第1 対象とする開示文書
1 文書の特定と章構成
本記事が対象とするのは,最高裁判所に対する司法行政文書開示によって開示された「イギリス連合王国(イングランド及びウェールズ)の司法制度」と題する全69頁の文書である。同文書は,諸外国の司法制度に掲載している米英独仏豪加6か国の司法制度に関する開示文書の一つであり,同時に開示された1枚の対照表のイギリス欄を展開した位置付けの資料である。
開示文書は,第1「裁判所・裁判官(2009年10月以降)」,第2「検察官・検察庁等」,第3「弁護士・弁護士会」,第4「法曹養成制度」,第5「裁判手続」,第6「裁判外紛争処理(ADR)」の6章から成る。第1は,1裁判所((1)治安判事裁判所・(2)郡裁判所・(3)家庭裁判所・(4)刑事法院・(5)高等法院・(6)控訴院・(7)連合王国最高裁判所・(8)枢密院司法委員会),2司法行政,3裁判官,4裁判官以外の裁判所職員等に分かれ,第5は,1民事事件(通常民事・行政・労働),2刑事事件,3家事事件,4少年事件に分かれる。全69頁のうち冒頭3頁が表紙及び目次に,本文が4頁から67頁までに充てられ,末尾68頁から69頁に裁判所審級図が付されている。
開示文書は,198個の脚注を付し,各脚注に法令名,条番号,書籍の頁数又は参照したウェブページのURLを個別に掲げる形式を採る。統計の基準時点は脚注から特定でき,治安判事裁判所の庁数及び刑事法院の開廷庁舎数は平成26年12月時点,裁判官の職位別人数は平成26年4月1日時点,治安判事の人数は平成26年1月から3月の統計,事務弁護士数は平成25年7月時点,法廷弁護士数は平成24年時点である。ウェブページの閲覧日は平成27年5月1日又は同月5日と記載され,本文中には「平成27年5月21日現在」「平成27年5月23日現在」との記述もある。したがって同文書は,平成26年から平成27年ころの制度を記録した資料である。
2 本記事の射程
本記事は,開示文書が記述する制度のうち,その後の法改正又は判例によって現在の制度と異なることとなった主要な部分を,イギリスの法令データベース(legislation.gov.uk),民事訴訟規則(Civil Procedure Rules),判決文データベース(国立公文書館Find Case Law)及び司法部の公表資料により確認して整理したものである。この整理及び後記の各評価は,生成AIを用いて開示文書と現行の一次資料とを対照する作業によって作成した。
開示文書の作成後に生じた変更のうち,本記事が取り上げるのは,裁判所の部門構成,治安判事裁判所の科刑権限及び罰金限度額,司法審査の範囲,雇用審判所の手数料及び申立期限,離婚手続,裁判官の定年,量刑,陪審員の資格並びに欧州連合法との関係である。検察庁の管轄地域の再編,法曹養成制度の全面改編,固定リカバラブルコストの拡大その他の論点は,開示文書との対比が可能でありながら本記事では取り上げていない。また,本記事は開示文書の記述の全てを網羅的に検証したものではなく,検察官,裁判所職員及び弁護士会に関する記述については対比を行っていない。
なお,令和元年5月以降に作成された同種の文書は存在しないとされており(令和6年10月9日付けの司法行政文書不開示通知書参照),開示文書は更新される種類の資料ではない。同種の開示文書のうちフランスに関するものについては,フランス共和国の司法制度――最高裁判所の開示文書とその後の主な改正で同様の対比を行っている。
第2 開示文書の骨格のうち現在も維持されている部分
開示文書が記述する裁判所組織の基本的な骨格は,現在もおおむね維持されている。すなわち,治安判事裁判所及び郡裁判所を第一審とし,刑事法院及び高等法院,控訴院(民事部及び刑事部),連合王国最高裁判所を上級審とする審級構造,郡裁判所が全国で1つの裁判所として組織され各地の審問センターで開廷するという2014年4月22日以降の構成,家庭裁判所が全国で1つの裁判所であること,及び連合王国最高裁判所の裁判官の定員が12人であることは,いずれも変わっていない。
審判所についても,一審審判所(First-tier Tribunal)と上訴審判所(Upper Tribunal)の二層構造,並びに雇用審判所及び雇用上訴審判所がこの統一構造の外に置かれ別の法律で規律されるという開示文書の記述は,現在も基本的に妥当する。もっとも,後記第6のとおり,上訴審判所の決定に対する司法審査の範囲は制定法によって大きく変更されている。
開示文書が「イギリスとは,『イングランド及びウェールズ』の意味で用い」ると明示し,連合王国内にイングランド及びウェールズ,スコットランド,北アイルランドの3つの固有の司法制度が併存すると説明している点も,現在の理解と異なるところはない。以下で述べる変更は,いずれもイングランド及びウェールズに関するものである。
第3 高等法院の部門構成――女王座部の改称と大法官部の廃止
開示文書は,高等法院が大法官部(Chancery Division),女王座部(Queen’s Bench Division)及び家事部(Family Division)の3部で構成されると記述し,大法官部に平成27年3月現在17人,女王座部に72人の裁判官が所属すると記載する。この3部構成という枠組み自体が,現在は二重の意味で変化している。
第一に,女王座部の名称が王座部(King’s Bench Division)に改まった。これは君主の交代に伴う当然の帰結であり,法改正によるものではない。開示文書の「女王座部」「女王座部長(President of the Queen’s Bench Division)」との表記は,現在の司法部の公表資料では「King’s Bench Division」に置き換わっている。
第二に,より実質的な変更として,大法官部を廃止して新たにビジネス・財産部(Business and Property Division)を設ける再編が公表されている。Lady Chief Justice及びLord Chancellorが連名で公表した2026年6月2日付けの発表によれば,現在は王座部と大法官部にまたがって置かれているビジネス・財産裁判所(Business and Property Courts)の全てを新設の同部に属させ,同部が大法官部を置き換えて王座部及び家事部と並立する構成とするものである。同部の長はビジネス・財産部長(President of the Business and Property Division)と称し,高等法院法官(Chancellor of the High Court)がこれを務める。個々の裁判所及びリストは,従前の管轄,名称及び専門性を維持するとされている。
ただし,同発表は「枢密院令(Order in Council)の制定を条件として,新部門を次の法曹年度の早期に設置する意向である」と述べるにとどまり,発足日を確定していない。イングランド及びウェールズの法曹年度は10月1日に始まるため,その前後の時期が見込まれるが,本記事の作成時点では発足日を特定できない。この再編が実現すれば,開示文書及びその末尾の裁判所審級図が示す「大法官部・女王座部・家事部」という3部構成は,「ビジネス・財産部・王座部・家事部」という構成に置き換わることになる。
第4 治安判事裁判所の科刑権限と罰金限度額
1 科刑権限の6か月と12か月の往復
開示文書は,脚注1において,治安判事裁判所の科刑権が「原則として,自由刑については12か月まで,罰金刑については5000ポンドまで(ただし,法人の場合は20,000ポンドまで)に制限されている」と記述する。この自由刑12か月という記述は,作成当時の法状態を正確に示したものとはいい難い。Judicial Review and Courts Act 2022(2022年法律第35号)第13条は,量刑法典(Sentencing Act 2020のSentencing Code)第224条に新たに第1A項を挿入し,「適用される限度は,(a)略式犯罪については6か月,(b)両性犯罪については12か月とする」と定めた。両性犯罪1罪について12か月とする限度を2022年に新設する改正が行われたということは,それ以前は両性犯罪1罪についての限度が12か月ではなかったことを意味する。開示文書の作成時点及び公表時点において,両性犯罪1罪についての自由刑の限度は6か月であり,12か月は複数の両性犯罪について刑を併科する場合の合算上限であった。
さらに,同条は,量刑法典附則23第8部に新たな第14A項を挿入し,国務大臣が規則により第224条第1A項(b)の「12か月」と「6か月」とを相互に置き換えることができる権限を設けた。この規則は消極的決議手続(negative resolution procedure)に服し,改正は規則の施行日以後に有罪判決を受けた者についてのみ効力を有する。この切替権限により,治安判事裁判所の科刑権限は,法律の改正を経ずに行政の規則によって往復し得る性質のものとなっている。
2 罰金限度額の撤廃と開示文書内部の記述の不一致
罰金限度額については,開示文書自身が,56頁において「従前治安判事裁判所では,5,000ポンドまでの罰金しか科すことができなかったが,この罰金限度額は撤廃された(2015年3月12日以降に行われた犯罪に適用される。)」と記述し,その根拠としてLegal Aid, Sentencing and Punishment of Offenders Act 2012第85条を挙げている。
したがって開示文書は,同一の文書内で,脚注1では罰金限度額が5000ポンドに「制限されている」と現在形で述べ,56頁では同じ限度額が既に撤廃されたと述べていることになる。開示文書を参照して治安判事裁判所の科刑権限を確認する場合には,罰金限度額に関する記述が文書内で一致していないことに留意する必要がある。現行制度は,56頁の記述のとおり,罰金限度額が撤廃された状態である。
第5 少額訴訟トラックの限度額とトラック区分の再編
開示文書は,民事事件のトラック振分けについて,訴額25,000ポンド以下の事件のうち5,000ポンド以下のものが少額訴訟トラックに振り分けられ(人身傷害及び修繕義務違反に関する事件は訴額1,000ポンド以下のものに限る),それ以外が迅速トラック,残りが多重トラックに振り分けられるという3区分で説明する。また,振分けは「振分け質問票(Allocation Questionnaire)」に基づき行われると記述する。
現行の民事訴訟規則は,これと異なる構成を採る。第26.8条第2項は,トラックが少額訴訟トラック,迅速トラック,中間トラック(intermediate track)及び多重トラックの4つであると定め,開示文書が記述しない中間トラックが加わっている。第26.9条第1項によれば,少額訴訟トラックが通常のトラックとなるのは,人身傷害事件については訴額が10,000ポンドを超えず,かつ人身傷害の損害賠償額が交通事故由来のものについて5,000ポンド(第26.10条所定の場合は1,000ポンド),その他の人身傷害について1,500ポンドを超えない場合である。迅速トラックは金銭的救済の価額が25,000ポンドを超えない事件,中間トラックは同価額が100,000ポンドを超えず,比例的な進行管理を前提として審理が3日を超えず,各当事者の専門家証言が2名までに限られる等の要件を満たす事件が対象となる。
振分けの書面についても,現行規則の第26.3条は「指示質問票(Directions questionnaire)」を定めており,開示文書が記述する「振分け質問票」という名称の書面は現行規則に存在しない。開示文書の民事手続に関する記述のうち,トラックの区分,金額の区切り及び振分け書面の名称は,いずれも現行規則と対照して確認する必要がある。
第6 司法審査――Cart判決の制定法による覆しと排除条項の有効性
1 開示文書が前提とする司法審査
開示文書は,行政事件について,高等法院女王座部の行政裁判所に対する司法審査請求の手続を,1981年上位裁判所法(Senior Courts Act 1981)第31条及び民事訴訟規則第54編に沿って説明し,救済手段として職務執行命令,禁止命令及び取消命令(quashing order)を挙げる。開示文書が記述する司法審査の枠組みのうち,上訴審判所の決定に対する司法審査の可否及び取消命令の効力は,その後の立法によって変更されている。
2 上訴審判所の上訴許可拒否決定に対する司法審査の排除
Judicial Review and Courts Act 2022第2条は,2007年審判所,裁判所及び執行法(Tribunals, Courts and Enforcement Act 2007)に第11A条を新設した。同条第2項は「当該決定は最終的であり,他のいかなる裁判所においても争われ又は取り消される余地がない」と定め,第3項は,上訴審判所が決定に至る過程で誤りを犯したことを理由として権限を超えたものと扱われないこと,及び監督管轄権が当該決定に及ばず司法審査の申立てをすることができないことを定める。
もっとも,同条第4項は,例外として,上訴審判所に有効な申立てがあったか,上訴審判所が申立てを扱うために適法に構成されていたか,並びに上訴審判所が悪意により行為しているか若しくは自然的正義の原則の根本的違反に相当するほど手続上瑕疵ある態様で行為しているかに関する問題を含む限りにおいては,第2項及び第3項が適用されないものとしている。同条は2022年7月14日に施行された。
この規定は,連合王国最高裁判所が2011年のR (Cart) v The Upper Tribunal事件で認めた司法審査の経路を,議会が制定法によって覆したものである。同判決は,上訴審判所が一審審判所からの上訴許可を拒否した決定について,控訴審における第二審上訴基準を用いて司法審査を認めていた。
3 取消命令の効力に関する新たな権限
同法第1条は,1981年上位裁判所法に第29A条を新設し,取消命令について,取消しが命令に定める日まで効力を生じないものとする定め,及び取消しの遡及効を除去し又は制限する定めを付すことができるものとした。これらの定めには条件を付すことができ,取消しが効力を生ずるまでの間,対象となった行為は有効なものとして扱われる。裁判所がこの権限を行使するか否かを判断する際には,瑕疵の性質及び状況,良好な行政に対する弊害,取消しによって利益を受ける者の利益又は期待,対象となった行為を信頼した者の利益又は期待等を考慮しなければならない。同条も2022年7月14日に施行され,施行日以後に開始された手続についてのみ適用される。開示文書が前提とする,取消命令が当然に遡及的に効力を生ずるという枠組みは,この改正により修正されている。
4 排除条項の有効性を認めた判断
第11A条のような排除条項(ouster clause)については,連合王国最高裁判所が2019年のR (Privacy International) v Investigatory Powers Tribunal事件において,最も明確な文言によらない限り司法審査を排除しないという強い解釈上の推定が働くと判示していたため,第11A条の有効性が争われた。高等法院は,2023年のR (Oceana) v Upper Tribunal (Immigration and Asylum Chamber)事件において,第11A条が有効に司法審査を排除するとして,管轄を欠くことを理由に請求を却下した。同判決は,Cart判決自身が明確な文言を用いれば議会が司法審査を排除し得ることを明示的に承認していたこと,第11A条は完全な排除ではなく同条第4項所定の事由に司法審査を限定する部分的な排除であること,及びCart判決が第二審上訴基準を採用したのは当時の議会が司法審査の範囲の限定方法を特定していなかったため裁判所がその作業を担ったからであって,議会は今回その作業を行い当該領域を覆ったことを理由とした。同判決は,明確な一次立法による排除を高等法院がコモン・ロー上無視できるという主張も排斥している。
以上を通じてみると,Privacy International判決が示した明確性の要求は維持されているものの,議会が意識的に明確な文言を用い,かつ限定された例外を法文上留保した場合には,その排除は有効に機能すると整理することができる。ただし,本記事が確認したのは高等法院の判断であり,上級審の判断が示された場合には評価が変わり得る。
第7 雇用審判所――申立手数料の違法判断と申立期限の延長
1 申立手数料制度を違法とした判断
開示文書は,労働事件について,雇用審判所への申立て,答弁,争点整理手続,ヒアリング,上訴及び執行の各段階を詳細に記述するが,申立手数料に関する記述を置いていない。開示文書が手数料について述べるのは,本人及び証人のヒアリングへの出頭費用が2012年4月6日以降に提起された事件については原則として償還されないという点のみである。
もっとも,開示文書の作成時点においては,2013年の命令(The Employment Tribunals and the Employment Appeal Tribunal Fees Order 2013)により申立手数料及びヒアリング手数料の制度が存在していた。連合王国最高裁判所は,2017年7月26日のR (UNISON) v Lord Chancellor事件判決において,この命令を違法と判断した。
同判決は,手数料を定める権限の限界について,「司法へのアクセスを実効的に妨げられる現実的な危険があるならば,本件手数料命令は権限を超えたものとなる」と述べ,制度が一部の者について司法へのアクセスを事実上妨げる場合に限らず,介入の程度が目的により正当化される範囲を超える場合にも権限を超え得るとした。事実認定として,手数料の導入後に雇用審判所が受理した申立件数が長期的に66パーセントから70パーセント減少したこと,及び経済状況の改善によって見込まれる減少は8パーセント程度にとどまるとする審査報告書の分析を引用している。結論として,同命令は司法へのアクセスを実効的に妨げるものであって違法であり,制定された時点から違法であったから取り消されなければならないと判示した。
開示文書は手数料制度に触れていないため,同判決による変更は開示文書の記述を直接修正するものではない。しかし,開示文書が記述する雇用審判所の利用状況に関する数値は,手数料制度が存在した時期の統計を含むため,現在の申立件数と単純に比較することはできない。
2 申立期限の3か月から6か月への延長
開示文書は,雇用審判所への申立てが「原則として,解雇等の事実が発生した日から3か月以内にされなければならない」と記述する。この期限については,延長する立法が既に成立している。
Employment Rights Act 2025(2025年法律第36号)第152条は,「附則12は,グレート・ブリテンにおける雇用審判所(及び一定の場合には北アイルランドにおける産業審判所)に対する申立ての期間制限を3か月から6か月に延長する目的で改正を行う」と定める。もっとも,同条は国王裁可の時点では施行されておらず,本記事の作成時点においても施行日の指定が確認できない。したがって,開示文書が記述する3か月という期限は,現時点ではなお現行の規律である。
第8 離婚手続――無責主義への転換と用語の変更
開示文書は,離婚に関する事件の手続が「仮判決(decree nisi)と確定判決(decree absolute)の二段階構造をとる」とし,仮判決が言い渡された場合には原告が6週間後に確定判決を求めることができると記述する。開示文書は,離婚の実体的な要件については記述を置いていない。
現行の1973年婚姻事件法(Matrimonial Causes Act 1973)第1条は,Divorce, Dissolution and Separation Act 2020により全面的に置き換えられ,2022年4月6日から施行されている。同条第1項は,婚姻の当事者の一方又は双方が,婚姻が回復不能に破綻したことを理由として婚姻を解消する命令(divorce order)を裁判所に申し立てることができると定め,第2項は申立てに婚姻が回復不能に破綻したとの申立人の陳述書を添付しなければならないと定める。第3項は,裁判所がこの陳述書を婚姻が回復不能に破綻したことの決定的な証拠として扱い,かつ離婚命令を発しなければならないと定めている。
用語についても変更がある。第4項によれば,離婚命令はまず条件付命令(conditional order)として発せられ,条件付命令から6週間を経過するまでは最終のものとすることができない。第5項は,当事者が申立ての継続を確認しなければ条件付命令を発することができないものとし,その確認は手続の開始から20週間を経過するまでは行うことができないと定める。第6項及び第7項により,大法官はこれらの期間を規則で伸縮することができるが,両期間の合計が26週間を超える結果となる期間を定めることはできない。個別の事件では,裁判所が命令により期間を短縮することができる(第8項)。
したがって,開示文書の「仮判決」「確定判決」という用語及び「6週間後に確定判決を求めることができる」という記述は,2022年4月6日以後に開始された手続については現行の規律を示さない。現行制度では,申立てから条件付命令までに20週間,条件付命令から最終命令までに6週間という二つの待機期間が設けられている。
第9 裁判官の定年の70歳から75歳への引上げ
開示文書は,「常勤裁判官に任期の定めはなく,定年は70歳である」と記述し,脚注において,1993年裁判官年金及び退職法(Judicial Pensions and Retirement Act 1993)に定める一定の要件を満たす場合には定年を75歳までとすることができると補足する。この原則は,Public Service Pensions and Judicial Offices Act 2022(2022年法律第7号)によって置き換えられた。同法第121条は「附則1は,司法職の保持者の退職日について定める」と規定し,附則1第1部が,1981年上位裁判所法,1984年郡裁判所法,2005年憲法改革法,1996年雇用審判所法,2003年裁判所法その他の多数の法律における退職年齢の規定を改める形で,強制退職年齢を引き上げている。附則1第2部には経過規定が置かれ,イングランド及びウェールズの治安判事に関する規定が含まれる。
施行時期については,同法第131条第4項(a)(i)により,第121条及び附則1(附則1第25項第3号を除く)は,同法が成立した日に施行された。同法の国王裁可は2022年3月10日であるから,定年の引上げについて別途の施行規則は存在せず,国王裁可の日に施行されたことになる。開示文書の「定年は70歳」という記述は,例外的な延長の可否という形ではなく,原則そのものが改まる形で置き換えられている。日本の裁判官の定年がどのような根拠で定められているかについては,裁判官の定年が70歳又は65歳とされた根拠で扱っている。
第10 量刑――短期拘禁刑の執行猶予の原則化
開示文書は,刑の執行段階について,量刑委員会(Sentencing Council)が作成する量刑ガイドラインに裁判所が従わなければならないこと(2009年検死官及び司法法第125条第1項),及び執行猶予刑が14日以上2年以下の拘禁刑(治安判事裁判所では14日以上6か月以内)について最大2年間の猶予を付し得ることを記述する。Sentencing Act 2026(2026年法律第2号)第1条は,量刑法典に第264A条を新設し,短期の拘禁刑について執行猶予を原則とする規律を導入した。同条は,18歳以上21歳未満の者に対して青少年犯罪者施設収容の刑を科す場合で,刑期が12か月を超えず執行猶予命令を付し得るときについて,裁判所が,犯罪又は犯罪者に関し当該命令を発しないことを正当とする例外的事情があると認める場合を除き,執行猶予命令を発しなければならないと定める。
同条は適用除外を詳細に列挙しており,刑の宣告時に他の拘禁刑等により在監中である場合,同一の機会に科された複数の刑のいずれかが12か月を超える場合若しくは併科の合計が12か月を超える場合,監督命令に違反して犯罪が行われた場合,及び当該命令を発することが特定の個人に身体的又は心理的な加害の重大な危険を生じさせると裁判所が認める場合等が挙げられている。同法は,このほか,執行猶予に付し得る拘禁刑,収入減額命令(income reduction orders),量刑の目的,家庭内虐待の認定及びリコール後の自動釈放に関する規定を置いている。開示文書が記述する執行猶予刑の枠組みは,こうした短期拘禁刑の抑制を志向する改正を前提として読む必要がある。
第11 開示文書の記述が公表時点で既に現行でなかった部分
開示文書には,作成時点又は公表時点において既に改正が行われていた事項についての記述も含まれる。開示文書を参照する際に特に注意を要するのは,次の3点である。
第一に,陪審員の年齢上限である。開示文書は「陪審員(jurors)は,有権者登録をした18歳から70歳までの市民」と記述し,1974年陪審法(Juries Act 1974)第1条を挙げる。しかし,Criminal Justice and Courts Act 2015第68条は,同法第1条第1項(a)の資格要件を「18歳以上76歳未満」に,第3条第1項の陪審員選定の基礎に関する規定を「18歳未満」又は「76歳以上」を除く形に改めており,同条第2項は2016年12月1日に施行されている。したがって年齢上限は75歳であり,開示文書の記述は施行の約1年後に公表されたにもかかわらずこの改正を反映していない。
第二に,特許郡裁判所である。開示文書は,損害額が500,000ポンドを超えない特許権侵害訴訟の第一審を取り扱う裁判所として特許郡裁判所(Patents County Court)がセントラル・ロンドンにあると現在形で記述し,脚注に2012年の同裁判所のガイドを挙げる。しかし,現行の民事訴訟規則第63編は,第5節に知的財産企業裁判所(Intellectual Property Enterprise Court)に関する規定(第63.17条以下)を置いており,同編に「特許郡裁判所」という名称の裁判所は存在しない。
第三に,前記第5のとおり,少額訴訟トラックの金額の区切り及び振分け質問票の名称である。開示文書が記述する3区分のトラック,5,000ポンドという区切り及び「振分け質問票」という書面は,いずれも現行の民事訴訟規則には存在しない。もっとも,これらの改正がそれぞれいつ行われたかについては,本記事では現行規則の条文を確認したにとどまり,改正の時期を特定していない。
これらは,いずれも開示文書の作成時点における調査の限界を示すものであり,開示文書が付する198個の脚注のうち相当数が平成27年5月時点の閲覧に基づくことと整合する。開示文書は,脚注により典拠を明示する点で精度の高い資料であるが,個別の記述が当該時点の最新の法状態を反映しているとは限らない。
第12 欧州連合法との関係の終了と仲裁法の改正
開示文書は,労働事件について「EU法の解釈が問題となる事件については,欧州司法裁判所(Court of Justice of the European Union)へ上訴することができる」と記述し,また刑事事件について,他のEU加盟国の司法機関が発付した逮捕令状(European Arrest Warrants)に基づく逮捕が増加傾向にあることに留意する必要があると記述する。前者について,2018年欧州連合離脱法(European Union (Withdrawal) Act 2018)第6条は,離脱日以後,連合王国の裁判所又は審判所が欧州連合司法裁判所にいかなる事項も付託することができないと定めている。開示文書の記述は,欧州司法裁判所への「上訴」と表現している点でも先決付託制度の性質と異なるが,制度そのものが終了しているため,現在の手続を示すものではない。
仲裁については,開示文書は1996年仲裁法(Arbitration Act 1996)を前提として,仲裁裁定に対する高等法院への不服申立ての類型を同法第67条(管轄権の不存在),第68条(重大な不正義)及び第69条(法令違反)に沿って説明している。その後,Arbitration Act 2025(2025年法律第4号)が成立し,1996年法を改正している。もっとも,同法第17条によれば,第16条から第18条までは同法の成立の日に施行されるが,その他の規定は国務大臣が規則により定める日に施行されるものとされており,本記事の作成時点では実質的な改正規定の施行日を確認できない。開示文書の仲裁に関する記述を利用する場合には,1996年法の現行条文を確認する必要がある。
第13 開示文書を利用する際の留意点
開示文書は,198個の脚注により法令名,条番号及び参照文献の頁数を個別に示しており,イングランド及びウェールズの司法制度を日本語で概観する資料としての価値は現在も失われていない。特に,裁判所の審級構造,各裁判所の管轄の分配,裁判官の種類と職務分担,刑事手続の流れ,少年事件の処遇の類型については,記述が詳細であり,現在の制度を理解する出発点として利用することができる。
他方,開示文書は平成26年から平成27年ころの制度を記録した文書であり,制度の変動を追跡して更新される種類の資料ではない。前記のとおり,高等法院の部門構成,治安判事裁判所の科刑権限,民事事件のトラック区分,司法審査の範囲,離婚手続の用語と要件,裁判官の定年及び陪審員の年齢上限は,いずれも現在の制度と異なる。開示文書を参照する場合は,作成時点の制度を記録した資料として位置付けた上で,現行の制度についてはlegislation.gov.ukの現行条文,民事訴訟規則の現行版その他の一次資料により別途確認する必要がある。
開示文書に付された統計についても,同様の注意を要する。治安判事裁判所の庁数について,開示文書は平成26年12月時点で約240庁としつつ,司法部のウェブページには約330庁との記載があると脚注で指摘し,法務省の方針により年々閉鎖が決まっている旨を付記している。開示文書自身が資料間の不一致を記録しているのであり,庁数のような変動する数値は,開示文書の記載をそのまま現在の数値として用いることができない。本記事では,治安判事裁判所及び郡裁判所の現在の庁数,並びに職位別の裁判官数について,一次資料による確定値に到達できなかったため,具体的な数値を示していない。
出典・参考資料
1 法令・規則
① Judicial Review and Courts Act 2022(2022年法律第35号)第1条,第2条,第13条(legislation.gov.uk)
② Public Service Pensions and Judicial Offices Act 2022(2022年法律第7号)第121条,第131条,附則1(legislation.gov.uk)
③ Employment Rights Act 2025(2025年法律第36号)第152条,附則12(legislation.gov.uk)
④ Sentencing Act 2026(2026年法律第2号)第1条(legislation.gov.uk)
⑤ Victims and Courts Act 2026(2026年法律第19号)目次(legislation.gov.uk)
⑥ Criminal Justice and Courts Act 2015(2015年法律第2号)第68条(legislation.gov.uk)
⑦ Matrimonial Causes Act 1973(1973年法律第18号)第1条(現行。Divorce, Dissolution and Separation Act 2020による置換え,S.I. 2022/283 reg. 2。legislation.gov.uk)
⑧ European Union (Withdrawal) Act 2018(2018年法律第16号)第6条(legislation.gov.uk)
⑨ Arbitration Act 2025(2025年法律第4号)目次及び第17条(legislation.gov.uk)
⑩ Legal Aid, Sentencing and Punishment of Offenders Act 2012第85条(開示文書56頁の脚注155が引用するもの)
⑪ Civil Procedure Rules 第26編(第26.3条,第26.8条,第26.9条,第26.10条)(Ministry of Justice)
⑫ Civil Procedure Rules 第63編(第5節 知的財産企業裁判所)(Ministry of Justice)
2 裁判例
① R (on the application of Cart) v The Upper Tribunal(連合王国最高裁判所2011年6月22日判決,[2011] UKSC 28。Find Case Law)
② R (on the application of UNISON) v Lord Chancellor(連合王国最高裁判所2017年7月26日判決,[2017] UKSC 51。第15項,第16項,第39項,第87項,第98項及び第119項。Find Case Law)
③ R (on the application of Privacy International) v Investigatory Powers Tribunal(連合王国最高裁判所2019年5月15日判決,[2019] UKSC 22。Find Case Law)
④ R (on the application of Oceana) v Upper Tribunal (Immigration and Asylum Chamber)(高等法院行政裁判所2023年4月4日判決,[2023] EWHC 791 (Admin)。第25項,第28項,第44項から第51項まで。Find Case Law)
⑤ Churchill v Merthyr Tydfil County Borough Council(控訴院民事部2023年11月29日判決,[2023] EWCA Civ 1416。Find Case Law)
⑥ PGF II SA v OMFS Company 1 Ltd(控訴院民事部2013年10月23日判決,[2013] EWCA Civ 1288。開示文書65頁の脚注189が引用するもの。Find Case Law)
3 公文書・開示文書
① イギリス連合王国(イングランド及びウェールズ)の司法制度(最高裁判所の司法行政文書開示による開示文書,全69頁)
② 令和6年10月9日付け司法行政文書不開示通知書(諸外国及び我が国の司法制度の概要(対照表)等の不存在に関するもの)
4 ウェブ資料
① Courts and Tribunals Judiciary「The Lady Chief Justice and Lord Chancellor modernise the High Court through establishment of the Business and Property Division」(2026年6月2日)
5 関連記事
① 諸外国の司法制度