第1 地方公共団体のカスハラ対応が難しい理由
1 住民は単なる顧客ではない
地方公共団体の窓口,電話,電子メール,訪問,学校,福祉,税務及び公共施設では,住民その他の行政サービス利用者から強い申入れを受けることがある。
しかし,住民は単なる顧客ではなく,申請,届出,審査請求,情報公開請求,請願,陳情,選挙及び行政への意見表明を行う権利主体でもあるため,職員が不快又は負担に感じたという理由だけで申入れをカスタマーハラスメント(以下「カスハラ」という。)と扱うことはできない。
他方,行政サービスは限られた人員と時間で住民全体に提供される。
一人の申入れへの対応が際限なく続けば,対応職員の心身だけでなく,他の住民への業務遂行にも支障が生じるため,正当な権利行使を保障しながら,対応の方法,時間及び窓口を合理的に調整する必要がある。
2 令和8年10月1日から地方公共団体にも措置義務が生じる
労働施策総合推進法等の一部を改正する法律(令和7年法律第63号)による改正後の労働施策総合推進法33条は,令和8年10月1日から,事業主にカスハラを防止するための雇用管理上必要な措置を義務付ける。
カスハラ防止指針(令和8年厚生労働省告示第51号)は,方針の明確化,相談体制,事実確認,被害者への配慮,再発防止,悪質事案を抑止する措置,プライバシー保護及び不利益取扱いの禁止等を具体化している。
地方公共団体も,法33条及び34条の実体的な措置義務の対象となる。
ただし,法48条により,労働局による紛争解決援助・調停,助言・指導・勧告・公表及び報告徴求等の規定は国家公務員及び地方公務員に適用されないため,実体的義務と履行確保の経路を分けて理解する必要がある。
第2 正当な権利行使とカスハラの区別
1 要求内容と要求方法を分けて評価する
法33条のカスハラに当たるためには,①行政サービス利用者その他の地方公共団体の事業に関係を有する者の言動であること,②職員が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えること,③その言動によって職員の就業環境が害されることの全てが必要である。
不利益処分への反論,職員の誤りの指摘,説明・謝罪・是正の要求又は行政運営への厳しい批判であっても,内容及び方法が相当であればカスハラではない。
判断では,要求の根拠,行政側の落ち度,経緯,言動の頻度・継続性,拘束時間,暴力・脅迫・侮辱の有無,業務への支障及び職員の心身への影響を分けて確認する。
要求内容に理由があっても,暴行,脅迫,土下座の強要,人格否定,長時間の居座り又は同一回答後の執拗な反復という方法が不相当ならば,カスハラになり得る。
2 権利行使の入口を閉ざしてはならない
対応終了は,申請書の受領拒否,不利益処分,不服申立期間の進行又は生活・生命に必要な給付の停止と同じではない。
口頭又は電話による応対を終了しても,法令上受理すべき申請・届出,審査請求,情報公開請求,請願その他の手続は,それぞれの根拠法令に従って処理しなければならない。
障害者が不当な差別的取扱いの是正又は社会的障壁の除去を求めること自体は,カスハラではない。
厚生労働省の解説も,障害特性,認知症その他の事情を理解し,合理的配慮の要否を検討する必要があることを明示している。
3 グレーゾーンでも職員保護はできる
行為がカスハラに該当するか直ちに判断できない場合でも,職員の負担が限界を超えるまで一人で対応させる必要はない。
上席への交代,複数名対応,別室対応,折返し回答,専門部署への移管及び対応後の休養・相談は,最終的なカスハラ認定とは別に実施できる。
カスハラと認定できなかった事案も,複雑な制度,分かりにくい案内,処理の遅延又は部署間のたらい回しが原因であれば,業務改善の対象となる。
住民を排除する問題としてだけでなく,行政サービス及び組織運営を改善する契機として扱うことが,再発防止につながる。
第3 初動対応と職員保護
1 初動の6段階
初動は,①申入れの目的と事実を聴く,②行政側の落ち度と緊急性を確認する,③不相当な言動があれば具体的に注意する,④上席又は専門部署へ引き継ぐ,⑤安全と証拠を確保する,⑥必要に応じて対応を終了し,警察又は弁護士へ移すという段階で設計する。
暴力又は切迫した危険がある場合は,この順番にこだわらず,退避,応援要請及び110番通報を優先する。
注意するときは,「カスハラです」と抽象的に決め付けるのではなく,「大声を止めてください」「同じ質問への回答は既にお伝えしました」「本日の面談はあと10分で終了します」など,やめるべき行為と次の手続を具体的に伝える。
警告した時刻,発言,回答及び相手方の反応を記録し,上席が判断を引き取ることが重要である。
2 職員一人に抱え込ませない
現場担当者に「毅然と対応せよ」と命じるだけでは足りない。
上席交代,面談終了,退去要求,録音・録画,警備要請,警察通報及び弁護士相談を誰が決定できるかを定め,緊急時は承認待ちで保護が遅れないようにする必要がある。
被害を受けた職員には,行為者からの一時的分離,業務又は勤務場所の調整,医療機関・産業保健スタッフ・共済組合等への接続及び公務災害申請の案内を行う。
相談したこと又は事実確認に協力したことを理由に評価を下げ,又は本人の希望を確認せず一律に住民対応から外すことは避ける。
3 根拠のない謝罪を強制しない
住民との関係を早く収めるために,被害職員へ謝罪を強制すると,組織内の二次被害を生じさせる。
謝罪が必要な場合も,行政側のどの行為について,誰が,どの表現で謝罪するかを事実確認後に組織として決め,職員個人へ責任を押し付けない。
甲府地裁平成30年11月13日判決は,犬にかまれた教諭に責任が認められないのに,校長が児童の父及び祖父の要求に沿って謝罪させたことについて,職務上の指導として社会通念上許容される範囲を明らかに逸脱し,教諭の自尊心を傷つけて精神的苦痛を与えたと判断した。
この判決は自治体カスハラを直接判断したものではないが,住民・保護者との関係維持を理由に被害職員へ根拠のない謝罪をさせてはならないことを示す重要な事例である。
第4 対応を終了又は制限するときの手順
1 対応終了は段階的に行う
緊急の危険がない事案では,①事実と要求を確認する,②可能な対応と不可能な対応を理由付きで説明する,③不相当な言動を特定して中止を求める,④対応時間・回数・窓口を限定する,⑤改善がなければ終了を予告する,⑥権限者が終了又は制限を決定するという段階を踏む。
最初から全面的な連絡禁止とするのではなく,電話から書面へ,担当者から統一窓口へ,随時面談から予約制へ移すなど,必要最小限の制限を検討する。
時間又は回数の目安は,現場が判断する助けになるが,30分又は3回を超えれば自動的にカスハラになるという法令上の基準ではない。
案件の複雑さ,新情報の有無,行政側の未回答事項,反復性,言動の態様,業務への支障及び職員の健康影響を総合し,例外を判断できる仕組みにする。
2 対応終了の決定事項
対応終了又は制限を決める際は,①対象となる行為,②過去の説明と警告,③残る未回答事項,④制限する連絡方法・時間・場所・担当者,⑤制限の開始時期と見直し時期,⑥申請等の法定手続,⑦緊急時の連絡方法を明確にする。
決定権者を課長,部長又は対策部署等として事前に定め,担当職員個人の判断又は相手方への感情で決めない。
相手方への通知は,違反行為と制限内容を対応させ,正当な申入れまで禁止するような曖昧で広すぎる表現を避ける。
電話・面談を制限する場合も,郵送,専用電子メール,代理人又は統一窓口等の代替手段を示し,生命・身体の危険,給付の期限その他の緊急事情には別途対応する。
3 警察・弁護士への移行
暴行,傷害,脅迫,強要,器物損壊,退去要求後の居座り,公務執行妨害又は業務妨害等が疑われる場合は,安全確保を優先して警察へ通報・相談する。
事前に管轄警察署と連絡経路を確認し,日時,具体的言動,警告,録音・録画及び業務への支障を示せるようにする。
大量かつ継続的な架電・来庁等に対しては,警告書,弁護士名による通知,仮処分又は本案訴訟による差止めを検討する。
法的手続は全ての悪質事案で直ちに必要となるわけではなく,継続可能性,重大性,代替手段及び事後的損害賠償では回復しにくい損害を個別に評価する。
第5 記録の作り方と情報管理
1 最低限記録する事項
記録には,①日時・場所・手段,②対応者・同席者,③相手方が求めた内容,④具体的な言動,⑤行政側の説明・回答,⑥注意・警告と相手方の反応,⑦対応時間・回数,⑧業務及び職員への影響,⑨上席の判断,⑩対応終了後の代替手段,⑪録音・録画その他の証拠の所在を残す。
「悪質住民」「カスハラ常習者」のような評価語だけを記載せず,発言は可能な限り具体的に記録する。
事実,職員の受け止め,組織の評価及び法的判断を分けて記載する。
例えば,「午後2時13分に机を3回たたいた」は観察事実,「恐怖を感じた」は職員の受け止め,「社会通念上許容される範囲を超える」は組織又は法務の評価であり,混同しないことが後日の検証に役立つ。
2 録音・録画と個人情報
録音・録画を導入する場合は,利用目的,対象となる場所・通話,告知方法,閲覧権限,保存期間,開示請求への対応及び廃棄方法を定める。
証拠確保の必要性があっても,無関係な住民の音声・映像,健康・障害情報その他の要配慮個人情報を必要以上に収集・共有しない。
同一人に関する記録を部署横断で共有するときは,安全確保と重複対応防止に必要な範囲に限定する。
単なる苦情申立てを理由に不利益な名簿を作るのではなく,共有の目的,閲覧者,更新・訂正方法及び見直し期限を決める必要がある。
3 決定後も見直せる記録にする
対応終了記録には,誰が,どの資料を基に,どの権限で,どの範囲の制限を,いつまで設けたかを残す。
新たな事情,職員交代,相手方の改善又は長期間の経過があれば,制限の必要性と範囲を再評価する。
記録は,職員保護の証拠であると同時に,住民の権利を過度に制限していないことを説明する資料でもある。
相談窓口,情報公開,監査,議会,訴訟等で検証されることを前提に,感情的表現を避け,判断過程を追える形にする。
第6 判例から得られる実務上の基準
1 大阪府動物愛護管理センター事件
大阪地裁令和3年11月10日判決(令和3年(ワ)第5272号,判例秘書L07652018)は,大阪府が,動物愛護管理行政に関する大量の架電等の差止めを求めた事案である。
判決は,平成26年3月から令和3年3月まで707回の架電があり,直前8か月だけでも324回・合計約31時間に及び,侮辱,謝罪要求,罵声及び執拗な回答要求が繰り返されたと認定した。
判決は,地方公共団体の業務を,財産権と業務従事者の人格権を包含する法的保護に値する利益と捉え,権利行使として相当な限度を超え,業務への支障が著しく,事後的な損害賠償だけでは回復困難な重大な損害が生じる場合には差止めを請求できるとした。
また,インターネット,ファックス又は郵送による意見表明が可能であることを考慮し,架電・面談等の差止めが正当な権利行使を過度に制限しないと判断した点は,代替手段を残す重要性を示す。
2 NHKサービスセンター事件
横浜地裁川崎支部令和3年11月30日判決(令和2年(ワ)第284号,判例秘書L07651621)及び東京高裁令和4年11月22日判決(令和3年(ネ)第5582号,判例秘書L07720645)は,コールセンター職員が特定視聴者によるわいせつ電話及び暴言等について安全配慮義務違反を主張した事案である。
モニタリング,管理者への転送,わいせつ電話の即時切断,多数回架電者への自動音声化,心理相談,ストレスチェック及び産業医対応等が実施されていたことから,会社の責任は否定された。
東京高裁は,執拗で不合理な行為に組織として毅然と対応し,必要に応じて法的措置を検討することが求められる一方,全事案で直ちに刑事又は民事の法的措置をとる義務まではないとした。
また,顧客側の言動が不相当でも,職員の感情的・攻撃的な応答が当然に正当化されるわけではないため,職員個人を矢面に立たせず,上席交代と対応終了を組織化する必要がある。
3 判例秘書の確認範囲
令和8年9月22日及び23日に,LLI/DB判例秘書の任意語全文検索を行った。
「カスタマーハラスメント」は11件が該当し,NHKサービスセンター事件の第一審及び控訴審の全文を確認し,「動物愛護管理センター」は3件が該当し,大阪地裁令和3年11月10日判決の全文を確認した。
また,「甲府市」かつ「安全配慮義務」は15件が該当し,甲府地裁平成30年11月13日判決(平成27年(ワ)第227号,判例秘書L07351171)の全文を確認した。
これらは裁判所ウェブサイトに掲載されていない判決を含み,検索不掲載と判決不存在を同一視してはならない。
第7 自治体が整える実務パッケージ
1 全庁共通の規程と部署別手順
全庁共通資料として,①基本方針,②定義と判断要素,③相談・報告経路,④上席交代基準,⑤対応終了・制限基準,⑥重大事案のエスカレーション,⑦記録様式,⑧録音・録画及び情報共有規程,⑨警察・弁護士との連携手順,⑩職員の健康支援を整える。
これに加え,学校,福祉,税務,生活保護,ケースワーク,公共交通及び施設管理等の業務特性に応じた部署別手順を作る。
JIAM「国際文化研修」第130号の山谷清秀「本格化する自治体カスハラ対策の実効性確保のために」は,全庁共通の汎用マニュアルと,実際の事案を踏まえた部署別マニュアルを組み合わせる必要性を指摘する。
同論考は実務上有用な二次資料であり,法的結論は改正法,指針,個別法令及び判決本文で別途確認する必要がある。
2 様式と訓練
少なくとも,初動記録票,事実確認票,注意・警告記録,対応終了決裁,対応終了通知,警察相談票及び職員支援記録の様式を準備する。
様式は記入欄を増やすだけでなく,事実・評価・決定権者・代替手段・見直し日を分け,後から判断過程を再現できるものにする。
訓練では,正当な苦情,行政側に落ち度がある事案,障害特性への配慮が必要な事案,同一主張の反復,長時間電話,暴力,無断撮影及びSNS拡散予告等を扱う。
誰が職員を交代させ,誰が応対終了を決め,誰が証拠を保存し,誰が相手方の法定手続を確保するかを時系列で確認する。
第8 関連記事
令和8年10月1日施行のカスハラ対策義務化―全事業主が整える10項目(AI作成)では,改正法の3要件,全事業主に共通する10項目,行政上の履行確保,労災及び主要裁判例を整理している。
職場におけるハラスメント防止に関するメモ書きでは,パワーハラスメントを含む職場のハラスメント対策を整理している。
業務による精神障害の労災・公務災害―民間労働者と司法修習生の比較(AIリライト)では,心理的負荷による精神障害の労災認定基準及び公務災害を整理している。
地方公共団体が設置する第三者調査委員会―委員構成,独立性,調査範囲,報告書及び公表(AI作成)では,自治体の組織的な事実調査と検証の手順を整理している。
第9 出典・参考資料
1 法令・国の資料
①労働施策総合推進法等の一部を改正する法律(令和7年法律第63号)及び新旧対照条文(厚生労働省)
②カスハラ防止指針(令和8年厚生労働省告示第51号)(厚生労働省)
③職場におけるハラスメントの防止のために(厚生労働省)
④地方公共団体におけるカスタマーハラスメント対策について(令和7年1月17日,総務省自治行政局公務員部資料)
⑤カスタマーハラスメントとは(厚生労働省「あかるい職場応援団」)
2 自治体実務資料・裁判例
①山谷清秀「本格化する自治体カスハラ対策の実効性確保のために」(国際文化研修2026年夏第130号20頁)
②鈴木智洋「自治体職員を悩ませるカスハラ行為―法的根拠から対応策を考える」(同24頁)
③大阪地裁令和3年11月10日判決(令和3年(ワ)第5272号,架電等差止請求事件,判例秘書L07652018)
④甲府地裁平成30年11月13日判決(平成27年(ワ)第227号,労働判例1202号95頁,判例秘書L07351171)
⑤横浜地裁川崎支部令和3年11月30日判決(令和2年(ワ)第284号,判例秘書L07651621)及び東京高裁令和4年11月22日判決(令和3年(ネ)第5582号,判例秘書L07720645)