メインコンテンツへスキップ
       

サンフランシスコ平和条約の署名国・批准国・非参加国|48か国の数え方,ソ連・中国・韓国及び戦争状態の終結(AI作成)

第1 この記事の対象と結論

1 「48か国」は日本を除く署名国数である

「日本国との平和条約を締結した48か国」という場合の48は,昭和26年(1951年)9月8日に日本とともに条約へ署名した連合国側の国数である。
講和会議の参加国は日本を含む52か国,署名国は日本を含む49か国であり,日本を除くと48か国となる。

2 48か国すべてが批准したわけではない

署名した連合国側48か国のすべてについて,昭和27年(1952年)4月28日に一斉に条約が発効したわけではない。
米国務省の供託国表によれば,48か国のうち批准書の寄託及び当該国との間の発効日を確認できるのは45か国であり,コロンビア,インドネシア及びルクセンブルクの欄は空欄である。
日本を加えると,同表から確認できる批准国は46か国となる。

3 非署名国及び非参加国との関係は個別に確認する

ソ連,ポーランド及びチェコスロヴァキアは講和会議に参加したものの署名せず,中国の二つの政府は招請されず,インド,ビルマ及びユーゴスラビアは会議に参加しなかった。
これらの国との戦争状態又は不正常な関係は,サンフランシスコ平和条約ではなく,後の共同宣言,二国間条約,議定書,交換公文又は一方的告示によって別の日に処理された。

本記事は,署名国・批准国・非参加国と国別発効日を扱うものである。
全27条の内容及び主権回復の仕組みは,日本国との平和条約とは何か――署名・発効,主権回復及び全27条の法的構造(AI作成)で説明している。

第2 52か国,49か国,48か国,46か国,45か国及び3か国の違い

1 参加国52か国と署名国49か国

国立公文書館所蔵の「日本国との平和条約の説明書」によれば,サンフランシスコ講和会議には日本を含む52か国が参加した。
ソ連,ポーランド及びチェコスロヴァキアは参加したが条約へ署名しなかったため,52か国からこの3か国を除いた49か国が署名国となった。

米国務省の公刊外交文書も,昭和26年9月8日の署名式について,日本を含む49か国を列挙している。
したがって,「48か国」は,49署名国から日本を除いた連合国側署名国の数である。

2 批准国46か国と連合国側批准国45か国

条約第23条(a)は署名国による批准を予定し,最初の発効後に批准する国については,批准書の寄託日にその国との間で条約が発効すると定める。
第24条は批准書を米国政府へ寄託すると定めているため,批准状況は供託者である米国政府の「Consent to be Bound」と「EIF date」により確認できる。

米国務省の供託国表を集計すると,日本を除く48署名国のうち45か国には両欄の日付があり,コロンビア,インドネシア及びルクセンブルクの3か国は空欄である。
日本を含めれば,署名国49か国,批准国46か国,未批准の署名国3か国という関係になる。

第3 署名した連合国48か国の批准書寄託日及び発効日

1 表の見方

次表は,供託者である米国政府の「Treaty of Peace with Japan: Status List」を日本語で整理したものである。
「批准書寄託日」は同表の「Consent to be Bound」,「発効日」は同表の「EIF date」に対応する。

署名日批准書寄託日日本との間の発効日
アルゼンチン1951年9月8日1952年4月9日1952年4月28日
オーストラリア同上1952年4月10日1952年4月28日
ベルギー同上1952年8月22日1952年8月22日
ボリビア同上1977年8月11日1977年8月11日
ブラジル同上1952年5月20日1952年5月20日
カンボジア同上1952年6月2日1952年6月2日
カナダ同上1952年4月17日1952年4月28日
チリ同上1954年4月28日1954年4月28日
コロンビア同上記載なし記載なし
コスタリカ同上1952年9月17日1952年9月17日
キューバ同上1952年8月12日1952年8月12日
ドミニカ共和国同上1952年6月6日1952年6月6日
エクアドル同上1955年12月27日1955年12月27日
エジプト同上1952年12月30日1952年12月30日
エルサルバドル同上1952年5月6日1952年5月6日
エチオピア同上1952年6月12日1952年6月12日
フランス同上1952年4月18日1952年4月28日
ギリシャ同上1953年5月19日1953年5月19日
グアテマラ同上1954年9月23日1954年9月23日
ハイチ同上1953年5月1日1953年5月1日
ホンジュラス同上1953年9月4日1953年9月4日
インドネシア同上記載なし記載なし
イラン同上1956年8月29日1956年8月29日
イラク同上1955年8月18日1955年8月18日
ラオス同上1952年6月20日1952年6月20日
レバノン同上1954年1月7日1954年1月7日
リベリア同上1952年12月29日1952年12月29日
ルクセンブルク同上記載なし記載なし
メキシコ同上1952年3月3日1952年4月28日
オランダ同上1952年6月17日1952年6月17日
ニュージーランド同上1952年4月10日1952年4月28日
ニカラグア同上1952年11月4日1952年11月4日
ノルウェー同上1952年6月19日1952年6月19日
パキスタン同上1952年4月17日1952年4月28日
パナマ同上1953年4月10日1953年4月10日
パラグアイ同上1953年1月15日1953年1月15日
ペルー同上1952年6月17日1952年6月17日
フィリピン同上1956年7月23日1956年7月23日
サウジアラビア同上1954年3月13日1954年3月13日
南アフリカ連邦同上1952年9月10日1952年9月10日
セイロン(現スリランカ)同上1952年4月28日1952年4月28日
シリア同上1952年12月29日1952年12月29日
トルコ同上1952年7月24日1952年7月24日
英国同上1952年1月3日1952年4月28日
米国同上1952年4月28日1952年4月28日
ウルグアイ同上1952年12月2日1952年12月2日
ベネズエラ同上1952年6月20日1952年6月20日
ベトナム(当時)同上1952年6月18日1952年6月18日

2 セイロンの初期発効をめぐる資料差

国連条約集第136巻の登録本文は,最初の発効対象として,セイロンを含む連合国10か国と日本の合計11か国を列挙している。
他方,米国務省のステータス・リストの注記は,同日午前8時30分(米国東部標準時)の発効関係をセイロンを除く連合国9か国と日本の合計10か国として記載する一方,同じ表ではセイロンの寄託日及び発効日も4月28日としている。

同日中の寄託時刻まで示す資料は今回確認できなかった。
本記事では,セイロンについて昭和27年4月28日に発効したとの国別表の記載までを採用する。

第4 署名,批准,寄託,発効及び戦争状態終結の関係

1 署名だけでは条約第25条の「連合国」にならない

条約第25条は,条約上の「連合国」を,日本と戦争していた国等であり,かつ,条約に署名して批准した国と定義する。
したがって,署名しただけで批准していない国は,同条の「連合国」の要件を満たさない。

2 戦争状態の終結日は相手国ごとの発効日である

条約第1条(a)は,日本と各連合国との戦争状態が,第23条により日本と当該連合国との間で条約が効力を生ずる日に終了すると定める。
後から批准した国については,昭和27年4月28日ではなく,その国の批准書寄託日が原則として条約発効日となり,戦争状態終結日となる。

ボリビアについて供託国表が昭和52年(1977年)8月11日を発効日としているのは,この仕組みによる。
「署名国48か国のすべてとの戦争状態が昭和27年4月28日に一斉に終了した」とする説明は,国別発効日の違いを反映していない。

3 第23条(b)は後発批准国の通常の発効根拠ではない

第23条(b)は,日本の批准書寄託後9か月以内に条約が発効しなかった場合の代替的な仕組みである。
実際には昭和27年4月28日に第23条(a)の発効条件が満たされたため,その後に批准した国との発効根拠は第23条(a)の末文となる。

米国務省のステータス・リスト冒頭は,後発批准を第23条(b)によるものと記載している。
この記載は条約原文と一致しないため,本記事では条約原文を優先した。

第5 署名したが批准しなかった3か国

1 インドネシア

インドネシアはサンフランシスコ平和条約に署名したが,米国務省の供託国表には批准書寄託日及び発効日の記載がない。
外務省の外交史料紹介によれば,インドネシア国内では条約の批准をめぐって意見が分かれ,昭和27年5月に新内閣が批准を保留した。

日本とインドネシアは,昭和33年(1958年)1月20日に二国間平和条約へ署名し,同年4月15日の批准書交換により発効させた。
同条約第1条は,その発効日に日本とインドネシアとの戦争状態が終了すると定めている。

2 コロンビア及びルクセンブルク

コロンビア及びルクセンブルクについても,米国務省の供託国表には批准書寄託日及び発効日の記載がない。
もっとも,未批准であることだけから,両国との戦争状態が現在まで継続していると結論することはできない。

現在の関係を判断するには,別の条約,交換公文,一方的宣言その他の法的根拠の確認も必要となるが,今回の公開資料調査では,両国について戦争状態終結の根拠文書を確認できなかった。
したがって,本記事は供託国表上の未批准を示すにとどめ,現在の戦争状態について断定しない。

第6 講和会議に参加したが署名しなかった3か国

1 ソ連

ソ連はサンフランシスコ平和条約に署名しなかった。
日本とソ連は,昭和31年(1956年)10月19日に日ソ共同宣言へ署名し,同年12月12日の批准書交換による発効時に戦争状態を終了させて外交関係を回復した。

外務省の「北方領土問題に関するQ&A」は,日ソ共同宣言を両国の立法府の承認を経て批准された法的拘束力のある条約と説明している。
日露間に平和条約が未締結であることと,日本とロシアが現在も戦争状態にあることとは同じではない。

2 ポーランド及びチェコスロヴァキア

日本とポーランドは,昭和32年(1957年)2月8日に「日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定」へ署名し,同年5月18日の発効時に戦争状態を終了させた。
日本とチェコスロヴァキアは,同年2月13日に「日本国とチェッコスロヴァキア共和国との間の国交回復に関する議定書」へ署名し,同年5月8日の批准書交換による発効時に戦争状態を終了させた。

第7 中国はサンフランシスコ平和条約の当事国ではない

1 二つの中国政府はいずれも講和会議に招請されなかった

中華人民共和国政府と中華民国政府のいずれを中国代表として招くかについて連合国内で対立があったため,いずれもサンフランシスコ講和会議に招請されなかった。
条約第21条の「中国」は,いずれかの中国政府を署名国又は批准国とする規定ではなく,第25条にかかわらず,中国に第10条及び第14条(a)2の利益を与える限定的な規定である。

2 中華民国との日華平和条約

日本と中華民国は,昭和27年4月28日に日華平和条約へ署名し,同年8月5日に批准書を交換して発効させた。
同条約第1条は,日本と中華民国との戦争状態が条約発効日に終了すると定めた。

3 中華人民共和国との日中共同声明

昭和47年(1972年)9月29日の日中共同声明第1項は,日本国と中華人民共和国との間の「これまでの不正常な状態」が同日に終了すると定めた。
同声明第2項により,日本政府は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し,第4項により外交関係を樹立した。

大平正芳外務大臣の共同声明調印後の記者会見によれば,前文の「戦争状態の終結」は政治的姿勢を示すものであり,本文第1項は不正常な状態の終了を定めるものである。
同会見で示された日本政府の見解では,日中国交正常化の結果,日華平和条約は存続の意義を失って終了したものとされた。

日本と中華人民共和国は,その後,昭和53年(1978年)の日中平和友好条約を締結した。
同条約は,昭和47年の国交正常化後に両国間の平和友好関係を発展させるための条約である。

第8 韓国は条約第1条による戦争状態終結の相手国ではない

1 韓国は署名国でも批准国でもない

韓国は署名国としてサンフランシスコ講和会議に招請されず,同平和条約の署名国でも批准国でもない。
条約第2条(a)は日本が朝鮮の独立を承認して朝鮮に対する権利等を放棄することを定め,第21条は朝鮮に第2条,第4条,第9条及び第12条の利益を与えたが,韓国を第25条の「連合国」とする規定は置いていない。

したがって,条約第1条(a)を根拠として「日本と韓国との戦争状態が昭和27年4月28日に終了した」と整理することはできない。
韓国に条約上の一定の利益が与えられたことと,韓国が条約当事国であることは別の問題である。

2 韓国の参加をめぐる交渉記録には異なる見解がある

米国務省の昭和26年7月9日付会談記録によれば,ダレス米国特使は,韓国が日本と戦争状態にあり,かつ,1942年の連合国宣言署名国であるという署名国選定基準を満たさないとの立場を韓国大使に伝えた。
日本政府の同年4月23日付文書も,韓国は解放民族であり,日本と戦争状態又は交戦状態になかったとして,韓国を署名国とすることに反対した。

これに対し,昭和26年7月19日付会談記録に記録された韓国側の説明は,韓国臨時政府が日本に宣戦し,韓国人部隊が中国軍とともに戦ったことなどを理由に,連合国として参加すべきであると主張していた。
本記事では,日本又は米国の交渉時見解を歴史上争いのない事実とはせず,韓国側の主張と分けて記載する。

3 昭和40年の日韓基本関係条約

日本と大韓民国は,昭和40年(1965年)6月22日に日韓基本関係条約へ署名し,同年12月18日に批准書を交換して国交を正常化した。
同条約は第1条で外交及び領事関係の開設を定めるが,日ソ共同宣言や日華平和条約のような戦争状態終結条項は置いていない。

そのため,日韓関係は「昭和40年に国交正常化した」と説明するのが正確であり,サンフランシスコ平和条約第1条で韓国との戦争状態が終了したと説明するのは適切でない。
朝鮮民主主義人民共和国もサンフランシスコ平和条約の当事国ではなく,外務省の基礎データによれば,令和8年8月29日現在,日本との外交関係は樹立されていない。

第9 会議に参加しなかったインド,ビルマ及びユーゴスラビア

1 インド

日印平和条約の前文及び関係文書によれば,インド政府は昭和27年4月28日付告示により日本との戦争状態を終了させた。
日本とインドは同年6月9日に二国間平和条約へ署名し,同年8月27日に発効させたため,戦争状態終結日と日印平和条約発効日は同じではない。

2 ビルマ

日緬平和条約の前文は,ビルマ連邦政府が昭和27年4月30日の宣言により日本との戦争状態を終了させたことを確認している。
日本とビルマは昭和29年(1954年)11月5日に平和条約へ署名し,昭和30年(1955年)4月16日に発効させた。

3 ユーゴスラビア

外務省の昭和35年版外交青書は,ユーゴスラビアが対日交戦国であったが講和会議に参加せず,昭和27年2月の交換公文に基づき,同年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効と同時に国交を回復したと説明している。
もっとも,今回の調査では当該交換公文の原文及び正確な交換日まで確認できなかったため,外交青書の説明を超えて断定しない。

第10 関連記事

日本国との平和条約とは何か――署名・発効,主権回復及び全27条の法的構造(AI作成)
ポツダム宣言,降伏文書及び平和条約の関係
ポツダム宣言の現在の法的効力
日本の戦後賠償が少ない理由
戦後処理に関する記事の一覧

第11 出典・参考資料

1 条約・共同宣言・告示

①国立公文書館「日本国との平和条約及び関係文書・御署名原本」(昭和27年条約第5号)
②United Nations Treaty Series, vol. 136, p. 45, Treaty of Peace with Japan(1952年)
③外務省「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」(昭和31年)及びUnited Nations Treaty Series, vol. 263, No. 3768(1957年)
④外務省「日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定」及び「日本国とチェッコスロヴァキア共和国との間の国交回復に関する議定書」(昭和32年)
⑤United Nations Treaty Collection, Treaty of Peace between the Republic of China and Japan, No. 1858(1952年)
⑥外務省「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(昭和47年)及び「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(昭和53年)
⑦外務省「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(昭和40年)
⑧外務省「日本国とインドとの間の平和条約及び関係文書」及び「日本国とビルマ連邦との間の平和条約」並びに「日本国とインドネシア共和国との間の平和条約

2 供託記録・条約索引

①U.S. Department of State, Office of Treaty Affairs, Treaty of Peace with Japan: Status List(全4PDF頁,最終行動日1977年8月11日)
②United Nations Treaty Collection, Treaty of Peace with Japan, No. 1832
③国立国会図書館日本法令索引「日本国との平和条約及び関係文書

3 所管行政機関の解説及び歴史資料

①国立公文書館「日本国との平和条約の説明書
②U.S. Department of State, Office of the Historian, Editorial Note: signature ceremony and signatories, Memorandum of Conversation, July 9, 1951及びMemorandum of Conversation, July 19, 1951
③外務省「昭和26年4月の第2次交渉」414頁(PDF28頁)
④外務省「北方領土問題に関するQ&A」,「大平外務大臣記者会見詳録」及び「日朝関係・北朝鮮基礎データ
⑤外務省「平和条約締結に伴う賠償交渉」及び外交青書昭和35年版「通商航海条約および通商に関する条約関係

(調査基準日:令和8年8月29日)