第1 管轄合意なしで申し立てられる裁判所
契約交渉の途中で特許権の侵害やライセンス料が争点になったときは,東京地裁又は大阪地裁の知的財産権部が運用する知財調停を利用できる。
令和8年5月21日,知的財産の紛争に関する調停事件について東京地裁又は大阪地裁にも管轄を認める民事調停法33条の4が施行された。
同条は,民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(令和5年法律第53号。令和5年6月14日公布)により新設され,民事訴訟法等の一部を改正する法律(令和4年法律第48号)の施行の日である令和8年5月21日に施行されたものである。
改正前は,調停事件が原則として簡易裁判所の管轄に属するため,東京地裁・大阪地裁の知財調停を利用するには,両当事者が管轄裁判所を東京地裁又は大阪地裁とする管轄合意をする必要があった。
裁判所の広報資料は,改正後は管轄合意が不要となると案内している。
もっとも,33条の4は,民事調停法3条による管轄(相手方の住所,居所,営業所又は事務所の所在地を管轄する簡易裁判所等)を残した上で,次の表の地裁にも管轄を加えるものである。
どちらの地裁に申し立てられるかは,まず3条により合意によらずに管轄を有する簡裁がどの高裁の管轄区域内にあるかで判断する。
| 合意によらずに管轄を有する簡裁が所在する高裁の管轄区域 | 33条の4により管轄を有する地裁 |
|---|---|
| 東京・名古屋・仙台・札幌 | 東京地方裁判所 |
| 大阪・広島・福岡・高松 | 大阪地方裁判所 |
例えば,相手方の事務所の所在地を管轄する簡裁が名古屋高裁の管轄区域内にある場合,その簡裁に加え,東京地裁にも管轄合意を得ずに申し立てられる。
福岡高裁の管轄区域内にある場合は,同じ考え方で大阪地裁が加わる。
33条の4は,3条1項のうち当事者が合意で定める管轄に関する部分を除いているため,振り分けに使うのは合意によらない簡裁の管轄である。
当事者が合意で定める地裁又は簡裁の管轄は,3条1項により別に生じる。
知財訴訟の管轄は,民事訴訟法6条・6条の2により別に判断する。
民事訴訟法6条1項は,特許権等に関する訴えについて東京地裁又は大阪地裁の専属管轄を定めるのに対し,民事調停法33条の4は,簡裁の管轄を残したまま東京地裁又は大阪地裁にも管轄を加えるものであり,東京・大阪への振り分けが持つ意味が異なる。
第2 知財調停が適する事件
知財調停では,知財部の裁判官1名と,知財事件の経験が豊富な弁護士・弁理士などの専門家2名が調停委員会を構成する。
特許権に関する紛争など技術的事項が問題となる事案では,裁判所調査官が関与することもある。
特許権,著作権,商標権,不正競争防止法に定める不正競争(営業秘密)などをめぐる紛争で,争点がある程度特定され,当事者双方が話合いによる解決を希望している事案で利用しやすい。
例えば,商標の類否について委員会の見解を聞いて表示の変更条件を話し合う場合や,ライセンス料の算定に争点を絞って交渉する場合である。
調停手続は非公開で行われる。
もっとも,民事調停法12条の6は,当事者のほか利害関係を疎明した第三者も調停事件の記録の閲覧等を請求できると定めている。
裁判所の広報資料は,書類の提出方法を工夫することにより,営業秘密等の紛争の詳細を第三者に知られることなく解決を図ることができると説明している。
営業秘密等の資料を出す場合は,提出する範囲と記録の閲覧等の扱いを,提出前に担当裁判所に確認する。
差止めを急ぐ場合や,多数の争点について詳細な立証が必要な場合には,仮処分や訴訟も含めて手続を選ぶ。
調停の申立てを検討している間も,保全の必要性や期間制限は請求ごとに確認する。
第3 申立書と第1回期日までの準備
東京地裁の令和8年5月改訂の案内によれば,調停申立書には申立ての趣旨と紛争の要点等を記載する。
差止めや損害賠償を求める場合など,相手方に求める行為を明確に特定できるときは,申立ての趣旨を訴訟の請求の趣旨と同程度に特定する。
紛争の要点には,紛争の内容・背景事情,争点に関する申立人の主張,相手方の主張に対する反論,過去の交渉経緯,解決の意向等を記載する。
ライセンス料の調整なら,対象となる権利・製品・期間と,どの条件で折り合っていないかを整理しておくとよい。
同じ案内では,申立人は紛争の要点に記載した事実を立証する書証の写しを証拠説明書とともに提出し,提出を予定する書証は第1回期日前に全て提出するよう求めている。
相手方は,第1回期日(申立てから約6週間後)の10日前までに答弁書や書証等を提出するものとされている。
これは東京地裁の運用案内に示された目安であり,届いた書類に記載された期限を確認する。
申立書や書証の写しの部数は,相手方の人数と調停委員会の人数に応じて定められており,調査官の関与が見込まれる特許関係の事件では部数が増える。
東京地裁の受付は,ビジネス・コート(中目黒庁舎)2階の民事訟廷事件第二係である。
大阪地裁の知的財産権部のページに掲載されている審理要領は令和元年9月1日付けのもので,両当事者名義の管轄合意書の提出を求める改正前の記載を含んでいる。
大阪地裁へ申し立てる場合は,受付窓口,書類の部数,手数料・郵便費用と納付方法を同地裁に確認する。
知財調停ではウェブ会議を利用して手続に参加することができるとされているが,個別の事件で利用できるかは申立先に確認する。
第4 調停委員会の見解と手続の終わり方
東京地裁の運用では,原則として第3回期日までに,調停委員会がその見解を口頭で開示する。
合意内容の調整に期間を要する事案などでは,当事者の意向も踏まえて4回以上の期日を経ることもある。
見解には訴訟や仮処分による解決が適しているという意見が含まれることもあり,その後は,調停を続ける,調停を終えて自主交渉に戻る,訴えの提起や仮処分の申立てに進むなど,事件に応じて次の手続を選ぶ。
調停において当事者間に合意が成立し,これを調書に記載したときは,その記載は裁判上の和解と同一の効力を有する(民事調停法16条)。
裁判所が調停に代わる決定(同法17条)をした場合,当事者又は利害関係人は異議の申立てをすることができ,その期間は当事者が決定の告知を受けた日から2週間である(同法18条1項)。
適法な異議の申立てがあれば決定は効力を失い,期間内に異議の申立てがなければ,決定は裁判上の和解と同一の効力を有する(同条4項・5項)。
第5 出典と関連記事
民事調停法(e-Gov法令検索)
民事訴訟法(e-Gov法令検索)
衆議院「民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(令和5年法律第53号)
法務省「民事訴訟法等の一部を改正する法律について」
東京地方裁判所「知財調停手続の運用について」
大阪地方裁判所「知的財産権部」
裁判所「知財調停」(広報資料,令和8年1月)
最高裁判所「知財調停のススメ」
訴訟の管轄や知的財産高等裁判所の取扱事件は,「知的財産高等裁判所とは―東京高裁の特別の支部・取扱事件・専属管轄・大合議(AI作成)」で説明している。