黒川弘務元東京高検検事長の退職金については、計算上の試算、政府が公表した情報、退職手当の返納制度を分けて確認する必要がある。約5900万円という金額を、そのまま実際の支給額として断定することはできない。
本記事は、賭け麻雀問題の記事に掲載していた退職手当の計算を整理し、政府答弁と国家公務員退職手当法に照らして、その意味を説明するものである。
第1 実際の支給額と支給日は公表されたか
1 政府答弁で確認できる範囲
令和2年6月5日付の政府答弁書は、黒川氏の退職金の総額、支給額及び支給日について、個人のプライバシーに関わる事柄として回答を差し控えている。
同答弁書が示したのは、一般論として、国家公務員退職手当法により計算された額を原則として退職日から1月以内に支払うという制度の説明である。これを、黒川氏について特定の日に特定額が支払われたことの確認資料と扱うことはできない。
その後、令和3年4月2日の衆議院法務委員会では、法務大臣が黒川氏に支払われた退職手当に言及している。ただし、本記事で確認した答弁から具体的な支給額と支給日を特定することはできない。
2 訓告と懲戒免職の違い
黒川氏に対する訓告は、法務省の内規による監督上の措置である。懲戒免職とは異なる。したがって、訓告を受けたという事実だけから、懲戒免職に伴う退職手当の支給制限が適用されたと考えることはできない。
処分の根拠・決定過程に関する政府の説明は、黒川氏の訓告処分に関する内閣答弁書にまとめている。
第2 約5900万円という試算の内容
1 元記事で置いていた計算条件
元記事は、令和2年の退職について、退職時の俸給月額を130万2000円、勤続期間を37年、自己都合退職の支給率を41.7663、調整額を基本額の8.3%として試算していた。
裁判官・検察官の給与月額表(令和2年1月1日現在・当ブログ掲載資料)では、東京高検検事長の報酬・俸給欄が130万2000円となっている。地域手当等を含む月額合計欄と、退職手当の試算に用いる俸給月額を区別する必要がある。
勤続37年の自己都合退職について41.7663、定年退職について47.709という係数は、国家公務員退職手当支給率早見表(平成30年1月1日以降の退職・当ブログ掲載資料)で確認できる。この係数は、基本額に関する調整率を既に織り込んだものである。
退職手当の「基本額の調整率」と、基本額に加える「調整額」は別の計算要素である。8.3%の加算は、全ての国家公務員に一律に適用する計算方法として紹介するものではない。
2 自己都合退職の計算
上記の条件による計算は、130万2000円×41.7663×1.083=5889万3239.5758円となる。1円未満を除いた試算額は5889万3239円であり、約5900万円という説明に対応する。
これは元記事の計算条件による試算である。個別の支給決定書、実際の支給額又は振込記録を確認した結果ではない。
3 定年退職を仮定した比較
元記事は、令和2年2月7日限りで定年退官していた場合の比較として、支給率47.709を用いていた。その計算は、130万2000円×47.709×1.083=6727万2838.794円であり、1円未満を除くと6727万2838円となる。
この比較も、同じ俸給月額と調整額の条件を置いた仮定の計算である。実際に定年退職したという事実を述べるものではなく、2つの試算の差額を実際に受け取った金額の差として断定することもできない。
第3 退職後に有罪となった場合の返納制度
1 返納は自動的な全額没収ではない
国家公務員退職手当法15条は、支払後の退職手当について、一定の事由がある場合に全部又は一部の返納を命ずる処分を行うことができると定めている。要件に当たれば当然に全額を返すという構造ではない。
同条1項1号は、基礎在職期間中の行為に係る刑事事件について一定以上の刑に処せられた場合を対象とする。令和2年当時の刑名では禁錮以上、拘禁刑導入後の現在の条文では拘禁刑以上と表現されている。
2 罰金刑と別の返納事由
黒川氏について罰金20万円の略式命令が出た経緯は、令和3年4月2日の衆議院法務委員会会議録で取り上げられている。罰金刑を、同法15条1項1号の禁錮以上の刑と同一視することはできない。
ただし、同項3号には、在職中に懲戒免職等処分を受けるべき行為をしたと退職手当管理機関が認めた場合という別の事由がある。したがって、罰金刑だからいかなる返納処分も制度上あり得ないという説明も正確でない。個別の処分が実際に行われたかどうかは、別途資料による確認を要する。
この3号を理由とする処分には、同条3項による退職日から5年以内という期間制限がある。令和2年の退職について、現在も同号により新たな返納処分を行えると説明することはできない。過去に処分がされたかどうかと、現在の処分可能性は分けて確認する必要がある。
3 退職手当審査会への諮問
同法19条1項は、15条1項に基づく処分を行おうとするときの退職手当審査会への諮問を定めている。返納の対象・範囲は、法の要件と考慮事情、所定の手続に従って検討される。
また、15条4項は、処分を行おうとするときの対象者からの意見聴取を定めている。報道で非違行為が指摘されたことだけで、自動的に返納が確定する制度ではない。
元記事にあった、常習賭博罪で懲役刑に処せられたら返納処分が「行われます」という記述は、処分の可能性と実施を区別する必要がある。制度上は、所定の要件と手続の下で全部又は一部の返納を命ずることができる、という説明となる。
第4 自主返納についての令和3年の国会答弁
令和3年4月2日の衆議院法務委員会会議録では、階猛委員が自主返納の有無を質問し、上川陽子法務大臣は、黒川氏に支払われた退職手当は自主返納されていないと承知している旨を答えている。また、返納は本人の判断であるとの説明をしている。
これは同日の政府の認識を示す答弁である。自主返納と、国家公務員退職手当法に基づく返納命令は異なる。さらに、この答弁だけから、その後の全期間について自主返納が一切なかったと断定することはできない。
同会議録中で質問者が述べた退職金額や支給時期についても、法務大臣がその具体的な数字・日付を確認した答弁として扱うべきではない。
第5 確認できることと断定できないこと
令和2年6月5日付政府答弁は、実際の支給額・支給日への回答を差し控え、一般的な支払期限を説明したものである。約5900万円は、元記事の計算条件と支給率早見表に基づく試算として読むべきである。令和3年4月2日には、自主返納されていないとの法務大臣答弁があるが、具体的な支給額・支給日とその後の全期間の状況は別の確認事項となる。
また、訓告、刑事処分及び退職手当の返納処分は、それぞれ別の制度である。これらを一つの処分として説明したり、罰金の略式命令から返納処分の有無を断定したりすることはできない。
黒川弘務東京高検検事長の賭け麻雀問題、訓告処分に関する内閣答弁書及び検察官に対する懲戒処分及び監督上の措置も参照されたい。