第1 この記事が扱う問題
1 遺言無効と相続欠格は別の問題である
自筆証書遺言について「被相続人の筆跡ではない」と主張する場合,少なくとも二つの問題を区別する必要がある。第一は,その遺言書が被相続人の自書によらないため無効となるかという問題である。第二は,特定の相続人がその遺言書を偽造したため,民法891条5号の相続欠格者となるかという問題である。
遺言書が無効であることを証明しても,直ちに特定の相続人が偽造者であることまで証明したことにはならない。反対に,相続人が方式を補充した事実が認められても,最高裁判例上,相続欠格とならない例外がある。本記事は,この二段階を分けた上で,偽造を疑う側と疑われた側の双方から,調査,立証,訴訟及び相続手続への影響を整理するものである。
2 最初に確認すべき結論
結論の要点は次のとおりである。①民法891条5号の欠格は,刑事裁判の有罪判決又は家庭裁判所の審判を待たず,法律上当然に生じる。②偽造を主張する側は,遺言書の自書性を争うだけでなく,欠格を求める特定の相続人が偽造したこと及び不当な相続利益を得る目的を基礎付ける事情を具体化する必要がある。③筆跡鑑定は一資料であり,遺言者の自書能力,文面,保管・発見経緯及び相続人の関与機会等との総合評価になる。④検認は遺言書の現状を保全する手続であって,有効性又は偽造者を判断する手続ではない。⑤相続人の地位不存在確認訴訟は,共同相続人全員が当事者として関与する固有必要的共同訴訟となる。
本記事は一般的な情報を提供するものであり,特定の個別事案に対する法的助言ではない。遺言書原本の所在,相続開始時期,既にされた登記・払戻し・遺産分割及び関係者の範囲により,採るべき手続は変わる。
第2 遺言無効,相続欠格及び刑事責任の違い
1 偽造された自筆証書遺言はなぜ無効となるか
民法968条は,現行法上,自筆証書遺言について,遺言者が全文,日付及び氏名を自書し,押印することを求めている。財産目録には自書を要しない例外があるが,遺言者は自書によらない各葉に署名押印しなければならない。他人が遺言者名義で本文を作成した場合は,この自書要件を満たさない。
遺言書の無効を主張する場面では,遺言の効力を主張する側が,当該文書を遺言者が作成し,法定方式を備えたことを立証するのが基本となる。方式違反,自書性及び遺言能力の違い,筆跡鑑定の評価並びに医学的資料の位置付けは,自筆証書遺言特有の無効主張方法で詳しく整理している。
2 偽造者が相続欠格者となるための追加立証
民法891条5号は,「相続に関する被相続人の遺言書を偽造し,変造し,破棄し,又は隠匿した者」は相続人となることができないと定める。したがって,相続欠格を主張する側は,無効な遺言書が存在することに加え,欠格を求める相続人自身が偽造等の行為をしたことを証明しなければならない。
例えば,遺言者の筆跡ではないことが明らかになっても,作成者が相続人,受遺者,その家族又は第三者のいずれであるか分からない場合がある。この場合,遺言を無効とする判断は可能であっても,特定の相続人を欠格者とするための立証が足りないことがある。偽造者の特定には,原本へのアクセス,印章・用紙・筆記具の管理,作成可能な時期,文面に含まれる固有情報,遺言書を提示した経緯及び行為者が受ける利益等を積み重ねる必要がある。
3 刑事事件の成否及び有罪判決は別問題である
刑法159条及び161条は,行使の目的,他人の印章又は署名の使用等の要件を満たす私文書偽造・変造及びその行使を処罰する。しかし,民法891条5号は,同条1号と異なり,「刑に処せられた」ことを要件としていない。刑事告訴,起訴又は有罪判決がなくても,民事裁判所は証拠に基づいて相続欠格の成否を判断できる。
したがって,民事上の遺言無効及び相続欠格を確定するために,刑事手続の結果を常に待つ必要はない。他方,刑事責任は行使目的等の固有の要件を必要とするため,相続欠格が認められれば必ず犯罪が成立するという関係にもない。
第3 民法891条5号の要件
1 偽造及び間接偽造
典型的な偽造は,相続人が被相続人名義の遺言書を一から作成する場合である。もっとも,民法891条5号の「偽造」は,筆記行為を直接した場合だけに限られない。広島高裁平成14年8月27日判決は,被相続人が事理弁識能力を欠き意思表示できない状態であることを利用し,相続人が自ら発議して内容を公証人へ伝え,公正証書遺言を作成させた行為について,遺言書の偽造に当たると判断した。
この間接偽造の判断は,単に遺言能力が不足していたという事実だけから導かれたものではない。同判決は,被相続人が意思表示を全くできない状態であったこと,相続人がその状態を熟知していたこと,相続人が内容を発議し作成を主導したこと及び不当な相続利益を得る目的を認定している。公正証書遺言の成立要件と主張立証責任については,公正証書遺言に関する遺言無効確認請求訴訟の要件事実を参照されたい。
2 変造及び方式の補充
変造は,既に存在する遺言書の内容又は外形を権限なく変更する行為である。本文の受益者名や財産を変更する場合だけでなく,日付,押印又は訂正方式を後から補って有効な遺言書の外形を作る場合も問題になる。
もっとも,方式を補充したすべての行為が相続欠格になるわけではない。最高裁昭和56年4月3日判決は,方式を欠く遺言書に方式を具備させて有効な外形を作る行為を偽造又は変造に含めつつ,相続人が遺言者の意思を実現するため法形式を整えただけのときは欠格者に当たらないとした。この例外は,遺言書が遺言者の自筆であり,補充行為が遺言者の確定した意思を実現する形式整備にとどまるという限定された場面で認められたものである。
3 破棄及び隠匿
破棄は,遺言書を破る,焼却するなど,遺言の実現を物理的に妨げる行為をいう。隠匿は,遺言書の発見又は利用を妨げる行為をいうが,遺言書の存在を直ちに告げなかったというだけで常に成立するものではない。
最高裁平成6年12月16日判決は,公正証書遺言の正本を保管する相続人が一部の相続人に存在・内容を知らせなかった事案について,遺言者の妻,証人,遺言執行者及び他の相続人が遺言を知っていたなどの事情の下では,遺言書の発見を妨げたとはいえず,隠匿に当たらないとした。したがって,保管期間の長短又は検認の遅れだけでなく,誰が遺言の存在を知っていたか,原本・正本へ到達できたか,行為者が検索又は利用を妨害したかを具体的に検討する必要がある。
4 不当な相続利益を得る目的
最高裁平成9年1月28日判決は,遺言書を破棄又は隠匿しても,その行為が相続に関して不当な利益を得る目的によるものでなかったときは,相続欠格者に当たらないとした。条文に明記されていない主観的要件を,制裁の重大さと制度趣旨から要求した判例である。
同判決が直接判断したのは破棄・隠匿であり,偽造・変造のすべてに同一の主観的要件が及ぶかについては,学説上の説明が分かれている。もっとも,広島高裁平成14年判決は間接偽造について不当利益目的を明示的に判断しているため,実務上は,偽造・変造を主張する場合にも,行為者が得る利益,排除される者,従前の遺言又は相続分との違い及び作成を主導した目的を具体的に主張立証するのが安全である。
第4 主要裁判例が示す判断の分岐
1 最高裁昭和56年4月3日判決――方式を補充した場合
最高裁昭和56年4月3日第二小法廷判決は,遺言者の死亡後,相続人が遺言者名下,各訂正箇所及び契印部分に押印して,自筆証書遺言としての方式を整えた事案である。多数意見は,遺言書が遺言者の自筆で,相続人の行為が遺言者の意思を実現するための形式整備にすぎないとして,欠格を否定し,上告を棄却した。
これに対し,宮崎梧一裁判官の反対意見は,法が例外を規定していないこと,無効な遺言へ有効な外形を与えることは相続秩序を害すること及び厳格な遺言方式を離れて最終意思を論じるべきでないことから,目的にかかわらず欠格となるとした。多数意見の例外を安易に広げず,遺言者本人が作成したこと,内容が確定した最終意思と一致すること及び補充が形式面だけであることを厳格に確認すべき理由は,この反対意見にも示されている。
2 最高裁平成9年1月28日判決――不当利益目的がない場合
最高裁平成9年1月28日第三小法廷判決は,破棄・隠匿行為が相続に関して不当な利益を得る目的でなかったときは欠格に当たらないとした。判断の中心は,客観的に遺言書を見えなくしたかだけでなく,その行為が「遺言に関する著しく不当な干渉行為」と評価できる目的を持っていたかという点にある。
このため,隠匿を主張する側は,「長期間開示しなかった」という事実だけで結論を出すのではなく,行為者が遺言の存在・内容を認識していたこと,他の相続人による発見・利用を妨げたこと及びその結果として自己又は特定人の相続上の利益を不当に増やそうとしたことを示す必要がある。
3 広島高裁平成14年8月27日判決――間接偽造
広島高裁平成14年8月27日判決は,意思表示できない被相続人の状態を知る相続人が,公証人へ遺言内容を伝えて公正証書を作成させた事案である。同判決は,完全な意思表示不能,相続人の認識,発議・主導及び不当利益目的を具体的に認定し,直接筆記していない相続人を欠格者とした。
同判決の射程は,認知症の診断がある場合又は公正証書遺言が無効となる場合のすべてではない。遺言者の意思能力が減退していたというだけでは足りず,意思表示できない状態を利用し,相続人が遺言者の意思とはいえない内容を作出したことまで認定できる事案である。
4 さいたま地裁平成20年9月24日判決――日付の書込み
さいたま地裁平成20年9月24日判決は,被相続人が本文を記載して署名押印したものの日付を空欄にしていた遺言書へ,相続人が被相続人の意思に基づかず日付を書き入れた事案である。同判決は,日付は遺言の時的要素を判断する重要な記載であり,単なる押印による形式補充とは異なるとして,変造と欠格を認めた。
最高裁昭和56年判決と対比すると,形式補充例外の分岐は,欠けた要件の種類だけでなく,遺言者本人が補充内容を確定していたか,相続人が新たな意味を付加したかという点にある。日付を後から選択して記載する行為は,遺言者の意思を再現するだけの作業とは評価されにくい。
第5 自筆証書遺言の偽造を立証する方法
1 誰が書いたかと誰が偽造したかを分ける
遺言無効の争点では,遺言者が当該文書を自書したかが中心になる。これに対し,相続欠格の争点では,その文書を誰が作成又は変更したかまで特定する必要がある。遺言者の自書性に合理的な疑いが残って遺言が無効となっても,特定の相続人による偽造を積極的に認定できない場合はあり得る。
民事訴訟法228条4項は,本人又は代理人の署名又は押印がある私文書について,成立の真正を推定する。しかし,印影が本人の印章によること及び本人の意思に基づく押印であることが争われれば,その前提から審理される。この推定は文書の成立に関するものであり,記載内容が真実であること,又は特定の相続人が偽造したことまで推定するものではない。二段の推定とは――私文書の成立の真正と立証の実務も参照されたい。
2 裁判所が総合評価する五つの事情
遺言書の成立の真正は,おおむね次の五群の事情から総合評価される。①遺言書と真正な比較文書との筆跡の同一性,②作成時点における遺言者の自書能力,③用紙,筆記具,書式,文体及び訂正等の遺言書自体の特徴,④遺言内容の合理性,作成動機,遺言者と相続人・受遺者との関係及び作成に至る経緯,⑤遺言書の保管場所,発見時期及び発見後の関係者の行動である。
相続欠格まで求める場合は,これらに加え,疑われる相続人が原本,印章,住所・財産情報等へアクセスできたこと,遺言書の文面にその者特有の表現又は情報があること,発見・開示経緯について説明が変遷したこと及び遺言により利益を受ける構造等を検討する。動機又は利益があるというだけでは偽造の証明にならないが,物的証拠及び行動経過と結び付けば,作成者を推認する間接事実となる。
3 比較対照文書の選び方
比較文書は,遺言者本人が作成したことに争いがなく,遺言作成時期に近く,同じ種類の文字及び同程度の筆記条件を含むものを複数選ぶ必要がある。日記,手紙,署名だけでなく,金融機関・医療機関・介護施設・官公署等へ提出された申込書又は届出書が候補となるが,代筆された書類を混ぜると比較の前提が崩れる。
資料取得では,まず遺品及び既に手元にある書類を確認し,次に関係機関へ本人又は相続人として請求できる資料の有無と保存期間を照会する。相手方又は第三者だけが保有する資料は当然に入手できるものではなく,個人情報,保存期間及び法令上の開示要件により取得できないことがある。その場合は,取得できる比較文書だけで争点を絞り,訴訟上の調査嘱託,文書送付嘱託又は文書提出命令が必要かを個別に検討する。
4 筆跡鑑定へ進む条件と停止基準
筆跡鑑定は,真正な比較文書を十分に確保し,原本を観察でき,筆跡の同一性が結論を左右する場合に検討する。写しだけでは,筆圧,筆順,筆継ぎ,下書き線,圧痕又は修筆等を確認できないため,鑑定可能な範囲が狭くなる。私的鑑定書は裁判上の書証であり,裁判所を拘束しない。文書鑑定で扱うとおり,鑑定人の資格名だけでなく,資料の適格性,検査方法,個人内変動及び反対鑑定への応答を確認すべきである。
低負担の資料調査により,①遺言者本人の自書であることが十分裏付けられた場合,②偽造の疑いは残るが特定の相続人へ結び付ける証拠がなく,欠格を求めても相続関係が変わらない場合,③原本及び適切な比較文書を得られず,鑑定によっても結論が変わる見込みを説明できない場合には,高額な鑑定へ進まないことも合理的である。遺言無効だけを争えば必要な権利関係を確定できるときは,相続欠格まで主張する実益を別に評価する必要がある。
第6 偽造を疑う側の調査と手続
1 低負担の初期調査
最初に行うべき作業は,遺言書の写しを見て直ちに鑑定を依頼することではない。①作成日と相続開始日,②原本の所在と保管者,③検認又は法務局保管の有無,④本文・日付・氏名・押印・財産目録・訂正の状態,⑤遺言者の当時の自書能力,⑥既存の遺言と利益関係,⑦発見・開示の時系列,⑧既にされた登記,預金払戻し,遺産分割又は遺留分請求を確認する。
この段階では,遺言書,封筒及び検認調書を高解像度で記録し,原本へ新たな書込み,付箋の貼付け,消しゴムの使用又は押印をしてはならない。関係者への照会は,回答日時及び文面が残る方法で行い,感情的な非難よりも,原本の所在,取得時期及び保管経緯という検証可能な事項を尋ねる方が有用である。
2 原本,検認記録及び保管制度の記録
裁判所HP「遺言書の検認」によれば,検認は,相続人へ遺言の存在・内容を知らせ,形状,加除訂正,日付及び署名等の現状を明確にして,その後の偽造・変造を防止する手続である。検認期日に相続人全員が出席しなくても手続は行われ,検認を経ても遺言の有効・無効が確定するわけではない。
法務局に保管された自筆証書遺言は検認を要しないため,遺言書情報証明書,閲覧記録及び関係相続人等への通知を確認する。法務局保管前の作成過程又は遺言能力まで保証されるわけではないが,保管後の差替え,破棄及び隠匿を検討する上では,保管時点の画像情報が強い基準点となる。
3 資料取得後の中間評価
資料がそろった段階で,主張を三つに分ける。①全文・日付・氏名・押印・財産目録・訂正方式の不備,②遺言者が書いていないという自書性の否認,③遺言者が書いたが内容と効果を理解できなかったという遺言能力の欠如である。②と③は事実上の予備的主張として併存し得るが,前者は「本人が書いていない」,後者は「本人が書いたが能力がない」という異なる前提を持つため,証拠と主張の対応を明示する必要がある。
さらに相続欠格を求めるのであれば,④特定の相続人による偽造・変造等,⑤不当利益目的,⑥欠格が認められた場合に相続分,代襲相続,遺留分及び登記がどう変わるかを追加する。④を裏付ける資料が乏しい場合,遺言無効の主張と欠格の主張を同じ強さで断定してはならない。
4 訴訟へ進む場合
検認手続だけでは有効性又は欠格を確定できない。遺言の効力自体を争う場合は遺言無効確認請求訴訟,相続人の資格を確定する必要がある場合は相続人の地位不存在確認請求訴訟等を検討する。何を確認すれば後続の遺産分割,登記又は払戻しを解決できるかにより,請求の組合せを決める。
原告側は,遺言書原本及び比較文書,作成時の医療・介護資料,印章・書類の管理状況,発見経緯及び利益関係を要証事実別に整理する。被告側は,遺言者の自書能力,真正な比較文書,作成動機,遺言内容と従前意思の整合,原本の連続した保管経緯及び方式補充が遺言者の確定した意思を実現しただけであること等を反証する。証人尋問又は鑑定は,書面資料を整理した後に残る具体的な対立点を解決できる場合に絞るべきである。
第7 相続欠格の効果と訴訟当事者
1 欠格は当然に生じる
民法891条5号の事実が成立すると,その者は当該被相続人との関係で法律上当然に相続資格を失う。欠格を生じさせる審判又は行政処分が別にあるわけではない。もっとも,関係者間に争いがある場合は,遺産分割,登記及び金融機関の手続を安定させるため,承諾書又は確定判決等によって資格の不存在を証明する必要が生じる。
欠格の効果は被相続人ごとの相対的なものである。ある被相続人について欠格となっても,他の被相続人との関係で当然に相続資格を失うわけではない。また,民法965条により,891条の規定は受遺者にも準用されるため,相続人でない受遺者が欠格行為をした場合も遺贈を受けられないことがある。
2 共同相続人全員の関与が必要となる
最高裁平成16年7月6日第三小法廷判決は,共同相続人が他の共同相続人に対して相続人の地位不存在確認を求める訴えについて,共同相続人全員が当事者として関与し,合一にのみ確定することを要する固有必要的共同訴訟であるとした。欠格者と疑われる者だけを被告にして提訴すると,共同相続人全員が当事者になっていないことを理由に訴えが却下され得る。
最高裁平成22年3月16日第三小法廷判決は,相続人による遺言書偽造が認定された事案で,この合一確定の要請が上訴審にも及ぶことを示した。訴えを提起する前に,被相続人の出生から死亡までの戸籍等で共同相続人を確定し,代襲相続人を含む当事者の範囲を確認する必要がある。
3 代襲相続,遺贈及び既に行われた相続手続
民法887条2項・3項及び889条2項により,子又は兄弟姉妹が欠格となった場合でも,一定の要件の下でその子等が代襲相続する。したがって,欠格が認められれば他の共同相続人だけで取得割合が増えるとは限らず,新たに代襲相続人が当事者となることがある。
欠格者を含めて既に遺産分割,登記又は払戻しがされた場合は,欠格の効果が相続開始へ遡ることを前提に,遺産分割の効力,登記の抹消・更正,返還請求及び第三者との関係を個別に処理する必要がある。相続欠格の確認だけで既往の処分が自動的に巻き戻るわけではなく,目的物の現状及び第三者の権利取得を確認しなければならない。
4 被相続人による宥恕をめぐる未解決問題
民法は,相続欠格について被相続人が許すことによる効果を明文で定めていない。宥恕を否定する見解と,被相続人の意思を尊重して一定の場合に認める見解が対立しており,下級審には欠格事由1号について宥恕を認めたとされる例があるが,5号についての最高裁判例は確認できない。
このため,「被相続人が後で許した」「作成行為を知っていた」という事情だけで欠格が解消したと扱うのは危険である。その事情が,そもそも不当利益目的を否定するのか,方式補充が遺言者の確定した意思に沿うことを示すのか,既に成立した欠格を事後的に消滅させるのかを分けて検討する必要がある。
第8 偽造の予防と令和8年改正
1 自筆証書遺言書保管制度の効果と限界
法務省「自筆証書遺言書保管制度とは?」によれば,法務局は,保管申請時に自筆証書遺言の方式について外形的に確認し,原本を遺言者死亡後50年間,画像データを同150年間保管する。相続人等による保管後の破棄,隠匿,差替え又は改ざんを防ぎ,保管時点の状態を確認できることは,偽造紛争の予防と証拠保全の双方に有用である。
もっとも,法務局は遺言内容の相談に応じず,保管された遺言書の有効性を保証しない。保管申請前に別人が作成した疑い,遺言者の自書能力又は遺言能力,詐欺・強迫及び遺言内容の解釈は別に争われ得る。保管制度は,保管後の改変リスクを大きく下げる制度であって,作成過程と内容を全面的に公証する制度ではない。
2 令和8年法律第45号はまだ施行されていない
法務省「民法等の一部を改正する法律」によれば,令和8年法律第45号は同年6月17日に成立し,同月24日に公布された。同法は,自筆証書遺言の押印を任意化し,法務局へデータ又は印刷物を提供して保管を受ける保管証書遺言を創設するほか,死亡危急時遺言等の録音・録画に係る電磁的記録を不正に作り,破棄し,又は隠匿した者を新たに891条5号の対象へ加える。
もっとも,本記事作成日の令和8年8月9日現在,遺言制度関係の具体的な施行日は政令で確定しておらず,現行の自筆証書遺言には押印が必要である。施行後は,紙の筆跡・印影だけでなく,本人確認,口述記録,録音・録画の連続性,編集履歴及び保管システム上の記録が問題となると考えられるが,未施行制度であり,解釈と証拠評価は今後の法務省令及び裁判例を待つ必要がある。
出典・参考資料
1 法令
①民法(明治29年法律第89号)887条,889条,891条,965条,968条及び1004条(e-Gov法令検索)
②民事訴訟法(平成8年法律第109号)228条及び247条(e-Gov法令検索)
③刑法(明治40年法律第45号)159条及び161条(e-Gov法令検索)
④法務局における遺言書の保管等に関する法律(平成30年法律第73号)6条,7条及び9条~11条(e-Gov法令検索)
2 裁判例
①最高裁判所第二小法廷昭和56年4月3日判決(昭和55年(オ)第596号,民集35巻3号431頁,裁判所ウェブサイト)
②最高裁判所第二小法廷平成6年12月16日判決(平成4年(オ)第658号,集民173号503頁,判例タイムズ870号105頁,判例時報1518号15頁。裁判所HPの現行個別リンクを確認できず,不動産適正取引推進機構の裁判所原文転載PDFで全文確認)
③最高裁判所第三小法廷平成9年1月28日判決(平成6年(オ)第804号,民集51巻1号184頁,裁判所ウェブサイト)
④広島高等裁判所平成14年8月27日判決(平成13年(ネ)第24号,裁判所ウェブサイト)
⑤最高裁判所第三小法廷平成16年7月6日判決(平成15年(受)第1153号,民集58巻5号1319頁,裁判所ウェブサイト)
⑥さいたま地方裁判所平成20年9月24日判決(平成19年(ワ)第2113号,共有持分確認等請求事件,裁判所ウェブサイト)
⑦最高裁判所第三小法廷平成22年3月16日判決(平成20年(オ)第999号,民集64巻2号498頁,裁判所ウェブサイト)
3 公的資料
①裁判所「遺言書の検認」(申立人,申立先,手続及び検認の効力)
②法務省「自筆証書遺言書保管制度とは?」(外形的確認,保管期間,制度の効果及び限界)
③法務省「民法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第45号)の法律本文,新旧対照条文45頁~48頁及び概要1頁・7頁~8頁
4 文献
①田村洋三・小圷眞史編著,北野俊光ほか『第3版 実務 相続関係訴訟―遺産分割の前提問題等に係る民事訴訟実務マニュアル』日本加除出版,2020年,260頁・292頁・306頁
②松原正明『全訂第2版 判例先例 相続法Ⅰ―総則・相続人・相続の効力』日本加除出版,2022年,187頁~227頁
③中根秀樹『遺言無効紛争事件実務マニュアル』新日本法規出版,2023年,62頁~63頁
④岡口基一『要件事実マニュアル第6版 第2巻 民法2』ぎょうせい,2020年,664頁~666頁