事業譲渡では,会社そのものではなく,合意した資産,負債,契約その他の事業要素を個別に移転する。
そのため,契約書の題名が「事業譲渡契約書」であっても,何が移り,何が残り,第三者の同意が得られない場合にどうするかまで定めなければ,事業を予定どおり開始できない。
本記事では,中小企業の事業譲渡契約書を確認するときの主要な論点を,売主と買主の双方の立場から整理する。
第1 最初に取引の輪郭を固定する
1 譲渡対象を「一切」だけで済ませない
譲渡対象は,不動産,機械設備,棚卸資産,売掛金,知的財産,契約上の地位,顧客情報,帳簿及びノウハウ等に分け,別紙で特定するのが基本である。
対象外とする現預金,租税債務,訴訟,過去の労務債務及び関連当事者との債権債務も,残存範囲を明示した方がよい。
資産名だけでなく,基準日,数量,所在,簿価,登記・登録番号及び契約相手方を記載すると,クロージング時の照合がしやすい。
売主は意図しない資産・債務の流出を防ぎ,買主は事業継続に不可欠な資産の漏れを防ぐという,双方の利益が一致する部分である。
2 契約上の地位は相手方の承諾を前提にする
契約上の地位の移転には,原則として契約相手方の承諾が必要である(民法539条の2)。
対象契約の一覧,承諾取得の担当者,期限,費用及び承諾が得られない場合の代替措置を定める必要がある。
重要契約の承諾をクロージングの前提条件とするか,承諾未取得契約を譲渡対象から外して代金を調整するかは,事業への重要性に応じて決める。
売主に結果保証を負わせる場合は,第三者の判断まで支配できないことを踏まえ,対象契約と努力義務の範囲を限定するのが相当である。
3 許認可は承継の可否を個別に確認する
許認可は,法令ごとに承継の可否,事前承認,届出及び人的・物的要件が異なる。
「必要な許認可をすべて取得する」とだけ書かず,許認可名,名義人,所管官庁,申請時期,取得見込み日及び取得までの暫定運営の可否を一覧化する必要がある。
第2 代金と精算方法を具体化する
1 固定価格か価格調整かを選ぶ
譲渡代金は,営業権,固定資産,棚卸資産及び承継債務等の内訳を確認する。
消費税,登録免許税,不動産取得税その他の税務・登記費用について,誰が負担するかも明記する。
基準日からクロージングまで資産・負債が変動する場合は,棚卸数量,売掛金,買掛金又は運転資本に応じた価格調整を設けることがある。
会計方針,資料提出期限,異議期間,専門家による紛争解決及び最終精算日まで定めなければ,計算式だけでは争いを防げない。
2 支払と引渡しを同時履行にする
買主による代金支払と,売主による資産引渡し,登記書類交付,契約承諾書交付及びデータ移管は,同一日に相互確認して行うのが基本である。
後払い又は分割払いを採用する場合,売主は担保,保証,期限の利益喪失及び相殺範囲を確認する必要がある。
第3 締結からクロージングまでを管理する
1 通常運営義務と禁止事項を限定する
契約締結後に売主の経営判断を全面的に拘束すると,通常の営業活動が止まるおそれがある。
重要資産の処分,多額の借入れ,通常外の設備投資,重要契約の変更,従業員の大幅な処遇変更等,買主の事前承諾が必要な事項を金額基準や重要性基準で限定するのが望ましい。
2 前提条件は当事者ごとに分ける
株主総会等の社内承認,重要契約の承諾,許認可,従業員の転籍同意,表明保証の正確性及び重大な悪影響の不存在などが典型的な前提条件である。
各条件について,利益を受ける当事者,充足期限,放棄の可否,努力義務の程度及び未充足時の延期・解除を定める。
第三者同意のように当事者だけでは確実に実現できない条件は,売主又は買主の無限定な結果保証としない方が紛争を避けやすい。
一方,当事者自身が行う社内決議や書類交付は,明確な履行義務として扱える。
3 クロージング書類を一覧にする
クロージングチェックリストには,少なくとも次の項目を記載する。
| 区分 | 主な確認事項 |
|---|---|
| 資産 | 現物,引渡証,鍵,登記・登録書類,棚卸結果 |
| 契約 | 承諾書,再締結契約,保証・担保の解除又は差替え |
| 従業員 | 個別同意,雇用条件通知,入退社・社会保険手続 |
| 許認可 | 新規取得,承継承認,届出,営業開始可能日 |
| 情報 | 顧客データ,帳簿,アクセス権限,バックアップ |
| 決済 | 請求書,振込先,着金確認,価格調整の留保額 |
第4 表明保証と開示を対応させる
1 事業譲渡に必要な分野を選ぶ
表明保証では,譲渡対象の権利帰属,担保権,不動産,設備,知的財産,主要契約,許認可,労務,税務,訴訟,法令遵守,個人情報及び財務資料の正確性を検討する。
会社全体の株式譲渡と異なり,対象事業及び譲渡対象財産との関係を明確にし,対象外事業まで無制限に広げないことが重要である。
2 開示資料と例外を紐付ける
売主が開示した事実を表明保証の例外にする場合,開示資料一覧又は開示書面に具体的に記載し,どの表明保証の例外かを対応させる。
データルームに資料があったというだけでは,買主がどの事実を認識したかについて争いが残りやすい。
知識限定,重要性限定及び期間限定は,売主の管理可能性と買主のリスクに応じて使い分ける。
詐欺・故意,権限及び権利帰属等の基本事項と,通常の事業上の表明保証を同じ責任条件にしない設計も考えられる。
第5 補償・解除・競業避止を調整する
1 補償の対象,期間及び上限を決める
表明保証違反,契約違反及び譲渡対象外債務について,誰がどの損害を負担するかを定める。
請求期間,上限額,少額免責,バスケット,損害軽減義務,保険金等の控除,第三者請求への対応及び二重回収の禁止も確認する。
売主にとっては,逸失利益,間接損害及び買主の事業計画未達まで無限定に負担しないことが重要である。
買主にとっては,未払賃金,租税,環境問題その他の過去原因債務について,通常の表明保証とは別の特別補償を設ける必要があるかを検討する。
2 クロージング後の解除を安易に予定しない
事業譲渡後は,資産,契約,従業員及び顧客関係が移転するため,原状回復は容易でない。
クロージング前の解除事由と,クロージング後の金銭補償を分ける方が実務に合うことが多い。
3 競業避止は範囲を具体化する
会社法21条は,事業を譲渡した会社の競業避止について,別段の意思表示がない場合の地域・期間を定め,特約による期間にも上限を置く。
契約では,対象事業,地域,期間,例外となる既存事業及び受動的な株式保有等を具体化し,必要な範囲を超えないようにする。
第6 売主と買主で最終確認する事項
売主は,譲渡対象外の資産・債務,代金回収,保証解除,責任上限,開示の有効性及び競業避止の範囲を重点的に確認する。
買主は,事業継続に必要な資産・契約・従業員・許認可の充足,過去原因債務の遮断,移行支援及び補償の実効性を重点的に確認する。
契約書だけで完結させず,資産一覧,契約一覧,許認可一覧,従業員一覧,開示書面及びクロージングチェックリストを相互に整合させることが,最も有効な紛争予防となる。
第7 関連記事及び公的資料
事業譲渡で必要となる社内手続―株主総会・取締役会の承認,省略の条件及び株主通知(AI作成)
M&Aの契約締結後に実行できないとき―前提条件・延期・解除・条件放棄(AI作成)