第1 この記事の要点
本記事は,借りている建物(借家)から火災が発生した場合に,賃借人が誰に対してどのような責任を負うかを,民法,失火ノ責任ニ関スル法律(以下「失火責任法」という。)及び最高裁判例から整理するものである。
結論は次のとおりである。
①失火責任法は,失火者に重大な過失がなければ不法行為(民法709条)の責任を負わないとする法律であるが,債務不履行による損害賠償には適用されない(最高裁昭和30年3月25日判決)。
②そのため,賃借人は,軽過失による失火であっても,借家の焼失について,賃貸人に対し返還義務の履行不能による損害賠償責任を負いうる。
③賃借人の家族や従業員の過失による失火も,履行補助者の過失として賃借人の責めに帰すべき事由に当たる(最高裁昭和30年4月19日判決)。
④賃借人の責めに帰すべき失火は賃借物保管義務の重大な違反行為であり,過失の態様及び焼損の程度が極めて軽微である等の特段の事情がない限り,賃貸人は催告をしないで賃貸借契約を解除することができる(最高裁昭和47年2月18日判決)。
⑤賃貸人が火災保険金を受け取っても,損益相殺として控除されない。保険者が代位により賠償請求権を取得する分だけ,賃貸人が請求できる額が減る(最高裁昭和50年1月31日判決)。
⑥隣家など賃貸人以外の第三者への類焼については,失火責任法により,失火者に重大な過失がなければ損害賠償責任を負わない。
⑦国家公務員宿舎の入居者は,故意又は重大な過失によらない火災による宿舎の滅失・損傷について,原状回復義務も損害賠償義務も負わない(国家公務員宿舎法16条3項ただし書)。
本記事の基準日は令和8年10月10日である。
条文はe-Gov法令検索の現行のもの,判例は裁判所ウェブサイトの判決全文によった。
火災保険・賠償責任保険の約款の内容は保険会社ごとに異なるため,個別の商品の補償範囲は扱わない。
第2 二つの責任を分ける
1 賃貸人に対する責任と第三者に対する責任
借家から出火した場合,賃借人の責任は,相手方によって次の二つに分けて考える必要がある。
①賃貸人(建物の所有者)に対する責任:賃貸借契約に基づく債務不履行責任(民法415条)が中心となる。
②隣家の所有者・居住者など第三者に対する責任:不法行為責任(民法709条)であり,失火責任法が適用される。
この区別が重要なのは,失火責任法が「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」と定め,不法行為の規定だけを対象にしているからである。
2 失火責任法は債務不履行に適用されない
最高裁判所第二小法廷昭和30年3月25日判決(昭和29年(オ)第790号,民集9巻3号385頁)は,裁判所ウェブサイトの裁判要旨によれば,「債務不履行による損害賠償については『失火ノ責任ニ関スル法律』の適用はない。」とした。
事案は賃借工場の焼失であり,判決は,失火責任法の適用を求める主張について,債務不履行による損害賠償請求の本件に適用のないことは明らかであると述べている。
したがって,賃借人の失火については,賃貸人との関係では重大な過失がなくても責任を負いうる一方,第三者との関係では重大な過失がなければ責任を負わない,という差が生じる。
第3 賃貸人に対する責任
1 保管義務と返還義務
賃貸借は,賃借人が賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって効力を生ずる(民法601条)。
特定物の引渡しを目的とする債務の債務者は,引渡しをするまで,契約その他の債権の発生原因及び取引上の社会通念に照らして定まる善良な管理者の注意をもって,その物を保存しなければならない(民法400条)。
賃借人の失火で建物が焼失すれば,返還義務が履行不能となり,賃貸人は債務不履行による損害賠償を請求することができる(民法415条1項本文)。
賃借人が責任を免れるのは,その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときに限られる(同項ただし書)。
最高裁判所第三小法廷昭和50年1月31日判決(昭和49年(オ)第531号,民集29巻1号68頁)は,パチンコ店の賃借人の住込店員の重大な過失によって建物が焼失した事案で,賃借人は建物返還義務の履行不能による損害賠償として,建物の焼失により賃貸人が被った846万円の損害を賠償する義務を負うとした。
2 建物の全部焼失と賃貸借の終了
賃借物の全部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合には,賃貸借は,これによって終了する(民法616条の2)。
最高裁判所第一小法廷昭和42年6月22日判決(昭和41年(オ)第687号,民集21巻6号1468頁)も,火災によって建物が滅失したことにより賃貸借が終了したと認めた事例である。
一部が焼失した場合で,それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは,使用収益できなくなった部分の割合に応じて賃料が減額される(民法611条1項)。
賃借人の責めに帰すべき事由によって修繕が必要となったときは,賃貸人は修繕義務を負わない(民法606条1項ただし書)。
3 無催告解除
最高裁判所第二小法廷昭和47年2月18日判決(昭和46年(オ)第179号,民集26巻1号63頁)は,従業員がストーブの残り灰を木箱に入れたまま放置したことにより賃借建物に火災が発生した事案で,賃借人は,その責めに帰すべき事由による保管義務違反があったものとして債務不履行の責めを免れないとした。
同判決は,賃借人がその責めに帰すべき失火によって賃借建物に火災を発生させることは賃借物保管義務の重大な違反行為にほかならないとし,過失の態様及び焼損の程度が極めて軽微である等の特段の事情のない限り,賃貸人は催告を経ることなく契約を解除することができるとした。
4 退去時の原状回復
賃借人は,賃借物を受け取った後に生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた損耗並びに経年変化を除く。)がある場合,賃貸借が終了したときは,その損傷を原状に復する義務を負う(民法621条本文)。
ただし,その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない(同条ただし書)。
隣家からの延焼など,賃借人の責めに帰することができない火災による損傷は,原状回復の対象にならない。
第4 家族・同居人・従業員の失火
1 履行補助者の過失
最高裁判所第三小法廷昭和30年4月19日判決(昭和28年(オ)第848号,民集9巻5号556頁)は,賃借人の妻の過失によって家屋が滅失した事案で,民法415条にいう債務者の責めに帰すべき事由には,債務者の故意過失だけでなく,履行補助者の故意過失も含まれるとし,賃借物の返還義務が賃借人の責めに帰すべき事由によって履行不能になったとした。
前記の最高裁昭和50年1月31日判決(住込店員)及び最高裁昭和47年2月18日判決(従業員のストーブの残り灰)も,賃借人の従業員の失火について賃借人の債務不履行責任を認めたものである。
2 損害の範囲
最高裁判所第三小法廷平成6年10月11日判決(平成3年(オ)第825号,集民173号133頁)は,賃借人の二女の失火で賃借建物が全焼した事案について,賃貸人が請求できる損害の範囲を判断した。
裁判所ウェブサイトの裁判要旨は,建物の賃借人の失火により建物が全焼してその敷地の使用借権を喪失した賃貸人は,賃借人に対し,焼失時の建物の本体の価格と土地使用に係る経済的利益に相当する額とを請求することができるとしている。
同判決は,賃借人の責任が成立することを前提に,損害の範囲を誤ったとして原判決を破棄したものである。
第5 火災保険金と賠償額
1 損益相殺の対象にならない
前記の最高裁昭和50年1月31日判決は,家屋焼失による損害について火災保険契約に基づいて家屋所有者に給付される保険金は,既に払い込んだ保険料の対価たる性質を有し,損害賠償額の算定に際し,いわゆる損益相殺として控除されるべき利益には当たらないとした。
2 保険者代位による減額
もっとも,同判決は,保険金を支払った保険者は保険者の代位の制度により被保険者の損害賠償請求権を取得するから,所有者が賃借人に請求できる額は保険金の額だけ減るとした。
同判決の事案では,敷金600万円が損害賠償債務に当然に充当され,残りの246万円の損害賠償請求権は保険会社が取得したと判断された。
したがって,賃借人の側から見ると,賃貸人が火災保険金を受け取っていても,賠償債務が消えるのではなく,保険会社から代位による請求(求償)を受けることがある。
最高裁判所第三小法廷平成7年1月24日判決(平成3年(オ)第1989号,民集49巻1号25頁)も,保険金を支払った保険会社が代位取得した損害賠償請求権を行使した事案である。
第6 隣家への類焼(第三者に対する責任)
1 重大な過失の意味
最高裁判所第三小法廷昭和32年7月9日判決(昭和27年(オ)第884号,民集11巻7号1203頁)は,失火責任法ただし書の「重大ナル過失」について,「通常人に要求される程度の相当な注意をしないでも、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然これを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態を指す」とした。
同判決の事案は焚火であり,重大な過失を否定した原審の判断を是認している。
同判決は,重大な過失の立証責任が損害賠償を請求する被害者側にあることも述べている。
2 重大な過失が認められた例・否定された例
最高裁判所第二小法廷昭和41年6月3日判決(昭和41年(オ)第64号,集民83号685頁)は,腐食したストーブ・煙突を使い続け,過去に小火を繰り返し,ストーブの近くにぼろ屑を積んでいた等の事情の下で,建物の焼失が重大な過失によるものであるとした原審の判断を是認した。
他方,最高裁判所第三小法廷平成元年3月28日判決(昭和63年(オ)第591号,集民156号427頁)は,消防署職員の消火活動が不十分なため残り火が再燃して火災が発生した事案で,消防署職員らに重大な過失があるとはいえないとした原審の判断を是認した。
重大な過失は,火気の種類,使用状況,過去の出火の有無,可燃物との距離,消火・点検の状況などの具体的事実から判断される。
類焼を受けた側が損害賠償を請求する場合には,これらの事実を出火直後の消防・警察の資料,写真及び関係者の供述で立証する必要がある。
3 子どもの火遊び・従業員の失火
未成年者が責任無能力者である場合,最高裁平成7年1月24日判決は,監督義務者は民法714条1項に基づき火災による損害を賠償すべき義務を負うが,監督について重大な過失がなかったときは責任を免れ,未成年者自身に重大な過失に相当するものがあるかどうかを考慮するのは相当でないとした。
大阪高等裁判所平成18年6月22日判決(平成17年(ネ)第2031号)は,5歳児のマッチによる火遊びで隣の建物に延焼した事案で,母親については監督に重過失がなかったとはいえないとして民法714条1項の責任を認め,父親については重過失までは認めなかった。
従業員の失火については,最高裁判所第二小法廷昭和42年6月30日判決(昭和42年(オ)第281号,民集21巻6号1526頁)が,失火者に重大な過失があり,これを使用する者に選任監督について不注意があれば,使用者は民法715条により賠償責任を負うとした。
4 賃貸人と第三者で結論が分かれる
同じ火災でも,賃借人は,賃貸人に対しては軽過失でも返還義務の履行不能による責任を負いうる一方,隣家に対しては重大な過失がなければ責任を負わない。
賃貸人の側の失火で賃借人の財産が焼けた場合について,最高裁判所第一小法廷平成3年10月17日判決(昭和62年(オ)第1408号,集民163号365頁)は,信義則上,賃貸人の債務不履行による賠償義務を認めている。
契約関係にある者どうしでは,失火責任法による責任の軽減が働かないことに注意する必要がある。
第7 国家公務員宿舎の特則
国家公務員宿舎法16条3項は,被貸与者が「その責に帰すべき事由により」宿舎を滅失し,損傷し,又は汚損したときは,遅滞なく原状に回復し,又は損害を賠償しなければならないとしたうえで,ただし書で「その滅失、損傷又は汚損が故意又は重大な過失によらない火災に基くものである場合には、この限りでない。」と定める。
民間の借家人が軽過失の失火でも返還義務の履行不能による責任を負いうるのと比べると,宿舎の入居者は,故意又は重大な過失がない限り,宿舎の建物について原状回復義務も損害賠償義務も負わない点で,責任が軽減されている。
天災,時の経過その他被貸与者の責めに帰することのできない事由による損傷の修繕費は,軽微なものを除き国が負担する(同法17条2項)。
なお,国又は公共団体の公務員の失火については,最高裁判所第二小法廷昭和53年7月17日判決(昭和52年(オ)第1379号,民集32巻5号1000頁)が,公権力の行使にあたる公務員の失火による国又は公共団体の損害賠償責任について,国家賠償法4条により失火責任法が適用されるとしている。
新任判事補の宿舎の手続と入居中の義務は,新任判事補の国家公務員宿舎に整理している。
第8 実務上の確認事項
賃借人の側では,次の点を確認する。
①賃貸借契約書の火災・保険に関する条項(保険加入義務,賠償責任の定め)
②家財の火災保険と,賃貸人に対する賠償責任を補償する保険・特約の有無及び補償範囲
③出火原因(自室か他室か),出火時に誰がいたか(家族・同居人・従業員)
④建物の焼失が全部か一部か(賃貸借の終了か賃料減額か)
⑤賃貸人が火災保険金を受け取ったか,保険会社から代位による請求が来るか
⑥敷金の額と充当関係
賃貸人の側では,次の点を確認する。
①出火原因と賃借人側の帰責事由(履行補助者を含む)の資料
②損害額の資料(焼失時の建物の価格,敷地利用の利益,修繕費等)
③火災保険金の受領と保険者代位の範囲
④隣家から損害賠償を求められた場合の重大な過失の有無
第9 関連記事
①新任判事補の国家公務員宿舎―採用内定翌日の回答期限,規格・使用料,住居手当との比較及び退去時の明渡し
②通常損耗の原状回復費用を賃借人に負担させる特約はいつ成立するか―最高裁平成17年12月16日判決と民法621条
③賃借人が自分で修繕した場合の費用負担―通知・急迫性・必要費・賃料減額
④居住用建物の立退料の算定方法―正当事由と移転費用・賃料差額
⑤自動車保険の重過失免責を争うには―踏み間違い,病気・服薬と近時の裁判例
第10 出典
1 法令
①民法(e-Gov法令検索)400条,415条,601条,606条,611条,616条の2,621条,709条,714条,715条
②失火ノ責任ニ関スル法律(e-Gov法令検索)
③国家公務員宿舎法(e-Gov法令検索)16条,17条
2 判例・裁判例
①最高裁判所第二小法廷昭和30年3月25日判決(昭和29年(オ)第790号,民集9巻3号385頁)
②最高裁判所第三小法廷昭和30年4月19日判決(昭和28年(オ)第848号,民集9巻5号556頁)
③最高裁判所第三小法廷昭和32年7月9日判決(昭和27年(オ)第884号,民集11巻7号1203頁)
④最高裁判所第二小法廷昭和41年6月3日判決(昭和41年(オ)第64号,集民83号685頁)
⑤最高裁判所第一小法廷昭和42年6月22日判決(昭和41年(オ)第687号,民集21巻6号1468頁)
⑥最高裁判所第二小法廷昭和42年6月30日判決(昭和42年(オ)第281号,民集21巻6号1526頁)
⑦最高裁判所第二小法廷昭和47年2月18日判決(昭和46年(オ)第179号,民集26巻1号63頁)
⑧最高裁判所第三小法廷昭和50年1月31日判決(昭和49年(オ)第531号,民集29巻1号68頁)
⑨最高裁判所第二小法廷昭和53年7月17日判決(昭和52年(オ)第1379号,民集32巻5号1000頁)
⑩最高裁判所第三小法廷平成元年3月28日判決(昭和63年(オ)第591号,集民156号427頁)
⑪最高裁判所第一小法廷平成3年10月17日判決(昭和62年(オ)第1408号,集民163号365頁)
⑫最高裁判所第三小法廷平成6年10月11日判決(平成3年(オ)第825号,集民173号133頁)
⑬最高裁判所第三小法廷平成7年1月24日判決(平成3年(オ)第1989号,民集49巻1号25頁)
⑭大阪高等裁判所平成18年6月22日判決(平成17年(ネ)第2031号)