登記を司法書士に,相続税の申告を税理士に委ねるが,これらの士業に対する報酬・登録免許税は,各行の説明によれば信託銀行の報酬とは別に相続人が負担し,士業から直接請求される。すなわち,信託銀行の報酬は,これらの専門業務そのものの対価ではなく,執行事務の遂行と各専門家との調整に対する対価である。弁護士に依頼する場合も登記・税務は各士業に委ねるが,弁護士は遺留分等の法的紛争を自ら処理できる点で,調整の対価に見合う範囲がより広い。
民法1016条について注意を要するのは,改正の経過措置である。復任を原則自由とする現行の同条は,令和元年7月1日以後にされた遺言に係る遺言執行者に適用され,同日前にされた遺言については改正前の規定(やむを得ない事由があるときに限り復任できる)による(平成30年法律第72号附則8条3項)。古い遺言に基づく執行では,復任の可否の前提が異なり得る。
第4 「遺言信託」の手数料構造
1 署名時・保管中・執行時の三層と別途実費
各信託銀行の手数料は,おおむね次の三つの層と,別途の実費とで構成される。
署名時の基本手数料(取扱手数料)は,遺言書の保管を開始する時に支払う。三菱UFJ信託銀行(2019年10月1日現在)は,初期費用を抑える「30万円型」で33万円,総費用を抑える「100万円型」で110万円とする。三井住友信託銀行は,執行コースの基本手数料をプランⅠで33万円,プランⅡで88万円とする。みずほ信託銀行(2025年10月1日現在)は,プラン30で33万円,プラン100で110万円とする。りそな銀行は,執行基本コースの取扱手数料を33万円,執行オプションコースを88万円とする。
保管期間中は,年間保管料(管理料)が発生する。三菱UFJ信託銀行は年5500円,三井住友信託銀行・みずほ信託銀行・りそな銀行は年6600円である(いずれも消費税込み。プランにより無料となる場合がある)。遺言書の変更手数料は,各行おおむね5万5000円である。
これらとは別に,公正証書の作成に係る公証人手数料,不動産の相続登記に係る登録免許税及び司法書士報酬,相続税の申告・準確定申告に係る税理士報酬,各種証明書の取得費用などは,相続人の負担となる。みずほ信託銀行は,これらの実費について司法書士・税理士から直接請求がある旨を明記している。基本手数料や執行報酬は,これらの実費とは別に発生する信託銀行固有の費用である。
2 最低報酬額と算定基礎
遺言執行時の報酬は,遺産の評価額に逓減的な料率を乗じて算定され,最低報酬額が設定されている。最低報酬額は,本記事で確認した範囲で,総額を抑えるプランを基準にすると,三井住友信託銀行(プランⅠ)及びみずほ信託銀行(プラン30)で110万円,りそな銀行(執行基本コース)で121万円,三菱UFJ信託銀行(30万円型)で165万円である。
この最低報酬額の存在が,費用対効果を大きく左右する。遺産の内容が単純で,執行の実作業が少ない場合であっても,最低報酬額を下回る請求はされないからである。最低報酬額を設けない弁護士に依頼すれば,単純な事案では実作業に見合った低い報酬で足りることがある。
算定基礎にも留意を要する。各行は,遺言執行報酬の算定基礎を相続税評価額による積極財産(消極財産すなわち債務を控除する前の額)とする。三井住友信託銀行は「相続財産評価額(消極財産控除前)」と,みずほ信託銀行は「執行時の積極財産の金額で相続税評価額とします」と明示する。債務を控除しない額を基礎とするため,債務がある事案では,実質的な取得額に比して報酬が高くなる。
なお,各行とも自行グループに預けられた資産の部分には低い料率(0.33パーセント又は0.3パーセント)を適用しており,資産を当該グループに集約している顧客ほど料率面で有利になる仕組みを採る。裏を返せば,グループ外の資産が中心の遺産では,料率面の恩恵は乏しい。
3 中途解約・辞退時の費用
基本手数料及び変更手数料は,契約を中途で解約した場合でも返還されない旨が各行の手数料表に定められている。遺言者が存命中に方針を変えて解約しても,支払済みの基本手数料は戻らない。
三菱UFJ信託銀行の「30万円型」では,保管期間中の中途解約金として22万円が設定されている。りそな銀行の精算費(16万5000円)は,中途解約の場合のほか,信託銀行が執行を辞退する場合にも支払うものとされている。信託銀行の側の事情で執行に至らなかった場合にも費用が生じ得る点は,契約前に確認すべき事項である。
第5 費用対効果の比較
1 試算の前提と方法
費用対効果を検討するため,信託銀行に支払う費用(基本手数料と遺言執行報酬の合計)を,遺産額ごとに試算する。以下の金額は,各行が公表する料率表(原典)に基づき本記事が計算したものであり,公表された確定額ではない。
前提は次のとおりである。遺産は当該信託銀行グループ外の預金・不動産等(各行の料率表でいう「その他の財産」)とし,最も総額の小さいプランを選んだものとする。年間保管料,及び全ての選択肢に共通して発生する実費(登録免許税・司法書士報酬・税理士報酬・公証人手数料)は含めない。これらの実費は,弁護士に依頼する場合も相続人自身が執行する場合も同様に発生するため,選択肢間の差を見るには除外するのが相当だからである。
| 遺産額(その他の財産) | 信託銀行に支払う費用の試算(最も安いプラン。基本手数料+執行報酬) |
|---|---|
| 3000万円 | 約143万円から198万円(最低報酬額が適用される水準) |
| 5000万円 | 約143万円から198万円(最低報酬額又はこれに近い水準) |
| 1億円 | 約189万円から231万円 |
| 3億円 | 約396万円から446万円 |
上記は本記事が各行の公表料率から計算した概算であり,実費・保管料を含まない。実際の額は財産構成,適用プラン,特別執行報酬の有無等により異なる。
2 比較の結果
弁護士の遺言執行報酬は,平成16年4月1日に弁護士会の報酬基準が廃止されて以降,各事務所が自由に定めており,一律の基準はない。公表されている料金例を見ると,基本料金に遺産額の一定割合を加える形が多く,最低報酬額を設けない事務所も少なくない。最低報酬額を置かない事務所では,紛争のない単純な執行であれば,信託銀行の最低報酬額を下回る額で受任される例がある。もっとも,これらは各事務所が公表する料金例であって,統一された相場ではないため,個別の見積りによる確認を要する。
相続人自身が遺言執行者となる場合(遺言で相続人の一人が指定される場合を含む),専門家報酬は生じず,実費のみで足りることがある。全財産を一人に相続させる(又は包括して遺贈する)といった単純な遺言では,執行の作業も限定的である。
以上を総合すると,遺産が単純で高額でない事案,特に最低報酬額が張り付く1億円以下の帯域では,信託銀行の費用は,弁護士に依頼する場合や相続人自身が執行する場合に比べて高くなりやすい。遺産が大きくなるほど料率は逓減するが,本記事の試算の範囲では,信託銀行に支払う費用が弁護士への依頼を下回る結果は得られなかった。費用の面からは,弁護士への依頼が合理的な選択となる事案が多いと考えられる。
3 作業量は遺産額に比例しない
信託銀行の報酬が遺産の評価額を基礎とする一方,遺言執行の実作業は,第3の1で述べたとおり,相続人への通知(人数),財産目録の作成(件数),名義変更・払戻し・解約(口座・不動産の件数)に対応して増減する。同じ1億円でも,一つの不動産と一つの預金口座だけからなる遺産と,多数の口座・有価証券・複数の不動産からなる遺産とでは,作業量が大きく異なる。
評価額を基礎とする定率的な算定は,作業量と乖離し得る。高額だが単純な遺産では,作業量に比して報酬が過大になりやすい。この乖離が,費用対効果の観点から信託銀行の遺言執行が割高になりやすい構造的な理由である。作業量に応じた報酬設定を交渉しやすいのは,定型商品を持たない弁護士の側である。
第6 弁護士に依頼する利点——信託銀行の限界との対比
1 遺言作成から執行・紛争対応までの一貫性
弁護士に依頼する最大の利点は,遺言の作成,執行,及び相続をめぐる紛争への対応を,同一の受任者が一貫して担える点にある。第2で述べたとおり,信託銀行は「財産に関する遺言の執行」に業務が限られ,紛争性のある事務を扱えないため,遺留分侵害額請求(民法1046条)や遺言の効力を争う訴訟が生じれば,別途弁護士に依頼せざるを得ない。
弁護士であれば,遺言の内容と背景事情を作成段階から把握しているため,紛争が生じても事情の再説明を要さず,紛争対応へ移行しやすい(ただし,弁護士が自ら遺言執行者に就任した場合の制約について第6の2で述べる)。窓口が一つで済むことは,相続人にとっての負担軽減にもつながる。
2 遺言執行者と相続人代理人の利益相反という制約とその設計
弁護士に依頼する場合に留意すべき制約がある。遺言執行者に就任した弁護士が,相続人間の紛争において一部の相続人の代理人(訴訟・調停・交渉の代理人)となることは,職務の中立性や利益相反(弁護士職務基本規程5条・6条・27条・28条)に反するとして,原則として弁護士会の懲戒処分の対象となる。この問題については,単位弁護士会の懲戒例が多数蓄積している。
もっとも,これは弁護士に依頼すること自体の難点ではなく,関与の形を設計することで対応できる。紛争が予想される事案では,弁護士が自ら遺言執行者に就任せず,特定の相続人の代理人となる立場をとることや,遺言執行者の代理人(民法1016条1項の復任による)として関与することが考えられる。誰を遺言執行者とし,弁護士がどの立場で関与するかを作成段階から設計できるのは,定型商品を持たない弁護士の側の利点である。詳細は,遺言執行者が特定の相続人の代理人をしたことに関する,弁護士会の懲戒例を参照されたい。
なお,令和元年7月1日施行の改正相続法により,遺留分侵害額の請求は金銭債権とされた(民法1046条1項)ため,遺言執行者と受遺者との利害の対立は従来より緩和された。もっとも,遺言執行者が一部の相続人の代理人となることの可否についての弁護士会の取扱いは,現時点では従前と変わらないとみられ,遺言執行が完了しているか否かにかかわらず,兼務は差し控える対応が安全と考えられる。
3 紛争を予防する遺言設計
弁護士は,遺言の作成段階で,将来の紛争を見据えた設計をすることができる。遺留分を侵害しない配分の検討,特定財産承継遺言(民法1014条2項)と遺贈の使い分け,予備的遺言執行者の指定,執行者の報酬・復任に関する条項の整備などである。これらは,定型的な商品として遺言信託を提供する信託銀行では対応しにくい部分である。
遺言をめぐる紛争は,執行段階での対応よりも,作成段階での予防によって回避できることが多い。作成から関与する弁護士は,この予防の局面で機能する。誰を遺言執行者とするか(弁護士自身か,第三者か)も,この予防設計の一部である(第6の2)。
4 最低報酬と算定基礎の柔軟性
第4で述べたとおり,信託銀行の報酬には最低報酬額が設定され,算定基礎は債務控除前の積極財産とされている。これに対し,弁護士の報酬は自由化されており,最低報酬額を設けないことも,作業量や実際の取得額(債務控除後)を基礎とする定め方も可能である。
報酬を遺言に定めておけばその定めが優先する(民法1018条1項ただし書)から,遺言者は,弁護士と協議して,事案の実態に見合った報酬条項を設けることができる。定型の料金表を前提とせざるを得ない信託銀行に比べ,費用設計の柔軟性が高い。
5 継続性という利点への対応
信託銀行を推す理由として,法人であるため遺言者に先立って死亡・引退せず,長期の保管と確実な執行が期待できる点が挙げられることがある。もっとも,遺言執行者に資格の制限はほとんどなく,欠格事由は未成年者及び破産者に限られる(民法1009条)から,法人を執行者とすること自体は弁護士に依頼する場合でも可能である。弁護士は,弁護士法人(弁護士法30条の2)を設立することができ,弁護士法人を遺言執行者に指定すれば,個人の弁護士に生じ得る継続性の問題に対応できる。
また,遺言書の長期保管については,公証役場が公正証書遺言の原本を保管し,自筆証書遺言についても法務局の保管制度(自筆証書遺言書保管制度)が利用できる。保管の確実性を理由に信託銀行を選ぶ必要性は,必ずしも高くない。予備的な遺言執行者を定めておけば,指定した執行者が欠けた場合にも対応できる。
第7 依頼者への説明と実務上の留意点
1 事情聴取事項
遺言執行者の選択を助言するに当たっては,少なくとも次の事項を聴取することが有用である。
① 推定相続人の人数・関係,及び相続人間に対立の兆候があるか(紛争の可能性は,弁護士への依頼を選ぶ大きな要素となる)。
② 遺産の構成(不動産・預貯金・有価証券の別,件数,概算評価額),及び債務の有無・額。
③ 資産を特定の金融機関グループに集約しているか(グループ内資産の低料率が適用され得るか)。
④ 遺言の内容が財産の処分・承継に限られるか,認知・廃除等を含むか。
⑤ 執行者の担い手となり得る相続人・親族がいるか,いない場合に中立の第三者を要するか。
⑥ 既に信託銀行と契約している場合は,そのプラン・基本手数料・保管料・執行報酬の料率及び最低報酬額,解約・辞退時の費用。
2 信託銀行の利点は弁護士で代替できるか
信託銀行の利点として挙げられる継続性・中立性・ワンストップの調整は,いずれも弁護士への依頼で相当程度代替できる。継続性は弁護士法人の利用や予備的執行者の指定で,中立性は利害関係のない弁護士の選任で,調整は執行から紛争対応までを担える弁護士の一貫受任で対応できる。
他方で,信託銀行が積極的な選択肢となり得る場面が全くないわけではない。相続人が全く存在しない又は極めて疎遠で,執行の担い手も相談相手も身近にいない場合や,遺言者が信託銀行の店舗網・信用力に強い安心を求める場合には,信託銀行の利用も一つの選択肢である。もっとも,その場合でも,最低報酬額・辞退時の費用・紛争時に別途弁護士が必要となり得ることを説明した上で,費用に見合うかを個別に判断すべきである。
3 遺言書における執行者・報酬・復任・予備執行者の定め方
遺言執行者の報酬は,遺言に定めればその定めが優先する(民法1018条1項ただし書)。弁護士を執行者とする場合も,報酬の算定方法を遺言に明記しておくことで,執行段階での紛議を避けやすい。
復任については,遺言に別段の意思を表示することができる(民法1016条1項ただし書)。執行者が第三者に任務を行わせることを認めるか否か,認める場合の責任の所在を,遺言者の意向に沿って定めておくことが考えられる。令和元年7月1日前にされた遺言では改正前の規定が適用されるため,古い遺言を見直す際には,この点を含めて条項を確認することが有用である。
また,指定した執行者が就職を辞退・辞任する場合に備え,予備的な遺言執行者を定めておくことも検討に値する。指定された者が就職を承諾しない場合等には,利害関係人が家庭裁判所に選任を請求することになる(民法1010条)。
第8 結論を左右する不確実な要素と追加確認事項
本記事の結論は,次の要素によって左右され得る。
第一に,手数料の額・料率は各信託銀行が随時改定する。本記事は各行が公表する現在の手数料表(三菱UFJ信託銀行は2019年10月1日現在,みずほ信託銀行は2025年10月1日現在の表示)に依拠しており,助言の時点で最新の表を確認する必要がある。
第二に,弁護士の報酬も自由化されており,事務所ごとに大きく異なる。弁護士に依頼する方が安いとは限らず,比較は具体的な見積りを取得して行うのが確実である。
第三に,本記事の費用試算は,遺産を「その他の財産」とし,実費・保管料を除外した概算である。グループ内資産の割合,特別執行報酬の有無,財産構成の複雑さによって実際の額は変動する。
なお,信託銀行の遺言執行報酬の高低それ自体を過大・不当と判断した裁判例は,本記事の調査の範囲では確認できなかった。報酬は遺言又は契約の定めによって確定するため(民法1018条1項ただし書),額をめぐる争いが訴訟に至りにくい構造にあると考えられる。個別事案で執行者の選択が問題となる場合には,当該契約の条項と,執行事務の内容,紛争の可能性に照らして検討することを要する。
第9 出典・参考資料
1 法令(e-Gov法令検索により現行条文を確認)
① 民法(第781条,第893条,第1006条から第1021条まで,特に第1007条,第1009条,第1010条,第1011条,第1012条,第1014条,第1015条,第1016条,第1018条,第1019条,第1021条,第1046条)——遺言執行者の職務・欠格事由・報酬・費用・復任及び遺留分侵害額請求の根拠。
https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
② 弁護士法(第30条の2,第72条)——弁護士法人の設立の根拠,及び非弁護士の法律事務取扱いの禁止(信託銀行が紛争性のある事務を業として扱えないことの根拠)。
https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=324AC0000000205
③ 金融機関の信託業務の兼営等に関する法律(第1条第1項第4号)——信託銀行が「財産に関する遺言の執行」を営み得ることの根拠。
https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=318AC0000000043
④ 平成30年法律第72号(民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律)附則第8条第3項——遺言執行者の復任権に関する経過措置。
2 各信託銀行が公表する手数料・引受けに関する資料
① 三菱UFJ信託銀行「遺言信託[遺心伝心]費用について」(2019年10月1日現在)——基本手数料・遺言執行報酬率・最低報酬額・辞任時報酬・別途費用。
https://www.tr.mufg.jp/yuigonshintaku/yuigonshintaku_03.html
② 三井住友信託銀行「遺言信託 手数料」——基本手数料・執行報酬率・最低執行報酬額・算定基礎(消極財産控除前)・別途費用。
https://www.smtb.jp/personal/entrustment/succession/charge
③ みずほ信託銀行「遺言執行引受予諾業務」(2025年10月1日現在)——基本手数料・遺言執行報酬率・最低報酬額・就職辞退・引受範囲・実費の直接請求。
https://www.mizuho-tb.co.jp/souzoku/yuigon_hikiuke.html
④ りそな銀行・埼玉りそな銀行「遺言信託の手数料」——取扱手数料・執行報酬率・最低報酬額・精算費(辞退時を含む)。
https://www.resonabank.co.jp/kojin/yuigon/tesuryo/
3 その他の資料
① 一般社団法人信託協会「遺言信託」(個人のための信託/信託商品・活用方法)——遺言信託の役務内容の説明及び公正証書遺言を対象とする旨。
https://www.shintaku-kyokai.or.jp/products/individual/assetsuccession/testament_inheritance.html
② 日本弁護士連合会「弁護士報酬(アンケート結果に基づく目安)」に関するリーフレット——弁護士会の報酬基準が平成16年4月1日に廃止され,弁護士報酬が自由化されたこと,及び遺言執行が手数料として扱われること。
③ 法務省「自筆証書遺言書保管制度」——法務局における自筆証書遺言書の保管制度の内容。
④ 弁護士職務基本規程(第5条・第6条・第27条・第28条)——遺言執行者の職務の中立性及び利益相反に関する日本弁護士連合会の会規(e-Gov法令検索の対象法令ではない)。
⑤ 山中弁護士ブログ「遺言執行者が特定の相続人の代理人をしたことに関する,弁護士会の懲戒例」——遺言執行者と特定の相続人の代理人との兼務に関する弁護士会懲戒例等の整理。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2019/09/21/igon-dairinin/